北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
高校に入学したら部活動どうしようかな - 私もそうしたことを考えました。40年も前のことになります。えっ、あれから40年も過ぎてしまったのか。1秒1分1時間を積み重ね前に進んでいく。時は止まらない。積んで積み重ねて1261440000秒。この数字がどれくらいすごいものなのかはわかりませんが、とにかく高校に入学してから歩んできた秒数(時間)です。
私は落ち着きがなく周囲に迷惑をかける子どもでした。授業中に立ち歩き人を叩いて回ったり、気に食わないことがあると唾をかけたり。ほとんどは忘れてしまいましたが、これだけは今でも鮮明に覚えています。私はあるときテル(通称)に唾をかけ、それを知った担任の先生が泣いているテルに対して「唾をかけられた人の気持ちをわからせるためにあなたも日下くんに同じことをしなさい」と鬼の形相で言ったその日の出来事です。とにかくこんなことばかりしていて、親も学校も困らせていました。
どうしてそのようなことをしたのかは自分でもわかりません。恥ずかしく情けなくとても自慢できるようなことではありません。戻れるのであればそんなことをしない自分になりたい・・・父にも母にも先生にも叱られてばかりで、でも近くにいた祖父母はやさしくて私にとってはそこが安らぎの場であり唯一の居場所でした。何かそうしたところに原因があるのだろうな、と私なりに考えています。
この話を書きたかったわけではありません。余計なことを想い出して書いてしまいました。そういう子どもでしたから父が誰に吹き込まれたのかはわかりませんが、ある日突然私をトラックに乗せ(トラックが自家用車でどこに行くのもトラックでした)何も言わず剣道の道場に私を連れて行ったのです。父が剣道着を身につけた人に丁重な姿勢で歩み寄り一言二言言って頭を下げていました。そんな父を見たのは初めてのことでびっくりしたわけですが、それよりも驚いたことは私の意見を聞くでもなくこの日に加入の手続がなされたことでした。「これから毎週火曜日と金曜日の18時からお前はここに来ることになったぞ」父が私の剣道を見に来てくれたことはありません。この日、この1回限りです。私の行動を正すために剣道をさせる、というのが悩んだ末の父の結論だったのかもしれません。
結局、高校3年生まで剣道を続けました。小学校の野球チームにも所属し、中学では1年生の途中まで野球部に所属しました。いろいろなことがあって(詳しくは書きません)途中で退部しました。高校では別な部活動も考えましたが、そのままの流れで剣道部に入部しました。中学生までは道場備え付けの防具を借りて練習していたので、自分の防具で剣道をしたかったわけです。ずいぶんと高級な防具を買ってもらい3年間剣道に打ち込みました。ですから私は有段者です。
3年生の高体連で3回戦4回戦と勝ち進んで全道が見えたところで敗退。私はここで剣道ときれいにおさらばすることにしました。もう二度と剣道はしない。防具と竹刀はもう長いこと実家の納戸に眠っています。
本日の写真は、少し前のものになります。作品づくりをした生徒さんごめんなさい。 もっと早くに掲載してあげれば良かった・・・高校に入って初めて生けたお花はどうでしたか。お花の美しさは当然のことお花自身が発するやさしさやあたたかさに触れられたかな。毎日作品の横を通るすべての生徒もきっと何かを感じてくれているはず。これから先も華道部でお花と向き合う素敵な時間を過ごしてください。
待つと長くて来てしまうとあっという間。5月の大型連休も終わってしまいました。本日から通常の生活がスタート。何となく身体が重たい・・・これって私だけではないのかもしれません。
早い桜に連休中の雪と20度を超える気温。風も強く不思議な連休でもありました。次男は大学時代を過ごした岡山に飛び、長男は仕事を兼ねて数日だけ帰ってきたけれど、もう昔のように家族が揃った時間は持てなくなりました。子育てから手が離れ子どもは子どもの生活、私と妻もそれぞれの時間の過ごし方になりました。いつの間にか家族のスタイルが変わってしまいました。
長男を新千歳空港まで送った帰り道、妻と長沼で軽い飲食を兼ねた8キロのランニング、さらに南幌にも車を停めて6キロのランニングを楽しみました。普段は通過するだけの町ですが、ランニングでぐるぐる駆け巡ると町のつくりや数々のお店と出会うことができ、それはそれで楽しい時間になりました。次はガーデニングで有名な恵庭を走り、庭づくりを勉強しながらランニングしようと話をしているところです。
結局、ランニングとガーデニングに明け暮れました。自宅から距離にして2キロメートルのところに桜並木があります。大きな公園の遊歩道に沿って桜が綺麗に咲き誇ります。自分の足でそこに向かい来年まで見納めになる桜の下でひとり静かな時間を過ごしました。誰にも邪魔をされない贅沢な時間になりました。
さて、気温が高くなりそうです。20度、25度という日が出てきます。油断をすると熱中症の危険が出てきますから、こまめな水分補給をしましょう。
生徒の皆さんへ。連休を楽しみにしていたはず。部活動の練習や練習試合で予定が埋まっている人や家族との旅行、アルバイト・・・それぞれの過ごし方がありますが、昨日の交通安全・防犯教室における講話のことを頭の片隅において生活してください。特に自転車に乗るときは自動車や歩行者に注意してください。
やはり今年の桜は10日ほど早かったかも。毎年ここの桜(札幌の新川通)を見に来ています。ゴールデンウィークの後半に満開になりますが今年は4月末の週末で満開でした。
桜を早く見られるのは嬉しいけれど環境の変化がそうさせているのだとしたら複雑です。来年はゴールデンウィーク後半に満開になって欲しい。
昨夕、国道沿いを歩いていましたら「あれっ、校長先生?」と声をかけられました。愛犬と散歩中の女性でした。「そうですが」「なんか似ているからそうではないかなと思って声をかけました」
2年次生の生徒の保護者の方でした。私は直接お話をしたことはありませんが、きっと学校へお越しの際に特徴的な私の顔を見て記憶してくれていたのでしょうね。嬉しいような、緊張するような。校長は町の顔、という言葉をずいぶん前に誰かから聞いたことがありますが、本当にそうなんだなと改めて思った次第です。気を引き締めなければなりません。お声をかけていただきありがとうございました。
短い距離をお話しながら歩きました。「今年の1年生少なかったんですね。私の子どもの時も人数少なかったけれど、少ないと寂しくなりますよね」「今新しい取組をしていきますのでお気づきのことがあったらいつでも御意見をください。いただいた意見が何かを変えるきっかけになると思いますので」このようなお話をしてお別れしました。
さて、話は変わりますが、皆さん、良き連休をお過ごしください。
4月25日(土)本校で開催した授業参観並びにPTA総会ですが、無事に終了いたしました。ありがとうございました。
今年は、授業参観に多くの保護者等の方がお越しになり、生徒の様子を見ていただくことができました。PTA総会の出席が少なかったのが心残りではありますが、相馬PTA会長の離任と新PTA役員が決定し安心しているところです。学校はPTA役員の方々だけではなく、すべての保護者等の皆様のお力添えをいただき活動を行っていく場でもあります。今後とも御理解と御協力をお願いいたします。
PTA総会に出席することでPTA会費の取扱や行事計画等を知っていただくことができます。出席するとPTA役員やクラス役員をお願いされるということは一切ありませんので、次年度お気軽に参加ください。
出張等が続きますので、不定期な更新になるかもしれません。今後ともよろしくお願いいたします。
昨年、美唄市立美唄中学校の浅利校長先生から株式会社道央メタル様を御紹介いただき、メカトロ・エンジニア系列の工業科の教職員が工場見学に伺った、これが縁結びのなれそめになります。私は浅利校長先生から話を受けたあとにホームページを拝見し、数多くの金属加工品を製造されていることを知りました。特にメカトロ・エンジニア系列を選択した生徒が、自らの学びの先にある姿をイメージできる大変興味深い業務を展開されています。
その後話が進み、昨年度末に工場長様を始めとするスタッフがわざわざ本校に来校し、メカトロ・エンジニア系列の生徒向けに出前授業を行ってくれました。最先端の工作機械を使った金属加工について説明をいただき、生徒にとって大変有意義な時間になりました。工業を専門とする私にとても勉強になりましたし、ものづくりが好きですから働いてみたいなとも思いました。
前置きはこのくらいにしますが、以前に名刺ケースにまつわる話をブログ内に記述させていただきましたが、ホームページを見て真っ先に心打たれたのがまさに道央メタル様が製造された『名刺ケース』です。私の宝物として、またそのデザイン性から広がる人とのつながりを楽しみに毎日ポケットに入れています。こだわりのアイテムです。
さて、御縁をいただきたことに感謝していたところに、道央メタル様のお心遣いにより製作された校章エンブレムが届けられました。設計から製造、完成まで3週間を要したまさにこだわりとプロ魂を感じるエンブレムです。
美唄尚栄高校がここに開校(平成23年4月1日)してから15年が経過し、今までの歴史への敬意とこれからの躍進に向けた象徴的な校章エンブレムである、と受け止めさせていただいております。ここに集う生徒たちが普段から目にできる場所への展示と入学式及び卒業式等の式典や集会時等において演台に飾りたいと考えています。
生徒向けのお披露目が終わったあとは、職員玄関から入って左手に設置された賞状等を飾る収納ケースで展示いたします。本校にお越しの際は是非御覧ください。
昨年度末、本校にとっては大きな転換がありました。『定期考査の実施を廃止する』としたわけです。この4月からその形で動いています。スタートしたばかりですからさまざまな課題は出てくると思いますが、こまめな情報交換と職場内の研修を繰り返して、本校にふさわしい評価スタイルの確立に向けて勉強していきましょう。
私が感激したのは『廃止したこと』ではなく、これが先生方の声の中から発議され分掌で検討を繰り返し会議のテーブルに上がってきたことでした。学校現場ではここが一番難しく壁が高いのです。よくぞやってくれました - 組織の成長を感じた瞬間でもありましたし、心の中で先生方に対して大きな拍手を送りました。
数年前に教頭として勤務した学校で、観点別評価の適切な実施に向けて教務部長と一緒に勉強し、どのように学校に落とし込んでいくかを話し合いました。そこで一致した意見は定期考査の廃止でした。その日、その時間の授業で生徒の変容を見取っていくのですから定期考査の実施は必要なのか、となったのです。校長先生に説明申し上げ背中を押していただきました。そこから先生方と議論を重ね結果的に廃止となりました。管内初、おそらく全道でもそう例のないケースだったはずです。
