北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
祝 全道大会出場!!
・第41回北海道高等学校新人陸上競技大会
9月24日(水)~26日(金) 帯広市
円盤投1名
・第55回北海道高等学校新人ソフトテニス選手権大会
9月13日(土)~14日(日) 帯広市
ダブルス1ペア シングルス1名
・第59回全道高等学校書道展・研究大会
10月15日(水)~17日(金) 釧路市
4名
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
祝 全道大会出場!!
・第41回北海道高等学校新人陸上競技大会
9月24日(水)~26日(金) 帯広市
円盤投1名
・第55回北海道高等学校新人ソフトテニス選手権大会
9月13日(土)~14日(日) 帯広市
ダブルス1ペア シングルス1名
・第59回全道高等学校書道展・研究大会
10月15日(水)~17日(金) 釧路市
4名
9月26日(金)美唄市立東中学校学校祭の合唱を参観させていただきました。その前に開催された美唄中学校学校祭の合唱コンクールで、鳥肌が立つ感動を味わってからというもの、今日のこの日を私は密かな楽しみにしておりました。一人ひとりの声が重なり体育館に響く歌声は、忘れかけていた遠い昔の懐かしい記憶を呼び起こし、私の心をじーん、じーんと震わせ、何とも不思議な世界に誘っていくのです。
(8月26日 校長の小部屋 正解など で掲載)
3年生の『正解』本校の教職員が書におさめた『いつも正解などまだ銀河にもない』の『正解」。それまで全く知らなかったのに、書を見た後にインターネットでこの曲を聴き、繰り返し歌詞を読みました。その曲がピアノ伴奏に導かれ、「この先に出会うどんな友とも・・・」と合唱が始まったとき、私は不覚にも目頭を熱くしたわけです。
小学校から一緒に過ごすことが当たり前だった友とあと半年でお別れになる・・・迫ってくる現実(高校受験、卒業、新たにスタートする高校生活)に不安を抱えながらも、今を精一杯生きている生徒たちの歌声に、私は「大丈夫だよ、君たちなら大丈夫」と心の中で静かにエールを送っていました。心をひとつにして歌ったこの曲、この歌詞がいつまでも君たちを支えているのだから大丈夫。
振り返ると、私の十代から二十代前半までの人生は、教科書に書かれていないこと、誰も教えてくれなかったことに翻弄されていた気がします。あの頃の自分は常に何かに怒りを感じ、ひたすらに寂しくてひたすらに虚しかった。ケンカした友への詫びの入れ方、父親への向き合い方、強がる自分の在り方、好きになった女性への感情の伝え方、告白されたときの断り方、親友の見つけ方、将来の叶え方、フラれたときの割り切り方・・・毎日そんなことばかりを考え、手元にある小説を片っ端から貪り読み、ラジカセのカセットテープから流れてくる歌詞をノートに書き留め、正解を見つける旅をしていました。そうして何かをあきらめ、何かを手にしてあの灰色の時間をくぐり抜けてきました。
あくまでも個人的にですが、『正解』の歌詞は中学生や高校生の心を的確に捉えていると思います。「答えがすでにある問いなんかに用などはない」、「僕たちが知りたかったのはいつも正解などまだ銀河にもない」、「解答用紙はあなたのこれからの人生」 - このようなメッセージがあの時にあったなら今頃自分はどうなっていただろう・・・
この歌が、見えない何かを追い求める若者たちを時にやさしく包み、時に力強く支えてくれる、私にはそう聞こえます。
東中学校の生徒の皆様、素敵な合唱ありがとうございました。
お昼にフード系列の男子生徒が校長室にやってきました。「製造した食品を食べてみてください」と元気な声で言った後、私にお皿を渡してくれました。肉製品でしたが塩分もちょうど良く大変美味しかったです。ありがとうございます。せっかく訪問してくれたので、会話を楽しもうと私もあれこれ質問したりするのですが、それに対して嫌がることもなく一生懸命に答えようとする姿がとにかく可愛らしいです。
(写真の一部を加工しています)
さて、10月11日(土)『さんフェア2025 第1回北海道農業高校収穫祭inイオン』が札幌市のイオンモール札幌発寒で開催(午前9時から)されます。本校のフード系列も出展し、生徒が実演と販売を行いますので、是非お越しください!また、各学校の生徒たちの活躍も見ていただけると幸いです。
4月から今日に至るまでさまざまな生徒が校長室を訪ねてきます。いい表情、困った表情、怒りの表情、涙ながらに・・・そこでの話は個人的なことでもありますから、詳しいことは控えさせていただきますが、一人ひとりが悩みや葛藤を抱え、それでも精一杯生きているということを感じます。「この子たちはこの子たちなりに考え、一生懸命生きているんだ」私は聞き役として9割、残る1割は人生の先輩としてアドバイスすることに徹し、生徒と接するよう心掛けています。
すっきりした表情で校長室を出て行った生徒たちと日々言葉を交わすことがない分、数ヶ月ぶりに話をすると生徒の成長を感じます。毎日接していると小さな成長を感じるとることは難しいのですが、時間は人を確実に成長させています。5度の担任業務を振り返ってみても、スモールステップを見過ごしてしまい(多忙な日々の中で見取る余裕がないというのが現実です。これではいけないのですが)、卒業段階で一人ひとりの成長を感じて涙していた自分がいます。生徒が訪ねてくるといつも教え子たちとのやりとりを想い出し、あんなことがあったな、こんなことがあったな、と一人懐かしんでいます。
