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校長の小部屋

整理整頓から学校が見える

 日曜日の夕方 - 「明日生徒が元気に登校してくれるだろうか・・・」妙に緊張して心臓がばくばくしました。

 昨日25日(月)久しぶりの登校日になりましたが、私は朝の目覚めと同時に再び緊張し、その状態で職場に入りました。一月に及ぶ長い休暇になりましたので、ぎゅっとネジを締め直したかのような生活に生徒がうまく順応できるだろうか、そのことが心配だったわけです。

 朝の登校の様子、全校集会でステージから見た生徒の表情に曇りがなかったので、ひとまずほーっとしてはいますが、御家庭におかれましては、いつも以上にお子様の様子に気を配っていただき、話を聴いてあげたり問いかけをしたりして、コミュニケーションを図るようお願いいたします。何かございましたら学校へ連絡をください。

 私も学校閉庁日を含め、長めの休暇を取得しました。自分の実家と妻の実家で一泊ずつお盆をしてきました。もう子どもたちを伴った帰省ではなく、私と妻の二人だけの帰省です。ずいぶん前のことになりますが、子どもたちがサッカーと野球の少年団に所属していて、毎年、練習や試合のスケジュールの穴を見つけて、それぞれの実家へ帰省していたことが懐かしく思い出されます。もう同じような時は二度とやってはこない、そのことは理解していても、にぎやかだったお盆と年末年始の帰省に思いを馳せる自分がいたりします。

 さて、話を元に戻します。校舎内を歩いて生徒の様子を見て回っています。私が教室の後ろから突然入っていっても別段驚く様子もなく、普段通りに振る舞ってくれるのが嬉しいです。先生方も最初の授業ですから、生徒の表情を見ながら工夫した取組をしているのが見てとれます。生徒と先生が会話のキャッチボールを交わしながら授業に向かっているのがとてもいいです。

 並んで廊下を歩く姿、笑い声、体育館から聞こえる歓声、お弁当袋を下げた姿、駐輪場の自転車、ホールのベンチに腰掛ての談笑・・・生徒がいると学校が元気になります。

 教室後方のロッカーに鞄が入りました。整理整頓された使い方がおわかりになると思います。当たり前、といってしまえばそれまでですが、私が教室に入った時に真っ先に見るところです。こうした小さな箇所に学校のすべてが現れてきます。

 みんなで利用する場所だからきれいにする。つまり、教室は自分の部屋ではなく、みんなの部屋 - 私はそのように考え行動する心豊かな生徒を育てたいと思っています。それができて始めて次の段階の学びにつながっていきます。これは私自身の教育のスタンスでもあります。

 本日、学校生活2日目を迎えます。

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ゆっくりゆっくり

 約一月にわたる夏季休業を終え、本日登校日を迎えます。身体が重い、すっきりしない、憂鬱、冬休みまでまだまだ長いなぁ・・・そうした気持ちで今日を迎えているのではないかな、と思います。

 休み明けの初日。それぞれにそれぞれの思いで登校してくるはずです。今日というスタートラインは同じであっても、スタートダッシュはそれぞれです。素晴らしい加速で前に進める人と、躓いて転んでそこから立ち上がり走り始める人もいます。今週は、いきなりシフトアップするのではなく、ゆっくりゆっくりの加速でいきましょう。慌てずに自分のスタートダッシュを切ってください。

 始まりに当たり、生徒の皆さんにお願いです。多様な人がいる中で私たちは生きています。思いやりに欠ける行動や言動、わがままな考え方、自分を中心にした生き方、人の気持ちを考えない生活は、他者を傷つけ、他者を不愉快な気持ちにさせます。人との関わり方について、自分自身はどうなんだろう、ということについて思いを馳せて欲しいな、と思っています。

 朝、7時18分にこの記事を書いています。あと40分後に皆さんが登校してきます。どきどき心臓が鳴っています。私も緊張した朝を迎えています。

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読書

 恥ずかしくてあまり大きな声では言えませんが、大学の講義中は読書ばかりしていました。もちろんすべてではありませんが、哲学の講義の時に教授に見つかり、こっぴどく叱られたことがありました。「き・みっっ、ここからデテいきなさいっ」いつもは穏やかな教授でしたが、この日は鬼の形相で私を睨みつけていました。私のクラスで、大学生にもなって、しかも教授から叱られたのは、私だけだと思います。

