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丁寧に書く

 どうしてこの苗字でこの名なんだろう・・・

 小学生の頃、苗字と名でしょっちゅう揶揄われたので、自分の苗字と名にコンプレックスを持っていました。せめて名だけでも弟と交換して欲しい。そんなことを思いながら毎日を過ごしていました。

 私にとって最悪なことは全校集会における表彰でフルネームが呼ばれる日。入学式、卒業式も。学期の終わりに担任から名前を呼ばれて通知票をもらう日も。その日が近づいてくると妙に落ち着かなくなり、当日はただただ体育館や教室から逃げ出したかった。

 どうしたら名前を変えることができるのだろうか、と図書室で本を真剣に探し回ったこともありました。(見つかりませんでしたが)担任の先生や祖母に聞いたこともあります。それくらい私にとっては深刻な問題でした。

 人生も半ばを過ぎ、普通私くらいの年齢になると、もう小学校のときの記憶はほとんどなくなり、いくつかの断片的なものしか残らなくなりますが、名前のことにまつわる数々の出来事を鮮明に覚えているのは、やはり相当なインパクトのある問題だった、ということなのだろうと思います。

 中学校に上がって、妙にざらついた感情に振り回され、荒くれた行動により周囲にずいぶん迷惑をかけたのは、消すことのできない恥ずかしい事実ではありますが、そうなってしまった自分の一端には名前へのコンプレックスから逃避したい、そんな思いがあったのは間違いありません。

 何がきっかけでそうしたのかは定かではありませんが、確か中学生のときに『剛』の意を辞書で調べたことがあり、そこから名を授けてくれた亡き祖父の思いのようなものを感じ、ハッとしました。そういう意味だったのか - たぶんその辺りからコンプレックスがなくなったように記憶しています。

 今日の話は私の笑い話であり、この日の授業内容とは全くつながりませんが、小学生、中学生のときは名前を書くのが嫌で、殴り書きしていました。心の小さな少年だったんですね。教室の後ろから入り、丁寧に筆を走らせる先生や生徒を見ていて、私自身人に褒められる文字は書けないけれど、いつの日かそれはわからないけれど、自分の名前だけは粗末にせず「丁寧に書く」ことができているな、そう思ったのです。

 心落ち着けて文字を一字一字丁寧に書く、そのような時間をどこかに持たなければ・・・ぼんやり考えています。