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校長の小部屋

届けてくれました

 華道部の活動が終わった後に、男子生徒がお花を届けてくれました。4月から部員が月替わりで校長室にお花を届けてくれて、そのたびに校長室に見事な彩りを与えてくれます。何がいいか、それは生徒が生けたということ、そして花の美しさです。

(8月28日放課後 写真掲載については本人の了解を得ております)

 彼は前回4月25日(校長の小部屋には4月30日に掲載しておりますので、是非御覧ください)、私が着任してすぐに届けてくれましたので、生徒の作品がひと回りし、2ローテ目に入ったことになります。毎月毎月、届けてくれた生徒と話をして写真を撮らせていただき、こうして紹介できるのが私にとって密かな楽しみになっています。こんな贅沢をさせてもらっていいのだろか、といつも思っています。

 私は彼に言いました。「この先卒業して、大人になってもたくさんのお花に触れる人生を送って欲しいと思うよ。そういう素敵な人になって欲しいよ」と。

 自分の気持ちを穏やかにさせてくれるものを何かひとつ持って欲しい、という強い思いが私にはあります。たまたま私は花だったりJAZZだったりするわけですが、誰にも邪魔されずに、そのことだけに時間を使える - その時間が、ふと我に返ったときに、弱腰になっている自分を助けてくれていたり、決断を迫られる局面での自分を支えてくれていたりする・・・私の人生の中にはそうしたことがいくつもあります。

 自分の経験にはなかったので余計にそう思ってしまいますが、多感な高校時代に花に触れられるのっていいですね。私は、高校生の頃、花など見向きもしなかった。他に触れるべき見るべきものがたくさんあったということなのでしょうが、たくさんの美しい花を見逃してきてしまった我が人生が残念でなりません。

 多くの生徒が校長室に足を運んでくれます。廊下を歩いていても、教室に入ってもすぐに声をかけてくれます。素晴らしい生徒たちが在籍する学校に勤務できていることに感謝しています。本校のホームページに御訪問いただき、生徒たちの姿を感じとっていただけますと幸いです。

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メッセージカード

 お盆明けの話です。

 O先生がひょっこり校長室に。「校長先生、日本一危険な神社に行ってきましたので」何が危険か・・・そこに辿り着くまでの参道の過酷さが由縁になっているようです。写真を拝見しましたが、高所恐怖症、閉所恐怖症の私には無理です。

 無事に辿り着いたO先生は、御朱印の他に2枚の応援メッセージカードを私にくれました。本当に心のこもった、私ごときのためにわざわざ時間を割いて描いてくれたそのお気持ちが心底嬉しかったです。宝物にしたいと思います。ありがとうございます。

 O先生は、着任早々私の走っている姿を絵にしてくれたことがあり、その絵から芸術センスの高い方だな、と思ってそうした話をさせていただいたら、そのとおり絵心のある先生でした。素敵なセンスをお持ちで、そのデザイン性や発想に驚かされます。私は絵がまったく描けませんので、小学校の図工が嫌いでした。絵の具で濃淡をつけて・・・などと言われるとたちまち調子が悪くなるような人間です。人それぞれいろいろな才能があるんだな、と思います。

 北海道マラソンを控え、にわかに緊張が高まってきていますが、市民ランナーの私は、前を走る誰かを追い抜いて少しでもいい順位を目指す、というものではありません。誰かと勝負して勝たなければならないというレースではなく、あるのは自分との勝負だけです。抜かれようが追い越そうがそれはどうでもいいわけです。

 自分の中に掲げた目標に対して、自分の力だけで挑戦していく、ただそれだけです。格好をつけて書くわけではありませんが、マラソンは、私にとって素直に自分と向き合い、自分と戦いができる唯一のものになっています。

 その目標を達成するまで、あと2分少々というところまで辿り着いたのを最後に、何年も遠ざかったまま手の届かない状態が続いています。初めて完走できたあの時は、わき上がる感情に涙が止まらなかったのに、もう完走が目標ではなく、タイムを目指すマラソンになっています。

 簡単に言うなよ、とトップアスリートに叱られそうですが、100メートル走で10秒00と9秒99、わずかコンマ01秒を縮めるのと同じくらい、私にとって2分という時間は困難な数字になりつつあります。しかし、諦めてはいません。

 2枚の応援メッセージが、ゴール7キロメートル手前で思いっきり背中を押してくれるといいのですが・・・

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見学旅行に向けて

 本校の見学旅行は2年次生で実施しており、今年度は10月7日(火)から10日(金)の3泊4日、行き先は関西方面(大阪、京都)です。

 8月27日(水)5、6校時で生徒向けの説明会を行い、本日夕刻より保護者等に向けた説明会を実施いたします。まだ先のことと思っていましたが、一月先に迫ってきました。出発に向けて本格的な準備がスタートしています。生徒も見学旅行を楽しみにしていると思います。

