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2025年5月の記事一覧

『毎日を大切に生きてゆこう』

 健康であれば考えないことなのかもしれません。若いうちはなおさら考えることがないと思います。でも、とても意味深い、そのとおりの、説得力のある言葉だと思いませんか。

 校舎内を歩いているときに偶然にこの言葉と出会いました。『毎日を大切に生きてゆこう』

 筆を熱心に走らせる生徒はいったい何を思って文字をしたためているのだろうか - そんなことを考えながら写真を撮りました。

 私は十九歳の時に病気により父を亡くしましたので、その日以来、父が生きた年齢を意識して生きてきました。人生何があるかわからないけれど、とにかく一日一日を無駄にしないぞ、ということをどこか頭の片隅に置いていました。

 結婚して、子供が生まれるとさらにその意識は深まっていくわけですが、後に妻が大病を患い命と真剣に向き合って生きていく姿を目の当たりにし、四十前半から私の生き方や考え方の舵が大きく切り替わりました。さらに数年後、意識していた父の年齢を超えたとき、『毎日を大切に生きている』そんな自分を確信しました。

 人生の折り返し地点を過ぎ、朝を迎えること、学校の玄関から校長室に向かえること、生徒や先生方と挨拶できること・・・そうした一つひとつの出来事に感謝している自分がいます。

 いつからそうなったのかわかりませんが、イライラしたりガミガミしたりギスギスしたり・・・心の奥の方が落ち着かない自分はすっかり姿を消しました。それはもうずいぶん昔から続いているような感じがします。

 『毎日を大切に生きてゆこう』(私の場合はさらに追加して、『毎日を楽しく生きてゆこう』です)

 この書に向き合っているところに遭遇できたこと、感謝しています。

 ありがとうございました。

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幸せの見つけ方

 花好きなので花の話ばかりで申し訳ないのですが、ボランティア局が手をかけているプランターで、種から植えた花の芽がすくすくと成長しています。

 「昨年花が終わったあとに種をとって、ダメ元で植えてみました」と養護教諭の先生が着任してまもない私に教えてくれました。5月の連休が終わるまでは気温が上がらず寒い日が続いていたので、芽が出てくる様子はなかったのですが、それ以降一気に芽吹きました。写真は本日朝の様子です。

 どうだろう、どうなっているだろう・・・毎日気になってのぞいています。これが私の楽しみのひとつでもあります。こんな小さな花の、それも小さな命の芽を見て楽しめる、いや楽しませてもらっている。私にとっての幸せの形です。

 プランターに水をあげている生徒たちも私と同じようにのぞき込んで成長を楽しみにしている。生徒一人ひとりにとっての幸せの形なんだと思います。

 幸せ、は遠くにあるものではなく、身近に存在するもの(あくまでも私ごとです)

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美唄市の『美』との出会い

 写真とカメラに熱中していたときは、その風景に出会うために下調べをして、機材を車に積み込んで出掛けていました。レンズを磨き、バッテリを充電し、数台のカメラをバッグに詰め込み、それは大がかりな準備を伴うイベントでした。

 年齢を重ね、趣味や物事の優先順位が変わっていく中、ランニングが最優先事項になっている状況においては、重たい機材を持ち歩いて写真を撮るということがどうしても後回しになっています。たまに小回りのきくミラーレス一眼をランニングバックに入れて走ることもありますが、ポケットに収まるスマートフォンによる撮影が主になってしまいました。

 一日の終わり、毎夕刻に楽しんでいるランニングにおいて唐突に出会う素晴らしい風景があります。それは何気ない日常の一コマなのかもしれませんが、この日のこの時間、この場所のこの空気・・・贅沢にもそれを味わえたのはこの世界で私だけかな、と思います。

 美唄市の『美』を切り抜けた風景

 つくる『美』

 そこにある『美』

(5月26日 美唄中学校付近で撮影)

 この2ヶ月、美唄市の魅力を感じる日々を過ごしています。美唄市に住むことができて本当に良かったと思っています。

 

 本校の1日あたりのホームページ閲覧数が500件を超えるようになりました。毎日お越しいただいている方、今日初めて訪問された方、受検で検討されている中学生の皆様、誠にありがとうございます。インスタグラムも更新しておりますので是非御覧ください。

