北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
(7月26日 美唄月形線沿いのひまわり)
札幌の自宅に帰る途中、フロントガラスのずーっと向こう側に広がる鮮やかな黄色の絨毯が目に留まりました。この時期ですから『ひまわり』です。ひまわりは私にとって特別な花です。一色の黄色は近づくにつれ、それは一本一本、一つひとつの花の表情が織りなす黄色に変化していきます。路肩に車を停め、私はひまわり畑の端に立ち、ずっと昔に見続けてきたひまわりのことを考えていました。
前にも書きましたが、20代半ばに体調を壊し、心も身体もこてこてにやられてしまったときに、カメラを車に積んで北竜町のひまわり畑に何度も通いました。29歳で次の学校に転勤しましたから、夏の北竜町で4年間ひまわりの写真を撮っていたことになります。
誰のことも気にせずに、ただ自分の信念を持ち、太陽に向かって鮮やかに輝きながら凛と立つその姿に、私はずいぶん励まされ勇気づけられました。また、一本一本のひまわりが共に支え合いながら一つの黄色を作り上げている姿に感動しました。なんだかそこにいると、手の施しようがなかった心の荷物をひとつずつ捨てられるような感覚の中で、自分が何に迷いどうありたいのかについて素直に向き合うことができました。あの数年間は間違いなくひまわりに何かを求め、ひまわりから自身の進むべき道を教えてもらっていました。
ひまわり(向日葵)は、太陽神にちなんだ「あなただけを見つめる」という花言葉を持ち、愛や信頼の象徴とも言える花です。これだけ多くのひまわりが、しっかり自分を見てくれている - あの頃は本当にそう思いながら自らを奮い立たせ生きていました。以後、15年にも及ぶ苦しい時期を過ごしましたが、振り返るとそれは決してマイナスではなく、自分を成長させるいい時間であったように思います。
話は変わります。有名な映画ひまわりを知っていますか。ずいぶん昔の戦争と恋愛をテーマにしたイタリア映画ですが、この映像に映し出されるひまわりの風景はもう圧倒的に美しくて言葉を失います。是非見て欲しいと思います。
自ら撮影した写真とシャッタを押した時に感じたことや思ったことを綴る校長の小部屋も、スタートしてから3ヶ月になりました。できるだけ撮影したときの気持ちを素直に綴ってきたつもりです。その写真を撮ったときに自分が何を感じ、何を思ったか、そこにこだわりを持って書いてきました。
私は、小学生の頃から祖母の隣で静かに本を読み、本の中の登場人物を自らに当てはめて想像したり、物思いに耽って時間を過ごす少し変わった子どもでした。ある日授業で詩を習ったとき、自ら思ったことをこんなにも端的に、そして形にとらわれることなく自由に書ける言葉遊びに衝撃を受けました。それからというもの詩を書き続けました。
夏休みや冬休みの自由研究の作品が並べられたテーブルには、友達の大がかりな作品ばかりが並べられ、私だけノート1冊なので周りからずいぶんひどいことを言われましたが、担任の先生だけは「いろいろな思いが伝わってきます」と褒めてくれたのを覚えています。両親から褒められることがなかったので、そのときの喜びは今でも忘れず記憶に残っています。
いつも物思いに耽り、思ったことをノートに書き留めておくというようなことを小学生の頃から続けているので、書く、ということに関しては抵抗はありません。文章の善し悪しは専門ではないのでわかりませんが。
4月、ホームページの更新が滞っておりましたので、どうにかしなければならないですね、と教頭先生と話をしてきました。そのときに教頭先生から「校長先生の思いを書くページがあればいいと思いますよ」とアドバイスをいただき、誰かに更新を依頼する前に自分で更新すればいいのだという思考回路に至りました。教頭先生が私が書くことへのきっかけをくれました。ありがたいな、と思っています。
(7月23日 18時29分)
地球環境が変化してきていると言われ、この暑さもその影響なのかな、と思わざるを得ない状況ですが、夕刻にこうした風景を見ると、子どもの頃から見てきた空や雲と何ら変わらない、この先もずっとこの風景が続いていくんだ、そう納得している自分がいます。でも、もしかしたら続かないのかもしれない、と思う自分にも大きな戸惑いを感じています。確かにこの場に立って見上げた空や雲は、あの頃と何も変わっていないのです。ただ、唯一違っているのは気温です。この時間で30℃です。こんなことはなかった。
美しい風景を、美しい町をずっと残していく・・・今を生きる私たちの責任です。それは大人だけではなく、生徒も一緒です。便利さだけを追求するのではなく、後ろを振り返り、置き去りにしてきたものをゆっくり見つめ、未来に残すもののために探究し、小さな個人レベルのことでも行動を起こす必要があるのではないかな、と思います。
生徒には是非自分の住む町の空を見上げて欲しい。雲が織りなす模様をゆっくり眺めて欲しい。勉強や部活動、恋人や友人、進学か就職、今日と将来・・・私も高校時代にはありました。生徒もさまざまな思いや悩みの中で生活しているはず。そうしたことを一時でも忘れさせてくれる風景が目の前に広がっています。美唄の風景は本当に美しいです。美しいものに素直に触れてください。
夏季休業に入り、私も出張や休暇取得もありますので、毎日の更新は控えさせていただきます。時折訪問していただけますと幸いです。
暑い日が続きますのでどうぞお身体を御自愛ください。
(7月23日 8時36分 朝から30℃を超えています)
6月中旬から高温が続いておりますが、今週は暑さのギアが一段上がった感じがします。夜になっても気温が下がりません。
私は四季の中で夏が一番好きですが、それはかつての北海道の清々しい夏と連動するものです。近年の夏は身に危険を感じるところもあり、好き嫌いなどと悠長なことは言っていられない状況になっています。
窓枠クーラーやスポットクーラーを稼働させて教室の室温を下げるようにしてはいますが、教室という空間に多くの生徒がいると、人が発する熱等もあって思うような効果が得られません。今年度からジャージ登校させるようにしましたし、授業中の水分補給、運動を伴う活動の中止等を含め、生徒の身体に負担をかけないよう取り組んでおりますが、今後も熱中症から生徒と教職員を守るため、アンテナを高くしていかなければなりません。
私が借りている家、そして自宅にはクーラーは設置しておりません。扇風機、換気扇、サーキュレータを稼働させて何とか凌いでいます。もう限界だわ、と妻はクーラーの設置を特に今夏は口にするようになっています。そろそろ本格的に検討しなければいけないかもしれません。自宅は特殊な窓ですので窓枠クーラーやスポットクーラーの取付ができないため、エアコンの導入の検討をしなければなりません。我慢するところは我慢するけれど、私も妻も少しずつ歳をとってきたことを考えると、暑さから身を守ることに我慢する必要はないな、と真剣に考える今日この頃です。
すでに連絡を差し上げておりますが、本日、臨時休校といたします。突然の御連絡に驚かれたと思いますが、不要な外出を避け、自宅において水分の補給をこまめに、暑さで疲れた身体をゆっくり休めて欲しいと思います。
明日は夏季休業前の最後の登校日となります。暑さが心配ですが、元気に登校してください。
7月31日(木)15時から16時になりますが、コアビバイ市民ふれあいサロンにて『尚栄高校フェア2025夏』を開催いたします。例年、冬場に開催しておりますが、今年は年2回として夏場にも開催する運びとなりました。
『文理・教養系列』と『デザイン系列』は作品の展示や掲示、『情報通信マネジメント系列』は広告の作成及び販売活動、『メカトロ・エンジニア系列』はミニマイコンカープログラミング体験、電子工作、実習作品の無料配布、『フード系列』は加工品(ジャム、カレー、ベーコン、フランスパン、生ハム等)の販売を行います。
本校は体験的な学びを重視しており、校内を歩くと必ずどこかの系列が実験や実習を行っています。教室に入って生徒の様子を見ていますと、座学で見せる表情とはまた異なるいい表情で楽しそうに作業に取り組んでいます。何かをつくる経験は必ず深い学びに結びつきますし、何かをつくった経験は更なるものづくりへの興味や挑戦につながると私は信じています。
これからの世の中の変動を考えますと、本校のような学びの形態が必ずどこかで役に立つはずです。究めることだけではなく、広く対応して生きていく力がますます求められます。5系列の総合学科高校ですが、私は「人が生きていく上で大切な衣食住が詰まった学校」と考えています。道内でも非常に珍しいスタイルの学校です。
各系列での取組と生徒の活躍が集約されたフェアとなっております。私たちは、北海道美唄尚栄高等学校の教育活動を幅広く知っていただく機会と捉えています。毎年楽しみにされている市民の方が多いと聞いておりますが、市内外を問わず是非お越しくださいますようお願い申し上げます。
本校ホームページ(トップ)のお知らせ欄に、広告を掲載しております。必要に応じてダウンロードしていただき、御覧くださいますようお願い申し上げます。
「傾聴」とは、相手の立場に立ち、気持ちに共感して理解しようとすることで、相手の話を聴く際に、善悪や好き嫌いの評価を避け、相手の視点に立つことが信頼関係を築きます。その際、最も注意しなければならないのは、自分の否定的な反応を控えること。相手がどうしてそのように考えるようになったのか、その背景に関心を持って聴くことが大切です。
私は、「心で聴いてあげる」、「目で聴いてあげる」、「耳で聴いてあげる」この3つの聴いてあげるをずっと大切にしています。中学校の時の担任の佐藤先生が実によく話を聴いてくれたから、今の私があるのかもしれません。
(3つの花が寄り添って咲く - 自宅庭より)
ある電気工事会社を仲の良い二人が受験し、一人は内定、もう一人は不採用になったとき、不採用になったユウダイは目に涙を浮かべ私の前に呆然と立ち尽くしました。私はユウダイを自分の車に乗せ、学校から離れた誰もいない場所に車を停め、「ここで気の済むまで思いっきり泣きなさい」と言いました。ユウダイが落ち着いたときにはかなりの時間が経っていましたが、その間、私もある試験に失敗して不合格通知を手にして泣いた高校時代を思い出していました。
ユウダイは今まで努力してきたことや不採用の悔しさ、これからどうしたらいいのかということを話してくれましたが、私はただ黙って静かに話を聴いてあげました。僕が今何かを言うべきではない、ただ聴いてあげればいいんだ、その先のことはいつか話をしてあげればいい - そう思いました。「ゴウさん、話を聴いてくれてありがとう」とユウダイは真っ赤な目で、でも少しだけすっきりした表情を私に見せました。もう16年も前の話です。
8年前に東京で受講した研修の一コマで、実践を含めた「傾聴」をみっちり学習させられました。特に「傾聴」を意識してきたわけではありませんが、この時に私のやっていることは実は「傾聴だったんだ」と気付きました。私は高校生の頃からずいぶん友達の話を聴いてきたし、一通り話を聴いてから自分の思いを伝えるようなところがあり、控えめな人間だな、なんて思ったりしていました。でも、それはそれでおかしいことではなかったんだと思った研修でもありました。
自分の思いだけをまず伝えたい、そう思うところではありますが、相手の気持ちを受け止めてあげることを心掛けてみましょう。今までと違った世界が目の前にあらわれますよ。
「傾聴」とても大切です。
「何をしているの?」と質問しました。一人は「3Dプリンタの調子が悪いので直しています」もう一人は「マイコンカーのセンサをハンダ付けしています」メカトロ・エンジニア系列の課題研究の授業を見学しました。それぞれにテーマを持って取り組んでいるおり、トレーニング器具を製作するグループやベースギターを製作する姿もありました。何かに夢中になれる時間を持てるのはいいですね。とにかく表情がいいです。
ものをつくることイコールすぐ完成ではありません。まず思うように動作しません。最悪は全く動作しないということもあります。その事実に直面したときに人間性を垣間見ることができます。腹を立ててしまう人(そもそも自分で取り組んだ結果に腹を立てても)、放り投げる人(今まで作業に費やした時間はもったいなくないかな)、動作するまで作業する人(完成して使う喜びを感じたい)、すぐ人に聞く人(これ、大切だけど手ぶらはダメです)・・・
わからないことがあればすぐ聞くことも大事ですが、私は聞く前の在り方にこだわります。これは生徒だけに求めるのではなく、仕事をする大人にも求めます。大学の研究室で仕えた城谷教授に徹底的に報連相の指導をされ、そのことが社会人になるにあたってすごく役に立ちました。
「日下くん、どうすればいいですかって聞くけど、どこまで自分で考えてどこでつまずいたの。それを聞かせてもらえないのなら教えようも答えようもないんだよ。まずは自分がどうしたいのかが大切なんだよ。どうすればいいと聞くのはやめなさい。」こう言われるとわからないことを徹底的に調べたり勉強したりしなければなりません。しかし、これが自分の理解度を確認したり、何をしたいのかにつながる大切なことでした。ゼミには厳しくユーモアたっぷりの先生で、私は先生に出会わなかったら今とは違った人間になっていただろうと思います。
課題研究の様子を見ていて、研究室で実験に明け暮れていた時のことを思い出していました。聞く前に調べたり、この先どのような見通しを持って進めていくのかを考える - そのような生徒に育って欲しいと思っています。
「とりめしとナムルを作ったので食べてください」3年次生の2名が私のところにやってきました。選択科目『フードデザイン』の授業で作った料理です。「楽しく作れたかい」と聞きますと、ふたりは声を合わせるように「はい」と答え、爽やかな笑顔を見せてくれました。せっかくなのでホームページに掲載するよ、と断って、写真を撮らせてもらいました。
美唄市はとりめしで有名ですが、農林水産省のホームページを読みますと、美唄市の郷土料理として親しまれ、発祥は北海道の開拓が本格的に推進された明治時代にさかのぼり、現在の美唄市中村地区に入植した農場主の中村豊次郎氏が、稲作が軌道にのるまでの期間、小作人たちの家計と健康を気遣い、つがいの鶏を与え養鶏を奨励したとのこと。その後、米がとれるようになると、客をもてなすために飼っている鶏のお肉を米と一緒に炊き込んだ「とりめし」で振る舞った、と記載されておりました。うむ、なるほど。歴史的な背景を知ることで地域理解につながります。私も勉強になりました。
家族で私の実家に帰省するときに、途中美唄市内のとりめしを食べました。子どもたちが小学生だったように記憶していますが、よほどインパクトがあったのか、以来とりめしが食べたい、と言うようになりました。私と行動を共にする帰省はそれほど多いものではありませんでしたが、何度かお店に寄って食べました。
やがてふたりが大学生になり自動車を運転するようになった頃、「子どもたちだけで食べにいったこともあるんだよ」と妻から聞いたこともあります。私が美唄に転勤が決まったことを子どもたちに伝えると、それぞれから、いつでもとりめし食べることができていいよな、と言われました。たった一度寄ったその店のとりめしの味がふたりには忘れられないものになったんでしょうね。
生徒たちが作ったとりめし大変美味しかったです。ごちそうさまでした。
暑い日が続いています。教室に窓枠クーラーを取り付けてはいるものの、期待したほど室温が下がらず、生徒も暑さによる疲労が蓄積しているのではないかと思います。負担を軽減するため、半袖やハーフパンツでの登校をさせていますが、今後も厳しい暑さが続くので注意が必要です。バランスの良い食事、十分な睡眠、水分補給を実践して乗り越えていきましょう。
日が暮れても気温が大きく下がることはありませんが、それでも夕刻になると少しだけ肌に心地よい風が流れてくる - そんな日もあります。借家にはクーラーを取り付けていないので、仕事を終えて部屋に入ると熱がこもって30℃になっていることは珍しくありません。風をとおし、室温が下がることを期待して、私は一時外に出ます。
外に出るたびに美しい美唄の空が見られるわけではありませんが、たまたま、偶然に出会うことができます。そういう日は得をした気分になります。この日も草むらに腰掛けずっと空を見ていました。
夕刻、少しだけ空を見上げてみましょう。身体も心も癒してくれる素敵な空が広がっているかもしれません。自分が立つその場所でしか見られない自分だけの空が広がっているはずです。
4月22日現在95,336アクセスでしたが、約3ヶ月で5万件のアクセスがありました。本校ホームページへの御訪問ありがとうございます。
(7月14日 午後6時25分)
(写真の一部を加工しています)
山型パン、フランスパンをつくる授業の様子です。つくりたいな、と思いました。一から自分でつくったパンを食べたとき、生徒たちは何を思うのだろう。みんな笑顔で「美味しいね」って言いながら食べるのでしょうね。家でつくってみようとか、パン職人をイメージしたり・・・想像するだけで何だか楽しくなってしまいます。
家を建てるときに、お菓子づくりが大好きな妻が、ガスオーブンは絶対ね、と言うので、私は何も考えないでいいよ、とオーケーしました。後に妻は3,4年パン教室に通い、今でもパン、ケーキ、お菓子をそのオーブンで焼きます。誕生日、クリスマスは妻の焼いたケーキでお祝いをしています。
オーブンの前で焼け具合を小窓からのぞき込んでいる妻の表情は、どこか子どものようでもあり、嬉しそうな感じを受けます。フランスパンの焼け具合を私もガラス越しに眺めさせてもらいましたが、妻の気持ちがわかるような気がしました。わくわくするのです。うまく焼けているだろうか、膨らんでくれているだろうか・・・
