北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
「ホームページに写真を載せても大丈夫?」生徒に声がけする際の決まり文句になってきました。この日もお断りした上で撮影させていただきましたが、調理室内には甘くていい匂いが漂っていました。これはお菓子を作っているな、甘いものに目がない私はわくわく幸せいっぱいの気持ちになりました。
科目を選択して授業を受けるというのが本校の特色のひとつになりますが、今日の話はデザイン系列の科目『フードデザイン』の一コマです。バターを使用しないクッキー作りが本日のテーマでした。ホットケーキの素材から伸ばした生地に型を当てひとつひとつくり抜き、この後オーブンで焼くのだと思いますが、とにかくみんな幸せそうな表情で楽しみながら作っているのがいいな、と。
毎週生きていくために必要な食を考え、自らの手で安全な食を作り、それをみんなで楽しく食す。食は奥が深いですね。こうした授業は系列に特化するのではなく、すべての生徒が受講できたらいいのにな、と思ったりしています。
さて、大学時代にアルバイトをしていた青果店の裏小路に、手作りのケーキやパスタなどがメニューに並ぶ自家焙煎珈琲が楽しめる小さなカフェがありました。会話を壊さない程度にさりげなく洋楽が流れ、静かに時間を過ごせる雰囲気の良いお店でした(残念ながら今はありません)。
マスターに恋愛ごとを聞いて欲しくて、カウンタ席で珈琲をよくいただいていました。当時お付き合いをしていた女性とも行ったこともありました。その影響もあってか、いつか大好きなJAZZレコードを流し珈琲を提供するお店を持ちたいな、そんなことを大学時代から考え続けています(現在進行形でレコード蒐集しています)。美唄尚栄高校で食について学べたら、実現に向けて大きく前進するだろうなぁ・・・なんて思いながら今日の授業を見学していました。
私自身経験したことのない学びが本校にはあふれていて、見るものすべてが新鮮で驚きです。五十代の私がそうした気持ちになるわけですから、感性豊かな十代なら相当なインパクトがあるのではないでしょうか。
本校で学ぶ生徒たちが、これから先の人生において「そういえば、あのとき尚栄で○○を習ったから、もしかしたらこういうことができるかもしれないな」という発想のもと、地元でお店を出店したり起業してくれる日がきたら素敵だなと思います。
自分の好きなこと、興味を持ったことについて、それを実現するための科目を選択できる。総合学科 美唄尚栄高校 だからこその学びがここにあります。
放課後、廊下を歩いていたらトレーニング室からシューッシューッ、とリズミカルな音が聞こえてきました。トレーニングマシンのペダルを一生懸命に踏み込む生徒の姿がありました。間違っていなければですが、陸上競技の経験はないけれど、この春に陸上競技部に入部した1年生です。校長室の窓からグランドのトラックを走っている姿をよく目にしますが、「しっかり続けていたら結果はついてくるぞ」と応援する気持ちで見させてもらっている生徒のひとりです。
私も一応、アスリートの端くれとしての市民ランナーですから、走る人を見るとそれが短距離、長距離のどちらであっても気持ちの奥の方がそわそわします。マラソンは自分との戦いです。私はトップランナーではありませんから、誰かに勝つ、という意識はありません。2万人規模の大会に出場しても順位には興味はなく、42.195キロを3時間29分59秒以内に走りきる、これとの勝負です。10キロなら39分59秒、ハーフなら1時間29分59秒以内です。
肉体的、体力的な衰えは当然ありますが、これらの目標を乗り越えることができるかどうか、最後は”気力”にかかっています。ツライ、足が、太ももが、苦しい、歩きたい・・・それを打ち消すだけの気力を最後に奮い立たせることができるかできないか、ただそれだけです。わかっていても、最後のスパートがかけられず、わずか数分だけオーバーしてのフルマラソンのゴール。ゴール、完走に喜びはなく、目標を達成できない自分にただただ悔しさと情けなさが残るレースがここ数年続いています。
何かを変えなければ結果は出ない - そのためには、勤務時間終了後、週休日にロードワークだけではなく、生徒と一緒にマシンを使った地道なトレーニングが必要かも、そんなことを真剣に考えてしまいました。
マシンのモニターには、設定タイムや消費カロリー等の数値が表示されており、聞くと「1時間のトレーニング時間に設定しているのであと30分やります」と答えてくれました。とにかくペダルを踏む、そのことだけを考えて汗をかく - こうした地道なトレーニングが功を結ぶ、そう思いながら写真を撮らせていただきました。
私は初夏6月が一番好きです。日中は程よい暑さで爽やかな風、夜はひんやり半袖では心持たない、そんな空気感が大好きです。香りよいライラックが終わり、ここからが本格的に花が主役になる季節を迎えます。とは言っても、いつからか初夏がいきなり真夏になることが当たり前になってしまった、そう感じるのは私だけでしょうか。
