北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
どう表現したらいいのかわからない気持ち - 高校生くらいの時は誰にでもありますよ。通過儀礼だから、そうなってしまっている自分に戸惑う必要はありません。ずーっと先に今を振り返ったとき、あぁそういうことだったんだな、とわかる日がきますから。
持って行き場のない私の気持ちを慰めてくれるのはいつも音楽でした。来る日も来る日もラジカセから音楽を流していました。もう、この時の私を代弁してくれるのはこのアーティスト、この曲しかない、それくらいのめり込みました。
学校祭における芸術部の作品は部員全員の、いや、今を生きる高校生の気持ちが込められたものなんだ、と私は確信します。「そんな自分を変えたい」「良いことばかりじゃない」「痛くて泣きたい時もある」そうだよ、そうだよね、と思います。私もそうだった。
大勢でひとつの作品づくりをする書道を私は本校に来て初めて目にしました。最初は新入生向けの部活動紹介。今回が2度目。他の学校の高校生が取り組んでいるのをテレビニュースで何度か見たことがありますが、いざ自分の目の前で展開されると、心が揺さぶられ、私などすぐに目頭が熱くなります(実は涙を流して見ていました)。若いエネルギーがひとつのものに込められる、というのはただそれだけで美しく、本当に感動的で、勇気や希望がじゅわじゅわとわいてきます。
ずっと昔、この作品の元となっているアーティストが在籍した学校に、東京で行われた研修プログラムの一コマとしてたまたま訪問しました。案内をしていただいた校長先生が、「実はうちの学校から出たバンドなんですよ」と紹介してくれました。それがきっかけとなり、こんな私でも何曲か知っている次第です。
私にとっては耳に入ってくるだけの音楽でしたが、作品から改めて歌詞の一部を読ませていただくと、高校生の想いを的確に捉え、やさしさを持って聴く人の進むべき道を示しているな、と感心します。今の私にこのような立派な言葉は並べられません。その時、その年齢でしか書けない。想いはその時にしか代弁できない。そうしたものはきっとあるのだろう、と私は思います。だから、多くの人の心を捉えることができる。
この前も書きましたが、学校祭の有志ステージにおいて男子生徒が歌を唄いました。歌詞がすごく良くて(高校生の切ない恋が綴られているように私には聞こえました)、歌った生徒にアーティスト名と曲名を聞いたら、妻が大好きなアーティストでした。私はここ三十年JAZZしか聴きませんので、妻と音楽の好みは一致しませんが、妻にその話をしたら棚からその曲が入ったCDを出してきてくれました。歌詞を読むと、私が感じたままの言葉が綴られていました。素敵な歌詞でした。
好きな女性にどのように告白するかを悩み、手紙を書いては書き直し、成就した恋と打ち破られた恋、フラレて落ち込む時間、10円玉を落としながらの公衆電話、彼女と時間を決めての深夜電話・・・そうした私の揺れる想いを、音楽と歌詞が支えてくれました。
高校生だった自分と本校の生徒の生き様が重なり、何かあるとひとり目頭を熱くしています。もう戻ってこない青春を、こんな歳になってもいちいち考えてしまうのはどうしてなんだろう・・・未練があるわけでもないのに。我がことながら不思議です。
全校生徒が毎日この作品を目にしています。ふと、見上げたその目にこの言葉が映り込み、その生徒にとっての勇気になり、慰めになり、励ましになり、支えになり・・・そうなってくれれば、と私は思っています。
学校祭前に生けたお花は、校舎内各所でのお披露目ではなく、デザイン系列の展示スペースの一角に並べられることになりました。学校祭で来校する多くの方に見ていただくことを考えるとそれが一番良かったと思います。
6日(日)、7日(月)と学校は休業し、昨日お昼過ぎに華道部の女子生徒2名が校長室にお花を持ってきてくれました。生けてから日にちが経ち、残念ながらお花も少しだけ元気さを失っていましたが、デスクに置いて観賞させていただきます。ありがとうございました。
本当は花と生徒の写真を撮りたかったのですが、元気いっぱいのお花の時までお預けにしました。申し訳ないと思いつつ、生徒に作品への思いを聞いたら「大きな葉っぱで夏の暑さを表現しました」と話してくれました。右下の葉がそれです。担当の先生に誘われて2年次生になってから華道部に入部したとのこと。家ではずいぶん前からハイビスカスを育てていて、きれいな花が咲くようです。学校祭楽しかった?と聞きますと、クイズや踊りがすごく楽しかったです、と笑顔で答えてくれました。
夏真っ盛りです。我が家の薔薇は6月の2,3週目に満開となりました。一端休息に入り、白と赤のアナベル、ヤマアジサイ、アストランティア、バーベナ、エリンジウムなど、ありとあらゆる花が日替わりで満開を迎えています。
一部ですが、薔薇の様子をどうぞ。これから咲く薔薇もありますが、一番いいときの写真です。何種類あるかわかりませんが、色も形も香りもすべて異なります。人それぞれと言いますが、薔薇それぞれです。個性があって楽しいです。
平日の夕刻は7~10キロほどランニングしています。数年前まで10~15キロも走っていたのに、やはり年齢には勝てないのかもしれません。
美唄市民になって3ヶ月、ここを曲がって道なりに真っ直ぐ行くと7キロ、美唄中学校前を抜けて裏通りを走っていくと9キロになる、などの距離に応じた私なりのランニングコースができあがりました。その日の気分や疲労度を考慮して毎日走っています。
