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校長の小部屋

クッキーを作っています

 「ホームページに写真を載せても大丈夫?」生徒に声がけする際の決まり文句になってきました。この日もお断りした上で撮影させていただきましたが、調理室内には甘くていい匂いが漂っていました。これはお菓子を作っているな、甘いものに目がない私はわくわく幸せいっぱいの気持ちになりました。

 科目を選択して授業を受けるというのが本校の特色のひとつになりますが、今日の話はデザイン系列の科目『フードデザイン』の一コマです。バターを使用しないクッキー作りが本日のテーマでした。ホットケーキの素材から伸ばした生地に型を当てひとつひとつくり抜き、この後オーブンで焼くのだと思いますが、とにかくみんな幸せそうな表情で楽しみながら作っているのがいいな、と。

 毎週生きていくために必要な食を考え、自らの手で安全な食を作り、それをみんなで楽しく食す。食は奥が深いですね。こうした授業は系列に特化するのではなく、すべての生徒が受講できたらいいのにな、と思ったりしています。

 さて、大学時代にアルバイトをしていた青果店の裏小路に、手作りのケーキやパスタなどがメニューに並ぶ自家焙煎珈琲が楽しめる小さなカフェがありました。会話を壊さない程度にさりげなく洋楽が流れ、静かに時間を過ごせる雰囲気の良いお店でした(残念ながら今はありません)。

 マスターに恋愛ごとを聞いて欲しくて、カウンタ席で珈琲をよくいただいていました。当時お付き合いをしていた女性とも行ったこともありました。その影響もあってか、いつか大好きなJAZZレコードを流し珈琲を提供するお店を持ちたいな、そんなことを大学時代から考え続けています(現在進行形でレコード蒐集しています)。美唄尚栄高校で食について学べたら、実現に向けて大きく前進するだろうなぁ・・・なんて思いながら今日の授業を見学していました。

 私自身経験したことのない学びが本校にはあふれていて、見るものすべてが新鮮で驚きです。五十代の私がそうした気持ちになるわけですから、感性豊かな十代なら相当なインパクトがあるのではないでしょうか。

 本校で学ぶ生徒たちが、これから先の人生において「そういえば、あのとき尚栄で○○を習ったから、もしかしたらこういうことができるかもしれないな」という発想のもと、地元でお店を出店したり起業してくれる日がきたら素敵だなと思います。

 自分の好きなこと、興味を持ったことについて、それを実現するための科目を選択できる。総合学科 美唄尚栄高校 だからこその学びがここにあります。

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トレーニングマシン

 放課後、廊下を歩いていたらトレーニング室からシューッシューッ、とリズミカルな音が聞こえてきました。トレーニングマシンのペダルを一生懸命に踏み込む生徒の姿がありました。間違っていなければですが、陸上競技の経験はないけれど、この春に陸上競技部に入部した1年生です。校長室の窓からグランドのトラックを走っている姿をよく目にしますが、「しっかり続けていたら結果はついてくるぞ」と応援する気持ちで見させてもらっている生徒のひとりです。

 私も一応、アスリートの端くれとしての市民ランナーですから、走る人を見るとそれが短距離、長距離のどちらであっても気持ちの奥の方がそわそわします。マラソンは自分との戦いです。私はトップランナーではありませんから、誰かに勝つ、という意識はありません。2万人規模の大会に出場しても順位には興味はなく、42.195キロを3時間29分59秒以内に走りきる、これとの勝負です。10キロなら39分59秒、ハーフなら1時間29分59秒以内です。

 肉体的、体力的な衰えは当然ありますが、これらの目標を乗り越えることができるかどうか、最後は”気力”にかかっています。ツライ、足が、太ももが、苦しい、歩きたい・・・それを打ち消すだけの気力を最後に奮い立たせることができるかできないか、ただそれだけです。わかっていても、最後のスパートがかけられず、わずか数分だけオーバーしてのフルマラソンのゴール。ゴール、完走に喜びはなく、目標を達成できない自分にただただ悔しさと情けなさが残るレースがここ数年続いています。

 何かを変えなければ結果は出ない - そのためには、勤務時間終了後、週休日にロードワークだけではなく、生徒と一緒にマシンを使った地道なトレーニングが必要かも、そんなことを真剣に考えてしまいました。

