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2025年11月の記事一覧

テストの終わりに

 本日がテスト最終日。これが終わったら・・・と考えながら、この期間を過ごしてきたはず。部活動のスタート、来月の体育祭に向けた練習、アルバイト、まずは寝る、受験に向けた準備再開、友達の家へ、何かを一緒に食べに行く、などなど、それぞれの時間を過ごすのだろうな。テストが終わるのって、嬉しくて何故かわくわくしますよね。そんなことを思いながら、私は後ろからそーっと教室に入り、写真を撮らせていただきました。

 さて、これが最後になるだろう(本当にそうなりました)と決意して受け持ったクラスの最後の文化体育大会。体育系種目にソフトボールがあって、そこでの優勝を目指し(24クラスの乱戦ですから優勝はすごいことです)、私の知らないところで生徒たちが集まって秘密の練習をしていました。そのことを知ったのは大会の数日前でした。「先生、オレたちね、実は朝とか夕方集まって練習してたんですよ。電子機械科の奴らに勝って優勝しますからっ、優勝したらみんなで焼き肉やりましょ、先生お金出してくださいよ」(残念会の焼き肉はしませんでしたが、卒業式前日に生徒がお店貸切の手配をして、卒業祝いの焼き肉をみんなでやりました)

 学校の外でグローブやバットを持って集まり、わいわい楽しみながら練習していることが、とにかく嬉しかったです。どこに集まっていたのかはわかりませんし、どんな練習をしていたのかも定かではありませんが、こうしたことが高校時代の良き想い出として生徒たちの心に植え付けられるわけです。やがて、大人になりどこかに集まったときに、「あの時練習したけど、勝てなかったよなぁ」と懐かしむことができる - 今はわからないだろうけど、ずっと先にこのことがわかるはず。私はそう思って見守りました。

 教室で見せる顔とは違った姿がグラウンドにありました。失敗を責めない前向きな言葉やスイングに一喜一憂する表情、ファーストベースに全速力で走る姿、ホームベースを踏むごとの歓声、勝った感激に抱き合い飛び上がる姿・・・生徒一人ひとりの成長を感じた瞬間でもありましたし、そのすべてが愛おしい時間でした。そうした姿を見ることが私は大好きでした。

 3年間、いいことも悪いこともたくさんありました。人と人が接触する学校は毎日がドラマであり、何も起こらないことはまずありません。私は起こらないことを望むのではなく、ドラマの脇役(主役は生徒です)として起きたことに誠実に向き合うことを意識してきました。実にさまざまな出来事がありましたが、その一つひとつが生徒一人ひとりを成長させ、教師としての私も成長させてくれました。特に最後となった担任業務の3年間は、40人が私にたくさんの宝物を授けてくれました。この仕事は、生徒に感謝なんだ、と思います。

 テストの終わりに昔を懐かしませていただきました。

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誕生日

 先日、誕生日を迎えました。東京に住む長男からはLINEギフト(時代を感じます)、次男(社会人1年目)は夕食代を持ってくれ、妻からは手袋ともうひとつ大きなプレゼントをもらいました。母からは毎年、お菓子とお祝い金が送られてきます。弟たちからはお祝いのメールが。幸せな55歳の誕生日になりました。

 ひとつずつ歳を重ねていきますが、気持ちだけは20代、30代。ただ、肉体的にはそれなりの状態であることは否定できません。先日、ランニングウォッチが、何かの拍子にデータ解析したようで、いきなり40代前半である旨の画面を表示し、よしよし、と嬉しくなりました。どこかで測定してもらった血管年齢が60代と言われた妻が、あまりに失礼すぎる、とぷんぷん怒っていたのを思い出し、あまり得意にならないように小さな声で妻に伝えた次第です。

 さて、私の弟たちもみんな50代になりました。不思議な感じがしますが、電気技師、ピアニストとしてそれぞれ活躍しています。父が早くに亡くなったこともあり、私は父親代わりであるとの意識をうっすらと持ちながら生きてきました。特に何かをしてきたわけではありませんが、幼き頃から父に「お前は長男なんだから」「長男らしく」と言われ続けてきたことも、そうさせた理由かもしれません。当時、私は大学生で、二人は高校生でしたから、いろいろと不便はあったのだろうと思いますが、さまざまな困難を乗り越え、今では私より立派に生きています。

 何かあれば大学時代に戻りたい、と思っていましたが、もうそう思うことはなくなりました。私は静かに今の自分を受け入れ、50代である自分を楽しみながら生きています。その年齢を楽しむ余裕ができたのかもしれません。50代、それはそれでなかなかいいものです。

 母からもらった小さな包み - 母からすれば私はいつまでも子どもなんだなぁ・・・そう思いながらこれを書いています。私にとっての誕生日は特別です。普段はゆっくり考えない母のこと、妻のこと、子どものこと、弟のこと、そして自分のことに思いを馳せる貴重な一日となります。

