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2025年12月の記事一覧

体育祭

 本日、明日は体育祭です。この日のために長い時間をかけて執行委員が放課後遅くまで準備に勤しんでくれました。先輩たちが退任し、新体制になって初めての大仕事でいろいろと大変だった思います。まずは、ここまでの準備、ありがとうございました。そして全校生徒の皆さん、運営してくれる執行委員に感謝して楽しんでください。

 どこの学校でもスポーツに親しむ行事を設置していますが、美唄尚栄高校の特長だな、と思うことにポスターが掲示されるというものがあります。執行委員が作成するのではなく、それ以外の生徒が心を込めて描く - これはそうあることではありません。過日実施した校内運動会のときにもポスターが掲示されたのを見て、真っ先に感じたことです。学校から与えられた行事だから何となく参加する、というのではなく、主体的に行事に参加するんだ、という生徒からのメッセージとして私は受け取っています。

 生徒玄関ホールに掲示していますから、全校生徒の目に触れています。ポスターを見て何かが劇的に変化することはないとしても、「体育祭楽しみだな」、「練習しないとな」、「怪我しないように参加しよう」などと、人の心に確実に何かを芽生えさせています。これって、とても大切なメッセージです。ポスターづくりをしてくれた生徒の皆さん、本当にありがとう。私はこのような学校に勤めることができて幸せです。

 体育祭の開催期間、そして終了した後に、クラスの団結力が高まったり協調性がさらに深まってくれることを期待しています。

 体育祭の目的を今一度確認します。

 『体力の向上及びクラスや年次間の団結力や協調性を養う。』

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『あたたかい心』『信じる心』

 目の前のお花からほんのり甘い香りが漂ってきます。鼻を近づけると青い花が香りを放っています。リューココリーネというお花です。

 野山を歩き花の写真を撮るようになった頃、花の名前が知りたくてずいぶんと高価な図鑑を買いました。撮った写真と見比べながら、名前を覚えていった記憶があります。ただ撮るだけではなくて、名前とセットで覚えていくのはそれはそれでまた違った楽しみがあり、結構のめり込みました。覚えた花のページは端を折り、まだ折っていないページの花との出会いを楽しみに図鑑を眺めていました。

 今年のことになりますが、妻からスマートフォンが図鑑の役割を果たすことを教わりました。写真を撮ってその写真を検索すると、一瞬で花の名前がわかるというものです。毎年、春から初夏にかけて庭にさまざまな宿根草を植えるため、妻といくつかのお店を周りますが、隣接するガーデンに咲く花を見て、「この可愛らしい花の名前は何というのだろうね」と当てもなく言うと、妻がさっと花にスマートフォンを向け、「〇〇だって」と答えます。「どうしてわかったの」と聞くと、「Google先生が教えてくれるよ」と。そうなのか・・・そういう調べ方ができるのか、と。

 先週、生けている生徒にこの花の名前を聞くと「リューココリーネです」と教えてくれました。それから週が明けこの話を書いているのですが、花の名前をすっかり忘れてしまい、写真を撮って検索すると「リューココリーネ」と瞬時に表示されました。そうだ、そうだった。AI、すごい。

 花言葉 - 『あたたかい心』『信じる心』

 『あたたかい心』 - 相手を思いやり、いたわる優しい気持ちや精神
 『信じる心』 - 物事を真実であると受け入れる感情や態度

 どちらもAIの回答になります。なるほど、と納得させられる言葉です。

 翻って自分はどうだろうか・・・ある側面ではできているけれど、そうではない自分もいるなと思ったり。一人の人間として、そうありたいと願うところではありますが、私にはまだまだ手の届かない遠い遠い心の有り様です。

 それでも若いときの自分からは考えられないくらい心は変わりました。歳とともに物事の見方や考え方が大きく変化し、何でも許容でき心乱すことなく穏やかに対応できている自分を感じています。不思議ですが、肩に力の入らないとても楽な生き方ができています。

