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2026年3月の記事一覧

箱の名前ではなく

 「お世話になった方が定年退職で送別会があるから札幌に帰る」28日土曜日の夕刻に成田から飛行機に乗り、宴が終わった深夜に帰ってきて我が家で睡眠をとり、翌日の日曜日午前中の便で東京に帰っていきました。朝9時に家を出るという長男を車に乗せ、妻と一緒に新千歳空港まで送りました。転勤がなく札幌で働くことができるという条件で入社した会社ではありましたが、東京における事業の拡充が決まり、「行ってこい」と声が掛かっての異動でした。地下鉄沿線上の便利な新築マンションを引き払って早いもので半年が過ぎようとしています。

 私と妻にとって長男がいくつになろうとも子どもであることには変わりはないのですが、私たちの手を離れなんだかずいぶんと遠いところに行ってしまったな、とまるで他人事のような感覚にとらわれている自分がいます。妻はどう感じているのかは聞いていないのでわかりませんが、私には子どもというよりも私と対等な一人の大人という見方が強まっています。

 大学を卒業したらあとは自分の力だけで生きていきなさい、その代わり父さんも母さんも子どもには一切頼らないから。これが我が家の決め事です。そのとおり東京のど真ん中で逞しく一人で生きている長男の成長をひしひしと感じます。私が同じ25歳26歳の頃よりも物怖じせずに堂々と歩いているその姿に、いかに自分がなっていなかったかを思い知らされることもあります。

 高校受験のことは前に書いたとおりで、長男の場合は恥ずかしいだの行きたくないだのと泣いたところからスタートしたわけですが、そんなことがあったのをみじんも感じさせません。結局、人生の単なる通過点でしかないんだよな、ということを長男が一瞬帰省したときに思ったところです。どこの高校、どこの大学であっても、それが第一志望でなかったとしても、自分が身を置いた場所で精一杯努力し生きていくことが人生の次のステップにつながっていくわけです。

 階段に今置いた右足の先に階段はさらに続いています。時間が進むのと同じように人生も進んでいる。だから左足を持ち上げ次の段に足を置かねばならない。そうした瞬間にそれまであった左足の階段はもう過去のものになっている。つまり、通過点でしかない。階段の名前が大切なのではなく、階段を駆け上がる自分が大切 - そのようなことを日曜日から考えています。

 生徒が作ったフラワーボックスをいただきました。箱の名前が大切なのではなく、箱の中に詰められた想いが大切です。

 宝物がひとつ増えました。ありがとうございました。

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「意味」と「役割」

 わずか1年間のお付き合いで毎日お話をすることはなかったけれど、一緒に働かせていただいた者として、心から「ありがとうございました」と言わせていただきます。人との縁(別れや出会い)にはきっとそのものに意味があり、意味のない縁はないものと考えます。明日限りで本校を後にする教職員の方々との縁を私はいつまでも大切にします。ありがとうございました。新天地での御活躍をお祈りしております。

 そこで働くあなたにはそこにいる意味がありそこで果たすべき役割がある - 一番最初は教諭として初めて迎える異動の時にO校長先生から言われました。専門外の学科で辞めたいと思うほど苦しい経験をしましたが、4年後に全日制の専門とする学科に校内異動となり、しばらくしてからその言葉の意味を私は私なりに理解することができました。やはり「意味」と「役割」はあったんだな、と。おそらくこういうことだったのだろうな、と気付きました。

 それは管理職になっても変わりません。誰も答えは教えてくれないけれど「意味」と「役割」があってそこに置かれている。置かれた場所でしっかり咲くために私は何をすべきなのか、それが私に与えられた課題だと思って働いてきました。今もその気持ちは変わりません。3校勤務した教頭時代に求められた花は咲かせられなかったかもしれませんが、私自身の見解と納得として「こういうことだったのだろうな」という3つの花は心に咲いています。

 「意味」と「役割」は決して仕事上の出来だけではなく、人とのつながり、地域とのつながり、つまり縁を含めたすべてにおいて含まれるものと私は思っています。

 さて、話は変わります。いつだかお弁当(ただただ詰め込み型のお弁当)の話を書いたばっかりに、異動する教職員からお弁当を入れる素敵な手づくりバックをいただきました。書かなければ良かった・・・なんと妻にポーチまで。私ごと、先日、5年間使ってきたお弁当箱を新調したばかりで、実は新しいお弁当バックはナイスなタイミングで、嬉しい限りです。

 きっと、これも縁がつないでくれたんだろうな、ってしみじみ思うところです。大切に使わせていただきます。ありがとうございました。そして、1年間大変お世話になりました。

 明日で令和7年度は終わりを告げます。令和8年度がスタートを切ります。私の頭上の2階の職員室は心機一転配置換えを行いました。自分の前や隣に座る方が変わり、新たな発見やコミュニティが生まれるものと思います。これも縁ですね。

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スタートに向けて

 

 願書に貼付された写真と名前を繰り返し見て記憶していく。入学式で必要となる呼名用の名簿をつくり、座席表に時間割、ロッカーと下駄箱に出席番号のシールを貼り、学級通信を作成し、机を並べる際の目印を床にマークし・・・担任業務がスタートするこの時期は慌ただしくなります。緊張が続く中にも早く生徒に会いたいという気持ちが日に日に高まってゆく - 私にはそうした想い出があります。

 担任として接する生徒の呼び名は苗字ではなく、私はすべて名前と決めていました。名前は名付けた人が思いを込めて授けた大切なプレゼントです。そこに敬意を表しながら生徒に声をかけていました。それからもうひとつ、生徒と近い存在でいたい、そのことが私の中では苗字ではなく名前でした。教え子たちがどのように感じていたのかはわかりませんが、名前で接すると生徒一人ひとりがより身近に感じて愛おしい存在になりました。これは私見ですので、正解ではないと思います。教師個々の持ち味がありますから接し方は多様です。

 平成24、25、26年度の3年間が私の最後の担任業務となりました。40人それぞれが毎日引き起こすあぁだこうだがドラマチックでした。困ったこともたくさん発生しましたし、どうしてそうなるのとがっかりさせられることもありましたが、その都度みんなで考え乗り切った3年間でした。卒業時の40人は立派に成長し青年の姿になっていました。

 2年生を終えるまではほぼ毎日空き教室で個別に話をすることばかり。1週間しかない学校祭の準備期間なのにふざけてばかりいるので2日間作業させずに下校させたこともありました。あのときの生徒たちの慌てた顔は忘れられません。今だから笑える懐かしい出来事です。毎日がこのようなことばかりでした。

