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校長の小部屋

花壇と花言葉と

 ボランティア局の生徒が校門前の花壇にお花を植えてくれました。前回は左側の花壇にマリーゴールドが、そして、今回は右側の花壇がパンジーやペチュニアで彩られ、華やかになりました。通りに面した小さな花壇ですが、付近を通る際は是非足を止めて御覧ください。

 先日、校長室にお花を届けてくれた生徒の「花言葉の面白さから花が好きになりました」という話から、さっそくマリーゴールドの花言葉を調べますと、「変わらぬ愛」「可憐な愛情」「生命の輝き」「友情」「健康」、パンジーの花言葉は「誠実」「思慮深さ」「私を思って」と記載されていました。なるほど、面白い。花それぞれの特徴を踏まえて添えられた言葉・・・奥深いです。

 人としてそうした生き方や感情豊かな心を持って欲しい、そう思わせる言葉が含まれていて、考えさせられることが多いです。果たして自分はどうなんだろう、と。

 生徒の皆さんには、いつも仲良くしている友達が、同じクラスの仲間が、中学校が同じだった先輩が作り上げた小さな花壇をあたたかい気持ちで見守って欲しいと思います。

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花(春のあたたかさ)

 月に一度お花の先生が来校されます。華道部の生徒に御指導いただいておりますが、生徒が生けたお花は校内のいくつかの場所に展示されています。先月もそうでしたが、そのうちの一つが校長室に届けられ、私のデスクに置かせてもらっています。私はなんと贅沢にも目と鼻の先でお花を楽しんでいるわけです。花好きな私にとって、身近なところに花があるというのは、何にも代えがたい喜びでもあります。

 生徒にどのような思いで生けたの、と聞きましたら「外が暖かくなってきたので、春のあたたかさみたいなものを表現しました」とやや緊張した面持ちで話してくれました。どうしてお花が好きになったの、と尋ねると「花には花言葉があってそこがおもしろいなと思いました」と予想もしていなかった返答に驚きました。「花が好きです。そこにあるだけで明るくなりますから」十代でこのような感性を持っているのは素敵だな、と思います。

 我が家の庭も5月中旬を過ぎてずいぶん賑やかになってきました。何年も前に植えた宿根草が陽気に誘われぐんぐん伸びています。毎年花が終わるとその種を遊び心で庭の隙間に植えていますが、これが不思議と芽を出し花を咲かせます。妻と一緒にその様を見るのが楽しみにもなっています。雪の下で長い時間耐え忍び、雪解けとともに新芽を出す、その生命力にいつも感動します。

 6月中旬から本格的に花が咲き始め、妻が花を摘みバラを中心に部屋の中でも楽しんでいます。そこにあるだけでパーっと明るくしてくれる、そのとおりだと思います。

 広い校舎ではありますが、その一角にお花があるだけで世界観が変わります。花が置かれている学校は本当にいいな、と思います。それが生徒の作品であればなおさらです。

(職員玄関に展示)

(生徒玄関ホールに展示)

 物価高騰の波はお花にも押し寄せており、限られた予算の中で工夫しながら購入している、と顧問の先生から聞いています。生徒もそのことを感じながら活動しておりますが、活動を重ねるたびに生け方が上手になっているようです。

 生徒が生けたお花を保護者等の方にも是非見に来ていただきたいです。特にお子様が生けたお花であればなおさらです。残念ながら花は長持ちしませんので、お早めに御連絡ください。お待ちしております。

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35年後の故郷の風景

 19日(月)3年次生の総合的な探究の時間の一コマです。地域の方々がそれぞれのテーマのサポーターとして関わってくれています。大変ありがたいことです。

(教室に入って真っ先に机の配置がいいなと思いました。)

 私が高校生だった時のことを思い出しながらこの話を書いていますが、学校で過ごした3年間において、先生以外の大人との関わりはなかったように思います。掘り下げて考えてみても何も浮かんできません。せいぜい宿泊研修や見学旅行等で説明してくれた大人くらいでしょうか・・・インターンシップもなければ現場実習もない、私が通った高校だけではなく、それが当たり前の時代だったように思います。

 地域のことを考える、地元の将来を考えるなどという機会はなく、私はひたすら地元を離れて都会に出ることだけを夢見ていました。大学進学で室蘭に行くことになりましたが、地元の何倍も大きい街に住むことで自分がステップアップしたかのような気持ちになりました。