 「すみませんでした」と私は謝罪し、素直に講義室から退室しました。隣に座っていた親友が後から「日下な、お前が悪いんだから、教授の部屋に直接行って、もう一度謝罪してこい、そうしなかったら単位出してもらえないぞ」と心配してくれたこともあり、翌日謝罪しました。その後どうなったかについては、今この場に私がいることで想像してください。

 小さな頃からずっと本に触れてきました。祖母がいつも本を読んでいたことと、母親が童話集を定期的に買ってくれたことが影響しているのだと思います。居間に一台のテレビがありましたが、私たち兄弟3人が番組を見られる時間は6時から8時までに放映されていたマンガのいくつかだけでした。それも父親の機嫌を伺いながらでしたので(ほとんど機嫌が悪かったのですが)、連続的に続いていく物語性のあるマンガですと、一話を見逃すと虫食いになり、突然展開が変わるためずいぶんと案配が悪いものになりました。テレビの前に子ども3人が笑い話しながらワイワイ楽しそうにしているところに、父親は自然に入り込むことができなかったのだろうと思います。テレビを見たくても落ち着いて見ることができないので、私いつも祖母の隣で本を読んでいました。そうした背景もあって、母親は月に一冊本を買ってくれたのかもしれません。

 現在に至るまで読書を続けておりますが、高校生、大学生の頃は月に5~10冊ほどを同時に読み回していました。ずいぶんとエネルギーを要する読書をしていました。もう、今はそんな読み方はできません。私は、登場人物の一人を自身に投影した読書をするので(これは今も変わりません)、10冊も抱え込んで読んでしまうと、10個の世界に生きている状況になってしまい、何が何だかわからなくなりました。それでも見たことのない世界に自分が生きているような気がして、とてもいい時間を過ごせたように思います。

 今朝、本校の図書館でずらり並ぶ本の中から、伊与原新(いよはらしん)さんの「宙わたる教室」を見つけました。定時制高校の科学部を舞台にした物語ですが、実は少し前にNHKドラマで放映されたのを私は見ていました。すごくいい話なので紹介いたします。

 本のある空間が好きです。時間があると街に出掛け本屋さんで時間を過ごします。苫小牧では定時制課程の勤務でしたので、午前中は図書館に行って本を読んでいました。北見では週末はランニング後にカフェでのんびり本を読んでいました。

 電子媒体で読書できる時代になりましたが、やはり一冊の本を手に取り、その重さを感じながら珈琲を飲みゆっくり活字を楽しみたいと思っています。

 本校ホームページへのたくさんの御訪問ありがとうございます。

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「尚栄いいところ」

 生徒が「尚栄いいところ」を書いてくれましたので、ここに紹介いたします。このように書かれています。そのまま引用させていただきます。生徒の生の声ですので説得力がありますよ。

 『幅広い分野を学ぶことができる』
 『個性あふれる人がたくさんいるところ!』
 『元気いっぱいな人が多いところ!!』
 『元気いっぱいの挨拶が聞こえてくる!』
 『設備が整っているところ。』
 『将来の夢に合わせて知識や技術を深めることができる。』
 『実習が多くていろんな経験ができる!』
 『空知唯一の総合学科 選択科目が多くやりたい授業ができる』
 『自分に合った授業が選べる!! 資格をたくさんとれる!! 行事が楽し  い!! 先生がやさしい!!』
 『駅が近い 先生と生徒が仲良い 行事が楽しい 部活が豊か』
 『カリキュラムが充実している 先生が優しい あいさつが活発 資格取得ができる テニス部が強い 授業がおもしろい! バイト、部活、生徒会の両立が可能!!!! 行事が充実!』
 『近くにすき家がある!! 近くにセブンがある! 先生がやさしい! 生徒がやさしく、明るい!! 授業がおもしろい!』

 それぞれの学校にいいところがあります。もちろん本校にもいいところがたくさんあります。今日はいいところを自慢するのではなくて、今、これを書いている私が思っていることをそのまま書きます。

 いいところを探す人生を送れたら幸せになれるのではないか - そんなことを考えています。簡単なようですが、どうでしょうか・・・逆を探すことが多くないでしょうか。逆を探すと気持ちがどんどん荒みます。ものの見方考え方の視点が、その後の人生を大きく左右するような気がします。人生を豊かなものにするかしないかは、その多くが他者に左右されるのではなく、結局は自分自身の考え方ひとつにあるのではないかと思います。

 たくさんのセミナーや研修会に参加してきた中で、「グループを組んだ人のいいところを見つけて付箋に書きましょう」というような時間を与えられることが何度もありました。きっとこうしたところに行き着くのだろうな、と改めて思っているところです。