もしかしたら間違っているのかもしれませんが、私の記憶では五十年、四十年、三十年くらい前までは、25℃を超える日は7月中旬から8月上旬にかけての2週間程度、30℃を超える日は一夏に1日あるか2日あるか、そのような夏だったように記憶しています。
小学校の夏休みは、近くにあった中学校の屋外プールが開放されて、毎日のように自転車でそこに向かいました。そもそも遊び場所が学校のグランドかプールしかなかったわけですが、とにかくそこに行けばすべての友達に会うことができました。草むらではぎーっ、とキリギリス、木々の上端ではみーんみーん、と蝉、うるさいくらいの大合唱の中で、泳いだり走ったりしていました。それだけで楽しかった。
でも、それはお盆までのこと。お盆を過ぎると決まったように秋風が辺りを包み込み、夏の終わりを告げるのです。「ああもう夏が終わっちゃうんだ」寂しさいっぱい私は私なりに夏にさよならしていました。
さて、今週前半は25℃を超えました。もう、私の記憶にある初夏6月はどこかに行ってしまいました。6月の熱中症対策、いや、早ければ5月の数日も熱中症対策を意識しなければならない状況になっています。何十億という時間の中で地球の環境が完成されてきたというのに、数十年、数年単位で気象状況が変化しているのだとすれば、どうしたものだろうか、と考えさせられます。
本校におきましても生徒及び教職員に熱中症対策について注意喚起しております。簡易クーラーは5月末に設置しました。水分補給はもちろんではありますが、朝食をしっかり食べて登校すること、睡眠時間をしっかり確保することも熱中症の予防策となります。これから9月まで暑い日が続くことが予想されます。十分に気をつけて過ごして欲しいと思います。
どうしてこの苗字でこの名なんだろう・・・
小学生の頃、苗字と名でしょっちゅう揶揄われたので、自分の苗字と名にコンプレックスを持っていました。せめて名だけでも弟と交換して欲しい。そんなことを思いながら毎日を過ごしていました。
私にとって最悪なことは全校集会における表彰でフルネームが呼ばれる日。入学式、卒業式も。学期の終わりに担任から名前を呼ばれて通知票をもらう日も。その日が近づいてくると妙に落ち着かなくなり、当日はただただ体育館や教室から逃げ出したかった。
どうしたら名前を変えることができるのだろうか、と図書室で本を真剣に探し回ったこともありました。(見つかりませんでしたが)担任の先生や祖母に聞いたこともあります。それくらい私にとっては深刻な問題でした。
人生も半ばを過ぎ、普通私くらいの年齢になると、もう小学校のときの記憶はほとんどなくなり、いくつかの断片的なものしか残らなくなりますが、名前のことにまつわる数々の出来事を鮮明に覚えているのは、やはり相当なインパクトのある問題だった、ということなのだろうと思います。
中学校に上がって、妙にざらついた感情に振り回され、荒くれた行動により周囲にずいぶん迷惑をかけたのは、消すことのできない恥ずかしい事実ではありますが、そうなってしまった自分の一端には名前へのコンプレックスから逃避したい、そんな思いがあったのは間違いありません。
何がきっかけでそうしたのかは定かではありませんが、確か中学生のときに『剛』の意を辞書で調べたことがあり、そこから名を授けてくれた亡き祖父の思いのようなものを感じ、ハッとしました。そういう意味だったのか - たぶんその辺りからコンプレックスがなくなったように記憶しています。
今日の話は私の笑い話であり、この日の授業内容とは全くつながりませんが、小学生、中学生のときは名前を書くのが嫌で、殴り書きしていました。心の小さな少年だったんですね。教室の後ろから入り、丁寧に筆を走らせる先生や生徒を見ていて、私自身人に褒められる文字は書けないけれど、いつの日かそれはわからないけれど、自分の名前だけは粗末にせず「丁寧に書く」ことができているな、そう思ったのです。
心落ち着けて文字を一字一字丁寧に書く、そのような時間をどこかに持たなければ・・・ぼんやり考えています。
5年間の大学生活を下宿で過ごしました。20名近くが生活するかなり大所帯の下宿は、水元町界隈ではほとんどなく珍しかったと思います。そこでの顛末は書けることと書けないことがありますが、いつか紹介できたらと思っています。
ぽつぽつと学生向けのワンルームマンションが建ち始めていた頃でした。誰にも邪魔されない自分だけの空間を持ちたい - 集団と個人に対する若者の価値観に変化の兆しが見え始めた最初のあたりだったかもしれません。
私のような下宿生活は、やはり先輩後輩の関係がありますし、トイレとお風呂は共同で、決まった時間に揃って御飯を食べ、1台しかなかった公衆電話が鳴ると1年生が呼び鈴3回以内に走って受話器をとる、などといった所謂昭和感を漂わす掟のようなものもたくさんありました。それはそれで良き想い出として記憶していますが、今はそうではありません。私の子どもたちも、ワンルームマンションに入居し、4年間の大学生活を送りました。いや、もしかすると下宿を探す方が難しくなっているのかもしれません。