本校に勤めるようになって、自分でつくりたいという欲求が日に日に高まっています。食べるだけではダメなんだ、自分でつくるスキルを何とか身に付けたい。正直、生徒たちがうらやましいです。
生徒には、他の人ができないことをやっている自分にプライドを持って欲しいです。本校で学んでいる自分をたくさん楽しんで欲しい。高校に入学して一般的な学習をすることは誰でも同じですが、本校の学びはそれ以外のプラス要素(付加価値)があります。ものをつくることができる、というのは私はすごいことだと思っています。買うことはできるけれどつくることはできない。世の中そうしたことが多いのが現実です。
本校は専門を学ぶ単置校(農業高校、商業高校、工業高校)ではなく、5つの系列を持つ総合学科ですから、ひとつの学校の中におもしろい学びが満載されておりドラマチックです。授業の様子を見て回っているだけでわくわくします。
それぞれの系列におもしろさはありますが、フード系列で行っている食品加工の実習やデザイン系列の調理実習、ライフデザイン実習については、着任して3ヶ月間興味を持って見学しています。自分の知らなかった世界に触れられる喜びを日々感じています。
先日、パンづくり授業の写真を見た妻が「えっ、学校でこんなおもしろいこと学んでいるんだね」と言いました。「そうなんだよ、こうしたスキルがあれば、美唄の空き店舗等を利用してパン屋さんをすることも夢ではないんだよ。もう一回高校入学できるなら、間違いなく尚栄に通うと思う」と私は答えました。
昨日も書きましたが、つくった先のことを考える学びが必要です。生徒たちがつくったパンは7月31日(木)にコアビバイ様を会場に開催する『尚栄フェア2025夏』に販売予定です。販売した先のことを考える学びが必要です。自分たちのつくったものが地域にどのように生かされ、さらに自らの人生にどのように結び付いていくのか・・・誰も答えを導いてはくれないわけですから、先にある答えを見つける旅を続けていかなければなりません。
7月9日(水)3年次生総合的な探究の時間の一コマです。
『若者が集まる場所』をテーマにした班がコアビバイ様に出向き、商店街振興組合の方々と意見交流を行いました。私も最初から最後まで参加させていただきましたが、両者にとって大変有意義な時間になり、生徒の深い学びに結びついているな、と感じました。
私が中学生や高校生だった頃にこのような学びがあれば、私の故郷は現状とは180度異なった別の姿を見せていただろう、と思います。残念でなりません。しかし、今、この学びを続けている生徒たちの10年先20年先の故郷の形は、人口の減少などの諸課題に直面しつつも発展的な変化を遂げているような気がします。
現在もそうですが、これから先は教室で黒板を見て先生の話を聞き黙々と学んでいくというスタイルは消え、地域を核にして各教科の関連を結びつけていく横断的な学びが主流になります。この日は、まさにその学びの実践でした。
かつては、インターンシップを実施しました、工場見学に伺いました、講演を聴きました、ボランティアに参加しました、地域の課題を知りました、ものをつくりました、発表会を行いました・・・行動実践することで完結でした。しかし、数年前からその実績のさらに先のことを考えた教育が求められています。私たち教員は、急ぎ足で頭の切り替えをしなければなりません。
今回の取組も一昔前の総合的な学習の時間であれば、『若者が集まる場所』について生徒同士で議論を重ね、「こんな施設ができればいいよね」、「こんなイベントをすればいいだろうな」と、素晴らしいプランが出てきても、最後は教員側で講評して完結でした。もしかしたら、町内や街全体を活性化させる貴重なプランだったかもしれないのに。
生徒が考えた案を大人が聞いてくれる。大人は今まで気付かなかったアイデアに驚く。大人はもしかしたらその案が実現できるかもしれないと真剣に考える。実現に向けて生徒と一緒に活動していく。近い将来こうした街づくりが日本全国至る所で当たり前に起こっていくと思います。今回の生徒の提案が何かの形で実現できれば素晴らしいです。
今後の社会像(教育)のキーワードは、「人口減少・少子高齢化」、「地球資源の有限性」、「持続可能な社会」、「子どもの多様性」、「子どもの貧困」、「ウェルビーイング」、「グローバルな協働」、「生成AI」、「社会の急速・非連続的な変化」、「学校の包括的な役割」だと考えます。
私が教員になった時に32年後の教育の役割が今のようになっているとは想像できませんでした。そして、現在、1年前2年前に求められていたことが古い情報となり、次から次に書き換えられています。定期的なバージョンアップではなく、日常化したしかもフルモデルチェンジ的なバージョンアップとなっています。それだけ教育の動向は加速度的に変わり続けています。私を含め教員全員が常にブラッシュアップしていかなければ、時代に取り残されてしまう、そんな緊迫した状況になっています。
今求められているのは、「地域を核とした教育活動」である。このことを肝に銘じなければなりません。
(美唄中学校裏の農道にて撮影)
7月9日(水)18時47分
ランニング最中に出会った夕暮れの空。
言葉を失う美しさ。
この日のこの時間の美唄のこの場所にいて良かった。
カメラを、写真をまたやりたいな、と思いました。美しく素敵な空を三脚に載せた一眼レフでしっかり納めたい・・・そんなことを思いながら、スマートフォンを空に向けました。
走ることが生活の最優先事項になって13年、その裏で13年間カメラから遠ざかっています。たまにランニングバックにミラーレスの一眼を入れて走ることはありますが、目的が距離やタイムになると、重たいカメラはお荷物になってしまい、結局防湿庫に眠らせたまま家を出てしまいます。
写真なら写真だけの一日を過ごす - そんな時間が私にはありました。長い期間体調を崩し(仕事は休まずいきました)、すがるような気持ちでカメラ機材を自動車に積んで出掛けました。家にいることも人に会うのも嫌で、出会う風景に心を許し一人シャッタを押していました。いったいどれだけの回数シャッタを押したかわかりません。ファインダを覗き、シャッタを押す。一回押す、その行為ごとに心の迷いをひとつずつ消し去ることができるんだ - そう信じて写真を撮っていました。
写真は大学時代から始め、教員になって3年間忙しさのあまりカメラを持たず、27歳から先に書いた理由で再開してランニングを始める41歳まで、車一台購入できるくらいのカメラとレンズでさまざまな被写体を撮影してきました。
ランニングをして、庭に出て、珈琲を飲んで、本を読み、JAZZを聴き、カメラを持って・・・1日の中でそれだけのことはどう考えてもできません。優先順位の高いことから手をつけていくと、ほとんどのことがやれないで終わってしまう。カメラの優先順位は下にある、どうしたものか・・・ここ数年考えるのはこのことばかりです。
趣味は増やすものではないのかもしれません。
どう表現したらいいのかわからない気持ち - 高校生くらいの時は誰にでもありますよ。通過儀礼だから、そうなってしまっている自分に戸惑う必要はありません。ずーっと先に今を振り返ったとき、あぁそういうことだったんだな、とわかる日がきますから。
持って行き場のない私の気持ちを慰めてくれるのはいつも音楽でした。来る日も来る日もラジカセから音楽を流していました。もう、この時の私を代弁してくれるのはこのアーティスト、この曲しかない、それくらいのめり込みました。
学校祭における芸術部の作品は部員全員の、いや、今を生きる高校生の気持ちが込められたものなんだ、と私は確信します。「そんな自分を変えたい」「良いことばかりじゃない」「痛くて泣きたい時もある」そうだよ、そうだよね、と思います。私もそうだった。
大勢でひとつの作品づくりをする書道を私は本校に来て初めて目にしました。最初は新入生向けの部活動紹介。今回が2度目。他の学校の高校生が取り組んでいるのをテレビニュースで何度か見たことがありますが、いざ自分の目の前で展開されると、心が揺さぶられ、私などすぐに目頭が熱くなります(実は涙を流して見ていました)。若いエネルギーがひとつのものに込められる、というのはただそれだけで美しく、本当に感動的で、勇気や希望がじゅわじゅわとわいてきます。
ずっと昔、この作品の元となっているアーティストが在籍した学校に、東京で行われた研修プログラムの一コマとしてたまたま訪問しました。案内をしていただいた校長先生が、「実はうちの学校から出たバンドなんですよ」と紹介してくれました。それがきっかけとなり、こんな私でも何曲か知っている次第です。
私にとっては耳に入ってくるだけの音楽でしたが、作品から改めて歌詞の一部を読ませていただくと、高校生の想いを的確に捉え、やさしさを持って聴く人の進むべき道を示しているな、と感心します。今の私にこのような立派な言葉は並べられません。その時、その年齢でしか書けない。想いはその時にしか代弁できない。そうしたものはきっとあるのだろう、と私は思います。だから、多くの人の心を捉えることができる。
この前も書きましたが、学校祭の有志ステージにおいて男子生徒が歌を唄いました。歌詞がすごく良くて(高校生の切ない恋が綴られているように私には聞こえました)、歌った生徒にアーティスト名と曲名を聞いたら、妻が大好きなアーティストでした。私はここ三十年JAZZしか聴きませんので、妻と音楽の好みは一致しませんが、妻にその話をしたら棚からその曲が入ったCDを出してきてくれました。歌詞を読むと、私が感じたままの言葉が綴られていました。素敵な歌詞でした。
好きな女性にどのように告白するかを悩み、手紙を書いては書き直し、成就した恋と打ち破られた恋、フラレて落ち込む時間、10円玉を落としながらの公衆電話、彼女と時間を決めての深夜電話・・・そうした私の揺れる想いを、音楽と歌詞が支えてくれました。
高校生だった自分と本校の生徒の生き様が重なり、何かあるとひとり目頭を熱くしています。もう戻ってこない青春を、こんな歳になってもいちいち考えてしまうのはどうしてなんだろう・・・未練があるわけでもないのに。我がことながら不思議です。
全校生徒が毎日この作品を目にしています。ふと、見上げたその目にこの言葉が映り込み、その生徒にとっての勇気になり、慰めになり、励ましになり、支えになり・・・そうなってくれれば、と私は思っています。
学校祭前に生けたお花は、校舎内各所でのお披露目ではなく、デザイン系列の展示スペースの一角に並べられることになりました。学校祭で来校する多くの方に見ていただくことを考えるとそれが一番良かったと思います。
6日(日)、7日(月)と学校は休業し、昨日お昼過ぎに華道部の女子生徒2名が校長室にお花を持ってきてくれました。生けてから日にちが経ち、残念ながらお花も少しだけ元気さを失っていましたが、デスクに置いて観賞させていただきます。ありがとうございました。
本当は花と生徒の写真を撮りたかったのですが、元気いっぱいのお花の時までお預けにしました。申し訳ないと思いつつ、生徒に作品への思いを聞いたら「大きな葉っぱで夏の暑さを表現しました」と話してくれました。右下の葉がそれです。担当の先生に誘われて2年次生になってから華道部に入部したとのこと。家ではずいぶん前からハイビスカスを育てていて、きれいな花が咲くようです。学校祭楽しかった?と聞きますと、クイズや踊りがすごく楽しかったです、と笑顔で答えてくれました。
夏真っ盛りです。我が家の薔薇は6月の2,3週目に満開となりました。一端休息に入り、白と赤のアナベル、ヤマアジサイ、アストランティア、バーベナ、エリンジウムなど、ありとあらゆる花が日替わりで満開を迎えています。
一部ですが、薔薇の様子をどうぞ。これから咲く薔薇もありますが、一番いいときの写真です。何種類あるかわかりませんが、色も形も香りもすべて異なります。人それぞれと言いますが、薔薇それぞれです。個性があって楽しいです。
平日の夕刻は7~10キロほどランニングしています。数年前まで10~15キロも走っていたのに、やはり年齢には勝てないのかもしれません。
美唄市民になって3ヶ月、ここを曲がって道なりに真っ直ぐ行くと7キロ、美唄中学校前を抜けて裏通りを走っていくと9キロになる、などの距離に応じた私なりのランニングコースができあがりました。その日の気分や疲労度を考慮して毎日走っています。
ランニングの最中、美唄駅周辺で生徒とよくすれ違います。目と目が合うと生徒は一瞬、うむっ、とびっくりした顔をしますが、私だとわかると、「こんばんは」と頭を下げてくれます。私も「こんばんは。お疲れ様」と声を掛けます。無視しないで挨拶してくれるのがとても嬉しいです。
私は週末に札幌の自宅に帰るとき以外は自動車を運転しません。ランニングを始めて13年になりますが、運転していると見過ごすであろう小さな風景を見つけられるのがメリットで、実はこれがランニングをやめられない要因にもなっています。大きな通りだけではなく、あえて小路に入ったり、脇道に逸れて眺めのいいところに出たりしています。
美唄の好きな場所をいくつも見つけましたが、この写真はその一箇所です。観光場所でも名所でもない小路の花壇。ここだけは走らず歩いてお花を楽しませてもらっています。実に手の行き届いた可愛らしい花壇で、自宅の庭づくりのヒントを得たりしています。
一夏の想い出として、尚栄祭がみんなの心に焼き付いてくれたら・・・
これが最後の尚栄祭になる3年次生には、踊ったことや歌ったこと、模擬店の販売、校内で食べたたこ焼きやワッフル、かき氷やカレー、冷やしうどんとヤキトリ・・・良き想い出としていつまでも心に残って欲しい・・・
ステージで3年次生の男子生徒が歌った曲が胸に沁みました。じーん、ときました。目頭が熱くなりました(歳をとり涙腺がゆるんでいます)。先日のさわやか清掃、たまたまその生徒と二人で学校まで話をしながら戻ったのですが、そのときに高校卒業後の道を聞かせてくれました。そのことと重ねつつ歌を聴いたので、ついつい涙が出てしまったのかもしれません。今を生きる高校生全員の思いを彼が歌ってくれたたように感じました。
教員一名を加えたダンスユニットも高校生のエネルギーを感じましたし、クラスを超えてチームを組んだダンスも若さ全開で素晴らしかったです。今日一日だけでいいから高校生に戻りたいな、と思いました。
自分を表現することってそんな簡単なことじゃないです。誰にでもできることではありません。私自身もできません。みんな一律同じであることが求められているわけではないけれど、出っ張ることが何となくタブーとされている日本人の中にあって、こうして大勢の前で表現できることは尊敬に値する、私にはそれだけ価値のある行動のように思います。
急に思い出したのですが、昔、東京の真夏に1週間缶詰の研修会に参加しました。当時全国工業高等学校長協会理事長の佐々木校長先生が、研修会最終日の挨拶で「出た杭は打たれる。でも、出すぎた杭は打たれない。本研修を受けた皆さんは自信を持って明日からの業務を進めていきなさい」と仰ったことを思い出しました。私には佐々木校長先生があらゆる意味で表現の達人に見えました。
出て行く勇気・・・ステージ発表から私はそのようなことを考えていました。
美唄市長桜井様、美唄市教育委員会教育長石塚様を始め、たくさんの方にお越しいただきました。また、PTA役員の皆様の御厚意によるカレーライスと冷やしうどんも大盛況でした。大変ありがとうございました。
昨日から尚栄祭を開催しています。本日は午前10時から一般公開となります。模擬店、PTA喫茶、各種展示となっていますので、是非お越しください。
大所帯18名の部員による芸術部書道パフォーマンス。一文字一文字に高校生の、青春のエネルギーが込められています。(生徒玄関ホールに展示)
「青春は今この瞬間」まさにそのとおりです。
私にも青春はありました。もう二度と戻ってこない時間です。振り返ってみると、友人と過ごした楽しく明るい時間だけが思い浮かんでくるわけでなく、どこに持って行けばいいのかわからない苛立ち、表現のしようのない心の叫び、大人になることへの抵抗感、親元から一刻も離れたい気持ち、成就した恋愛や別れで傷つけた女性のこと、揺れる就職への思い、島への一人旅、親友と呼べる人と出会いたくて進んだ大学・・・そんなことばかりが脳裏を駆け巡ります。今思うと、心の置き所がなかなか定まらない時間であったように思います。
自分はこうありたい、こういう自分になれるんだ、やっぱりこの夢は捨てて生きていかなければならないんだ - 夢や希望が現実という壁を越えられない、そのことを自分なりに理解していても、それを捨てて前に進んでいくことに迷いと未練がある、そこにもがき続けていたのかもしれません。
しかし、今はあの頃とは違います。生徒の皆さんは夢や希望を捨てる必要はありません。何にでもなれる道や手段が無限に広がっているわけですから。青春のエネルギーを全開にして堂々と道を切り拓いていってください。
いろいろなことがあった若き日ですが、すべてをひっくるめて、青春時代はいいものだったな、と思います。何年間を青春時代というのかはわかりませんが、あの時間は私にとっては宝物です。
目の前の飾り付け、隣に座ったクラスメイトとのお喋り、音楽に合わせた手拍子、応援の声、文字や絵の描き、クラスみんなとのダンス、体育館の蒸し暑さと扇風機の風、体育館後方に吊り下げられたクラス垂れ幕、揃えたクラスTシャツ、大勢の前で初めての歌披露、手を取って笑えた時間、汗だらけのクラスTシャツ、ジャンプしてのハイタッチ、首から提げたタオル、担任の先生を巻き込んだクラスPR、披露できた楽器演奏・・・何でもいい。その一つひとつが一人ひとりの貴重な青春の足跡です。
6つのクラスPRは皆さんの青春そのものでした。若いって、もうただそれだけでいいですよ。今、この瞬間をまっすぐ生きていけば、それだけでいい。
すべてがみんなの青春です!