そのときと今回の本校での動きはまったく異なります。私のような管理職は教育の動向にアンテナが高いのは当たり前で、時代に合わせた学校改革を常に考えています。あぁなれば、こうなれば、ということを考え、それをどのように実現させるかに頭を使う毎日です。その一つひとつを先生方に気付かせてボトムアップで組織を変えていく、またはその逆にトップダウンで変えていく、選択肢はどちらかしかないわけですが、可能な限り前者であるのが望ましいわけです。
これだけ時代が変化していますので、学校現場もその時代の流れに乗っていかなければならないと考えています。私はこのことを着任早々から先生方にお伝えしています。20年30年前に決められたことが今の時代にあっていないのはいわば当たり前で、学校、教職員、生徒がWin-Winになれるようにどうすべきかを目指すことがストレスフリーになります。踏襲したり昔からこうだからに縛られるとお互いが窮屈になり、答えはすぐ手の届くところにあるのに別な着地をして混乱する。せっかく使うエネルギーならば効果と意味のあるものにすべきです。
本校の先生方に感謝していることは、必要なものや変えたいことを見つけ動いてくれるようになったことです。自分たちの手で変えることができた、という体験はやりがいや自信につながります。そして次なる疑問や?(はてな)の気づきを生み出します。これが課題解決に向けた一步になり改善に向かっていきます。あとは循環していくだけです。コツを掴めばとにかく回転します。
誰かの思いやアイデアはまずしっかり聴く - はなから否定するのではなく、「実現できたらおもしろいよね」「実現させるためにどうしたらいいだろ」という姿勢で聴いてみる。本来、変わることっておもしろいことなのですから。小さなことにみんなで磨きをかけていけば学校全体を変える大きな原動力になる。私はそう考えます。
さて、生徒の皆さん、考査がなくなったという言葉に喜んではいられませんよ。すでに評価の在り方について文書も発出していますし教科担任からも説明があったと思いますが、今日受けたその授業の学びの成果が評価されています。一時間一時間の授業が、今まで以上に重要になった、と考えなければなりません。
今年度最初の生け花が届けられました。いつもありがとう。予算があると活動回数も増えるのだけれど、そうならずに申し訳ないなと思っています。華道部員の指導は市内在住の方にお願いしていて、やさしく丁寧な指導により生徒のセンスや技術が毎回向上しています。
「18歳になった最初の華道部だったのでいろいろ思いながら生けました」私はいつもどのような想いで作品づくりをしたのかを聞いています。「そうなんだ、18歳になったのはいつなの」こんな会話のやりとりをさせてもらって、顧問の先生に写真を撮ってもらいました。18歳を幸せに迎えられたようで何よりです。
後ろからニューフェースも。どうやら新入部員が入ったようです。水差しを持って先輩の後ろについて歩く姿が何とも言えず初々しい。高校時代に花に触れる時間を持てるのって素敵です。これからも楽しんで続けてください。
18歳の私、いったい何をしていたのだろう。少なくとも花は見ていなかったなぁ。大学に行くことにしたので勉強はしていた。勉強漬けの夏休みに「お前さ、夏なんだから外で遊んで日焼けするのが高校生だろ。部屋に閉じ籠もって勉強ばかりしてモヤシのように白くていいのか」と親父に言われて、中卒のあんたに言われたくないと口を返したなぁ。勉強を放棄した中学時代に隠した通知表がなぜか親父の手元に渡って、「棒とアヒルしか並んでいないな、中学出たら働け」と言い放ったくせに、いざ勉強したらしたで文句を言う。このあたりの出来事はおもしろいくらい記憶に残っている。おそらく親父と言葉を交わした最後くらいのことだからかもしれない。友達ともたくさん遊んだけれど何かひとつ満たされていない自分を感じていたなぁ・・・でも、私は18歳を全力で生きていました。考えて考えて考えて生きていました。
18歳って人生の節目になるのでは、と考えています。次の段階にどのように歩を進めるか。自分の人生の行く末を考えなければなりません。ただ、自分の可能性は現実に勝り目の前に開拓できる広大な敷地が広がっています。道ではなく敷地です。私の18歳は道がたくさん用意されていました。どの道を歩むかを考えるだけで良かった。しかし、今は敷地を切り拓き歩む道を自らが作れる時代。仮に道が用意されていたとしても道の脇の敷地を自らの思いで切り拓いていく時代です。決められもしないし決められてもいない。だから目の前の小さなことにとらわれるのではなく自分の周りをぐるっと眺め、18歳の自分の立ち位置を確かめて欲しい。
また余計な想いを書いてしまいました。真っ赤な薔薇、情熱の薔薇が18歳のエネルギーにふさわしい。
今しかない高校時代を大切にお過ごしください。
入学してから2週間が過ぎましたね。高校生活のペースに慣れましたか。登校してひととおりの授業を受け、給食からお弁当になり部活動を終えて自宅に戻る - 一日の流れを掴むことができたでしょうか。朝のHR教室を後ろから覗かせてもらいましたが、その後ろ姿からはまだまだ緊張がほどけていないような雰囲気を感じました。もう少し時間がかかりそうですね。
私は高校に入学してからしばらくの間は座席周辺にいる人としか話ができませんでした。広範にわたる中学校から寄せ集められた40名が狭い教室にぎちぎち詰め込まれ、私は何をどう振る舞って良いのか戸惑う日々でした。だから毎日が緊張でした。自分の高校生活はいったいどうなってしまうのだろう・・・不安も大きかったです。
教室にいなければクラスメイトと連絡がとれない時代でした。家には固定電話はありましたが、わざわざ電話をかけることはありませんでした。教室で昨日の不手際を謝り明日の約束をする。つまり、面と向かって言葉を交わして物事が成立するわけです。スマートフォンはなく、SNSも通話アプリもないのですから、そうするしかなかったわけです。困ることは何ひとつなかったけれど、もしも便利なものがあったら私の高校時代は変わっていたのだろうか・・・
わずか37年でアニメキャラクタの異次元ポケットにあったであろう機器が普及し、アプリを介して友達になっていくような時代に様変わりして、どのような姿が良いのかもわからなくなってしまいました。ただ、アプリで繋がるにしても真っ先にすることは互いに言葉を交わすところから。言葉を交わすきっかけ、道具になるのであればそれはそれでいい、と考えるべきでしょうか。
中学校から高校、高校から大学、大学から社会人の間に10回環境が変わりました。変化するたびに人も仕事も生活スタイルも変わってしまい、緊張やら気を遣いすぎたりと心がどしーんと疲れます。ただ、日本はいいですよね。ちょうど1ヶ月が過ぎたところで休息できる連休がありますから。タイミングとしてベストな時期です。そこで一度呼吸を整え次のステップを踏んでいきましょう!
19時15分。腕にLEDライト、胸ポケットにラジオを入れて外に出ました。ぽつん、と小さな雨粒が顔に当たるのを感じながらも、外に出た以上は雨が多少強くなろうが決めた距離は走ります。私には雨も雪も関係はありません(ムキになっているわけではありません)。習慣、とは恐ろしいものですね。
私はラジオ世代で、今でもラジオ番組を楽しんでいます。居間に一台のテレビを家族揃って見るという環境ではなかったことから、私は小さな頃からラジオを聴いていました。野球、音楽、バラエティと、スピーカからの音声から想像を膨らませ、頭の中に映像化することを好んでいました。好きが乗じて短波ラジオを買って海外の番組を聴き、英和辞書片手にラジオ局に手紙を書くようなこともしていました。そうすると返信カードが届くんですよ、あなたはリスナーだと。海外の消印が押されたカードがとにかく嬉しかった。
さて、夜のランニングはラジオをかけながら走っています。周囲にラジオの音が聞こえると、ここに私がいますというアピールになります。美唄市内はそうでもありませんが、自宅に帰ると歩道を歩く人が多いので、真っ先に音で人が近づいていることを知らせてあげるのが親切だろう、と私なりに考えてのことです。暗がりでいきなり背後から人が接近してきたら驚かせるのでそうさせないように。
結局誰ともすれ違いませんでしたがいいことがありました。美唄で今年初の桜を見ることができたのです。雨の気配はあったけれど家を出て良かった。やめていたら見ることができなかった桜です。
総合福祉センター敷地の一本桜。三分咲きといったところでしょうか。街灯に照らされて咲いていました。
桜、いいですね。
「手術記念日なんだよ」「それじゃ、ケーキ買わないとダメだよね、で、いつだっけ」「だって今日だよ、もう遅いじゃん、でも13年かぁ、早いなぁ」夕食での妻と私の会話でした。長男が中学生になるタイミングで入学式を見届けてからの手術でした。それは妻のたっての願いでもありました。記念日と言ってのけるほどのメンタルの強さに私は正直負けたなと思いました。自分なら果たしてそう言えるだろうか・・・私はやはりそこまで強くはないはず。ただ、あの出来事があったから、ふと訪れる幸せな時間を愛おしく感じることができています。
私たちにとっての13年は、過ぎ去ってしまえば言葉のとおりあっという間だったかもしれないけれど、自らの命と向き合ってきた妻の13年とそれをただ見守ってきた私の13年は、言葉では言い尽くせない長い長い時間でもありました。そんな簡単にやり過ごせる時間ではありませんでした。
この冬の札幌は大雪に見舞われ妻は除雪により右腕を痛め、先日知人に教えてもらった円山(札幌)にある整体の先生に予約を入れ診てもらったようです。先生が身体に触れ治療に入る前にこう言ったらしいです。「消化器系が弱くそこから痛みが発生していますね。自分の思いや考えを上手に言えない性格で、それ故我慢したり自分の中に無理矢理思いを押し込めてしまってそれが原因で消化器系に負担をかけてきたんですね」13年前に手術したことなど話もしていないのに、身体のツボやその人が発する気を捉えて原因を突き止めたのがすごいです。わかる方にはわかるのですね。東洋医学って不思議ですよね。
さて、妻に一人ひとりの生徒と面談ではなくおしゃべりを昼休みと放課後に校長室で30分間しているんだよ、と話をしたら妻が私にこう言いました。「私、自己表現できない人の気持ちすごくわかるよ。言いたいけど言えないその気持ち。私はずっとそうだったから。人を不愉快にさせないためにいつも気を遣って我慢ばかりしてたから。だからね、生徒の気持ちを聴いてあげる先生の存在ってとても大事だと思う。世の中の学校の先生がみんなそうなるといいね。生徒が思いを言えるようになれば消化器系に負担をかけない人が増えて私みたいにならなくて済むからね」妻は笑いました。なんだか妙に説得力のある言葉でときり、としました。
私も経緯は違えど真っ直ぐに話を聴いてくれた先生がいたから今があります。最初はずいぶん失礼な物言いや態度をとったものですが、毎日のように私の前に現れては声をかけてくる先生にやがて心を開くことができたわけです。一人の先生の存在は人生を変えるほどの影響力がある。私は実体験からそう思っています。