 私はこうした顚末を毎日学級通信に記し保護者等にドラマをお伝えし続けました(5回の担任業務のすべて)。褒められることも失敗したことも、生徒、保護者等、担任みんなでドラマを見て考えていきたかったからです。3年間で約600回のドラマをお伝えしました(意外にすべての保護者等の手元に届いていました。「おもしろい」、「毎日楽しみにしています」、「先生、本当にうちの息子が、すみません」、「先生応援してます」、「穴を開けてくれているので紙ファイルを買ってストックしてます」、「いつもありがとうございます」などよく電話をいただいていました)。

 B5版の紙ファイルがパンパンに3冊。いつかクラス会が行われて、40人の誰か一人でもその3冊を持ってきたら、そこに集まった全員にあの日あのときの高校3年間が蘇ってくる・・・そういう未来の姿をイメージしながら私はいそいそと学級通信を作っていました。こういうのを自己満足というのかもしれません。それでも学級通信の元データは今でも私の宝物です。

 さて、本校では新入生の受け入れに向けた準備が進んでいます。御家庭におかれましては、制服やジャージー等の採寸と購入、端末に教科書等の購入、新生活に向けたさまざまな出費が嵩んでいることと推察いたします。何か御不明なことがございましたらお問い合わせください。

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一年前のこと

 一年前は何をしていただろう。生活するのに必要な最低限のものしかなかった(軽トラックの荷台で収まる分)とは言え、部屋には段ボール箱がいくつも積み上がり、掃き掃除に拭き掃除を繰り返していた。北見を出発する直前まで外すことができないストーブの前に陣取り、隙間時間は座卓にノートパソコンを広げ美唄尚栄高校に勤務するための準備をしていた。

 次男が大学卒業で岡山から引き上げてくるのが3月末となり、その引越の手伝いと観光を兼ねて妻は長らく出掛けていた。私の引越よりも子どもの引越が重要という具合だった。帰ってきたその足で札幌からバスに乗り5時間半をかけて北見に来てくれたのが29日。「どうしてうちの引越は全部子どもの引越とかぶるんだろう」と疲れ果てた顔で妻が言ったのを覚えている。何だか私の引越が悪い、とでも言っているように聞こえた。

 この会話は、私が教頭として苫小牧へ引越となった3月から2年おきにしてきた。前にも書いたが、私の苫小牧への引越と長男の弘前への引越、2年後苫小牧から小樽への引越で次男の岡山への引越、北見への引越で長男が弘前から札幌へ、北見から美唄の引越は次男の岡山から札幌への引越。子どもが独立した今、もう我が家の引越はかぶることはないが、おもしろい歴史を重ねてきたことはこの先家族間の笑える思い出話になると思う。

 夜は職場内のいくつかの小さなグループが私のために送別会を開いてくれて、2年間の出来事を遅くまで語り別れることへの寂しさでいっぱいになっていた。もう1年、いやずっとこの人たちと仕事がしたい - これが私の本音でもあった。

 2年おきに引越を繰り返してきたわけだが、わずか2年であってもその職場に対する愛着や思いは深いところまで根を張り、それを掘り返して更地にしていくのには気持ちが追いついていかない。これは苫小牧も小樽も同じだった。限られた2年だからこそ、本来5年、6年をかけて築き上げるものを60秒1分を20分、30分のスピード感を持って私は詰め込む努力をしていた。実に濃縮された脂っこい時間。人との出会いはかけがえのない大切なものになった。別れは辛いけれど、こうした気持ちにさせてくれたのは管理職になったからであり、そこは管理職の立場にある者しか感じられない大きな魅力だと私は勝手に思っている。

 借家は住宅街の中にあり、道路を挟んだ向かいに住むAさんとはちょくちょく世間話をする仲になり、「先生がいなくなると本当に寂しくなるな」と、私の心を躊躇わせるようなお言葉までいただいた。31日はAさんが不在で、奥様にお礼の挨拶をして北見を後にした。翌日の4月1日の朝、校長職がスタート私に真っ先に電話をくれたのはAさんだった。激励の言葉の最後に「先生ありがとう、北見に来たら絶対遊びに来てよ」そう言ってくれたのが何よりも嬉しかった。地域の方のありがたさと大切を肌身で感じた瞬間でもあった。

 ちょうど1年前のことです。時の流れは早いですね。

 さて、ホームページ閲覧数が38万5千件を超えました。4月着任早々、とにかく情報発信に力を入れましょう、と教職員にお願いし5月から本格的に取り組んでまいりました。今年度で30万件を超えるアクセスをいただきました。読んでくれている方がたくさんいる、ということが更新する教職員の励みになっています。いつも大変ありがとうございます。

 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 眼前にこれを見せられるともう言葉が出ません。

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自分の住む町に

 昨日の修了式で年度の締めくくりとなりました。生徒は14日間の年度末年度始めの休業に入りました。しばらくの間、部活動等以外での登校はなくなりますから生徒の元気な声が校内に響き渡ることはありません。

 朝、誰もいない教室棟を回りました。1年次生の学校設定科目である「産業社会と人間」の中で作成したポスターに目を馳せると、そのできばえの善し悪しではなく、生徒なりの町に対する思いが込められており、そうだそうだと考えさせられることばかりでした。

 こうした一つひとつの意見を吸い上げていくことは難しいとしても、一つひとつに目を向けて真剣に考えていかなければ、町からどんどん若者が離れていくのではないか、そう思うのです。私も空知の町に生まれ育ちましたから空知が大好きですが、18歳以降故郷に戻らず生活拠点は別な町にあります。小中高大学と学びの段階で町づくりについて考える授業がなかったことも何かしら影響しているのかもしれません。

 本校では「産業社会と人間」、「総合的な探究の時間」をとおして、計画的な教育活動に取り組んでおり、自分たちの住む町を調べ、地域の方と意見を交換し、地域の企業や関係機関様と連携し町の活性化に向けた探究活動をしています。これらは大変魅力的な授業で、生徒たちの発想の豊かさにいつも感心させられますし、これが実現できたらおもしろい町になるだろうなと思わせてくれます。生徒が提案したものがどれかそのひとつでもプロジェクトとして動き出したら素晴らしい展開になる - 私はそう考えています。

 工業高校の建築デザインコンクールで優秀な成績を収めた建築パースが、実際の建物になったケースがいくつかあります。夢が現実になることを高校生に実感してもらうのは大変意義深いことです。学びが形につながる・・・これは夢物語ではなく現実に起こること、そうしたことをたくさん与えられる世の中であって欲しいです。

