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校長の小部屋

美唄市の『美』との出会い

 写真とカメラに熱中していたときは、その風景に出会うために下調べをして、機材を車に積み込んで出掛けていました。レンズを磨き、バッテリを充電し、数台のカメラをバッグに詰め込み、それは大がかりな準備を伴うイベントでした。

 年齢を重ね、趣味や物事の優先順位が変わっていく中、ランニングが最優先事項になっている状況においては、重たい機材を持ち歩いて写真を撮るということがどうしても後回しになっています。たまに小回りのきくミラーレス一眼をランニングバックに入れて走ることもありますが、ポケットに収まるスマートフォンによる撮影が主になってしまいました。

 一日の終わり、毎夕刻に楽しんでいるランニングにおいて唐突に出会う素晴らしい風景があります。それは何気ない日常の一コマなのかもしれませんが、この日のこの時間、この場所のこの空気・・・贅沢にもそれを味わえたのはこの世界で私だけかな、と思います。

 美唄市の『美』を切り抜けた風景

 つくる『美』

 そこにある『美』

(5月26日 美唄中学校付近で撮影)

 この2ヶ月、美唄市の魅力を感じる日々を過ごしています。美唄市に住むことができて本当に良かったと思っています。

 

 本校の1日あたりのホームページ閲覧数が500件を超えるようになりました。毎日お越しいただいている方、今日初めて訪問された方、受検で検討されている中学生の皆様、誠にありがとうございます。インスタグラムも更新しておりますので是非御覧ください。

 実際に学校に足を運んでいただき、生徒の様子や施設設備を見て欲しいと思っています。直近では学校祭もございますが、いつでも対応いたします。御連絡をお待ちしております。

 今後ともよろしくお願いいたします。

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田植えの記憶

 先日、美唄市立東小学校5年生が齋藤農場(齋藤実様)の田んぼで田植え体験を行いました。美唄市食育事業の一環で、本校からは講師役としてフード系列2年次生4名と大中先生が参加し、小学生に指導しながら楽しく苗を植えました。私も齋藤様に許可をいただいた上で、45年ぶりの田植えを小学生と一緒に体験しました。

(写真を加工しています)

 田植えの経験はあるの、と生徒たちに聞きましたら、2名が小学生の時に経験しているとのこと。小学校のカリキュラム等により、やるやらないはあるのでしょうが、毎日食べるお米がどのように作られているのかを体験的に知ることは大切なことです。食品スーパーに行けば売っているのは確かですが、そこに並べられるまでの過程を最初から知ることにより、農業を営んでいる方への感謝の気持ちや安心安全に食べられることへのありがたさを理解できると思います。

 本校は地域の方の御協力のもと教育活動を展開させていただいております。学びを実践に結びつけることで学習効果が高まりますし、何より生徒一人ひとりの成長につながっていきます。このような機会を賜りました美唄市様、東小学校様、そして齋藤様に感謝申し上げます。

 さて、話を戻しますが、私は小学生の3年生か4年生の授業で田植えの体験をしています。当時、私の学年だけ16名しかいない少人数のクラスでしたが、そのうち農業を営んでいる家庭の子が3名いました。ハルミちゃん、ミホコ、ムシ(通称)で、記憶が間違っていなければ、ムシの田んぼで田植えを行ったと思います(おそらく実家の納戸の段ボールをひっくり返したら当時の写真の一枚二枚が出てくると思います)秋に稲を刈り、干して、最後のお米、そしてカレーライスで戴くまでの過程をひと通り体験しました。

 昨今、食育の大切さが謳われるようになっていますが、実は45年前に食育の授業が行われていた - 今まで考えたこともありませんでしたが、その事実に驚かされます。今回の田植えは抽斗のずっと奥の方に眠った私の記憶を蘇らせてくれる出来事でもありました。

 15名は今頃どうしているだろう・・・一人ひとりの顔と名前が浮かんできます。

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常に見られているということ

 4月の話になりますが、教職員を前に着任の挨拶、そして2年次生と3年次生を前にした着任式の折に、趣味を交えた自己紹介でランニングにまつわるエピソードを含めた話をしました。

 ランニングを始めたのは13年前に遡ります。理由はいくつかありますが、以後ほぼ毎日のように走り続けているのは、ランニングそのものが習慣化され、24時間の生活の一部分になってしまったからです(格好良く書きましたが、それほどのランナーではありません)