 35年が過ぎて私の故郷も高齢化と少子化が進み、母校は残念ながら閉校しました。空き家が増え、建物を取り壊した跡地が目立つようになり、辺りに子供の姿はありません。実家に帰省するたびに寂しさが募ります。今更ですが、高校時代に地域に目を向けた教育を受けていたとしたら、自分の中で何かが変わっていたかもしれないし、故郷の風景も今とは大きく違っていたかもしれない - そんなことを思います。

 ここにいる生徒たちが35年後に自らの故郷の地に立ったとき、私が目の当たりにしている故郷と同じようになっていなければいいなと思います。いや、そうならないために地域の将来を考え、新たなアイデアで挑戦して欲しいと願っています。

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菜の花畑

 17日(土)朝 まずは道の駅奈井江を折り返し地点としてのんびりランニングすることにしました。12号線沿いからピンネシリ山系を眺めながら走っていると、所々に黄色の絨毯が広がっているのを目にしました。茶志内あたりでしょうか。

 ちょうど滝川市では菜の花祭りが開催されていたわけですが、先日、桜井市長様をお迎えし御講演いただいた折に、美唄市の菜の花は、作付面積全国トップ3に入り、2019年から2021年は日本一だったとお聞きしました。私が目にしたところは一部分で、美唄市内のあちらこちらに菜の花畑が広がっているのだと思います。

 大学時代からカメラを持って写真撮影することを趣味としていました。卒業後、教職の世界に飛び込み慌ただしい生活をしているうちに、写真を撮ることを忘れ、カメラを持ち歩くことがなくなりました。

 働いて4年目の夏に突然激しいめまいと吐き気に襲われ、立つことや食べることもようやっと、という状況になりました。仕事は休まず続けましたが、症状が改善するまでに10年の時間を要し、不安を感じなくなった時には30代後半になっていました。

 その間、自分を根本から変えようと考え、そのときにしばらく忘れていたカメラのことを思い出し、体調と相談しながら何年も花の写真を撮りに回りました。滝川の菜の花、北竜のひまわり、岩見沢のバラ、富良野のラベンダー・・・多くの花に人生を救われ、勇気をもらってきました。だから今の自分があると思っています。

 奈井江を折り返し、美唄に向かう途中で脇道に入り菜の花畑を目指しました。過去にそうした経験があったから、どうしても近くで菜の花を見たかったのです。誰もいない静かな菜の花畑が広がっていました。

 またひとつ、美唄の魅力に触れることができました。生徒の皆さんも自分の住む美唄にこんな素晴らしい風景があるということを知って欲しいです。

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書の中に

 登別に住んでいたときに、小学生だった子どもたちが書道を習っていました。週に1回か2回か忘れてしまいましたが、歩いて数分のところにある会館で教室が開かれていたこともあり、友達の家に行くような感覚で出掛けていった姿を覚えています。自分から通いたいと言ったのかどうかも忘れてしまいましたが、「友達もいるから楽しそうだ」おそらくその程度の理由で行くことになったのだろうと思います。その教室は自由に書道を楽しむというのがコンセプトなんだよ、と妻が話してくれ、それはそれでいいことだな、と私は思っていました。

 私が仕事から帰ってくると、教室で書いてきた半紙がテーブルの上に置かれていて、それが上手なのか下手なのか私にはよくわかりませんでしたが、小学生ながらに精神を集中して書いてきたであろう文字の一つ一つに、子どもたちの成長をしみじみ感じました。せっかく慣れ親しんだ教室でしたが、大人の都合(転勤)で教室を辞めさせることになり、子どもたちには申し訳ないことをしました。ずっと続けていれば、その教室から書の楽しさや奥深さを学ぶことができたのかもしれない、そんなことを思うと残念です。

 さて、放課後に校内を歩いていたら、書道部の教室から女子生徒の楽しそうな話し声や笑い声が聞こえてきました。お話するときはする、書くときは集中して話をせずに半紙に筆を走らせる。和やかな雰囲気の中で部活動が行われていました。どのような話で盛り上がっていたのかは分かりませんが、友達と楽しく時間を過ごすことが一番です。この日の想い出がいつか集まったときの話題になるかもしれない・・・

 あっ、もしかすると私の子どもたちが通った教室も同じような雰囲気だったのかな、と思ってしまいました。

 生徒一人一人のかけがえのない高校生活が、それぞれの想い出ノートに刻まれていきます。 

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