北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
自ら撮影した写真とシャッタを押した時に感じたことや思ったことを綴る校長の小部屋も、スタートしてから3ヶ月になりました。できるだけ撮影したときの気持ちを素直に綴ってきたつもりです。その写真を撮ったときに自分が何を感じ、何を思ったか、そこにこだわりを持って書いてきました。
私は、小学生の頃から祖母の隣で静かに本を読み、本の中の登場人物を自らに当てはめて想像したり、物思いに耽って時間を過ごす少し変わった子どもでした。ある日授業で詩を習ったとき、自ら思ったことをこんなにも端的に、そして形にとらわれることなく自由に書ける言葉遊びに衝撃を受けました。それからというもの詩を書き続けました。
夏休みや冬休みの自由研究の作品が並べられたテーブルには、友達の大がかりな作品ばかりが並べられ、私だけノート1冊なので周りからずいぶんひどいことを言われましたが、担任の先生だけは「いろいろな思いが伝わってきます」と褒めてくれたのを覚えています。両親から褒められることがなかったので、そのときの喜びは今でも忘れず記憶に残っています。
いつも物思いに耽り、思ったことをノートに書き留めておくというようなことを小学生の頃から続けているので、書く、ということに関しては抵抗はありません。文章の善し悪しは専門ではないのでわかりませんが。
4月、ホームページの更新が滞っておりましたので、どうにかしなければならないですね、と教頭先生と話をしてきました。そのときに教頭先生から「校長先生の思いを書くページがあればいいと思いますよ」とアドバイスをいただき、誰かに更新を依頼する前に自分で更新すればいいのだという思考回路に至りました。教頭先生が私が書くことへのきっかけをくれました。ありがたいな、と思っています。
(7月23日 18時29分)
地球環境が変化してきていると言われ、この暑さもその影響なのかな、と思わざるを得ない状況ですが、夕刻にこうした風景を見ると、子どもの頃から見てきた空や雲と何ら変わらない、この先もずっとこの風景が続いていくんだ、そう納得している自分がいます。でも、もしかしたら続かないのかもしれない、と思う自分にも大きな戸惑いを感じています。確かにこの場に立って見上げた空や雲は、あの頃と何も変わっていないのです。ただ、唯一違っているのは気温です。この時間で30℃です。こんなことはなかった。
美しい風景を、美しい町をずっと残していく・・・今を生きる私たちの責任です。それは大人だけではなく、生徒も一緒です。便利さだけを追求するのではなく、後ろを振り返り、置き去りにしてきたものをゆっくり見つめ、未来に残すもののために探究し、小さな個人レベルのことでも行動を起こす必要があるのではないかな、と思います。
生徒には是非自分の住む町の空を見上げて欲しい。雲が織りなす模様をゆっくり眺めて欲しい。勉強や部活動、恋人や友人、進学か就職、今日と将来・・・私も高校時代にはありました。生徒もさまざまな思いや悩みの中で生活しているはず。そうしたことを一時でも忘れさせてくれる風景が目の前に広がっています。美唄の風景は本当に美しいです。美しいものに素直に触れてください。
夏季休業に入り、私も出張や休暇取得もありますので、毎日の更新は控えさせていただきます。時折訪問していただけますと幸いです。
暑い日が続きますのでどうぞお身体を御自愛ください。
(7月23日 8時36分 朝から30℃を超えています)
6月中旬から高温が続いておりますが、今週は暑さのギアが一段上がった感じがします。夜になっても気温が下がりません。
私は四季の中で夏が一番好きですが、それはかつての北海道の清々しい夏と連動するものです。近年の夏は身に危険を感じるところもあり、好き嫌いなどと悠長なことは言っていられない状況になっています。
窓枠クーラーやスポットクーラーを稼働させて教室の室温を下げるようにしてはいますが、教室という空間に多くの生徒がいると、人が発する熱等もあって思うような効果が得られません。今年度からジャージ登校させるようにしましたし、授業中の水分補給、運動を伴う活動の中止等を含め、生徒の身体に負担をかけないよう取り組んでおりますが、今後も熱中症から生徒と教職員を守るため、アンテナを高くしていかなければなりません。
