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真冬の花火

 長男が真冬の花火大会のチケットを送ってくれました。今年も夏から秋にかけてあちらこちらで花火の打ち上げがありましたが、今年はシーズン中に見ることはありませんでした。自宅周辺でも、いくつかの高校の学校祭で花火を打ち上げていたものの、どーん、どーん、と音の響きだけを聞きました。車で数分のモエレ沼公園の花火大会も音だけ、ずっと向こうの豊平川の花火大会もどーん、という音だけに終わりました。

 空知川の河川敷に面した小さなアパートに住んでいた頃、土手の向こう側で打ち上げられる真冬の花火を妻と二人で見たことがあります。おそらく何かのイベントの一環だったような気がします。つーん、と冷え込んだ空に広がる花火を震えながら見た記憶があります。空気が澄み切っているからなのか、それはずいぶん綺麗に見えました。

 あれは学校としても本当に大変な時期で、先生方のほぼすべてが学校祭そのものを実施することに疑問を抱えるような状況下で、でも、生徒会の先生方を中心に「学校として初めての花火を上げるんだ」と奔走していた姿を今でも覚えています。当時、私は3年生の担任でした。6人の担任が集まり、こうしようああしようと、自らのクラスと学年の安定に毎晩頭を揃えて話し合っていました。これは1学年も2学年も同様だったと思います。

 グラウンドに上がった花火。私は、この花火が学校が変わる起点になったと思っています。総勢750人の生徒と教職員が打ち上がる花火に心をひとつにしました。連続する大輪の錦冠菊(にしきかむろぎく)「しだれ柳」が最後静かに暗闇に吸い込まれた後、そこにいたすべてが大きな拍手を送りました。すれ違いだらけだった心がひとつになったその瞬間に私は鳥肌が立ちました。「あぁ、これで大丈夫だ」と。「生徒会はすごいな」と。

 花火を見ると私はいつもあのときのグラウンドを想い出します。人生で一番心に残る花火です。この日、打ち上がる花火にやはりあの時の花火が重なり、苦楽をともにした先生方の顔まで浮かんできました。教え子は33歳になっています。

 花火が終わった後、リフトに乗って展望デッキまで上がりました。札幌の夜がきらきら輝いていました。「昨日が満月だったんだよ。でも、綺麗に見えるね」月の満ち欠けを気にしている妻がそっと言いました。

 白く輝く月はくっきり夜空のたなびきを演出していました。