 少子高齢化が進み町の過疎化も加速度的に進んでいます。学校もさまざまな課題を抱えています。もう待ったなし、です。目の前にいる高校生の発想や視点が町や学校の課題を解決する糸口になることを私たち大人は真剣に受け止めなければなりません。

 あのときの意見や提案を早い段階で吸い上げておくべきだった・・・そういう後悔はしたくないものです。

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お別れの朝に

 鬱屈とした12月、1月、2月を乗り越えると春の陽気を感じられので3月と聞くだけで心が軽くなります。こうした季節の変わり目を繰り返し繰り返し気がつくと五十代も半ば。この先も3月で感じるこの感覚はおそらく変わることはないのだろうな、と思うところです。

 ただ、3月はわくわくするだけではなくて、お別れ、というさみしくせつない風を心に吹き込んできます。お別れの3月。卒業式で生徒と別れ人事異動で教職員と別れる。自分の周りから次々に人が離れてゆく・・・

 32年間でどれだけの教職員とお別れをしただろうか・・・100人か、200人か、いや500人か。もうお別れをした順番も定かではなくなった。積み重なっていくお別れにずっと昔にお別れした方々の顔や声が浮かんでくる。こんなことがあったなぁ、あんなこと言われたなぁ、と当時は立ち上がることも容易ではないほどのダメージを受けたことも、今はすべてあたたかな記憶の断片として私の心に残り、その一つひとつを笑って思い返すことができる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれている。人って、きっとそういう存在なんだろう。

 管理職になって2年ごとの転勤を繰り返しています。苫小牧も小樽も北見もお別れは辛かったです。教職員一人ひとりと人間関係を構築するまでに1年、土台が出来上がり円滑な業務で1年。これで2年。でも全力の2年間で深まる信頼や絆が別れを躊躇わせる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれているとするならば、自分は人に何を残したか・・・そのことは別れの時にいつも思うことでもあります。

 朝の打合せ。本校からは6名の教職員が新天地に向かうことになりました。大変お世話になりました。

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春の訪れ

 12月から2月にかけて出張や札幌の自宅に帰る時は、水道の水抜きをしなければなりません。台所、トイレ、浴室、洗面所、ボイラーの5カ所の作業をすると軽く20分はかかります。大元だけを操作すれば良いのではなくあらゆる栓を開けて管内に溜まった水をはき出さないとそれが凍結してしまいます。こうした一連の作業をしなければ後々困ることになるのはわかっていても、大丈夫だろうと高をくくって家を空け、半日以上水が出ないことが2度ありました。水が出ないことがこんなにも人を不安にさせる。水のありがたみを痛感したシーズンになりました。

 いつもより早い雪解けなのかもしれません。あんなにあった雪は陽の当たらない一部分に残すだけになりました。3月の上旬から夏用のランニングシューズで路上を走ることができたのも初めてです。さっさと冬用のランニングシューズを箱に収め片付けました。本校の陸上トラックも今日から走行できる状況です。朝の冷え込みはありますが、春の訪れは例年になく早いのかもしれません。

 昨日、午前中に2時間かけて21キロのランニングを楽しみました。明日ハーフマラソン大会が開催されても飛び込みで走ることができる身体づくりを欠かしません。これは私の決め事としています(どうでもいいのですが)。午後から妻とランニングとウォーキングを織り交ぜた8キロ走に出ました。札幌市北区にある百合が原公園をスタートに繁華街を巡ってぐるり一周のコースです。途中、たい焼き屋さんで腹ごしらえをしてゆっくり春を感じる時間になりました。

 ここのところさくら、さくらと開花を告げるニュースを目にしますが、さくらよりも早く咲いた花を百合が原公園内で見つけました。氷点下や猛吹雪に耐え命を芽吹かせる樹木に感動です。

 マンサク科マンサク属 シナマンサク 中国原産。幼条や葉が軟毛で覆われている。花は香りも強く黄金色。開花時に枯れ葉が残っているのが特徴。

 皆さんに見ていただきたくて掲載いたしました。 

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パウンドケーキ探究

 想像するだけで楽しくなります。クルミパウンドケーキ(美唄産クルミを使用、米粉を使用)の研究。一緒に研究開発したい、と単純に思ってしまう私。クルミの割合を変化させることで食感は変わりますから、口の中に残るクルミの状態であったりその大きさであったり検討することは次から次に出てくる。万人受けする製品にするために、作っては食べて議論を重ねて・・・美唄尚栄高校はクラブ活動ではなく授業の中でこういうことができる学校です。
 
 前にも書きましたが、人が生きていくために食は必須です。高校の段階で食について学べるのは大きな意味があると思います。与えられたものをただ食べるのではなく、食べてもらうものを自分たちの手で - そこにおもしろさと魅力がある、私はそう考えます。

 パウンドケーキを持ってきてくれた教員が「校長先生、生徒がクルミの割合について探究していいものを作ろうとしています。今まさにそれをしているところでおもしろいですよ」別の業務があってその場に行くことはできなかったのが残念。それにしても生徒だけで取り組んでいることに大きな意味があります。そこに教員が入っていかないのがいい。

 子どもたちは大人(教員)が気づきもしないアイデアをするっと言葉にします。あまりに突拍子もない展開になると、大人(教員)は「それは無理だろう」とついつい軌道修正したくなる。自らの考えに寄せたくなる。それはわからないではありませんが、そこで何かを言うことによってせっかくのアイデアが消えてしまいます。そうならない寄り添いが我々には求められます。

 私は先生方にいつもお話しています。「作りました、売りました、買ってもらいました、寄贈しましたで終わりではありません。作った先、売った先、買ってもらった先、寄贈した先の姿を考えた教育を展開してください」自宅において趣味の範疇で作ったのであればそれはそれで終わっていいのですが、教育活動で作ったのであればその先の展開を常に考えさせなけれなりません。20年30年前に求められていた教育と今の教育は大きく様変わりしています。

 〇〇しました。だから・・・、それで・・・

 だから・・・、それで・・・が問われます。生徒も教員も探究し続けなければなりません。

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尊重するよ

 札幌の高校に勤務していた3月上旬のこと。「合格したよ」妻から長男の大学合格を知らせるLINEを受け取りました。当時私は3度目の入院を控え、その入院で手術することが決まっていて、体調のすぐれない日が長く続いている時でした。長男の高校受験の顚末については先日書いたとおりなのですが、あれから3年後、今度は大学受験を迎え長男は長男で大変な人生を送ってきたわけです。

