
天気予報のとおりの朝になりました。湿った雪がうっすら積もり、玄関を出ると雪が降ってきました。根雪はまだまだ先のことになるのでしょうが、晩秋から初冬へ季節は一步進んでしまいました。来るものは来るのですね。もうため息しか出ません。
昨日、空知の実家に行きお袋に会ってきました。近くに住むすぐ下の弟も仕事帰りに顔を出し、千葉に在住する一番下の弟の分を含めた兄弟3人からの喜寿祝を渡してきました。お袋が77歳になったのは半年ほど前になりますが、それぞれのスケジュールを合わせることができず集合型のお祝いができないままになっていました。来月上旬にお袋が豪華客船の旅に出ることになり、お祝いを兼ねたお小遣いを渡そうということになったわけです。
お袋が21歳のときに私が生まれ、2年おきに二人の弟が誕生しました。親父の少ない稼ぎで家族5人がよくもまぁ生活できたものだと、社会人になり初めて給料を手にしたときに思いました。私の初任給以下の給料しかもらっていなかったはず。家計のやりくり以前の問題だったと思います。
大変な生活なんだ、ということは物心ついたときから感じていました。私の衣類はすべて従兄弟からのお下がりで、私が着られなくなったものは弟たちに引き継がれていきました。擦り切れてつぎはぎだらけで、腕と足の丈はつんつるてん。靴も買ってもらえずキツキツの靴を指を曲げて履いていたので、そのときできたタコは今でも消えることなく右左に残っています。私はクラスの仲間から毎日のように笑われからかわれました。
ジーンズに作業用ジャンパーで仕事に出て行く親父を見て、私はいつも「ネクタイに背広でする仕事に就くんだ」と自分に言い聞かせていたのを覚えています。同級生の一人が私が住んでいたハモニカ長屋の団地から離れた区画の一軒家に住んでいて、その父親が背広を着た仕事していたから単純にそう思ったのです。
「さぁ、帰るわ、旅を楽しんでおいで」と私が立ち上がると、「あんた、いいスーツ着ているね。縞のラインがとてもいいね」とお袋が言いました。「オレなんかスーツ着ることないから、礼服ともう一着しかないよ」と弟。こんなやりとりがあって忘れかけていたずいぶん昔のことを唐突に想い出してしまったわけです。
33年もの間スーツを着る仕事に就いてそれもあと4年で終わります。果たしてそれが良かったのかどうかはわかりません。現時点で答えは出ません。ジャンパーとジーンズ姿の親父は親父なりに精一杯働いていたわけですから、服装がどうしたこうしたの問題ではないのです。当事者がどのような生き方をしてきたか、それに尽きる話です。帰路につく車の中で久しぶりに親父のことや昔の生活のことを考えていました。
さて、事務室と校長室は扉一枚でつながっています。間に流し台などの水廻りがあり、東向きに陽を取り込む窓ガラスがあります。そこに立つと真正面にトチノキを見ることができます。見事な紅葉です。あと数日で葉を落としますから、これを再び見られるのは一年後。昨年は木の真下に堅いトチの実がごろごろ転がっていましたが、今年は不作なのか見当たりません。トチの実の落下で車のボディが凹む心配がないことから、職員は普通に駐車しています。
※写真は昨日、10月27日(火)のものです。