さて、私は大学生活に係るすべての経費を自ら賄うことを約束に室蘭工業大学に入学しましたので、ある青果店でアルバイトをして13万円の収入を得ていました。平日朝夕食付き6畳一間で5万円、残る8万円を学費や生活費に当てる5年間でした。確か授業料が前期で18万円くらいでしたので、13万円もあるとややリッチな生活ができていました。
毎週土曜日は大家さんの計らいで大鍋いっぱいのカレーライスが提供されましたが、日曜日と祝日は各自でとなっていましたので、私はアルバイト先で野菜を購入し、ちょっとした料理を作って食べていました。6月はアスパラの時期でしたから、伊達や洞爺産のアスパラを茹でたり炒めたりしてドンブリ一杯、腹一杯食べました。人生で一番アスパラを食べたと思います。そのときのアスパラの美味しさが35年を過ぎた今も忘れられない思い出になっています。
アスパラの話になったのは、先週、ある先生が朝の通勤途中に直売所でアスパラを購入したようで、お裾分けしてくれたからです。「校長先生、校長の小部屋のネタになるかもしれませんよ」そのアスパラが大学時代のことを思い出させてくれて、これを書いています。
大事な本校の宣伝をさせていただきます。アスパラを餌にした羊、アスパラ羊のお肉を加工した製品を今後本校のフード系列において生産する予定になっています。お楽しみに!
朝の打ち合わせが終わると、まっすぐ生徒玄関ホールに向かい、登校してくる生徒を迎えます。たくさんの「おはようございます」を交わして一日がスタートします。登校時間の終わりを告げるチャイムを聞き終えたら、4階の1年次生2クラス、3階の2年次生2クラス、最後に2階の3年次生2クラスの順で6つの教室を回り、朝学習の様子とSHRを見て校長室に戻ります。これが私の朝のルーティンです。
私の姿に気付いた2年生の男子生徒が「今日、危険物の試験があるんですよ」と、小さな声で私に教えてくれました。「大丈夫かい?」と聞くと「何も勉強していません。これからやれば間に合います」と眼鏡の奥の目をぐりぐりさせながら答えてくれました。こうしたやりとりができるのはとても嬉しいです。5回の担任を経験しましたが、そのときに生徒たちと交わした会話の一つひとつを思い出させてくれる瞬間でもあります。
時間があるときはできるだけ校内を歩き、授業中の生徒の様子を見ています。教室の入り口扉が開放されたままになっているので、後ろ側からこっそり教室に入り、タブレット端末の画面やノートを見させてもらっています。4月当初からこのようなことをしているので、私が教室に入ることに生徒は抵抗感はないように思われます。ただ、入ってきた私を見つけた生徒が「こんにちは」と挨拶をしてくれるので、教科担任の先生には申し訳ないな、と思ったりもしているところです。
「何、これどうするの?」「どうやって読むの?」「えっ、これであってるの?」私が入ったときに聞こえた生徒たちの声です。代わる代わる顕微鏡を覗き、理解している生徒が?の生徒に教えている姿もあり微笑ましかったです。何かおもしろいものでも見えるのかな、と思って私もレンズを覗かせてもらいましたが、目盛しか見えません。「何が見えるの」と聞きましたら、「1mmの100等分を見ています」と教えてくれました。なるほど、目盛の読み方を確認する授業でした。私の見た1目盛は10μm(マイクロメートル)となるわけです。目盛の読み方が理解できたその先に、微細な試料を観察する展開になるのでしょうか。
自由選択科目「生物」の授業(写真を加工しています)
本日午後から出張となります。更新は来週となります。
今後ともよろしくお願いいたします。
6年前の話になりますが、私が苫小牧の学校に異動、長男が青森の弘前で大学生活をスタートするということで、どんぴしゃり引越が重なってしまいました。2年後に小樽の学校への異動が決まり、自宅に戻ることになりましたが、入れ替わりで次男が岡山大学で学生生活を送るため、家を出て行きました。さらに2年後、私は北見へ異動となりますが、札幌で働くことが決まった長男が一時的に自宅に戻ってくることになり、今年、私は北見から美唄へ異動、次男が岡山を引き上げ自宅に戻ってきました。自宅は出たり入ったりを繰り返す慌ただしい状況になっています。
家を建てたとき、まさかこのようなことになるとは思いもしませんでした。順番に子どもたちが家を出て行き、妻とふたり穏やかに暮らす、そんなぼんやりとしたイメージを持っていたので、何が起こっているのか訳がわからない感じです。久しぶりに家族が近いところに揃ったんだな、と思った矢先、長男が6月1日付けで東京に転勤となり、先日北海道を離れました。
別に教えたわけではないけれど、子どもはいつの間にか親の手を離れ、自分で見つけた道を歩いて生きている - この日の夕刻、そんなことを考えながら走っていました。
