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校長の小部屋

 6年前の話になりますが、私が苫小牧の学校に異動、長男が青森の弘前で大学生活をスタートするということで、どんぴしゃり引越が重なってしまいました。2年後に小樽の学校への異動が決まり、自宅に戻ることになりましたが、入れ替わりで次男が岡山大学で学生生活を送るため、家を出て行きました。さらに2年後、私は北見へ異動となりますが、札幌で働くことが決まった長男が一時的に自宅に戻ってくることになり、今年、私は北見から美唄へ異動、次男が岡山を引き上げ自宅に戻ってきました。自宅は出たり入ったりを繰り返す慌ただしい状況になっています。

 家を建てたとき、まさかこのようなことになるとは思いもしませんでした。順番に子どもたちが家を出て行き、妻とふたり穏やかに暮らす、そんなぼんやりとしたイメージを持っていたので、何が起こっているのか訳がわからない感じです。久しぶりに家族が近いところに揃ったんだな、と思った矢先、長男が6月1日付けで東京に転勤となり、先日北海道を離れました。

 別に教えたわけではないけれど、子どもはいつの間にか親の手を離れ、自分で見つけた道を歩いて生きている - この日の夕刻、そんなことを考えながら走っていました。

 「高校までは面倒を見るけど、その後は家を出て自分の力で生きていきなさい」いま考えると昭和チックで乱暴な言い方になるかもしれませんが、これが両親の教育方針でした。兄弟で私だけ大学に進学しましたが、仕送りは一銭ももらっていません。自分の力で生きていく・・・そういうことなんだろう、と思って家を出た訳です。

 この日はきれいな夕陽に空が染まっていました。生徒たち、先生方もこの色を見ているかな、なんて思いながらシャッタボタンを押しました。

5月28日(水)18時45分 ちゅうおうばし付近にて撮影

 それからまもなく淡い朱色の陰影を西側の空に残しながら太陽は山の向こう側に静かに姿を隠しました。

 美唄の美しい夕暮れの中で、今日一日に感謝しながら私は再び走り出しました。

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中学校の体育祭

 5月30日(金)青空が広がり暖かな一日。

 美唄市立美唄中学校で開催された体育祭を参観させていただきました。到着したときには、午前最初のプログラムである100m走が行われており、グループに分かれた生徒たちが、ゴールを目指して全速力で走っている姿と、グランド中央部で声援を送る生徒たちを見ることができました。

 進行は全て生徒が行っており、放送から流れるアナウンスによって、全校生徒がスムーズに行動し、審判やカメラ撮影など各自の役割をしっかり担っている様子も伺うことができました。手作り感あふれる素晴らしい体育祭でした。

 トラック脇の芝生には、応援に駆けつけた保護者等の姿があり、子どもの活躍する姿をおさめようとカメラを構える姿や声援と拍手が飛び交い、ほのぼのとした体育祭の風景が広がっていました。

 金曜日ですから保護者等の皆様もお仕事があり、応援したくてもできなかった方も多いと思います。振り返れば、私も仕事があって子どもたちの体育祭を応援することはできませんでした。子どもの成長を感じられる貴重な機会を逃してしまったな、と思います。

 ゴールを目指して全速力で走る - その姿は仲間に勇気を与えます。

 仲間に声援を送る - あなたの気持ちは走る人の心に届きます。

 体育祭(行事)は生徒を成長させる時間になっていると思います。

 本校の体育祭は12月に予定されています。

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自分の未来を拓け!

 10年前。

 第一志望の高校に合格できず自室で涙を流す長男に、私は言葉ではなく手紙で思いを伝えました。そうすることが長男にとっても、自分にとっても一番いいだろう、と思ったからです。わずか15歳の小さな人生で、初めてひとつのことに向けて取り組み、初めて人生をかけて挑んだ試験 - 全力を傾けた末の残酷な結果を受け止めきれない長男に、私は何と声をかけていいのかわからなかったのです。

 高校生活は人生の通過点でありゴールではないんだよ。今後の人生において、多くの壁が立ちはだかりいくつもの選択に翻弄されるけど、そのときに選択した環境の中で強い志を持って最大限の努力を積み重ねる生き方をしなさい。第一志望でなかったかもしれないけれど、一つだけが人生ではないよ。これから通う学校で次の未来に向かって精一杯生きていけば、必ず次の道が拓けるよ - それは、そもそも高校に行くつもりのなかった私自身が積み重ねてきた人生を記したメッセージでもありました。