 実際に学校に足を運んでいただき、生徒の様子や施設設備を見て欲しいと思っています。直近では学校祭もございますが、いつでも対応いたします。御連絡をお待ちしております。

 今後ともよろしくお願いいたします。

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田植えの記憶

 先日、美唄市立東小学校5年生が齋藤農場(齋藤実様)の田んぼで田植え体験を行いました。美唄市食育事業の一環で、本校からは講師役としてフード系列2年次生4名と大中先生が参加し、小学生に指導しながら楽しく苗を植えました。私も齋藤様に許可をいただいた上で、45年ぶりの田植えを小学生と一緒に体験しました。

(写真を加工しています)

 田植えの経験はあるの、と生徒たちに聞きましたら、2名が小学生の時に経験しているとのこと。小学校のカリキュラム等により、やるやらないはあるのでしょうが、毎日食べるお米がどのように作られているのかを体験的に知ることは大切なことです。食品スーパーに行けば売っているのは確かですが、そこに並べられるまでの過程を最初から知ることにより、農業を営んでいる方への感謝の気持ちや安心安全に食べられることへのありがたさを理解できると思います。

 本校は地域の方の御協力のもと教育活動を展開させていただいております。学びを実践に結びつけることで学習効果が高まりますし、何より生徒一人ひとりの成長につながっていきます。このような機会を賜りました美唄市様、東小学校様、そして齋藤様に感謝申し上げます。

 さて、話を戻しますが、私は小学生の3年生か4年生の授業で田植えの体験をしています。当時、私の学年だけ16名しかいない少人数のクラスでしたが、そのうち農業を営んでいる家庭の子が3名いました。ハルミちゃん、ミホコ、ムシ(通称)で、記憶が間違っていなければ、ムシの田んぼで田植えを行ったと思います(おそらく実家の納戸の段ボールをひっくり返したら当時の写真の一枚二枚が出てくると思います)秋に稲を刈り、干して、最後のお米、そしてカレーライスで戴くまでの過程をひと通り体験しました。

 昨今、食育の大切さが謳われるようになっていますが、実は45年前に食育の授業が行われていた - 今まで考えたこともありませんでしたが、その事実に驚かされます。今回の田植えは抽斗のずっと奥の方に眠った私の記憶を蘇らせてくれる出来事でもありました。

 15名は今頃どうしているだろう・・・一人ひとりの顔と名前が浮かんできます。

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常に見られているということ

 4月の話になりますが、教職員を前に着任の挨拶、そして2年次生と3年次生を前にした着任式の折に、趣味を交えた自己紹介でランニングにまつわるエピソードを含めた話をしました。

 ランニングを始めたのは13年前に遡ります。理由はいくつかありますが、以後ほぼ毎日のように走り続けているのは、ランニングそのものが習慣化され、24時間の生活の一部分になってしまったからです(格好良く書きましたが、それほどのランナーではありません)

 ランニングしていること自体を自慢するつもりで書いているわけではなく、その挨拶をした数日後に、本校の職員から「走っている姿をイメージして描いてみました」とはがき大の絵をいただいたのです。自らが描かれた絵をいただくのは人生初の経験でした。今もデスクマットに挟めて大切に保管していますが、これよく見ると、笑えるほど私に似ており、よく観察しているな、と思ってしまいます。

 しかし、よく考えてみると、教職員は校長の姿を常に見ているという裏返しになるわけです。気を引き締めて一つひとつの業務に真摯に向き合っていく ー その自覚を持って過ごさなければなりません。そうした思いと皆さんにとって身近な校長室になるよう、入り口扉を開放しました。気温が下がってくるまではこの状態を続けます。

 生徒を一人ひとりをしっかり観察し、生徒と教職員の関係が今まで以上に強固なものとなるよう教育活動を展開してまいりますのでよろしくお願いいたします。

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花壇と花言葉と

 ボランティア局の生徒が校門前の花壇にお花を植えてくれました。前回は左側の花壇にマリーゴールドが、そして、今回は右側の花壇がパンジーやペチュニアで彩られ、華やかになりました。通りに面した小さな花壇ですが、付近を通る際は是非足を止めて御覧ください。

