北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
3年次生の選択科目「生活に生きる書」を受講している生徒が書いた作品が、校内のあちらこちらに掲示されています。教室ではなく、廊下というのがいいのです。教室だとそこを利用する生徒の目にしか留まりません。だから、人が頻繁に通る廊下や階段の壁というのがいい。
(写真を一部加工しています)
私は着任後、先生方に生徒の作品をどんどん掲示したり飾ったりしてください、と話をしています。作品の善し悪しはどうでもいいわけです。本人がそれで善し、と思えばそれに勝るものはないのですから。
生徒一人ひとりが、見てくれる人のことを考えたり、作品づくりをした人のことを思ったり・・・そうした心を持って学校生活を過ごし、卒業させたいと思っています。このことは私が教員になったいくつかの理由のひとつでもありますし、担任として出会った生徒たちを教育する上での信念でもありました。
学習の成果を残すことはもちろんのことです。ただ、それ以上に、心の空間を広げていく生き方をしていって欲しい、と考えています。生涯をとおして自分のことを思う、誰かのこと(親、祖父母、恋人、兄弟、友達・・・)を思う、そうしたやさしくあたたかな心と時間を持ち、魅力ある人間になって欲しい。
社会や環境がどんどん変化していく混沌とした時代に生きていると、自分のことだけで精一杯になり周囲のことに気持ちが行き届かなくなります。世の中の流れにどことなく我が身も流されていくかのような状況下にありますが、心まで流されていけません。
心だけはやさしくあたたかに。
「ホームページに写真を載せても大丈夫?」生徒に声がけする際の決まり文句になってきました。この日もお断りした上で撮影させていただきましたが、調理室内には甘くていい匂いが漂っていました。これはお菓子を作っているな、甘いものに目がない私はわくわく幸せいっぱいの気持ちになりました。
科目を選択して授業を受けるというのが本校の特色のひとつになりますが、今日の話はデザイン系列の科目『フードデザイン』の一コマです。バターを使用しないクッキー作りが本日のテーマでした。ホットケーキの素材から伸ばした生地に型を当てひとつひとつくり抜き、この後オーブンで焼くのだと思いますが、とにかくみんな幸せそうな表情で楽しみながら作っているのがいいな、と。
毎週生きていくために必要な食を考え、自らの手で安全な食を作り、それをみんなで楽しく食す。食は奥が深いですね。こうした授業は系列に特化するのではなく、すべての生徒が受講できたらいいのにな、と思ったりしています。
さて、大学時代にアルバイトをしていた青果店の裏小路に、手作りのケーキやパスタなどがメニューに並ぶ自家焙煎珈琲が楽しめる小さなカフェがありました。会話を壊さない程度にさりげなく洋楽が流れ、静かに時間を過ごせる雰囲気の良いお店でした(残念ながら今はありません)。
マスターに恋愛ごとを聞いて欲しくて、カウンタ席で珈琲をよくいただいていました。当時お付き合いをしていた女性とも行ったこともありました。その影響もあってか、いつか大好きなJAZZレコードを流し珈琲を提供するお店を持ちたいな、そんなことを大学時代から考え続けています(現在進行形でレコード蒐集しています)。美唄尚栄高校で食について学べたら、実現に向けて大きく前進するだろうなぁ・・・なんて思いながら今日の授業を見学していました。
私自身経験したことのない学びが本校にはあふれていて、見るものすべてが新鮮で驚きです。五十代の私がそうした気持ちになるわけですから、感性豊かな十代なら相当なインパクトがあるのではないでしょうか。
本校で学ぶ生徒たちが、これから先の人生において「そういえば、あのとき尚栄で○○を習ったから、もしかしたらこういうことができるかもしれないな」という発想のもと、地元でお店を出店したり起業してくれる日がきたら素敵だなと思います。
自分の好きなこと、興味を持ったことについて、それを実現するための科目を選択できる。総合学科 美唄尚栄高校 だからこその学びがここにあります。
放課後、廊下を歩いていたらトレーニング室からシューッシューッ、とリズミカルな音が聞こえてきました。トレーニングマシンのペダルを一生懸命に踏み込む生徒の姿がありました。間違っていなければですが、陸上競技の経験はないけれど、この春に陸上競技部に入部した1年生です。校長室の窓からグランドのトラックを走っている姿をよく目にしますが、「しっかり続けていたら結果はついてくるぞ」と応援する気持ちで見させてもらっている生徒のひとりです。
私も一応、アスリートの端くれとしての市民ランナーですから、走る人を見るとそれが短距離、長距離のどちらであっても気持ちの奥の方がそわそわします。マラソンは自分との戦いです。私はトップランナーではありませんから、誰かに勝つ、という意識はありません。2万人規模の大会に出場しても順位には興味はなく、42.195キロを3時間29分59秒以内に走りきる、これとの勝負です。10キロなら39分59秒、ハーフなら1時間29分59秒以内です。