今まで見えていなかった一面を知ってしまった - 長い時間同じ人と過ごしているとそうしたことは必ずあります。通常の授業が行われている時にはないけれど、行事の準備をしているとき、見学旅行中、部活動の最中などによく起こることです。
我を通そうとしたりついつい我が儘が出てしまったり。片付けないで帰ったり時間に遅れたり。サボったり言うことを聞いてくれなかったり。自分はこんなに作業しているのにあの人はスマートフォンを見てばかり・・・たぶん、この学校祭準備期間中に多くの生徒がそれぞれの、一面、に遭遇したのではないかな、と思います。
廊下を歩きながら生徒を見ていると、「あっ、何かあったな、昨日と顔色が違う」そうした雰囲気を感じ取ります。廊下の壁に寄りかかり、抱えきれない気持ちを友人に聞いてもらっている姿を目にしました。話の内容はわかりませんが、きっと、一面、に触れてしまったのでしょう。
我慢しなければならないのはわかっている、でも、もうどうにも・・・自分の想いを聞いてくれる友達がいる。そこでの気持ちのやりとりが最終的に心を落ち着かせ、次に自分がどうすべきかを考えるきっかけになっていく。私は二人の様子からきっと二人の中で解決できるだろうと思い、そーっと、二人の横を通り過ぎました。翌日の表情が良かったので、きっとすっきりしたのだと思います。
昨日も書きましたが、行事は生徒だけではなく、教員の成長の場である、と私は考えます。特に5回15年の担任業務で私は生徒たちから成長させてもらいました。行事のたびに一つひとつの困難を乗り越えていった生徒たちもまた成長しました。自分も、そして生徒たちも成長していくことが嬉しかったですし、幸せを実感できました。中でも札幌琴似工業高校で、もしかするとこれが最後の担任業務になるかもしれないな(その後管理職になりましたので本当に最後になりました)、と思いながら接した40人との3年間は、一日一日が愛おしく一日一日が厚く深かったです。あの40人の生徒たちに私は成長させてもらいました。感謝しかありません。
いろいろな想いが交錯した学校祭準備期間を終え、生徒も教員もいよいよ尚栄祭を迎えます。たくさんの素敵な笑顔を見せてくれてありがとうございました。皆さんの姿から、私は、私の高校時代のことと教え子と過ごした懐かしい日々を思い返せる、心和む穏やかな時間を過ごすことができました。生徒と教員の皆さんに感謝しかありません。ありがとうございました。
保護者等の皆様、お子様は学校祭準備期間を経て確実に成長を遂げています。成長したお子様の姿に是非会いに来てください。高校生のお子様の瞬間は、今この時しか見ることはできません。自宅では見られない新しい笑顔や声に触れてください。お待ちしております!
さぁ、主役は、あなた、です。そして、あなたの隣の仲間も一人ひとりが主役です。みんなが主役です。
尚栄祭大いに楽しんでください!!
ステージ練習を体育館後方から見させていただいてますが、日増しに上手になっています。息が合ってきている - 練習を繰り返す中で着実に上達しているのを感じます。
蒸し暑い中での準備作業ですから、ちょっとしたことで苛立ったり、普段なら聞き流せる言葉が神経に障ったり、思い通りに周りが動いてくれなかったり・・・おそらくそうしたことがあるのだろうと思います。
そのような障壁は、クラスが、そして生徒たちが成長する過程の中では、必要なことと私は考えます。実際クラス担任をしているときには日常的にトラブルが発生し、そのたびに時間を割いて話を聞き話をして間を取り持ちました。衝突や仲直りを繰り返す中で、生徒たちはひと回りもふた回りも大きくなっていきます。
完成されたものの評価も大切ではありますが、私はそこに至るまでの成長の見取りがより大切だと思っています。生徒自身が「私は成長したよ」「私たちのクラスはまとまったよ」などとはなかなか思わない。でも、私たち教職員は、クラスの成長、生徒一人ひとりの成長を肌で感じ取ることができます。そこが教師のやりがいであり魅力なのだ - 教職32年目になる私なりの結論です。
少し話は逸れますが、教頭先生から写真のレイアウトの仕方を習いましたので、数日前からアプリケーションをフル活用しています。自動的に写真配置を提案してくれるので、とにかく便利です。今までは時間をかけて写真を縮小したり切り取ったりの加工をしながら並べていました。その一例として、この一枚(高校説明会で使用するスライドの一部)を作成するのに相当な時間を要しました。楽しみながら作成したとは言え、さーっと並べてくれるアプリケーションがあれば、と思っていたわけです。
生涯学習、という言葉を耳にします。今までの知識をリニューアルしていくこともそのひとつです。今回のちょっとした学びにより、効率化、時間短縮につながる作業の在り方を実感しました。どんな分野であれ、学び続けることは大切です。
今週は午後(5,6校時)を学校祭の準備の時間としています。各教室ではクラスPR(各クラスの特徴をテーマに沿ったダンスや演劇等のステージ発表でアピールする)に向けて、笑い声や振り付け指導する声が飛び交い、日に日に盛り上がってきています。
教卓の上にタブレットを置き、みんなで画面をのぞき込んでダンスをしたり、打ち合わせしている様がやはり時代を感じさせます。そうした道具がなければないなりに工夫して取り組むのでしょうが、あればあったで次から次へと効果的な活用を見出していく生徒はすごいと思います。
携帯電話もデジタルカメラもない私たちの高校時代は、記録用としてインスタントカメラ(写○ンです)で静止画を撮影することが主でした。動画を残すとなるとテレビ放送局から持ってきたのか、と思わせるようなビデオカメラを抱えた撮影となり、それはそれで大変な作業でした。そもそもそんな高級な機材を個人で所有している友達など誰一人いませんでした。だから動画ではなく静止画。
自分の家から持ってきたラジカセにカセットテープ(CDは高校3年生あたりからちらほら出現)を入れて音楽を流す、ビデオデッキとブラウン管テレビを持ってきて動画を見なければならない。何か事を起こすとなるとすべてが大がかりな準備となりました。約40年の間に何もかも様変わりし、スマート化されました。そんな中でも変わらないものはあります。生徒同士のやりとり、汗を流しながら練習する姿です。これだけは昔から変わりません。
私の顔を見ると生徒たちが寄ってきて声をかけてくれるようになりました。2ヶ月半で垣根がかなり低くなったような気がします。校長の小部屋は、写真エッセイをコンセプトに始めましたので、とにかく写真を撮って歩いています。最近は驚くほど自然でいい顔を見せてくれます。仰々しく一眼レフを構えるのではなく、スマートフォンで撮影するからそうなるのかもしれません。
(写真のレイアウトの仕方を教頭先生から習いました。便利です。)
先日自宅に帰ったとき、次男が「父さん、校長先生どうなの?」と唐突に聞いてきました。話の中で「そういえば、オレ、高校の時の校長先生と喋ったことないし、顔も知らないわ」と。確かに1学年8間口の大規模校に通っていたわけですから、それもわかるような気がします。
知られるということはそれだけ認知されたということですから、より一層身も心も引き締めていかなければなりません。
放課後の学校祭準備。
教員になって良かったな、と思うことのひとつは日々の生徒の様子を見て、自らの高校時代の記憶が身近に感じられることです。どんどん遠くなるはずの高校時代の記憶が意外と近いところにある・・・おそらくこの仕事をしていなかったら、日常的に高校時代のことを想い出すことはなかっただろうと思います。
それともうひとつ。目の前の生徒たちの声や笑顔、部活動で汗を流す姿、教室で授業を受けている様子を見るたび、教え子たちと過ごした時間が鮮明に蘇ってくることです。あのときこうだったなぁ、そういえばあの子元気にしているだろうか、と。
この日も生徒たちを見ていると、いつものように高校時代の学校祭準備のことや教え子たちと一緒に過ごした学校祭が重なり、懐かしい気持ちで一杯になっている自分がいました。
恋人の話を聞きながら行灯を製作したこと、床にこぼした絵の具をそのままにして帰った生徒を叱ったこと、40人と私でスピッツの「チェリー」を大合唱したこと、ケーキを販売するJAZZ喫茶のお店を出したこと、学校祭のお疲れ様会で我が家の庭でクラス焼肉大会をしたこと、第二種電気工事士の放課後補習が終わってからスタートした準備作業、サボって帰った生徒がいて翌日の準備作業をストップしたこと、グランドで打ち上げられた花火、みんなで着用したクラスTシャツやパーカー・・・すべてがいい想い出です。
準備期間はもう少し続きます。この瞬間の会話、笑えた言葉、教え合った振り付け、不足するものの買い出し、学級旗への色付け、一緒にジュースを飲んでの休憩、窓から入ってきた夕暮れの風、楽器の鳴り響き、分け合ったお菓子、床にこぼした絵の具、疲れて眠い授業、スマホで流して聴いた大好きな曲、買い出し途中で食べたアイスキャンディ-・・・その一つひとつが子どもたち一人ひとりの心に刻み込まれますように - 私の願いはただそれだけです。
4月中旬以降平均500アクセス数でしたが、最近1000アクセス数となりました。御訪問誠にありがとうございます。本校生徒の活躍を今後もお伝えいたします。何卒よろしくお願いいたします。
5月最後の土曜日、長男は転勤により札幌のアパートを引き払い、東京へ向かいました。妻と次男は何度か長男の部屋に入っていたようですが、私はこの日初めて部屋に入りました。すでに引越業者によって荷物は搬出され、残るいくつかの段ボール箱には衣類や調理道具が無造作に放り込まれていました。
地下鉄駅近の新築のアパートとはいえ、狭いワンルームでよくも1年半を過ごしたものだな、と思いながら部屋と駐車場を何度も行き来し、段ボール箱を車に積み込みました。最後に私は「それじゃな」と声をかけ、長男は「あぁ」と、ただそれだけ言い、挨拶だかなんだかわからない言葉を交わして私はアパートを後にしました。
転勤がないことを条件に長男は現在の会社に就職したわけですが、関東圏への事業展開に伴い白羽の矢が立ったようです。もう、子どもたちは親の手を離れ、自立してそれぞれの人生を歩んでいるわけですから、どこでどのような生活をしてもいいのですが、わずか7年の間にこんなにも出たり入ったり、行ったり来たりになった我が家のドタバタ劇的な惨状を思わずにはいられませんでした。
前にも書きましたが、令和元年を境に私は学校管理職として苫小牧で単身赴任、同時に長男が弘前大学入学で旅立ち、自宅は妻と次男だけの生活となりました。2年後に私は自宅に戻って新しい職場に通勤し、それと同時に次男が岡山大学に入学することになり、平成9年以来の妻との二人暮らしがスタートしました。さらに2年後、私の北見への異動と長男の札幌での新生活が重なりました。そして今年、私は美唄、次男が札幌に戻ってきて、再び家族が近場に揃った矢先の長男の東京行き、となったわけです。
たぶん、飛行機に搭乗する前なんだろうと思いますが、家族LINEに長男からメッセージが入りました。「色々お世話になりました またすぐ札幌に帰るし東京にもいつでもきてね」言葉で言えなくても文字なら言える・・・便利なツールです。私は「心配しないで東京生活を楽しみましょう」と打ちました。東京を仕事だけで生活して欲しくない。自分の時間としても東京を楽しんで欲しい。私の生き方のスタンスを伝えるメッセージ、として送信したつもりです。
うむ、またすぐ札幌に帰るし - すぐ?何?