 皆様の誕生日はどのような感じでしょうか。

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そば

 授業の中でそばを打ち、できあがったそばを私のところに。味と風味を感じて欲しい、ということで音威子府産新そばと昨年の幌加内産そばを分けて持ってきてくれました。授業の中でそばを打つのは今年度初めての取組とのことです。この先も続けて欲しいです。今年のものと昨年のものでは、香りも味もこんなに違うんだなぁ、と思いながらいただきました。ありがとうございます。

 私はそばは打てません。室蘭の高校に勤務していた時に、学科の研修旅行で一度だけ打ったことがありますが、それ一回きりです。持ってきてくれた生徒は家でもそばを打って家族で食べているとのこと。そんな生徒を私は心から尊敬します。

 美唄尚栄高校はどんな学校何だろう - 私は衣食住をひとつに学べる学校と考えています。物事の基本や成り立ちを知る(文理教養)ことを土台にして、衣(デザイン)食(フード、デザイン)住(情報通信マネジメント、メカトロ・エンジニア)、つまり、人が生きていくために必要なことを学ぶ学校。そのすべてが揃った学校はそう多くはないはず。

 人が生きていくための根幹になる『食べる』ことについて思いを巡らせるとき、食べることは基本中の基本ではあるけれど、食べる前のことができるかできないか、如何でしょう。自分で食材を選んで購入し自分の手でつくる。できる人できない人、している人していない人・・・そう簡単なことではないのではないでしょうか。

 難解な問題を解ける力も必要かもしれませんが、私は人が生きていくために必要な知識と技術、技能を高校生の段階で身に付けることは大切だと思っています。私自身、高校生の時にこのようなスキルを身に付けていたらもっと違う人生があったかもしれない。退職後に専門学校に通うことをイメージしている私にとっては、60歳から身に付けることではなかったかもしれないな・・・と思うところです。早ければ早いほど良かったと。

 「あなたたちは、長い人生の中で何かやろうと思ったとき、そばを打つお店を持ったり、パンのお店、ケーキのお店を持ったりできるよね、今習得している知識でそうした生き方を選択することができるよね。それって誰もができることではないからすごいことだよね。あなたたちがうらやましいよ」二人に話をしている自分がいました。

 決して無責任な発言ではありません。もう、セオリー通りの生き方が求められる時代ではありません。いろいろなことに信念を持ちって挑戦し、実現していける時代です。今のスタンダードが、半年後、1年後、2年後には時代遅れになっている可能性もあります。レールに乗っていることだけが必ずしも安定を生むとは限らない時代になっています。

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心を込めて

 11月8日の記事「生活に生きる書 教室名を作成」で投稿しておりますが、「教室名を筆文字で書いてみる」という生徒の発案により、管理職に向けたプレゼンが行われました。私たちはこういうことをしたいのです、という強いメッセージが、我々管理職にも伝わり、是非お願いします、ということになりました。その後の様子です。

 少し時間ができたので、タブレットを持ちながら3階と4階で行われている授業の様子を見て歩きました。私はいつも遠慮することなく教室の中にずかずか入っていきます。生徒も慣れているので別段驚くこともなく、いつも通りのスタイルを貫いています。私に手を振る生徒、こんにちはと声をかけてくる生徒、ぺこり頭を下げる生徒、居眠りの生徒・・・それがまた自然でいい。こういう所が本校の生徒の良いところで可愛らしところ、と思っています。どのクラスも落ち着いた授業が展開されていて、生徒は安心して学ぶことができる環境にあることもPRさせていただきます。

 さて、熱心に筆を走らせる生徒が3名。書いて書いて書き続けている。ゴールは自らが納得したとき。完成ではなさそうですが、これだけ心を込めて丁寧に書かれたものならば、プレートが掲げられたときの重みを感じます。途中の過程を見ることができて本当に良かったと思いました。下の余白に自らの氏名が刻まれたプレートが校舎内に残るのっていいですよね。こんな素敵なプレートがある学校は日本中どこを探してもないのではないでしょうか。(写真の氏名は加工しております)

 3年次生はまもなく高校卒業のゴールを迎えます。ゴールテープがちらちら見え始めてきている。私は3年次生とはここまで約9ヵ月のお付き合いしかありませんが、その間にも生徒一人ひとりが直面した課題や経験の一端を見聞きしています。楽しかっただろうな、辛かっただろうに、よく登校してきているよね、悲しみをどのように笑顔にかえているんだろ、社会に出る不安でいっぱいでしょ、このまま卒業しないで高校生でいたいよね・・・

 みんなそれぞれに多くのことを抱えて生きている。私は生徒からそのような心の叫びみたいなものを感じ、いつも勝手に胸を目頭を熱くしています。私も高校3年生、たくさんのことを抱えて生きてきて、それと重なる部分がたくさんあって、でも、何とか乗り越えてきました。みんなも乗り越えられるはずです。

 誰かの心のこもったメッセージは、受け取る人の心にじゅわっと奥深いところまで染み込んできます。必ず伝わります。心を込めて話す、心を込めて聴く、心を込めて想う、心を込めて受け止める、心を込めて書く、心を込めて・・・

