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なぜ・・・

 1年次生で実施している現代の国語「疑問の探究」についての授業を見学しました。相手の理解が得られるような話し方を工夫しよう、という単元で、生徒それぞれが感じた疑問(なぜ?)について、各自調べ学習を行い、そこで得た知識をまとめた上でプレゼンし、それを聞いた生徒が質問や提案をするという取組です。

 「なぜオーロラが発生するのか」「音楽はなぜ生まれたか」「なぜ自然にあるものが燃料となるのか」「なぜ左右で視力は違うのか」「なぜ人は夢を見るのか?」「なぜ人を嫌いになるのか」「なぜだめと言われたことはやりたくなるのか」「推しに対する心理的感情と人々による理解、定着」「色覚異常について」「なぜ色弱の人とそうじゃない人がいるのか」「人はなぜすぐに行動できないのか」「人の目の色の違いについて」「死んだらどうなるのか」「なぜ色々な言語が発達したのか」「なぜ人は悲しい時に涙が出てくるのか」「不老不死について」「黒板はなぜ緑なのか」「宇宙はどうやって出来たのか?」「なぜ1日は24時間なのか」「いじめについて」「血液型はみんな違うのか?」

 どうです?こうした疑問にすぐに答えられますか?私は自信がありません。教科担任の意図するところとかけ離れてしまうと申し訳ないのですが、「これってどうなんだろう」と疑問に思ったことを自分で調べてみる力って、とても大切だと思います。誰かに聞くことですぐに解決することもあるのでしょうが、私はそれだけではいけないと考えます。

 これは私のスタンスですが、躓いたら徹底的に調べます。調べた結果をもとにアタックします。それでも解決しなければ、再び考えて何度もアタックします。その上でエラーが出たら、「ここまでこのようにやってみたけれど、このエラーを改善するのに何が必要でしょうか」と質問します。自分で理解できるギリギリまで攻めます。きちんと理解するのは努力が必要です。

 物事の本質をしっかり理解できていなければ、エラーのない答えを教えてもらっても、次の応用に繋げていくことができません。その状態で人を理解させることなどできない - そのことを大学の研究室で城谷先生から学びました。

 城谷先生から固体物理学のあることについて質問されて、教科書に書いてあることを勉強して答えても、「それってどうして」「どうしてそうなるって言えるの」と間髪を入れずに、どうしてどうしての質問が飛んでくるわけです。その時に言われたことが「日下くん、調べたことをそのまま答えるのではなくて、どうしてそうなるかを勉強しないとダメだよ、そこが一番大切なことなんだから」このことが今も私の中にしみついています。だから仕事をしていても「これってこれでいいの?」と問うている自分がいます。

 それにしても生徒たちの「なぜ?」確かに「なぜ?」です。確かな答えがあるのかないのかも私にはわかりませんが、短絡的にインターネットで検索するだけではなく、図書館に足を運んで本を手にとり、答えを探す旅もして欲しいな、と思います。汗をかいた努力は必ず人を成長させるので。

 普段見ることのできない生徒の一面に触れられて、とても興味深い時間でした。