今思っていることをそのままキーボードで打ち込んでいますので、フード系列の話の展開からまったくつながりのない話になってしまいました。申し訳ございません。
本日は土曜日ですが、生徒は午前中登校して授業を行い、午後から一日体験入学を行います。
華道部の生徒2名が校長室にやってきました。今月の花を持ってきてくれました。ホームページに掲載することを了承してもらい、付き添ってきた男子生徒に写真を撮ってもらいました。「夏から秋に季節が移り変わって行く様子を表現しました。明るい色から暗い色に変化していくように」生徒の思いが生け花に伝わっています。ありがとうございます。
(写真の一部を加工しています)
デスクに花とネームプレートを並べ、そのネームプレートには、花に由来した何とも素敵なお名前が表記されており、名付けた方の思いがすごく伝わってきました。名前の由来を聞いているかもしれませんが、そうでないのだとしたら、是非聞いて欲しい。そしていつまでも自分の名前を大切にして欲しいな、と願いながらこれを書いているところです。
以前にも書きましたが、私は自分の名前にコンプレックスを持ってある一時期を過ごしてきましたので、余計に人様の名前が気になります。名前をしっかり背負えるようになったのは大学生になってからで、それ以前は人から名前を呼ばれることが嫌でした。間違いなく自分の名前が呼ばれる入学式、卒業式、表彰式は私にとって人生最悪の日でした。今考えると苗字は先祖に、名は祖父にとても失礼なことをしたな、とは思いますが、当時は本当にきつかったです。
入学式の式辞や私の名前が記載された賞状を生徒にお渡しするとき、最後に北海道美唄尚栄高等学校長日下剛と自分の口で読み上げます。そのたびに、あんなに自分の名前が嫌だったのに、自分の名前を自分でしっかり言えたぞ、と思っている自分がいます。おそらくこの先もそう思う自分は私の中から消えないと思います。それはそれで仕方のないことかもしれませんが、ただ、胸を張って名前を言える自分になれたことが、名付け親である祖父に対するせめてもの報いになるのかもしれないと思っています。
昨日の校長の小部屋では、読書の秋を楽しみますと書きました。本日の新聞でデジタル教科書を正式な教科書として位置付け、次期学習指導要領が小学校で全面実施される予定の2030年度から導入を想定しているとのことです。私見は述べませんが、情報化の波が加速度的に押し寄せてきていることを改めて実感します。
校内を回ることが多いのですが、たまに図書室を覗いています。朝一番、夕方遅くに入室すると当然誰もいない静かな図書室なのですが、思うことは、本に囲まれた空間で過ごす素晴らしさをどうしたら生徒たちに伝えられるだろうか、ということです。本離れが進み、手軽な端末の中で物事が完結していくような世の中にあって、一冊の本を手にさせることや読書の良さ、図書室の活用を勧めることの難しさを感じます。
17歳、高校生のときに村上春樹著「ノルウェイの森」を読んだ衝撃は今でも忘れません。読後に押し寄せてきた一種独特な脱力感と無力感は、それまで感じたことのない不思議な感覚で、しばらくの間何も手につかなかったことを覚えています。
人を好きになること、生きていくことの意味、これから自分が行くであろう大学とは何なのか、自分とは、大人になるとは、親友とは・・・当時私が抱えていた複雑な思いのすべてが、この上下2巻に集約されていました。自分は何者でどこに向かっていくのか、誰も教えてくれない、結局は自分で見つけなければならないんだ、と教えてくれた作品で、高校2年生から現在に至るまで、何度も繰り返し読んでいる愛読書です。年齢とともに当然受け止め方は変化していきますが、読むたびあの時の17歳の自分に戻れる本でもあります。
大学時代に出会った妻もたまたま著者のファンだったこともあり、以後三十数年かけてふたりで書店をや古本屋を回って作品のすべてを購入し読んできました。先日自宅に帰ったとき、居間にずいぶん昔の著者の本が置かれていたので、妻も時折読み返しているみたいです。妻とは好きな作品は異なりますが、私は先に書いた「ノルウェイの森」ともう一冊大切にしている作品があり、それは大学時代に読んだ「国境の南、太陽の西」です。個人的に一番好きな作品です。気になる方は是非読んでみてください。
さて、本校の図書室にも村上春樹さんの本が置かれています。上記の作品は残念ながら棚には入っていませんが、最近の作品がいくつか並んでいて、中には映画(ドライブ・マイ・カー)で取り上げられた短編が納められた一冊もあります。生徒の皆さん、是非手にしてください。
デジタルもいいけれど、本の重みを感じながら、一枚また一枚とページをめくり、見たこと感じたことのない世界に触れられる読書を楽しんで欲しいと思っています。たかが一冊、されど一冊です。一冊の中に自分の知らない世界が広がっています。
あんなに暑かった夏はどこへ行ったのか・・・今年は秋の訪れが早いのか、9月に入ってから急に肌寒く感じることが多くなりました。数日前、大雪山系の初雪の便りをニュースで知りました。このまま秋が深まっていくのか、と思うと寂しくなります。
食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋とも言われますが、食欲は別として、私は欲張りにも読書と映画、スポーツを楽しんでいます。読書は一度ハマってしまうと次から次に本を手にし、本が切れてしまうと落ち着かなくなる、所謂活字中毒の状態になってしまいます。今晩から読み始める本を含め手元に4冊揃えたので、読書をたっぷり楽しもうと思っています。