私が借りている家、そして自宅にはクーラーは設置しておりません。扇風機、換気扇、サーキュレータを稼働させて何とか凌いでいます。もう限界だわ、と妻はクーラーの設置を特に今夏は口にするようになっています。そろそろ本格的に検討しなければいけないかもしれません。自宅は特殊な窓ですので窓枠クーラーやスポットクーラーの取付ができないため、エアコンの導入の検討をしなければなりません。我慢するところは我慢するけれど、私も妻も少しずつ歳をとってきたことを考えると、暑さから身を守ることに我慢する必要はないな、と真剣に考える今日この頃です。
すでに連絡を差し上げておりますが、本日、臨時休校といたします。突然の御連絡に驚かれたと思いますが、不要な外出を避け、自宅において水分の補給をこまめに、暑さで疲れた身体をゆっくり休めて欲しいと思います。
明日は夏季休業前の最後の登校日となります。暑さが心配ですが、元気に登校してください。
7月31日(木)15時から16時になりますが、コアビバイ市民ふれあいサロンにて『尚栄高校フェア2025夏』を開催いたします。例年、冬場に開催しておりますが、今年は年2回として夏場にも開催する運びとなりました。
『文理・教養系列』と『デザイン系列』は作品の展示や掲示、『情報通信マネジメント系列』は広告の作成及び販売活動、『メカトロ・エンジニア系列』はミニマイコンカープログラミング体験、電子工作、実習作品の無料配布、『フード系列』は加工品(ジャム、カレー、ベーコン、フランスパン、生ハム等)の販売を行います。
本校は体験的な学びを重視しており、校内を歩くと必ずどこかの系列が実験や実習を行っています。教室に入って生徒の様子を見ていますと、座学で見せる表情とはまた異なるいい表情で楽しそうに作業に取り組んでいます。何かをつくる経験は必ず深い学びに結びつきますし、何かをつくった経験は更なるものづくりへの興味や挑戦につながると私は信じています。
これからの世の中の変動を考えますと、本校のような学びの形態が必ずどこかで役に立つはずです。究めることだけではなく、広く対応して生きていく力がますます求められます。5系列の総合学科高校ですが、私は「人が生きていく上で大切な衣食住が詰まった学校」と考えています。道内でも非常に珍しいスタイルの学校です。
各系列での取組と生徒の活躍が集約されたフェアとなっております。私たちは、北海道美唄尚栄高等学校の教育活動を幅広く知っていただく機会と捉えています。毎年楽しみにされている市民の方が多いと聞いておりますが、市内外を問わず是非お越しくださいますようお願い申し上げます。
本校ホームページ(トップ)のお知らせ欄に、広告を掲載しております。必要に応じてダウンロードしていただき、御覧くださいますようお願い申し上げます。
「傾聴」とは、相手の立場に立ち、気持ちに共感して理解しようとすることで、相手の話を聴く際に、善悪や好き嫌いの評価を避け、相手の視点に立つことが信頼関係を築きます。その際、最も注意しなければならないのは、自分の否定的な反応を控えること。相手がどうしてそのように考えるようになったのか、その背景に関心を持って聴くことが大切です。
私は、「心で聴いてあげる」、「目で聴いてあげる」、「耳で聴いてあげる」この3つの聴いてあげるをずっと大切にしています。中学校の時の担任の佐藤先生が実によく話を聴いてくれたから、今の私があるのかもしれません。
(3つの花が寄り添って咲く - 自宅庭より)
ある電気工事会社を仲の良い二人が受験し、一人は内定、もう一人は不採用になったとき、不採用になったユウダイは目に涙を浮かべ私の前に呆然と立ち尽くしました。私はユウダイを自分の車に乗せ、学校から離れた誰もいない場所に車を停め、「ここで気の済むまで思いっきり泣きなさい」と言いました。ユウダイが落ち着いたときにはかなりの時間が経っていましたが、その間、私もある試験に失敗して不合格通知を手にして泣いた高校時代を思い出していました。
ユウダイは今まで努力してきたことや不採用の悔しさ、これからどうしたらいいのかということを話してくれましたが、私はただ黙って静かに話を聴いてあげました。僕が今何かを言うべきではない、ただ聴いてあげればいいんだ、その先のことはいつか話をしてあげればいい - そう思いました。「ゴウさん、話を聴いてくれてありがとう」とユウダイは真っ赤な目で、でも少しだけすっきりした表情を私に見せました。もう16年も前の話です。
8年前に東京で受講した研修の一コマで、実践を含めた「傾聴」をみっちり学習させられました。特に「傾聴」を意識してきたわけではありませんが、この時に私のやっていることは実は「傾聴だったんだ」と気付きました。私は高校生の頃からずいぶん友達の話を聴いてきたし、一通り話を聴いてから自分の思いを伝えるようなところがあり、控えめな人間だな、なんて思ったりしていました。でも、それはそれでおかしいことではなかったんだと思った研修でもありました。
