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一生懸命に跳ぶこと走ること飛ばすこと、そして、

 一生懸命になっている友を応援し、走った結果を讃え、リレーのゴールにみんなで跳びはねながら喜びを分かち合う。肩を組み、円陣を組み、心をひとつに声を上げる。思い切り助走をつけて跳び、ピストルの号砲でゴールをめがけて全速力、重い球を力の限り向こう側へ飛ばし、大勢でひとつのことに歓喜する時間。そのような機会は人生にそう多くは訪れません。

 人は簡単に一生懸命になりなさい、とは言うけれど、自らの肉体のエネルギーをゼロまで出し切る一生懸命って、人生に何回もあるわけではない、と私は思います。私は市民ランナーですから、年に数度は立ち上がれないくらいの一生懸命はありますが、それはたまたまのことであって、そうでなければ、おそらく高校時代を最後としていただろう、と思ったりしています。

 だからこそ、今、高校生のこの時にその貴重な時間を全身で味わって欲しい。勝っても負けても、1位でも転んでも、運動が得意でも苦手でも、人生の良き一コマを心に焼き付ける時間にして欲しい。一回一回の限られた機会を大切にして欲しい。私はそう願っています。

 恥ずかしい話ではありますが、中学校の陸上競技会のような行事で、全員が100m走を走らされる競技があり、素直でなかった私は意味もなく手を振りながらスタートからゴールまで歩きました。あとのことは全く覚えていません。その記憶しか残っていません。こんな私をみんなはどう見ていたんだろうか。冒頭で書かせていただいたような一生懸命に跳ぶこと走ること飛ばすこと、そして、などとという記憶がありません。寂しい限りです。

 全校生徒が揃う機会は滅多にないので、運動会の開会式前に撮影しました。そのときに、失敗したな、もったいないことをしたな、うらやましいな、と思った次第です。まさに、後悔先に立たず、です。