切れ目の良いところで本を閉じた後は、インターネットで映画を楽しんでいます。途中居眠りをして何が何だかわからなくなり、同じ映画を何度も繰り返して見ている始末ですが、配信されている映画が多く飽きることがありません。
平日の夕食後はランニングを楽しんでいます。陽が暮れるのが早くなり真っ暗な中を気をつけて走っています。そんな中、私を見つけた生徒が「校長先生、こんばんは」と声をかけてくれます。いきなりなのでびっくりしますが、知らぬふりではなくきちんと挨拶してくれるのが嬉しいです。休日は午前中に20~30キロのランニング、午後から花の手入れをするのが10年来の日課になっています。
(札幌市東区 モエレ沼公園)
今までウォーキングや水泳を趣味にしていた妻が、ここ最近短い距離のランニングを始めました。昨日も自宅から自動車で5分のモエレ沼公園に行き、1周3.75キロを一緒に走り2周目をゆっくり歩きました。5キロを休まずに走ることを目標にしている、とのことで、いつか長い距離を一緒にランニングできたらいいな、とにわかに期待しているところです。
私は本校の教職員に対して「自分の働き方を自分でコントロールし、プライベートの時間を充実させてください。幸せになること、ウェルビーイングであることについて、それは誰かが与えてくれるものではなく、自らそうあるために自ら作り出していくものです。自分がそうした意識や行動をしていくと、周囲もまた幸せになり、ウェルビーイングになっていきます」と話をしています。これは私自身の経験から言えることでもあります。
どんなに忙しい中にあっても、プライベートの時間を充実させることは可能です。後回しにせず、今この時に実現させていく、そのようなライフスタイルを確立して欲しいと思います。
9月19日(金) 国土交通省北海道開発局様、一般社団法人空知建設業協会様が主催する「学校キャラバン」が開催されました。高校生に向けて建設業の魅力を発信することを目的に、地元建設企業の若手職員による仕事紹介や作業体験が行われました。お忙しい中、本校生徒の教育活動に御尽力を賜り感謝申し上げます。
日本の総人口が減少するなかで、65歳以上人口が増加することにより高齢化率は上昇を続け、2040年には約35%、2050年には37%、2070年には39%に達すると推計されています。建設業のみならず産業の担い手の確保が急務になっています。建設業の労働力が不足すると、受注できても着工ができない、インフラの維持が困難になるなど社会的な影響が懸念されます。
例えば、一軒の家を建てるとき、基礎工事(根切り・地業・防湿シート張り・捨てコンクリート・配筋工事・コンクリート打設)、配管工事、足場工事、建方工事、屋根工事、サッシ・ベランダ工事、電気工事、断熱工事、クロス貼り工事、外壁工事、外構工事など数多くの工事があり、それぞれの技術に特化した多くの職人さんが携わります。建設業界の人手が不足すると工事が遅れ、半年で引き渡されていた新築住宅が、1年も2年も待たされてしまい、さらに経費も嵩むという事態が発生します。
電力会社に就職した次男が先月言っていたことです。「電気の技術屋さんが足りないから、受注はあっても工事ができないんだよ。何ヶ月も先延ばしになっていたり、仕方なく断っているケースもあるんだよな。オレ、高校選ぶとき工業高校への進学なんて一切考えもしなかったけれど、お父さんが教えてきた生徒は貴重なんだな、と思ったわ。工業高校の生徒や専門的なこと学ぶ生徒をしっかり育てて、社会がそういう生徒を大切にしていかなければ、この先困ったことがたくさん出てくると思うわ」
今回の「学校キャラバン」により、生徒は本校で学ぶことが社会でどのように生かされていくのか、建設業の具体的な話から自らの果たす役割とは何なのか、ということを理解することができたのではないかと思います。
努力の上に花が咲く
この言葉をインターネットで検索しましたら、学校法人中村学園(中村学園大学)の創立者、初代理事長である中村ハル氏が、晩年若い世代の学生たちへ贈り続けた言葉であることを知りました。ずいぶん昔から聞いてきた言葉でもあり、私も生徒たちに努力することの大切さを語るとき、真っ先に引用した言葉でもあります。遅ればせながら言葉が生まれた背景を知ることができました。
冒頭数行書いたところで8年前の我が長男の顛末を想い出しましたので、少しだけ書かせてもらいます。高校の部活動は、小学校から続けてきたサッカーではなく、全く経験したことのないフェンシング部に入部しました。部活動だけではなく遊んで帰ってくることもあったと思いますが、帰宅は毎晩10時11時、休業日は朝から夕方まで出掛けたままで、家でも顔を合わせない日がほとんどでした。大学に行きたい、なんて言っていたけれど、いったいいつ勉強しているのだろうか・・・と私はいつもそんなことを思っていました。
競技人口が少ないので、インターハイや国体などの全国的な大会に出場することはもとより、本州の遠征も何度も行っていました。2年生の夏に宮城県気仙沼で開催されたインターハイに出場し、こんな時でもないとな、と私も会場に行って観戦しましたが、結局これが長男にとって最後の試合になりました。大会が終わり秋が深まった頃、長男からLINEメッセージを受け取りました。