「高校までは面倒を見るけど、その後は家を出て自分の力で生きていきなさい」いま考えると昭和チックで乱暴な言い方になるかもしれませんが、これが両親の教育方針でした。兄弟で私だけ大学に進学しましたが、仕送りは一銭ももらっていません。自分の力で生きていく・・・そういうことなんだろう、と思って家を出た訳です。
この日はきれいな夕陽に空が染まっていました。生徒たち、先生方もこの色を見ているかな、なんて思いながらシャッタボタンを押しました。
5月28日(水)18時45分 ちゅうおうばし付近にて撮影
それからまもなく淡い朱色の陰影を西側の空に残しながら太陽は山の向こう側に静かに姿を隠しました。
美唄の美しい夕暮れの中で、今日一日に感謝しながら私は再び走り出しました。
5月30日(金)青空が広がり暖かな一日。
美唄市立美唄中学校で開催された体育祭を参観させていただきました。到着したときには、午前最初のプログラムである100m走が行われており、グループに分かれた生徒たちが、ゴールを目指して全速力で走っている姿と、グランド中央部で声援を送る生徒たちを見ることができました。
進行は全て生徒が行っており、放送から流れるアナウンスによって、全校生徒がスムーズに行動し、審判やカメラ撮影など各自の役割をしっかり担っている様子も伺うことができました。手作り感あふれる素晴らしい体育祭でした。
トラック脇の芝生には、応援に駆けつけた保護者等の姿があり、子どもの活躍する姿をおさめようとカメラを構える姿や声援と拍手が飛び交い、ほのぼのとした体育祭の風景が広がっていました。
金曜日ですから保護者等の皆様もお仕事があり、応援したくてもできなかった方も多いと思います。振り返れば、私も仕事があって子どもたちの体育祭を応援することはできませんでした。子どもの成長を感じられる貴重な機会を逃してしまったな、と思います。
ゴールを目指して全速力で走る - その姿は仲間に勇気を与えます。
仲間に声援を送る - あなたの気持ちは走る人の心に届きます。
体育祭(行事)は生徒を成長させる時間になっていると思います。
本校の体育祭は12月に予定されています。
10年前。
第一志望の高校に合格できず自室で涙を流す長男に、私は言葉ではなく手紙で思いを伝えました。そうすることが長男にとっても、自分にとっても一番いいだろう、と思ったからです。わずか15歳の小さな人生で、初めてひとつのことに向けて取り組み、初めて人生をかけて挑んだ試験 - 全力を傾けた末の残酷な結果を受け止めきれない長男に、私は何と声をかけていいのかわからなかったのです。
高校生活は人生の通過点でありゴールではないんだよ。今後の人生において、多くの壁が立ちはだかりいくつもの選択に翻弄されるけど、そのときに選択した環境の中で強い志を持って最大限の努力を積み重ねる生き方をしなさい。第一志望でなかったかもしれないけれど、一つだけが人生ではないよ。これから通う学校で次の未来に向かって精一杯生きていけば、必ず次の道が拓けるよ - それは、そもそも高校に行くつもりのなかった私自身が積み重ねてきた人生を記したメッセージでもありました。
中学生にとって、次のステップとなる高校選びは大変なことと思います。また、保護者等の皆様も不安な日々をお過ごしのことと思います。私を含め、保護者等の皆様が中学生だった時代は、どことなく型にハマった考え方とレールに乗った生き方が求められていたように思います。
しかし、今は、多様化する社会で多様な生き方ができる時代です。新しいレールが次から次に敷かれ、いや、次から次に自分でレールを敷いていくことができます。どのレールの先も答えはなく、不確実でゴールのない世界が広がっています。
私は発想の転換が容易で多様な考え方と常に挑戦し続ける人こそが、これからますます多様化、複雑化していく社会を生き抜いていける、と考えます。
「普通科高校」「農業高校」「工業高校」「商業高校」「総合学科高校」「水産高校」「単位制高校」・・・つまり、高校選びはたくさんの選択肢があるということです。どれを選択したとしても、選択した環境の中で強い志を持ち、最大限の努力を積み重ねることが大切だと思っています。名や体ではなく中身です。
本校は多様なタイプの高等学校として、道内でも数少ない総合学科を設置する特徴的で面白い学校です。「文理・教養(普通)」「フード(農業)」「メカトロ・エンジニア(工業)」「情報通信マネジメント(商業)」「デザイン(家庭)」の5系列を有する総合学科で空知管内には本校しかありません。ひとつの学校にこれだけの魅力が詰まっています。
高校入学後、誰もに訪れる次のステップ(自分の将来(進学・就職))を視野に入れて、自己の進路への自覚を深めながら、幅広い選択科目の中から自分で科目を選択して学びを深めることができます。本校の学びで自分の未来をしっかり見つめ、充実した高校生活の中から、その先の道をどんどん切り拓いて欲しいと思います。
今年度のポスターが完成しました!