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高校時代の記憶

 華道部の活動の日、教室に足を運ぶと生徒は真剣にお花を生けておりました。与えられる花材は同じであっても生ける4名それぞれの個性が表れます。主役の花、引き立てる花などどれに主眼を置くかによって作品は異なります。本当に奥が深いです。

 生徒はうーん、と頭を動かし配置を考えながら、さーっと生けていきます。先生が最後にちょっとしたアドバイスを与えて完成です。完成後、スマートフォンを向けて自分の作品を撮影している姿は、前にも書きましたが、とてもいいなと感じます。家に帰って保護者等に見せて(いや、今は見せるのではなく写真をしゃっと送る)くれたらさらにいいのにな、と思いながら見ていました。

 一見簡単そうに見えますが、センス良くお花を生けるのは難しい、ということを私は経験的に理解しています。自宅の庭に咲く花々を花瓶に挿して室内でも楽しんでいますが、思うような形にできません。私はそうしたセンスを持ち合わせていないようです。「花を切ったよ」と妻に渡し、妻が花瓶に挿す、という分担になっています。

 活動が終わった後、作者の生徒に連れ添って3名が校長室にやってきました。うち1名は華道部に所属していますが、もう1名は仲の良い友達。3名とも3年次生ですから、順調にいけばもう少しで卒業となります。3年次生とはここまで9ヶ月のお付き合いですが、どの生徒も私にきちんと挨拶をしてくれますし、話しかけてくれたり、逆に話しかけても嫌な顔もせず笑顔で応えてくれる・・・どの生徒も可愛らしく、3月のお別れのことを考えると寂しい気持ちが込み上げてきます。

 「オレ、校長室初めて入ったぁ」とこそこそ話をしています。生徒にとってはなかなか入る部屋ではないのでしょうね。「結構、いろいろな生徒が校長室来るんだよ」と言うと、「えっ、そうなんですか、何しに来るんですか」と目を大きくしているのがこれまた可愛らしい。「話をしに来てくれたり、何か持ってきてくれたりね」「へぇーっ」

 今日あったことを明日想い出すことはできます。でも、その記憶は時間の経過とともにどんどん薄れていきます。あったことのすべてを記憶として残すことはできません。「せっかくだから3人並んで写真を撮ってあげるよ、そしてこの写真をホームページに掲載するよ」と言うと、「オレ、華道部でないから関係ない」などと3名がふざけあっています。こうしたところも高校生らしくていいものです。きっと私にも同じようなことがあったのかもしれないな、思いながら写真を撮りました。

 私が撮った1枚のスナップ写真が、3名それぞれの高校時代の記憶を引き出す何かになってくれるのであれば嬉しいですし、そんな願いを込めて撮りました(撮った写真は生徒にお渡ししました。すごく喜んでくれました)。 

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「ありがとうございます」

 みんなが楽しみにしている体育祭が近づいてきました。体育館での練習にも熱が入ってきている頃だと思います。3年次生にとっては、高校最後の大きな行事となりますから、各種目の優勝を目指して盛り上がっているのでないでしょうか。

 12月11日(木)放課後16時過ぎの生徒会室では、執行委員の面々がパソコンの画面をのぞき込み、体育祭の準備をしていました。新しい執行委員として初の大仕事です。成功させよう、と力を合わせ黙々と仕事をしてくれています。

 おそらくほとんどの生徒はこの姿を知らないはず。本当は全ての生徒に執行委員の姿を見て欲しいのですが、それは難しいので校長の小部屋にて紹介させていただきます。

 誰かがやらなければならない、誰かがやってくれないと成立しない - こうしたことはコミュニティの中で必ず起こってきます。みんながそっぽを向けば次のステップに進まないことはわかっていても、自分から積極的にその誰かになろうとはしません。真っ先に頭に浮かぶのは、面倒なことに足を踏み入れる必要がない、ということです。私自身もかつてはその一人でした。