ここから残り1年、どれだけ努力しても全国の選手に勝つことはできないことがわかった。今まで勉強もおろそかになっていたから、勝てないことを承知した上で練習に打ち込むのではなく、大学受験に向けた努力をすることにした。このままだと、部活で結果を残せない、大学にも入学できなくなるかもしれない。中途半端な高校生活にしたくない。道具の購入や部活のためにかなりのお金を使わせてしまったから申し訳ないけど、いろいろ悩んだ結果、部活をやめることにした。これからは勉強することにする。部活でやりきった感はあるし - 私は、悩んで出した君の結論を尊重するよ、と返信しました。
花が咲いたのか咲かなかったのか・・・それは当の本人だけが感じること。でも、私は長男が部活動に、受験勉強に努力してきた過程を遠巻きに見てきたので、どんな形であれ花は咲いたんだろう、と思っています。仮に花が咲かなかったとしても、何かに向かって一生懸命になった努力は長男の足元を固め、生きていく上で貴重なものを手にしたはずだ、と思っています。
生徒の書が、ずいぶん昔のことを想い出させてくれました。ありがとうございました。
(画像の一部を加工しています)
失敗は成功のもと - 一度でうまくいくことはほとんどなく、何回も失敗を積み重ねた末、成功するのがふつうである。失敗に気をおとしてはいけない。(新修ことわざ辞典より)
この書、筆をとった生徒はどのような経緯から「失敗は成功のもと」を題材にしたのでしょうか。失敗した自分を奮い立たせるために書いたのか、それともこれから挑戦する自分を励ますために書いたのか・・・聞いてみたい気がします。
月並みな言葉ですが、生徒の皆さんには「失敗を恐れず果敢に挑戦して欲しい」と思います。失敗することを恥ずかしいとか情けないと思うのではなく、挑戦しなければ成功することもないんだ、と思考を変えて欲しい。挑戦に失敗は付きもの、と開き直って欲しい。
私は仕事もプライベートもずいぶん失敗してきました。そのたびに頭を下げて詫びを入れ、二度と同じ失敗をしない、と決意してきました。身勝手な行動によって、人を困らせたり不愉快にさせてしまった数々の失敗については、成功のもとではなく、後悔として40年以上引きずるものとなっていますが、それ以外の失敗については成功云々は別として、私という人間を形成していく上で必要なことでした。
人の心に傷を付ける失敗をしないこと。不愉快にさせる失敗をしないこと。失敗を真摯に受け止めること。失敗を認め謝罪すること。反省して次に繋げていくこと。失敗しても諦めないこと。同じ失敗を繰り返さないこと。挑戦した結果の失敗をバネにすること。これは私のスタンスです。
もうひとつ。挑戦しなければならないとき、って必ず人生に訪れます。格好を付けて書くわけではありませんが、私の経験から、ふたつにひとつを選択しなければならないとき、「やる」、「やらない」のいずれかは「やる」を選んで挑戦して欲しい。あえて茨の道、つまり挑戦することを選ぶ・・・そこで失敗することになっても後々後悔することはありませんので。
失敗は成功のもと、です。とても重みのある言葉です。改めて考えさせてくれた作品に感謝します。ありがとうございました。
本校のホームページに訪問していただく件数が毎日1000件を超えるようになりました。ありがとうございます。
本校は、「かなうさ」というマスコットキャラクターを持っています。尚栄の『尚』の文字をモチーフに、そして、尚栄なら夢がかなう、という言葉を掛け合わせて名付けられた可愛らしいマスコットです。
本校のホームページにアクセスすると校舎の写真が写し出されますが、その真ん中に跳び箱を跳ぶピンク色の「かなうさ」のイラストを見ることができます。『尚』の文字に見えると思います。学校独自の公式マスコットキャラクターを持つ学校はそう多くはないので「かなうさ」をどうにか活用できないか・・・4月からずっと考えています。
ずいぶん前にデザイン系列の生徒がクッキーを焼いて校長室にやってきました。タグは昨年度のものになっていますが(サンプルなので気にしないでください)、一日体験入学でクッキーをプレゼントするとのこと。「試作なので食べてください」ということですが、なんだか可哀想でいつまでも食べられずにいます。
夢(手元のある国語辞典より) - 将来実現したいと思う事柄。希望。それでは希望とは - こうあって欲しいと願い望むこと。似たような言葉で使われる目標は - めあて。
小さいときにはたくさんあって、大人になると失っていくもの・・・一般的にどうなのでしょうか?寂しいけれど、現実を知るにつれて失っていくものなのかなぁ。私は多くの夢を捨ててしまったかも。でも、捨てると新たに見つけるのも、また夢ではないかな、と思います。
そうした中で見つけた夢のひとつ。それは、六十歳を境にしたそれ以後の人生についての夢です。ずいぶん前から持ち続けてきた夢ではありますが、ここまで先延ばしになり、あと5年半のところに迫ってきました。詳しくは書きませんが、お店を持ちたいと思っています。妻に言うといつも笑われますが、私はかなり本気です。その夢を叶える第一歩として専門学校に通うことを考えています。実現に向けて一歩一歩歩んでいこうと思います。
十代を生きる生徒の皆さんはたくさんの夢を持っているはずです。無理だではなく、叶えようと思い続けて欲しい。どこでチャンスが巡ってくるかわからないわけですから。
5月中旬から校長室の入口扉を開放しています。その扉の付近から、こそこそこそっと小さな声で喋っている生徒の声が聞こえてきました。
とんとんとん - 校長室の扉がノックされました。
