北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
祝 全道大会出場!!
・第41回北海道高等学校新人陸上競技大会
9月24日(水)~26日(金) 帯広市
円盤投1名
・第55回北海道高等学校新人ソフトテニス選手権大会
9月13日(土)~14日(日) 帯広市
ダブルス1ペア シングルス1名
・第59回全道高等学校書道展・研究大会
10月15日(水)~17日(金) 釧路市
4名
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
祝 全道大会出場!!
・第41回北海道高等学校新人陸上競技大会
9月24日(水)~26日(金) 帯広市
円盤投1名
・第55回北海道高等学校新人ソフトテニス選手権大会
9月13日(土)~14日(日) 帯広市
ダブルス1ペア シングルス1名
・第59回全道高等学校書道展・研究大会
10月15日(水)~17日(金) 釧路市
4名
本校は、「かなうさ」というマスコットキャラクターを持っています。尚栄の『尚』の文字をモチーフに、そして、尚栄なら夢がかなう、という言葉を掛け合わせて名付けられた可愛らしいマスコットです。
本校のホームページにアクセスすると校舎の写真が写し出されますが、その真ん中に跳び箱を跳ぶピンク色の「かなうさ」のイラストを見ることができます。『尚』の文字に見えると思います。学校独自の公式マスコットキャラクターを持つ学校はそう多くはないので「かなうさ」をどうにか活用できないか・・・4月からずっと考えています。
ずいぶん前にデザイン系列の生徒がクッキーを焼いて校長室にやってきました。タグは昨年度のものになっていますが(サンプルなので気にしないでください)、一日体験入学でクッキーをプレゼントするとのこと。「試作なので食べてください」ということですが、なんだか可哀想でいつまでも食べられずにいます。
夢(手元のある国語辞典より) - 将来実現したいと思う事柄。希望。それでは希望とは - こうあって欲しいと願い望むこと。似たような言葉で使われる目標は - めあて。
小さいときにはたくさんあって、大人になると失っていくもの・・・一般的にどうなのでしょうか?寂しいけれど、現実を知るにつれて失っていくものなのかなぁ。私は多くの夢を捨ててしまったかも。でも、捨てると新たに見つけるのも、また夢ではないかな、と思います。
そうした中で見つけた夢のひとつ。それは、六十歳を境にしたそれ以後の人生についての夢です。ずいぶん前から持ち続けてきた夢ではありますが、ここまで先延ばしになり、あと5年半のところに迫ってきました。詳しくは書きませんが、お店を持ちたいと思っています。妻に言うといつも笑われますが、私はかなり本気です。その夢を叶える第一歩として専門学校に通うことを考えています。実現に向けて一歩一歩歩んでいこうと思います。
十代を生きる生徒の皆さんはたくさんの夢を持っているはずです。無理だではなく、叶えようと思い続けて欲しい。どこでチャンスが巡ってくるかわからないわけですから。
5月中旬から校長室の入口扉を開放しています。その扉の付近から、こそこそこそっと小さな声で喋っている生徒の声が聞こえてきました。
とんとんとん - 校長室の扉がノックされました。
「校長先生、とら焼きとどら焼きを作ったので食べてください」頭から足下まで真っ白なユニホームに身を包んだフード系列の3年次生が、はにかみながら校長室に入ってきました。訪問してくる生徒はみんなそうなのですが、はにかみ表情が可愛らしくて、いつも私の心を穏やかにさせてくれます。まだまだ子どもなんだなぁ、と思ってしまいます。「せっかくだからホームページに載せる写真を撮ろうよ」と声をかけ、4人で並んで撮りました。
「どうしてとら焼きなの」と聞きましたら「皮がとらの模様だからです」と返ってきました。なるほど、言われてみれば、です。餡は入っていませんでしたが、とら焼きもどら焼きもどちらも美味しかったです。ありがとうございました。
とら焼きとどら焼きは、今後開催されるいくつかのフェアで販売する予定になっていますので、手に取ってもらえると嬉しいです。製造の様子を本校インスタグラムに掲載しております。御覧ください。
https://www.instagram.com/bibai_shoei_highschool/
みんなで楽しく作って、できあがったものを品評して、何が上手くいって何が足りなかったのかをみんなで考える。それを元に改良していく。大人になってからではなく、多感な高校時代にこのような体験ができることに、私は大きな意味があると考えます。
変化の激しい時代、人生100年時代と言われています。生徒たちの将来は働く期間が長くなり、マルチステージの時代になります。学んで働き、学んで働き・・・を繰り返す人生になっていくものと思われます。
【課題】どうしたらとら焼きの皮になるのか 【情報の収集】まずは調べなければならない 【情報の整理・分析】調べたことをまとめる 【まとめ・表現】実際に作ってみる これを繰り返していく。変化が激しく予測困難な時代だからこそ、常に【課題】が降りかかってくるわけですから、学びのサイクルは延々と続いていきます。本校で実践している学び方が、課題解決に向けたひとつの手段として役に立つと思っています。
9月27日(土)の体験入学の受付をしています。是非、お越しください!!