 指折り数えて12回見学旅行の引率をしました。沖縄3回、九州3回、関西・関東・東海5回、道内1回となります。直近の関西方面の見学旅行は2年前で、広島県→大阪府→京都府の行程になります。原爆ドーム、厳島神社、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、金閣寺、清水寺でなかったかと思います(たくさんの引率で記憶が曖昧になってきています)。

 どの見学旅行においても同じですが、たくさんのお土産を買って、美味しいものを食べて、両手いっぱいに自分用の服やぬいぐるみを持ち、笑顔でホテルを歩き回る生徒たちの姿が浮かんできます。今回もきっとそうした生徒の姿をたくさん目にすることになるのだろうな、と思います。楽しみです。

 令和4年度、管理職として沖縄の見学旅行の引率をしました。コロナ禍での旅行でしたので、出発から帰着まで気が抜けませんでした。新型コロナウイルスに罹患した生徒が出て、沖縄まで保護者の方に来てもらうなどの対応もありました。

 私が在籍した学校は旅先を変更をしながらも見学旅行を実施しましたが、令和2,3年度は、見学旅行そのものを中止した学校も多かったはずです。

 たった一度しかない高校時代に、それも一番の楽しみとなるであろう見学旅行が中止になってしまった、涙をのんだ先輩たちがこの日本に数多くいることを私たちはいつまでも忘れてはなりません。

 4泊5日の沖縄が九州長崎に変わり、関西に変更せざるを得なくなり、そこもダメで東京を外した関東で2泊3日、よしこれで行けるぞと思ったところで、再度東北に旅先を変えざるを得なくなり、青森の下車は認められず岩手とその帰りに函館なら寄れる - 出発したのは3月中旬。とにかく中止にしない、ただそれだけを思って奔走しました。こうしたことが数年前にあったわけです。行かせてあげることができた、ただそれだけでした。当時の生徒たちは現在、自分たちの見学旅行のことをどう思っているのだろうか・・・気になります。

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正解など

 夏季休業明けの登校で全員が目にした作品。そしてそれはこれから毎日目にすることになります。みんなの目に留まる位置に、青春真っ盛りのみんなを支えてくれるであろう書を掲げました。本校の先生が書いた作品です。作品の素晴らしさは当然ではありますが、万人が思いつきもしないであろうこの芸術的な言葉の綴りが、今を生きる高校生の道標になるはず、と私は思っています。

 8月上旬に第3回教育大学旭川校書道研究室卒業生展が札幌市で開催され、招待状をいただいたこともあり足を運びました。恥ずかしながら筆も立たず、見せられるような字も書けない私ではありますが、人生で初めて『書の存在感』、『書のエネルギー』のようなものを感じました。数々の作品を目にし、「これはすごい」 - あまりに圧倒的で、もうそれ以上の言葉が出てこないのです。書き手の想いや魂がまざまざと迫ってきて、下手なコメントを述べるくらいなら、ただ黙って作品の前に立ち、感じるものをすべて全身で受け止めればそれでいいんだ、と思いました。

 この日、偶然にも教頭先生も会場にいらしたので、「作品を校内に展示して生徒に見せたいですね」という話になり、実はこれが冒頭の経緯となったわけです。大切な作品を惜しみなく提供してくれた先生に感謝いたします。

 「正解」という野田洋次郎さんの曲と詞を昨日インターネットで拝聴・拝見しました。静かな美しい曲でありながら、メッセージ性の高い、実に心に沁みる奥深い素敵な音楽と詞でした。できることなら高校生の時に聴きたかったな、と真っ先に思いました。夢があっても結局は既定路線に身を委ねるしかないのか、という葛藤や不安、怒りと諦めの中で、それでも一歩一歩現実に向かっている自分にもやもやしていたあの頃に出会っていたら、自らの心の有り様をやさしく包み込んでくれたはず。もしかしたら別な答えを探す旅に勇気を持って踏み出せたかもしれない・・・今さらですがそんなことを考えたりしています。大学時代からほぼJAZZしか聴いてこなかったので、日本の世の中にこんな素敵な音楽があったことに驚きも感じています。これからは音楽についてもう少し広くいろいろなものを吸収していく必要がありそうです。