 マシンのモニターには、設定タイムや消費カロリー等の数値が表示されており、聞くと「1時間のトレーニング時間に設定しているのであと30分やります」と答えてくれました。とにかくペダルを踏む、そのことだけを考えて汗をかく - こうした地道なトレーニングが功を結ぶ、そう思いながら写真を撮らせていただきました。

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いつから夏が

 私は初夏6月が一番好きです。日中は程よい暑さで爽やかな風、夜はひんやり半袖では心持たない、そんな空気感が大好きです。香りよいライラックが終わり、ここからが本格的に花が主役になる季節を迎えます。とは言っても、いつからか初夏がいきなり真夏になることが当たり前になってしまった、そう感じるのは私だけでしょうか。

 もしかしたら間違っているのかもしれませんが、私の記憶では五十年、四十年、三十年くらい前までは、25℃を超える日は7月中旬から8月上旬にかけての2週間程度、30℃を超える日は一夏に1日あるか2日あるか、そのような夏だったように記憶しています。

 小学校の夏休みは、近くにあった中学校の屋外プールが開放されて、毎日のように自転車でそこに向かいました。そもそも遊び場所が学校のグランドかプールしかなかったわけですが、とにかくそこに行けばすべての友達に会うことができました。草むらではぎーっ、とキリギリス、木々の上端ではみーんみーん、と蝉、うるさいくらいの大合唱の中で、泳いだり走ったりしていました。それだけで楽しかった。

 でも、それはお盆までのこと。お盆を過ぎると決まったように秋風が辺りを包み込み、夏の終わりを告げるのです。「ああもう夏が終わっちゃうんだ」寂しさいっぱい私は私なりに夏にさよならしていました。

 さて、今週前半は25℃を超えました。もう、私の記憶にある初夏6月はどこかに行ってしまいました。6月の熱中症対策、いや、早ければ5月の数日も熱中症対策を意識しなければならない状況になっています。何十億という時間の中で地球の環境が完成されてきたというのに、数十年、数年単位で気象状況が変化しているのだとすれば、どうしたものだろうか、と考えさせられます。

 本校におきましても生徒及び教職員に熱中症対策について注意喚起しております。簡易クーラーは5月末に設置しました。水分補給はもちろんではありますが、朝食をしっかり食べて登校すること、睡眠時間をしっかり確保することも熱中症の予防策となります。これから9月まで暑い日が続くことが予想されます。十分に気をつけて過ごして欲しいと思います。

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丁寧に書く

 どうしてこの苗字でこの名なんだろう・・・

 小学生の頃、苗字と名でしょっちゅう揶揄われたので、自分の苗字と名にコンプレックスを持っていました。せめて名だけでも弟と交換して欲しい。そんなことを思いながら毎日を過ごしていました。

 私にとって最悪なことは全校集会における表彰でフルネームが呼ばれる日。入学式、卒業式も。学期の終わりに担任から名前を呼ばれて通知票をもらう日も。その日が近づいてくると妙に落ち着かなくなり、当日はただただ体育館や教室から逃げ出したかった。

 どうしたら名前を変えることができるのだろうか、と図書室で本を真剣に探し回ったこともありました。(見つかりませんでしたが)担任の先生や祖母に聞いたこともあります。それくらい私にとっては深刻な問題でした。

 人生も半ばを過ぎ、普通私くらいの年齢になると、もう小学校のときの記憶はほとんどなくなり、いくつかの断片的なものしか残らなくなりますが、名前のことにまつわる数々の出来事を鮮明に覚えているのは、やはり相当なインパクトのある問題だった、ということなのだろうと思います。

 中学校に上がって、妙にざらついた感情に振り回され、荒くれた行動により周囲にずいぶん迷惑をかけたのは、消すことのできない恥ずかしい事実ではありますが、そうなってしまった自分の一端には名前へのコンプレックスから逃避したい、そんな思いがあったのは間違いありません。

 何がきっかけでそうしたのかは定かではありませんが、確か中学生のときに『剛』の意を辞書で調べたことがあり、そこから名を授けてくれた亡き祖父の思いのようなものを感じ、ハッとしました。そういう意味だったのか - たぶんその辺りからコンプレックスがなくなったように記憶しています。

 今日の話は私の笑い話であり、この日の授業内容とは全くつながりませんが、小学生、中学生のときは名前を書くのが嫌で、殴り書きしていました。心の小さな少年だったんですね。教室の後ろから入り、丁寧に筆を走らせる先生や生徒を見ていて、私自身人に褒められる文字は書けないけれど、いつの日かそれはわからないけれど、自分の名前だけは粗末にせず「丁寧に書く」ことができているな、そう思ったのです。

