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校長の小部屋

精神美

 長く厳しい寒さを乗り越えこの瞬間に咲き誇る

 それは本当に一瞬のことだけれど、一瞬だからこそ、人の心を捉える力を持っているのかもしれません。

 ここ数日、ようやく暖かくなってきましたが、いつの間にか桜の花は葉桜に衣替えをしてしまいました。今年も街の至る所で桜を楽しませてもらいましたが、置かれた場所に凛と立ち、置かれた場所で咲き続けてきた桜に勇気や感動をいただきました。

(5月3日 撮影)

 次に見るのは一年後。「また一年、健康で元気に過ごさなければならないな」毎年のことですが、不思議とそんな気持ちにさせられます。桜の力はすごいなと思います。

 桜の花言葉を調べますと「精神美」と記載されています。桜の花が咲くその姿が日本人の心の美しさや品格を表しており、それだけではなく花びらが散る美しさも日本人の精神に現れていると説明がありました。確かにそのとおりであり、しかし、実に奥が深い言葉です。

 自らの生き方や考え方について、桜から学ぶことは多々あるのかもしれません。

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勝つ者と負ける者の想いを

 5月11日(日)第64回春季北海道高等学校野球大会空知支部予選において、本校は砂川高校と連合チームを組み、栗山高校と対戦いたしました。雨には当たりませんでしたが、常時冷たい風が吹く寒い一日でした。私は、三塁側のスタンドで砂川高校の髙橋校長先生と観戦しました。

 試合結果については、本校と砂川高校の連合チームの勝利に終わり、本校の校歌が球場に流れました。試合が行われると言うまでもなく勝者と敗者に分かれ、このことを承知の上で選手は戦うわけです。

 勝利の校歌が流れる球場の写真を撮り、改めてその写真から一塁側に整列した栗山高校の選手たちを見ていると、「どんな気持ちで相手チームの校歌を聞いているのだろう」と思ってしまいました。悔しい、勝ちたかった、あの場面で打てたら、あそこでエラーしなかったら・・・

 高校時代にある競技に打ち込んでいた私は、顧問の先生から「相手がいて初めて試合ができることに感謝しなさい」と何度も言われました。正直、そのときにその言葉を確実に理解していたとは言えません。勝つか負けるかしか考えていませんでした。やがて自らが教員になり顧問になったときに、当時の顧問の先生が仰ったように「相手がいて初めて試合ができることに感謝しなさい」と生徒たちに話しました。

 相手がいなければ試合ができない。当たり前のことですが、この言葉の意味を今一度しっかり考える必要があります。

 「勝者を祝い敗者を敬う」

 私も理解できなかったことを、高校生の生徒に求めることは難しいですが、相手を敗者を敬うことができる本校の生徒であって欲しい、と改めて思った次第です。

 球場からそれぞれの選手が外に出てきて、本校の主将が応援に駆けつけた方々にお礼の言葉を述べた後に、栗山高校の投手がササっと本校の選手のところにやってきて「ありがとうございました」とお礼の言葉を述べる場面に遭遇しました。彼の両目は涙に濡れ、まぶたが腫れていました。

 勝つ者と負ける者のそれぞれの想いをしっかり受け止めなければならない - そう思わされた瞬間でもありました。

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地域の魅力

 

 5月3日(土)雨上がりの朝、ランニングでアルテピアッツァ美唄に向かいました。二人の子供が幼稚園に通園していたときに一度だけ寄ったことがあり、かれこれ二十ぶりの訪問となりました。美唄の名所ですから、早めに行かなけれならないと思っていました。ようやく実現しました。早い時間だったせいか、観光客の姿がなく、私ひとり貸切の贅沢な時間を過ごさせていただきました。

 本校では、「産業社会と人間」「総合的な探究の時間」を中心に、地域の良さを知り、地元の魅力を考え、美唄の課題解決に向けた地域探究の取組を系統的に進め、社会の中で自己実現する力を育むための教育を展開しています。