長男の引越から数日後、妻が東京に向かいました。1週間後に帰ってきた妻と自宅からほど近い百合が原公園を散歩し、藤棚の真下に設置されたベンチに座って話をしていたときに「なんかね、彼女がいたんだって。私写真見せてもらったよ」と妻が教えてくれました。そういうことだったのか・・・?の答えがわかったわけです。
かなりいい距離をランニングして、あとは家まで呼吸を整えながらゆっくりジョグで。その途中の跨線橋でこの景色に出会いました。この夕焼け空の向こう側の、海を越えた数百キロ先の東京で生活している長男を思いました。今頃何をしているのだろうか、東京を楽しんでいるだろうか・・・アパート前で別れたあの日のこととLINEメッセージのことが思い浮かんできました。
(有明跨線橋からの夕焼け空)
3年次生が製作したハーバリウム(植物標本)が並べられています。光が通るとさらにきれいに見えます。どれも素晴らしい作品です。
私が教室に入ったときは、2年次生が作品づくりをしていました。ガラスのボトルにお花を入れたり出したり、持ち上げたボトルをくるくる回して眺めたり。彩りや配置を何度も確認して、気に入った形にしていく・・・ものをつくるのっていいですよね。余計なことを考えずそのことだけに集中できます。
お店の商品棚に並んでいるものの中から気に入ったものを購入する、私たちはそうしたことを繰り返しているわけですが、ちょっと調べれば意外に自分で作れてしまうものが多いです。
本校では、何でも、とまではいきませんが、各系列で工夫して様々なものづくりをしています。確かに手間はかかりますが、その分ものの大切さや工夫することの楽しさ、完成したときの感動!!を日々体感できるという、美唄尚栄ならではのおもしろい学びができます。
こんなものがあればいいな、と思うものは大抵手に入る時代です。それは確かに便利でありがたいことではありますが、本校の生徒は多くの体験的な学習を積み重ねることによって、完成したものを探すのではなく、工夫してものをつくることを考えるだろう、と私は思っています。
例えば物置の奥に、ある材料が眠っているのを思い出し、「あっ、そうだ、あれを使えばこれが作れるよな」とひらめく。「あのときあの果物でジャムをつくったから、このリンゴで今日ジャムをつくろう」となる。「布でスカートつくったことあるから、ブラウスがつくれるな」と想像を膨らませることができる。
これからの時代、こうした発想が大切になるような気がするのです。学歴だとか物事を何でも知っている、などといった他者と比較する物差しではなく、もう物差しでは測ることができない、物差しをそもそも必要としないおもしろい発想が、世の中をぐんぐん動かしていく、と私は考えています。
先日、パウンドケーキづくりの実習を見学したとき、生徒に「ケーキを焼いたりパンを焼いたりするノウハウを身に付けているのだから、美唄市内で自分のお店を出せるよね」と話をしました。お店を経営するのは簡単なことではない、そのことはわかっていますが、発想の転換でまんざら夢物語ではないような気が私はしています。誰でも起業できる。何にでも挑戦できる。もっと言えば誰でも起業していい。何にでも挑戦していい。昭和、平成の既定路線の価値観は身を潜め、今は新たな価値観に転換され続けています。
小さなコーヒーショップを持ちたい、と考えている私からすると、お菓子を作ったりパンを焼いたり、ジャムをつくったりできるスキルはどうしても必要で、そうした知恵を高校時代に身に付けている生徒が本当にうらやましいです。私も若いうちに習っておきたかった、そうした学校に通っていれば今頃・・・なんて真剣に考えるわけです。退職したらまず専門学校に入学して学ばなければならないわけですから。
発想の転換で夢や将来がどんどん広がっていく - 私が勤める学校には可能性がたくさん詰まっていると思っています。私は工業(電気)を専門とする教員ですので、長くものをつくることに取り組んできましたが、そんな私から見ても新たな発見ばかりでおもしろいです。自分の守備範囲以外のものづくりがたくさん詰まっていて興味津々です。
明日は誠に勝手ながら更新なしとさせていただきます。また来週お会いしましょう。
やっぱり見ていただきたいな、と思い、残る3作品掲載します。
(写真を加工しています)
「校長の小部屋」見てくれているといいのですが・・・特に、作品づくりをした生徒の保護者等の方には。できれば写真ではなく、学校にお越しいただき直接見て欲しいです。閲覧していましたら是非御連絡ください。生け花に限らず、校内の至る所に生徒の作品を飾っていますので、足を運んで見に来てください。
写真を見るとわかると思いますが、お花の横にあるホルダーには作者である生徒の年次と氏名が記載されています(掲載する都合上モザイク加工しています)。ちょっとしたことなのですが、これがまたいいなぁ、と思っています。クラスメイトが、仲の良い友達が、知っている先輩が、同じ中学校の後輩が・・・名前を見てまた違った見方、感じ方ができるからです。
同じ花材を与えられても、完成した作品はそれぞれです。当たり前のことですが、これが個性です。自分と似たような人がいたとしても同じ人はいない。同じ花材と書きましたが、これは間違いで同じものはありません。同じように見えても花にもそれぞれ個性があります。同じでないもの同士が組み合わされていけば、それは無限の広がりを見せるわけで、そこがおもしろいところです。それぞれだからそれがいい。
自分を認めること、他者を認めること - このふたつはそんなに難しいことではありません。自分と違って当たり前、と思う。すごく単純です。私はずいぶん前からそうした考えで生きてきましたから、いちいち悩むことや腹を立てることがなくなりました。自分はみんなと同じでなくていいし、周りの人も自分と違っていい。ただ、それがわがままにつながってはいけません。そのことで迷惑をかけることはいけません。
ストレス社会ではありますが、意外と自分自身でストレスを作って溜めてしまう - そうしたことが結構あるものです。考え方を変えていくと肩の力が抜けて、リラックスした生き方ができます。
20日(金)の朝
校長室に入って真っ先に目に留まったものがありました。テーブルの上にお花が置かれていたのです。朝から何とも言えない穏やかな気持ちになりました。華道部の3年次生の生徒が生けたお花です。月に一度、私のところに届けてくれるので、まだかまだかとその日を心待ちにしています。贅沢ですよね。
生徒が生けたお花は、生徒玄関ホール、職員玄関、職員室前にも飾られ、私が校内を歩く動線と重なることから毎日見ることができます。前にも書きましたが、校内にお花があるのはいいな、と思います。
自宅の庭で薔薇が満開になり、私は写真を撮り、妻は色とりどりの薔薇を花瓶に挿し室内でも観賞できるようにしてくれています。そこにあるだけで明るくなりますし、人の心をやさしくします。花を介しての会話も増えます。小さなお花なのにこんなにも存在感を発揮できるのはどうしてなのでしょうか。不思議です。
作品づくりをした生徒に校長室まで来ていただき、どのようなことを考えて生けたのかを聞いてみました。「今まで扱ったことのない花材もありましたが、主役のヒマワリをどのようにしたら引き立てることができるかを考えました」と遠慮がちに話してくれました。「この先あなたがお部屋に花を飾るとき、華道部で培った経験でセンスの良い生け方ができるからいいよね」と私が言うと「はい」と笑顔で答てくれました。
10分位お話ししましたが、卒業後の進路は就職を考えているようです。「あなたにふさわしい就職先が見つかるといいね」と言葉をかけさせていただきました。きれいなお花、ありがとうございました。私のデスクに置いて、毎日見させてもらいます。
主役を引き立てる - 生徒の言葉から考えさせられることがたくさんあります。教員になったときから自身の教育の柱にしているのですが、学校の主役はまさしく生徒です。生徒一人ひとりをどのように引き立てていくか・・・学校、教員は生徒が何を考え何を思っているのかをしっかり受け止める必要があります。受け止めるためには話を聞いてあげなければなりません。私の人生の方向性を大きく変えてくれた佐藤先生(中学2、3年生の時の担任)が、どうしようもない私の話を黙って聞いてくれたことを想い出します。あれがあったから今がある - 感謝しかありません。
生徒との短い会話で市外から通学しているということを知りました。毎朝学校に登校するだけで相当なエネルギーを使っているとのこと。2年間よく通ってきましたね。あと8ヶ月ありますが、元気に登校してきてください。大変なこともあるでしょうが、その先にあなたにとっての輝く未来がありますから。
素晴らしい笑顔で生徒は校長室を後にしました。
雨天のため順延となっていた「さわやか清掃」を6月16日(月)放課後に実施しました。私、正直なところ生徒玄関前に集まった生徒の多さに驚きました。20名も集まればいいところだろうな、と思っていたからです。前もってスタッフの募集をしていたのは知っていましたが、104名の生徒たちが参加してくれるとは。全校生徒の約7割が主体的に参加してくれたことに感謝します。
言うまでもなく目的があって行事を行うわけで、さわやか清掃の実施の目的は、
(1) 通学路を生徒自ら清掃することで、環境を整備し、かつ環境美化に対する理解を深める
(2) ボランティア活動に積極的に参加する姿勢を養う
(3) 清掃活動を通じて日頃お世話になっている周辺住民への感謝の気持ちを表す
となっています。参加した生徒が、地域の一員としての意識をより一層高めてくれたら嬉しいです。
美唄駅前をゴールとして、約1キロメートルの距離を生徒と話しながらゴミを拾いました。生徒と話をすると、何か自分の子供と話をしているようですごくおもしろいです。そうは言っても、実際のところ私の子供が高校生の頃、私が話しかけても「あぁ」「そう」「わかってる」「うん」「知らない」だけでした。妻とは会話をするくせに、私には1秒で終わる単語レベルの返答しかなかったです。まぁ、私も父親と会話をした記憶がほとんどないので、そんなものだと理解していましたが、生徒はどういうわけか楽しい会話をしてくれるのです。これは不思議です。
この日も自転車を趣味とする3年次生が、週末にニセコでサイクリングイベントに参加してきたことを話してくれました。折りたたんだ自転車とともに電車に乗り、途中趣味をともにする札幌の友達と合流しニセコまで。あちらこちらから集まってきた年齢の異なる自転車マニアとの交流がとてもおもしろかったようです。150万円の自転車を持って来た方もいて、大盛り上がりのイベントで満足したと話してくれました。
マラソン大会で見知らぬ人が何千何万と集まってきますが、私もそこでランニングシューズのことやタイムの話をしてわくわくします。知らない人との会話がとても楽しいのです。笑顔で語る生徒を見て、学校では決して学ぶことのできない素晴らしい経験をしているな、と思いました。今、一度しかない貴重な高校時代、その一分一秒にこのような経験を刻み込んだことは、間違いなく彼の人生を豊かにするはずです。
私は自らの高校時代に思い残していることはありませんが、受け持ったクラスの生徒たちにはいつも素敵で最高の高校時代を過ごして欲しい - そのことの実現に向けて一人ひとりと向き合ってきました。一緒になってたくさん笑い、一緒になってたくさん泣きました。一人の大人でもなく、一人の教師でもなく、同じ仲間として接した日々が懐かしく愛おしい・・・生徒からかけがえのない時間とたくさんの思い出をもらいました。教師冥利に尽きる、担任冥利に尽きる、とはまさにこのことです。
脇道に逸れました。話を戻します。
参加してくれた生徒の皆さん、ありがとう。
(写真の一部を加工しています)
先日も紹介いたしましたが、科目「生活に生きる書」の作品から。
生徒玄関ホールでの挨拶を終えて、教室の様子を伺っている途中、廊下の壁に掲示されていたので読ませていただきました。朝からやさしく穏やかな気持ちにさせてくれる作品でした。生徒も先生も全員に見て欲しい、と思う作品です。
想 - 「目で見て比べながら心で思う」という意味を表す漢字
どうしてこの漢字を選んで作品づくりをしたのか、作者である生徒本人から直接聞いてみたい、そう思います。素敵な漢字を選びましたよね。
想う こと
ずいぶん昔から何かを想っている自分を感じることがありました。多分、小学生くらいまで遡る話になると思います。どうしてそうなってしまったのかは自分でもわかりませんが、気付いたときからそれは現在も続いています。
あれは、恥ずかしい話、妻と不仲になったときに、妻から言われたことがありました。「私にわからない何かをいつも想っている。付き合ってから今日までずっとそういうことを他の人よりも大切にしている人なんだなぁ、って思ってた。でも、その何かが私に関わることであればそのことだけは知りたい・・・」私に返す言葉はありませんでした。やっぱり自分はそうだったんだな、自分だけが感じていたのではなく、誰かから見てもそうだったんだ - ただそのことだけを考えていました。
私の想うことはおそらく生涯ずっと続いていく思います。きっと自分のこと、家族、親、兄弟、学校、仕事、教職員、生徒、教え子、将来、過去・・・過去の自分と比べながら現在の自分を心で思っているのだろうな。たぶん、そういうことなんだろうと思います。
ただ、その想うことのすべては、私にとっては苦痛ではなくやさしい気持ちになれる大好きな時間になっている。そのことだけは間違いありません。
この字を見せてくれて「ありがとうございました」
いろいろなことを考えさせていただきました。
美唄市教育委員会様よりパイナップルをいただき、デザイン系列の生徒がジュースと食べやすくカットしたパイナップルを校長室まで持ってきてくれました。美味しくいただきました。いろいろな生徒が校長室に顔を出してくれますが、みんないい笑顔です。保護者等の皆様にも見てもらいたいな、といつも思います。
「写真を撮ってホームページに掲載していいですか」と聞きましたら快くOKの返事をいただきました。「ありがとうございました」
いきなりですが、パイナップルで想い出すのが沖縄です。家族で3度、見学旅行の引率で3度の沖縄旅行をしましたが、そこで食べたパイナップルの味が忘れられません。畑に実っているパイナップルを採ってきてそこで食べることができたので、感動的に美味しかったのです。
室蘭工業高校の定時制に勤務していたときに見学旅行で初めて沖縄を訪れたのですが、妻と子どもにも是非沖縄を見せたい、と思いました。白色系の壁の家、赤瓦の屋根、石垣、白い砂浜、青い海、高い空・・・沖縄にしか流れていない空気と時間を感じとって欲しかったからです。
家族3度目の沖縄旅行は、妻が受けた大手術から1年半が経過したときになります。子どもがそれぞれ中学2年生と小学6年生になり、成長とともに付随してくる高校受験のことや部活動、そして何より妻の回復のお祝いを兼ねて「これが最後の家族揃っての大旅行になるかもしれないね」ということで出掛けました。沖縄のファンになった子どもたちのリクエストでもありました。その後大学受験を迎えた次男が、琉球大学に行こうかな、なんて言い出すくらい気に入ったようでした。結局、大旅行はそれが最後になりました。思い切って行って良かったです。そのときにシャッタを押してもらった写真の一枚を妻が居間に飾ってから13年の時が過ぎましたが、私は自宅に帰るたびに眺め、ひとり懐かしんでいます。そのことを妻は知らないと思います。