在校生も受検を考えている中学生も
『志高く未来を拓きましょう!!』
健康であれば考えないことなのかもしれません。若いうちはなおさら考えることがないと思います。でも、とても意味深い、そのとおりの、説得力のある言葉だと思いませんか。
校舎内を歩いているときに偶然にこの言葉と出会いました。『毎日を大切に生きてゆこう』
筆を熱心に走らせる生徒はいったい何を思って文字をしたためているのだろうか - そんなことを考えながら写真を撮りました。
私は十九歳の時に病気により父を亡くしましたので、その日以来、父が生きた年齢を意識して生きてきました。人生何があるかわからないけれど、とにかく一日一日を無駄にしないぞ、ということをどこか頭の片隅に置いていました。
結婚して、子供が生まれるとさらにその意識は深まっていくわけですが、後に妻が大病を患い命と真剣に向き合って生きていく姿を目の当たりにし、四十前半から私の生き方や考え方の舵が大きく切り替わりました。さらに数年後、意識していた父の年齢を超えたとき、『毎日を大切に生きている』そんな自分を確信しました。
人生の折り返し地点を過ぎ、朝を迎えること、学校の玄関から校長室に向かえること、生徒や先生方と挨拶できること・・・そうした一つひとつの出来事に感謝している自分がいます。
いつからそうなったのかわかりませんが、イライラしたりガミガミしたりギスギスしたり・・・心の奥の方が落ち着かない自分はすっかり姿を消しました。それはもうずいぶん昔から続いているような感じがします。
『毎日を大切に生きてゆこう』(私の場合はさらに追加して、『毎日を楽しく生きてゆこう』です)
この書に向き合っているところに遭遇できたこと、感謝しています。
ありがとうございました。
花好きなので花の話ばかりで申し訳ないのですが、ボランティア局が手をかけているプランターで、種から植えた花の芽がすくすくと成長しています。
「昨年花が終わったあとに種をとって、ダメ元で植えてみました」と養護教諭の先生が着任してまもない私に教えてくれました。5月の連休が終わるまでは気温が上がらず寒い日が続いていたので、芽が出てくる様子はなかったのですが、それ以降一気に芽吹きました。写真は本日朝の様子です。
どうだろう、どうなっているだろう・・・毎日気になってのぞいています。これが私の楽しみのひとつでもあります。こんな小さな花の、それも小さな命の芽を見て楽しめる、いや楽しませてもらっている。私にとっての幸せの形です。
プランターに水をあげている生徒たちも私と同じようにのぞき込んで成長を楽しみにしている。生徒一人ひとりにとっての幸せの形なんだと思います。
幸せ、は遠くにあるものではなく、身近に存在するもの(あくまでも私ごとです)
写真とカメラに熱中していたときは、その風景に出会うために下調べをして、機材を車に積み込んで出掛けていました。レンズを磨き、バッテリを充電し、数台のカメラをバッグに詰め込み、それは大がかりな準備を伴うイベントでした。
年齢を重ね、趣味や物事の優先順位が変わっていく中、ランニングが最優先事項になっている状況においては、重たい機材を持ち歩いて写真を撮るということがどうしても後回しになっています。たまに小回りのきくミラーレス一眼をランニングバックに入れて走ることもありますが、ポケットに収まるスマートフォンによる撮影が主になってしまいました。
一日の終わり、毎夕刻に楽しんでいるランニングにおいて唐突に出会う素晴らしい風景があります。それは何気ない日常の一コマなのかもしれませんが、この日のこの時間、この場所のこの空気・・・贅沢にもそれを味わえたのはこの世界で私だけかな、と思います。
美唄市の『美』を切り抜けた風景
つくる『美』
そこにある『美』
(5月26日 美唄中学校付近で撮影)
この2ヶ月、美唄市の魅力を感じる日々を過ごしています。美唄市に住むことができて本当に良かったと思っています。
本校の1日あたりのホームページ閲覧数が500件を超えるようになりました。毎日お越しいただいている方、今日初めて訪問された方、受検で検討されている中学生の皆様、誠にありがとうございます。インスタグラムも更新しておりますので是非御覧ください。
実際に学校に足を運んでいただき、生徒の様子や施設設備を見て欲しいと思っています。直近では学校祭もございますが、いつでも対応いたします。御連絡をお待ちしております。
今後ともよろしくお願いいたします。
先日、美唄市立東小学校5年生が齋藤農場(齋藤実様)の田んぼで田植え体験を行いました。美唄市食育事業の一環で、本校からは講師役としてフード系列2年次生4名と大中先生が参加し、小学生に指導しながら楽しく苗を植えました。私も齋藤様に許可をいただいた上で、45年ぶりの田植えを小学生と一緒に体験しました。