自分の思いだけをまず伝えたい、そう思うところではありますが、相手の気持ちを受け止めてあげることを心掛けてみましょう。今までと違った世界が目の前にあらわれますよ。
「傾聴」とても大切です。
「何をしているの?」と質問しました。一人は「3Dプリンタの調子が悪いので直しています」もう一人は「マイコンカーのセンサをハンダ付けしています」メカトロ・エンジニア系列の課題研究の授業を見学しました。それぞれにテーマを持って取り組んでいるおり、トレーニング器具を製作するグループやベースギターを製作する姿もありました。何かに夢中になれる時間を持てるのはいいですね。とにかく表情がいいです。
ものをつくることイコールすぐ完成ではありません。まず思うように動作しません。最悪は全く動作しないということもあります。その事実に直面したときに人間性を垣間見ることができます。腹を立ててしまう人(そもそも自分で取り組んだ結果に腹を立てても)、放り投げる人(今まで作業に費やした時間はもったいなくないかな)、動作するまで作業する人(完成して使う喜びを感じたい)、すぐ人に聞く人(これ、大切だけど手ぶらはダメです)・・・
わからないことがあればすぐ聞くことも大事ですが、私は聞く前の在り方にこだわります。これは生徒だけに求めるのではなく、仕事をする大人にも求めます。大学の研究室で仕えた城谷教授に徹底的に報連相の指導をされ、そのことが社会人になるにあたってすごく役に立ちました。
「日下くん、どうすればいいですかって聞くけど、どこまで自分で考えてどこでつまずいたの。それを聞かせてもらえないのなら教えようも答えようもないんだよ。まずは自分がどうしたいのかが大切なんだよ。どうすればいいと聞くのはやめなさい。」こう言われるとわからないことを徹底的に調べたり勉強したりしなければなりません。しかし、これが自分の理解度を確認したり、何をしたいのかにつながる大切なことでした。ゼミには厳しくユーモアたっぷりの先生で、私は先生に出会わなかったら今とは違った人間になっていただろうと思います。
課題研究の様子を見ていて、研究室で実験に明け暮れていた時のことを思い出していました。聞く前に調べたり、この先どのような見通しを持って進めていくのかを考える - そのような生徒に育って欲しいと思っています。
「とりめしとナムルを作ったので食べてください」3年次生の2名が私のところにやってきました。選択科目『フードデザイン』の授業で作った料理です。「楽しく作れたかい」と聞きますと、ふたりは声を合わせるように「はい」と答え、爽やかな笑顔を見せてくれました。せっかくなのでホームページに掲載するよ、と断って、写真を撮らせてもらいました。
美唄市はとりめしで有名ですが、農林水産省のホームページを読みますと、美唄市の郷土料理として親しまれ、発祥は北海道の開拓が本格的に推進された明治時代にさかのぼり、現在の美唄市中村地区に入植した農場主の中村豊次郎氏が、稲作が軌道にのるまでの期間、小作人たちの家計と健康を気遣い、つがいの鶏を与え養鶏を奨励したとのこと。その後、米がとれるようになると、客をもてなすために飼っている鶏のお肉を米と一緒に炊き込んだ「とりめし」で振る舞った、と記載されておりました。うむ、なるほど。歴史的な背景を知ることで地域理解につながります。私も勉強になりました。
家族で私の実家に帰省するときに、途中美唄市内のとりめしを食べました。子どもたちが小学生だったように記憶していますが、よほどインパクトがあったのか、以来とりめしが食べたい、と言うようになりました。私と行動を共にする帰省はそれほど多いものではありませんでしたが、何度かお店に寄って食べました。
やがてふたりが大学生になり自動車を運転するようになった頃、「子どもたちだけで食べにいったこともあるんだよ」と妻から聞いたこともあります。私が美唄に転勤が決まったことを子どもたちに伝えると、それぞれから、いつでもとりめし食べることができていいよな、と言われました。たった一度寄ったその店のとりめしの味がふたりには忘れられないものになったんでしょうね。
生徒たちが作ったとりめし大変美味しかったです。ごちそうさまでした。
暑い日が続いています。教室に窓枠クーラーを取り付けてはいるものの、期待したほど室温が下がらず、生徒も暑さによる疲労が蓄積しているのではないかと思います。負担を軽減するため、半袖やハーフパンツでの登校をさせていますが、今後も厳しい暑さが続くので注意が必要です。バランスの良い食事、十分な睡眠、水分補給を実践して乗り越えていきましょう。