私も歳をとったのかもしれません。目の前の出来事から唐突に過去の記憶が浮かんできたり、昔を懐かしんだりしてしまうのです。性格は前向きで決して後ろ向きではないのですが。こういうことって若いときはなかったな、と思います。
教頭先生に本ブログを開設していただき、回数を重ねてまいりましたが、生徒の姿を写真に収めたり生徒と話をしていると、どこか自分自身の中学、高校時代の経験や気持ちがフィードバックしてくるような感覚に陥ります。こうした時間を持てるのは、この職業ならではのことなのかどうかはわかりませんが、つくづく幸せだなと感じながら働かせていただいております。
明日の更新は都合により控えさせていただきます。
6月11日(水)株式会社岸本組 代表取締役 岸本友宏 様に対し、地域貢献感謝状贈呈式を校長室にて執り行いました。本校の教育活動の充実のため、『全閉式アルミスタンド扇7台』『ポータブルクーラー8台』『延長窓パネル6個』の御寄贈を賜りました。大切に使わせていただきます。改めてお礼を申し上げます。「ありがとうございました」
感謝状をお渡しした後、生徒代表として生徒会長が感謝の言葉を述べ、記念品を書記から贈呈いたしました。記念品はフード系列で製造したレトルトカレーとジャムで、岸本様も大変喜んでおりました。製造してくれた生徒たちにお礼を申し上げます。「ありがとうございました」
岸本組様には、前身の美唄工業高校を卒業された方、美唄尚栄高校を卒業した方が勤務されているとのことです。現在、本校で学んでいる生徒の中からも岸本組様にお世話になり活躍する人が出てくるかもしれません。先輩方が築いてくれた御縁を今後も大切にしていかなければなりません。
『産業社会と人間』、『総合的な探究の時間』をとおして、地域の現状と課題、地域の未来について考える授業が設定されています。学校として地域に思いを馳せる取組を推進しておりますが、一方で地域から本校に対する期待や熱い思いがたくさん寄せられています。大変ありがたいことですし、ひとつひとつを真摯に受け止め、地域と連携・協働し、課題解決に向けた取組に繋げていかなければなりません。
学校は地域から支えられている - そのことを日々実感いたします。地域を支えていく人材を育成するために、私たち教職員が果たす役割は大きいということです。ニーズを的確に把握した教育活動を展開していかなければなりません。贈呈式が終わり、改めてそのことを考えています。
3年次生の選択科目「生活に生きる書」を受講している生徒が書いた作品が、校内のあちらこちらに掲示されています。教室ではなく、廊下というのがいいのです。教室だとそこを利用する生徒の目にしか留まりません。だから、人が頻繁に通る廊下や階段の壁というのがいい。
(写真を一部加工しています)
私は着任後、先生方に生徒の作品をどんどん掲示したり飾ったりしてください、と話をしています。作品の善し悪しはどうでもいいわけです。本人がそれで善し、と思えばそれに勝るものはないのですから。
生徒一人ひとりが、見てくれる人のことを考えたり、作品づくりをした人のことを思ったり・・・そうした心を持って学校生活を過ごし、卒業させたいと思っています。このことは私が教員になったいくつかの理由のひとつでもありますし、担任として出会った生徒たちを教育する上での信念でもありました。
学習の成果を残すことはもちろんのことです。ただ、それ以上に、心の空間を広げていく生き方をしていって欲しい、と考えています。生涯をとおして自分のことを思う、誰かのこと(親、祖父母、恋人、兄弟、友達・・・)を思う、そうしたやさしくあたたかな心と時間を持ち、魅力ある人間になって欲しい。
社会や環境がどんどん変化していく混沌とした時代に生きていると、自分のことだけで精一杯になり周囲のことに気持ちが行き届かなくなります。世の中の流れにどことなく我が身も流されていくかのような状況下にありますが、心まで流されていけません。
心だけはやさしくあたたかに。
「ホームページに写真を載せても大丈夫?」生徒に声がけする際の決まり文句になってきました。この日もお断りした上で撮影させていただきましたが、調理室内には甘くていい匂いが漂っていました。これはお菓子を作っているな、甘いものに目がない私はわくわく幸せいっぱいの気持ちになりました。
科目を選択して授業を受けるというのが本校の特色のひとつになりますが、今日の話はデザイン系列の科目『フードデザイン』の一コマです。バターを使用しないクッキー作りが本日のテーマでした。ホットケーキの素材から伸ばした生地に型を当てひとつひとつくり抜き、この後オーブンで焼くのだと思いますが、とにかくみんな幸せそうな表情で楽しみながら作っているのがいいな、と。
毎週生きていくために必要な食を考え、自らの手で安全な食を作り、それをみんなで楽しく食す。食は奥が深いですね。こうした授業は系列に特化するのではなく、すべての生徒が受講できたらいいのにな、と思ったりしています。
さて、大学時代にアルバイトをしていた青果店の裏小路に、手作りのケーキやパスタなどがメニューに並ぶ自家焙煎珈琲が楽しめる小さなカフェがありました。会話を壊さない程度にさりげなく洋楽が流れ、静かに時間を過ごせる雰囲気の良いお店でした(残念ながら今はありません)。
マスターに恋愛ごとを聞いて欲しくて、カウンタ席で珈琲をよくいただいていました。当時お付き合いをしていた女性とも行ったこともありました。その影響もあってか、いつか大好きなJAZZレコードを流し珈琲を提供するお店を持ちたいな、そんなことを大学時代から考え続けています(現在進行形でレコード蒐集しています)。美唄尚栄高校で食について学べたら、実現に向けて大きく前進するだろうなぁ・・・なんて思いながら今日の授業を見学していました。
私自身経験したことのない学びが本校にはあふれていて、見るものすべてが新鮮で驚きです。五十代の私がそうした気持ちになるわけですから、感性豊かな十代なら相当なインパクトがあるのではないでしょうか。
本校で学ぶ生徒たちが、これから先の人生において「そういえば、あのとき尚栄で○○を習ったから、もしかしたらこういうことができるかもしれないな」という発想のもと、地元でお店を出店したり起業してくれる日がきたら素敵だなと思います。
自分の好きなこと、興味を持ったことについて、それを実現するための科目を選択できる。総合学科 美唄尚栄高校 だからこその学びがここにあります。
放課後、廊下を歩いていたらトレーニング室からシューッシューッ、とリズミカルな音が聞こえてきました。トレーニングマシンのペダルを一生懸命に踏み込む生徒の姿がありました。間違っていなければですが、陸上競技の経験はないけれど、この春に陸上競技部に入部した1年生です。校長室の窓からグランドのトラックを走っている姿をよく目にしますが、「しっかり続けていたら結果はついてくるぞ」と応援する気持ちで見させてもらっている生徒のひとりです。
私も一応、アスリートの端くれとしての市民ランナーですから、走る人を見るとそれが短距離、長距離のどちらであっても気持ちの奥の方がそわそわします。マラソンは自分との戦いです。私はトップランナーではありませんから、誰かに勝つ、という意識はありません。2万人規模の大会に出場しても順位には興味はなく、42.195キロを3時間29分59秒以内に走りきる、これとの勝負です。10キロなら39分59秒、ハーフなら1時間29分59秒以内です。
肉体的、体力的な衰えは当然ありますが、これらの目標を乗り越えることができるかどうか、最後は”気力”にかかっています。ツライ、足が、太ももが、苦しい、歩きたい・・・それを打ち消すだけの気力を最後に奮い立たせることができるかできないか、ただそれだけです。わかっていても、最後のスパートがかけられず、わずか数分だけオーバーしてのフルマラソンのゴール。ゴール、完走に喜びはなく、目標を達成できない自分にただただ悔しさと情けなさが残るレースがここ数年続いています。
何かを変えなければ結果は出ない - そのためには、勤務時間終了後、週休日にロードワークだけではなく、生徒と一緒にマシンを使った地道なトレーニングが必要かも、そんなことを真剣に考えてしまいました。
マシンのモニターには、設定タイムや消費カロリー等の数値が表示されており、聞くと「1時間のトレーニング時間に設定しているのであと30分やります」と答えてくれました。とにかくペダルを踏む、そのことだけを考えて汗をかく - こうした地道なトレーニングが功を結ぶ、そう思いながら写真を撮らせていただきました。
私は初夏6月が一番好きです。日中は程よい暑さで爽やかな風、夜はひんやり半袖では心持たない、そんな空気感が大好きです。香りよいライラックが終わり、ここからが本格的に花が主役になる季節を迎えます。とは言っても、いつからか初夏がいきなり真夏になることが当たり前になってしまった、そう感じるのは私だけでしょうか。
もしかしたら間違っているのかもしれませんが、私の記憶では五十年、四十年、三十年くらい前までは、25℃を超える日は7月中旬から8月上旬にかけての2週間程度、30℃を超える日は一夏に1日あるか2日あるか、そのような夏だったように記憶しています。
小学校の夏休みは、近くにあった中学校の屋外プールが開放されて、毎日のように自転車でそこに向かいました。そもそも遊び場所が学校のグランドかプールしかなかったわけですが、とにかくそこに行けばすべての友達に会うことができました。草むらではぎーっ、とキリギリス、木々の上端ではみーんみーん、と蝉、うるさいくらいの大合唱の中で、泳いだり走ったりしていました。それだけで楽しかった。
でも、それはお盆までのこと。お盆を過ぎると決まったように秋風が辺りを包み込み、夏の終わりを告げるのです。「ああもう夏が終わっちゃうんだ」寂しさいっぱい私は私なりに夏にさよならしていました。
さて、今週前半は25℃を超えました。もう、私の記憶にある初夏6月はどこかに行ってしまいました。6月の熱中症対策、いや、早ければ5月の数日も熱中症対策を意識しなければならない状況になっています。何十億という時間の中で地球の環境が完成されてきたというのに、数十年、数年単位で気象状況が変化しているのだとすれば、どうしたものだろうか、と考えさせられます。
本校におきましても生徒及び教職員に熱中症対策について注意喚起しております。簡易クーラーは5月末に設置しました。水分補給はもちろんではありますが、朝食をしっかり食べて登校すること、睡眠時間をしっかり確保することも熱中症の予防策となります。これから9月まで暑い日が続くことが予想されます。十分に気をつけて過ごして欲しいと思います。
どうしてこの苗字でこの名なんだろう・・・
小学生の頃、苗字と名でしょっちゅう揶揄われたので、自分の苗字と名にコンプレックスを持っていました。せめて名だけでも弟と交換して欲しい。そんなことを思いながら毎日を過ごしていました。
私にとって最悪なことは全校集会における表彰でフルネームが呼ばれる日。入学式、卒業式も。学期の終わりに担任から名前を呼ばれて通知票をもらう日も。その日が近づいてくると妙に落ち着かなくなり、当日はただただ体育館や教室から逃げ出したかった。
どうしたら名前を変えることができるのだろうか、と図書室で本を真剣に探し回ったこともありました。(見つかりませんでしたが)担任の先生や祖母に聞いたこともあります。それくらい私にとっては深刻な問題でした。
人生も半ばを過ぎ、普通私くらいの年齢になると、もう小学校のときの記憶はほとんどなくなり、いくつかの断片的なものしか残らなくなりますが、名前のことにまつわる数々の出来事を鮮明に覚えているのは、やはり相当なインパクトのある問題だった、ということなのだろうと思います。
中学校に上がって、妙にざらついた感情に振り回され、荒くれた行動により周囲にずいぶん迷惑をかけたのは、消すことのできない恥ずかしい事実ではありますが、そうなってしまった自分の一端には名前へのコンプレックスから逃避したい、そんな思いがあったのは間違いありません。
何がきっかけでそうしたのかは定かではありませんが、確か中学生のときに『剛』の意を辞書で調べたことがあり、そこから名を授けてくれた亡き祖父の思いのようなものを感じ、ハッとしました。そういう意味だったのか - たぶんその辺りからコンプレックスがなくなったように記憶しています。
今日の話は私の笑い話であり、この日の授業内容とは全くつながりませんが、小学生、中学生のときは名前を書くのが嫌で、殴り書きしていました。心の小さな少年だったんですね。教室の後ろから入り、丁寧に筆を走らせる先生や生徒を見ていて、私自身人に褒められる文字は書けないけれど、いつの日かそれはわからないけれど、自分の名前だけは粗末にせず「丁寧に書く」ことができているな、そう思ったのです。
心落ち着けて文字を一字一字丁寧に書く、そのような時間をどこかに持たなければ・・・ぼんやり考えています。
5年間の大学生活を下宿で過ごしました。20名近くが生活するかなり大所帯の下宿は、水元町界隈ではほとんどなく珍しかったと思います。そこでの顛末は書けることと書けないことがありますが、いつか紹介できたらと思っています。
ぽつぽつと学生向けのワンルームマンションが建ち始めていた頃でした。誰にも邪魔されない自分だけの空間を持ちたい - 集団と個人に対する若者の価値観に変化の兆しが見え始めた最初のあたりだったかもしれません。
私のような下宿生活は、やはり先輩後輩の関係がありますし、トイレとお風呂は共同で、決まった時間に揃って御飯を食べ、1台しかなかった公衆電話が鳴ると1年生が呼び鈴3回以内に走って受話器をとる、などといった所謂昭和感を漂わす掟のようなものもたくさんありました。それはそれで良き想い出として記憶していますが、今はそうではありません。私の子どもたちも、ワンルームマンションに入居し、4年間の大学生活を送りました。いや、もしかすると下宿を探す方が難しくなっているのかもしれません。
さて、私は大学生活に係るすべての経費を自ら賄うことを約束に室蘭工業大学に入学しましたので、ある青果店でアルバイトをして13万円の収入を得ていました。平日朝夕食付き6畳一間で5万円、残る8万円を学費や生活費に当てる5年間でした。確か授業料が前期で18万円くらいでしたので、13万円もあるとややリッチな生活ができていました。
毎週土曜日は大家さんの計らいで大鍋いっぱいのカレーライスが提供されましたが、日曜日と祝日は各自でとなっていましたので、私はアルバイト先で野菜を購入し、ちょっとした料理を作って食べていました。6月はアスパラの時期でしたから、伊達や洞爺産のアスパラを茹でたり炒めたりしてドンブリ一杯、腹一杯食べました。人生で一番アスパラを食べたと思います。そのときのアスパラの美味しさが35年を過ぎた今も忘れられない思い出になっています。
アスパラの話になったのは、先週、ある先生が朝の通勤途中に直売所でアスパラを購入したようで、お裾分けしてくれたからです。「校長先生、校長の小部屋のネタになるかもしれませんよ」そのアスパラが大学時代のことを思い出させてくれて、これを書いています。
大事な本校の宣伝をさせていただきます。アスパラを餌にした羊、アスパラ羊のお肉を加工した製品を今後本校のフード系列において生産する予定になっています。お楽しみに!