夏にさよならしなければならない - 九月の夕暮れはいつも美しいのだけれど、私をセンチメンタルにしてしまう・・・
9月10日 明治通りと美唄川の交差付近にて(写真を補正)
夕食後のランニング。見上げる空はわずかに残る朱色が早送りされ、たちまちのうちに濃紺に染まっていきます。この日もそうでした。1分、2分と言ってはいられない加速度感。空の色は駆け足で切り替わっていきました。もう少し近づいたところから、なんて思いながら夕暮れに向かって走りましたが、もうこれ以上行くとこの空を切り取ることができない、と諦めて写真を撮りました。
ずっと遠くから演歌のような音楽が時折風に混ざって聞こえてきました。空知神社秋季例大祭の初日。秋祭りのスタート。音源はおそらくそこからのもの。
否応にも秋の訪れを私に伝えてきます。目の前を通り過ぎる赤とんぼ、道ばたに落ちてしまった葉、黄金色の田、道路沿いのすすき、草むらのコオロギの声、そして肌に感じる風・・・
本日で単元まとめテストが終了します。3年次生は来週から解禁される就職試験に向けた準備、久しぶりの部活動やアルバイト等が再開されます。学校帰りにお祭りに寄っていく人も多いのかな。
本校の生徒にも秋の時間が訪れています。
美唄市立美唄中学校の学校祭企画の目玉でもある合唱コンクール。かねてより浅利校長先生から「審査員をお願いします」とお声がけをいただいたこともあり、わくわくしながら訪問させていただきました。
最後に合唱を聴いたのは、次男の中学校の卒業式。その前となると2年遡った長男の中学校の卒業式になります。8年前、10年前のことになります。どちらも公立高校の合格発表前で、親としては子どもが卒業する喜びの裏で合否の行方にそわそわしている、そんな複雑な胸中だったのを覚えています。合唱(たしか大地讃頌だったような)の歌声とともに、脈絡もなく溢れ出してくるさまざまな想い出に浸りながら、私はただただ目頭を押さえていた - この歌声のどこかに、間違いなく自分の子どもの想いが混じっているんだ、そう思いながら聴いていました。
さて、1番手は2年1組「COSMOS」。表現のしようがないのですが、ピアノ伴奏から心にぐっ、とくるものがあって、最初の歌声がピアノに載った瞬間に鳥肌が立ちました。合唱の善し悪しではなく、子どもたち一人ひとりの想いがひとつに重なって私の胸にどーん、と迫ってきました。
すごい - それ以上の言葉は出てきませんでした。本当に感動した時って、言葉は出てこないんですね。それともうひとつ、歌詞の一部ですが、ここがとても素敵でした。「君も星だよ みんなみんな 時の流れに 生まれたものなら ひとり残らず 幸せになれるはず」(ミマス作詞)こういう素敵な言葉を大人になっても、いつまでも心に留めておいて欲しいです。
6つのクラスの合唱は、それぞれのクラスの特徴が表れていて、同じ曲なのに全く違う表現があって素晴らしかったです。ひとつの曲に生徒一人ひとりの想いが乗せられて最後はひとつの歌声になって響く・・・合唱の奥深さに心が打たれました。
ひとつの歌声にするまでにさまざまな苦労があったはず。それを乗り越えた一人ひとりの心には合唱が終わったという現実だけではなく、かけがえのない大切なものが植え付けられています。美唄中学校の生徒の皆さん、感動をありがとう!
自校に所属していない子どもたちの写真撮影はできませんので、今日の写真は、合唱コンクールが終了した後に浅利校長先生といただいた給食です。美唄市の給食は食材にこだわっており大変美味しい、と各方面から評判が高いとのことです。そのとおり美味しかったです。ごちそうさまでした。
校門前のひまわりが満開になりました!!