 先日、校長室にお花を届けてくれた生徒の「花言葉の面白さから花が好きになりました」という話から、さっそくマリーゴールドの花言葉を調べますと、「変わらぬ愛」「可憐な愛情」「生命の輝き」「友情」「健康」、パンジーの花言葉は「誠実」「思慮深さ」「私を思って」と記載されていました。なるほど、面白い。花それぞれの特徴を踏まえて添えられた言葉・・・奥深いです。

 人としてそうした生き方や感情豊かな心を持って欲しい、そう思わせる言葉が含まれていて、考えさせられることが多いです。果たして自分はどうなんだろう、と。

 生徒の皆さんには、いつも仲良くしている友達が、同じクラスの仲間が、中学校が同じだった先輩が作り上げた小さな花壇をあたたかい気持ちで見守って欲しいと思います。

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花(春のあたたかさ)

 月に一度お花の先生が来校されます。華道部の生徒に御指導いただいておりますが、生徒が生けたお花は校内のいくつかの場所に展示されています。先月もそうでしたが、そのうちの一つが校長室に届けられ、私のデスクに置かせてもらっています。私はなんと贅沢にも目と鼻の先でお花を楽しんでいるわけです。花好きな私にとって、身近なところに花があるというのは、何にも代えがたい喜びでもあります。

 生徒にどのような思いで生けたの、と聞きましたら「外が暖かくなってきたので、春のあたたかさみたいなものを表現しました」とやや緊張した面持ちで話してくれました。どうしてお花が好きになったの、と尋ねると「花には花言葉があってそこがおもしろいなと思いました」と予想もしていなかった返答に驚きました。「花が好きです。そこにあるだけで明るくなりますから」十代でこのような感性を持っているのは素敵だな、と思います。

 我が家の庭も5月中旬を過ぎてずいぶん賑やかになってきました。何年も前に植えた宿根草が陽気に誘われぐんぐん伸びています。毎年花が終わるとその種を遊び心で庭の隙間に植えていますが、これが不思議と芽を出し花を咲かせます。妻と一緒にその様を見るのが楽しみにもなっています。雪の下で長い時間耐え忍び、雪解けとともに新芽を出す、その生命力にいつも感動します。

 6月中旬から本格的に花が咲き始め、妻が花を摘みバラを中心に部屋の中でも楽しんでいます。そこにあるだけでパーっと明るくしてくれる、そのとおりだと思います。

 広い校舎ではありますが、その一角にお花があるだけで世界観が変わります。花が置かれている学校は本当にいいな、と思います。それが生徒の作品であればなおさらです。

(職員玄関に展示)

(生徒玄関ホールに展示)

 物価高騰の波はお花にも押し寄せており、限られた予算の中で工夫しながら購入している、と顧問の先生から聞いています。生徒もそのことを感じながら活動しておりますが、活動を重ねるたびに生け方が上手になっているようです。

 生徒が生けたお花を保護者等の方にも是非見に来ていただきたいです。特にお子様が生けたお花であればなおさらです。残念ながら花は長持ちしませんので、お早めに御連絡ください。お待ちしております。

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35年後の故郷の風景

 19日(月)3年次生の総合的な探究の時間の一コマです。地域の方々がそれぞれのテーマのサポーターとして関わってくれています。大変ありがたいことです。

(教室に入って真っ先に机の配置がいいなと思いました。)

 私が高校生だった時のことを思い出しながらこの話を書いていますが、学校で過ごした3年間において、先生以外の大人との関わりはなかったように思います。掘り下げて考えてみても何も浮かんできません。せいぜい宿泊研修や見学旅行等で説明してくれた大人くらいでしょうか・・・インターンシップもなければ現場実習もない、私が通った高校だけではなく、それが当たり前の時代だったように思います。

 地域のことを考える、地元の将来を考えるなどという機会はなく、私はひたすら地元を離れて都会に出ることだけを夢見ていました。大学進学で室蘭に行くことになりましたが、地元の何倍も大きい街に住むことで自分がステップアップしたかのような気持ちになりました。

 35年が過ぎて私の故郷も高齢化と少子化が進み、母校は残念ながら閉校しました。空き家が増え、建物を取り壊した跡地が目立つようになり、辺りに子供の姿はありません。実家に帰省するたびに寂しさが募ります。今更ですが、高校時代に地域に目を向けた教育を受けていたとしたら、自分の中で何かが変わっていたかもしれないし、故郷の風景も今とは大きく違っていたかもしれない - そんなことを思います。

