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校長の小部屋

みんないい顔しています

 今週は午後(5,6校時)を学校祭の準備の時間としています。各教室ではクラスPR(各クラスの特徴をテーマに沿ったダンスや演劇等のステージ発表でアピールする)に向けて、笑い声や振り付け指導する声が飛び交い、日に日に盛り上がってきています。

 教卓の上にタブレットを置き、みんなで画面をのぞき込んでダンスをしたり、打ち合わせしている様がやはり時代を感じさせます。そうした道具がなければないなりに工夫して取り組むのでしょうが、あればあったで次から次へと効果的な活用を見出していく生徒はすごいと思います。

 携帯電話もデジタルカメラもない私たちの高校時代は、記録用としてインスタントカメラ(写○ンです)で静止画を撮影することが主でした。動画を残すとなるとテレビ放送局から持ってきたのか、と思わせるようなビデオカメラを抱えた撮影となり、それはそれで大変な作業でした。そもそもそんな高級な機材を個人で所有している友達など誰一人いませんでした。だから動画ではなく静止画。

 自分の家から持ってきたラジカセにカセットテープ(CDは高校3年生あたりからちらほら出現)を入れて音楽を流す、ビデオデッキとブラウン管テレビを持ってきて動画を見なければならない。何か事を起こすとなるとすべてが大がかりな準備となりました。約40年の間に何もかも様変わりし、スマート化されました。そんな中でも変わらないものはあります。生徒同士のやりとり、汗を流しながら練習する姿です。これだけは昔から変わりません。

 私の顔を見ると生徒たちが寄ってきて声をかけてくれるようになりました。2ヶ月半で垣根がかなり低くなったような気がします。校長の小部屋は、写真エッセイをコンセプトに始めましたので、とにかく写真を撮って歩いています。最近は驚くほど自然でいい顔を見せてくれます。仰々しく一眼レフを構えるのではなく、スマートフォンで撮影するからそうなるのかもしれません。

(写真のレイアウトの仕方を教頭先生から習いました。便利です。)

 先日自宅に帰ったとき、次男が「父さん、校長先生どうなの?」と唐突に聞いてきました。話の中で「そういえば、オレ、高校の時の校長先生と喋ったことないし、顔も知らないわ」と。確かに1学年8間口の大規模校に通っていたわけですから、それもわかるような気がします。

 知られるということはそれだけ認知されたということですから、より一層身も心も引き締めていかなければなりません。

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学校祭の準備から

 放課後の学校祭準備。

 教員になって良かったな、と思うことのひとつは日々の生徒の様子を見て、自らの高校時代の記憶が身近に感じられることです。どんどん遠くなるはずの高校時代の記憶が意外と近いところにある・・・おそらくこの仕事をしていなかったら、日常的に高校時代のことを想い出すことはなかっただろうと思います。

 それともうひとつ。目の前の生徒たちの声や笑顔、部活動で汗を流す姿、教室で授業を受けている様子を見るたび、教え子たちと過ごした時間が鮮明に蘇ってくることです。あのときこうだったなぁ、そういえばあの子元気にしているだろうか、と。

 この日も生徒たちを見ていると、いつものように高校時代の学校祭準備のことや教え子たちと一緒に過ごした学校祭が重なり、懐かしい気持ちで一杯になっている自分がいました。

 恋人の話を聞きながら行灯を製作したこと、床にこぼした絵の具をそのままにして帰った生徒を叱ったこと、40人と私でスピッツの「チェリー」を大合唱したこと、ケーキを販売するJAZZ喫茶のお店を出したこと、学校祭のお疲れ様会で我が家の庭でクラス焼肉大会をしたこと、第二種電気工事士の放課後補習が終わってからスタートした準備作業、サボって帰った生徒がいて翌日の準備作業をストップしたこと、グランドで打ち上げられた花火、みんなで着用したクラスTシャツやパーカー・・・すべてがいい想い出です。

 準備期間はもう少し続きます。この瞬間の会話、笑えた言葉、教え合った振り付け、不足するものの買い出し、学級旗への色付け、一緒にジュースを飲んでの休憩、窓から入ってきた夕暮れの風、楽器の鳴り響き、分け合ったお菓子、床にこぼした絵の具、疲れて眠い授業、スマホで流して聴いた大好きな曲、買い出し途中で食べたアイスキャンディ-・・・その一つひとつが子どもたち一人ひとりの心に刻み込まれますように - 私の願いはただそれだけです。