 ランニングしていること自体を自慢するつもりで書いているわけではなく、その挨拶をした数日後に、本校の職員から「走っている姿をイメージして描いてみました」とはがき大の絵をいただいたのです。自らが描かれた絵をいただくのは人生初の経験でした。今もデスクマットに挟めて大切に保管していますが、これよく見ると、笑えるほど私に似ており、よく観察しているな、と思ってしまいます。

 しかし、よく考えてみると、教職員は校長の姿を常に見ているという裏返しになるわけです。気を引き締めて一つひとつの業務に真摯に向き合っていく ー その自覚を持って過ごさなければなりません。そうした思いと皆さんにとって身近な校長室になるよう、入り口扉を開放しました。気温が下がってくるまではこの状態を続けます。

 生徒を一人ひとりをしっかり観察し、生徒と教職員の関係が今まで以上に強固なものとなるよう教育活動を展開してまいりますのでよろしくお願いいたします。

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花壇と花言葉と

 ボランティア局の生徒が校門前の花壇にお花を植えてくれました。前回は左側の花壇にマリーゴールドが、そして、今回は右側の花壇がパンジーやペチュニアで彩られ、華やかになりました。通りに面した小さな花壇ですが、付近を通る際は是非足を止めて御覧ください。

 先日、校長室にお花を届けてくれた生徒の「花言葉の面白さから花が好きになりました」という話から、さっそくマリーゴールドの花言葉を調べますと、「変わらぬ愛」「可憐な愛情」「生命の輝き」「友情」「健康」、パンジーの花言葉は「誠実」「思慮深さ」「私を思って」と記載されていました。なるほど、面白い。花それぞれの特徴を踏まえて添えられた言葉・・・奥深いです。

 人としてそうした生き方や感情豊かな心を持って欲しい、そう思わせる言葉が含まれていて、考えさせられることが多いです。果たして自分はどうなんだろう、と。

 生徒の皆さんには、いつも仲良くしている友達が、同じクラスの仲間が、中学校が同じだった先輩が作り上げた小さな花壇をあたたかい気持ちで見守って欲しいと思います。

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花(春のあたたかさ)

 月に一度お花の先生が来校されます。華道部の生徒に御指導いただいておりますが、生徒が生けたお花は校内のいくつかの場所に展示されています。先月もそうでしたが、そのうちの一つが校長室に届けられ、私のデスクに置かせてもらっています。私はなんと贅沢にも目と鼻の先でお花を楽しんでいるわけです。花好きな私にとって、身近なところに花があるというのは、何にも代えがたい喜びでもあります。

 生徒にどのような思いで生けたの、と聞きましたら「外が暖かくなってきたので、春のあたたかさみたいなものを表現しました」とやや緊張した面持ちで話してくれました。どうしてお花が好きになったの、と尋ねると「花には花言葉があってそこがおもしろいなと思いました」と予想もしていなかった返答に驚きました。「花が好きです。そこにあるだけで明るくなりますから」十代でこのような感性を持っているのは素敵だな、と思います。

 我が家の庭も5月中旬を過ぎてずいぶん賑やかになってきました。何年も前に植えた宿根草が陽気に誘われぐんぐん伸びています。毎年花が終わるとその種を遊び心で庭の隙間に植えていますが、これが不思議と芽を出し花を咲かせます。妻と一緒にその様を見るのが楽しみにもなっています。雪の下で長い時間耐え忍び、雪解けとともに新芽を出す、その生命力にいつも感動します。

 6月中旬から本格的に花が咲き始め、妻が花を摘みバラを中心に部屋の中でも楽しんでいます。そこにあるだけでパーっと明るくしてくれる、そのとおりだと思います。

 広い校舎ではありますが、その一角にお花があるだけで世界観が変わります。花が置かれている学校は本当にいいな、と思います。それが生徒の作品であればなおさらです。

(職員玄関に展示)

(生徒玄関ホールに展示)

 物価高騰の波はお花にも押し寄せており、限られた予算の中で工夫しながら購入している、と顧問の先生から聞いています。生徒もそのことを感じながら活動しておりますが、活動を重ねるたびに生け方が上手になっているようです。

 生徒が生けたお花を保護者等の方にも是非見に来ていただきたいです。特にお子様が生けたお花であればなおさらです。残念ながら花は長持ちしませんので、お早めに御連絡ください。お待ちしております。

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