日が暮れても気温が大きく下がることはありませんが、それでも夕刻になると少しだけ肌に心地よい風が流れてくる - そんな日もあります。借家にはクーラーを取り付けていないので、仕事を終えて部屋に入ると熱がこもって30℃になっていることは珍しくありません。風をとおし、室温が下がることを期待して、私は一時外に出ます。
外に出るたびに美しい美唄の空が見られるわけではありませんが、たまたま、偶然に出会うことができます。そういう日は得をした気分になります。この日も草むらに腰掛けずっと空を見ていました。
夕刻、少しだけ空を見上げてみましょう。身体も心も癒してくれる素敵な空が広がっているかもしれません。自分が立つその場所でしか見られない自分だけの空が広がっているはずです。
4月22日現在95,336アクセスでしたが、約3ヶ月で5万件のアクセスがありました。本校ホームページへの御訪問ありがとうございます。
(7月14日 午後6時25分)
(写真の一部を加工しています)
山型パン、フランスパンをつくる授業の様子です。つくりたいな、と思いました。一から自分でつくったパンを食べたとき、生徒たちは何を思うのだろう。みんな笑顔で「美味しいね」って言いながら食べるのでしょうね。家でつくってみようとか、パン職人をイメージしたり・・・想像するだけで何だか楽しくなってしまいます。
家を建てるときに、お菓子づくりが大好きな妻が、ガスオーブンは絶対ね、と言うので、私は何も考えないでいいよ、とオーケーしました。後に妻は3,4年パン教室に通い、今でもパン、ケーキ、お菓子をそのオーブンで焼きます。誕生日、クリスマスは妻の焼いたケーキでお祝いをしています。
オーブンの前で焼け具合を小窓からのぞき込んでいる妻の表情は、どこか子どものようでもあり、嬉しそうな感じを受けます。フランスパンの焼け具合を私もガラス越しに眺めさせてもらいましたが、妻の気持ちがわかるような気がしました。わくわくするのです。うまく焼けているだろうか、膨らんでくれているだろうか・・・
本校に勤めるようになって、自分でつくりたいという欲求が日に日に高まっています。食べるだけではダメなんだ、自分でつくるスキルを何とか身に付けたい。正直、生徒たちがうらやましいです。
生徒には、他の人ができないことをやっている自分にプライドを持って欲しいです。本校で学んでいる自分をたくさん楽しんで欲しい。高校に入学して一般的な学習をすることは誰でも同じですが、本校の学びはそれ以外のプラス要素(付加価値)があります。ものをつくることができる、というのは私はすごいことだと思っています。買うことはできるけれどつくることはできない。世の中そうしたことが多いのが現実です。
本校は専門を学ぶ単置校(農業高校、商業高校、工業高校)ではなく、5つの系列を持つ総合学科ですから、ひとつの学校の中におもしろい学びが満載されておりドラマチックです。授業の様子を見て回っているだけでわくわくします。
それぞれの系列におもしろさはありますが、フード系列で行っている食品加工の実習やデザイン系列の調理実習、ライフデザイン実習については、着任して3ヶ月間興味を持って見学しています。自分の知らなかった世界に触れられる喜びを日々感じています。
先日、パンづくり授業の写真を見た妻が「えっ、学校でこんなおもしろいこと学んでいるんだね」と言いました。「そうなんだよ、こうしたスキルがあれば、美唄の空き店舗等を利用してパン屋さんをすることも夢ではないんだよ。もう一回高校入学できるなら、間違いなく尚栄に通うと思う」と私は答えました。
昨日も書きましたが、つくった先のことを考える学びが必要です。生徒たちがつくったパンは7月31日(木)にコアビバイ様を会場に開催する『尚栄フェア2025夏』に販売予定です。販売した先のことを考える学びが必要です。自分たちのつくったものが地域にどのように生かされ、さらに自らの人生にどのように結び付いていくのか・・・誰も答えを導いてはくれないわけですから、先にある答えを見つける旅を続けていかなければなりません。
7月9日(水)3年次生総合的な探究の時間の一コマです。
『若者が集まる場所』をテーマにした班がコアビバイ様に出向き、商店街振興組合の方々と意見交流を行いました。私も最初から最後まで参加させていただきましたが、両者にとって大変有意義な時間になり、生徒の深い学びに結びついているな、と感じました。