 3年間続けると張り切っていた部活動も2年生の途中で辞めてしまいました。私も応援に行きましたが、宮城県気仙沼で開かれたインターハイで強豪校に敗れてしまい、残された1年でどれだけ努力しても全国に名だたる選手のレベルには達しない、と自らの力量を悟っての退部でした。学校から帰ってくる時間は毎晩23時前後で土日もなく、22時前に床に就くことが日課になっていた私は長男とずっとすれ違いの生活になっていました。久々に会う長男は疲れのせいかいつもぐったりしていて、私は部活のために学校に通わせているのか勉強させるために学校に行かせているのか、もっと友達や恋人と遊ぶなど今しかできない青春時代を味わうべきではないのか、などといくつもの疑問を抱えたまま悶々とした日々を過ごしていました。

 「このままでは部活だけの高校生活になってしまう。部活を続けても日本一にはなれない。今から真剣に勉強をしないと大学にも合格できなくなる。中途半端な自分になりたくない。残りは全力で受験勉強をする」という旨のLINEの最後に「今まで部活にお金を使わせてしまって申し訳ないけど、部活辞める、ごめん」と書かれていました。私の知らないところで相当な期間悩んでいたようです。口から出る言葉ではなくLINEというところがいかにも現代を生きる高校生らしい切り口ではありますが、長男の成長を感じた瞬間でもあり、正直嬉しく感じたことを覚えています。私は「考えた末の結論を父親として尊重するよ」と返信しました。

 LINEに書かれた言葉に、私は、高校受験の出来事を長男はずっと意識していたんだな、と思い知らされました。あの時、私はいとも簡単に「それは通過点でゴールではないんだよ」と手紙に記したわけですが、長男はその通過点に引っかかりを抱えたまま今まで生きてきた・・・それを思うだけで胸が一杯になりました。私は大学受験を終えるまで決して何も言うまい、と決意しました。

 9月に北海道で大きな地震があり、偶然にも台風も重なって我が家は長く停電が続き、そのような中でもロウソクを灯して受験勉強をしていました。それから少ししてずっと仲良くしていた友を病により失い、メンタルも体調もボロボロになり満足にモノも食べられない状態になりました。さらに追い込みの12月24日に私が突然腹痛と高熱で寝込むことになり、どうしようもなくなって病院に駆け込むと虫垂が破裂している(虫垂炎)と言われ、29日に緊急入院となりました。共通テストの直前まで入院することになり、応援どころか逆に足を引っ張るダメな父親になってしまいました。どうしてこんな大切なときに虫垂炎になんかになるの、と妻に叱られました。今だからいろいろなことを想い出します。

 長男がどこの大学を目指しているのかすらわかっていませんでした。妻とはいろいろ話をしていたようですが、私には一切話をしてくれませんでした。弘前大学に合格した日に初めてそうなんだ、と知ったわけです。何を暢気にと思われるかもしれませんが、実は非常に悪さをする虫垂炎で、一度退院してからというもの3月末の手術になるまで大変なことになり、長男の大学云々を考える余裕すらなくなる生活をしていました。しかも4月から管理職に、そんな大変なことも私自身抱えていたわけです。自分のことだけで手一杯で長男どころではなかったわけです。

 長男の受験から、自ら「こうしなければならない」と気付き努力している子どもに対して、親として思うところがあったとしても、私は「何も言うまい」、つまり子どもの思いを「尊重してあげる」ことが極めて大切なんだということを経験的に理解しました。がたがたモノを申したら成功することも失敗につながってしまう・・・それが私なりの結論です。

 我が家のどうでもいいような昔話をさせていただきましたが、1月から3月までの受験シーズンは、子どもたちにとって(保護者等にとっても)経験したことのない緊張であったり、大きなプレッシャを抱える時間になります。私たち大人のようにさまざまな人生を巡ってきた者にとっては簡単にやり過ごせることでも、十代の子どもたちにとっては全力で挑戦する一大事。最大の挑戦です。その時に親として何を語り何を伝えるか - 私の経験が何かのお役に立てばいいなと思って書かせていただきました。

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ちぎり絵カレンダー

 「今度家庭クラブの代表になりました〇〇〇〇です。●●●●です。ちぎり絵カレンダーを作りましたのでどうぞ」2名の女子生徒が役員に就任した報告とカレンダーを持って校長室にわざわざ足を運んでくれました。教職32年、多くの学校で多くの生徒を見てきましたが、生徒が校長室を訪ねる(形式的なことは除いて)という話を聞いたことがありません。節度を持って来てくれる本校の生徒は本当に素晴らしく可愛らしいです。いつもありがとうございます。本校に勤めることができて本当に幸せです。

 2名にお願いです。3年次生が卒業し、今度はあなたがリーダになります。今の活動がその下の代までずっと続いていくように、1年次生、さらにこれから入学してくる新入生への御指導をよろしくお願いいたします。

 私は校長室に来てくれた生徒と必ず写真を撮るようにしています。今年度ずいぶんたくさんの生徒と写真を撮りました(こうしてホームページに掲載することも快く了承してくれます)。担当の先生に行っておいでと言われたのか、生徒同士で盛り上がってちょっと行ってみるかとなったのか、まぁまぁどちらであっても嬉しいですよね、こういうことは。

 「ねぇ、どうする、ピースでもする?」生徒同士の日常会話的な話が聞けることを個人的な楽しみにしています。この場所でピースなどしていいのだろうか・・・迷いや冒険心からもう一步踏み込んでみたい気持ちでこそこそとやりとりしている姿に心が和みます。「ピースでもポーズでも何でもいいんだよ」と私はいつもそうした言葉を返すようにしています。せっかくの機会だから整然と並んだ写真よりありのままの姿で写って欲しいのです。

 生徒を見る視点が昔と大きく変化している自分を感じることが多くなりました。1回目の担任は生徒と9つ違いでしたから友達、お兄さんとしての感覚。2回目と3回目は私自身が父親になった時でしたから兄であり父親、時に友人でもあり。4回目は自分の子どもとしての感覚がすごく強くなりました。5回目は自らの子どもと同じ世代に差しかかっていたので家族としての感覚が強まりました。勝手にそのような思いで人間付き合いをしてきましたから、生徒にしてみるとなんだなんだこの人なんか違うぞ、となっていたかもしれません。