ランニングの最中、美唄駅周辺で生徒とよくすれ違います。目と目が合うと生徒は一瞬、うむっ、とびっくりした顔をしますが、私だとわかると、「こんばんは」と頭を下げてくれます。私も「こんばんは。お疲れ様」と声を掛けます。無視しないで挨拶してくれるのがとても嬉しいです。
私は週末に札幌の自宅に帰るとき以外は自動車を運転しません。ランニングを始めて13年になりますが、運転していると見過ごすであろう小さな風景を見つけられるのがメリットで、実はこれがランニングをやめられない要因にもなっています。大きな通りだけではなく、あえて小路に入ったり、脇道に逸れて眺めのいいところに出たりしています。
美唄の好きな場所をいくつも見つけましたが、この写真はその一箇所です。観光場所でも名所でもない小路の花壇。ここだけは走らず歩いてお花を楽しませてもらっています。実に手の行き届いた可愛らしい花壇で、自宅の庭づくりのヒントを得たりしています。
一夏の想い出として、尚栄祭がみんなの心に焼き付いてくれたら・・・
これが最後の尚栄祭になる3年次生には、踊ったことや歌ったこと、模擬店の販売、校内で食べたたこ焼きやワッフル、かき氷やカレー、冷やしうどんとヤキトリ・・・良き想い出としていつまでも心に残って欲しい・・・
ステージで3年次生の男子生徒が歌った曲が胸に沁みました。じーん、ときました。目頭が熱くなりました(歳をとり涙腺がゆるんでいます)。先日のさわやか清掃、たまたまその生徒と二人で学校まで話をしながら戻ったのですが、そのときに高校卒業後の道を聞かせてくれました。そのことと重ねつつ歌を聴いたので、ついつい涙が出てしまったのかもしれません。今を生きる高校生全員の思いを彼が歌ってくれたたように感じました。
教員一名を加えたダンスユニットも高校生のエネルギーを感じましたし、クラスを超えてチームを組んだダンスも若さ全開で素晴らしかったです。今日一日だけでいいから高校生に戻りたいな、と思いました。
自分を表現することってそんな簡単なことじゃないです。誰にでもできることではありません。私自身もできません。みんな一律同じであることが求められているわけではないけれど、出っ張ることが何となくタブーとされている日本人の中にあって、こうして大勢の前で表現できることは尊敬に値する、私にはそれだけ価値のある行動のように思います。
急に思い出したのですが、昔、東京の真夏に1週間缶詰の研修会に参加しました。当時全国工業高等学校長協会理事長の佐々木校長先生が、研修会最終日の挨拶で「出た杭は打たれる。でも、出すぎた杭は打たれない。本研修を受けた皆さんは自信を持って明日からの業務を進めていきなさい」と仰ったことを思い出しました。私には佐々木校長先生があらゆる意味で表現の達人に見えました。
出て行く勇気・・・ステージ発表から私はそのようなことを考えていました。
美唄市長桜井様、美唄市教育委員会教育長石塚様を始め、たくさんの方にお越しいただきました。また、PTA役員の皆様の御厚意によるカレーライスと冷やしうどんも大盛況でした。大変ありがとうございました。
昨日から尚栄祭を開催しています。本日は午前10時から一般公開となります。模擬店、PTA喫茶、各種展示となっていますので、是非お越しください。
大所帯18名の部員による芸術部書道パフォーマンス。一文字一文字に高校生の、青春のエネルギーが込められています。(生徒玄関ホールに展示)
「青春は今この瞬間」まさにそのとおりです。
私にも青春はありました。もう二度と戻ってこない時間です。振り返ってみると、友人と過ごした楽しく明るい時間だけが思い浮かんでくるわけでなく、どこに持って行けばいいのかわからない苛立ち、表現のしようのない心の叫び、大人になることへの抵抗感、親元から一刻も離れたい気持ち、成就した恋愛や別れで傷つけた女性のこと、揺れる就職への思い、島への一人旅、親友と呼べる人と出会いたくて進んだ大学・・・そんなことばかりが脳裏を駆け巡ります。今思うと、心の置き所がなかなか定まらない時間であったように思います。
自分はこうありたい、こういう自分になれるんだ、やっぱりこの夢は捨てて生きていかなければならないんだ - 夢や希望が現実という壁を越えられない、そのことを自分なりに理解していても、それを捨てて前に進んでいくことに迷いと未練がある、そこにもがき続けていたのかもしれません。
しかし、今はあの頃とは違います。生徒の皆さんは夢や希望を捨てる必要はありません。何にでもなれる道や手段が無限に広がっているわけですから。青春のエネルギーを全開にして堂々と道を切り拓いていってください。
いろいろなことがあった若き日ですが、すべてをひっくるめて、青春時代はいいものだったな、と思います。何年間を青春時代というのかはわかりませんが、あの時間は私にとっては宝物です。
目の前の飾り付け、隣に座ったクラスメイトとのお喋り、音楽に合わせた手拍子、応援の声、文字や絵の描き、クラスみんなとのダンス、体育館の蒸し暑さと扇風機の風、体育館後方に吊り下げられたクラス垂れ幕、揃えたクラスTシャツ、大勢の前で初めての歌披露、手を取って笑えた時間、汗だらけのクラスTシャツ、ジャンプしてのハイタッチ、首から提げたタオル、担任の先生を巻き込んだクラスPR、披露できた楽器演奏・・・何でもいい。その一つひとつが一人ひとりの貴重な青春の足跡です。
6つのクラスPRは皆さんの青春そのものでした。若いって、もうただそれだけでいいですよ。今、この瞬間をまっすぐ生きていけば、それだけでいい。
すべてがみんなの青春です!
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