 いつか心を込めたプレート文字が完成し私のもとに届けられるのでしょう。そのとき、私は生徒の想いや願いをしっかり受け止め、感謝の気持ちで受け取ろうと思っています。

 本日、不在となりますので、タイマー設定でこの記事を更新いたします。

 いつも御訪問いただきましてありがとうございます。

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そこにあるそのものが

 11月18日 19時34分 美唄駅 

 私は、やはり、今夜もランニングシューズ(冬用)を履いて外に出ていました。

 退勤時、職場から借家までの数百メートルを歩きながら、これからの晩御飯のことを考え、それを終えた後のランニングをどうするかを考え歩いていました。道路はこのとおり滑るし、寒いし、疲れているし、転んだら怪我をするし、面倒だな、どうしようかな・・・外に出ない理由をいくつも頭に並べて借家に到着です。

 毎日ランニングをしている私でも、毎日走る走らないの葛藤をしています。軍配はいつも『走る』。どうでもいいような葛藤ではありますが、このことを13年間毎日繰り返せている自分はある意味幸せなんだろう、と思ったりしています。ずっと昔は、「えっ、走るの?こんな時間から」と妻に言われたものですが、 その言葉はいつの間にかなくなりました。「いつ帰ってくるの」「10キロだから1時間後」「その頃に合わせて風呂入れておくから」「わかった、お願い」

 葛藤の末に走ると必ずいいことに巡り会えます。だから、やめられないのです。走らなければ見られなかった一瞬の景色は、お金に換えられない満足感を与えてくれる。これを知ってしまったが故のランニング。人はありきたりの景色じゃない、と言うでしょう。当たり前の日常でしょ、と言うでしょう。でも、私には感動的な景色です。外に出たことが正解だったな、と毎日思わせてくれる。私の感動した気持ちがこの写真から伝わればいいのですが・・・

 作り上げる美しさよりも、そこにあるそのものが一番美しいのではないか、と思っています。まだまだ美唄の一部分にしか触れていませんが、町の名のとおり、美しい、です。

 札幌の自宅は、徒歩3分、250メートルのところにJR駅があり、私の生活に密着していることもあり、行く先々で駅のある風景、電車が往来する風景が気になります。美唄を拠点としたランニングはいつも駅の界隈を走るコースになっています。

 本校のホームページですが、一昨日から昨日の24時間で4500アクセスをいただきました。本校の教育活動を教職員が熱心に更新しております。これからも御覧ください。よろしくお願いいたします。

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一歩踏み込む

 毎日デスクのお花を眺めています。花好きの私、ただそれだけで嬉しいです。

 どうですか、この写真。こういう見方をすると違った世界を感じませんか?知らなかった世界が見えませんか?私の趣味とする写真やカメラのことはいくつかの話の中で書いてきたところですが、風景写真だけではなく、クローズアップした花の写真を撮ることも大好きです。

 マクロレンズ越しに見る世界に魅力を感じたのは30代半ば。以後、花を求めてずいぶん野山を歩きました。私の山歩きは頂上を目指すものではないので、名もない裏山でも構いません。途中に咲く花が見られればそれでいい。足元に咲く花を撮影して、そこで満足したら入口だろうが三合目だろうが下山です。頂上を目指す人もたくさんいるのに、人って目的がさまざまで、それぞれ違っていておもしろいですよね。

 作品の全体像は先日お見せしましたが、ここだけに着目した今日の写真と比べてみてください。全体からは見えなかったひとつ、しかもそのひとつを構成する細かな要素にまで目が行き届く・・・おもしろさがわかりますか。

 学校も同じです。廊下から教室を覗く。そこには30人の生徒がいます。一歩教室に踏み込み、一人の生徒を見る。遠くからは見えなかったものが多々あることに気付く。私は『一歩踏み込む』ことを大切にしてきました。

 26歳から30代半ば、出口が見えずあのどうしようもないどんよりした時間の中で、私は多くのものを見失ってきました。何を目指し何が大切で何を間違ったのか。これから自分は何を頼りに何を身に付け何をすべきなのか。辞めるべきか続けるべきか・・・重たいカメラバックを肩に提げ、三脚を左手に、首からぶら下げたカメラに縋って野山を歩きながら、そんなことを自問自答し写真を撮っていました。
 
 望遠レンズでお花を引っ張ってくるのではなく、ゆっくり腰を下ろし、足元の小さな花に顔を近づけ目と鼻で感じ、マクロレンズをとおして一枚に納める - その繰り返しの中で私はぼんやりとした何かを掴みました。マクロレンズの世界の中に、暗闇だった空間にうっすら光が灯り、出口出口へと私を誘ってくれました(体調が良くなるまでにはそこからさらに5年ほどかかりましたが)。振り返ると本当に苦しい経験をしてきたな、と思います。いらない廻り道、でも、それはそれで良かったかも、と思ったりもしています。

 遠く離れて外側だけから見るのではなく、思い切って一歩踏み込みそこだけに着目して見てみる。

 考え方だけではなく、生き方さえも変える出来事になる・・・私自身の経験談です。

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かなうさ(叶うさ)

 先日、学校見学会に参加していただいた美唄市立東中学校2年生に、メカトロ・エンジニア系列で製作したアクセサリーをお渡ししました。これを見て、私は『合格絵馬』ならぬ『合格かなうさ』だと思っていますが(どうか御利益がありますように)・・・