 では今は・・・とっても表現が難しいのですが、生徒すべてを寛容に受け入れられる、そうした感覚です。保護者等の気持ちまでを包み込んだものの見方と受け止め方になっています。知らないうちに自然にそうなってしまいました。どれほど可愛い存在なんだろう、宝物で大切な子どもなんだろうな、そこから物事を出発させている自分がいます。立場がどうしたではなく、自らの子どもたちが家を出て妻と二人だけの生活となり、歳とともに自らのライフスタイルが変化しています。そうしたことが影響しているのか、子ども(生徒)の大切さに思いを馳せる日々が続いています。歳をとっていくことへの戸惑いはありますが、自分の中で教育観が変化していくおもしろさを実感できていることを考えると、歳をとることもまんざらでもないと思ったりしています。

 ちぎり絵カレンダーは私の真後ろにあるキャビネットに並べて貼りました。

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高校進学を考えている中学生に伝える私たちのことば

 1日に卒業した本校3年次生からのことば(原文のまま)です。北海道教育委員会がとりまとめたアンケートから抜粋しました。私が書いたり話をするよりも、すごく現実味があってすごく説得力があります。是非、お読みください。

●とりあえず挑戦しよう
●将来が決まってないなら総合学科に来た方がいいなぜなら自分がそうだったから
●様々な分野を専門の講師が具体的に説明してくれるので、資格、進路選択に活かせる
●もし、中学校卒業時点で将来どんな仕事についていたいかまだ見つかっていないという人は、総合学科の学校に行くと自分のやりたいことや特技が見つかるので進路に迷ってるならオススメします。
●進路に迷っていたら、とりあえず総合学科に入ると色んなことを学べ経験ができる
●自分にあったコースを見つけることができ、資格を取って進路活動に活かせる。
●就職をしたくても進学をしたくてもどちらにでも悩まず進むことができて、自分が将来どのような進路にしたいかが決まっていない人にすごいいいと思います。または優柔不断だったり色々な資格を取りたかったりする場合にもおすすめだと思います。
●学びたいことをしながら、片手間で他のことについても学べる
●さまざまな科目があるから、就職・進学先は明確になりやすいかもしれないが、進学で学科試験がある人は、本当に努力しなきゃいけないです。
●まだ将来のことが全く想像つかないひとにおすすめ
●どんなことがやりたいかわからなくても、やりたいことを見つけるのに最適な学科
●じぶんに見合った進路を見つけれるようにがんばってください
●高校卒業後の進路が明確じゃなくても総合学科の高校に進学すれば色々な科目を学べてたくさんの資格が取れ、たくさんの資格が取れるから進学・就職どちらにも強い
●自分に合った専門科目を学べるので、高校卒業後の進路に活かせます
●学びたいことが学べるためよい
●勉強があまり好きではなかったりテスト勉強が苦手である人や進学を前提に考えている人。専門的なことを学びたい人、自分に合ったものを見つけたい人などには総合学科はとてもいいと思う。高校選びはとても人生において重要であるし、自分の人生を選ぶ中で選択肢が広いこの学科は適していると言えると思います。
●総合学科は自分にあったやりたいと思える学科を自分で選択して楽しく授業を受けることができるよっていいます言います。
●やりたいことが決まっていなくても二年生からの選択なので時間に余裕があっていいよ

●進学と就職の両方を考えることができる。幅広い分野で学べて自分のやりたいことが明確にわかると思う
●進学と就職の両方で迷っている人は総合学科だとどちらも先生が対応してくれたり相談に相談に乗ってくれるとこところが良いなと思う。選択科目が充実している分、進路に合わせてしっかり考えて選ばないと後々後悔することもあるので、慎重に選んだ方が良いと思う。
●自分がやりたいこと興味のあることを学べる
●まだ将来のことが決まってなければ総合学科は考える時間ができておすすめ
●色々まなべる
●体験授業で、自分の向き不向きを知ってからどの分野を学ぶか決められる点
●総合学科の高校は自分の興味のある分野を学べたり出来るし、高校卒業後の進路が決まっていない人でもじっくりと考えて決めることが出来る。
●高校1年目はまだ何がやりたいのかわからないと思うので、先生の話など、それぞれ違う学科の先輩に話を聞いたりしてしてみてほしい。私は部活に入ることでいろんな先輩と関われた。
●勉強が苦手なら総合学科を選んで自分の興味のある学科を選んで授業を受けた方が意欲的に出来ると思った
●自分が進みたい進路が定まっていても、いなくても自分の興味関心や引く授業が選べるため将来について着実に進めていける。
●総合学科は必須科目だけではなく、農業や家庭、工業の中で自分の進路に合った科目が選択でき、楽しく学ぶことができる。
●総合学科は選択肢が決まってない人などが探す際にとても適しているからそういった人にオススメできます。
●まだ進路が明確に決まっていないのなら、就職も進学もできる総合学科がおすすめだと思う。自分の頑張り次第でいろんな選択肢が見えてくると思うよ。
●総合学科なら色々なことをまなべるという
●自分の将来に合った科目を複数選択することができるので後悔しない三年間を過ごすことができます
●中学校のうちから大学に行きたいと思うなら普通科高校に行くべきだと思うけど、まだ未定なら総合学科に入って体験授業などを通して興味のある科目選択をして進路を選ぶべきだと思う。
●高校入学する前に進路を明確にし、1~2 年間その進路が正しいか判断するために生活する。その手助けに総合学科がいいのかもう一度じっくり考えるとよりよい学校生活と進路活動ができると思う
●総合学科は自由度が高くて、もしも苦手があっても、選択内なら違うものを選択できるし、案外系列ごとで深まる関係というのもあったりする。
●進路が決まっていなくても入学してから決められる点
●やりたいことが特にない人ほどおすすめできる。変に普通科や専門性のあるところに進んでしまうと興味のないことに三年間取り組む地獄が待っている可能性が高い。

 3年次生、ありがとう!!