(写真を加工しています)
田植えの経験はあるの、と生徒たちに聞きましたら、2名が小学生の時に経験しているとのこと。小学校のカリキュラム等により、やるやらないはあるのでしょうが、毎日食べるお米がどのように作られているのかを体験的に知ることは大切なことです。食品スーパーに行けば売っているのは確かですが、そこに並べられるまでの過程を最初から知ることにより、農業を営んでいる方への感謝の気持ちや安心安全に食べられることへのありがたさを理解できると思います。
本校は地域の方の御協力のもと教育活動を展開させていただいております。学びを実践に結びつけることで学習効果が高まりますし、何より生徒一人ひとりの成長につながっていきます。このような機会を賜りました美唄市様、東小学校様、そして齋藤様に感謝申し上げます。
さて、話を戻しますが、私は小学生の3年生か4年生の授業で田植えの体験をしています。当時、私の学年だけ16名しかいない少人数のクラスでしたが、そのうち農業を営んでいる家庭の子が3名いました。ハルミちゃん、ミホコ、ムシ(通称)で、記憶が間違っていなければ、ムシの田んぼで田植えを行ったと思います(おそらく実家の納戸の段ボールをひっくり返したら当時の写真の一枚二枚が出てくると思います)秋に稲を刈り、干して、最後のお米、そしてカレーライスで戴くまでの過程をひと通り体験しました。
昨今、食育の大切さが謳われるようになっていますが、実は45年前に食育の授業が行われていた - 今まで考えたこともありませんでしたが、その事実に驚かされます。今回の田植えは抽斗のずっと奥の方に眠った私の記憶を蘇らせてくれる出来事でもありました。
15名は今頃どうしているだろう・・・一人ひとりの顔と名前が浮かんできます。
4月の話になりますが、教職員を前に着任の挨拶、そして2年次生と3年次生を前にした着任式の折に、趣味を交えた自己紹介でランニングにまつわるエピソードを含めた話をしました。
ランニングを始めたのは13年前に遡ります。理由はいくつかありますが、以後ほぼ毎日のように走り続けているのは、ランニングそのものが習慣化され、24時間の生活の一部分になってしまったからです(格好良く書きましたが、それほどのランナーではありません)
ランニングしていること自体を自慢するつもりで書いているわけではなく、その挨拶をした数日後に、本校の職員から「走っている姿をイメージして描いてみました」とはがき大の絵をいただいたのです。自らが描かれた絵をいただくのは人生初の経験でした。今もデスクマットに挟めて大切に保管していますが、これよく見ると、笑えるほど私に似ており、よく観察しているな、と思ってしまいます。
しかし、よく考えてみると、教職員は校長の姿を常に見ているという裏返しになるわけです。気を引き締めて一つひとつの業務に真摯に向き合っていく ー その自覚を持って過ごさなければなりません。そうした思いと皆さんにとって身近な校長室になるよう、入り口扉を開放しました。気温が下がってくるまではこの状態を続けます。
生徒を一人ひとりをしっかり観察し、生徒と教職員の関係が今まで以上に強固なものとなるよう教育活動を展開してまいりますのでよろしくお願いいたします。
ボランティア局の生徒が校門前の花壇にお花を植えてくれました。前回は左側の花壇にマリーゴールドが、そして、今回は右側の花壇がパンジーやペチュニアで彩られ、華やかになりました。通りに面した小さな花壇ですが、付近を通る際は是非足を止めて御覧ください。
先日、校長室にお花を届けてくれた生徒の「花言葉の面白さから花が好きになりました」という話から、さっそくマリーゴールドの花言葉を調べますと、「変わらぬ愛」「可憐な愛情」「生命の輝き」「友情」「健康」、パンジーの花言葉は「誠実」「思慮深さ」「私を思って」と記載されていました。なるほど、面白い。花それぞれの特徴を踏まえて添えられた言葉・・・奥深いです。
人としてそうした生き方や感情豊かな心を持って欲しい、そう思わせる言葉が含まれていて、考えさせられることが多いです。果たして自分はどうなんだろう、と。
生徒の皆さんには、いつも仲良くしている友達が、同じクラスの仲間が、中学校が同じだった先輩が作り上げた小さな花壇をあたたかい気持ちで見守って欲しいと思います。
月に一度お花の先生が来校されます。華道部の生徒に御指導いただいておりますが、生徒が生けたお花は校内のいくつかの場所に展示されています。先月もそうでしたが、そのうちの一つが校長室に届けられ、私のデスクに置かせてもらっています。私はなんと贅沢にも目と鼻の先でお花を楽しんでいるわけです。花好きな私にとって、身近なところに花があるというのは、何にも代えがたい喜びでもあります。