 心落ち着けて文字を一字一字丁寧に書く、そのような時間をどこかに持たなければ・・・ぼんやり考えています。

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下宿とアスパラ

 5年間の大学生活を下宿で過ごしました。20名近くが生活するかなり大所帯の下宿は、水元町界隈ではほとんどなく珍しかったと思います。そこでの顛末は書けることと書けないことがありますが、いつか紹介できたらと思っています。

 ぽつぽつと学生向けのワンルームマンションが建ち始めていた頃でした。誰にも邪魔されない自分だけの空間を持ちたい - 集団と個人に対する若者の価値観に変化の兆しが見え始めた最初のあたりだったかもしれません。

 私のような下宿生活は、やはり先輩後輩の関係がありますし、トイレとお風呂は共同で、決まった時間に揃って御飯を食べ、1台しかなかった公衆電話が鳴ると1年生が呼び鈴3回以内に走って受話器をとる、などといった所謂昭和感を漂わす掟のようなものもたくさんありました。それはそれで良き想い出として記憶していますが、今はそうではありません。私の子どもたちも、ワンルームマンションに入居し、4年間の大学生活を送りました。いや、もしかすると下宿を探す方が難しくなっているのかもしれません。

 さて、私は大学生活に係るすべての経費を自ら賄うことを約束に室蘭工業大学に入学しましたので、ある青果店でアルバイトをして13万円の収入を得ていました。平日朝夕食付き6畳一間で5万円、残る8万円を学費や生活費に当てる5年間でした。確か授業料が前期で18万円くらいでしたので、13万円もあるとややリッチな生活ができていました。

 毎週土曜日は大家さんの計らいで大鍋いっぱいのカレーライスが提供されましたが、日曜日と祝日は各自でとなっていましたので、私はアルバイト先で野菜を購入し、ちょっとした料理を作って食べていました。6月はアスパラの時期でしたから、伊達や洞爺産のアスパラを茹でたり炒めたりしてドンブリ一杯、腹一杯食べました。人生で一番アスパラを食べたと思います。そのときのアスパラの美味しさが35年を過ぎた今も忘れられない思い出になっています。

 アスパラの話になったのは、先週、ある先生が朝の通勤途中に直売所でアスパラを購入したようで、お裾分けしてくれたからです。「校長先生、校長の小部屋のネタになるかもしれませんよ」そのアスパラが大学時代のことを思い出させてくれて、これを書いています。

 大事な本校の宣伝をさせていただきます。アスパラを餌にした羊、アスパラ羊のお肉を加工した製品を今後本校のフード系列において生産する予定になっています。お楽しみに!

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教室の中の生徒たち

 朝の打ち合わせが終わると、まっすぐ生徒玄関ホールに向かい、登校してくる生徒を迎えます。たくさんの「おはようございます」を交わして一日がスタートします。登校時間の終わりを告げるチャイムを聞き終えたら、4階の1年次生2クラス、3階の2年次生2クラス、最後に2階の3年次生2クラスの順で6つの教室を回り、朝学習の様子とSHRを見て校長室に戻ります。これが私の朝のルーティンです。

 私の姿に気付いた2年生の男子生徒が「今日、危険物の試験があるんですよ」と、小さな声で私に教えてくれました。「大丈夫かい?」と聞くと「何も勉強していません。これからやれば間に合います」と眼鏡の奥の目をぐりぐりさせながら答えてくれました。こうしたやりとりができるのはとても嬉しいです。5回の担任を経験しましたが、そのときに生徒たちと交わした会話の一つひとつを思い出させてくれる瞬間でもあります。

 時間があるときはできるだけ校内を歩き、授業中の生徒の様子を見ています。教室の入り口扉が開放されたままになっているので、後ろ側からこっそり教室に入り、タブレット端末の画面やノートを見させてもらっています。4月当初からこのようなことをしているので、私が教室に入ることに生徒は抵抗感はないように思われます。ただ、入ってきた私を見つけた生徒が「こんにちは」と挨拶をしてくれるので、教科担任の先生には申し訳ないな、と思ったりもしているところです。