 本校には公式マスコットキャラクター『かなうさ』が登録されており、私はこの『かなうさ』を何とか活用できないものか、と着任早々思案を巡らせ現在に至っています。北海道内の公立高校で公式マスコットキャラクターを持つ学校はそう多くないはずです。私自身本校で7校目になりますが初めてです。

 他校にはない特色、せっかくのキャラクターなのだから活かすべきだ、と。せめて、美唄市にお住まいの方には「あっ、かなうさだ」と認知してもらえるくらいにはしたい、そう思っています。何か名案がありましたら御一報お願いいたします。

 以前、デザイン系列の生徒が『かなうさクッキー』を焼いて私に届けてくれましたが、この写真の作品も本校の設備を活用して作られています。お金をかけて業者に発注するのではなく、あれこれ考えながら手づくりで、というのを大切にしなければなりません。そこに大きな意味があります。

 さて、話は変わります。昨日も書かせていただきましたが、ホームページやインスタグラムを更新するにあたり、私は基本的に、美唄尚栄高校に通学している生徒とその保護者等が閲覧してくれるものでなければ、地域の方々は閲覧してくれないと思っています。身内が認めないものを他者が認めてくれるはずはありません。本校の生徒一人ひとりがフォロワーになってくれて初めて地域の評価に結び付くものと信じます。

 小さなことでいい。極端なことを言ったら「今日雪が降りました」のタイトルで写真を一枚掲載し、1行文章を添えた日記をホームページにアップする。わずかそれだけでも、本校の様子をお伝えすることができる。だから、歩けば至る所に記事は転がっています、と私は先生方にお話ししています。

 オホーツクのある高校の校長先生が支部の教頭会の講義の中でこのようにお話ししてくれたのが印象的でした。「インスタグラムを立ち上げたら、わずか数日で全校生徒のほとんどがフォロワーになってくれて、そこから口コミで一月も経たないうちにあっという間に1800くらいになったんですよ」学校を応援したいからそうなるんだよなぁ、私はそんなことを考えながら話を聞かせていただきました。自校も何とかしないとダメだと思い、すぐに先生方とインスタグラムを遅まきながら立ち上げ校内研修を行いました。

 生徒と保護者等の学校満足度を高める方策は山ほどあります。そのひとつとして「かなうさ」を活かしたい。そのために、まずは生徒と保護者等の方に「かなうさ」の存在を知ってもらわなければなりません。クッキー、アクセサリ、次は。

 どうするか・・・みんなで考えなければなりません。

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雨上がりの夕暮れ

 11月13日(木)15時47分 雨上がりの夕暮れ

 赤く染まってゆく西の空と水たまりのグラウンド - これが私の席から見えた景色です。

 太陽の光にはさまざまな色が含まれていて、空が青く見えたり赤く見えたりするのは、太陽の光が大気を通り抜けるとき、大気中の窒素や酸素の分子にぶつかり散乱するからで、その光が空に広がります(理科の先生、合っているでしょうか)。夕暮れ時は太陽の位置が低くなり、太陽の光が地球上の大気を通る距離が日中よりも長く、青い光は散乱し赤い光は残って見る人に届くことから空が赤く見えます。

 空は偉大なんだよぉ、と祖母が言うものだから、私は小学生の頃から空を見上げてお願いごとをしたり、空にまつわる詩を書いたりしていました。私は一風変わった子どもだったと思います(周りでそんなことをしていた子どもはいなかったので)。担任の先生に「他の生徒とずいぶん様子が違うようだ。専門的なところで診てもらったら」と言われ、かなりのショックを受けた、と母が昔に話してくれたことがあります。

 この日もいろいろ考えながら夕焼け空に語りかけていました。答えは返してくれませんが、私のやることをすべて見守ってくれているような気がしました。これ以上望むことはないな、と妙に自分を納得させ、放課後の校舎の見回りに出発しました(この後の出来事が昨日の校長の小部屋につながります)。

 さて、4月23日(95,730)からホームページカウンタをノートに書き込んで現在に至っています。11月14日(金)の朝から17日(月)の朝にかけて、実質3日間ですが11,304件のアクセスがございました。年内の30万件アクセスも見えてきました。

 先日も書かせていただきましたが、読んでくれている方がいるということは、ホームページを日々更新する本校の教職員にとりましても大きな励みになります。

 インスタグラムとnoteへの記事も投稿しております。是非御覧ください。

 今後ともよろしくお願いいたします。

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放課後

 11月13日(木)の放課後のこと。

 16時くらいにHR教室のある棟を歩きました。放課後は生徒の本当の姿が見られる時間なのでおもしろいです。今でも記憶に残っていますが、受け持ったクラスの生徒と過ごした放課後はとにかく楽しかったです。

 お付き合いをしている他校の女の子のこと、アルバイト先の出来事、オンラインゲームでの対戦のこと、音楽談義、悩み相談、部活動の様子、ファッション、髪型・・・朝のおはよう、帰りのさよならだけでは見えない本音の高校生の姿がそこにはありました。その中にいる自分もまた高校生に戻ったかのようで、その世界観に幸せを感じていました。