 4月着任した際に「新たな企画、取組に対しては、どのようにすればそれが実現できるかの視点で考える」ことを先生方にお願いしました。これは私自身の生き方に寄るところが大きいのですが、2つの選択肢の一方に偏って決めつけないことを大切にして欲しいということです。

 人は深く考える前から否定的な方向に偏って物事を捉えてしまう傾向があります。それはもしかしたら間違ってはいないのかもしれませんが、そこに固執してしまうと、せっかくのGoodアイデアがかき消され、次の世界を見るチャンスを失ってしまいます。これほどもったいないことはありません。

 否定的な見方ではなく、肯定的な見方で見てみよう - 生徒の言葉から考えさせられました。

 ありがとうございました。

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帰省

 ぎゅっ、と暑いお盆休みになりました。皆様はどのようなお盆休みを過ごされたでしょうか。普段会えない方とゆっくりお話をしたり、旅行に出掛けたりなど良き時間を過ごせたことと思います。

 私は妻の実家と自身の実家の両方に帰省し、その足で先祖供養をしてきました。故人の面影はその時点の記憶で止まったままですが、それぞれの母親は確実に老いており(その分自分も歳をとっているわけですが)、何とも言えない複雑な思いの中で時間を過ごしていました。そうさせてしまうもうひとつの理由は、帰省するたびに空き家が増え、建物が取り壊され空き地が目立つようになっていることにもあります。記憶の中の景色と一方的にかけ離れていく現実の狭間で、母親の老いに直面するのは切ないものがあります。

 東京に転勤して以来2ヶ月ぶりに会った長男は、恋人と揃って顔を出し、庭でのバーベキューを終えるとそそくさと帰って行きました。私もずっとずっと昔に同じようなことをしていたな、と思いながらも、それでも久しぶりに家族が揃い元気に過ごしていることを喜べたのは良かったなと思います。私と妻の母親は私たちの帰りを待ち、私たちは子どもの帰りを待っている・・・そうしたことが繰り返されていくのかなと思います。

 自宅から6キロメートルほど離れた所に、頭上を飛行機が通過する私の大好きな場所があり、毎日ランニングでその場所に向かい、ひとり芝生に座り繰り返される離着陸を眺めていました。それぞれの想いを乗せた旅立ちとそれぞれの想いが詰まった到着に、帰省することの意味や歳を重ねていくことの意味をぼんやり考えていました。

 さて、学校はまだ夏季休業期間ですので、進路活動や部活動で登校する一部の生徒の姿しかなくとても静かな時間が流れています。まだまだ暑い日が続きそうです。体調の管理には十分気をつけてください。

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お盆休み

 雨に当たったらそれはそれで仕方ないかな、と覚悟して外に出ました。そこまでしてランニングする意味がありますか - そう問われても私は「意味はないけれどランニングするのです」と答えるしかありません。自分でもよくわからないのです。

 1時間をかけてゆっくり市内をランニングして、ゴールとなる借家までもう少しというところの西の空。ぎりぎり雨にも当たらず、偶然にもこの空を見ることができて、やっぱり外に出て良かったな、と思いました。こういうことが答えなのかな、なんて思ったりしています。

(8月5日 18時59分 写真を一部補正しています)

 前の日の夜、お袋から、お盆遊びに来るのかいとのLINEメッセージがありました。そういう時期なんですね。親になって、子どもたちが大学生、社会人として巣立っていった時、お盆と正月に子どもたちが自宅に帰ってくるのを楽しみにしている - そんな自分にふと気がついた瞬間がありました。と、同時に、今まで深く考えなかった子を想うお袋の気持ちにも触れたような気がしました。よくわからないけれど、何かがぐーっ、と胸に迫ってくる・・・そんな瞬間でした。

 36年前、親父と過ごした最後の夏です。いや、過ごしたと言えるだろうか。私は親友とふたりで大学の夏季休業を利用して北海道一周の旅をして、その帰りに少しだけ実家に寄って室蘭に戻りました。数時間の滞在。親の気持ちも何も考えず、自分の遊びだけを優先して自由気ままな時間を過ごしていました。

 あの時、親父もお袋も何も言わなかったけれど、「あんた、もう帰ってしまうのかい」もしかしたら私の背中にそう言いたかったのではないか・・・そんなことを今さら考えています。

 さて、本校も来週は学校閉庁日に入ります。良きお盆休みになることを心より願っております。

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廃材、でも、立派な作品

 先日、帯広工業高校で開催された北海道高等学校工業教育研究集会に参加しました。『高等学校における工業教育の果たす役割の重要性に照らし、研究集会を通じて、工業教育に携わる者としての専門性を向上させるとともに、工業教育の一層の充実・発展を図る』ことを目的に、毎夏開催されているものです。