朝の打ち合わせが終わると、まっすぐ生徒玄関ホールに向かい、登校してくる生徒を迎えます。たくさんの「おはようございます」を交わして一日がスタートします。登校時間の終わりを告げるチャイムを聞き終えたら、4階の1年次生2クラス、3階の2年次生2クラス、最後に2階の3年次生2クラスの順で6つの教室を回り、朝学習の様子とSHRを見て校長室に戻ります。これが私の朝のルーティンです。
私の姿に気付いた2年生の男子生徒が「今日、危険物の試験があるんですよ」と、小さな声で私に教えてくれました。「大丈夫かい?」と聞くと「何も勉強していません。これからやれば間に合います」と眼鏡の奥の目をぐりぐりさせながら答えてくれました。こうしたやりとりができるのはとても嬉しいです。5回の担任を経験しましたが、そのときに生徒たちと交わした会話の一つひとつを思い出させてくれる瞬間でもあります。
時間があるときはできるだけ校内を歩き、授業中の生徒の様子を見ています。教室の入り口扉が開放されたままになっているので、後ろ側からこっそり教室に入り、タブレット端末の画面やノートを見させてもらっています。4月当初からこのようなことをしているので、私が教室に入ることに生徒は抵抗感はないように思われます。ただ、入ってきた私を見つけた生徒が「こんにちは」と挨拶をしてくれるので、教科担任の先生には申し訳ないな、と思ったりもしているところです。
「何、これどうするの?」「どうやって読むの?」「えっ、これであってるの?」私が入ったときに聞こえた生徒たちの声です。代わる代わる顕微鏡を覗き、理解している生徒が?の生徒に教えている姿もあり微笑ましかったです。何かおもしろいものでも見えるのかな、と思って私もレンズを覗かせてもらいましたが、目盛しか見えません。「何が見えるの」と聞きましたら、「1mmの100等分を見ています」と教えてくれました。なるほど、目盛の読み方を確認する授業でした。私の見た1目盛は10μm(マイクロメートル)となるわけです。目盛の読み方が理解できたその先に、微細な試料を観察する展開になるのでしょうか。
自由選択科目「生物」の授業(写真を加工しています)
本日午後から出張となります。更新は来週となります。
今後ともよろしくお願いいたします。
6年前の話になりますが、私が苫小牧の学校に異動、長男が青森の弘前で大学生活をスタートするということで、どんぴしゃり引越が重なってしまいました。2年後に小樽の学校への異動が決まり、自宅に戻ることになりましたが、入れ替わりで次男が岡山大学で学生生活を送るため、家を出て行きました。さらに2年後、私は北見へ異動となりますが、札幌で働くことが決まった長男が一時的に自宅に戻ってくることになり、今年、私は北見から美唄へ異動、次男が岡山を引き上げ自宅に戻ってきました。自宅は出たり入ったりを繰り返す慌ただしい状況になっています。
家を建てたとき、まさかこのようなことになるとは思いもしませんでした。順番に子どもたちが家を出て行き、妻とふたり穏やかに暮らす、そんなぼんやりとしたイメージを持っていたので、何が起こっているのか訳がわからない感じです。久しぶりに家族が近いところに揃ったんだな、と思った矢先、長男が6月1日付けで東京に転勤となり、先日北海道を離れました。
別に教えたわけではないけれど、子どもはいつの間にか親の手を離れ、自分で見つけた道を歩いて生きている - この日の夕刻、そんなことを考えながら走っていました。
「高校までは面倒を見るけど、その後は家を出て自分の力で生きていきなさい」いま考えると昭和チックで乱暴な言い方になるかもしれませんが、これが両親の教育方針でした。兄弟で私だけ大学に進学しましたが、仕送りは一銭ももらっていません。自分の力で生きていく・・・そういうことなんだろう、と思って家を出た訳です。
この日はきれいな夕陽に空が染まっていました。生徒たち、先生方もこの色を見ているかな、なんて思いながらシャッタボタンを押しました。
5月28日(水)18時45分 ちゅうおうばし付近にて撮影
それからまもなく淡い朱色の陰影を西側の空に残しながら太陽は山の向こう側に静かに姿を隠しました。
美唄の美しい夕暮れの中で、今日一日に感謝しながら私は再び走り出しました。
5月30日(金)青空が広がり暖かな一日。
美唄市立美唄中学校で開催された体育祭を参観させていただきました。到着したときには、午前最初のプログラムである100m走が行われており、グループに分かれた生徒たちが、ゴールを目指して全速力で走っている姿と、グランド中央部で声援を送る生徒たちを見ることができました。
進行は全て生徒が行っており、放送から流れるアナウンスによって、全校生徒がスムーズに行動し、審判やカメラ撮影など各自の役割をしっかり担っている様子も伺うことができました。手作り感あふれる素晴らしい体育祭でした。
トラック脇の芝生には、応援に駆けつけた保護者等の姿があり、子どもの活躍する姿をおさめようとカメラを構える姿や声援と拍手が飛び交い、ほのぼのとした体育祭の風景が広がっていました。
金曜日ですから保護者等の皆様もお仕事があり、応援したくてもできなかった方も多いと思います。振り返れば、私も仕事があって子どもたちの体育祭を応援することはできませんでした。子どもの成長を感じられる貴重な機会を逃してしまったな、と思います。
ゴールを目指して全速力で走る - その姿は仲間に勇気を与えます。
仲間に声援を送る - あなたの気持ちは走る人の心に届きます。
体育祭(行事)は生徒を成長させる時間になっていると思います。
本校の体育祭は12月に予定されています。
10年前。
第一志望の高校に合格できず自室で涙を流す長男に、私は言葉ではなく手紙で思いを伝えました。そうすることが長男にとっても、自分にとっても一番いいだろう、と思ったからです。わずか15歳の小さな人生で、初めてひとつのことに向けて取り組み、初めて人生をかけて挑んだ試験 - 全力を傾けた末の残酷な結果を受け止めきれない長男に、私は何と声をかけていいのかわからなかったのです。
高校生活は人生の通過点でありゴールではないんだよ。今後の人生において、多くの壁が立ちはだかりいくつもの選択に翻弄されるけど、そのときに選択した環境の中で強い志を持って最大限の努力を積み重ねる生き方をしなさい。第一志望でなかったかもしれないけれど、一つだけが人生ではないよ。これから通う学校で次の未来に向かって精一杯生きていけば、必ず次の道が拓けるよ - それは、そもそも高校に行くつもりのなかった私自身が積み重ねてきた人生を記したメッセージでもありました。
中学生にとって、次のステップとなる高校選びは大変なことと思います。また、保護者等の皆様も不安な日々をお過ごしのことと思います。私を含め、保護者等の皆様が中学生だった時代は、どことなく型にハマった考え方とレールに乗った生き方が求められていたように思います。
しかし、今は、多様化する社会で多様な生き方ができる時代です。新しいレールが次から次に敷かれ、いや、次から次に自分でレールを敷いていくことができます。どのレールの先も答えはなく、不確実でゴールのない世界が広がっています。
私は発想の転換が容易で多様な考え方と常に挑戦し続ける人こそが、これからますます多様化、複雑化していく社会を生き抜いていける、と考えます。
「普通科高校」「農業高校」「工業高校」「商業高校」「総合学科高校」「水産高校」「単位制高校」・・・つまり、高校選びはたくさんの選択肢があるということです。どれを選択したとしても、選択した環境の中で強い志を持ち、最大限の努力を積み重ねることが大切だと思っています。名や体ではなく中身です。
本校は多様なタイプの高等学校として、道内でも数少ない総合学科を設置する特徴的で面白い学校です。「文理・教養(普通)」「フード(農業)」「メカトロ・エンジニア(工業)」「情報通信マネジメント(商業)」「デザイン(家庭)」の5系列を有する総合学科で空知管内には本校しかありません。ひとつの学校にこれだけの魅力が詰まっています。
高校入学後、誰もに訪れる次のステップ(自分の将来(進学・就職))を視野に入れて、自己の進路への自覚を深めながら、幅広い選択科目の中から自分で科目を選択して学びを深めることができます。本校の学びで自分の未来をしっかり見つめ、充実した高校生活の中から、その先の道をどんどん切り拓いて欲しいと思います。
今年度のポスターが完成しました!
在校生も受検を考えている中学生も
『志高く未来を拓きましょう!!』
健康であれば考えないことなのかもしれません。若いうちはなおさら考えることがないと思います。でも、とても意味深い、そのとおりの、説得力のある言葉だと思いませんか。
校舎内を歩いているときに偶然にこの言葉と出会いました。『毎日を大切に生きてゆこう』
筆を熱心に走らせる生徒はいったい何を思って文字をしたためているのだろうか - そんなことを考えながら写真を撮りました。
私は十九歳の時に病気により父を亡くしましたので、その日以来、父が生きた年齢を意識して生きてきました。人生何があるかわからないけれど、とにかく一日一日を無駄にしないぞ、ということをどこか頭の片隅に置いていました。
結婚して、子供が生まれるとさらにその意識は深まっていくわけですが、後に妻が大病を患い命と真剣に向き合って生きていく姿を目の当たりにし、四十前半から私の生き方や考え方の舵が大きく切り替わりました。さらに数年後、意識していた父の年齢を超えたとき、『毎日を大切に生きている』そんな自分を確信しました。
人生の折り返し地点を過ぎ、朝を迎えること、学校の玄関から校長室に向かえること、生徒や先生方と挨拶できること・・・そうした一つひとつの出来事に感謝している自分がいます。
いつからそうなったのかわかりませんが、イライラしたりガミガミしたりギスギスしたり・・・心の奥の方が落ち着かない自分はすっかり姿を消しました。それはもうずいぶん昔から続いているような感じがします。
『毎日を大切に生きてゆこう』(私の場合はさらに追加して、『毎日を楽しく生きてゆこう』です)
この書に向き合っているところに遭遇できたこと、感謝しています。
ありがとうございました。
花好きなので花の話ばかりで申し訳ないのですが、ボランティア局が手をかけているプランターで、種から植えた花の芽がすくすくと成長しています。
「昨年花が終わったあとに種をとって、ダメ元で植えてみました」と養護教諭の先生が着任してまもない私に教えてくれました。5月の連休が終わるまでは気温が上がらず寒い日が続いていたので、芽が出てくる様子はなかったのですが、それ以降一気に芽吹きました。写真は本日朝の様子です。
どうだろう、どうなっているだろう・・・毎日気になってのぞいています。これが私の楽しみのひとつでもあります。こんな小さな花の、それも小さな命の芽を見て楽しめる、いや楽しませてもらっている。私にとっての幸せの形です。
プランターに水をあげている生徒たちも私と同じようにのぞき込んで成長を楽しみにしている。生徒一人ひとりにとっての幸せの形なんだと思います。
幸せ、は遠くにあるものではなく、身近に存在するもの(あくまでも私ごとです)
写真とカメラに熱中していたときは、その風景に出会うために下調べをして、機材を車に積み込んで出掛けていました。レンズを磨き、バッテリを充電し、数台のカメラをバッグに詰め込み、それは大がかりな準備を伴うイベントでした。
年齢を重ね、趣味や物事の優先順位が変わっていく中、ランニングが最優先事項になっている状況においては、重たい機材を持ち歩いて写真を撮るということがどうしても後回しになっています。たまに小回りのきくミラーレス一眼をランニングバックに入れて走ることもありますが、ポケットに収まるスマートフォンによる撮影が主になってしまいました。
一日の終わり、毎夕刻に楽しんでいるランニングにおいて唐突に出会う素晴らしい風景があります。それは何気ない日常の一コマなのかもしれませんが、この日のこの時間、この場所のこの空気・・・贅沢にもそれを味わえたのはこの世界で私だけかな、と思います。
美唄市の『美』を切り抜けた風景
つくる『美』
そこにある『美』
(5月26日 美唄中学校付近で撮影)
この2ヶ月、美唄市の魅力を感じる日々を過ごしています。美唄市に住むことができて本当に良かったと思っています。
本校の1日あたりのホームページ閲覧数が500件を超えるようになりました。毎日お越しいただいている方、今日初めて訪問された方、受検で検討されている中学生の皆様、誠にありがとうございます。インスタグラムも更新しておりますので是非御覧ください。
実際に学校に足を運んでいただき、生徒の様子や施設設備を見て欲しいと思っています。直近では学校祭もございますが、いつでも対応いたします。御連絡をお待ちしております。
今後ともよろしくお願いいたします。
先日、美唄市立東小学校5年生が齋藤農場(齋藤実様)の田んぼで田植え体験を行いました。美唄市食育事業の一環で、本校からは講師役としてフード系列2年次生4名と大中先生が参加し、小学生に指導しながら楽しく苗を植えました。私も齋藤様に許可をいただいた上で、45年ぶりの田植えを小学生と一緒に体験しました。
(写真を加工しています)
田植えの経験はあるの、と生徒たちに聞きましたら、2名が小学生の時に経験しているとのこと。小学校のカリキュラム等により、やるやらないはあるのでしょうが、毎日食べるお米がどのように作られているのかを体験的に知ることは大切なことです。食品スーパーに行けば売っているのは確かですが、そこに並べられるまでの過程を最初から知ることにより、農業を営んでいる方への感謝の気持ちや安心安全に食べられることへのありがたさを理解できると思います。
本校は地域の方の御協力のもと教育活動を展開させていただいております。学びを実践に結びつけることで学習効果が高まりますし、何より生徒一人ひとりの成長につながっていきます。このような機会を賜りました美唄市様、東小学校様、そして齋藤様に感謝申し上げます。
さて、話を戻しますが、私は小学生の3年生か4年生の授業で田植えの体験をしています。当時、私の学年だけ16名しかいない少人数のクラスでしたが、そのうち農業を営んでいる家庭の子が3名いました。ハルミちゃん、ミホコ、ムシ(通称)で、記憶が間違っていなければ、ムシの田んぼで田植えを行ったと思います(おそらく実家の納戸の段ボールをひっくり返したら当時の写真の一枚二枚が出てくると思います)秋に稲を刈り、干して、最後のお米、そしてカレーライスで戴くまでの過程をひと通り体験しました。
昨今、食育の大切さが謳われるようになっていますが、実は45年前に食育の授業が行われていた - 今まで考えたこともありませんでしたが、その事実に驚かされます。今回の田植えは抽斗のずっと奥の方に眠った私の記憶を蘇らせてくれる出来事でもありました。
15名は今頃どうしているだろう・・・一人ひとりの顔と名前が浮かんできます。
4月の話になりますが、教職員を前に着任の挨拶、そして2年次生と3年次生を前にした着任式の折に、趣味を交えた自己紹介でランニングにまつわるエピソードを含めた話をしました。
ランニングを始めたのは13年前に遡ります。理由はいくつかありますが、以後ほぼ毎日のように走り続けているのは、ランニングそのものが習慣化され、24時間の生活の一部分になってしまったからです(格好良く書きましたが、それほどのランナーではありません)
ランニングしていること自体を自慢するつもりで書いているわけではなく、その挨拶をした数日後に、本校の職員から「走っている姿をイメージして描いてみました」とはがき大の絵をいただいたのです。自らが描かれた絵をいただくのは人生初の経験でした。今もデスクマットに挟めて大切に保管していますが、これよく見ると、笑えるほど私に似ており、よく観察しているな、と思ってしまいます。
しかし、よく考えてみると、教職員は校長の姿を常に見ているという裏返しになるわけです。気を引き締めて一つひとつの業務に真摯に向き合っていく ー その自覚を持って過ごさなければなりません。そうした思いと皆さんにとって身近な校長室になるよう、入り口扉を開放しました。気温が下がってくるまではこの状態を続けます。