 ほとんどの生徒が下校している教室はとても静かです。でも、数名の生徒が教室や廊下に集まって何やら楽しそうに話をして盛り上がっています。それぞれのグループや仲良しがあるのでしょう。ノートを広げている生徒に何事か話しかけている二人。教室に入り「何をしているの」と聞くと、「テストがあるので勉強してました」ノートには英文がびっちり書かれていました。いきなり二人が「飴なめてたらダメじゃん」「なめてないよ」と行ったり来たりのやりとりをしだし、きっと私に何か言って欲しいようでふざけ出す。

 廊下では4人がスマートフォンをのぞき込んで話しています。「なになに、何してるの」と聞くと「ゲームです」と画面を見せてくれました。「ここの4人はこのゲームが好きで、この中に出てくるキャラクターの中にそれぞれの推しがいるんです」短縮用語が飛び交い何が何やらわかりませんが、とにかく仲良く楽しくやっているので、それはそれで良し。

 放課後の様子はあの頃と大きくは変わっていない、同じなんだ、といつも思います。それにしても、授業等で接することのない私が突然教室に入り、話しかけても何一つ嫌な顔をせずに会話してくれることもびっくりです。

 さて、普段照明のともらない教室から光が漏れています。覗いたら華道部が活動していました。月一回校長室に作品のひとつが届けられるのですが、生けているところを見たことがなかった、しまった・・・月一回の活動なのでチャンスを逃していたとは言え、盲点だったな、と反省しつつ教室の中へ。講師の先生の指導を受けながら、生徒がお喋りしながらお花を生けていました。

 完成後、自分で生けた作品をスマートフォンで撮影しており、その姿を見てなんだか嬉しくなりました。自分の作品なんだよ、という想いがその行動から垣間見えたからです。心を込めて生けたから愛情や愛着がわく・・・上手綺麗云々の前に、それ以上に大切なものがある。私はそこを大事にしたい。生徒の心に大切なものがしっかり育っている。嬉しかったです。

 「どのようなイメージで作品づくりをしたの」と聞きましたら、「いつもは横に広がってしまうので、縦にすーっと伸び上がっていくのを意識しました」と答えてくれました。その言葉のとおりの作品です。「私、校長の小部屋見てます」とも言ってくれました。嬉しいの連続です。

 その作品が私のところに届けられました。デスクに置き、正面から横から上からと眺めています。またまた贅沢をさせてもらっています。ありがとうございます。

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遠くを見ていて

 11月13日(木)美唄市立東中学校の2年生全員と校長先生並びに関係の先生、保護者等の皆様をお迎えし、学校見学会を実施いたしました。先日は美唄中学校の皆様に来校いただき、本校にとりましても地元にある高校(美唄尚栄高校)をPRできる素晴らしい時間になりました。

 地元にあっても学校の中に入れない、どのような雰囲気の学校なのかわからないなど、同じ地域にある義務高と高等学校はまだまだ遠い存在なのかな、と思っています。そうした中でも本校は長年、小学校と中学校と連携した教育活動を展開しておりますので、もっともっと交流が盛んになる取組を検討しなければならない、と考えているところです。

 学校見学会につきましては、PRは本校の生徒が行いますので、このような機会は生徒を成長させる場になります。まさに両者にとってWin-Winです。東中学校並びに美唄中学校の両校が年間授業計画の中に、美唄尚栄高校見学会を盛り込んでいただいておりますことにこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございます。

 歳を重ねてわかったことがあります。あくまでも私自身のことではありますが、近くのものを見ず、遠くのものばかりを見てしまっていた - このことを最近特に感じるようになっています。人はそれぞれに目指すものがありますから、今より便利なところ、出世、ブランド、肩書き、お金・・・など先を見続けて生きていく、私も空知の地元を捨てて地方に出て行った人間です。大学に入ったとき、これで故郷から離れられる、そしてもう故郷で生活していくことはないだろう、と思いました。そのとおり故郷を顧みることなく生きてきました。一方ですぐ下の弟は地元を大切にして生きている・・・この違いを私はどうしても考えてしまいます。

 管理職として五十代を迎えた小樽、そして本校に勤務し、生徒たちの総合的な探究の時間の活動を見ていく中で、地元を粗末にしてはいけなかったんだ、という気持ちにさせられている自分がいます。空知に住む母親のことは常に気になるけれど、故郷の発展や将来という視点がまるっきり欠けていたことに気付かされました。遠くを望むことは決して悪いことではないと思いますが、そのことによって近くのものを見失っていたわけです。

 美唄市は小さな町ではありますが、そこに住んでいても意外と知らないことが多いと思います。今回の学校見学会もそうです。冒頭で私は「美唄尚栄高校に今回初めて入った人」と訪ねたらほとんど全員が手を挙げました。こんなに近くにあっても遠いんだな、と。

 総合的な探究の時間をとおして、地域学を取り入れた学校や地域に目を向けた教育活動が積極的に行われています。近くにあるものの良さにたくさん触れて、その上で遠くを見ていく - そうした逆転の発想で生徒を育てていくことが大切なのではないか(個人的に)、と考えているところです。