私の朝を出迎え帰りを見送ってくれるひまわりです。
さて、少し難しい話をさせてください。
こうなんだ、と決めつけてしまうとそこだけしか見えなくなります。特に若いときは狭い世界のさらに小さなひとつのモノしか見えない - 私自身の経験から言えることでもあります。それで失敗したこと、周りの人に不快な思いをさせてしまったこと・・・私にはたくさんあります。
(立って撮影)
誰かに教えてもらったことではないけれど、カメラを持ってさまざまな被写体や風景を切り取っていくときに、立ったりしゃがんだりするだけで、ファインダ越しに見えてくる像が大きく違ってくることを覚えました。望遠レンズで引っ張ってくるよりも、そこまで足を運んで像を結ぶと遠くからは見えなかったものが見えてくることを知りました。そんなことは当たり前なのですが、意外と人は気付いていない。
(座って撮影)
学生時代にカメラを始めたとき、上から見下ろすだけの単調な写真を撮っていたけれど、体調を崩して再スタートしたカメラは目線を合わせてシャッタを押すことが多くなりました。花を撮影することが多かったのですが、マクロレンズで撮影する時など、私は草むらに身を横たえ20センチや30センチまで花に顔を近づけて撮影をしていました。
離れた位置からはただの花びら一枚でも、ぐーん、と近づくと花びらの筋やそこに載る花粉の粒まで撮し込むことができるわけです。おもしろくてずいぶんのめり込みました。嫌なことを忘れ、心の中に蓄積した負の荷物を捨てられる時間でした。自分自身のモノの見方が如何につまらないものだったか - この時期に教えられたことでもありました。
そうした経験の中から少しずつ自分自身が変わっていったんだろうと思います。そういう意味では、あの長い時間も決して無駄ではなかったと思います。一方向の高い所から、ではなくて、ぐるーっと回って目線を下げた所から見てみる。被写体の一番いい所に触れることができるはずです。
目線を合わせる、視点を変える - 始めてみませんか!
本校のホームページの閲覧誠にありがとうございます。昨日から本日にかけての1日で1400件のアクセスがありました。インスタグラムも更新しておりますので、是非御覧ください。ありがとうございます。
9月4日(木) 探究学習中間発表会を実施しました。7月25日に実施する予定でしたが、高温下による熱中症を防ぐため延期させていただきました。進路活動(就職)が本格化する3年次生には、発表会に向けた準備で負担をかけることになりましたが、この日の発表を見て単純に中止にしなくて良かった、と思いました。3年次生の皆さん、本当にお疲れ様でした。また、本校にお越しくださいました皆様に対しましてもお礼を申し上げます。ありがとうございました。
9つのブースが用意されました。「商品開発(グッズ)」「商品開発(食品)」「道の駅」「防災」「健康」「広報・SNS」「若者が集まる場所(フード)」「若者が集まる場所(娯楽)」「若者が集まる場所(イベント)」生徒たちが一つ決めたテーマに対して調査し議論を重ねてこの日の発表に繋げました。
汗を流しながら説明する姿、真剣な表情で語る姿、予期せぬ質問に一生懸命に答える姿・・・教室では見ることのできない3年次生の姿に触れ、私は感動しました。場慣れしている今なら私もできると思いますが、37年前の高校3年生だった自分にこれができたか・・・生徒の姿からそうしたことも考えさせられました。生徒にはさまざまな可能性があるんだな、と思います。
もしかしたら実現できるかもしれない - そう思わせるアイデアが詰まっています。仮に実現できなかったとしても、誰も気付かなかった発想が詰まっています。この発表で終わり、来年1月までの取組で終了ではもったいないな、と思います。
この後、地域の関係機関と打合せを重ねていくグループもあると聞いていますので、原石をさらに磨き、輝くものにしていって欲しいです。
美唄市長桜井様の言葉をもう一度。
「ゼロから1を生み出す力がこれからは必要となります」
5月21日 齋藤農場(齋藤実様)様の田んぼにおいて、美唄市食育事業の一環で行われた田植えに、美唄市立東小学校5年生と本校のフード系列2年次生4名が参加したことを以前紹介させていただきました(5月27日 校長の小部屋 掲載)。
9月4日 稲刈りのスタッフとして、フード系列2年次生5名が現地に向かい、小学生が行う作業の指導や刈った稲をまとめて縛るなどの手伝いをしました。地域の方々と直に触れ合える体験の場を提供してくださいました、美唄市教育委員会様や齋藤様に感謝申し上げます。