モエレ沼公園内に咲いていたエゾエンゴサクです。この花の花言葉は 「妖精のような」「幸せな時間」「静かな喜び」です。本日の話とわずかながらつながるでしょうか。
春一番に咲く花。キバナノアマナ。花言葉が素敵です。「運が向いてくる」「幸福が訪れる」
昨日、金曜日に仕事で東京から札幌に戻ってきた長男を新千歳空港まで送り、その帰り道南幌町で開催されているイベントを覗いて、午後2時から今年初めてのモエレ沼公園で妻と軽いランニングを楽しみました。この公園は自宅から自動車で5分のところにあり、園内が円形で1周3.75kmとなっており、周回で距離がわかりやすいのとビルドアップやスピード走に使い勝手が良く、私は誠に勝手ながらホームグランド、聖地として利用させていただいております。
その園内に早春の花が咲いていました。エゾエンゴサクと御覧のキバナノアマナ、そしてイチゲも。やはり例年より1週間は早い開花です。桜の枝もピンク色の蕾で染まり、今週末にはちらほら花が咲くような雰囲気です。もしかするとゴールデンウィーク前に満開になるかもしれません。
それにしても冒頭に書いた花言葉いいですね。誰もが待っていた春に「運が向いてくる」「幸福が訪れる」なんていうのはわくわくしますよね。いいことがありそうな。意外と身近なところで咲く花ですから見かけたら屈んで見てください。上を向け前を向けと言ってしまいますし言われますけど、私はそうは思いません。後ろを振り返り下を向いて歩いてもいいじゃないですか。そうすることによって見えるものがあるのですから。上と前ばかりだと見失うものも多く疲れますよね。
生徒とのおしゃべりタイムをお昼休みと放課後に行っています。「私の母がホームページ見てます。掲載された写真を見てこれあなたじゃないとか話をします。校長先生が書いている日記も毎日読んでいるみたいです。今日私が校長先生と話をするのも母は知っています。」そうなんだぁ。そういう家族間の会話がしっかりなされていることが嬉しかったです。私が高校生の頃は親とほぼ会話なし。母に何か言われても「あぁ」「わかった」「知らない」「うん」だけ。父とは会話した記憶がない。
会話が面倒だったからか。年頃だったからか。一方的に会話を拒んでいたからか。私は家に帰ると自室に閉じ籠もり小説を読み音楽を聴いていた。階下で「御飯だよ」の母の声。私は「あぁ」と返事をし階段を降りる。そそくさと夕食を食べまた自室へ。高校3年間は毎日これの繰り返しでした。もう少し話をすべきだったか・・・今さらですが。
自分がこうだったから子どもたちも私と同じでした。妻とはそこそこ会話を楽しんでいたようですが、私とはほとんど会話はなかったかな。私がくだらない言葉でちょっかいをかけても構ってくれず無視。そういうこと自体が煩わしい。それもわかるような気もしますが、反応なしは正直寂しかった。もしかすると父も私と同じ感情を抱えていたか。
おしゃべりタイムは、多くの発見や気づきを私に与えてくれます。進路相談や教育相談の場ではありません。美唄尚栄高校をさらに魅力的にするためにおしゃべりしています。生徒の皆さんは堅くならずに気楽にお越しください。
私は極端な寒がりです。身体が一度冷え切ってしまうと一日中ざわざわして、特に手が異常に冷たくなります。冷え性なのか血流が悪いのかはわかりませんが、冷えた手が身体全体を冷やしてしまうような感じになります。10月から4月が終わるまでこれが続きますから、かなりしんどいです。握手をしたらあまりの冷たさに相手の方はびっくりすると思います。ちょっとした隙間風だったり、足元に冷気を感じたときには手がかじかんでしまっていて、パソコンでの作業に限らず何も手に付かない状態になります。本当に困ったものです。でも、これからしばらくは大丈夫です。
さて、本当は一年中開放したいのですが上述の事情から校長室で冬ごもりしていました。ここのところ少しずつ暖かくなってきましたから、御覧のとおり校長室の扉を開放しています。いつでもウェルカムです。
昨年度は生徒がひょっこりのぞき込んだり、校長室ってこうなっているんだと小さな声でささやき合ったりする様子が見られました。ノックして入ってくる生徒も多数おりました。閉めきっていると感じることのできない生徒の様子に触れることができ、そこが楽しいです。教職員も校長(私)を近くに感じられるでしょうからメリットがあるのでは、と勝手に思ったりしています。
話は変わります。自宅の庭も花たちの芽があちらこちらから顔を出し始めています。雪が消えて真っ先に花を咲かせるのはクリスマスローズです。「クリスマスローズ咲いたよ」と妻が教えてくれたのは先週のこと。小さな一株を庭に降ろしたのは8年くらい前になるでしょうか。漸く咲いた花から毎年種を採っては庭の隙間に種を蒔き少しずつ増やしてきました。雪の下になること数年、時をかけて株が成長しあちらこちらで可愛らしい花を咲かせています。
たっぷりお花に関われる季節がやってきました。暴雨や積雪により薔薇のアーチや支えが破損したのでまずはそれを直すところからスタートです。そうした作業を含め朝から晩まで庭で過ごす時間を持てることが私にとっては一番の幸せです。
北海道もどうやら桜が咲いたようです。例年よりも2週間ほど早いのでしょうか。桜が咲くのはとても嬉しいのですが、環境の変化によって早まっているのだとしたら複雑です。道央ですとゴールデンウィークに咲く - これは子どもの頃から変わることなく近年まで脈々と続いてきたように思います。今年度だけが早いのか・・・そうであって欲しいです。
4月、新入生、新入社員という言葉をよく耳にします。環境がいきなり変わって、自分の立ち位置がわからなくなる時期です。隣にいる人が要領よく生活しているのを見ると、自分は出遅れてしまったなとか早く周りに合わせていかないとマズイなと焦ってしまいます。そうなると自分のことよりも周囲のことばかり気になって、自分のパフォーマンスが発揮できなくなります。スタートを切ったばかりです。ゆっくりやりましょう。
昨日のニュース番組で新入社員のマナー教室の様子を伝えるコーナーがあり、そこでは電話対応、名刺交換、印鑑の押し方、挨拶の仕方等が丁寧に語られていました。大学を卒業してすぐにこの世界に入った私。当時、マナーを教えてくれる方はいませんでした。ですから、私は私なりに考えて行動したのを覚えています。あとは人の動きを観察して真似をするようにしていました。
入学式の飾り花の桜が職員玄関で咲いています。
数学は習熟度別の授業を展開しています。授業中に後ろ側から入ってみました。単元『集合』になるのでしょうか。教科担任とのやりとりがとても楽しそうです。教科担任が私を見て「校長先生、私の授業みんなわかりやすいと言ってくれています」と胸を張って言うものですから、私は「わかりやすいと思う人手を挙げて」と生徒に聞いたら、なんと全員が真っ直ぐに手を挙げました。本当にそうだから手を挙げたんだな、と思える手の挙げ方でした。生徒は素直です。すべての学校に言えることですが、生徒の授業評価を私たち教職員はしっかりと受け止め、授業改善に励まなければなりません。
私の場合、中学校に入学して真っ先に数学につまずきました。これが転落の人生につながっていきます。わからない、つまらない、邪魔をする、先生の言うことに反発する、これが国語社会理科英語の主要教科に波及し、体育、技術にも広がっていく・・・わからないのであれば先生に聞けばいいのに、その姿をクラスの人に見せたくなくて、どんどん深みにハマっていく感じになっていきました。すべて自分が悪いわけですが、先生や周りのせいにして逃げていた・・・これが恥ずかしながらある一時期の私の姿です。
生涯学習 - その意味は多岐にわたりますが、私の場合はまず中学生の頃に戻り、ほぼ空白にしていた時間の学習を取り戻したい。戻したところで人生はやり直せないところまで進んでしまってはいるけれど、その年齢でしか得られない何か大切なものを置き忘れてしまったと思うからです。放課後に個人的に勉強を教えてくれた佐藤先生のおかげで、置き忘れになるはずだったもののいくつかは取り戻すことはできたわけですが。本当に失敗しました。
長男が高校受験の勉強をしていたとき、「父さん、この問題どうやってやるのか教えて」と質問されました。私の苦手とする中学の数学です。20分くらいかかって私なりに答えを導き、得意になって長男に説明しました。「答えは同じでもそのやり方なら時間がかかりすぎてだめだ」「どうして」「限られた時間の試験で他の問題に手が付けられなくなる、もっと効率よく解ける方法ないの」「ないな」「じゃもう聞かない」そのあたり(解答するための)の思考回路が私の中で断絶してしまっていることを感じた瞬間でした。こうしたところに綻びが出てくるわけです。
数学の習熟度別授業からずいぶんと話が広がってしまいました。
1週間で1万アクセスずつカウンタが上がっております。美唄尚栄高校の生徒を応援してくださりありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
本校の公式マスコットキャラクタの『かなうさ』
尚栄高校の”尚”と夢は”叶(かな)うさ”を掛け合わせた可愛らしいキャラクタです。「尚栄高校でなら夢は叶うさ」尚の中に口の字がありますが、この口が跳び箱になっていて、かなうさが跳び箱を跳んでいる。発想がいいですよね。グッド・アイデアです。
かなうさを何とかしたい - 昨年からずっと考えていることです。写真は工業系列の教員が3Dプリンタで昨年製作してくれたもの。もっと小さいサイズにして全校生徒に配布してカバンやリュックに下げてもらったらどうだろう。暗がりで歩いたときに車のヘッドライトに反射するキーホルダにしたらどうだろう。制服の上着(左側のラペル(下襟)にある「フラワーホール」に付ける)に付けるピンバッジにしたらどうだろう。ぬいぐるみが流行っていますからカバンに下げられるくらいの大きさで作ったらどうだろうか・・・アイデアは多々あるのですが、何かおもしろい意見等があればお寄せください。
そんなの意味がない、と言ったり聞いたりすることないですか。簡単に口にしてしまいがちですが、私は意味がないものってないと思います。かなうさもそうです。意味があってキャラクタになっています。ただただ眠らせておくのはもったいない。意味があるのだから意味を持たせる何かを生み出したいのです。それは今ここで働く教職員が中心となって考えなければなりません。道立学校で公式キャラクタを持っている高校が果たしていくつあるでしょうか。調べてはいませんがそう多くはないはず。そういう特異性のあるものだからこそ利用しない手はないと。
フラワーホールに校章を付けてもらっていますが、その横にかなうさピンバッジを並べて付けたら良さそうだな、と思ったりしていますが如何でしょうか。インターネットでいろいろ調べてみると300個の大量受注で6~7万円ほどで製作できるようです。そうすると1個あたり300円。手に届きそうな金額かなと思うところです。