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お別れの時、始まりの時

 12日(木)、美唄市立東中学校の卒業式へ。教頭先生は美唄市立美唄中学校の卒業式に出席していただきました。

 式典が終わりに近づき、ステージ前に卒業生全員が並び代表生徒が一人前に出ての答辞。自分の想い、そしてみんなの想いをありのままに、自分の言葉で静かに語る姿に私は心底感動し涙が止まりませんでした。13、14、15歳を全力で生きてきた、その3年間が会場にいるすべての人に伝わる感動的なお話でした。

 目頭を押さえる女の子、溢れ出す涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らす男の子、笑顔から急に泣き顔になった女の子、目を真っ赤にして涙を拭う男の子。そして、入場から式典が終わるまで涙を流し続けた担任の先生。ハンカチで目元を押さえる校長先生・・・それぞれの想いが心の中を駆け巡るから心が震え涙が込み上げてくるのです。何にも代えがたい涙。寂しいけれど幸せで嬉しくて美しい涙。人生にこうした一日があるのは本当に素敵なことです。

 涙の担任の先生を見ていると、自分が担任として巡ってきた5度の卒業式を想い出してしまいました。先生の気持ちが痛いほどわかります。一粒一粒の涙の意味が私には手に取るようにわかります。愛情の数だけ涙が溢れる。あぁ、担任として生徒と一緒に過ごしたい・・・教師としての原点を思うとともに今や叶わぬことを真剣に考えている自分に戸惑いを感じたのも事実です。感動的な卒業式を見た今日くらいそういう気持ちになっている自分を許してください。

 卒業生の合唱、全校での合唱で式典は締めくくられました。みんなで想いをひとつにできるのは合唱の醍醐味であり、大きな魅力だなと改めて思った次第です。声を合わせるっていいですよね、とても。いつまでも聴いていたい、歌の終わりを聴きたくないと正直思いました。終わると、もうお別れ。だから終わらないで、と。

 卒業生の皆様へ。いつもお別れだけではありません。お別れがあれば出会いがあります。人はそれを繰り返しながら生きていく。私自身中学3年生の時には考えもしなかったことだけれど、いつの間にかそうしたことに気付きここまで生きてきました。寂しさの裏に楽しさがあることだけはこの場で伝えさせてください。

 お別れの時、始まりの時、その一つひとつを大切にしたいものです。

 美唄市立東中学校の3年生、美唄市立美唄中学校の3年生の皆様、そして保護者等の皆様、本日は誠におめでとうございます。また、卒園、卒業を迎えられたすべての皆様、おめでとうございます。

 素敵な人生を!!

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卒業アルバムから

 私の中での区切り。昨夕、見ないままにしていた今年度の卒業アルバムを開きました。満面の笑みにピースサインの高校生が私の心をやわらかくそして穏やかにくしてくれるのだけれど、見ているうちにじんわり涙が出てきてしまい、ひとり校長室で感傷的になってしまいました。どんどん涙もろくなっている自分を感じます。どうしたものか・・・考えても仕方ないのですが。

 そこには私の知らない2年間の姿を見ることができました。全員がマスクの入学式。マスクの宿泊研修。一人ひとりアクリル板で間仕切られたテーブルでの食事。それは彼らだけに与えられた制限ではなかったけれど、ずいぶんと不自由で窮屈なスタートだったということを物語っていました。マスクのないクラスメイトの表情が見られたのは途中から。彼らはどのような思いである日突然マスクを外したのか。そうしたことを考えるだけで胸にじーんと迫ってくるものがあります。

 教室での授業、見学旅行、学校祭、運動会に体育祭。一コマ一コマに彼ら一人ひとりの高校生があります。長い長い人生のどこかの場面でいつかこの卒業アルバムを開くことがあったのなら、写真の中の自分の姿に自分の中の高校生を想い出して欲しい。目の前の時間を止めて、この時の自分は、とゆっくりゆっくり高校生の時間を振り返って欲しい。

 前を見て進むことだけがすべてではありません。私は7割8割は過去を懐かしみ過去に思いを馳せてばかりいる人生です。逆に言うとそれがあるから前に進めるとも思っています。過去に戻ることはできず未来に飛ぶこともできません。果たして自分の現在地が確かなモノになっているか - 過ぎ去った日々を振り返ることでその答え合わせができる、そうした経験が私には多々あります。自分の足跡を確認することを大切にしています。

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あの日から15年

 3年間の担任業務を終え、入学者選抜に係る業務が続く毎日。あの日、私は担任だけに与えられる職員室(学年室)で生徒指導要録を作成していました。異動することも決まっていて、家に帰れば引越の段ボール箱に囲まれた慌ただしい生活を送っていました。

 14時46分、今までに経験したことのない揺れが突然襲ってきて、いったい何が起こっているのかわかりませんでした。一瞬目に入った窓の向こう側。グラウンド袖に立つ夜間照明の鉄塔はすべてが倒れんばかりに左右に首を振り続け、野球グラウンドはぐにゃっとうねっていました。それを見てこれはただ事ではないと思いました。とんでもない地震が発生していることを理解するまでにかなりの時間を要しました。たまたま午前授業で校内には教職員だけしかいませんでした。600人を超える生徒が校内で授業を受けていたら、相当違った展開になっていただろうと思います。

 あの日からしばらくの間、当時勤めていた学校はどのような対応や対策をしたのか - いくら考えても想い出すことができません。海岸まで1キロメートルに位置していた学校です。管理職の指示の元で行動したのは間違いないのですが。どうしてそこの記憶がすっぽり抜けているのかわからないのです。

 私が住んでいたところは直線距離で海まで500メートルでした。住まいの周辺では避難を呼びかける車がひっきりなし走っていました。どれだけの住民が高台の避難施設に向かったのだろう。少なくとも私を含め近所の方は避難していませんでした。

 あの日から15年。人の命を預かる者として危機管理のアンテナをさらに高くしなければならないと思っています。朝から危機管理マニュアルを確認しているところです。

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御褒美の名刺ケース

 一目惚れした名刺ケース。今年度の自分への御褒美。私の宝物です。

 私は着るモノ、履くモノ、身に付けるモノに強いこだわりを持っていました(一部、現在進行形ですが)。毎月ファッション雑誌を買って、流行りの動向をチェックし品定めを楽しむ高校生でした。高価なモノというのではなく身の丈に合ったモノ。人とは異なるモノ。自分だけ感があり尚且つお洒落なモノ。アルバイトで貯めたお金を握り旭川や札幌によく出掛ける、そんな高校生活を送っていました。現在はその片鱗すら残っておりませんが、靴や腕時計、鞄や小物類に今でも気持ちがそそられるのは、間違いなく高校時代のなごりです。

 人からどのように評価されているのか - 三十代前半までずいぶん気にしていましたが、そうしたことが良くない精神状態を作り出していることに気付き、それ以後いちいち気にしない自分づくりに勤しみました。「自分に嘘をつかず誠実に向き合い人に迷惑をかけない」そのことだけを考えてきました。それは現在も変わりません。もしもそうしたスタンスが評価されるのだとしたら、それはずっとずっと先のことであり、私の知らないところでいつか誰かが評価するのだろう、と思っています。自分が何かを全うした先に誰かの評価がある。そう考えるようにしています。

 そういう私ですが、自分で自分を評価することは大切にしていて、その中でも一年にひとつ「よくやったよな」と思えることに対して自分への御褒美を忘れないようにしています。思い通りにならないことばかりですが、努力して達成できたことは仕事に限らずプライベートを含め必ずひとつはあるものです。そのひとつをしっかり評価して御褒美を与えています。