 生きる、ということは、1足す1が2となるような、きれいな答えと正解ばかりではありません。そのほとんどは銀河のような空間の中で、自分の立ち位置すら曖昧な状態にありながらも、これかもしれないという光を見つけ、自分の足でその光を掴みにいくような、そんな旅を続けていくことなんじゃないか、と思います。誰かが放った正解のような光が、自分が探している正解を照らすものにはならない。自分の進むべき道は自分で拓きなさい。正解などないのだから自分で正解を見つけなさい。野田洋次郎さんの意図するところとはかけ離れているかもしれませんが、私はそう考えています。

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整理整頓から学校が見える

 日曜日の夕方 - 「明日生徒が元気に登校してくれるだろうか・・・」妙に緊張して心臓がばくばくしました。

 昨日25日(月)久しぶりの登校日になりましたが、私は朝の目覚めと同時に再び緊張し、その状態で職場に入りました。一月に及ぶ長い休暇になりましたので、ぎゅっとネジを締め直したかのような生活に生徒がうまく順応できるだろうか、そのことが心配だったわけです。

 朝の登校の様子、全校集会でステージから見た生徒の表情に曇りがなかったので、ひとまずほーっとしてはいますが、御家庭におかれましては、いつも以上にお子様の様子に気を配っていただき、話を聴いてあげたり問いかけをしたりして、コミュニケーションを図るようお願いいたします。何かございましたら学校へ連絡をください。

 私も学校閉庁日を含め、長めの休暇を取得しました。自分の実家と妻の実家で一泊ずつお盆をしてきました。もう子どもたちを伴った帰省ではなく、私と妻の二人だけの帰省です。ずいぶん前のことになりますが、子どもたちがサッカーと野球の少年団に所属していて、毎年、練習や試合のスケジュールの穴を見つけて、それぞれの実家へ帰省していたことが懐かしく思い出されます。もう同じような時は二度とやってはこない、そのことは理解していても、にぎやかだったお盆と年末年始の帰省に思いを馳せる自分がいたりします。

 さて、話を元に戻します。校舎内を歩いて生徒の様子を見て回っています。私が教室の後ろから突然入っていっても別段驚く様子もなく、普段通りに振る舞ってくれるのが嬉しいです。先生方も最初の授業ですから、生徒の表情を見ながら工夫した取組をしているのが見てとれます。生徒と先生が会話のキャッチボールを交わしながら授業に向かっているのがとてもいいです。

 並んで廊下を歩く姿、笑い声、体育館から聞こえる歓声、お弁当袋を下げた姿、駐輪場の自転車、ホールのベンチに腰掛ての談笑・・・生徒がいると学校が元気になります。

 教室後方のロッカーに鞄が入りました。整理整頓された使い方がおわかりになると思います。当たり前、といってしまえばそれまでですが、私が教室に入った時に真っ先に見るところです。こうした小さな箇所に学校のすべてが現れてきます。

 みんなで利用する場所だからきれいにする。つまり、教室は自分の部屋ではなく、みんなの部屋 - 私はそのように考え行動する心豊かな生徒を育てたいと思っています。それができて始めて次の段階の学びにつながっていきます。これは私自身の教育のスタンスでもあります。

 本日、学校生活2日目を迎えます。

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ゆっくりゆっくり

 約一月にわたる夏季休業を終え、本日登校日を迎えます。身体が重い、すっきりしない、憂鬱、冬休みまでまだまだ長いなぁ・・・そうした気持ちで今日を迎えているのではないかな、と思います。

 休み明けの初日。それぞれにそれぞれの思いで登校してくるはずです。今日というスタートラインは同じであっても、スタートダッシュはそれぞれです。素晴らしい加速で前に進める人と、躓いて転んでそこから立ち上がり走り始める人もいます。今週は、いきなりシフトアップするのではなく、ゆっくりゆっくりの加速でいきましょう。慌てずに自分のスタートダッシュを切ってください。

 始まりに当たり、生徒の皆さんにお願いです。多様な人がいる中で私たちは生きています。思いやりに欠ける行動や言動、わがままな考え方、自分を中心にした生き方、人の気持ちを考えない生活は、他者を傷つけ、他者を不愉快な気持ちにさせます。人との関わり方について、自分自身はどうなんだろう、ということについて思いを馳せて欲しいな、と思っています。

 朝、7時18分にこの記事を書いています。あと40分後に皆さんが登校してきます。どきどき心臓が鳴っています。私も緊張した朝を迎えています。

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読書

 恥ずかしくてあまり大きな声では言えませんが、大学の講義中は読書ばかりしていました。もちろんすべてではありませんが、哲学の講義の時に教授に見つかり、こっぴどく叱られたことがありました。「き・みっっ、ここからデテいきなさいっ」いつもは穏やかな教授でしたが、この日は鬼の形相で私を睨みつけていました。私のクラスで、大学生にもなって、しかも教授から叱られたのは、私だけだと思います。