生徒にどのような思いで生けたの、と聞きましたら「外が暖かくなってきたので、春のあたたかさみたいなものを表現しました」とやや緊張した面持ちで話してくれました。どうしてお花が好きになったの、と尋ねると「花には花言葉があってそこがおもしろいなと思いました」と予想もしていなかった返答に驚きました。「花が好きです。そこにあるだけで明るくなりますから」十代でこのような感性を持っているのは素敵だな、と思います。
我が家の庭も5月中旬を過ぎてずいぶん賑やかになってきました。何年も前に植えた宿根草が陽気に誘われぐんぐん伸びています。毎年花が終わるとその種を遊び心で庭の隙間に植えていますが、これが不思議と芽を出し花を咲かせます。妻と一緒にその様を見るのが楽しみにもなっています。雪の下で長い時間耐え忍び、雪解けとともに新芽を出す、その生命力にいつも感動します。
6月中旬から本格的に花が咲き始め、妻が花を摘みバラを中心に部屋の中でも楽しんでいます。そこにあるだけでパーっと明るくしてくれる、そのとおりだと思います。
広い校舎ではありますが、その一角にお花があるだけで世界観が変わります。花が置かれている学校は本当にいいな、と思います。それが生徒の作品であればなおさらです。
(職員玄関に展示)
(生徒玄関ホールに展示)
物価高騰の波はお花にも押し寄せており、限られた予算の中で工夫しながら購入している、と顧問の先生から聞いています。生徒もそのことを感じながら活動しておりますが、活動を重ねるたびに生け方が上手になっているようです。
生徒が生けたお花を保護者等の方にも是非見に来ていただきたいです。特にお子様が生けたお花であればなおさらです。残念ながら花は長持ちしませんので、お早めに御連絡ください。お待ちしております。
19日(月)3年次生の総合的な探究の時間の一コマです。地域の方々がそれぞれのテーマのサポーターとして関わってくれています。大変ありがたいことです。
(教室に入って真っ先に机の配置がいいなと思いました。)
私が高校生だった時のことを思い出しながらこの話を書いていますが、学校で過ごした3年間において、先生以外の大人との関わりはなかったように思います。掘り下げて考えてみても何も浮かんできません。せいぜい宿泊研修や見学旅行等で説明してくれた大人くらいでしょうか・・・インターンシップもなければ現場実習もない、私が通った高校だけではなく、それが当たり前の時代だったように思います。
地域のことを考える、地元の将来を考えるなどという機会はなく、私はひたすら地元を離れて都会に出ることだけを夢見ていました。大学進学で室蘭に行くことになりましたが、地元の何倍も大きい街に住むことで自分がステップアップしたかのような気持ちになりました。
35年が過ぎて私の故郷も高齢化と少子化が進み、母校は残念ながら閉校しました。空き家が増え、建物を取り壊した跡地が目立つようになり、辺りに子供の姿はありません。実家に帰省するたびに寂しさが募ります。今更ですが、高校時代に地域に目を向けた教育を受けていたとしたら、自分の中で何かが変わっていたかもしれないし、故郷の風景も今とは大きく違っていたかもしれない - そんなことを思います。
ここにいる生徒たちが35年後に自らの故郷の地に立ったとき、私が目の当たりにしている故郷と同じようになっていなければいいなと思います。いや、そうならないために地域の将来を考え、新たなアイデアで挑戦して欲しいと願っています。
17日(土)朝 まずは道の駅奈井江を折り返し地点としてのんびりランニングすることにしました。12号線沿いからピンネシリ山系を眺めながら走っていると、所々に黄色の絨毯が広がっているのを目にしました。茶志内あたりでしょうか。
ちょうど滝川市では菜の花祭りが開催されていたわけですが、先日、桜井市長様をお迎えし御講演いただいた折に、美唄市の菜の花は、作付面積全国トップ3に入り、2019年から2021年は日本一だったとお聞きしました。私が目にしたところは一部分で、美唄市内のあちらこちらに菜の花畑が広がっているのだと思います。
大学時代からカメラを持って写真撮影することを趣味としていました。卒業後、教職の世界に飛び込み慌ただしい生活をしているうちに、写真を撮ることを忘れ、カメラを持ち歩くことがなくなりました。