 40歳から年に一度の御褒美を続けているのですが、継続している理由はそうすることがさらに自らのモチベーションを高め、次に向かうエネルギーに繋げられていることを経験的に理解しているからです。自分を大切にすることで次の一步に踏み出せる、私はそう考えてここまで生きてきました。特に不自由さを感じたことはありませんから、これからも続けていきます。

 さて、私の御褒美のコンセプトは、決して背伸びをせず、見栄を張らず、あくまでも身の丈に合ったモノ、そしてあまり人が持っていないモノ、です。この名刺ケースはどこにもない個性的な一品でとても素敵です。何とも言えない手作り感とデザイン性が私の気持ちをいつまでも飽きさせません。

 肩書きのある人生も残すところ5年となりましたが、その5年間をともにする名刺ケースです。5年後、最後の役割を終えたあとに子どもに譲ろうと考えています。

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クッキー

 3月1日の卒業式が終わって、午後の1時過ぎ。とん、とん、と校長室の扉がノックされました。

 「バレンタインデーの日に何も渡せなかったので、校長先生に今日渡そうと思って昨日作りました」そう言うと紙袋の中に手を入れラッピングされたクッキーが私の前に。「もうこれで高校生活が全部終わりました。最後になりました」少しだけ寂しそうな表情に目元はうるんでいました。「何かあったらまたいらっしゃい。いつでも来ていいのだから」私がそう言うと「わかりました。ありがとうございました」と頭を下げ彼は校長室をあとにしました。気持ちが優しくおっとりしていて、笑顔の可愛らしい礼儀正しい生徒でした。

 私は教育に関してはウェルカムのスタンスですから、32年間来る者拒まずで生徒と接することを信条としてきました。教師と生徒と言えども人と人ですから、すべての生徒が私に懐き近寄ってくるということはありません。一定の距離を保ちたい、本当は行きたい、一人では近寄れない、もう少し信頼できる人か見極めてから・・・生徒それぞれに事情はあります。そうした生徒は長年の経験と勘でわかります。ここぞと思うときに私からこっそり寄っていって声をかけてあげるなど、工夫を凝らしながら接するよう心掛けてきました。無視はしない、無理はしない、無駄にしない。ただ、気にかけてあげる。ただ、見てあげる。ずっとそうしてきました。

 管理職になると生徒と遠くなってしまう・・・多くの校長先生にお声掛けいただいたとき真っ先に思ったことはそれでした。60歳で退職するとき自らの教職の締めくくりを卒業生の担任として終えたい - 教師になった最初の日に決意した自分への裏切り。このことが私の決断をいつまでも遅らせた最大の理由でもありました。

 紆余曲折の末に管理職に転向したとき、立場は変わるけれど自らの信条を崩す必要はないんだ、と心に決めました。それが正しいことなのかどうかはわかりませんが、一人の教師として信条を捨て去る必要はない、そう思ったのです。ただ、担任や教師を超えないように一步も二歩も下がって控えめに控えめに。

 卒業生の担任として、という私の中での決め事は残る5年の教職人生で叶えることはできなくなりましたが、管理職としての生徒との関わり方については、現在もそうですが7年間ずっと思いを巡らせています。それは私にとってとても楽しい時間でもあります。生徒から学ばせてもらうこと教えてもらうことがたくさんあり、いつも私の経験値を上げてくれます。大変ありがたいことです。立場が違っても関わり様は多岐にわたっている、これが私の経験から言えることです。

 躓いたとき、話を聞いて欲しいとき、ふと本校の先生方の顔が浮かんできた・・・そうしたら思い切って学校に足を運んでください。美唄尚栄高校が自分の立ち位置を確認したり見直したりできる場所であっていい。私はそう思います。 

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スマートフォン

 3月4日(水)及び5日(木)は入学者選抜に係る学力検査と面接のため、更新を控えさせていただきました。

 子どもたちの周りではみんなスマートフォンを持っている - そうしたことは妻との会話やランニングチームの仲間からよく聞く話でした。以前は高校生から、それが小学生や中学生にまで下がってきている・・・持たせることは簡単なことではありましたが、私と妻との間で「高校に合格したら持たせよう」と決めていましたし、子どもたちもそれまで我慢するしかないと思っていたはずです。今考えると、一日でも早く持ちたかったんだろうな、と思ったりすることはあります。長男にもそうしましたから、当然2学年下の次男にも同じようにしました。次男の世代はおそらくほぼ全員がスマートフォンを持っていたのかもしれません。

 私立高校の合格は2月下旬にわかっていましたが、公立高校が第一志望でしたから、3月中旬の合格発表で桜が散った日は長男は泣き崩れ、「恥ずかしい、情けない、行きたくない」と部屋に閉じ籠もりました。「何がっ、恥ずかしいんだっ」と喉元まで声が出かかりましたが、それはここで言うべきではない、と私は自らをぎゅっと抑えました。抑えたはいいけれど、感情の高ぶりはなかなか収まりませんでした。

 このまま自分が家にいると良くないな、と考え、そそくさとジャージーに着替え、ジャンパーを羽織り、無言でランニングシューズを履いて外に出ました。あとのことは妻に任せようと思ったのです。あの晩、私は長男のことを考えるとともに父親としてこのあと何をすべきか、ただそれだけを考え、2時間ほど外を走っていました。あの2時間で考えていたこと - 

 私の転勤の都合で、小学5年生への切り替わりのタイミングで無理矢理新しい学校に転校させることになりました。引っ越すギリギリまで転校なんかしたくない、とめそめそ泣いていました。一緒に風呂に入った次男から、「いい考えがあるぞ、お父さんだけ札幌に行け」と言われもしました。子どもたちが納得するまでには結構な時間を要し、私は子どもたちにとって一時敵同然の存在でした。

 新しい環境になって少ししてから「なんか勉強しないとヤバいかも。前の学校と違ってのんびりしていられない感じがする。だから塾に行かせて欲しい」そう言った長男。私は何で小学生から塾なんだという怒りにも似た思いと、でも自分で考えて必要なんだと言った長男の気持ちを認めてあげないと、という複雑な思いの中で妻とどうするか話をしました。

 長男なりに転校してから今日までの5年間、焦りやプレッシャーを抱えながら受験を迎えたということ。転校させなかったらこんな思いをさせなくて済んだのかもしれないということ - 過去に遡って考えるとそもそもの原因が私の都合にあったのではないか・・・