生徒を一人ひとりをしっかり観察し、生徒と教職員の関係が今まで以上に強固なものとなるよう教育活動を展開してまいりますのでよろしくお願いいたします。
ボランティア局の生徒が校門前の花壇にお花を植えてくれました。前回は左側の花壇にマリーゴールドが、そして、今回は右側の花壇がパンジーやペチュニアで彩られ、華やかになりました。通りに面した小さな花壇ですが、付近を通る際は是非足を止めて御覧ください。
先日、校長室にお花を届けてくれた生徒の「花言葉の面白さから花が好きになりました」という話から、さっそくマリーゴールドの花言葉を調べますと、「変わらぬ愛」「可憐な愛情」「生命の輝き」「友情」「健康」、パンジーの花言葉は「誠実」「思慮深さ」「私を思って」と記載されていました。なるほど、面白い。花それぞれの特徴を踏まえて添えられた言葉・・・奥深いです。
人としてそうした生き方や感情豊かな心を持って欲しい、そう思わせる言葉が含まれていて、考えさせられることが多いです。果たして自分はどうなんだろう、と。
生徒の皆さんには、いつも仲良くしている友達が、同じクラスの仲間が、中学校が同じだった先輩が作り上げた小さな花壇をあたたかい気持ちで見守って欲しいと思います。
月に一度お花の先生が来校されます。華道部の生徒に御指導いただいておりますが、生徒が生けたお花は校内のいくつかの場所に展示されています。先月もそうでしたが、そのうちの一つが校長室に届けられ、私のデスクに置かせてもらっています。私はなんと贅沢にも目と鼻の先でお花を楽しんでいるわけです。花好きな私にとって、身近なところに花があるというのは、何にも代えがたい喜びでもあります。
生徒にどのような思いで生けたの、と聞きましたら「外が暖かくなってきたので、春のあたたかさみたいなものを表現しました」とやや緊張した面持ちで話してくれました。どうしてお花が好きになったの、と尋ねると「花には花言葉があってそこがおもしろいなと思いました」と予想もしていなかった返答に驚きました。「花が好きです。そこにあるだけで明るくなりますから」十代でこのような感性を持っているのは素敵だな、と思います。
我が家の庭も5月中旬を過ぎてずいぶん賑やかになってきました。何年も前に植えた宿根草が陽気に誘われぐんぐん伸びています。毎年花が終わるとその種を遊び心で庭の隙間に植えていますが、これが不思議と芽を出し花を咲かせます。妻と一緒にその様を見るのが楽しみにもなっています。雪の下で長い時間耐え忍び、雪解けとともに新芽を出す、その生命力にいつも感動します。
6月中旬から本格的に花が咲き始め、妻が花を摘みバラを中心に部屋の中でも楽しんでいます。そこにあるだけでパーっと明るくしてくれる、そのとおりだと思います。
広い校舎ではありますが、その一角にお花があるだけで世界観が変わります。花が置かれている学校は本当にいいな、と思います。それが生徒の作品であればなおさらです。
(職員玄関に展示)
(生徒玄関ホールに展示)
物価高騰の波はお花にも押し寄せており、限られた予算の中で工夫しながら購入している、と顧問の先生から聞いています。生徒もそのことを感じながら活動しておりますが、活動を重ねるたびに生け方が上手になっているようです。
生徒が生けたお花を保護者等の方にも是非見に来ていただきたいです。特にお子様が生けたお花であればなおさらです。残念ながら花は長持ちしませんので、お早めに御連絡ください。お待ちしております。
19日(月)3年次生の総合的な探究の時間の一コマです。地域の方々がそれぞれのテーマのサポーターとして関わってくれています。大変ありがたいことです。
(教室に入って真っ先に机の配置がいいなと思いました。)
私が高校生だった時のことを思い出しながらこの話を書いていますが、学校で過ごした3年間において、先生以外の大人との関わりはなかったように思います。掘り下げて考えてみても何も浮かんできません。せいぜい宿泊研修や見学旅行等で説明してくれた大人くらいでしょうか・・・インターンシップもなければ現場実習もない、私が通った高校だけではなく、それが当たり前の時代だったように思います。
地域のことを考える、地元の将来を考えるなどという機会はなく、私はひたすら地元を離れて都会に出ることだけを夢見ていました。大学進学で室蘭に行くことになりましたが、地元の何倍も大きい街に住むことで自分がステップアップしたかのような気持ちになりました。
35年が過ぎて私の故郷も高齢化と少子化が進み、母校は残念ながら閉校しました。空き家が増え、建物を取り壊した跡地が目立つようになり、辺りに子供の姿はありません。実家に帰省するたびに寂しさが募ります。今更ですが、高校時代に地域に目を向けた教育を受けていたとしたら、自分の中で何かが変わっていたかもしれないし、故郷の風景も今とは大きく違っていたかもしれない - そんなことを思います。
ここにいる生徒たちが35年後に自らの故郷の地に立ったとき、私が目の当たりにしている故郷と同じようになっていなければいいなと思います。いや、そうならないために地域の将来を考え、新たなアイデアで挑戦して欲しいと願っています。
17日(土)朝 まずは道の駅奈井江を折り返し地点としてのんびりランニングすることにしました。12号線沿いからピンネシリ山系を眺めながら走っていると、所々に黄色の絨毯が広がっているのを目にしました。茶志内あたりでしょうか。
ちょうど滝川市では菜の花祭りが開催されていたわけですが、先日、桜井市長様をお迎えし御講演いただいた折に、美唄市の菜の花は、作付面積全国トップ3に入り、2019年から2021年は日本一だったとお聞きしました。私が目にしたところは一部分で、美唄市内のあちらこちらに菜の花畑が広がっているのだと思います。
大学時代からカメラを持って写真撮影することを趣味としていました。卒業後、教職の世界に飛び込み慌ただしい生活をしているうちに、写真を撮ることを忘れ、カメラを持ち歩くことがなくなりました。
働いて4年目の夏に突然激しいめまいと吐き気に襲われ、立つことや食べることもようやっと、という状況になりました。仕事は休まず続けましたが、症状が改善するまでに10年の時間を要し、不安を感じなくなった時には30代後半になっていました。
その間、自分を根本から変えようと考え、そのときにしばらく忘れていたカメラのことを思い出し、体調と相談しながら何年も花の写真を撮りに回りました。滝川の菜の花、北竜のひまわり、岩見沢のバラ、富良野のラベンダー・・・多くの花に人生を救われ、勇気をもらってきました。だから今の自分があると思っています。
奈井江を折り返し、美唄に向かう途中で脇道に入り菜の花畑を目指しました。過去にそうした経験があったから、どうしても近くで菜の花を見たかったのです。誰もいない静かな菜の花畑が広がっていました。
またひとつ、美唄の魅力に触れることができました。生徒の皆さんも自分の住む美唄にこんな素晴らしい風景があるということを知って欲しいです。
登別に住んでいたときに、小学生だった子どもたちが書道を習っていました。週に1回か2回か忘れてしまいましたが、歩いて数分のところにある会館で教室が開かれていたこともあり、友達の家に行くような感覚で出掛けていった姿を覚えています。自分から通いたいと言ったのかどうかも忘れてしまいましたが、「友達もいるから楽しそうだ」おそらくその程度の理由で行くことになったのだろうと思います。その教室は自由に書道を楽しむというのがコンセプトなんだよ、と妻が話してくれ、それはそれでいいことだな、と私は思っていました。
私が仕事から帰ってくると、教室で書いてきた半紙がテーブルの上に置かれていて、それが上手なのか下手なのか私にはよくわかりませんでしたが、小学生ながらに精神を集中して書いてきたであろう文字の一つ一つに、子どもたちの成長をしみじみ感じました。せっかく慣れ親しんだ教室でしたが、大人の都合(転勤)で教室を辞めさせることになり、子どもたちには申し訳ないことをしました。ずっと続けていれば、その教室から書の楽しさや奥深さを学ぶことができたのかもしれない、そんなことを思うと残念です。
さて、放課後に校内を歩いていたら、書道部の教室から女子生徒の楽しそうな話し声や笑い声が聞こえてきました。お話するときはする、書くときは集中して話をせずに半紙に筆を走らせる。和やかな雰囲気の中で部活動が行われていました。どのような話で盛り上がっていたのかは分かりませんが、友達と楽しく時間を過ごすことが一番です。この日の想い出がいつか集まったときの話題になるかもしれない・・・
あっ、もしかすると私の子どもたちが通った教室も同じような雰囲気だったのかな、と思ってしまいました。
生徒一人一人のかけがえのない高校生活が、それぞれの想い出ノートに刻まれていきます。
3年次生の総合的な探究の時間は、大きく6つのテーマに分かれて実施しています。来週19日(月)に地域の方々が来校し、それぞれのテーマにサポーターとして関わってもらい、課題解決に向けた助言やアドバイスをいただくことになっています。
昨日『防災』をテーマにした班の教室にお邪魔しました。災害が発生したときに必要となるものはなんだろうか、ということについて、優先度の高い順番に黒板に書き出していました。それぞれ思いつくものは異なり、同じことを思いついても優先度が異なるなど、多くの気づきがあったのではないか、と思います。この先の展開が楽しみです。
2018年9月6日に胆振東部地震が発生し、道内全域が2日間に渡ってブラックアウトになったことは記憶に新しいと思います。実は9月4日に四国に台風が上陸し、その影響で札幌市内は暴風が吹き荒れ、市内の樹木があちらこちらでなぎ倒される大変な事態に見舞われました。さらに私の住む北区の地域一帯が停電に見舞われ、翌日も復旧しない中ブラックアウトになりました。私は連続4日間の停電を経験したわけです。
食卓テーブルにろうそくを灯し、たまたまあったインスタントラーメンをカセットコンロで作り、家族4人で顔を突き合わせるようにして食べたことを今でも覚えています。冷凍庫の食材が次から次へと溶け出し、トイレは水が流れず、車のガソリンも給油できず、どこのお店に行っても品物が並んでいない・・・当たり前を失った時間でもあり、今までの生活のことやこれからの生き方について、考え直さずにはいられない状況になりました。
防災について積極的に向き合い、仲間と協働して課題を解決し、自己の在り方生き方を考えていって欲しいと願っています。
昨日から本日にかけて本校のホームページへのアクセス件数が1,100件ございました。御訪問ありがとうございます。
つくられたものを買って食すことが多いわけですが、本校のフード系列では「つくるとはどういうことなんだろう」「安心で安全に食べるとはどういうことなんだろう」「人の手に取ってもらうとはどういうことなんだろう」ということを、体験をとおして学ぶことができる科目を設定しています。
本校の5つの系列については、この後順番に紹介していきますが、生きていくために必要な『食べる』ということについて、早い段階から学ぶことはとても大切です。長く続く人生において食は切っても切り離すことができない命の糧となるものであり、食生活の積み重ねが未来の自分の健康を左右するのは言うまでもありません。
教科書に書いてあることを読んで、知識として蓄積することは大切ではありますが、体験的に知識や技能(技術)を身に付けることができるというのが、本校で学ぶ魅力のひとつです。つくることの大切さと楽しさ、充実感、満足感、達成感・・・深い学びに結びつく授業がそれぞれの系列で展開されています。
いかに体験してきたかということが、人生を豊かにしていくのではないかと思います。あのときあの食材でつくったから、この食材でも同じようなやり方でできるかもしれない・・・体験・経験で得たものが次の世界へ橋渡しをしてくれます。
本校の受験を考えている方が読んでくださっているかもしれませんので、御案内いたしますが、実際に本校を見に来てください。パンフレットやホームページだけでは知ることのできない学校の雰囲気や生徒の様子、学びの実際を目と肌で感じとっていただきたいです。是非、御連絡ください。
長く厳しい寒さを乗り越えこの瞬間に咲き誇る
それは本当に一瞬のことだけれど、一瞬だからこそ、人の心を捉える力を持っているのかもしれません。
ここ数日、ようやく暖かくなってきましたが、いつの間にか桜の花は葉桜に衣替えをしてしまいました。今年も街の至る所で桜を楽しませてもらいましたが、置かれた場所に凛と立ち、置かれた場所で咲き続けてきた桜に勇気や感動をいただきました。
(5月3日 撮影)
次に見るのは一年後。「また一年、健康で元気に過ごさなければならないな」毎年のことですが、不思議とそんな気持ちにさせられます。桜の力はすごいなと思います。
桜の花言葉を調べますと「精神美」と記載されています。桜の花が咲くその姿が日本人の心の美しさや品格を表しており、それだけではなく花びらが散る美しさも日本人の精神に現れていると説明がありました。確かにそのとおりであり、しかし、実に奥が深い言葉です。
自らの生き方や考え方について、桜から学ぶことは多々あるのかもしれません。
5月11日(日)第64回春季北海道高等学校野球大会空知支部予選において、本校は砂川高校と連合チームを組み、栗山高校と対戦いたしました。雨には当たりませんでしたが、常時冷たい風が吹く寒い一日でした。私は、三塁側のスタンドで砂川高校の髙橋校長先生と観戦しました。
試合結果については、本校と砂川高校の連合チームの勝利に終わり、本校の校歌が球場に流れました。試合が行われると言うまでもなく勝者と敗者に分かれ、このことを承知の上で選手は戦うわけです。
勝利の校歌が流れる球場の写真を撮り、改めてその写真から一塁側に整列した栗山高校の選手たちを見ていると、「どんな気持ちで相手チームの校歌を聞いているのだろう」と思ってしまいました。悔しい、勝ちたかった、あの場面で打てたら、あそこでエラーしなかったら・・・
高校時代にある競技に打ち込んでいた私は、顧問の先生から「相手がいて初めて試合ができることに感謝しなさい」と何度も言われました。正直、そのときにその言葉を確実に理解していたとは言えません。勝つか負けるかしか考えていませんでした。やがて自らが教員になり顧問になったときに、当時の顧問の先生が仰ったように「相手がいて初めて試合ができることに感謝しなさい」と生徒たちに話しました。
相手がいなければ試合ができない。当たり前のことですが、この言葉の意味を今一度しっかり考える必要があります。
「勝者を祝い敗者を敬う」
私も理解できなかったことを、高校生の生徒に求めることは難しいですが、相手を敗者を敬うことができる本校の生徒であって欲しい、と改めて思った次第です。
球場からそれぞれの選手が外に出てきて、本校の主将が応援に駆けつけた方々にお礼の言葉を述べた後に、栗山高校の投手がササっと本校の選手のところにやってきて「ありがとうございました」とお礼の言葉を述べる場面に遭遇しました。彼の両目は涙に濡れ、まぶたが腫れていました。
勝つ者と負ける者のそれぞれの想いをしっかり受け止めなければならない - そう思わされた瞬間でもありました。
5月3日(土)雨上がりの朝、ランニングでアルテピアッツァ美唄に向かいました。二人の子供が幼稚園に通園していたときに一度だけ寄ったことがあり、かれこれ二十ぶりの訪問となりました。美唄の名所ですから、早めに行かなけれならないと思っていました。ようやく実現しました。早い時間だったせいか、観光客の姿がなく、私ひとり貸切の贅沢な時間を過ごさせていただきました。
本校では、「産業社会と人間」「総合的な探究の時間」を中心に、地域の良さを知り、地元の魅力を考え、美唄の課題解決に向けた地域探究の取組を系統的に進め、社会の中で自己実現する力を育むための教育を展開しています。