実るほど頭を垂れる稲穂かな - この日、田んぼの縁に立ち、黄金色に染まった稲を見渡しているときに、この言葉が浮かんできました。実るほど頭を垂れる稲穂かな、と小さな声で口ずさみながら、これはきっと今何かをしっかり考えなさい、というサインなんだろう、と私は受け止めました。
稲は成長すると実をつけていきますが、つければつけるほどその実(頭)の重みで垂れ下がってきます。「立派な人、人格者ほど謙虚な姿勢である」という例えです。そのとおりだな、と思います。
いつのことか忘れましたが「謙虚であれ」と教わったことがあります。自分の能力を誇らず素直な態度でいなさい、と説かれました。自分が自分が、ではなく、相手を重んじなさい、と。何の時だったかなぁ・・・思い出せません。もしかしたら母親から、いや、中学校の担任佐藤先生から言われた言葉かもしれません。
私も人生の後半を走っているわけですから、さまざまな体験や経験を積んできました。これは人に負けないぞ、ここまでやってきた、というプライドは当然あります。ただそのことを以てして、得意になることがないように、といつも自分に言い聞かせています。見せつけようとしない、つまりは、うちに秘めておけばいいのだ、と。これからもそのような生き方をしていこうと思います。
この日、小学生は泥だらけになりながら稲を刈っていました。子どもたち一人一人にとって、今日の出来事が素敵な想い出として記憶されるといいな、と思います。
9月3日(水)4校時 1年次生(1組)で実施していた現代の国語「疑問の探究」についての授業の一コマです。
「一つのことに集中すると周りの音が聞こえづらくなるのはなぜか」「なぜ人には感情があるのか」「季節ってなぜあるのだろう」「人はなぜ、戦争という愚かな手段を手に取るのか」「なぜ一重の人と二重の人がいるのか」「なぜ同じ日本なのに方言があるのか」「アフリカはなぜ発展しないのか」「ミラという星はどうして明るさ、色が変わるのだろうか」「なぜ学校があるのか」「なぜ身長が高い人と低い人がいるのか」「あくびを見てなぜつられるのか」「ジョギングとランニングの違い」「人は死ぬとどうなるのか」「宇宙は無限なのか」「雲が美味しそうなのは、なんでだろうか」「なぜ日本語話しているのか」「なぜ人は夢を見るのか」「なぜ自分たち大人の言ってることが正しいと言えるのか」「なぜ猫派と犬派がいるのか」
こうしてすべてを並べて見てみると、確かに「なぜ?」であり、私自身が生徒一人ひとりに胸を張って「こうだからね」と答えられないな、と・・・
生徒は自分の疑問について調べ、相手に理解してもらえる伝え方を考え、発表に結び付けています。昨日、美唄市長桜井様が本校にお越しになり、1年次生と3年次生にこのような言葉をかけてくれました。「ゼロから1を生み出す力がこれからは必要となります」まさにそのとおりだな、と思いました。なぜ?というゼロのスタートから自分なりの答え1を見つけていく。考えさせられます。
私は「人はなぜ、戦争という愚かな手段を手に取るのか」「ミラという星はどうして明るさ、色が変わるのだろうか」「なぜ人は夢を見るのか」「ジョギングとランニングの違い」の4つの発表を聞かせてもらいました。ただ調べたことを列記して発表するのではなく、自分の考えを含めた発表になっているのが良かったです。
ランナーの私は「ジョギングとランニングの違い」の発表が興味深かったです。発表した生徒は図書室で関連する本を見つけ、それを元に考えをまとめたとのこと。図書室に足を運び、本を手にし、ページをめくる - そのことも私としては嬉しかったです。ランニングシューズによる走行スピードの効果について調べてね、と生徒にお願いしましたので、次回の発表を楽しみに待ちたいと思います。
一生懸命に話す姿、真剣に聞く姿がとても良かったです。生徒たちはすごいな、と感心しました。真剣に聞くことは小さな頃から家庭でも学校でも求められますので、ある意味できて当たり前かな、と思います。しかし、どうでしょうか。一生懸命に話すことって生徒だけではなく、私たち大人を含めてできるでしょうか。特に、昭和世代の私たちはできないのでは、と思ったりしています。
