子どもたちが騒ぎ走り回るかつての賑やかさは遠い昔の出来事になってしまいました。平日は妻が一人で、週末だけ私が帰る家になり、二人で読書をしていると、居間の壁時計の刻む音がカチッ、カチッと聞こえてきます。静かな静かな家になりました。
居間でサッカーボールのリフティングやスポンジボールで野球をしていたのは、ついこの前のことのような気がしますが、現在の自分の年齢や子どもの年齢から遡って考えないと、何年前のことだったかも定かでなくなるくらい時間が流れてしまいました。

子どもたちの部屋を大きくしたので私の部屋はずいぶんと狭くなりましたが、いつか子どもたちが家を出て行ったら、広い部屋にオーディオ機器のすべてを移動し思う存分レコードを聴いてやりましょう、と考えていました。それが私の密かな楽しみでもありました。
7年も8年も前に大学生活を送るため、子どもたちが順番に家を出て行き、いよいよそのときを迎えたのに、結局は移動させずに今日に至っています。面倒になったわけではなく、長く使ってきたこの部屋にいることが自分に合っているような気がしているからです。この空間でモノをつくったり、レコードを聴いて、本を読み、あれやこれや一人で思案したり・・・私にとっては15年の想い出が詰まった大切な部屋です。いざ、移動するとなると未練が残るわけです。
先日来、断捨離をしようと思い立って、ゴタゴタだった自室を整理しました。そのときに、本命としていた高校に合格とならなかった長男からもらった手紙が出てきました。以前にも書きましたが、私は全くダメな父親で、泣きじゃくる長男にあたたかな言葉を直接かけることができず、手紙を書いて渡しました。その返事となる長男の手紙です。
中学を卒業するまで携帯電話を買い与えていなかったこともあり、手紙という形で私と長男は気持ちを伝え合ったわけです。持たせていたら、携帯電話を介した文字のやりとりになっていたかもしれません。どちらが良かったのかはわかりませんが、結局、長男の高校受験の失敗が、その後の長男の人生を揺るがす事態になったかというと、決してそのようなことはなく、その瞬間だけは一大事であっても、長い目で見るとそれはただの通過点に過ぎない出来事でした。「人生の通過点でゴールではないんだよ」とあの手紙に書いたことを想い出しました。
断捨離ではありますが、長男の手紙はさすがに捨てられませんでした。