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山の雪

 今朝のこと。

 いつも西側のピンネシリ山系ばかり見ていて、その逆の東側の景色を眺めることはなかったな - そんなことを思いながら学校までの道を歩いてきました。どこを見て歩いてきたのかを想い出すことはできませんが、おそらく足元ばかりを見て歩いていたのでしょう。

 もしかすると少し前から雪がかぶっていたのかもしれませんが、東側の山の雪景色を見ることができました。気温は昨日と比べると風は強いながらも暖かくて、平地に雪が降るような感じはありません。山の気温はかなり低いのかもしれません。

 退職したら富士山登りに行こうね、と先日何かの会話をしているときに妻が言いました。そうだね、と私は簡単に返事をしましたが、何かのニュースで富士山もオーバーツーリズムの影響を受け、数珠つなぎの登山とマナーの悪さが課題になっているようです。それはそれとして3000メートル級の山をあと5年少しで登れるのかが不安です。

 結婚してすぐの頃、妻と義父母の4人で黒岳に登山したことを想い出します。あれが私の初登山になります。頂上から見た景色はぼんやりとですが覚えています。登山道の脇に咲く花の写真も撮って歩きました。

 長く忘れていた記憶が目の前に浮かぶ朝を迎えています。

 さて、出勤してすぐに普段は使用していない4階の音楽室まで駆け上がり、そこから東側の山並みを撮影しました。過去に遡って本校にゆかりのある方々が、この場所からこの景色を眺めていたはずです。美唄を離れて暮らす方々が、本校のホームページからこの写真を見てくれていますと幸いです。

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生命の営み

 週末は自宅のある札幌に帰り、レコードを聴いたりランニングをして過ごします。朝食を食べてから15~30キロのランニングをすることが10年以上に及ぶルーティンですが、二月ほど前から妻もウォーキングとジョギングを始めたので、私のゴール地を丘珠空港緑地公園やモエレ沼公園に設定し、そこで妻と合流し一緒に歩いたり走ったりするようになりました。あれだけ走らない、と断言していたのに不思議です。
 
 さて、自宅から3.5キロメートル離れたところに龍雲寺の大きな銀杏の木を見ることができます。鋤柄松太郎氏が新天地開拓の記念として植えたと伝えられ、樹齢は100年を超えています。私の住む北区内で唯一北海道自然環境等保全条例で保存樹に指定されています。植えたときはきっと小さなものだったのでしょうが、これが100年かと思わせる大木で迫力があります。

 自宅周辺をランニングするか、遠くまで走るかはその日の気分や疲労度により変わりますが、長くやっているとお気に入りのコースができ、その数は何十本にもなります。例えば20キロにしようと思えばこのコースを、10キロはここを、というのがインプットされています。そのひとつに龍雲寺通過コースがあり、毎年、晩秋の龍雲寺に見事に色付いた銀杏を拝み、写真を撮らせてもらってます。

 この写真は11月3日(月)のものになります。1週間後の9日(日)に再びここを通ったら葉は全て落ちてしまっていました。雪が残る歩道は積み重なった落ち葉でふかふかの絨毯になっていて、それはそれで趣はありましたが、今年は見頃の時間が極端に短かったような気がします。

 日照時間の長い春から夏にかけて光合成で栄養を蓄え、秋になり日照時間が短くなると、光合成により生成される栄養が少なくなるため、光合成をやめて冬に向けて葉を落とす - これを百年を超える間(龍雲寺の銀杏だけではありませんが)繰り返し、現在に至っていることに驚かされます。生命の営みはすごいです。私のランニング・ルーティンなど遙か足元にも及びません。

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絵と手紙

 絵と手紙をいただきました。私が毎日目にする樺戸山系をkitpasでやさしいタッチで描いた素敵な作品です。デスクマットに挟んで毎日見られるようにします。ありがとうございます。

 絵を描ける - うらやましいです。私がまるっきり持ち合わせていない才能やセンスですから。どうしたら人の心を掴む絵が描けるのか。絵心のない私には全く理解できない不思議な世界です。

 自分が描いた絵の講評で唯一覚えていること。それは小学校低学年まで遡ります。夏休みの宿題で、想い出の一コマを画用紙に描くというもので、私は弟たちと虫取り網を持って遊んでいる絵を描きました。

 「どうしてあんたの絵の中の人はいつも全員真正面を向いているの。普通走ったり横を向いたりするでしょ」母から言われた一言です。自分では傑作だと思って母に見せたのに、ずいぶん困った顔をしてそう言われたので、私まで困ってしまいました。果たしてこの絵を提出していいものか、それとも書き直した方がいいものか。すごく困った出来事だったので、今でもその絵のことを中心にいくつかのエピソードが記憶されています。

 夏休みが終わって教室後方の掲示板に貼られた絵を見たとき、母が言うようにクラスメイトの絵の中の人は横を向き、走ったり歩いたりしていました。私の絵だけが全員真正面を向いて笑っていました。クラスメイトとの違いをまざまざと思い知らされたこの日を境に、私は絵を描くことに抵抗感を持つようになりました。