本日からスタートします。3年次生から一人ずつ順番に実施してすべての生徒と最低1回は校長室でおしゃべりを楽しむ企画です。校長と『面談』するとなると、堅苦しくなりますから、名のとおりの『おしゃべりタイム』と銘打ちました。お昼休みに当たった人はお弁当持参です。放課後は飲み物持参で構いません。肩を張らずにやっていきましょう。緊張せずに自分の順番がきたら足を運んでください。
昨年度、声掛けをせずとも多くの生徒が私のところに訪れてくれました。それとは別に着任時から本企画を考えていたところであり、1年間宙ぶらりんになってしまったことに今さらながら反省しています。前3年次生はすでに卒業してしまい、貴重な機会を見す見す逃してしまった・・・思いついたら即実行を信念とする私ですが、何故やらなかったのだろう。後悔先に立たず。
道内の公立高校は本校に限らず生徒数の確保に頭を悩ませています。それぞれの学校が素晴らしい特色や魅力を発信し、一人でも多くの生徒に入学して欲しいと必死です。当然、私も毎日そのことを考えています。地域、つまり外に向けた情報発信にウェイトを置きがちだけれど、足元をもっと見る必要があるのではないか。このことは教諭の時からずっと考えてきたことで、32年間私は私なりに力を尽くしてきたつもりです。今目の前にいる生徒に対してどのようにアプローチするか。これを無くして外への発信はないと考えます。
大人(教職員)が良かろうと思って取り組むことが、もしかしたら子ども(生徒)の感覚と大きなズレがあるのではないか。私はその感覚に戸惑いズレた時代を過ごした経験がありますから、人より敏感です(現在進行形です)。先週の校長の小部屋では、そのズレたことを悔やむ話を書きましたが、ズレたことにより掴んだモノもあるということです。そう考えると少しはプラス要素になったのかもしれませんね。
子ども(生徒)が本校で見ている景色を上手に発信することで、新しい形の美唄尚栄高校が見えてくるような気がするのです。私も教職員も、「そこは見えていなかったな」というたくさんの盲点に気付かせてくれるのではないか。これはあくまでも私個人の考えですから、やってみて失敗したらまた次を考えます。
「やりもしないでマイナスだけを探す人生はつまらない。やってみたから新たな景色に出会うことができる。その景色が明るいのであればさらに前に進めばいいし、暗いのであれば一度原点に戻って次の景色を見に行く準備をすればいい。その時間にこそ意味がある」何の格言でもありませんが、これが私の考えで、これに基づいて今まで歩いてきました。
さて、生徒たちは私に何を語ってくれるのでしょうか。会話の中から私は生徒たちからたくさんのヒントを得られるわけで、それが楽しみでなりません。
入学式演台の飾り花を職員玄関前に展示中です。生徒の皆さん、ちょこっと足を運び見てください。綺麗ですよ。
大学に行ったのは先にある人生の在り方を考えたとき、どうしてもそのワンステップ必要だったからです。電力会社で働くか、それとも何となく目標としていた恩師(教員)のようになれるのであればそこを目指すのもいいだろうということで。もしも教員になるのであれば、私は中学や高校ではなく小学校の教員になりたかったです。残念ながらそこは叶いませんでした。
物事すべてに反発し中学校における学びを一方的に拒んでいた時期があったので、ギリギリ首の皮一枚で進めた高校からは教育大学を目指すことは困難でした。時すでに遅し - それも人生ではありますが、このことについてはのちに悔やむことになりました。自らが招いたことですから仕方ないのですが、本当に取り返しのつかない無駄な時間を過ごしてしまった、と。あのようなことをして得をしたことはひとつもなかったな、と。だから高校では心入れ替え、これでもかというほど勉強をしました。すべてを取り戻すことはできませんでしたが。
高校ではたくさんの友人に出会い楽しい時間を過ごしました。でも、私には何か物足りなかった。それは友人はいるけれど、親友が一人もいないということでした。高校を卒業した後このままでは親友のいない人生を過ごすことになるかもしれない、という寂しさと焦りみたいなものがありました。だから、先に書いた理由もありますが、親友と出会うために自分には大学が必要だと考えました。これが一番大きな理由です。私自身の大学進学の理由がこれですから、子ども二人がそれぞれ大学に進学したときの理由は、大学の4年間で自分のやりたいことを見つける、でした。そのようなことで果たしていいのでしょうか・・・
さて、親友はどうなったということですが、運良く一人と出逢うことができました。一人いればもうそれで十分です。大学に行って良かったことはこの出逢い。詳細はまたいつかどこかの場面で書けるといいのですが、実はその親友の故郷がここ美唄市です。そこにどのような巡り合わせか私が昨年から生活することになりました。出逢ったときからいつかこういうことになるような縁がきっとあったのでしょうね。見えない糸、って本当にあるのかもしれません。
親友には兄弟がいて、実はそのお子様が本校に入学してくれました。そのことを入学式が終わった一昨日の晩、ちょうどランニングを終えて着替えているときに親友からのLINEで知ることとなりました。気を遣って入学式が終わるまで私に黙っていたのだと思います。そういうことができる奴なのです。だから親友になれたのだろうと思います。
家族や兄弟のことは親友が大学時代に私に紹介してくれて、以後いろいろとお世話になったのですが、当時はまだ幼くて小学生でした。いつの間にか親となり、立派に子どもを育て本校に入学させてくれたのです。ずいぶん前置きが長くなりました。嬉しくて嬉しくてもう言葉が出てきません。
36名が元気に登校し入学式を無事終えることができました。目標とする41名以上には届きませんでしたが、数多くある高等学校の中から美唄尚栄高校を選択し入学してくれて本当にありがとう。その後押しをしていただきました保護者等の皆様大変ありがとうございました。心より感謝申し上げます。
4月8日(水)、多くの御来賓並びに保護者等の皆様の御列席のもと、第16回入学式を挙行いたしました。新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。
式辞
ただいま入学を許可しました三十六名の新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。
本日、ここに、PTA会長 ●●●●様、美唄市長 桜井 恒(ひさし)様を始め、御来賓の皆様と新入生保護者等の皆様の御列席を賜り、令和8年度第16回入学式を挙行できますことは、私たち教職員にとって大きな喜びであります。本日、御出席をいただきましたすべての皆様に、教職員一同、心より感謝申し上げます。
新入生の皆さんが、めでたく本校の生徒となりますことに、私たち教職員、並びにすべての在校生とともに、心から歓迎いたします。
今日から、高校生活をスタートするにあたり、こんにちまで皆さんに愛情を注ぎ、大切に育ててくれた、保護者等の皆様を始め、小学校、中学校で御指導いただいた、先生方に感謝する気持ちを持ち、これからの高校生活において、学業や部活動、友人との関係を築く中で、将来の夢を実現させるため、充実した毎日を送ることを期待いたします。
さて、私たちは今、先行きの見えない社会の中で生きています。技術の進化により、一昔前は夢物語の中にあった世界が、目の前に現実のものとして広がっており、生活環境はめまぐるしく変化し続けています。このような時代を生き抜くためには、物事の本質を見極め、「自分の人生を舵取りする力」と「これからの社会の創り手となる力」を身に付けなければなりません。本校で過ごす3年間のその先にある人生を豊かにするため、高校生活の一日一日を大切に過ごしてください。
皆さんの新しい門出に際し、私から3つのメッセージを贈ります。
1つ目、自分だけの「問い」を持つこと。
私たちは今、正解のない時代を生きています。AI(人工知能)が瞬時に答えを提示してくれる便利な世の中ですが、だからこそ大切なのは「提示された答え」を鵜呑みにするのではなく、「なぜそうなるのか」「自分はどう思うのか」という自分自身の問いを持たなければなりません。学びとは、単に知識を蓄えることではありません。未知のものに出会ったとき、自ら問いを立て、調べ、考え、自分自身が納得できる答え、「納得解」を見つけ出すプロセスそのものです。高校生活の中で、ぜひ多くの「なぜ」に出会い、知的好奇心の翼を大きく広げてください。
2つ目、多様性を認め、対話を楽しむこと。
育ってきた環境も、得意なことも、将来の夢も異なる多くの仲間がここに集まっています。自分とは違う意見や価値観に出会ったとき、それを「拒絶」するのではなく、「発見」として受け止めてください。ぶつかり合うことを恐れず、対話を重ねることで、自分一人の視点では見えなかった景色が見えてくるはずです。他者の痛みに寄り添い、互いの個性を尊重し合える関係を築くこと。それは、これから皆さんが社会に出ていく上で、最も重要な力の一つとなります。
最後に、失敗を「成長の糧」にすること。
新しい環境では、思い通りにいかないことや、壁にぶつかることもあるでしょう。しかし、失敗は恥ずかしいことではありません。挑戦した証であり、成長するための貴重なデータです。「失敗した」という事実で立ち止まるのではなく、「次はどうすればいいか」と前を向く強さを持ってください。本校は、皆さんが安心して失敗し、何度でもやり直せる場所でありたいと考えています。私たち教職員は、皆さんの挑戦を全力で応援し、支えていくことを約束します。
3年間の高校生活を全うした先には、再び人生の岐路を迎えます。そこで、たたずんでしまうのか、積極的な進路選択ができるのか、それは、いかに皆さんが充実した高校生活を送るかにかかっています。努力、時間、仲間を大切にして、有意義な高校生活を送っていただきたいと思います。
そして保護者等の皆様、本日はお子様の御入学、誠におめでとうございます。この場をお借りし、保護者等の皆様にお願い申し上げます。子どもたちの成長には、学校と家庭、そして地域が手を取り合い、同じ方向を向いて歩んでいくことが不可欠です。思春期という多感な時期、子どもたちは時に反抗し、時に悩み、立ち止まることもあるかと思います。そんな時は、どうぞ焦らず、温かく見守ってあげてください。私たちも、一人ひとりの可能性を最大限に引き出せるよう、誠心誠意、教育活動に邁進してまいる所存です。お子様の健やかな成長のためには、学校とご家庭との信頼関係が不可欠です。何かご心配なことがあれば、どうぞ遠慮なく『相談』という形でお聞かせください。共に解決の道を探っていければ幸いです。本校の教育活動に、御理解と御協力を賜りますよう、お願い申し上げます。
結びに、御多忙の中、御臨席を賜りました御来賓の皆様、御列席をいただきました保護者等の皆様方に重ねてお礼を申し上げますとともに、本日入学された新入生の大いなる健闘と成長を心から期待して、式辞といたします。