 夏季休業期間中の先生方はのんびりしているか、と言ったらそうではありません。授業や部活動等で時間が割かれないこの時に、スキルアップを図るため、全道各地で開催される研修会に参加し、他校の先生と情報交換を行ったり、オンラインやオンデマンド研修で教科指導や生徒指導等に係る資質能力を高めています。

 さて、その帯広工業高校で生徒手づくりのお土産をいただきました。廃材を生かした人形です。本校も実習費は限られていますから、かつては捨てられていた材料を無駄なく有効に利用しています。どこの学校も無駄なく最後まで使い切る、そうした取組を進めています。

 見れば「そうか」となりますが、100人いたら100通りのアイデアが出てきて、例えば、①この写真の頭の部分が正六面体だからサイコロにしよう ②上部となる一面にボール盤で単純に穴を開けて鉛筆立てにしよう ③積み木の一部材にしよう・・・すでに3つのアイデアが浮かびます。一個ではなく二個組み合わせたら、四個組み合わせたら「あっ、よくあるキューブカレンダーつくれるかも」これでアイデア4つ目。1分間で私は4つのアイデアを提案できました。

 自慢するわけではありませんが、私は結構なアイデアマンだと思っています。その私からしても生徒の発想は思いつきもしない新しい世界を見せてくれます。そこがおもしろい。この写真を見なかったとして、この人形を思いつくでしょうか・・・アイデアを提案した生徒と形にした生徒に感服します。

 アイデアと工夫が先行き不透明な社会を生き抜く術になる、と私は考えます。学力の高さや学歴ではない、発想の豊かさが新基準になる世界がすでに到来しています。アイデアと工夫を大切にする工業高校や本校のような総合学科で学んだ生徒たちが、新たな価値観を生み出し、魅力的な社会を創りをしていく - 私はそう信じています。

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夏空?秋空・・・

 (校舎4階から)

 7月中旬過ぎの猛烈な暑さがありましたから、それと比較するといくらか過ごしやすい日が続いています。しかし、ジメジメと蒸し暑く、洗い立てのYシャツに袖を通した瞬間から背中のあたりが肌にまとわりついてきて、どうもすっきりしません。

 先日、朝のニュースを見ていましたら、ススキの開花が秋の判断に用いられているとのこと。間違っていたら申し訳ないのですが、函館は例年(昨年?)よりも12日早いススキの開花を迎えた、と気象予報士が話していました。秋の気配など全く感じませんが、季節は夏から秋に向かっているということなのでしょう。

 そう遠くない昔のような気がしますが、お盆を節目に吹く風が夏のものから秋のものに、それはまるで決まりごとのように、肌感覚で誰でもわかるような形で季節の移行を告げてきました。夏の日にさよならするのがさみしくて、やがて赤とんぼが空を飛ぶのが切なくて・・・そうした少年の頃の記憶が今でも残っています。

 借家の庭のあたりから、自宅に帰ると隣の空き地から、ぎーっ、とキリギリスの鳴き声が聞こえます。夕刻のランニング中に、みーんみーん、と蝉の声が聞こえました。みんな夏を精一杯生きているんだな、と思って過ごしています。

 生徒の皆さん、保護者等の皆様お元気にお過ごしでしょうか。まだまだ暑い日が続きます。体調に気をつけてお過ごしください。

 全国各地で水難事故が発生しています。暑いと人は水辺に集まります。川、湖、海で過ごす時間に十分お気をつけください。

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ひまわり

(7月26日 美唄月形線沿いのひまわり)

 札幌の自宅に帰る途中、フロントガラスのずーっと向こう側に広がる鮮やかな黄色の絨毯が目に留まりました。この時期ですから『ひまわり』です。ひまわりは私にとって特別な花です。一色の黄色は近づくにつれ、それは一本一本、一つひとつの花の表情が織りなす黄色に変化していきます。路肩に車を停め、私はひまわり畑の端に立ち、ずっと昔に見続けてきたひまわりのことを考えていました。

 前にも書きましたが、20代半ばに体調を壊し、心も身体もこてこてにやられてしまったときに、カメラを車に積んで北竜町のひまわり畑に何度も通いました。29歳で次の学校に転勤しましたから、夏の北竜町で4年間ひまわりの写真を撮っていたことになります。