肉体的、体力的な衰えは当然ありますが、これらの目標を乗り越えることができるかどうか、最後は”気力”にかかっています。ツライ、足が、太ももが、苦しい、歩きたい・・・それを打ち消すだけの気力を最後に奮い立たせることができるかできないか、ただそれだけです。わかっていても、最後のスパートがかけられず、わずか数分だけオーバーしてのフルマラソンのゴール。ゴール、完走に喜びはなく、目標を達成できない自分にただただ悔しさと情けなさが残るレースがここ数年続いています。
何かを変えなければ結果は出ない - そのためには、勤務時間終了後、週休日にロードワークだけではなく、生徒と一緒にマシンを使った地道なトレーニングが必要かも、そんなことを真剣に考えてしまいました。
マシンのモニターには、設定タイムや消費カロリー等の数値が表示されており、聞くと「1時間のトレーニング時間に設定しているのであと30分やります」と答えてくれました。とにかくペダルを踏む、そのことだけを考えて汗をかく - こうした地道なトレーニングが功を結ぶ、そう思いながら写真を撮らせていただきました。
私は初夏6月が一番好きです。日中は程よい暑さで爽やかな風、夜はひんやり半袖では心持たない、そんな空気感が大好きです。香りよいライラックが終わり、ここからが本格的に花が主役になる季節を迎えます。とは言っても、いつからか初夏がいきなり真夏になることが当たり前になってしまった、そう感じるのは私だけでしょうか。
もしかしたら間違っているのかもしれませんが、私の記憶では五十年、四十年、三十年くらい前までは、25℃を超える日は7月中旬から8月上旬にかけての2週間程度、30℃を超える日は一夏に1日あるか2日あるか、そのような夏だったように記憶しています。
小学校の夏休みは、近くにあった中学校の屋外プールが開放されて、毎日のように自転車でそこに向かいました。そもそも遊び場所が学校のグランドかプールしかなかったわけですが、とにかくそこに行けばすべての友達に会うことができました。草むらではぎーっ、とキリギリス、木々の上端ではみーんみーん、と蝉、うるさいくらいの大合唱の中で、泳いだり走ったりしていました。それだけで楽しかった。
でも、それはお盆までのこと。お盆を過ぎると決まったように秋風が辺りを包み込み、夏の終わりを告げるのです。「ああもう夏が終わっちゃうんだ」寂しさいっぱい私は私なりに夏にさよならしていました。
さて、今週前半は25℃を超えました。もう、私の記憶にある初夏6月はどこかに行ってしまいました。6月の熱中症対策、いや、早ければ5月の数日も熱中症対策を意識しなければならない状況になっています。何十億という時間の中で地球の環境が完成されてきたというのに、数十年、数年単位で気象状況が変化しているのだとすれば、どうしたものだろうか、と考えさせられます。
本校におきましても生徒及び教職員に熱中症対策について注意喚起しております。簡易クーラーは5月末に設置しました。水分補給はもちろんではありますが、朝食をしっかり食べて登校すること、睡眠時間をしっかり確保することも熱中症の予防策となります。これから9月まで暑い日が続くことが予想されます。十分に気をつけて過ごして欲しいと思います。
どうしてこの苗字でこの名なんだろう・・・
小学生の頃、苗字と名でしょっちゅう揶揄われたので、自分の苗字と名にコンプレックスを持っていました。せめて名だけでも弟と交換して欲しい。そんなことを思いながら毎日を過ごしていました。
私にとって最悪なことは全校集会における表彰でフルネームが呼ばれる日。入学式、卒業式も。学期の終わりに担任から名前を呼ばれて通知票をもらう日も。その日が近づいてくると妙に落ち着かなくなり、当日はただただ体育館や教室から逃げ出したかった。
どうしたら名前を変えることができるのだろうか、と図書室で本を真剣に探し回ったこともありました。(見つかりませんでしたが)担任の先生や祖母に聞いたこともあります。それくらい私にとっては深刻な問題でした。
人生も半ばを過ぎ、普通私くらいの年齢になると、もう小学校のときの記憶はほとんどなくなり、いくつかの断片的なものしか残らなくなりますが、名前のことにまつわる数々の出来事を鮮明に覚えているのは、やはり相当なインパクトのある問題だった、ということなのだろうと思います。
中学校に上がって、妙にざらついた感情に振り回され、荒くれた行動により周囲にずいぶん迷惑をかけたのは、消すことのできない恥ずかしい事実ではありますが、そうなってしまった自分の一端には名前へのコンプレックスから逃避したい、そんな思いがあったのは間違いありません。
何がきっかけでそうしたのかは定かではありませんが、確か中学生のときに『剛』の意を辞書で調べたことがあり、そこから名を授けてくれた亡き祖父の思いのようなものを感じ、ハッとしました。そういう意味だったのか - たぶんその辺りからコンプレックスがなくなったように記憶しています。
今日の話は私の笑い話であり、この日の授業内容とは全くつながりませんが、小学生、中学生のときは名前を書くのが嫌で、殴り書きしていました。心の小さな少年だったんですね。教室の後ろから入り、丁寧に筆を走らせる先生や生徒を見ていて、私自身人に褒められる文字は書けないけれど、いつの日かそれはわからないけれど、自分の名前だけは粗末にせず「丁寧に書く」ことができているな、そう思ったのです。
心落ち着けて文字を一字一字丁寧に書く、そのような時間をどこかに持たなければ・・・ぼんやり考えています。
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