 意を決してその誰かになってくれる人がいるのなら、そこは素直に応援してあげなければならないと私は考えます。自分の代わりにやってくれていると思ったら、文句ではなく感謝の言葉しか出てこないはずです。私はそういう心を持つ人を育てたいと思っています。何かをしてくれたら「ありがとうございます」と言える人になって欲しい。

 4月に管理職員の初の打ち合わせをしたときに、私は「ありがとうございます」を互いに言える関係でいましょうね、と言わせていただきました。人間関係を築き上げるうえで一番大切なことと信じているからです。これは現在も実践中でありますし、私がこの仕事を終えるまで大切にしたいと思っています。

 「ありがとうございます」すごく簡単な言葉ではありますが、相手を尊敬し、相手に感謝の気持ちがなければそう簡単に言える言葉ではありません。ただ、自分のためにやってくれているんだ、自分の代わりにやってくれているんだ、と発想を転換すれば、自然と「ありがとうございます」は言葉として出てきます。

 少し難しい話をしましたが、執行委員のこの姿を見たら、体育祭で思い通りにいかないことやジャッジのミス、負けたイラ立ちなど個人的感情によって、周囲に迷惑はかけられないな、と思うはずです。いい形で完結させるために自分はどうあるべきか、そう考えるはずです。試合に負けるより勝つ方がいいに決まっています。ただ、それよりももっと大切なことがある、そのことを生徒の皆さんには知って欲しい。そういう体育祭であって欲しいと願っています。

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音楽室の窓から

 こんなに真っ白になってしまいました。

 最近は、出勤前の除雪、帰宅後の除雪で1日2回の除雪をしています。管理職になって苫小牧と北見に2年ずつ単身赴任し、どちらも冷え込みの厳しい街ではありましたが、雪が少なく、年に数回の除雪をするだけで済みました。札幌の自宅の除雪もここ数年間はしておらず、ずいぶん楽をさせてもらっていました。そうしたこともあって冬の除雪という概念が私の中からすっかり消えていました。

 道内でも有数の豪雪地帯である美唄。中空知出身の私ですが、美唄は違うぞ、と感じる今日この頃です。そのような中にあっても、生徒は毎日元気に登校しています。登校までの道のりで真っ白になりながら、生徒玄関をくぐってきます。「おはようございます」が交わされる生徒玄関ホールに立ち、私は「この子たちは逞しいな」と思いながらお迎えをしています。夏場は自転車でさーっと登校できても、冬場は徒歩になります。てくてく歩きながら何を考え学校に向かってきているのだろう・・・いつもそうしたことを思ってしまいます。

 私は冬以外は自転車で通学していました。雨の日も自転車でした。混み合うバスの車内が苦手でしたし、何より空いた座席に座ると先輩たちから睨まれたり、直接文句を言われることが嫌だったのです。それなら乗らない、と意地を張ったわけです。でも、冬だけはどうしてもバスを利用せざるを得なかったのです。仕方ないとは言え、私にとっては苦痛でした。

 自分は何を考えて登校していたのだろう - 当然のことながら想い出すことはできません。学校のことよりも、別なことを考えていたのかもしれません。高校を出た後のこと、家を出ることへのあこがれ、好きな音楽やレコードのこと、途中になっている小説の続きのこと、恋人のこと、次に買おうと思っている服のこと、札幌でのライブのこと、学校帰りのボウリングのこと、行こうと思っている映画のこと、でも勉強のことも・・・こうしたことを考えて通学していたのかなぁ。

 さて、車を運転する者として道路を歩いたり走ったりする歩行者として、冬の路面状況は大変危険で注意が必要です。道幅も狭くなり、交差点に積み上げられた雪で見通しも悪くなります。

 生徒の皆さんは、登下校はもとより外を歩くときは、周囲の状況を的確に判断し、自分の命を守る意識を今まで以上に高めてください。

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