「校長先生、とら焼きとどら焼きを作ったので食べてください」頭から足下まで真っ白なユニホームに身を包んだフード系列の3年次生が、はにかみながら校長室に入ってきました。訪問してくる生徒はみんなそうなのですが、はにかみ表情が可愛らしくて、いつも私の心を穏やかにさせてくれます。まだまだ子どもなんだなぁ、と思ってしまいます。「せっかくだからホームページに載せる写真を撮ろうよ」と声をかけ、4人で並んで撮りました。
「どうしてとら焼きなの」と聞きましたら「皮がとらの模様だからです」と返ってきました。なるほど、言われてみれば、です。餡は入っていませんでしたが、とら焼きもどら焼きもどちらも美味しかったです。ありがとうございました。
 とら焼きとどら焼きは、今後開催されるいくつかのフェアで販売する予定になっていますので、手に取ってもらえると嬉しいです。製造の様子を本校インスタグラムに掲載しております。御覧ください。
   https://www.instagram.com/bibai_shoei_highschool/
みんなで楽しく作って、できあがったものを品評して、何が上手くいって何が足りなかったのかをみんなで考える。それを元に改良していく。大人になってからではなく、多感な高校時代にこのような体験ができることに、私は大きな意味があると考えます。
変化の激しい時代、人生100年時代と言われています。生徒たちの将来は働く期間が長くなり、マルチステージの時代になります。学んで働き、学んで働き・・・を繰り返す人生になっていくものと思われます。
【課題】どうしたらとら焼きの皮になるのか 【情報の収集】まずは調べなければならない 【情報の整理・分析】調べたことをまとめる 【まとめ・表現】実際に作ってみる これを繰り返していく。変化が激しく予測困難な時代だからこそ、常に【課題】が降りかかってくるわけですから、学びのサイクルは延々と続いていきます。本校で実践している学び方が、課題解決に向けたひとつの手段として役に立つと思っています。
9月27日(土)の体験入学の受付をしています。是非、お越しください!!
夏にさよならしなければならない - 九月の夕暮れはいつも美しいのだけれど、私をセンチメンタルにしてしまう・・・
9月10日 明治通りと美唄川の交差付近にて(写真を補正)
夕食後のランニング。見上げる空はわずかに残る朱色が早送りされ、たちまちのうちに濃紺に染まっていきます。この日もそうでした。1分、2分と言ってはいられない加速度感。空の色は駆け足で切り替わっていきました。もう少し近づいたところから、なんて思いながら夕暮れに向かって走りましたが、もうこれ以上行くとこの空を切り取ることができない、と諦めて写真を撮りました。
ずっと遠くから演歌のような音楽が時折風に混ざって聞こえてきました。空知神社秋季例大祭の初日。秋祭りのスタート。音源はおそらくそこからのもの。
否応にも秋の訪れを私に伝えてきます。目の前を通り過ぎる赤とんぼ、道ばたに落ちてしまった葉、黄金色の田、道路沿いのすすき、草むらのコオロギの声、そして肌に感じる風・・・
本日で単元まとめテストが終了します。3年次生は来週から解禁される就職試験に向けた準備、久しぶりの部活動やアルバイト等が再開されます。学校帰りにお祭りに寄っていく人も多いのかな。
本校の生徒にも秋の時間が訪れています。
美唄市立美唄中学校の学校祭企画の目玉でもある合唱コンクール。かねてより浅利校長先生から「審査員をお願いします」とお声がけをいただいたこともあり、わくわくしながら訪問させていただきました。
最後に合唱を聴いたのは、次男の中学校の卒業式。その前となると2年遡った長男の中学校の卒業式になります。8年前、10年前のことになります。どちらも公立高校の合格発表前で、親としては子どもが卒業する喜びの裏で合否の行方にそわそわしている、そんな複雑な胸中だったのを覚えています。合唱(たしか大地讃頌だったような)の歌声とともに、脈絡もなく溢れ出してくるさまざまな想い出に浸りながら、私はただただ目頭を押さえていた - この歌声のどこかに、間違いなく自分の子どもの想いが混じっているんだ、そう思いながら聴いていました。
さて、1番手は2年1組「COSMOS」。表現のしようがないのですが、ピアノ伴奏から心にぐっ、とくるものがあって、最初の歌声がピアノに載った瞬間に鳥肌が立ちました。合唱の善し悪しではなく、子どもたち一人ひとりの想いがひとつに重なって私の胸にどーん、と迫ってきました。
すごい - それ以上の言葉は出てきませんでした。本当に感動した時って、言葉は出てこないんですね。それともうひとつ、歌詞の一部ですが、ここがとても素敵でした。「君も星だよ みんなみんな 時の流れに 生まれたものなら ひとり残らず 幸せになれるはず」(ミマス作詞)こういう素敵な言葉を大人になっても、いつまでも心に留めておいて欲しいです。
6つのクラスの合唱は、それぞれのクラスの特徴が表れていて、同じ曲なのに全く違う表現があって素晴らしかったです。ひとつの曲に生徒一人ひとりの想いが乗せられて最後はひとつの歌声になって響く・・・合唱の奥深さに心が打たれました。
ひとつの歌声にするまでにさまざまな苦労があったはず。それを乗り越えた一人ひとりの心には合唱が終わったという現実だけではなく、かけがえのない大切なものが植え付けられています。美唄中学校の生徒の皆さん、感動をありがとう!
自校に所属していない子どもたちの写真撮影はできませんので、今日の写真は、合唱コンクールが終了した後に浅利校長先生といただいた給食です。美唄市の給食は食材にこだわっており大変美味しい、と各方面から評判が高いとのことです。そのとおり美味しかったです。ごちそうさまでした。
校門前のひまわりが満開になりました!!