遠くに行くと魅力的な場所がたくさんある - そう思ってついつい遠出をしてしまいがちですが、自分たちが住んでいる街に目を向けると、改めて街の良さや魅力に触れることができると思います。
アルテピアッツァ美唄は美唄の魅力を語る上で欠かすことのできない素敵な場所です。本校から約6キロメートル離れたところに、このような施設があることを嬉しく思います。
夕食後にランニングを楽しんでいますが、3・4・5あかしあ通から西4条通を奈井江側に向かって走って行くと、平屋建て長屋の団地が左手に見えてきます。私が幼き頃に住んでいた団地とそっくりで、横切るたびに五十年前の光景が脳裏に浮かび、涙で視界がにじんでしまいます。歳をとると涙もろくなる、というのは本当のことです。
当時、団地の一角に両親と弟二人の五人家族で住んでいて、さらに同じ団地群で目と鼻の先に祖父母も住んでいたため、いつも祖父母の家で遊んでいたことが記憶のほとんどを占めています。(現在はとっくにその団地群は姿を変えておりますが、なんとなくこの辺りだったかな、という面影だけは残っています)
子供ながらにも貧しさを感じる毎日ではありましたが、広場にはいつも子供たちが集合していて、陽が暮れるまでかけっこや鬼ごっこ、ビー玉とけん玉遊び、鉄棒やキャッチボールに歓声を上げ、傍らではご飯支度前の大人たちが井戸端会議をしている - 今で言う昭和そのものの、しかしながらあたたかさとやさしさに溢れたゆったりとした時間が流れていたように記憶しています。
おそらく4月の後半からこどもの日にかけてのことだと思いますが、私の家の前の空き地に祖父と父親が大きなこいのぼりを立ててくれ、支柱のてっぺんにはめ込まれた王様の冠のような金色の風車が元気に回転していたことを鮮明に記憶しています。いつもは広場に集まる子供たちが自分の鯉のぼりの周りに集まってくるのが誇らしくて嬉しかった記憶も残っています。
すっかり私の話になってしまいましたが、本校の生徒が作ったこいのぼりを先日来校長室に飾っていますが、この作品を見ているうちに先に書いた話を想い出したわけです。
簡単にできそうな作品に見えますが、木工旋盤でこいのぼりの胴体を削り、ボール盤で支柱を立てるための穴を開け、糸鋸で風車をくり抜き、サンドペーパーで表面加工を施しているはずです。本校の工業系列で学ぶ生徒たちは、普通に大型機械を操作し、活用していくスキルを身に付けています。
それぞれの系列に特徴があり、わくわくするようなおもしろい学びができますよ。
(明日、明後日は出張のため、校長の小部屋の更新は控えさせていただきます)
「上を向いて歩きましょう」「前を向きましょう」と励ましの言葉をかけることが多いものです。私も五十数年の人生の中で、何度もこの言葉を相手にかけて、相手からこの言葉をかけられてきました。そうやってここまで生きてきたような気もします。
でも、今日は「是非、下を向いて歩いてください」と言わせていただきます。ボランティア局が植えたマリーゴールドが正門前の花壇に咲いています。
5月1日の朝、玄関に立っていると、1年次生の女子生徒2名がじょうろを持って入ってきました。「正門の花壇の花に水をあげたの」と聞くと「そうです」と二人声を揃え笑顔で答えてくれました。花に水をあげる - その気遣いが私は素直に嬉しかったです。
私の子供たちが花に水をあげる姿・・・残念ながら見たことはありません。かく言う私も高校時代にお花に水をあげたことはありません。それがいいか悪いかは別として、興味のない人には気づきもしないし、花そのものも目に入ってこないということなのかもしれません。
生徒たちに手入れされ、いつまでも綺麗に咲いてください。
追記 ホームページ閲覧数が100,801となりました。昨日朝から本日朝までに1,153件増加しています。閲覧ありがとうございます。
今年度、PTA総会に係る配付資料を紙媒体からデジタル化しました。保護者等の皆様には御不便をおかけしたかもしれませんが、教職員の働き方改革の推進と経費削減に向けた本校の取組のひとつとして御理解ください。
議案書につきましては、電子データ(PDF)として事前に配信させていただき、御家庭において端末で確認していただくようにしました。また、当日の総会におきましては、QRコードの読み込みによって議案書のダウンロード並びにスクリーン投影により見ていただくスタイルをとらせていただきました。
(写真をモザイク風に加工しています)
デジタル化によって全ての業務が効率化されていくとは考えてはいませんが、今回の総会資料に限って見ていくと、印刷する時間、綴じ込む時間、仕分けする時間、配布する時間、インク代、紙代、ホチキス針代・・・細かく分析していくと、そこにかかる労力と経費はかなりのものになります。楽をしようというのではなく、その労力と経費を生徒のために還元していくと捉えてください。
時代は急速に変化しています。私が子供だった頃、大学時代、四十代前半までは、緩やかな坂道を上るくらいの変化だったものが、ここ数年は二次関数的な変化になっています。あんなことができればいいのにと思っていたことが、2年先ではなく3ヶ月、1ヶ月先には出来上がっているというような状況になっています。藤子不二雄さんのマンガの世界がまさに実現されてしまっています。
ゆっくり、のんびりだった頃の方が良かったな、と懐かしむのは私だけではないと思いますが、変化は私たちの思いを待ってはくれません。先に先にとどまることなく進行していきます。そこに生きる私たちが変化に対応していかなければ、取り残されてしまう時代です。また、生徒たちはその変化の真っ只中で生きており、私たちが懐かしむ過去を知らないわけですから、社会の変化に応じた教育が求められるのは必然であるわけです。
昔ながらの良さを継承しつつ、時代に即した教職員の働き方、効率的な業務で生徒との関わりの時間を確保するため、小さなことからひとつずつ取り組んでいきますので、保護者等の皆様の御理解と御協力をお願いいたします。
ひょっこり華道部の生徒が訪れました。生けたばかりの花を私のところに届けてくれました。せっかくですので、生徒の了承を得て顧問の先生に写真を撮ってもらいました。
私の自宅は札幌にありますが、個人的な趣味により花のガーデニングを12年間楽しんでおり、毎年4月から10月までの休日はほぼ庭で過ごしています。
こうした趣味を持つ前は、山に咲く花や観光スポットとなっている花畑に出掛けて写真を撮影していました。ところが、家族にある大変な出来事が生じたことをきっかけに、いつも身近なところにお花が咲き、それを見たり摘んだりすることによって、勇気づけたり気持ちを楽にしてあげたい - その一心でいろいろ考えながらバラや花を植え庭造りを始めました。今では、すっかりナチュラルガーデン化し、手入れが大変な状態になっていますが、近所の方が写真を撮ったり、友人やかつて一緒に働いた同僚が見に来てくれるようになりました。
興味のない人にとっては花など目にも留まらないのでしょうが、ちょっと急ぐ足を止めて、花をゆっくり見て欲しい、と思います。可愛い、綺麗、鮮やかな色、香り・・・何かしら感じるものがあるはずです。花は瞬間的に人の心を捉え、そして固まった心をやわらかくしてくれます。
男子生徒に問いかけると「祖母が花好きで庭にも花が咲いていて、そういうところで育って、毎日見てきたので花が大好きです」と笑顔で話してくれました。これからの長い人生において、この気持ちを持ち続けて欲しいな、と思いました。忙しくゆとりがなくなるとそこに咲いている花を見ることも、見ようともしなくなるわけですから。
校内に何カ所か華道部の生徒が生けた花が置かれています。
『置かれた場所でしっかり咲いています』
お花のある校舎とっても素敵ですよ。生徒の皆さんも教職員の皆様も是非ゆっくり見てください。
何を想い生けたのだろう・・・窓際に置かせていただいた花を観賞しながら、この話を書いているところです。
4階にある視聴覚教室から軽音楽部の演奏が毎日聞こえてきます。着任した4月1日の日も元気な歌い声と楽器の音が聞こえていました。(軽音楽部がある高校はめずらしいのではないでしょうか)
その1日の退勤時に、活動を終えた男子生徒3名が校門付近の駐輪場でギターケースを背負い、自転車に跨がって楽しそうに話をしていました。「君たちはどんな音楽を演奏するの」と私が声をかけると、「いろいろなコピーです」と答え、私の聞き慣れないグループの名前をいくつか教えてくれました。
実はこの3人、私が美唄尚栄高等学校にきて最初に会話を生徒です。10分くらいの立ち話でしたが、3人とも嫌な顔をせず私との会話に付き合ってくれました。3名とも高校に入学して初めて楽器に触れたとのことでした。練習を積み重ねて、高文連の大会に出場したり、各種イベントでの演奏をしていると話をしてくれました。「僕たちが引退したら部を引き継ぐ後輩がいないのでヤバいです。1年生を確保しないと」これが3人の喫緊の悩み。(どうやら何名か入部してくれたようです)
さて、この写真は、25日(金)の大会に向けて、前日の17時30分に繰り返し演奏している姿です。4人の音が重なってアンプから演奏が流れてきます。しばらくの間、演奏を聴かせていただきました。ありがとうございます。
ひとつのことに時間を忘れて打ち込む高校生の姿は感動的です。
校長室の窓の向こうに大きなグラウンドが広がっています。眼前に陸上300メートルトラック、その向こう側に野球グラウンド。美唄尚栄高等学校は施設設備に恵まれた環境にありますが、グラウンドもまさにそのひとつです。
放課後になるとグラウンドで活動する生徒の姿を見ることができ、私もたまに外に出てその縁を邪魔にならないように歩いています。陸上競技部の生徒がトラックを走り、投擲の練習に打ち込み、球場では野球部員の声とともにキャッチボールやバッティングの音が鳴り響きます。
この日は、練習前に顧問が部員を並べて写真撮影をしていました。たまたまその場に居合わせてしまった訳ですが、楽しそうな雰囲気だったので、顧問も部員の横に並べて写真を撮りました。生徒たちのエネルギッシュでぎらぎらとした表情が印象的で、若いというのはただそれだけでいいものなんだな、と思いました。
先輩、後輩、仲間とともに熱い高校時代を過ごしてください。
(写真を加工しています)
22日(火)のお昼休み 校長室の扉がノックされ、3年次生の女子生徒が入室してきました。その後ろには付き添いで一緒に来た家庭クラブの先生の姿もありました。
私が入り口まで駆け寄ると、女子生徒が「家庭クラブで作ったので是非お使いください」と、はにかみながらポケットティッシュカバーを手渡してくれました。ラッピングの表面に水色のお手紙が添えられていて、心のこもった文字で歓迎の言葉が記されていました。嬉しかったです。ありがとうございます。
校長室の扉をノックする - 校長室に入室するなどという経験はおそらく初めてのはずで、緊張や照れくささで一杯一杯になったのではないかな、と思います。それでも行動に移した勇気にエールを送ります。
私自身の話になりますが、中学時代に父親と校長室に入室し、校長先生からこっぴどく説教されたことがあります。それが小中高をとおして人生で最初で最後の校長室入室です。生徒にとっての校長室は縁遠い場所なのかもしれません。今後は、私の努力になりますが、身近にある校長室にしていきたいと考えています。
着任してから数名の生徒が校長室に入室してきましたが、どの生徒も礼儀作法がしっかりしており、自校の生徒ながら感心しています。日頃から「社会に通用する18歳」を掲げ、生徒のために指導してくれている教職員のおかげであり、その成果が着実に現れていると感じています。
生徒のハンドメイドの作品が飾られている校長室前です。
扉のガラス窓にはクリスマスツリーをモチーフにしたキルト生地作品、壁にはフラワーボックスが取り付けられていて、2つの作品が私の出勤を迎えてくれます。
「4月に入って季節外れですので窓ガラスの作品を外しましょうか」と担当の先生が私に言いましたが、「いえ、そのままでいいですよ」と返答しました。生徒が何かを考え、何かを想いながら作り上げた作品を飾っていたい、と思ったからです。
時間があるときは授業の様子を見て回っています。ある日、たまたまフラワーボックスを作っている授業の教室に入りました。生花ではなく造花で作業をしていましたが、生徒たちは花を詰めては外し、別な花を差し込んだり、を繰り返しながら集中して作品づくりに取り組んでいました。おそらくは、写真のようなフラワーボックスを目指して。
自ら考えて、工夫し、改善を重ねながらひとつの作品を仕上げていく。そこで得た知識や技術・技能を経験値として、更なる課題の解決に向けて考察していく・・・こうした学びが美唄尚栄高等学校では毎日行われています。
生徒玄関 - ここから一日が始まるところ
「おはようございます」
朝一番、生徒たちの挨拶が爽やかです。教職員の姿があると、生徒から挨拶してくれるのが美唄尚栄高等学校です。当たり前で簡単なことのように思えますが、実はそうではありません。残念なことではありますが、教職員から挨拶をしなければ生徒が挨拶をしてくれない、そうしたことがあるのも現実です。
挨拶が自然に交わされる学校は、教職員と生徒の信頼関係が成立している証である、と私は思います。本校の長い歴史の中で培われてきたものをこれからも大切にしていかなければなりません。
生徒玄関では週替わりで教職員が生徒を迎えますが、挨拶だけではなく、昨日の出来事やアルバイトのこと、今日の部活動のことや提出物のことなど、さまざまな会話がなされています。そうした会話が聞けることを喜ばしく思います。
すれ違うわずかな時間ではありますが、毎日気持ちのよい朝を迎えることができています。
4月1日(火)に着任し、朝の打ち合わせで2階職員室に入った瞬間、窓の向こう側にこの景色が広がっていました。あまりの素晴らしさと懐かしさに一瞬言葉を失いました。
私は空知生まれの空知育ち、バリバリの空知っ子で、高校を卒業して空知を離れましたが、毎日ピンネシリ山系に支えられ、石狩川の流れに守られ走り回って成長してきました。当たり前だったこの景色を長く忘れていましたが、唐突に子供の頃のことや家族で肩を寄せ合って生きてきたこと、中学や高校時代の数々の想い出がフラッシュバックしてきました。空知に帰ってきたんだな、ということを真っ先に感じた次第です。
本校の生徒の様子を毎朝の玄関で、毎日のSHRで、授業中の巡回で見させていただいております。「おはようございます」と全ての生徒が真っ先に挨拶してくれます。朝のSHRは6クラスすべてが落ち着いており、担任の先生を含め穏やかな朝を迎えています。授業中も前向きに学習している姿が当たり前に見られます。温和で穏やかに成長している生徒を見ると、空知っ子だな、と感じます。学校全体が素晴らしい環境下にあることを誇らしく思います。
(写真は令和7年4月18日(金)に撮影したものです)
4月に着任した 校長 日下 剛(くさか ごう)と申します。
本日、教頭先生にお願いして、『校長の小部屋』を開設していただきました。生徒のこと、学校のことを発信していきますので、どうぞ御覧ください。
先日、校長室に2年生の女子生徒が尋ねてきました。
きちんとノックをしたあとに「失礼します」と言って、礼儀正しく入室してきました。
「どうしましたか」と私が声をかけると「ポケットティッシュを入れるカバーを作りましたので、お使いください」と女子生徒がそっとラッピングしたカバーを私に渡してくれました。
ラッピングの表面には、一字一字時間をかけて丁寧に書いたであろう小さなお手紙が添えられていました。
お手紙の内容に 学校の大黒柱 と書かれていたのを読んだとき、改めて身の引き締まる想いと同時にうれし涙が出ました。素晴らしい生徒たちが在籍する学校で仕事ができることに感謝しかありません。
大切に使わせていただきます。
ありがとうございました。
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