 結局、私は手紙を書いて渡すことに決め、家に帰ったあと自室で夜遅くまでペンを走らせました(このことはずいぶん前にも書きましたので割愛します)。その手紙を渡したあと長男はいつもの顔に戻りました。「よし、今から約束のスマートフォンを買いに行くぞ」と私が言うと、長男は「わかった」と言い服を着替えました。これでいいんだ、ここから始まるんだ、と私は一人納得したのです。

 高校受験を迎えるとき、私はいつもわが家の顚末を想い出します。おそらく残り5年間この仕事に関わっている間は間違いなく想い出すだろうと思います。これも長男がくれた家族の大切な想い出です。

 受験生の皆さん、長きにわたる受験に向けた学習、大変お疲れ様でした。

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しーん、と

 しーん、とした教室

 しーん、とした時間

 ここからスタートした8時35分
 もうここで教科書を開くことも
 もうここで向き合ってお弁当を食べることも
 もうここでスマートフォンの画面を覗くことも
 ありふれた日常は
 すべて想い出の中へ

 ここで終わる15時25分
 もうここで教科書をカバンに詰め込むことも
 もうここで空になったお弁当箱を持つことも
 もうここでスマートフォンで音楽を鳴らすことも
 ありふれた日常は
 すべて想い出の中へ


 3月3日の朝。玄関の出迎えが終わり、2階のフロアを歩きました。しーん、と静まりかえった教室に入ると、行儀良く並んだ机にまるで時間が止まったような感覚を覚えました。人がいなくなる寂しさとはこういうことなんだろうな、としみじみ感じています。

 卒業アルバムの後ろに真っ白なフリースペースが設けられたのはいつからなのでしょうか。卒業式が終わったあと何人も校長室に来て、「ここに書いてください」とお願いされました。笑顔の生徒、涙を流す生徒・・・一人ひとり思いが私には伝わりました。

 皆さんに出逢うことができて本当に良かったです。
 
 皆さんに出逢わせてくれた縁に感謝の意持ちでいっぱいです。

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卒業おめでとう

 式辞

 「第15回北海道美唄尚栄高等学校卒業証書授与式」にあたり、PTA会長 〇〇〇〇様、同窓会長 〇〇〇〇様をはじめとする御来賓の皆様と保護者等の皆様の御列席を賜り、本式典を挙行できますことは、私ども教職員にとって大きな喜びであります。本日、御出席いただきましたすべての皆様に、教職員一同心より感謝申し上げます。
 ただいま、卒業証書を授与した卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。
 皆さんが手にした一枚の卒業証書には、入学してからの3年間、1,095日の歩みが刻まれています。自らが積み重ねてきた努力、葛藤、悩み、そして喜びのすべてが凝縮された、大変価値あるものです。現在の皆さんは、三年前の入学式とは比べものにならないほど逞しく成長し、自信に満ちあふれています。その成長を心から誇りに思います。
 特色ある総合学科高校で自らの進路実現に向けて学びを深めながら、部活動で汗と涙を流し、放課後の教室で友と語り合い、各種行事における団結等をとおして社会性を身に付けてきた数々の時間は、人間を形作る大切なピースとなるとともに、その時間はすべて本校の歴史として刻まれました。目標に向かって努力し、時には壁にぶつかり、それらを仲間と共に乗り越えてきた経験は、これから皆さんが歩む長い人生において、折れない心の支えとなるはずです。どうか、自信を持って次のステップに進んでください。
 さて、生徒玄関に掲げた書を皆さんは毎日目にしてきました。〇〇教諭が書道展に出展した作品です。私はその力強い言葉に惹かれ、それがRADWIMPS(ラッドウィンプス)の野田洋次郎さんが書き下ろした「正解」という楽曲の一節であることを知りました。生徒に近いところでメッセージを発信したい、その気持ちで作品をいただきあの場所に掲げました。「答えがある問いばかりを教わってきたよ そのせいだろうか 僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない」この一節は、正に今を生きる皆さんの心の代弁であり、同時に強烈なエールであると受け止めました。「いつも正解などまだ銀河にもない」この言葉を、どうか皆さんの胸に深く刻んで欲しいです。
 これから足を踏み入れる社会は、かつてないほどの速さで変化を続けています。デジタル技術の飛躍的な進歩、生成AIの台頭、そしてグローバル化の進展。これらは私たちの生活を便利にする一方で、昨日までの「正解」が、明日には通用しなくなるような、予測困難な時代をもたらしています。このような「正解のない時代」の中で、戸惑いや不安を感じながら生きていくことになります。しかし、変化とは、見方を変えれば「新しい可能性」そのものです。古い枠組みが取り払われ、個人の創意工夫や熱意が、これまでにないほど大きな力を持つ時代が来ているということです。私から皆さんに大切にして欲しいことを2つお話します。
 1つ目は、「問い続ける力」です。「なぜそうなるのか」、「本当にこれでいいのか」という疑問を持つことが重要です。北海道という広大な大地は、かつて先人たちが未開の地に挑み、試行錯誤を繰り返しながら切り拓いてきた歴史があります。皆さんも、「当たり前」を疑い、自らの頭で考え抜くことを恐れないでください。最適解を導き出すのは皆さんです。
 2つ目は、「他者への共感と対話」です。多様性が重んじられる社会では、自分とは異なる背景や考えを持つ人々と協働することが不可欠です。「正解のない問い」に立ち向かうとき、最大の支えとなるのは仲間です。本校で育んだ6つの力(思考力、自己肯定力、意思疎通力、行動力、創造力、発信力)を発揮し、新しい価値を共に創り出せる大人になってください。
 本校で過ごした3年間で、皆さんは時にぶつかり、時に励まし合いながら、友情を育んできました。その経験こそが、財産です。相手の立場に立って考え、対話を通じて新しい価値を創造できる、心豊かな大人であって欲しいと願っています。
 最後になりますが、保護者等の皆様におかれましては、今日まで、深い愛情をもってお子様を育ててこられ、立派に成長されたその姿に、感慨もひとしおかと存じます。改めてお祝いを申し上げますとともに、これまでの本校への多大なる御理解と御協力に、深く感謝申し上げます。
 卒業生の皆さんは、ここまで自身の成長を支えてくれた保護者等並びに多くの方々への感謝の気持ちを忘れずに生きていってください。
 いよいよ別れの時です。皆さんが去った後の校舎は、寂しくなりますが、皆さんの新しい門出を祝し、豊かで幸せな人生を歩まれることを祈念し、式辞といたします。

     令和8年3月1日 北海道美唄尚栄高等学校長 日下 剛 

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