自分が高校生の時にこのような授業はありませんでしたし、人前で発表をするなんてこともありませんでした。時代が大きく変わってきていることを実感します。今、目の前にいる生徒がこうした経験を積むことは、これから先の人生のどこかの場面で必ず生かされると思います。
花が好きなので、花の話題が続いて申し訳ございません。ただ、嬉しいので書かせてください。
ずっと待っていた花が校門前の花壇に咲きました。たくさんの蕾がついていますが、このひまわりが一番最初で、そしてひとつだけ咲いています。そのことによって花壇がぱーっ、と明るくなりました。わずか15センチほどの小さな花なのに、これだけの輝きを放てるのはどうしてなのでしょうか。
ひまわりに対する私の特別な想いについては、以前書かせていただきました。どこにでもある、どこでも目にする花ではありますが、私にとっては思い入れの強い花になります。あの頃、自分はひまわりに救われた・・・やはり、考えるのはそのことです。
暖かい日が続いていますから九月に入った実感が沸いてきません。でも、夜風が変わってきました。もう、夏のものではありません。体調を壊さないようにしてください。
小さな花壇ですが、手入れをしてくれる生徒と教職員がいるというのも、実は私が嬉しいことのひとつでもあります。
来週には九月のひまわりが満開になるような気がします。楽しみです。
1年次生で実施している現代の国語「疑問の探究」についての授業を見学しました。相手の理解が得られるような話し方を工夫しよう、という単元で、生徒それぞれが感じた疑問(なぜ?)について、各自調べ学習を行い、そこで得た知識をまとめた上でプレゼンし、それを聞いた生徒が質問や提案をするという取組です。
「なぜオーロラが発生するのか」「音楽はなぜ生まれたか」「なぜ自然にあるものが燃料となるのか」「なぜ左右で視力は違うのか」「なぜ人は夢を見るのか?」「なぜ人を嫌いになるのか」「なぜだめと言われたことはやりたくなるのか」「推しに対する心理的感情と人々による理解、定着」「色覚異常について」「なぜ色弱の人とそうじゃない人がいるのか」「人はなぜすぐに行動できないのか」「人の目の色の違いについて」「死んだらどうなるのか」「なぜ色々な言語が発達したのか」「なぜ人は悲しい時に涙が出てくるのか」「不老不死について」「黒板はなぜ緑なのか」「宇宙はどうやって出来たのか?」「なぜ1日は24時間なのか」「いじめについて」「血液型はみんな違うのか?」
どうです?こうした疑問にすぐに答えられますか?私は自信がありません。教科担任の意図するところとかけ離れてしまうと申し訳ないのですが、「これってどうなんだろう」と疑問に思ったことを自分で調べてみる力って、とても大切だと思います。誰かに聞くことですぐに解決することもあるのでしょうが、私はそれだけではいけないと考えます。
これは私のスタンスですが、躓いたら徹底的に調べます。調べた結果をもとにアタックします。それでも解決しなければ、再び考えて何度もアタックします。その上でエラーが出たら、「ここまでこのようにやってみたけれど、このエラーを改善するのに何が必要でしょうか」と質問します。自分で理解できるギリギリまで攻めます。きちんと理解するのは努力が必要です。
物事の本質をしっかり理解できていなければ、エラーのない答えを教えてもらっても、次の応用に繋げていくことができません。その状態で人を理解させることなどできない - そのことを大学の研究室で城谷先生から学びました。
城谷先生から固体物理学のあることについて質問されて、教科書に書いてあることを勉強して答えても、「それってどうして」「どうしてそうなるって言えるの」と間髪を入れずに、どうしてどうしての質問が飛んでくるわけです。その時に言われたことが「日下くん、調べたことをそのまま答えるのではなくて、どうしてそうなるかを勉強しないとダメだよ、そこが一番大切なことなんだから」このことが今も私の中にしみついています。だから仕事をしていても「これってこれでいいの?」と問うている自分がいます。
それにしても生徒たちの「なぜ?」確かに「なぜ?」です。確かな答えがあるのかないのかも私にはわかりませんが、短絡的にインターネットで検索するだけではなく、図書館に足を運んで本を手にとり、答えを探す旅もして欲しいな、と思います。汗をかいた努力は必ず人を成長させるので。
普段見ることのできない生徒の一面に触れられて、とても興味深い時間でした。
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