令和8年4月8日
北海道美唄尚栄高等学校長 日 下 剛
4月7日(火)美唄市立美唄中学校の入学式に出席させていただきました。担任の先生の呼名に体育館の隅々まで響き渡る「はい」がとても印象的でした。起立したときの凜とした姿も素晴らしかったです。
小学生、そして中学生までは大きな声で返事をしたり大きな声で歌ったりするのに、高校生になるとたちまち声を出さなくなるのはどうしてなんだろう・・・真っ先にそんなことを考えてしまいました。
たぼだぼだけど折り目の付いた真新しいブレザーもやがてちょうど良いサイズになっていくのでしょうね。そうなった頃には次のステップ(高校)を考えなければなりません。ここにいる生徒たちが美唄尚栄高校を選び、美唄尚栄高校で学んでくれると嬉しい。そうした学校にしなければならないな、と思ったところです。
今日から中学校での新生活がスタートしますね。緊張が続く毎日になりますが、焦らず慌てず自分のペースでスタートを切ってください。多少みんなからスタートが遅れたとしても、長い目で見ればどこかで追いつき、3月の卒業式は一緒になります。
右に合わせなければ前に追いつかなければと我を見失うのではなく、まずは自分の立ち位置を確認するところから始めて見てはどうでしょうか。担任の先生やクラスメイトと会話をしながら小学生から中学生に切り替わった自分を確かめてみる。そうして少しずつ少しずつ慣れていけばいいのではないでしょうか。
4月1日から16歳以上の自転車の交通違反に反則金の納付を通告できる交通反則切符(青切符)制度が始まりました。スマートフォン使用のながら運転が1万2千円、二人乗り3千円、イヤフォン装着5千円、歩道走行6千円など。反則金があるから注意しましょうではなく、まずは自分の命を守るため、歩行者等との事故を防ぐためと考えることが大切です。本校の生徒も明日から自転車での通学となります。今一度、ルールを確認して自転車の乗車をお願いします。また、ヘルメット着用は努力義務ではありますが、可能であれば着用をお願いします。
今年も交通安全運動に参加しました。ちょうど1年前も同じ場所で旗を持ちました。交通事故を防ぐためには、やはりスピードを出さないことが一番なんだろうと思います。自動車を代えてから、アクセルを踏むと一気に加速するので恐ろしくなり、ついついゆっくり運転になってしまいます。「遅すぎて後ろの車に迷惑になるでしょ」といつも妻に叱られています。先日は助手席に乗った次男にも叱られました。
車の性能がどんどん向上しているにしても、この狭い日本でスピードが出る車が果たして必要なんだろうかと運転するたびに考えます。高速道路で100キロメートル走行なわけですからそれ以上のスピードはいらないように思うのは、車そのものの構造を知らない人間の勝手な考えになるのでしょうか。私などメータのMaxが80キロの車で十分なのですが。
私は平日は自動車を運転しませんが、週末は自宅に帰りますから片道1時間ハンドルを握ります。昔から運転がそれほど好きではありませんし、交通事故のリスクを減らすためできるだけ運転しないようにしています。1週間分の食料を買い込んで美唄に戻ってきますので、特に不自由はありません。
個人的な用事(本が欲しい、レコードを見たい、服を買いたいなど)で買い物に出掛けるときは、夏でも冬でもランニングバッグに着替えを詰め込み目的地まで走って向かいます。できるだけ自動車を利用せず中心街まで距離稼ぎをしながら20キロほど走ります。今年は雪解けが早かったせいか自転車に乗車する方を多く見かけました。歩道を猛スピードで走行したり、スマートフォンで音楽を聴くのはいいとしても大音量だったり、横隊で走行したり。マナーの善し悪しについてはいつも思うことはあります。
歩道を歩く人も自転車走行する人も、そして自動車を運転する人も交通安全を意識した生活を送ることが求められます。
先日、転出する教職員からいただいたお弁当バッグを本日から使わせてもらっています。ありがとうございました。コーヒーが大好きで毎日大きいボトルを持ち歩いていますから、お弁当箱とボトルを入れてもたっぷり余裕があり、特に夏場は熱中症対策でもう一本ボトルを入れますので、バッグのサイズ感が個人的にとても嬉しいです。
毎日お弁当を作っています(いや、詰め込んでいます)。代わり映えしない毎日同じような食材です。これをほぼ繰り返しています。それでも自分で研いだお米を炊いて湯がいた野菜類を食べると、毎日同じでも美味しいです。野菜はブロッコリ、アスパラ、スナップエンドウ、インゲン、ホウレンソウ、小松菜、オクラが主です。
そうでした。今はいいのですが学校がスタートしますとお弁当づくりが始まります。朝からまた大変になりますが、お子様の健康維持のため、保護者等の皆様よろしくお願いいたします。そして、生徒の皆さんは、お弁当を持たせてくれる保護者等への感謝を忘れずに。
学年末休業日学年始休業日はそれぞれ7日ずつ、計14日間与えられています。この間、本校の若手教職員と校長室で昼食をともにしました。生徒が登校してくると慌ただしくなりますから、そう頻繁に一緒に食べることはできなくなります。教職員の動きや表情等を観察しながら、今日なら一緒に食べられるかな、というタイミングで声掛けさせてもらっています。
昨年度も教職員、生徒と一緒にお弁当を食べる機会を設けました。会食しながらですとざっくばらんな話ができておもしろいですし、人柄や人間性など新たな発見ができるのがとてもいいです。形式的に面と向き合って話をしなければならないこともありますから、そこには管理職と教職員の距離幅を変えてはいけません。上手に使い分けです。お弁当を食べながらという接し方はお勧めです。意外と本音が聞けたりしますし、私がどのような人間なのかを知ってもらうにも好都合です。
トップページにもありますがアクセス数40万件(1年前は9万件弱でした)を超えました。私が書いている校長の小部屋は脇に置いておき、トップページのトピックスを教職員がしっかりアップしてくれるようになったのが嬉しいです。1年前に教職員にお願いしたことができている - これほど嬉しいことはありません。一人でも二人でも実践してくれると、それがやがて五人、六人と自然に広がりやがて全体のものになっていきます。
私は中味は薄くとも書くことに抵抗がないので、座席に座って真っ先に頭に浮かんだことを記しています。写真一枚を入れることがそうしたことをスムーズにさせてくれているのかもしれません。学校は話題豊富なところですから、いつもより少しだけ見るポイントを変えると発見の連続になります。そこを取り上げてホームページに掲載すればいいと私は思っています。こんなことは掲載できない、と難しく考えるからアップへの敷居が高くなり更新は途絶えます。
自分の上げた記事を読んでくれている方がいます。当然そこにはそれ相応の責任を伴います。でも、こうしてカウンタが1日1000件、2000件と増えていくのは、書き手である本校の教職員の励みになりモチベーションの高揚につながっていることは間違いありません。
今後とも末永くお付き合いくだされば幸いに存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
何度もこの風景を掲載して話をさせていただいております。私の自慢ですのでどうぞ御覧ください。今日は屋上から撮影しました。いつもより一段、二段高いポジションから撮っていますので、見えてくるものが違うと思います。1年前にもここに上がりました。私は各学校の屋上に着任したその日に上がっています。ただ風景を眺めたい、からではありません。
教頭として初めて勤務した学校は市内で一番の高台にある歴史に名だたる伝統校でした。そこで2年間お仕えした校長先生からはたくさんのことを学ばせていただき、その教えの数々は今も管理職である私の教訓として生きています。今考えると芸術派で新感覚の校長先生、発想が豊かであり古きものにとらわれないおもしろいセンスをお持ちの方でした。そう考えていいんだ、そうしてもいいんだ、と毎日が発見の連続で楽しい時間でした。
私は手術、退院直後の着任でしたから、極端に体力は落ち患部はじくじくと痛く、あろうことか借家のトイレからは水漏れ、瞬間湯沸かし器は破損、風呂のガス追い焚き機器が破損、水道管の劣化により水が使えないなど、もう毎日が泣きたくなるような生活を3週間、ほぼ4月はこれで終わりました。この時ほど、情けないと思ったことはありません(これも今だから笑えるエピソードです)。
でも、仕事は別でした。昨日までは教諭、今日から教頭です。校長先生、教職員から「教頭先生」「教頭先生」と呼ばれ、体調がどうしたこうしたと言っていられない状況になりました。全力全開の対応に、こんなにも変わってしまうんだな、と感じる毎日でした。
私の性格と言いますか、とにかく先回りして準備をし安心しておきたい、次から次に舞い込んでくる仕事にゆとりを持って向き合いたい、期限があったら4、5日前までに、こうくるだろうと思ったことは事前に調べておく、など一風変わった側面を持っています(損な性格です)。簡単に言うなら慌てたくないということです。ですから、教諭時代にたくさん経験した主任級の仕事で「どうなっているの」と言われたことがありません。いや、言われるのが嫌だったから言われないようにしていました。言われると言われた自分に腹が立ってしまうのです。これは生まれ育った環境の中で身体に染みついてしまったのだろう、と思っています。
4月のある日、校長先生に「教頭先生、そう言えば校舎の屋上に上がってみたの」と言われました。まったく意味がわかりませんでした。躊躇している私に校長先生はこう仰いました。「南側1キロメートルに海があるでしょ。もしも津波警報が発令されたら教頭先生どうします。高台にあるから安心ですか。垂直に逃げるとき一番高いところは学校のどこになるの」
私は、はっ、としましたし脂汗をかきました。その視点がまるっきり抜けていました。恥ずかしながら考えもしなかったわけです。そして、やはり自分のふがいなさに腹が立ちました。校長先生がその日私にくれた大切な言葉です。「言われる前にどうすべきかを考えて行動すること。とにかく気がつくようにアンテナを高く張ること。おかしいと思ったこと、現状にそぐわないものは、気がついた者の責任で変えること。あとは教頭先生が考えて仕事をすること」校長先生から言われたのはこの一回だけでした(何も言われないように小さな頭で考え考え行動しました)。
7年前のことを想い出しました。思いが想いに変わるほど時は流れてしまいました。あの日から私はどれほど成長したのだろう・・・
先日も書きましたが、人は必ず自分に何か大切なものを残します。いや、残してくれます。それがいったい何なのかに目を向けると新たな自分づくりができると私は考えます。
美唄市総合体育館から美唄中学校の裏通り(農道)をどこまでもランニングするのが好きです(雪が降ってからはドライバーに迷惑をかけるのでここを走ることは遠慮していました)。昨日、夕焼けがきれいになるだろうな、と思い春の夕刻をのんびりランニングしました。