 昔話はこれくらいにしておいて、旅行鞄にスケッチブックとクレヨンを入れて、ちょこっと立ち寄った先の風景をささっと描けたらいいだろうな、と思ったりしています。私には手の届かない夢のような話でありますが・・・

※kitpas キットパス ガラスや鏡などのつるつるとした平滑面に発色良く描け、水拭きで簡単に消去できる、新しい絵具(えぐ)。お米からとれるワックスが原料です。(日本理化学工業株式会社のホームページより)神奈川県川崎市と美唄市の工場で製造・販売

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朝の私

 やわらかな朝陽が差し込んでいます。1週間のスタートです。午後から天気が再び雨になるとのことですが、わずかな時間でも部屋の中に陽が入るのは嬉しいものです。

 静かな朝の中で私はメールをチェックし、スケジュールを確認して、ホームページに掲載する写真と文章を作成します。事前に写真を撮って文章を書いておくことが多いのですが、今日は席に座り写真を撮り書き始めています。

 毎日こうした朝を過ごしていますが、一通りの作業を終えたあたりに先生方が一人、また一人出勤してきます。職員玄関に出退勤を管理するQRコード読取器があり、出勤時にかざすと電子音が「キンコン」と鳴るので、「一日が始まるぞ」と思うわけです。

 さて、先週、情報発信について記載させていただきましたが、昨年度北海道教育委員会(道教委)が各学校の情報発信を効果的に集約・発信する媒体としてnoteを導入しました。情報発信プラットフォームを構築し、各学校が効果的な情報発信をするとともに、道教委がそれらの情報を集約・発信することを目的としています。

 マニュアルを読んで一日がかりで何とか公式ページを登録することができました。当面は本校のホームページに掲載した記事と並行させて運用していきますが、noteから他校の教育活動等も閲覧できますので、是非御覧ください。

 北海道美唄尚栄高等学校公式note https://b-shoei-hs.note.jp

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情報発信

(11月5日 16時05分 4階西側に見える夕暮れ)

 今年度、私が校長として掲げた方針のひとつに、『教育活動の積極的な発信』があります。勤務した学校の全てで校長先生が同じような方針を打ち出していましたが、達成に向けての道のりは言葉で言うほど簡単ではない、なかなかにハードルの高いものになっているな、と私は感じていました。

 そう思いながらも、学校が当然やらなければならないことですから、4月に先生方にお願いしました。6月には教頭先生を講師に『ホームページの更新方法』、総務部主催の『インスタグラム及びYouTubeへの投稿』の校内研修会を実施しました。

 朝家を出て夕方帰ってくるまでの8時間、子供がどのような表情でどのように過ごしているのか、今日何を学んで何を身に付けたのか - 保護者等の方が一番知りたいところです。また、本校の教育活動を見てみたい、知りたいと思う地域の方の想いにも答えなければなりません。インターネットを介して本校にアクセスしていただいたのに、記事が一月も更新されていなければそれは失礼に当たります。このことは肝に銘じなければなりません。

 おそらく私の性格が左右しているのだと思いますが、「何でも一緒にやらなければ気が済まない」人間です。一方向的に伝達することを好みません。格好をつけて書くわけではありませんが、伝達するだけのことを裏付けできる自らの実践がなければ自分自身を納得させられません。自分が納得できないことは人様も納得させられない、と考えます。これは生徒に対しても教職員に対しても同じです。

 お願いするのならお願いするだけのことをしなければならない、というのが私のスタンスです - 私は下手ながらもものを書くことに抵抗がありませんので、自ら撮った一枚の写真をつけて自分ができる範囲の情報発信を行っています。そうしている間に先生方がこまめに記事を上げてくれるようになりました。更新の敷居が下がったのだと思います。これほど嬉しいことはありません。

 学校ほど話題豊富なところはないな、と私は思っています。『情報発信 = 学校行事』、『情報発信 = 部活動』と狭い範囲に限定してしまうと、多くのことを見逃してしまいます。変化の連続である学校は歩けば歩くほど情報を手にすることができます。難しく、そして堅く考えずに小さな気づきを発信していけばいい。ただそれだけのことです。

 「今日、こんなことがありました」を私たちが発信していく。「今日、こんなことを知りたいです」と保護者等、地域の方が閲覧する。1日200あったかどうかのアクセス数が、10月末に2000から一昨日は3000を超える訪問者を迎えるまでになりました。インスタグラムのフォロワーも増加中です。これほどありがたいことはありません。

 見てくれている方がいる - これは私たちにとって最高の励みになります。今後ともよろしくお願いいたします。

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半導体は欠かせない

 超伝導物質を作る - 大学時代の研究テーマでした。ある条件が整うと電気抵抗が0になる物質で、よく耳にするリニアモーターカーの走行に応用されています。当時、室蘭工業大学では城谷研究室が目指す化合物を作ることができなかったので、高温下高圧下の実験設備がある東京大学の物性研究所に出向き、できあがった化合物の物性は筑波の高エネルギー研究所で寝ずの実験で検証しました。