私の朝を出迎え帰りを見送ってくれるひまわりです。
さて、少し難しい話をさせてください。
こうなんだ、と決めつけてしまうとそこだけしか見えなくなります。特に若いときは狭い世界のさらに小さなひとつのモノしか見えない - 私自身の経験から言えることでもあります。それで失敗したこと、周りの人に不快な思いをさせてしまったこと・・・私にはたくさんあります。
(立って撮影)
誰かに教えてもらったことではないけれど、カメラを持ってさまざまな被写体や風景を切り取っていくときに、立ったりしゃがんだりするだけで、ファインダ越しに見えてくる像が大きく違ってくることを覚えました。望遠レンズで引っ張ってくるよりも、そこまで足を運んで像を結ぶと遠くからは見えなかったものが見えてくることを知りました。そんなことは当たり前なのですが、意外と人は気付いていない。
(座って撮影)
学生時代にカメラを始めたとき、上から見下ろすだけの単調な写真を撮っていたけれど、体調を崩して再スタートしたカメラは目線を合わせてシャッタを押すことが多くなりました。花を撮影することが多かったのですが、マクロレンズで撮影する時など、私は草むらに身を横たえ20センチや30センチまで花に顔を近づけて撮影をしていました。
離れた位置からはただの花びら一枚でも、ぐーん、と近づくと花びらの筋やそこに載る花粉の粒まで撮し込むことができるわけです。おもしろくてずいぶんのめり込みました。嫌なことを忘れ、心の中に蓄積した負の荷物を捨てられる時間でした。自分自身のモノの見方が如何につまらないものだったか - この時期に教えられたことでもありました。
そうした経験の中から少しずつ自分自身が変わっていったんだろうと思います。そういう意味では、あの長い時間も決して無駄ではなかったと思います。一方向の高い所から、ではなくて、ぐるーっと回って目線を下げた所から見てみる。被写体の一番いい所に触れることができるはずです。
目線を合わせる、視点を変える - 始めてみませんか!
本校のホームページの閲覧誠にありがとうございます。昨日から本日にかけての1日で1400件のアクセスがありました。インスタグラムも更新しておりますので、是非御覧ください。ありがとうございます。
9月4日(木) 探究学習中間発表会を実施しました。7月25日に実施する予定でしたが、高温下による熱中症を防ぐため延期させていただきました。進路活動(就職)が本格化する3年次生には、発表会に向けた準備で負担をかけることになりましたが、この日の発表を見て単純に中止にしなくて良かった、と思いました。3年次生の皆さん、本当にお疲れ様でした。また、本校にお越しくださいました皆様に対しましてもお礼を申し上げます。ありがとうございました。
9つのブースが用意されました。「商品開発(グッズ)」「商品開発(食品)」「道の駅」「防災」「健康」「広報・SNS」「若者が集まる場所(フード)」「若者が集まる場所(娯楽)」「若者が集まる場所(イベント)」生徒たちが一つ決めたテーマに対して調査し議論を重ねてこの日の発表に繋げました。
汗を流しながら説明する姿、真剣な表情で語る姿、予期せぬ質問に一生懸命に答える姿・・・教室では見ることのできない3年次生の姿に触れ、私は感動しました。場慣れしている今なら私もできると思いますが、37年前の高校3年生だった自分にこれができたか・・・生徒の姿からそうしたことも考えさせられました。生徒にはさまざまな可能性があるんだな、と思います。
もしかしたら実現できるかもしれない - そう思わせるアイデアが詰まっています。仮に実現できなかったとしても、誰も気付かなかった発想が詰まっています。この発表で終わり、来年1月までの取組で終了ではもったいないな、と思います。
この後、地域の関係機関と打合せを重ねていくグループもあると聞いていますので、原石をさらに磨き、輝くものにしていって欲しいです。
美唄市長桜井様の言葉をもう一度。
「ゼロから1を生み出す力がこれからは必要となります」
5月21日 齋藤農場(齋藤実様)様の田んぼにおいて、美唄市食育事業の一環で行われた田植えに、美唄市立東小学校5年生と本校のフード系列2年次生4名が参加したことを以前紹介させていただきました(5月27日 校長の小部屋 掲載)。
9月4日 稲刈りのスタッフとして、フード系列2年次生5名が現地に向かい、小学生が行う作業の指導や刈った稲をまとめて縛るなどの手伝いをしました。地域の方々と直に触れ合える体験の場を提供してくださいました、美唄市教育委員会様や齋藤様に感謝申し上げます。
実るほど頭を垂れる稲穂かな - この日、田んぼの縁に立ち、黄金色に染まった稲を見渡しているときに、この言葉が浮かんできました。実るほど頭を垂れる稲穂かな、と小さな声で口ずさみながら、これはきっと今何かをしっかり考えなさい、というサインなんだろう、と私は受け止めました。
稲は成長すると実をつけていきますが、つければつけるほどその実(頭)の重みで垂れ下がってきます。「立派な人、人格者ほど謙虚な姿勢である」という例えです。そのとおりだな、と思います。
いつのことか忘れましたが「謙虚であれ」と教わったことがあります。自分の能力を誇らず素直な態度でいなさい、と説かれました。自分が自分が、ではなく、相手を重んじなさい、と。何の時だったかなぁ・・・思い出せません。もしかしたら母親から、いや、中学校の担任佐藤先生から言われた言葉かもしれません。