 4月中旬以降平均500アクセス数でしたが、最近1000アクセス数となりました。御訪問誠にありがとうございます。本校生徒の活躍を今後もお伝えいたします。何卒よろしくお願いいたします。

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夕焼け空の向こうに

 5月最後の土曜日、長男は転勤により札幌のアパートを引き払い、東京へ向かいました。妻と次男は何度か長男の部屋に入っていたようですが、私はこの日初めて部屋に入りました。すでに引越業者によって荷物は搬出され、残るいくつかの段ボール箱には衣類や調理道具が無造作に放り込まれていました。

 地下鉄駅近の新築のアパートとはいえ、狭いワンルームでよくも1年半を過ごしたものだな、と思いながら部屋と駐車場を何度も行き来し、段ボール箱を車に積み込みました。最後に私は「それじゃな」と声をかけ、長男は「あぁ」と、ただそれだけ言い、挨拶だかなんだかわからない言葉を交わして私はアパートを後にしました。

 転勤がないことを条件に長男は現在の会社に就職したわけですが、関東圏への事業展開に伴い白羽の矢が立ったようです。もう、子どもたちは親の手を離れ、自立してそれぞれの人生を歩んでいるわけですから、どこでどのような生活をしてもいいのですが、わずか7年の間にこんなにも出たり入ったり、行ったり来たりになった我が家のドタバタ劇的な惨状を思わずにはいられませんでした。

 前にも書きましたが、令和元年を境に私は学校管理職として苫小牧で単身赴任、同時に長男が弘前大学入学で旅立ち、自宅は妻と次男だけの生活となりました。2年後に私は自宅に戻って新しい職場に通勤し、それと同時に次男が岡山大学に入学することになり、平成9年以来の妻との二人暮らしがスタートしました。さらに2年後、私の北見への異動と長男の札幌での新生活が重なりました。そして今年、私は美唄、次男が札幌に戻ってきて、再び家族が近場に揃った矢先の長男の東京行き、となったわけです。

 たぶん、飛行機に搭乗する前なんだろうと思いますが、家族LINEに長男からメッセージが入りました。「色々お世話になりました またすぐ札幌に帰るし東京にもいつでもきてね」言葉で言えなくても文字なら言える・・・便利なツールです。私は「心配しないで東京生活を楽しみましょう」と打ちました。東京を仕事だけで生活して欲しくない。自分の時間としても東京を楽しんで欲しい。私の生き方のスタンスを伝えるメッセージ、として送信したつもりです。

 うむ、またすぐ札幌に帰るし - すぐ?何?

 長男の引越から数日後、妻が東京に向かいました。1週間後に帰ってきた妻と自宅からほど近い百合が原公園を散歩し、藤棚の真下に設置されたベンチに座って話をしていたときに「なんかね、彼女がいたんだって。私写真見せてもらったよ」と妻が教えてくれました。そういうことだったのか・・・?の答えがわかったわけです。

 かなりいい距離をランニングして、あとは家まで呼吸を整えながらゆっくりジョグで。その途中の跨線橋でこの景色に出会いました。この夕焼け空の向こう側の、海を越えた数百キロ先の東京で生活している長男を思いました。今頃何をしているのだろうか、東京を楽しんでいるだろうか・・・アパート前で別れたあの日のこととLINEメッセージのことが思い浮かんできました。

(有明跨線橋からの夕焼け空)

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ものをつくる

 3年次生が製作したハーバリウム(植物標本)が並べられています。光が通るとさらにきれいに見えます。どれも素晴らしい作品です。

 私が教室に入ったときは、2年次生が作品づくりをしていました。ガラスのボトルにお花を入れたり出したり、持ち上げたボトルをくるくる回して眺めたり。彩りや配置を何度も確認して、気に入った形にしていく・・・ものをつくるのっていいですよね。余計なことを考えずそのことだけに集中できます。

 お店の商品棚に並んでいるものの中から気に入ったものを購入する、私たちはそうしたことを繰り返しているわけですが、ちょっと調べれば意外に自分で作れてしまうものが多いです。

 本校では、何でも、とまではいきませんが、各系列で工夫して様々なものづくりをしています。確かに手間はかかりますが、その分ものの大切さや工夫することの楽しさ、完成したときの感動!!を日々体感できるという、美唄尚栄ならではのおもしろい学びができます。