 「すみませんでした」と私は謝罪し、素直に講義室から退室しました。隣に座っていた親友が後から「日下な、お前が悪いんだから、教授の部屋に直接行って、もう一度謝罪してこい、そうしなかったら単位出してもらえないぞ」と心配してくれたこともあり、翌日謝罪しました。その後どうなったかについては、今この場に私がいることで想像してください。

 小さな頃からずっと本に触れてきました。祖母がいつも本を読んでいたことと、母親が童話集を定期的に買ってくれたことが影響しているのだと思います。居間に一台のテレビがありましたが、私たち兄弟3人が番組を見られる時間は6時から8時までに放映されていたマンガのいくつかだけでした。それも父親の機嫌を伺いながらでしたので(ほとんど機嫌が悪かったのですが)、連続的に続いていく物語性のあるマンガですと、一話を見逃すと虫食いになり、突然展開が変わるためずいぶんと案配が悪いものになりました。テレビの前に子ども3人が笑い話しながらワイワイ楽しそうにしているところに、父親は自然に入り込むことができなかったのだろうと思います。テレビを見たくても落ち着いて見ることができないので、私いつも祖母の隣で本を読んでいました。そうした背景もあって、母親は月に一冊本を買ってくれたのかもしれません。

 現在に至るまで読書を続けておりますが、高校生、大学生の頃は月に5~10冊ほどを同時に読み回していました。ずいぶんとエネルギーを要する読書をしていました。もう、今はそんな読み方はできません。私は、登場人物の一人を自身に投影した読書をするので(これは今も変わりません)、10冊も抱え込んで読んでしまうと、10個の世界に生きている状況になってしまい、何が何だかわからなくなりました。それでも見たことのない世界に自分が生きているような気がして、とてもいい時間を過ごせたように思います。

 今朝、本校の図書館でずらり並ぶ本の中から、伊与原新(いよはらしん)さんの「宙わたる教室」を見つけました。定時制高校の科学部を舞台にした物語ですが、実は少し前にNHKドラマで放映されたのを私は見ていました。すごくいい話なので紹介いたします。

 本のある空間が好きです。時間があると街に出掛け本屋さんで時間を過ごします。苫小牧では定時制課程の勤務でしたので、午前中は図書館に行って本を読んでいました。北見では週末はランニング後にカフェでのんびり本を読んでいました。

 電子媒体で読書できる時代になりましたが、やはり一冊の本を手に取り、その重さを感じながら珈琲を飲みゆっくり活字を楽しみたいと思っています。

 本校ホームページへのたくさんの御訪問ありがとうございます。

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「尚栄いいところ」

 生徒が「尚栄いいところ」を書いてくれましたので、ここに紹介いたします。このように書かれています。そのまま引用させていただきます。生徒の生の声ですので説得力がありますよ。

 『幅広い分野を学ぶことができる』
 『個性あふれる人がたくさんいるところ!』
 『元気いっぱいな人が多いところ!!』
 『元気いっぱいの挨拶が聞こえてくる!』
 『設備が整っているところ。』
 『将来の夢に合わせて知識や技術を深めることができる。』
 『実習が多くていろんな経験ができる!』
 『空知唯一の総合学科 選択科目が多くやりたい授業ができる』
 『自分に合った授業が選べる!! 資格をたくさんとれる!! 行事が楽し  い!! 先生がやさしい!!』
 『駅が近い 先生と生徒が仲良い 行事が楽しい 部活が豊か』
 『カリキュラムが充実している 先生が優しい あいさつが活発 資格取得ができる テニス部が強い 授業がおもしろい! バイト、部活、生徒会の両立が可能!!!! 行事が充実!』
 『近くにすき家がある!! 近くにセブンがある! 先生がやさしい! 生徒がやさしく、明るい!! 授業がおもしろい!』

 それぞれの学校にいいところがあります。もちろん本校にもいいところがたくさんあります。今日はいいところを自慢するのではなくて、今、これを書いている私が思っていることをそのまま書きます。

 いいところを探す人生を送れたら幸せになれるのではないか - そんなことを考えています。簡単なようですが、どうでしょうか・・・逆を探すことが多くないでしょうか。逆を探すと気持ちがどんどん荒みます。ものの見方考え方の視点が、その後の人生を大きく左右するような気がします。人生を豊かなものにするかしないかは、その多くが他者に左右されるのではなく、結局は自分自身の考え方ひとつにあるのではないかと思います。