働いて4年目の夏に突然激しいめまいと吐き気に襲われ、立つことや食べることもようやっと、という状況になりました。仕事は休まず続けましたが、症状が改善するまでに10年の時間を要し、不安を感じなくなった時には30代後半になっていました。
その間、自分を根本から変えようと考え、そのときにしばらく忘れていたカメラのことを思い出し、体調と相談しながら何年も花の写真を撮りに回りました。滝川の菜の花、北竜のひまわり、岩見沢のバラ、富良野のラベンダー・・・多くの花に人生を救われ、勇気をもらってきました。だから今の自分があると思っています。
奈井江を折り返し、美唄に向かう途中で脇道に入り菜の花畑を目指しました。過去にそうした経験があったから、どうしても近くで菜の花を見たかったのです。誰もいない静かな菜の花畑が広がっていました。
またひとつ、美唄の魅力に触れることができました。生徒の皆さんも自分の住む美唄にこんな素晴らしい風景があるということを知って欲しいです。
登別に住んでいたときに、小学生だった子どもたちが書道を習っていました。週に1回か2回か忘れてしまいましたが、歩いて数分のところにある会館で教室が開かれていたこともあり、友達の家に行くような感覚で出掛けていった姿を覚えています。自分から通いたいと言ったのかどうかも忘れてしまいましたが、「友達もいるから楽しそうだ」おそらくその程度の理由で行くことになったのだろうと思います。その教室は自由に書道を楽しむというのがコンセプトなんだよ、と妻が話してくれ、それはそれでいいことだな、と私は思っていました。
私が仕事から帰ってくると、教室で書いてきた半紙がテーブルの上に置かれていて、それが上手なのか下手なのか私にはよくわかりませんでしたが、小学生ながらに精神を集中して書いてきたであろう文字の一つ一つに、子どもたちの成長をしみじみ感じました。せっかく慣れ親しんだ教室でしたが、大人の都合(転勤)で教室を辞めさせることになり、子どもたちには申し訳ないことをしました。ずっと続けていれば、その教室から書の楽しさや奥深さを学ぶことができたのかもしれない、そんなことを思うと残念です。
さて、放課後に校内を歩いていたら、書道部の教室から女子生徒の楽しそうな話し声や笑い声が聞こえてきました。お話するときはする、書くときは集中して話をせずに半紙に筆を走らせる。和やかな雰囲気の中で部活動が行われていました。どのような話で盛り上がっていたのかは分かりませんが、友達と楽しく時間を過ごすことが一番です。この日の想い出がいつか集まったときの話題になるかもしれない・・・
あっ、もしかすると私の子どもたちが通った教室も同じような雰囲気だったのかな、と思ってしまいました。
生徒一人一人のかけがえのない高校生活が、それぞれの想い出ノートに刻まれていきます。
3年次生の総合的な探究の時間は、大きく6つのテーマに分かれて実施しています。来週19日(月)に地域の方々が来校し、それぞれのテーマにサポーターとして関わってもらい、課題解決に向けた助言やアドバイスをいただくことになっています。
昨日『防災』をテーマにした班の教室にお邪魔しました。災害が発生したときに必要となるものはなんだろうか、ということについて、優先度の高い順番に黒板に書き出していました。それぞれ思いつくものは異なり、同じことを思いついても優先度が異なるなど、多くの気づきがあったのではないか、と思います。この先の展開が楽しみです。
2018年9月6日に胆振東部地震が発生し、道内全域が2日間に渡ってブラックアウトになったことは記憶に新しいと思います。実は9月4日に四国に台風が上陸し、その影響で札幌市内は暴風が吹き荒れ、市内の樹木があちらこちらでなぎ倒される大変な事態に見舞われました。さらに私の住む北区の地域一帯が停電に見舞われ、翌日も復旧しない中ブラックアウトになりました。私は連続4日間の停電を経験したわけです。
食卓テーブルにろうそくを灯し、たまたまあったインスタントラーメンをカセットコンロで作り、家族4人で顔を突き合わせるようにして食べたことを今でも覚えています。冷凍庫の食材が次から次へと溶け出し、トイレは水が流れず、車のガソリンも給油できず、どこのお店に行っても品物が並んでいない・・・当たり前を失った時間でもあり、今までの生活のことやこれからの生き方について、考え直さずにはいられない状況になりました。
防災について積極的に向き合い、仲間と協働して課題を解決し、自己の在り方生き方を考えていって欲しいと願っています。
昨日から本日にかけて本校のホームページへのアクセス件数が1,100件ございました。御訪問ありがとうございます。
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