 ここにいる生徒たちが35年後に自らの故郷の地に立ったとき、私が目の当たりにしている故郷と同じようになっていなければいいなと思います。いや、そうならないために地域の将来を考え、新たなアイデアで挑戦して欲しいと願っています。

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菜の花畑

 17日(土)朝 まずは道の駅奈井江を折り返し地点としてのんびりランニングすることにしました。12号線沿いからピンネシリ山系を眺めながら走っていると、所々に黄色の絨毯が広がっているのを目にしました。茶志内あたりでしょうか。

 ちょうど滝川市では菜の花祭りが開催されていたわけですが、先日、桜井市長様をお迎えし御講演いただいた折に、美唄市の菜の花は、作付面積全国トップ3に入り、2019年から2021年は日本一だったとお聞きしました。私が目にしたところは一部分で、美唄市内のあちらこちらに菜の花畑が広がっているのだと思います。

 大学時代からカメラを持って写真撮影することを趣味としていました。卒業後、教職の世界に飛び込み慌ただしい生活をしているうちに、写真を撮ることを忘れ、カメラを持ち歩くことがなくなりました。

 働いて4年目の夏に突然激しいめまいと吐き気に襲われ、立つことや食べることもようやっと、という状況になりました。仕事は休まず続けましたが、症状が改善するまでに10年の時間を要し、不安を感じなくなった時には30代後半になっていました。

 その間、自分を根本から変えようと考え、そのときにしばらく忘れていたカメラのことを思い出し、体調と相談しながら何年も花の写真を撮りに回りました。滝川の菜の花、北竜のひまわり、岩見沢のバラ、富良野のラベンダー・・・多くの花に人生を救われ、勇気をもらってきました。だから今の自分があると思っています。

 奈井江を折り返し、美唄に向かう途中で脇道に入り菜の花畑を目指しました。過去にそうした経験があったから、どうしても近くで菜の花を見たかったのです。誰もいない静かな菜の花畑が広がっていました。

 またひとつ、美唄の魅力に触れることができました。生徒の皆さんも自分の住む美唄にこんな素晴らしい風景があるということを知って欲しいです。

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書の中に

 登別に住んでいたときに、小学生だった子どもたちが書道を習っていました。週に1回か2回か忘れてしまいましたが、歩いて数分のところにある会館で教室が開かれていたこともあり、友達の家に行くような感覚で出掛けていった姿を覚えています。自分から通いたいと言ったのかどうかも忘れてしまいましたが、「友達もいるから楽しそうだ」おそらくその程度の理由で行くことになったのだろうと思います。その教室は自由に書道を楽しむというのがコンセプトなんだよ、と妻が話してくれ、それはそれでいいことだな、と私は思っていました。

 私が仕事から帰ってくると、教室で書いてきた半紙がテーブルの上に置かれていて、それが上手なのか下手なのか私にはよくわかりませんでしたが、小学生ながらに精神を集中して書いてきたであろう文字の一つ一つに、子どもたちの成長をしみじみ感じました。せっかく慣れ親しんだ教室でしたが、大人の都合(転勤)で教室を辞めさせることになり、子どもたちには申し訳ないことをしました。ずっと続けていれば、その教室から書の楽しさや奥深さを学ぶことができたのかもしれない、そんなことを思うと残念です。

 さて、放課後に校内を歩いていたら、書道部の教室から女子生徒の楽しそうな話し声や笑い声が聞こえてきました。お話するときはする、書くときは集中して話をせずに半紙に筆を走らせる。和やかな雰囲気の中で部活動が行われていました。どのような話で盛り上がっていたのかは分かりませんが、友達と楽しく時間を過ごすことが一番です。この日の想い出がいつか集まったときの話題になるかもしれない・・・

 あっ、もしかすると私の子どもたちが通った教室も同じような雰囲気だったのかな、と思ってしまいました。

 生徒一人一人のかけがえのない高校生活が、それぞれの想い出ノートに刻まれていきます。 

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総合的な探究の時間(防災)

 3年次生の総合的な探究の時間は、大きく6つのテーマに分かれて実施しています。来週19日(月)に地域の方々が来校し、それぞれのテーマにサポーターとして関わってもらい、課題解決に向けた助言やアドバイスをいただくことになっています。