 こんなものがあればいいな、と思うものは大抵手に入る時代です。それは確かに便利でありがたいことではありますが、本校の生徒は多くの体験的な学習を積み重ねることによって、完成したものを探すのではなく、工夫してものをつくることを考えるだろう、と私は思っています。

 例えば物置の奥に、ある材料が眠っているのを思い出し、「あっ、そうだ、あれを使えばこれが作れるよな」とひらめく。「あのときあの果物でジャムをつくったから、このリンゴで今日ジャムをつくろう」となる。「布でスカートつくったことあるから、ブラウスがつくれるな」と想像を膨らませることができる。

 これからの時代、こうした発想が大切になるような気がするのです。学歴だとか物事を何でも知っている、などといった他者と比較する物差しではなく、もう物差しでは測ることができない、物差しをそもそも必要としないおもしろい発想が、世の中をぐんぐん動かしていく、と私は考えています。

 先日、パウンドケーキづくりの実習を見学したとき、生徒に「ケーキを焼いたりパンを焼いたりするノウハウを身に付けているのだから、美唄市内で自分のお店を出せるよね」と話をしました。お店を経営するのは簡単なことではない、そのことはわかっていますが、発想の転換でまんざら夢物語ではないような気が私はしています。誰でも起業できる。何にでも挑戦できる。もっと言えば誰でも起業していい。何にでも挑戦していい。昭和、平成の既定路線の価値観は身を潜め、今は新たな価値観に転換され続けています。

 小さなコーヒーショップを持ちたい、と考えている私からすると、お菓子を作ったりパンを焼いたり、ジャムをつくったりできるスキルはどうしても必要で、そうした知恵を高校時代に身に付けている生徒が本当にうらやましいです。私も若いうちに習っておきたかった、そうした学校に通っていれば今頃・・・なんて真剣に考えるわけです。退職したらまず専門学校に入学して学ばなければならないわけですから。

 発想の転換で夢や将来がどんどん広がっていく - 私が勤める学校には可能性がたくさん詰まっていると思っています。私は工業(電気)を専門とする教員ですので、長くものをつくることに取り組んできましたが、そんな私から見ても新たな発見ばかりでおもしろいです。自分の守備範囲以外のものづくりがたくさん詰まっていて興味津々です。

 明日は誠に勝手ながら更新なしとさせていただきます。また来週お会いしましょう。

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それぞれです

 やっぱり見ていただきたいな、と思い、残る3作品掲載します。

(写真を加工しています)

 「校長の小部屋」見てくれているといいのですが・・・特に、作品づくりをした生徒の保護者等の方には。できれば写真ではなく、学校にお越しいただき直接見て欲しいです。閲覧していましたら是非御連絡ください。生け花に限らず、校内の至る所に生徒の作品を飾っていますので、足を運んで見に来てください。

 写真を見るとわかると思いますが、お花の横にあるホルダーには作者である生徒の年次と氏名が記載されています(掲載する都合上モザイク加工しています)。ちょっとしたことなのですが、これがまたいいなぁ、と思っています。クラスメイトが、仲の良い友達が、知っている先輩が、同じ中学校の後輩が・・・名前を見てまた違った見方、感じ方ができるからです。

 同じ花材を与えられても、完成した作品はそれぞれです。当たり前のことですが、これが個性です。自分と似たような人がいたとしても同じ人はいない。同じ花材と書きましたが、これは間違いで同じものはありません。同じように見えても花にもそれぞれ個性があります。同じでないもの同士が組み合わされていけば、それは無限の広がりを見せるわけで、そこがおもしろいところです。それぞれだからそれがいい。

 自分を認めること、他者を認めること - このふたつはそんなに難しいことではありません。自分と違って当たり前、と思う。すごく単純です。私はずいぶん前からそうした考えで生きてきましたから、いちいち悩むことや腹を立てることがなくなりました。自分はみんなと同じでなくていいし、周りの人も自分と違っていい。ただ、それがわがままにつながってはいけません。そのことで迷惑をかけることはいけません。

 ストレス社会ではありますが、意外と自分自身でストレスを作って溜めてしまう - そうしたことが結構あるものです。考え方を変えていくと肩の力が抜けて、リラックスした生き方ができます。

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