どしんと構えた樺戸山系に守られた広大な畑とこの色、この匂い - こうした風景をずっとずっと遠い昔に見ていたような、ここを通るといつも懐かしい気持ちになります。
空知の生まれ故郷に戻って生活を組み立て直すということは、もう私の人生には訪れないと思われます。ただ、自分の原点は空知にあるんだ、と実感させるのはこのような風景の中にある風の匂いや自然の彩りだったりします。人って、ふとしたときに自分の立ち位置がどこにあるのかを知りたくて原点を求めるのかもしれませんね。私はその頻度が高いかもしれません。
町が衰退し少子高齢化が加速度的に進む美唄市。人が集まる観光スポットは多々あります。でも、どうでしょうか。わざわざ施設を整えなくてもこうした美しい風景を活用したら。サイクリングで回るツアーを企画したり、農業を営む方が作った野菜や果物を少しずつランニングバックに詰め込むマラニック(マラソンとピクニックを織り交ぜたエンジョイ型ランニング)イベント、5キロ・10キロ・15キロ・20キロのウォーキングコースを巡るスタンプラリーウォーキング、フォトコンテスト・・・いろいろなことができるのでは。
ランニングをしているときは、タイムと呼吸、疲労具合、身体の乾き具合くらいしか考えないのですが、昨日は珍しく楽しいイベント企画を考えていました。と、いうのは美唄に住んでいらっしゃる方が(本校の生徒や教職員を含め)この風景を知っているのか、知らないのであればそれはずいぶんともったいないことだな、と思ったからでした。
美唄には美しい風景があります。どこを切りとっても絵になる素敵な町です。写真の腕前が上がればもっといい形で紹介できるのですが(今年は本格的にカメラを復活する予定です)。
さて、入学予定の皆さん、準備は進んでいますか。まもなく入学式がありますから生活リズムをしっかり整えましょうね。
昨日、異動する教職員と最後のお別れ。こんなことありましたね、あんなことありましたね、と想い出をいくつか語ってお別れしました。
そして今朝。昨日までそこに座っていた方に替わって新たな方が座っています。3月31日と4月1日のたった1日を境に変わる環境。人って、組織ってこれを過去に遡って延々と続けてきたんだろうな、ということを考えています。そんなことを思う朝を迎えました。別れは確かに辛いけれどそのことばかりにとらわれてはいられません。今日から心機一転、気持ちを入れ替えて新年度4月1日をスタートさせます。
この『校長の小部屋』につきましては2年目に突入です。1年前に着任した際、本校の情報発信の課題解決に向けて、私は教職員に対してホームページの充実とインスタグラムの積極的な発信を掲げました。いざ実践に向けてどのような形で進めていくかということを教頭先生と確認していたときに、ブログ発信してみたらおもしろいんじゃないでしょうかね、とアドバイスされました。そうか書くことは苦じゃないからそれならできるな、と。
私は自身の性格上、「取り組んでください」という旗振り役に徹することができません。旗を振った以上、自分ならこうやるというものを示さなければ自分を許せないおかしなこだわりがあります。このことは教諭であっても教頭であっても校長でも、私は変わることができません。
仕事に限らず趣味も言ってみてやってみてでなければ満足できない人間です。ですから言った以上は自分でやってみる若しくは一緒にやる、失敗したら新たなことを考える若しくはきっぱり取り止める - これが私のスタンスです。
『校長の小部屋』の成果はわかりませんが、毎日毎日更新できたのは、読者がいらっしゃるところにあります。アクセスカウンタが順調に増加しているということは、少なくとも失敗ではなかったのかなと受け止めさせていただいております。ホームページはごく限られたコミュニティ向けになりますので、インスタグラムとnoteを含め、末永くお付き合いいただけますと幸いです。
スタートにふさわしい朝を迎えました。雲ひとつない青空が広がっています。雪はすべて解けました。あたたかでやさしい春風が流れている美唄です。
「お世話になった方が定年退職で送別会があるから札幌に帰る」28日土曜日の夕刻に成田から飛行機に乗り、宴が終わった深夜に帰ってきて我が家で睡眠をとり、翌日の日曜日午前中の便で東京に帰っていきました。朝9時に家を出るという長男を車に乗せ、妻と一緒に新千歳空港まで送りました。転勤がなく札幌で働くことができるという条件で入社した会社ではありましたが、東京における事業の拡充が決まり、「行ってこい」と声が掛かっての異動でした。地下鉄沿線上の便利な新築マンションを引き払って早いもので半年が過ぎようとしています。
私と妻にとって長男がいくつになろうとも子どもであることには変わりはないのですが、私たちの手を離れなんだかずいぶんと遠いところに行ってしまったな、とまるで他人事のような感覚にとらわれている自分がいます。妻はどう感じているのかは聞いていないのでわかりませんが、私には子どもというよりも私と対等な一人の大人という見方が強まっています。
大学を卒業したらあとは自分の力だけで生きていきなさい、その代わり父さんも母さんも子どもには一切頼らないから。これが我が家の決め事です。そのとおり東京のど真ん中で逞しく一人で生きている長男の成長をひしひしと感じます。私が同じ25歳26歳の頃よりも物怖じせずに堂々と歩いているその姿に、いかに自分がなっていなかったかを思い知らされることもあります。
高校受験のことは前に書いたとおりで、長男の場合は恥ずかしいだの行きたくないだのと泣いたところからスタートしたわけですが、そんなことがあったのをみじんも感じさせません。結局、人生の単なる通過点でしかないんだよな、ということを長男が一瞬帰省したときに思ったところです。どこの高校、どこの大学であっても、それが第一志望でなかったとしても、自分が身を置いた場所で精一杯努力し生きていくことが人生の次のステップにつながっていくわけです。
階段に今置いた右足の先に階段はさらに続いています。時間が進むのと同じように人生も進んでいる。だから左足を持ち上げ次の段に足を置かねばならない。そうした瞬間にそれまであった左足の階段はもう過去のものになっている。つまり、通過点でしかない。階段の名前が大切なのではなく、階段を駆け上がる自分が大切 - そのようなことを日曜日から考えています。
生徒が作ったフラワーボックスをいただきました。箱の名前が大切なのではなく、箱の中に詰められた想いが大切です。
宝物がひとつ増えました。ありがとうございました。
わずか1年間のお付き合いで毎日お話をすることはなかったけれど、一緒に働かせていただいた者として、心から「ありがとうございました」と言わせていただきます。人との縁(別れや出会い)にはきっとそのものに意味があり、意味のない縁はないものと考えます。明日限りで本校を後にする教職員の方々との縁を私はいつまでも大切にします。ありがとうございました。新天地での御活躍をお祈りしております。
そこで働くあなたにはそこにいる意味がありそこで果たすべき役割がある - 一番最初は教諭として初めて迎える異動の時にO校長先生から言われました。専門外の学科で辞めたいと思うほど苦しい経験をしましたが、4年後に全日制の専門とする学科に校内異動となり、しばらくしてからその言葉の意味を私は私なりに理解することができました。やはり「意味」と「役割」はあったんだな、と。おそらくこういうことだったのだろうな、と気付きました。
それは管理職になっても変わりません。誰も答えは教えてくれないけれど「意味」と「役割」があってそこに置かれている。置かれた場所でしっかり咲くために私は何をすべきなのか、それが私に与えられた課題だと思って働いてきました。今もその気持ちは変わりません。3校勤務した教頭時代に求められた花は咲かせられなかったかもしれませんが、私自身の見解と納得として「こういうことだったのだろうな」という3つの花は心に咲いています。
「意味」と「役割」は決して仕事上の出来だけではなく、人とのつながり、地域とのつながり、つまり縁を含めたすべてにおいて含まれるものと私は思っています。
さて、話は変わります。いつだかお弁当(ただただ詰め込み型のお弁当)の話を書いたばっかりに、異動する教職員からお弁当を入れる素敵な手づくりバックをいただきました。書かなければ良かった・・・なんと妻にポーチまで。私ごと、先日、5年間使ってきたお弁当箱を新調したばかりで、実は新しいお弁当バックはナイスなタイミングで、嬉しい限りです。
きっと、これも縁がつないでくれたんだろうな、ってしみじみ思うところです。大切に使わせていただきます。ありがとうございました。そして、1年間大変お世話になりました。
明日で令和7年度は終わりを告げます。令和8年度がスタートを切ります。私の頭上の2階の職員室は心機一転配置換えを行いました。自分の前や隣に座る方が変わり、新たな発見やコミュニティが生まれるものと思います。これも縁ですね。
願書に貼付された写真と名前を繰り返し見て記憶していく。入学式で必要となる呼名用の名簿をつくり、座席表に時間割、ロッカーと下駄箱に出席番号のシールを貼り、学級通信を作成し、机を並べる際の目印を床にマークし・・・担任業務がスタートするこの時期は慌ただしくなります。緊張が続く中にも早く生徒に会いたいという気持ちが日に日に高まってゆく - 私にはそうした想い出があります。
担任として接する生徒の呼び名は苗字ではなく、私はすべて名前と決めていました。名前は名付けた人が思いを込めて授けた大切なプレゼントです。そこに敬意を表しながら生徒に声をかけていました。それからもうひとつ、生徒と近い存在でいたい、そのことが私の中では苗字ではなく名前でした。教え子たちがどのように感じていたのかはわかりませんが、名前で接すると生徒一人ひとりがより身近に感じて愛おしい存在になりました。これは私見ですので、正解ではないと思います。教師個々の持ち味がありますから接し方は多様です。
平成24、25、26年度の3年間が私の最後の担任業務となりました。40人それぞれが毎日引き起こすあぁだこうだがドラマチックでした。困ったこともたくさん発生しましたし、どうしてそうなるのとがっかりさせられることもありましたが、その都度みんなで考え乗り切った3年間でした。卒業時の40人は立派に成長し青年の姿になっていました。
2年生を終えるまではほぼ毎日空き教室で個別に話をすることばかり。1週間しかない学校祭の準備期間なのにふざけてばかりいるので2日間作業させずに下校させたこともありました。あのときの生徒たちの慌てた顔は忘れられません。今だから笑える懐かしい出来事です。毎日がこのようなことばかりでした。