 昨日『防災』をテーマにした班の教室にお邪魔しました。災害が発生したときに必要となるものはなんだろうか、ということについて、優先度の高い順番に黒板に書き出していました。それぞれ思いつくものは異なり、同じことを思いついても優先度が異なるなど、多くの気づきがあったのではないか、と思います。この先の展開が楽しみです。

 2018年9月6日に胆振東部地震が発生し、道内全域が2日間に渡ってブラックアウトになったことは記憶に新しいと思います。実は9月4日に四国に台風が上陸し、その影響で札幌市内は暴風が吹き荒れ、市内の樹木があちらこちらでなぎ倒される大変な事態に見舞われました。さらに私の住む北区の地域一帯が停電に見舞われ、翌日も復旧しない中ブラックアウトになりました。私は連続4日間の停電を経験したわけです。

 食卓テーブルにろうそくを灯し、たまたまあったインスタントラーメンをカセットコンロで作り、家族4人で顔を突き合わせるようにして食べたことを今でも覚えています。冷凍庫の食材が次から次へと溶け出し、トイレは水が流れず、車のガソリンも給油できず、どこのお店に行っても品物が並んでいない・・・当たり前を失った時間でもあり、今までの生活のことやこれからの生き方について、考え直さずにはいられない状況になりました。

 防災について積極的に向き合い、仲間と協働して課題を解決し、自己の在り方生き方を考えていって欲しいと願っています。

 昨日から本日にかけて本校のホームページへのアクセス件数が1,100件ございました。御訪問ありがとうございます。

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体験・経験をとおして

 つくられたものを買って食すことが多いわけですが、本校のフード系列では「つくるとはどういうことなんだろう」「安心で安全に食べるとはどういうことなんだろう」「人の手に取ってもらうとはどういうことなんだろう」ということを、体験をとおして学ぶことができる科目を設定しています。

 本校の5つの系列については、この後順番に紹介していきますが、生きていくために必要な『食べる』ということについて、早い段階から学ぶことはとても大切です。長く続く人生において食は切っても切り離すことができない命の糧となるものであり、食生活の積み重ねが未来の自分の健康を左右するのは言うまでもありません。

 教科書に書いてあることを読んで、知識として蓄積することは大切ではありますが、体験的に知識や技能(技術)を身に付けることができるというのが、本校で学ぶ魅力のひとつです。つくることの大切さと楽しさ、充実感、満足感、達成感・・・深い学びに結びつく授業がそれぞれの系列で展開されています。

 いかに体験してきたかということが、人生を豊かにしていくのではないかと思います。あのときあの食材でつくったから、この食材でも同じようなやり方でできるかもしれない・・・体験・経験で得たものが次の世界へ橋渡しをしてくれます。

 本校の受験を考えている方が読んでくださっているかもしれませんので、御案内いたしますが、実際に本校を見に来てください。パンフレットやホームページだけでは知ることのできない学校の雰囲気や生徒の様子、学びの実際を目と肌で感じとっていただきたいです。是非、御連絡ください。

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精神美

 長く厳しい寒さを乗り越えこの瞬間に咲き誇る

 それは本当に一瞬のことだけれど、一瞬だからこそ、人の心を捉える力を持っているのかもしれません。

 ここ数日、ようやく暖かくなってきましたが、いつの間にか桜の花は葉桜に衣替えをしてしまいました。今年も街の至る所で桜を楽しませてもらいましたが、置かれた場所に凛と立ち、置かれた場所で咲き続けてきた桜に勇気や感動をいただきました。

(5月3日 撮影)

 次に見るのは一年後。「また一年、健康で元気に過ごさなければならないな」毎年のことですが、不思議とそんな気持ちにさせられます。桜の力はすごいなと思います。

 桜の花言葉を調べますと「精神美」と記載されています。桜の花が咲くその姿が日本人の心の美しさや品格を表しており、それだけではなく花びらが散る美しさも日本人の精神に現れていると説明がありました。確かにそのとおりであり、しかし、実に奥が深い言葉です。

 自らの生き方や考え方について、桜から学ぶことは多々あるのかもしれません。

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勝つ者と負ける者の想いを

 5月11日(日)第64回春季北海道高等学校野球大会空知支部予選において、本校は砂川高校と連合チームを組み、栗山高校と対戦いたしました。雨には当たりませんでしたが、常時冷たい風が吹く寒い一日でした。私は、三塁側のスタンドで砂川高校の髙橋校長先生と観戦しました。