私が中学生や高校生だった頃にこのような学びがあれば、私の故郷は現状とは180度異なった別の姿を見せていただろう、と思います。残念でなりません。しかし、今、この学びを続けている生徒たちの10年先20年先の故郷の形は、人口の減少などの諸課題に直面しつつも発展的な変化を遂げているような気がします。
現在もそうですが、これから先は教室で黒板を見て先生の話を聞き黙々と学んでいくというスタイルは消え、地域を核にして各教科の関連を結びつけていく横断的な学びが主流になります。この日は、まさにその学びの実践でした。
かつては、インターンシップを実施しました、工場見学に伺いました、講演を聴きました、ボランティアに参加しました、地域の課題を知りました、ものをつくりました、発表会を行いました・・・行動実践することで完結でした。しかし、数年前からその実績のさらに先のことを考えた教育が求められています。私たち教員は、急ぎ足で頭の切り替えをしなければなりません。
今回の取組も一昔前の総合的な学習の時間であれば、『若者が集まる場所』について生徒同士で議論を重ね、「こんな施設ができればいいよね」、「こんなイベントをすればいいだろうな」と、素晴らしいプランが出てきても、最後は教員側で講評して完結でした。もしかしたら、町内や街全体を活性化させる貴重なプランだったかもしれないのに。
生徒が考えた案を大人が聞いてくれる。大人は今まで気付かなかったアイデアに驚く。大人はもしかしたらその案が実現できるかもしれないと真剣に考える。実現に向けて生徒と一緒に活動していく。近い将来こうした街づくりが日本全国至る所で当たり前に起こっていくと思います。今回の生徒の提案が何かの形で実現できれば素晴らしいです。
今後の社会像(教育)のキーワードは、「人口減少・少子高齢化」、「地球資源の有限性」、「持続可能な社会」、「子どもの多様性」、「子どもの貧困」、「ウェルビーイング」、「グローバルな協働」、「生成AI」、「社会の急速・非連続的な変化」、「学校の包括的な役割」だと考えます。
私が教員になった時に32年後の教育の役割が今のようになっているとは想像できませんでした。そして、現在、1年前2年前に求められていたことが古い情報となり、次から次に書き換えられています。定期的なバージョンアップではなく、日常化したしかもフルモデルチェンジ的なバージョンアップとなっています。それだけ教育の動向は加速度的に変わり続けています。私を含め教員全員が常にブラッシュアップしていかなければ、時代に取り残されてしまう、そんな緊迫した状況になっています。
今求められているのは、「地域を核とした教育活動」である。このことを肝に銘じなければなりません。
(美唄中学校裏の農道にて撮影)
7月9日(水)18時47分
ランニング最中に出会った夕暮れの空。
言葉を失う美しさ。
この日のこの時間の美唄のこの場所にいて良かった。
カメラを、写真をまたやりたいな、と思いました。美しく素敵な空を三脚に載せた一眼レフでしっかり納めたい・・・そんなことを思いながら、スマートフォンを空に向けました。
走ることが生活の最優先事項になって13年、その裏で13年間カメラから遠ざかっています。たまにランニングバックにミラーレスの一眼を入れて走ることはありますが、目的が距離やタイムになると、重たいカメラはお荷物になってしまい、結局防湿庫に眠らせたまま家を出てしまいます。
写真なら写真だけの一日を過ごす - そんな時間が私にはありました。長い期間体調を崩し(仕事は休まずいきました)、すがるような気持ちでカメラ機材を自動車に積んで出掛けました。家にいることも人に会うのも嫌で、出会う風景に心を許し一人シャッタを押していました。いったいどれだけの回数シャッタを押したかわかりません。ファインダを覗き、シャッタを押す。一回押す、その行為ごとに心の迷いをひとつずつ消し去ることができるんだ - そう信じて写真を撮っていました。
写真は大学時代から始め、教員になって3年間忙しさのあまりカメラを持たず、27歳から先に書いた理由で再開してランニングを始める41歳まで、車一台購入できるくらいのカメラとレンズでさまざまな被写体を撮影してきました。
ランニングをして、庭に出て、珈琲を飲んで、本を読み、JAZZを聴き、カメラを持って・・・1日の中でそれだけのことはどう考えてもできません。優先順位の高いことから手をつけていくと、ほとんどのことがやれないで終わってしまう。カメラの優先順位は下にある、どうしたものか・・・ここ数年考えるのはこのことばかりです。
趣味は増やすものではないのかもしれません。
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