 「何、これどうするの?」「どうやって読むの?」「えっ、これであってるの?」私が入ったときに聞こえた生徒たちの声です。代わる代わる顕微鏡を覗き、理解している生徒が?の生徒に教えている姿もあり微笑ましかったです。何かおもしろいものでも見えるのかな、と思って私もレンズを覗かせてもらいましたが、目盛しか見えません。「何が見えるの」と聞きましたら、「1mmの100等分を見ています」と教えてくれました。なるほど、目盛の読み方を確認する授業でした。私の見た1目盛は10μm(マイクロメートル)となるわけです。目盛の読み方が理解できたその先に、微細な試料を観察する展開になるのでしょうか。

 自由選択科目「生物」の授業(写真を加工しています)

 本日午後から出張となります。更新は来週となります。

 今後ともよろしくお願いいたします。

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 6年前の話になりますが、私が苫小牧の学校に異動、長男が青森の弘前で大学生活をスタートするということで、どんぴしゃり引越が重なってしまいました。2年後に小樽の学校への異動が決まり、自宅に戻ることになりましたが、入れ替わりで次男が岡山大学で学生生活を送るため、家を出て行きました。さらに2年後、私は北見へ異動となりますが、札幌で働くことが決まった長男が一時的に自宅に戻ってくることになり、今年、私は北見から美唄へ異動、次男が岡山を引き上げ自宅に戻ってきました。自宅は出たり入ったりを繰り返す慌ただしい状況になっています。

 家を建てたとき、まさかこのようなことになるとは思いもしませんでした。順番に子どもたちが家を出て行き、妻とふたり穏やかに暮らす、そんなぼんやりとしたイメージを持っていたので、何が起こっているのか訳がわからない感じです。久しぶりに家族が近いところに揃ったんだな、と思った矢先、長男が6月1日付けで東京に転勤となり、先日北海道を離れました。

 別に教えたわけではないけれど、子どもはいつの間にか親の手を離れ、自分で見つけた道を歩いて生きている - この日の夕刻、そんなことを考えながら走っていました。

 「高校までは面倒を見るけど、その後は家を出て自分の力で生きていきなさい」いま考えると昭和チックで乱暴な言い方になるかもしれませんが、これが両親の教育方針でした。兄弟で私だけ大学に進学しましたが、仕送りは一銭ももらっていません。自分の力で生きていく・・・そういうことなんだろう、と思って家を出た訳です。

 この日はきれいな夕陽に空が染まっていました。生徒たち、先生方もこの色を見ているかな、なんて思いながらシャッタボタンを押しました。

5月28日(水)18時45分 ちゅうおうばし付近にて撮影

 それからまもなく淡い朱色の陰影を西側の空に残しながら太陽は山の向こう側に静かに姿を隠しました。

 美唄の美しい夕暮れの中で、今日一日に感謝しながら私は再び走り出しました。

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中学校の体育祭

 5月30日(金)青空が広がり暖かな一日。

 美唄市立美唄中学校で開催された体育祭を参観させていただきました。到着したときには、午前最初のプログラムである100m走が行われており、グループに分かれた生徒たちが、ゴールを目指して全速力で走っている姿と、グランド中央部で声援を送る生徒たちを見ることができました。

 進行は全て生徒が行っており、放送から流れるアナウンスによって、全校生徒がスムーズに行動し、審判やカメラ撮影など各自の役割をしっかり担っている様子も伺うことができました。手作り感あふれる素晴らしい体育祭でした。

 トラック脇の芝生には、応援に駆けつけた保護者等の姿があり、子どもの活躍する姿をおさめようとカメラを構える姿や声援と拍手が飛び交い、ほのぼのとした体育祭の風景が広がっていました。

 金曜日ですから保護者等の皆様もお仕事があり、応援したくてもできなかった方も多いと思います。振り返れば、私も仕事があって子どもたちの体育祭を応援することはできませんでした。子どもの成長を感じられる貴重な機会を逃してしまったな、と思います。

 ゴールを目指して全速力で走る - その姿は仲間に勇気を与えます。

 仲間に声援を送る - あなたの気持ちは走る人の心に届きます。

 体育祭(行事)は生徒を成長させる時間になっていると思います。

 本校の体育祭は12月に予定されています。

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自分の未来を拓け!

