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よく辛抱したよ

  自宅の庭にたくさんの花が咲いてくれています(アストランティア)

 40歳で石狩の大規模校に異動し2年目に希望通り5回目の担任業務を与えられました。当時の校長先生から「教職としてどのような締めくくり方を考えているの」と問われ、「生徒と常に接することができる担任として60歳定年で卒業担任であることを目指します」と答えました。今は65歳定年となり、しかも私の描いた最終ゴールとは大きくかけ離れてしまいました。それはとても残念なことでもありますが、いずれにしても私は60歳を教職人生の節目にすると決めています。残り4年と少し。

 「管理職に興味はないのか」「管理職の道に進まないか」とそのときに言われ、私はきっぱりお断りしました(以後校長先生がお代わりになってもずっと声をかけられました)。生涯担任、の決意に変わりはなかった(今も同じです)けれど、毎度言われると自分の中に、もしかしたら・・・(繰り返し言われるとそうなるのでしょうか)となってきて、この担任業務が最後になるかもしれない、と考えるようになりました。結局私にとってこれが最後の担任業務となりました。

 昨日、数年ぶりにかつての生徒から電話がきました。男の子39人、女の子が1人のクラスでした。その女の子から「先生、間違ってかけちゃいました」元気のいい笑い声が聞こえました。いいのです、間違って。すごく嬉しい電話でした。「わたし、29歳ですよ、もう。30歳が見えてきました。9ヶ月になる女の子の母親なんですよ、私。でも、先生が勧めてくれた会社に今も勤めています。辞めようと思ったことは何度もありましたが、現場に出て今も働いてます。この会社に勤めることができて本当に良かったです。大きな会社だから信用度も高くてマンション買っちゃいました」

 取得した資格を生かし電気技術者として現場で活躍したい、これが彼女の希望でした。当時、現場は男社会という時代でしたから、希望を叶えてあげるために私はつながりのある会社へ片っ端から電話をかけ、会社まで足を運び彼女の売り込みをしたことを覚えています。電気に関する国家資格をいくつも取得していることも後押しとなり、今の彼女にふさわしいと考えられる一番最適な会社を紹介し採用となりました。

 卒業後、彼女は何度か学校に顔を出しそのたびに会社への不満や人間関係の話をしていきました。これは続かないかもしれないな、と思ったのですが、私は「辛抱した先にいいことがあるぞ」と励ましの言葉をかけ続けてきました。その後しばらく連絡がなくての昨日の電話。「辞めてませんよ」よくもまぁ12年・・・本当に立派。「本当によく辛抱したなぁ、立派だよ」

 電話を切った後、いきなり蘇ってきた記憶 - あれはどうしてそうなったんだろう。私は彼女を厳しく叱りつけたのです。私の前で彼女はもう顔がなくなるくらい泣きじゃくっていたけれど、それでも私は芯を貫きとおしやさしい言葉をかけませんでした。「泣いて何が変わるんだっ」と。

 あのときは私は教師としてではなく、父親として叱っていた。そのことは覚えています。その出来事があってから彼女はしばらく私に声をかけてくることはなかったけれど、私は気を遣って声をかけることはしなかった。少し離れた位置から彼女を見守っていました。決してあなたを無視してはいないからね、あなたを40人の1人としてきちんと見ているからね、と - 懐かしい想い出の一コマです。

 管理職になって8年目に入りました。担任への思いはあのときと何ひとつ変わってはいません。ふと寂しさを感じることもありますが、立場が変わったからこそ見えてくる風景があり、それ相応の生徒との関わり方があることを毎日実感できています。それはそれで良かったのかな、と近頃思うようになりました。

 それにしてもあの40人がまもなく30歳になるわけです(1回目が48歳、2回目が43歳、3回目が39歳、4回目33歳)。信じられません。私もずいぶん遠くまで歩いてしまいました。