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なぜ・・・2

 9月3日(水)4校時 1年次生(1組)で実施していた現代の国語「疑問の探究」についての授業の一コマです。

 「一つのことに集中すると周りの音が聞こえづらくなるのはなぜか」「なぜ人には感情があるのか」「季節ってなぜあるのだろう」「人はなぜ、戦争という愚かな手段を手に取るのか」「なぜ一重の人と二重の人がいるのか」「なぜ同じ日本なのに方言があるのか」「アフリカはなぜ発展しないのか」「ミラという星はどうして明るさ、色が変わるのだろうか」「なぜ学校があるのか」「なぜ身長が高い人と低い人がいるのか」「あくびを見てなぜつられるのか」「ジョギングとランニングの違い」「人は死ぬとどうなるのか」「宇宙は無限なのか」「雲が美味しそうなのは、なんでだろうか」「なぜ日本語話しているのか」「なぜ人は夢を見るのか」「なぜ自分たち大人の言ってることが正しいと言えるのか」「なぜ猫派と犬派がいるのか」

 こうしてすべてを並べて見てみると、確かに「なぜ?」であり、私自身が生徒一人ひとりに胸を張って「こうだからね」と答えられないな、と・・・

 生徒は自分の疑問について調べ、相手に理解してもらえる伝え方を考え、発表に結び付けています。昨日、美唄市長桜井様が本校にお越しになり、1年次生と3年次生にこのような言葉をかけてくれました。「ゼロから1を生み出す力がこれからは必要となります」まさにそのとおりだな、と思いました。なぜ?というゼロのスタートから自分なりの答え1を見つけていく。考えさせられます。

 私は「人はなぜ、戦争という愚かな手段を手に取るのか」「ミラという星はどうして明るさ、色が変わるのだろうか」「なぜ人は夢を見るのか」「ジョギングとランニングの違い」の4つの発表を聞かせてもらいました。ただ調べたことを列記して発表するのではなく、自分の考えを含めた発表になっているのが良かったです。

 ランナーの私は「ジョギングとランニングの違い」の発表が興味深かったです。発表した生徒は図書室で関連する本を見つけ、それを元に考えをまとめたとのこと。図書室に足を運び、本を手にし、ページをめくる - そのことも私としては嬉しかったです。ランニングシューズによる走行スピードの効果について調べてね、と生徒にお願いしましたので、次回の発表を楽しみに待ちたいと思います。

 一生懸命に話す姿、真剣に聞く姿がとても良かったです。生徒たちはすごいな、と感心しました。真剣に聞くことは小さな頃から家庭でも学校でも求められますので、ある意味できて当たり前かな、と思います。しかし、どうでしょうか。一生懸命に話すことって生徒だけではなく、私たち大人を含めてできるでしょうか。特に、昭和世代の私たちはできないのでは、と思ったりしています。

 自分が高校生の時にこのような授業はありませんでしたし、人前で発表をするなんてこともありませんでした。時代が大きく変わってきていることを実感します。今、目の前にいる生徒がこうした経験を積むことは、これから先の人生のどこかの場面で必ず生かされると思います。