 10年前。

 第一志望の高校に合格できず自室で涙を流す長男に、私は言葉ではなく手紙で思いを伝えました。そうすることが長男にとっても、自分にとっても一番いいだろう、と思ったからです。わずか15歳の小さな人生で、初めてひとつのことに向けて取り組み、初めて人生をかけて挑んだ試験 - 全力を傾けた末の残酷な結果を受け止めきれない長男に、私は何と声をかけていいのかわからなかったのです。

 高校生活は人生の通過点でありゴールではないんだよ。今後の人生において、多くの壁が立ちはだかりいくつもの選択に翻弄されるけど、そのときに選択した環境の中で強い志を持って最大限の努力を積み重ねる生き方をしなさい。第一志望でなかったかもしれないけれど、一つだけが人生ではないよ。これから通う学校で次の未来に向かって精一杯生きていけば、必ず次の道が拓けるよ - それは、そもそも高校に行くつもりのなかった私自身が積み重ねてきた人生を記したメッセージでもありました。

 中学生にとって、次のステップとなる高校選びは大変なことと思います。また、保護者等の皆様も不安な日々をお過ごしのことと思います。私を含め、保護者等の皆様が中学生だった時代は、どことなく型にハマった考え方とレールに乗った生き方が求められていたように思います。

 しかし、今は、多様化する社会で多様な生き方ができる時代です。新しいレールが次から次に敷かれ、いや、次から次に自分でレールを敷いていくことができます。どのレールの先も答えはなく、不確実でゴールのない世界が広がっています。

 私は発想の転換が容易で多様な考え方と常に挑戦し続ける人こそが、これからますます多様化、複雑化していく社会を生き抜いていける、と考えます。

 「普通科高校」「農業高校」「工業高校」「商業高校」「総合学科高校」「水産高校」「単位制高校」・・・つまり、高校選びはたくさんの選択肢があるということです。どれを選択したとしても、選択した環境の中で強い志を持ち、最大限の努力を積み重ねることが大切だと思っています。名や体ではなく中身です。

 本校は多様なタイプの高等学校として、道内でも数少ない総合学科を設置する特徴的で面白い学校です。「文理・教養(普通)」「フード(農業)」「メカトロ・エンジニア(工業)」「情報通信マネジメント(商業)」「デザイン(家庭)」の5系列を有する総合学科で空知管内には本校しかありません。ひとつの学校にこれだけの魅力が詰まっています。

 高校入学後、誰もに訪れる次のステップ(自分の将来(進学・就職))を視野に入れて、自己の進路への自覚を深めながら、幅広い選択科目の中から自分で科目を選択して学びを深めることができます。本校の学びで自分の未来をしっかり見つめ、充実した高校生活の中から、その先の道をどんどん切り拓いて欲しいと思います。

 今年度のポスターが完成しました!

 在校生も受検を考えている中学生も

 『志高く未来を拓きましょう!!』

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『毎日を大切に生きてゆこう』

 健康であれば考えないことなのかもしれません。若いうちはなおさら考えることがないと思います。でも、とても意味深い、そのとおりの、説得力のある言葉だと思いませんか。

 校舎内を歩いているときに偶然にこの言葉と出会いました。『毎日を大切に生きてゆこう』

 筆を熱心に走らせる生徒はいったい何を思って文字をしたためているのだろうか - そんなことを考えながら写真を撮りました。

 私は十九歳の時に病気により父を亡くしましたので、その日以来、父が生きた年齢を意識して生きてきました。人生何があるかわからないけれど、とにかく一日一日を無駄にしないぞ、ということをどこか頭の片隅に置いていました。

 結婚して、子供が生まれるとさらにその意識は深まっていくわけですが、後に妻が大病を患い命と真剣に向き合って生きていく姿を目の当たりにし、四十前半から私の生き方や考え方の舵が大きく切り替わりました。さらに数年後、意識していた父の年齢を超えたとき、『毎日を大切に生きている』そんな自分を確信しました。

 人生の折り返し地点を過ぎ、朝を迎えること、学校の玄関から校長室に向かえること、生徒や先生方と挨拶できること・・・そうした一つひとつの出来事に感謝している自分がいます。

 いつからそうなったのかわかりませんが、イライラしたりガミガミしたりギスギスしたり・・・心の奥の方が落ち着かない自分はすっかり姿を消しました。それはもうずいぶん昔から続いているような感じがします。

 『毎日を大切に生きてゆこう』(私の場合はさらに追加して、『毎日を楽しく生きてゆこう』です)

 この書に向き合っているところに遭遇できたこと、感謝しています。

 ありがとうございました。

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