私も人生の後半を走っているわけですから、さまざまな体験や経験を積んできました。これは人に負けないぞ、ここまでやってきた、というプライドは当然あります。ただそのことを以てして、得意になることがないように、といつも自分に言い聞かせています。見せつけようとしない、つまりは、うちに秘めておけばいいのだ、と。これからもそのような生き方をしていこうと思います。
この日、小学生は泥だらけになりながら稲を刈っていました。子どもたち一人一人にとって、今日の出来事が素敵な想い出として記憶されるといいな、と思います。
9月3日(水)4校時 1年次生(1組)で実施していた現代の国語「疑問の探究」についての授業の一コマです。
「一つのことに集中すると周りの音が聞こえづらくなるのはなぜか」「なぜ人には感情があるのか」「季節ってなぜあるのだろう」「人はなぜ、戦争という愚かな手段を手に取るのか」「なぜ一重の人と二重の人がいるのか」「なぜ同じ日本なのに方言があるのか」「アフリカはなぜ発展しないのか」「ミラという星はどうして明るさ、色が変わるのだろうか」「なぜ学校があるのか」「なぜ身長が高い人と低い人がいるのか」「あくびを見てなぜつられるのか」「ジョギングとランニングの違い」「人は死ぬとどうなるのか」「宇宙は無限なのか」「雲が美味しそうなのは、なんでだろうか」「なぜ日本語話しているのか」「なぜ人は夢を見るのか」「なぜ自分たち大人の言ってることが正しいと言えるのか」「なぜ猫派と犬派がいるのか」
こうしてすべてを並べて見てみると、確かに「なぜ?」であり、私自身が生徒一人ひとりに胸を張って「こうだからね」と答えられないな、と・・・
生徒は自分の疑問について調べ、相手に理解してもらえる伝え方を考え、発表に結び付けています。昨日、美唄市長桜井様が本校にお越しになり、1年次生と3年次生にこのような言葉をかけてくれました。「ゼロから1を生み出す力がこれからは必要となります」まさにそのとおりだな、と思いました。なぜ?というゼロのスタートから自分なりの答え1を見つけていく。考えさせられます。
私は「人はなぜ、戦争という愚かな手段を手に取るのか」「ミラという星はどうして明るさ、色が変わるのだろうか」「なぜ人は夢を見るのか」「ジョギングとランニングの違い」の4つの発表を聞かせてもらいました。ただ調べたことを列記して発表するのではなく、自分の考えを含めた発表になっているのが良かったです。
ランナーの私は「ジョギングとランニングの違い」の発表が興味深かったです。発表した生徒は図書室で関連する本を見つけ、それを元に考えをまとめたとのこと。図書室に足を運び、本を手にし、ページをめくる - そのことも私としては嬉しかったです。ランニングシューズによる走行スピードの効果について調べてね、と生徒にお願いしましたので、次回の発表を楽しみに待ちたいと思います。
一生懸命に話す姿、真剣に聞く姿がとても良かったです。生徒たちはすごいな、と感心しました。真剣に聞くことは小さな頃から家庭でも学校でも求められますので、ある意味できて当たり前かな、と思います。しかし、どうでしょうか。一生懸命に話すことって生徒だけではなく、私たち大人を含めてできるでしょうか。特に、昭和世代の私たちはできないのでは、と思ったりしています。
自分が高校生の時にこのような授業はありませんでしたし、人前で発表をするなんてこともありませんでした。時代が大きく変わってきていることを実感します。今、目の前にいる生徒がこうした経験を積むことは、これから先の人生のどこかの場面で必ず生かされると思います。
花が好きなので、花の話題が続いて申し訳ございません。ただ、嬉しいので書かせてください。
ずっと待っていた花が校門前の花壇に咲きました。たくさんの蕾がついていますが、このひまわりが一番最初で、そしてひとつだけ咲いています。そのことによって花壇がぱーっ、と明るくなりました。わずか15センチほどの小さな花なのに、これだけの輝きを放てるのはどうしてなのでしょうか。
ひまわりに対する私の特別な想いについては、以前書かせていただきました。どこにでもある、どこでも目にする花ではありますが、私にとっては思い入れの強い花になります。あの頃、自分はひまわりに救われた・・・やはり、考えるのはそのことです。
暖かい日が続いていますから九月に入った実感が沸いてきません。でも、夜風が変わってきました。もう、夏のものではありません。体調を壊さないようにしてください。
小さな花壇ですが、手入れをしてくれる生徒と教職員がいるというのも、実は私が嬉しいことのひとつでもあります。
来週には九月のひまわりが満開になるような気がします。楽しみです。
 1年次生で実施している現代の国語「疑問の探究」についての授業を見学しました。相手の理解が得られるような話し方を工夫しよう、という単元で、生徒それぞれが感じた疑問(なぜ?)について、各自調べ学習を行い、そこで得た知識をまとめた上でプレゼンし、それを聞いた生徒が質問や提案をするという取組です。
「なぜオーロラが発生するのか」「音楽はなぜ生まれたか」「なぜ自然にあるものが燃料となるのか」「なぜ左右で視力は違うのか」「なぜ人は夢を見るのか?」「なぜ人を嫌いになるのか」「なぜだめと言われたことはやりたくなるのか」「推しに対する心理的感情と人々による理解、定着」「色覚異常について」「なぜ色弱の人とそうじゃない人がいるのか」「人はなぜすぐに行動できないのか」「人の目の色の違いについて」「死んだらどうなるのか」「なぜ色々な言語が発達したのか」「なぜ人は悲しい時に涙が出てくるのか」「不老不死について」「黒板はなぜ緑なのか」「宇宙はどうやって出来たのか?」「なぜ1日は24時間なのか」「いじめについて」「血液型はみんな違うのか?」