 たくさんのセミナーや研修会に参加してきた中で、「グループを組んだ人のいいところを見つけて付箋に書きましょう」というような時間を与えられることが何度もありました。きっとこうしたところに行き着くのだろうな、と改めて思っているところです。

 4月着任した際に「新たな企画、取組に対しては、どのようにすればそれが実現できるかの視点で考える」ことを先生方にお願いしました。これは私自身の生き方に寄るところが大きいのですが、2つの選択肢の一方に偏って決めつけないことを大切にして欲しいということです。

 人は深く考える前から否定的な方向に偏って物事を捉えてしまう傾向があります。それはもしかしたら間違ってはいないのかもしれませんが、そこに固執してしまうと、せっかくのGoodアイデアがかき消され、次の世界を見るチャンスを失ってしまいます。これほどもったいないことはありません。

 否定的な見方ではなく、肯定的な見方で見てみよう - 生徒の言葉から考えさせられました。

 ありがとうございました。

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帰省

 ぎゅっ、と暑いお盆休みになりました。皆様はどのようなお盆休みを過ごされたでしょうか。普段会えない方とゆっくりお話をしたり、旅行に出掛けたりなど良き時間を過ごせたことと思います。

 私は妻の実家と自身の実家の両方に帰省し、その足で先祖供養をしてきました。故人の面影はその時点の記憶で止まったままですが、それぞれの母親は確実に老いており(その分自分も歳をとっているわけですが)、何とも言えない複雑な思いの中で時間を過ごしていました。そうさせてしまうもうひとつの理由は、帰省するたびに空き家が増え、建物が取り壊され空き地が目立つようになっていることにもあります。記憶の中の景色と一方的にかけ離れていく現実の狭間で、母親の老いに直面するのは切ないものがあります。

 東京に転勤して以来2ヶ月ぶりに会った長男は、恋人と揃って顔を出し、庭でのバーベキューを終えるとそそくさと帰って行きました。私もずっとずっと昔に同じようなことをしていたな、と思いながらも、それでも久しぶりに家族が揃い元気に過ごしていることを喜べたのは良かったなと思います。私と妻の母親は私たちの帰りを待ち、私たちは子どもの帰りを待っている・・・そうしたことが繰り返されていくのかなと思います。

 自宅から6キロメートルほど離れた所に、頭上を飛行機が通過する私の大好きな場所があり、毎日ランニングでその場所に向かい、ひとり芝生に座り繰り返される離着陸を眺めていました。それぞれの想いを乗せた旅立ちとそれぞれの想いが詰まった到着に、帰省することの意味や歳を重ねていくことの意味をぼんやり考えていました。

 さて、学校はまだ夏季休業期間ですので、進路活動や部活動で登校する一部の生徒の姿しかなくとても静かな時間が流れています。まだまだ暑い日が続きそうです。体調の管理には十分気をつけてください。

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お盆休み

 雨に当たったらそれはそれで仕方ないかな、と覚悟して外に出ました。そこまでしてランニングする意味がありますか - そう問われても私は「意味はないけれどランニングするのです」と答えるしかありません。自分でもよくわからないのです。

 1時間をかけてゆっくり市内をランニングして、ゴールとなる借家までもう少しというところの西の空。ぎりぎり雨にも当たらず、偶然にもこの空を見ることができて、やっぱり外に出て良かったな、と思いました。こういうことが答えなのかな、なんて思ったりしています。

(8月5日 18時59分 写真を一部補正しています)

 前の日の夜、お袋から、お盆遊びに来るのかいとのLINEメッセージがありました。そういう時期なんですね。親になって、子どもたちが大学生、社会人として巣立っていった時、お盆と正月に子どもたちが自宅に帰ってくるのを楽しみにしている - そんな自分にふと気がついた瞬間がありました。と、同時に、今まで深く考えなかった子を想うお袋の気持ちにも触れたような気がしました。よくわからないけれど、何かがぐーっ、と胸に迫ってくる・・・そんな瞬間でした。

 36年前、親父と過ごした最後の夏です。いや、過ごしたと言えるだろうか。私は親友とふたりで大学の夏季休業を利用して北海道一周の旅をして、その帰りに少しだけ実家に寄って室蘭に戻りました。数時間の滞在。親の気持ちも何も考えず、自分の遊びだけを優先して自由気ままな時間を過ごしていました。

 あの時、親父もお袋も何も言わなかったけれど、「あんた、もう帰ってしまうのかい」もしかしたら私の背中にそう言いたかったのではないか・・・そんなことを今さら考えています。

 さて、本校も来週は学校閉庁日に入ります。良きお盆休みになることを心より願っております。

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