ブログ

2025年11月の記事一覧

半導体は欠かせない

 超伝導物質を作る - 大学時代の研究テーマでした。ある条件が整うと電気抵抗が0になる物質で、よく耳にするリニアモーターカーの走行に応用されています。当時、室蘭工業大学では城谷研究室が目指す化合物を作ることができなかったので、高温下高圧下の実験設備がある東京大学の物性研究所に出向き、できあがった化合物の物性は筑波の高エネルギー研究所で寝ずの実験で検証しました。

 室蘭港からフェリーで大洗港、大洗から鹿島臨海鉄道で水戸、水戸から常磐線で北千住で降車し、地下鉄千代田線で乃木坂まで行き(当時物性研究所は六本木にありました)、徒歩で研究所まで。それは一大旅行になりました。

 超伝導物質を作るところから検証までには約2~3週間程度の時間を要するため、その間は東京と茨城に長期滞在しました。遊ぶときは遊びましたが、徹夜徹夜の連続で大変でした。

 私が挑戦した化合物は超伝導物質にはならず、半導体の特性を示すものばかりでしたが、わずか一年で日本最高峰の施設で時間を過ごせたのは幸運なことでした。本当は大学に残る道もありましたが、悩んだ末に今の仕事を選びました。どちらが良かったのかはこの歳になっても未だ結論は出ていません。

 11月4日(火)にメカトロ・エンジニア系列2年次生を対象にした『半導体講座』を実施しました。上述の経緯があることから、個人的にこの日を楽しみにしていました。報道等で話題になっていますので、千歳市に次世代半導体の製造拠点となるRapidus(ラピダス)が進出することはすでに御承知おきかと思います。

 2027年に量産が開始される予定になっており、今後、本校の卒業生や本校で学ぶ生徒が活躍する企業になると思います。北海道、日本全体に新たな可能性をもたらすプロジェクトが動いていることにわくわくします。

 50分の講演でしたが、半導体が身近なところに存在し、誰もがその恩恵を受けていることがわかりましたし、半導体の将来の姿を丁寧に説明していただき、生徒は興味を持って話を聴くことができたと思います。

 本校は、地域の方々や各機関の御協力のもと充実した教育活動を展開しています。いつも並々ならぬ御理解と御支援を賜り感謝申し上げます。

0

この環境だから・・・

 「ここに(勤めている、通学している)のは、あなたがここで果たすべき役割があり、何かしらの使命があってのこと。文句を言わず置かれた場所で精一杯の努力をすることが大切です。思ったような(仕事、学び)ができなくても、今目の前に与えられた(仕事、学び)に目を背けず誠意を持って取り組めば、それがあなたの肥やしになり、そうした姿に目を留めた誰かがあなたを認めてくれる」これは私の経験に基づくものであり、今でも大切にしている私自身のスタンスでもあります。先生、そして生徒にもこの話をしました。

 先日、出張先においてかつての同僚と顔を合わせる機会がありました。「毎日ホームページで先生のブログ見てますよ」時間がなくて一言二言しか話できなかったが残念、と思っていたら翌晩にわざわざ電話をくれました。
 
 彼にはよく上述の話をしました。「この環境だからこの仕事に出会い自らのスキルを高めることができる。自分が本当にやりたいことができなくても、今はそういう時間なんだと自分に言い聞かせて、いい仕事をしなさいよ」私が彼と接したのはわずか2年間でしたが、自身としっかり向き合いながら成長していく姿を見ることができたのは本当に嬉しかった - そのような記憶があります。

 私は物事の考え方を180度変える生き方を心掛けています(現在進行形です)。環境を嘆かない(その環境で最高の生き方をすればいい)、文句を言わない(そうしている間にどんどん時間は経過しプラス要素が何もない)、定年退職後に始める(数十年数年先の夢を見ず今すぐできることはする)、慌てない(くることがわかっているのだから前もって準備しておく)誰かに押しつけようなどとはまるっきり思ってもいませんが、肩に力が入らずすっきりした気持ちで生活できています。

 さて、話は変わりますが、カメラを持って秋の風景を切り取る時間を過ごしています。管理職になってから6年間休んでいた写真ですので、腕は相当落ちてしまいましたが、また少しずつゆっくりのんびりカメラ旅を始めようと思っています。

(11月2日 札幌市中島公園の秋 写真の一部を加工しています) 

0

この風景が好きです

(10月30日 8時36分)

 生徒玄関で生徒を迎えた後、まずは4階へ上がり3階、2階の順番でHR教室の様子を見て回っています。着任してから今日まで静かで落ち着いた朝を迎えています。

 4階の窓から西側に広がる景色を見るのが好きです。何度も転勤を繰り返してきたわけですが、校長として着任した最初の朝の緊張はそれまでのものとは違っていました。そうした中でこの景色を見たのを今でも覚えていますし、その日の想いや感覚を私は一生忘れることはないと思います。それくらい印象に残る朝でした。

 高校を終えるまで私の目の前にあった風景です。この風景の中で走り回り、親に叱られ祖父母に甘えてきました。陽が暮れるまでキャッチボールをして、教科書など広げずに本ばかり読み、やがて心が荒んでわがまま放題になり、そのことから多くの人たちを傷つけ、傍らで将来に不安を抱えながら、いくつかの恋愛を繰り返し、空知を離れたいがために大学に進学しました。

 長いようで短い人生の中で、私は何かを捨てて何かを掴んでこの場所に戻ってきました。私は確かに変化している。でも、この山は何も変わらないあの頃のまま・・・

 僕の目の前のピンネシリ山系に雪渓が見えるようになりました。

0