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こいのぼりの記憶

 夕食後にランニングを楽しんでいますが、3・4・5あかしあ通から西4条通を奈井江側に向かって走って行くと、平屋建て長屋の団地が左手に見えてきます。私が幼き頃に住んでいた団地とそっくりで、横切るたびに五十年前の光景が脳裏に浮かび、涙で視界がにじんでしまいます。歳をとると涙もろくなる、というのは本当のことです。

 当時、団地の一角に両親と弟二人の五人家族で住んでいて、さらに同じ団地群で目と鼻の先に祖父母も住んでいたため、いつも祖父母の家で遊んでいたことが記憶のほとんどを占めています。(現在はとっくにその団地群は姿を変えておりますが、なんとなくこの辺りだったかな、という面影だけは残っています)

 子供ながらにも貧しさを感じる毎日ではありましたが、広場にはいつも子供たちが集合していて、陽が暮れるまでかけっこや鬼ごっこ、ビー玉とけん玉遊び、鉄棒やキャッチボールに歓声を上げ、傍らではご飯支度前の大人たちが井戸端会議をしている - 今で言う昭和そのものの、しかしながらあたたかさとやさしさに溢れたゆったりとした時間が流れていたように記憶しています。

 おそらく4月の後半からこどもの日にかけてのことだと思いますが、私の家の前の空き地に祖父と父親が大きなこいのぼりを立ててくれ、支柱のてっぺんにはめ込まれた王様の冠のような金色の風車が元気に回転していたことを鮮明に記憶しています。いつもは広場に集まる子供たちが自分の鯉のぼりの周りに集まってくるのが誇らしくて嬉しかった記憶も残っています。

 すっかり私の話になってしまいましたが、本校の生徒が作ったこいのぼりを先日来校長室に飾っていますが、この作品を見ているうちに先に書いた話を想い出したわけです。

 簡単にできそうな作品に見えますが、木工旋盤でこいのぼりの胴体を削り、ボール盤で支柱を立てるための穴を開け、糸鋸で風車をくり抜き、サンドペーパーで表面加工を施しているはずです。本校の工業系列で学ぶ生徒たちは、普通に大型機械を操作し、活用していくスキルを身に付けています。

 それぞれの系列に特徴があり、わくわくするようなおもしろい学びができますよ。

(明日、明後日は出張のため、校長の小部屋の更新は控えさせていただきます)