どうです?こうした疑問にすぐに答えられますか?私は自信がありません。教科担任の意図するところとかけ離れてしまうと申し訳ないのですが、「これってどうなんだろう」と疑問に思ったことを自分で調べてみる力って、とても大切だと思います。誰かに聞くことですぐに解決することもあるのでしょうが、私はそれだけではいけないと考えます。
これは私のスタンスですが、躓いたら徹底的に調べます。調べた結果をもとにアタックします。それでも解決しなければ、再び考えて何度もアタックします。その上でエラーが出たら、「ここまでこのようにやってみたけれど、このエラーを改善するのに何が必要でしょうか」と質問します。自分で理解できるギリギリまで攻めます。きちんと理解するのは努力が必要です。
物事の本質をしっかり理解できていなければ、エラーのない答えを教えてもらっても、次の応用に繋げていくことができません。その状態で人を理解させることなどできない - そのことを大学の研究室で城谷先生から学びました。
城谷先生から固体物理学のあることについて質問されて、教科書に書いてあることを勉強して答えても、「それってどうして」「どうしてそうなるって言えるの」と間髪を入れずに、どうしてどうしての質問が飛んでくるわけです。その時に言われたことが「日下くん、調べたことをそのまま答えるのではなくて、どうしてそうなるかを勉強しないとダメだよ、そこが一番大切なことなんだから」このことが今も私の中にしみついています。だから仕事をしていても「これってこれでいいの?」と問うている自分がいます。
それにしても生徒たちの「なぜ?」確かに「なぜ?」です。確かな答えがあるのかないのかも私にはわかりませんが、短絡的にインターネットで検索するだけではなく、図書館に足を運んで本を手にとり、答えを探す旅もして欲しいな、と思います。汗をかいた努力は必ず人を成長させるので。
普段見ることのできない生徒の一面に触れられて、とても興味深い時間でした。
ヨーロッパ原産のアストランチアという素朴でかわいらしいお花があります。お店で購入すると一株800円ほどの結構高めの宿根草です。我が家では白とピンク、赤い3種の花が6月中旬から咲き始めます。上手に育てると数年後に見事な株になり、40センチほどの草丈でたくさんのお花をつけます。
開花期間は約一ヶ月で7月も終わる頃、花は終わってしまいますが、十分に乾ききった花をハサミで切って、庭の空きスペースに埋めて一冬越させると、翌年、そのうちの数カ所から芽を出します。確率からいうと10%ほどでしょうか。
毎年、ゴールデンウィークあたりからいろいろな花の芽が土の中から顔を出すので、それを楽しみにしています。中でもアストランチアの発芽があると、ついつい嬉しくなって「芽が出てきてるよ」と妻を庭に呼びます。そうして二人でのぞき込んでいます。
11月後半から3月上旬までの長きにわたる冬を乗り越えて命を芽生えさせる・・・その生命力に毎年感動させられます。命ってすごいな、生きるってすごいな、と。私にとっての花々はそういうことをまじまじと考えさせられるものでもあります。
華道部の生徒が生けたお花が今月も校内に飾られています。御覧ください。
華道部の活動が終わった後に、男子生徒がお花を届けてくれました。4月から部員が月替わりで校長室にお花を届けてくれて、そのたびに校長室に見事な彩りを与えてくれます。何がいいか、それは生徒が生けたということ、そして花の美しさです。
(8月28日放課後 写真掲載については本人の了解を得ております)
彼は前回4月25日(校長の小部屋には4月30日に掲載しておりますので、是非御覧ください)、私が着任してすぐに届けてくれましたので、生徒の作品がひと回りし、2ローテ目に入ったことになります。毎月毎月、届けてくれた生徒と話をして写真を撮らせていただき、こうして紹介できるのが私にとって密かな楽しみになっています。こんな贅沢をさせてもらっていいのだろか、といつも思っています。
私は彼に言いました。「この先卒業して、大人になってもたくさんのお花に触れる人生を送って欲しいと思うよ。そういう素敵な人になって欲しいよ」と。
自分の気持ちを穏やかにさせてくれるものを何かひとつ持って欲しい、という強い思いが私にはあります。たまたま私は花だったりJAZZだったりするわけですが、誰にも邪魔されずに、そのことだけに時間を使える - その時間が、ふと我に返ったときに、弱腰になっている自分を助けてくれていたり、決断を迫られる局面での自分を支えてくれていたりする・・・私の人生の中にはそうしたことがいくつもあります。
自分の経験にはなかったので余計にそう思ってしまいますが、多感な高校時代に花に触れられるのっていいですね。私は、高校生の頃、花など見向きもしなかった。他に触れるべき見るべきものがたくさんあったということなのでしょうが、たくさんの美しい花を見逃してきてしまった我が人生が残念でなりません。
多くの生徒が校長室に足を運んでくれます。廊下を歩いていても、教室に入ってもすぐに声をかけてくれます。素晴らしい生徒たちが在籍する学校に勤務できていることに感謝しています。本校のホームページに御訪問いただき、生徒たちの姿を感じとっていただけますと幸いです。
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