 試合結果については、本校と砂川高校の連合チームの勝利に終わり、本校の校歌が球場に流れました。試合が行われると言うまでもなく勝者と敗者に分かれ、このことを承知の上で選手は戦うわけです。

 勝利の校歌が流れる球場の写真を撮り、改めてその写真から一塁側に整列した栗山高校の選手たちを見ていると、「どんな気持ちで相手チームの校歌を聞いているのだろう」と思ってしまいました。悔しい、勝ちたかった、あの場面で打てたら、あそこでエラーしなかったら・・・

 高校時代にある競技に打ち込んでいた私は、顧問の先生から「相手がいて初めて試合ができることに感謝しなさい」と何度も言われました。正直、そのときにその言葉を確実に理解していたとは言えません。勝つか負けるかしか考えていませんでした。やがて自らが教員になり顧問になったときに、当時の顧問の先生が仰ったように「相手がいて初めて試合ができることに感謝しなさい」と生徒たちに話しました。

 相手がいなければ試合ができない。当たり前のことですが、この言葉の意味を今一度しっかり考える必要があります。

 「勝者を祝い敗者を敬う」

 私も理解できなかったことを、高校生の生徒に求めることは難しいですが、相手を敗者を敬うことができる本校の生徒であって欲しい、と改めて思った次第です。

 球場からそれぞれの選手が外に出てきて、本校の主将が応援に駆けつけた方々にお礼の言葉を述べた後に、栗山高校の投手がササっと本校の選手のところにやってきて「ありがとうございました」とお礼の言葉を述べる場面に遭遇しました。彼の両目は涙に濡れ、まぶたが腫れていました。

 勝つ者と負ける者のそれぞれの想いをしっかり受け止めなければならない - そう思わされた瞬間でもありました。

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地域の魅力

 

 5月3日(土)雨上がりの朝、ランニングでアルテピアッツァ美唄に向かいました。二人の子供が幼稚園に通園していたときに一度だけ寄ったことがあり、かれこれ二十ぶりの訪問となりました。美唄の名所ですから、早めに行かなけれならないと思っていました。ようやく実現しました。早い時間だったせいか、観光客の姿がなく、私ひとり貸切の贅沢な時間を過ごさせていただきました。

 本校では、「産業社会と人間」「総合的な探究の時間」を中心に、地域の良さを知り、地元の魅力を考え、美唄の課題解決に向けた地域探究の取組を系統的に進め、社会の中で自己実現する力を育むための教育を展開しています。

 遠くに行くと魅力的な場所がたくさんある - そう思ってついつい遠出をしてしまいがちですが、自分たちが住んでいる街に目を向けると、改めて街の良さや魅力に触れることができると思います。

 アルテピアッツァ美唄は美唄の魅力を語る上で欠かすことのできない素敵な場所です。本校から約6キロメートル離れたところに、このような施設があることを嬉しく思います。

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こいのぼりの記憶

 夕食後にランニングを楽しんでいますが、3・4・5あかしあ通から西4条通を奈井江側に向かって走って行くと、平屋建て長屋の団地が左手に見えてきます。私が幼き頃に住んでいた団地とそっくりで、横切るたびに五十年前の光景が脳裏に浮かび、涙で視界がにじんでしまいます。歳をとると涙もろくなる、というのは本当のことです。

 当時、団地の一角に両親と弟二人の五人家族で住んでいて、さらに同じ団地群で目と鼻の先に祖父母も住んでいたため、いつも祖父母の家で遊んでいたことが記憶のほとんどを占めています。(現在はとっくにその団地群は姿を変えておりますが、なんとなくこの辺りだったかな、という面影だけは残っています)

 子供ながらにも貧しさを感じる毎日ではありましたが、広場にはいつも子供たちが集合していて、陽が暮れるまでかけっこや鬼ごっこ、ビー玉とけん玉遊び、鉄棒やキャッチボールに歓声を上げ、傍らではご飯支度前の大人たちが井戸端会議をしている - 今で言う昭和そのものの、しかしながらあたたかさとやさしさに溢れたゆったりとした時間が流れていたように記憶しています。