 誰のことも気にせずに、ただ自分の信念を持ち、太陽に向かって鮮やかに輝きながら凛と立つその姿に、私はずいぶん励まされ勇気づけられました。また、一本一本のひまわりが共に支え合いながら一つの黄色を作り上げている姿に感動しました。なんだかそこにいると、手の施しようがなかった心の荷物をひとつずつ捨てられるような感覚の中で、自分が何に迷いどうありたいのかについて素直に向き合うことができました。あの数年間は間違いなくひまわりに何かを求め、ひまわりから自身の進むべき道を教えてもらっていました。

 ひまわり(向日葵)は、太陽神にちなんだ「あなただけを見つめる」という花言葉を持ち、愛や信頼の象徴とも言える花です。これだけ多くのひまわりが、しっかり自分を見てくれている - あの頃は本当にそう思いながら自らを奮い立たせ生きていました。以後、15年にも及ぶ苦しい時期を過ごしましたが、振り返るとそれは決してマイナスではなく、自分を成長させるいい時間であったように思います。

 話は変わります。有名な映画ひまわりを知っていますか。ずいぶん昔の戦争と恋愛をテーマにしたイタリア映画ですが、この映像に映し出されるひまわりの風景はもう圧倒的に美しくて言葉を失います。是非見て欲しいと思います。

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美しい風景を、美しいまちを

 自ら撮影した写真とシャッタを押した時に感じたことや思ったことを綴る校長の小部屋も、スタートしてから3ヶ月になりました。できるだけ撮影したときの気持ちを素直に綴ってきたつもりです。その写真を撮ったときに自分が何を感じ、何を思ったか、そこにこだわりを持って書いてきました。

 私は、小学生の頃から祖母の隣で静かに本を読み、本の中の登場人物を自らに当てはめて想像したり、物思いに耽って時間を過ごす少し変わった子どもでした。ある日授業で詩を習ったとき、自ら思ったことをこんなにも端的に、そして形にとらわれることなく自由に書ける言葉遊びに衝撃を受けました。それからというもの詩を書き続けました。

 夏休みや冬休みの自由研究の作品が並べられたテーブルには、友達の大がかりな作品ばかりが並べられ、私だけノート1冊なので周りからずいぶんひどいことを言われましたが、担任の先生だけは「いろいろな思いが伝わってきます」と褒めてくれたのを覚えています。両親から褒められることがなかったので、そのときの喜びは今でも忘れず記憶に残っています。

 いつも物思いに耽り、思ったことをノートに書き留めておくというようなことを小学生の頃から続けているので、書く、ということに関しては抵抗はありません。文章の善し悪しは専門ではないのでわかりませんが。

 4月、ホームページの更新が滞っておりましたので、どうにかしなければならないですね、と教頭先生と話をしてきました。そのときに教頭先生から「校長先生の思いを書くページがあればいいと思いますよ」とアドバイスをいただき、誰かに更新を依頼する前に自分で更新すればいいのだという思考回路に至りました。教頭先生が私が書くことへのきっかけをくれました。ありがたいな、と思っています。

(7月23日 18時29分)

 地球環境が変化してきていると言われ、この暑さもその影響なのかな、と思わざるを得ない状況ですが、夕刻にこうした風景を見ると、子どもの頃から見てきた空や雲と何ら変わらない、この先もずっとこの風景が続いていくんだ、そう納得している自分がいます。でも、もしかしたら続かないのかもしれない、と思う自分にも大きな戸惑いを感じています。確かにこの場に立って見上げた空や雲は、あの頃と何も変わっていないのです。ただ、唯一違っているのは気温です。この時間で30℃です。こんなことはなかった。

 美しい風景を、美しい町をずっと残していく・・・今を生きる私たちの責任です。それは大人だけではなく、生徒も一緒です。便利さだけを追求するのではなく、後ろを振り返り、置き去りにしてきたものをゆっくり見つめ、未来に残すもののために探究し、小さな個人レベルのことでも行動を起こす必要があるのではないかな、と思います。

 生徒には是非自分の住む町の空を見上げて欲しい。雲が織りなす模様をゆっくり眺めて欲しい。勉強や部活動、恋人や友人、進学か就職、今日と将来・・・私も高校時代にはありました。生徒もさまざまな思いや悩みの中で生活しているはず。そうしたことを一時でも忘れさせてくれる風景が目の前に広がっています。美唄の風景は本当に美しいです。美しいものに素直に触れてください。

 夏季休業に入り、私も出張や休暇取得もありますので、毎日の更新は控えさせていただきます。時折訪問していただけますと幸いです。

 暑い日が続きますのでどうぞお身体を御自愛ください。

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