私はこうした顚末を毎日学級通信に記し保護者等にドラマをお伝えし続けました(5回の担任業務のすべて)。褒められることも失敗したことも、生徒、保護者等、担任みんなでドラマを見て考えていきたかったからです。3年間で約600回のドラマをお伝えしました(意外にすべての保護者等の手元に届いていました。「おもしろい」、「毎日楽しみにしています」、「先生、本当にうちの息子が、すみません」、「先生応援してます」、「穴を開けてくれているので紙ファイルを買ってストックしてます」、「いつもありがとうございます」などよく電話をいただいていました)。
B5版の紙ファイルがパンパンに3冊。いつかクラス会が行われて、40人の誰か一人でもその3冊を持ってきたら、そこに集まった全員にあの日あのときの高校3年間が蘇ってくる・・・そういう未来の姿をイメージしながら私はいそいそと学級通信を作っていました。こういうのを自己満足というのかもしれません。それでも学級通信の元データは今でも私の宝物です。
さて、本校では新入生の受け入れに向けた準備が進んでいます。御家庭におかれましては、制服やジャージー等の採寸と購入、端末に教科書等の購入、新生活に向けたさまざまな出費が嵩んでいることと推察いたします。何か御不明なことがございましたらお問い合わせください。
一年前は何をしていただろう。生活するのに必要な最低限のものしかなかった(軽トラックの荷台で収まる分)とは言え、部屋には段ボール箱がいくつも積み上がり、掃き掃除に拭き掃除を繰り返していた。北見を出発する直前まで外すことができないストーブの前に陣取り、隙間時間は座卓にノートパソコンを広げ美唄尚栄高校に勤務するための準備をしていた。
次男が大学卒業で岡山から引き上げてくるのが3月末となり、その引越の手伝いと観光を兼ねて妻は長らく出掛けていた。私の引越よりも子どもの引越が重要という具合だった。帰ってきたその足で札幌からバスに乗り5時間半をかけて北見に来てくれたのが29日。「どうしてうちの引越は全部子どもの引越とかぶるんだろう」と疲れ果てた顔で妻が言ったのを覚えている。何だか私の引越が悪い、とでも言っているように聞こえた。
この会話は、私が教頭として苫小牧へ引越となった3月から2年おきにしてきた。前にも書いたが、私の苫小牧への引越と長男の弘前への引越、2年後苫小牧から小樽への引越で次男の岡山への引越、北見への引越で長男が弘前から札幌へ、北見から美唄の引越は次男の岡山から札幌への引越。子どもが独立した今、もう我が家の引越はかぶることはないが、おもしろい歴史を重ねてきたことはこの先家族間の笑える思い出話になると思う。
夜は職場内のいくつかの小さなグループが私のために送別会を開いてくれて、2年間の出来事を遅くまで語り別れることへの寂しさでいっぱいになっていた。もう1年、いやずっとこの人たちと仕事がしたい - これが私の本音でもあった。
2年おきに引越を繰り返してきたわけだが、わずか2年であってもその職場に対する愛着や思いは深いところまで根を張り、それを掘り返して更地にしていくのには気持ちが追いついていかない。これは苫小牧も小樽も同じだった。限られた2年だからこそ、本来5年、6年をかけて築き上げるものを60秒1分を20分、30分のスピード感を持って私は詰め込む努力をしていた。実に濃縮された脂っこい時間。人との出会いはかけがえのない大切なものになった。別れは辛いけれど、こうした気持ちにさせてくれたのは管理職になったからであり、そこは管理職の立場にある者しか感じられない大きな魅力だと私は勝手に思っている。
借家は住宅街の中にあり、道路を挟んだ向かいに住むAさんとはちょくちょく世間話をする仲になり、「先生がいなくなると本当に寂しくなるな」と、私の心を躊躇わせるようなお言葉までいただいた。31日はAさんが不在で、奥様にお礼の挨拶をして北見を後にした。翌日の4月1日の朝、校長職がスタート私に真っ先に電話をくれたのはAさんだった。激励の言葉の最後に「先生ありがとう、北見に来たら絶対遊びに来てよ」そう言ってくれたのが何よりも嬉しかった。地域の方のありがたさと大切を肌身で感じた瞬間でもあった。
ちょうど1年前のことです。時の流れは早いですね。
さて、ホームページ閲覧数が38万5千件を超えました。4月着任早々、とにかく情報発信に力を入れましょう、と教職員にお願いし5月から本格的に取り組んでまいりました。今年度で30万件を超えるアクセスをいただきました。読んでくれている方がたくさんいる、ということが更新する教職員の励みになっています。いつも大変ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
眼前にこれを見せられるともう言葉が出ません。
昨日の修了式で年度の締めくくりとなりました。生徒は14日間の年度末年度始めの休業に入りました。しばらくの間、部活動等以外での登校はなくなりますから生徒の元気な声が校内に響き渡ることはありません。
朝、誰もいない教室棟を回りました。1年次生の学校設定科目である「産業社会と人間」の中で作成したポスターに目を馳せると、そのできばえの善し悪しではなく、生徒なりの町に対する思いが込められており、そうだそうだと考えさせられることばかりでした。
こうした一つひとつの意見を吸い上げていくことは難しいとしても、一つひとつに目を向けて真剣に考えていかなければ、町からどんどん若者が離れていくのではないか、そう思うのです。私も空知の町に生まれ育ちましたから空知が大好きですが、18歳以降故郷に戻らず生活拠点は別な町にあります。小中高大学と学びの段階で町づくりについて考える授業がなかったことも何かしら影響しているのかもしれません。
本校では「産業社会と人間」、「総合的な探究の時間」をとおして、計画的な教育活動に取り組んでおり、自分たちの住む町を調べ、地域の方と意見を交換し、地域の企業や関係機関様と連携し町の活性化に向けた探究活動をしています。これらは大変魅力的な授業で、生徒たちの発想の豊かさにいつも感心させられますし、これが実現できたらおもしろい町になるだろうなと思わせてくれます。生徒が提案したものがどれかそのひとつでもプロジェクトとして動き出したら素晴らしい展開になる - 私はそう考えています。
工業高校の建築デザインコンクールで優秀な成績を収めた建築パースが、実際の建物になったケースがいくつかあります。夢が現実になることを高校生に実感してもらうのは大変意義深いことです。学びが形につながる・・・これは夢物語ではなく現実に起こること、そうしたことをたくさん与えられる世の中であって欲しいです。
少子高齢化が進み町の過疎化も加速度的に進んでいます。学校もさまざまな課題を抱えています。もう待ったなし、です。目の前にいる高校生の発想や視点が町や学校の課題を解決する糸口になることを私たち大人は真剣に受け止めなければなりません。
あのときの意見や提案を早い段階で吸い上げておくべきだった・・・そういう後悔はしたくないものです。
鬱屈とした12月、1月、2月を乗り越えると春の陽気を感じられので3月と聞くだけで心が軽くなります。こうした季節の変わり目を繰り返し繰り返し気がつくと五十代も半ば。この先も3月で感じるこの感覚はおそらく変わることはないのだろうな、と思うところです。
ただ、3月はわくわくするだけではなくて、お別れ、というさみしくせつない風を心に吹き込んできます。お別れの3月。卒業式で生徒と別れ人事異動で教職員と別れる。自分の周りから次々に人が離れてゆく・・・
32年間でどれだけの教職員とお別れをしただろうか・・・100人か、200人か、いや500人か。もうお別れをした順番も定かではなくなった。積み重なっていくお別れにずっと昔にお別れした方々の顔や声が浮かんでくる。こんなことがあったなぁ、あんなこと言われたなぁ、と当時は立ち上がることも容易ではないほどのダメージを受けたことも、今はすべてあたたかな記憶の断片として私の心に残り、その一つひとつを笑って思い返すことができる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれている。人って、きっとそういう存在なんだろう。
管理職になって2年ごとの転勤を繰り返しています。苫小牧も小樽も北見もお別れは辛かったです。教職員一人ひとりと人間関係を構築するまでに1年、土台が出来上がり円滑な業務で1年。これで2年。でも全力の2年間で深まる信頼や絆が別れを躊躇わせる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれているとするならば、自分は人に何を残したか・・・そのことは別れの時にいつも思うことでもあります。
朝の打合せ。本校からは6名の教職員が新天地に向かうことになりました。大変お世話になりました。
12月から2月にかけて出張や札幌の自宅に帰る時は、水道の水抜きをしなければなりません。台所、トイレ、浴室、洗面所、ボイラーの5カ所の作業をすると軽く20分はかかります。大元だけを操作すれば良いのではなくあらゆる栓を開けて管内に溜まった水をはき出さないとそれが凍結してしまいます。こうした一連の作業をしなければ後々困ることになるのはわかっていても、大丈夫だろうと高をくくって家を空け、半日以上水が出ないことが2度ありました。水が出ないことがこんなにも人を不安にさせる。水のありがたみを痛感したシーズンになりました。
いつもより早い雪解けなのかもしれません。あんなにあった雪は陽の当たらない一部分に残すだけになりました。3月の上旬から夏用のランニングシューズで路上を走ることができたのも初めてです。さっさと冬用のランニングシューズを箱に収め片付けました。本校の陸上トラックも今日から走行できる状況です。朝の冷え込みはありますが、春の訪れは例年になく早いのかもしれません。
昨日、午前中に2時間かけて21キロのランニングを楽しみました。明日ハーフマラソン大会が開催されても飛び込みで走ることができる身体づくりを欠かしません。これは私の決め事としています(どうでもいいのですが)。午後から妻とランニングとウォーキングを織り交ぜた8キロ走に出ました。札幌市北区にある百合が原公園をスタートに繁華街を巡ってぐるり一周のコースです。途中、たい焼き屋さんで腹ごしらえをしてゆっくり春を感じる時間になりました。
ここのところさくら、さくらと開花を告げるニュースを目にしますが、さくらよりも早く咲いた花を百合が原公園内で見つけました。氷点下や猛吹雪に耐え命を芽吹かせる樹木に感動です。
マンサク科マンサク属 シナマンサク 中国原産。幼条や葉が軟毛で覆われている。花は香りも強く黄金色。開花時に枯れ葉が残っているのが特徴。
皆さんに見ていただきたくて掲載いたしました。
想像するだけで楽しくなります。クルミパウンドケーキ(美唄産クルミを使用、米粉を使用)の研究。一緒に研究開発したい、と単純に思ってしまう私。クルミの割合を変化させることで食感は変わりますから、口の中に残るクルミの状態であったりその大きさであったり検討することは次から次に出てくる。万人受けする製品にするために、作っては食べて議論を重ねて・・・美唄尚栄高校はクラブ活動ではなく授業の中でこういうことができる学校です。