 おそらく4月の後半からこどもの日にかけてのことだと思いますが、私の家の前の空き地に祖父と父親が大きなこいのぼりを立ててくれ、支柱のてっぺんにはめ込まれた王様の冠のような金色の風車が元気に回転していたことを鮮明に記憶しています。いつもは広場に集まる子供たちが自分の鯉のぼりの周りに集まってくるのが誇らしくて嬉しかった記憶も残っています。

 すっかり私の話になってしまいましたが、本校の生徒が作ったこいのぼりを先日来校長室に飾っていますが、この作品を見ているうちに先に書いた話を想い出したわけです。

 簡単にできそうな作品に見えますが、木工旋盤でこいのぼりの胴体を削り、ボール盤で支柱を立てるための穴を開け、糸鋸で風車をくり抜き、サンドペーパーで表面加工を施しているはずです。本校の工業系列で学ぶ生徒たちは、普通に大型機械を操作し、活用していくスキルを身に付けています。

 それぞれの系列に特徴があり、わくわくするようなおもしろい学びができますよ。

(明日、明後日は出張のため、校長の小部屋の更新は控えさせていただきます)

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上ばかり前ばかり見て歩いていませんか

 「上を向いて歩きましょう」「前を向きましょう」と励ましの言葉をかけることが多いものです。私も五十数年の人生の中で、何度もこの言葉を相手にかけて、相手からこの言葉をかけられてきました。そうやってここまで生きてきたような気もします。

 でも、今日は「是非、下を向いて歩いてください」と言わせていただきます。ボランティア局が植えたマリーゴールドが正門前の花壇に咲いています。

 5月1日の朝、玄関に立っていると、1年次生の女子生徒2名がじょうろを持って入ってきました。「正門の花壇の花に水をあげたの」と聞くと「そうです」と二人声を揃え笑顔で答えてくれました。花に水をあげる - その気遣いが私は素直に嬉しかったです。

 私の子供たちが花に水をあげる姿・・・残念ながら見たことはありません。かく言う私も高校時代にお花に水をあげたことはありません。それがいいか悪いかは別として、興味のない人には気づきもしないし、花そのものも目に入ってこないということなのかもしれません。

 生徒たちに手入れされ、いつまでも綺麗に咲いてください。

 追記 ホームページ閲覧数が100,801となりました。昨日朝から本日朝までに1,153件増加しています。閲覧ありがとうございます。

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デジタル化

 今年度、PTA総会に係る配付資料を紙媒体からデジタル化しました。保護者等の皆様には御不便をおかけしたかもしれませんが、教職員の働き方改革の推進と経費削減に向けた本校の取組のひとつとして御理解ください。

 議案書につきましては、電子データ(PDF)として事前に配信させていただき、御家庭において端末で確認していただくようにしました。また、当日の総会におきましては、QRコードの読み込みによって議案書のダウンロード並びにスクリーン投影により見ていただくスタイルをとらせていただきました。

(写真をモザイク風に加工しています)

 デジタル化によって全ての業務が効率化されていくとは考えてはいませんが、今回の総会資料に限って見ていくと、印刷する時間、綴じ込む時間、仕分けする時間、配布する時間、インク代、紙代、ホチキス針代・・・細かく分析していくと、そこにかかる労力と経費はかなりのものになります。楽をしようというのではなく、その労力と経費を生徒のために還元していくと捉えてください。

 時代は急速に変化しています。私が子供だった頃、大学時代、四十代前半までは、緩やかな坂道を上るくらいの変化だったものが、ここ数年は二次関数的な変化になっています。あんなことができればいいのにと思っていたことが、2年先ではなく3ヶ月、1ヶ月先には出来上がっているというような状況になっています。藤子不二雄さんのマンガの世界がまさに実現されてしまっています。

 ゆっくり、のんびりだった頃の方が良かったな、と懐かしむのは私だけではないと思いますが、変化は私たちの思いを待ってはくれません。先に先にとどまることなく進行していきます。そこに生きる私たちが変化に対応していかなければ、取り残されてしまう時代です。また、生徒たちはその変化の真っ只中で生きており、私たちが懐かしむ過去を知らないわけですから、社会の変化に応じた教育が求められるのは必然であるわけです。

 昔ながらの良さを継承しつつ、時代に即した教職員の働き方、効率的な業務で生徒との関わりの時間を確保するため、小さなことからひとつずつ取り組んでいきますので、保護者等の皆様の御理解と御協力をお願いいたします。

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