 室蘭港からフェリーで大洗港、大洗から鹿島臨海鉄道で水戸、水戸から常磐線で北千住で降車し、地下鉄千代田線で乃木坂まで行き(当時物性研究所は六本木にありました)、徒歩で研究所まで。それは一大旅行になりました。

 超伝導物質を作るところから検証までには約2~3週間程度の時間を要するため、その間は東京と茨城に長期滞在しました。遊ぶときは遊びましたが、徹夜徹夜の連続で大変でした。

 私が挑戦した化合物は超伝導物質にはならず、半導体の特性を示すものばかりでしたが、わずか一年で日本最高峰の施設で時間を過ごせたのは幸運なことでした。本当は大学に残る道もありましたが、悩んだ末に今の仕事を選びました。どちらが良かったのかはこの歳になっても未だ結論は出ていません。

 11月4日(火)にメカトロ・エンジニア系列2年次生を対象にした『半導体講座』を実施しました。上述の経緯があることから、個人的にこの日を楽しみにしていました。報道等で話題になっていますので、千歳市に次世代半導体の製造拠点となるRapidus(ラピダス)が進出することはすでに御承知おきかと思います。

 2027年に量産が開始される予定になっており、今後、本校の卒業生や本校で学ぶ生徒が活躍する企業になると思います。北海道、日本全体に新たな可能性をもたらすプロジェクトが動いていることにわくわくします。

 50分の講演でしたが、半導体が身近なところに存在し、誰もがその恩恵を受けていることがわかりましたし、半導体の将来の姿を丁寧に説明していただき、生徒は興味を持って話を聴くことができたと思います。

 本校は、地域の方々や各機関の御協力のもと充実した教育活動を展開しています。いつも並々ならぬ御理解と御支援を賜り感謝申し上げます。

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この環境だから・・・

 「ここに(勤めている、通学している)のは、あなたがここで果たすべき役割があり、何かしらの使命があってのこと。文句を言わず置かれた場所で精一杯の努力をすることが大切です。思ったような(仕事、学び)ができなくても、今目の前に与えられた(仕事、学び)に目を背けず誠意を持って取り組めば、それがあなたの肥やしになり、そうした姿に目を留めた誰かがあなたを認めてくれる」これは私の経験に基づくものであり、今でも大切にしている私自身のスタンスでもあります。先生、そして生徒にもこの話をしました。

 先日、出張先においてかつての同僚と顔を合わせる機会がありました。「毎日ホームページで先生のブログ見てますよ」時間がなくて一言二言しか話できなかったが残念、と思っていたら翌晩にわざわざ電話をくれました。
 
 彼にはよく上述の話をしました。「この環境だからこの仕事に出会い自らのスキルを高めることができる。自分が本当にやりたいことができなくても、今はそういう時間なんだと自分に言い聞かせて、いい仕事をしなさいよ」私が彼と接したのはわずか2年間でしたが、自身としっかり向き合いながら成長していく姿を見ることができたのは本当に嬉しかった - そのような記憶があります。

 私は物事の考え方を180度変える生き方を心掛けています(現在進行形です)。環境を嘆かない(その環境で最高の生き方をすればいい)、文句を言わない(そうしている間にどんどん時間は経過しプラス要素が何もない)、定年退職後に始める(数十年数年先の夢を見ず今すぐできることはする)、慌てない(くることがわかっているのだから前もって準備しておく)誰かに押しつけようなどとはまるっきり思ってもいませんが、肩に力が入らずすっきりした気持ちで生活できています。

 さて、話は変わりますが、カメラを持って秋の風景を切り取る時間を過ごしています。管理職になってから6年間休んでいた写真ですので、腕は相当落ちてしまいましたが、また少しずつゆっくりのんびりカメラ旅を始めようと思っています。

(11月2日 札幌市中島公園の秋 写真の一部を加工しています) 

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この風景が好きです

(10月30日 8時36分)

 生徒玄関で生徒を迎えた後、まずは4階へ上がり3階、2階の順番でHR教室の様子を見て回っています。着任してから今日まで静かで落ち着いた朝を迎えています。

 4階の窓から西側に広がる景色を見るのが好きです。何度も転勤を繰り返してきたわけですが、校長として着任した最初の朝の緊張はそれまでのものとは違っていました。そうした中でこの景色を見たのを今でも覚えていますし、その日の想いや感覚を私は一生忘れることはないと思います。それくらい印象に残る朝でした。

 高校を終えるまで私の目の前にあった風景です。この風景の中で走り回り、親に叱られ祖父母に甘えてきました。陽が暮れるまでキャッチボールをして、教科書など広げずに本ばかり読み、やがて心が荒んでわがまま放題になり、そのことから多くの人たちを傷つけ、傍らで将来に不安を抱えながら、いくつかの恋愛を繰り返し、空知を離れたいがために大学に進学しました。

 長いようで短い人生の中で、私は何かを捨てて何かを掴んでこの場所に戻ってきました。私は確かに変化している。でも、この山は何も変わらないあの頃のまま・・・

 僕の目の前のピンネシリ山系に雪渓が見えるようになりました。

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