 遠くに行くと魅力的な場所がたくさんある - そう思ってついつい遠出をしてしまいがちですが、自分たちが住んでいる街に目を向けると、改めて街の良さや魅力に触れることができると思います。

 アルテピアッツァ美唄は美唄の魅力を語る上で欠かすことのできない素敵な場所です。本校から約6キロメートル離れたところに、このような施設があることを嬉しく思います。

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こいのぼりの記憶

 夕食後にランニングを楽しんでいますが、3・4・5あかしあ通から西4条通を奈井江側に向かって走って行くと、平屋建て長屋の団地が左手に見えてきます。私が幼き頃に住んでいた団地とそっくりで、横切るたびに五十年前の光景が脳裏に浮かび、涙で視界がにじんでしまいます。歳をとると涙もろくなる、というのは本当のことです。

 当時、団地の一角に両親と弟二人の五人家族で住んでいて、さらに同じ団地群で目と鼻の先に祖父母も住んでいたため、いつも祖父母の家で遊んでいたことが記憶のほとんどを占めています。(現在はとっくにその団地群は姿を変えておりますが、なんとなくこの辺りだったかな、という面影だけは残っています)

 子供ながらにも貧しさを感じる毎日ではありましたが、広場にはいつも子供たちが集合していて、陽が暮れるまでかけっこや鬼ごっこ、ビー玉とけん玉遊び、鉄棒やキャッチボールに歓声を上げ、傍らではご飯支度前の大人たちが井戸端会議をしている - 今で言う昭和そのものの、しかしながらあたたかさとやさしさに溢れたゆったりとした時間が流れていたように記憶しています。

 おそらく4月の後半からこどもの日にかけてのことだと思いますが、私の家の前の空き地に祖父と父親が大きなこいのぼりを立ててくれ、支柱のてっぺんにはめ込まれた王様の冠のような金色の風車が元気に回転していたことを鮮明に記憶しています。いつもは広場に集まる子供たちが自分の鯉のぼりの周りに集まってくるのが誇らしくて嬉しかった記憶も残っています。

 すっかり私の話になってしまいましたが、本校の生徒が作ったこいのぼりを先日来校長室に飾っていますが、この作品を見ているうちに先に書いた話を想い出したわけです。

 簡単にできそうな作品に見えますが、木工旋盤でこいのぼりの胴体を削り、ボール盤で支柱を立てるための穴を開け、糸鋸で風車をくり抜き、サンドペーパーで表面加工を施しているはずです。本校の工業系列で学ぶ生徒たちは、普通に大型機械を操作し、活用していくスキルを身に付けています。

 それぞれの系列に特徴があり、わくわくするようなおもしろい学びができますよ。

(明日、明後日は出張のため、校長の小部屋の更新は控えさせていただきます)

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上ばかり前ばかり見て歩いていませんか

 「上を向いて歩きましょう」「前を向きましょう」と励ましの言葉をかけることが多いものです。私も五十数年の人生の中で、何度もこの言葉を相手にかけて、相手からこの言葉をかけられてきました。そうやってここまで生きてきたような気もします。

 でも、今日は「是非、下を向いて歩いてください」と言わせていただきます。ボランティア局が植えたマリーゴールドが正門前の花壇に咲いています。

 5月1日の朝、玄関に立っていると、1年次生の女子生徒2名がじょうろを持って入ってきました。「正門の花壇の花に水をあげたの」と聞くと「そうです」と二人声を揃え笑顔で答えてくれました。花に水をあげる - その気遣いが私は素直に嬉しかったです。

 私の子供たちが花に水をあげる姿・・・残念ながら見たことはありません。かく言う私も高校時代にお花に水をあげたことはありません。それがいいか悪いかは別として、興味のない人には気づきもしないし、花そのものも目に入ってこないということなのかもしれません。

 生徒たちに手入れされ、いつまでも綺麗に咲いてください。

 追記 ホームページ閲覧数が100,801となりました。昨日朝から本日朝までに1,153件増加しています。閲覧ありがとうございます。

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