 中学生にとって、次のステップとなる高校選びは大変なことと思います。また、保護者等の皆様も不安な日々をお過ごしのことと思います。私を含め、保護者等の皆様が中学生だった時代は、どことなく型にハマった考え方とレールに乗った生き方が求められていたように思います。

 しかし、今は、多様化する社会で多様な生き方ができる時代です。新しいレールが次から次に敷かれ、いや、次から次に自分でレールを敷いていくことができます。どのレールの先も答えはなく、不確実でゴールのない世界が広がっています。

 私は発想の転換が容易で多様な考え方と常に挑戦し続ける人こそが、これからますます多様化、複雑化していく社会を生き抜いていける、と考えます。

 「普通科高校」「農業高校」「工業高校」「商業高校」「総合学科高校」「水産高校」「単位制高校」・・・つまり、高校選びはたくさんの選択肢があるということです。どれを選択したとしても、選択した環境の中で強い志を持ち、最大限の努力を積み重ねることが大切だと思っています。名や体ではなく中身です。

 本校は多様なタイプの高等学校として、道内でも数少ない総合学科を設置する特徴的で面白い学校です。「文理・教養(普通)」「フード(農業)」「メカトロ・エンジニア(工業)」「情報通信マネジメント(商業)」「デザイン(家庭)」の5系列を有する総合学科で空知管内には本校しかありません。ひとつの学校にこれだけの魅力が詰まっています。

 高校入学後、誰もに訪れる次のステップ(自分の将来(進学・就職))を視野に入れて、自己の進路への自覚を深めながら、幅広い選択科目の中から自分で科目を選択して学びを深めることができます。本校の学びで自分の未来をしっかり見つめ、充実した高校生活の中から、その先の道をどんどん切り拓いて欲しいと思います。

 今年度のポスターが完成しました!

 在校生も受検を考えている中学生も

 『志高く未来を拓きましょう!!』

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『毎日を大切に生きてゆこう』

 健康であれば考えないことなのかもしれません。若いうちはなおさら考えることがないと思います。でも、とても意味深い、そのとおりの、説得力のある言葉だと思いませんか。

 校舎内を歩いているときに偶然にこの言葉と出会いました。『毎日を大切に生きてゆこう』

 筆を熱心に走らせる生徒はいったい何を思って文字をしたためているのだろうか - そんなことを考えながら写真を撮りました。

 私は十九歳の時に病気により父を亡くしましたので、その日以来、父が生きた年齢を意識して生きてきました。人生何があるかわからないけれど、とにかく一日一日を無駄にしないぞ、ということをどこか頭の片隅に置いていました。

 結婚して、子供が生まれるとさらにその意識は深まっていくわけですが、後に妻が大病を患い命と真剣に向き合って生きていく姿を目の当たりにし、四十前半から私の生き方や考え方の舵が大きく切り替わりました。さらに数年後、意識していた父の年齢を超えたとき、『毎日を大切に生きている』そんな自分を確信しました。

 人生の折り返し地点を過ぎ、朝を迎えること、学校の玄関から校長室に向かえること、生徒や先生方と挨拶できること・・・そうした一つひとつの出来事に感謝している自分がいます。

 いつからそうなったのかわかりませんが、イライラしたりガミガミしたりギスギスしたり・・・心の奥の方が落ち着かない自分はすっかり姿を消しました。それはもうずいぶん昔から続いているような感じがします。

 『毎日を大切に生きてゆこう』(私の場合はさらに追加して、『毎日を楽しく生きてゆこう』です)

 この書に向き合っているところに遭遇できたこと、感謝しています。

 ありがとうございました。

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幸せの見つけ方

 花好きなので花の話ばかりで申し訳ないのですが、ボランティア局が手をかけているプランターで、種から植えた花の芽がすくすくと成長しています。

 「昨年花が終わったあとに種をとって、ダメ元で植えてみました」と養護教諭の先生が着任してまもない私に教えてくれました。5月の連休が終わるまでは気温が上がらず寒い日が続いていたので、芽が出てくる様子はなかったのですが、それ以降一気に芽吹きました。写真は本日朝の様子です。

 どうだろう、どうなっているだろう・・・毎日気になってのぞいています。これが私の楽しみのひとつでもあります。こんな小さな花の、それも小さな命の芽を見て楽しめる、いや楽しませてもらっている。私にとっての幸せの形です。

 プランターに水をあげている生徒たちも私と同じようにのぞき込んで成長を楽しみにしている。生徒一人ひとりにとっての幸せの形なんだと思います。

 幸せ、は遠くにあるものではなく、身近に存在するもの(あくまでも私ごとです)

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