前にも書きましたが、人が生きていくために食は必須です。高校の段階で食について学べるのは大きな意味があると思います。与えられたものをただ食べるのではなく、食べてもらうものを自分たちの手で - そこにおもしろさと魅力がある、私はそう考えます。
パウンドケーキを持ってきてくれた教員が「校長先生、生徒がクルミの割合について探究していいものを作ろうとしています。今まさにそれをしているところでおもしろいですよ」別の業務があってその場に行くことはできなかったのが残念。それにしても生徒だけで取り組んでいることに大きな意味があります。そこに教員が入っていかないのがいい。
子どもたちは大人(教員)が気づきもしないアイデアをするっと言葉にします。あまりに突拍子もない展開になると、大人(教員)は「それは無理だろう」とついつい軌道修正したくなる。自らの考えに寄せたくなる。それはわからないではありませんが、そこで何かを言うことによってせっかくのアイデアが消えてしまいます。そうならない寄り添いが我々には求められます。
私は先生方にいつもお話しています。「作りました、売りました、買ってもらいました、寄贈しましたで終わりではありません。作った先、売った先、買ってもらった先、寄贈した先の姿を考えた教育を展開してください」自宅において趣味の範疇で作ったのであればそれはそれで終わっていいのですが、教育活動で作ったのであればその先の展開を常に考えさせなけれなりません。20年30年前に求められていた教育と今の教育は大きく様変わりしています。
〇〇しました。だから・・・、それで・・・
だから・・・、それで・・・が問われます。生徒も教員も探究し続けなければなりません。
札幌の高校に勤務していた3月上旬のこと。「合格したよ」妻から長男の大学合格を知らせるLINEを受け取りました。当時私は3度目の入院を控え、その入院で手術することが決まっていて、体調のすぐれない日が長く続いている時でした。長男の高校受験の顚末については先日書いたとおりなのですが、あれから3年後、今度は大学受験を迎え長男は長男で大変な人生を送ってきたわけです。
3年間続けると張り切っていた部活動も2年生の途中で辞めてしまいました。私も応援に行きましたが、宮城県気仙沼で開かれたインターハイで強豪校に敗れてしまい、残された1年でどれだけ努力しても全国に名だたる選手のレベルには達しない、と自らの力量を悟っての退部でした。学校から帰ってくる時間は毎晩23時前後で土日もなく、22時前に床に就くことが日課になっていた私は長男とずっとすれ違いの生活になっていました。久々に会う長男は疲れのせいかいつもぐったりしていて、私は部活のために学校に通わせているのか勉強させるために学校に行かせているのか、もっと友達や恋人と遊ぶなど今しかできない青春時代を味わうべきではないのか、などといくつもの疑問を抱えたまま悶々とした日々を過ごしていました。
「このままでは部活だけの高校生活になってしまう。部活を続けても日本一にはなれない。今から真剣に勉強をしないと大学にも合格できなくなる。中途半端な自分になりたくない。残りは全力で受験勉強をする」という旨のLINEの最後に「今まで部活にお金を使わせてしまって申し訳ないけど、部活辞める、ごめん」と書かれていました。私の知らないところで相当な期間悩んでいたようです。口から出る言葉ではなくLINEというところがいかにも現代を生きる高校生らしい切り口ではありますが、長男の成長を感じた瞬間でもあり、正直嬉しく感じたことを覚えています。私は「考えた末の結論を父親として尊重するよ」と返信しました。
LINEに書かれた言葉に、私は、高校受験の出来事を長男はずっと意識していたんだな、と思い知らされました。あの時、私はいとも簡単に「それは通過点でゴールではないんだよ」と手紙に記したわけですが、長男はその通過点に引っかかりを抱えたまま今まで生きてきた・・・それを思うだけで胸が一杯になりました。私は大学受験を終えるまで決して何も言うまい、と決意しました。
9月に北海道で大きな地震があり、偶然にも台風も重なって我が家は長く停電が続き、そのような中でもロウソクを灯して受験勉強をしていました。それから少ししてずっと仲良くしていた友を病により失い、メンタルも体調もボロボロになり満足にモノも食べられない状態になりました。さらに追い込みの12月24日に私が突然腹痛と高熱で寝込むことになり、どうしようもなくなって病院に駆け込むと虫垂が破裂している(虫垂炎)と言われ、29日に緊急入院となりました。共通テストの直前まで入院することになり、応援どころか逆に足を引っ張るダメな父親になってしまいました。どうしてこんな大切なときに虫垂炎になんかになるの、と妻に叱られました。今だからいろいろなことを想い出します。
長男がどこの大学を目指しているのかすらわかっていませんでした。妻とはいろいろ話をしていたようですが、私には一切話をしてくれませんでした。弘前大学に合格した日に初めてそうなんだ、と知ったわけです。何を暢気にと思われるかもしれませんが、実は非常に悪さをする虫垂炎で、一度退院してからというもの3月末の手術になるまで大変なことになり、長男の大学云々を考える余裕すらなくなる生活をしていました。しかも4月から管理職に、そんな大変なことも私自身抱えていたわけです。自分のことだけで手一杯で長男どころではなかったわけです。
長男の受験から、自ら「こうしなければならない」と気付き努力している子どもに対して、親として思うところがあったとしても、私は「何も言うまい」、つまり子どもの思いを「尊重してあげる」ことが極めて大切なんだということを経験的に理解しました。がたがたモノを申したら成功することも失敗につながってしまう・・・それが私なりの結論です。
我が家のどうでもいいような昔話をさせていただきましたが、1月から3月までの受験シーズンは、子どもたちにとって(保護者等にとっても)経験したことのない緊張であったり、大きなプレッシャを抱える時間になります。私たち大人のようにさまざまな人生を巡ってきた者にとっては簡単にやり過ごせることでも、十代の子どもたちにとっては全力で挑戦する一大事。最大の挑戦です。その時に親として何を語り何を伝えるか - 私の経験が何かのお役に立てばいいなと思って書かせていただきました。
「今度家庭クラブの代表になりました〇〇〇〇です。●●●●です。ちぎり絵カレンダーを作りましたのでどうぞ」2名の女子生徒が役員に就任した報告とカレンダーを持って校長室にわざわざ足を運んでくれました。教職32年、多くの学校で多くの生徒を見てきましたが、生徒が校長室を訪ねる(形式的なことは除いて)という話を聞いたことがありません。節度を持って来てくれる本校の生徒は本当に素晴らしく可愛らしいです。いつもありがとうございます。本校に勤めることができて本当に幸せです。
2名にお願いです。3年次生が卒業し、今度はあなたがリーダになります。今の活動がその下の代までずっと続いていくように、1年次生、さらにこれから入学してくる新入生への御指導をよろしくお願いいたします。
私は校長室に来てくれた生徒と必ず写真を撮るようにしています。今年度ずいぶんたくさんの生徒と写真を撮りました(こうしてホームページに掲載することも快く了承してくれます)。担当の先生に行っておいでと言われたのか、生徒同士で盛り上がってちょっと行ってみるかとなったのか、まぁまぁどちらであっても嬉しいですよね、こういうことは。
「ねぇ、どうする、ピースでもする?」生徒同士の日常会話的な話が聞けることを個人的な楽しみにしています。この場所でピースなどしていいのだろうか・・・迷いや冒険心からもう一步踏み込んでみたい気持ちでこそこそとやりとりしている姿に心が和みます。「ピースでもポーズでも何でもいいんだよ」と私はいつもそうした言葉を返すようにしています。せっかくの機会だから整然と並んだ写真よりありのままの姿で写って欲しいのです。
生徒を見る視点が昔と大きく変化している自分を感じることが多くなりました。1回目の担任は生徒と9つ違いでしたから友達、お兄さんとしての感覚。2回目と3回目は私自身が父親になった時でしたから兄であり父親、時に友人でもあり。4回目は自分の子どもとしての感覚がすごく強くなりました。5回目は自らの子どもと同じ世代に差しかかっていたので家族としての感覚が強まりました。勝手にそのような思いで人間付き合いをしてきましたから、生徒にしてみるとなんだなんだこの人なんか違うぞ、となっていたかもしれません。
では今は・・・とっても表現が難しいのですが、生徒すべてを寛容に受け入れられる、そうした感覚です。保護者等の気持ちまでを包み込んだものの見方と受け止め方になっています。知らないうちに自然にそうなってしまいました。どれほど可愛い存在なんだろう、宝物で大切な子どもなんだろうな、そこから物事を出発させている自分がいます。立場がどうしたではなく、自らの子どもたちが家を出て妻と二人だけの生活となり、歳とともに自らのライフスタイルが変化しています。そうしたことが影響しているのか、子ども(生徒)の大切さに思いを馳せる日々が続いています。歳をとっていくことへの戸惑いはありますが、自分の中で教育観が変化していくおもしろさを実感できていることを考えると、歳をとることもまんざらでもないと思ったりしています。
ちぎり絵カレンダーは私の真後ろにあるキャビネットに並べて貼りました。
1日に卒業した本校3年次生からのことば(原文のまま)です。北海道教育委員会がとりまとめたアンケートから抜粋しました。私が書いたり話をするよりも、すごく現実味があってすごく説得力があります。是非、お読みください。
●とりあえず挑戦しよう
●将来が決まってないなら総合学科に来た方がいいなぜなら自分がそうだったから
●様々な分野を専門の講師が具体的に説明してくれるので、資格、進路選択に活かせる
●もし、中学校卒業時点で将来どんな仕事についていたいかまだ見つかっていないという人は、総合学科の学校に行くと自分のやりたいことや特技が見つかるので進路に迷ってるならオススメします。
●進路に迷っていたら、とりあえず総合学科に入ると色んなことを学べ経験ができる
●自分にあったコースを見つけることができ、資格を取って進路活動に活かせる。
●就職をしたくても進学をしたくてもどちらにでも悩まず進むことができて、自分が将来どのような進路にしたいかが決まっていない人にすごいいいと思います。または優柔不断だったり色々な資格を取りたかったりする場合にもおすすめだと思います。
●学びたいことをしながら、片手間で他のことについても学べる
●さまざまな科目があるから、就職・進学先は明確になりやすいかもしれないが、進学で学科試験がある人は、本当に努力しなきゃいけないです。
●まだ将来のことが全く想像つかないひとにおすすめ
●どんなことがやりたいかわからなくても、やりたいことを見つけるのに最適な学科
●じぶんに見合った進路を見つけれるようにがんばってください
●高校卒業後の進路が明確じゃなくても総合学科の高校に進学すれば色々な科目を学べてたくさんの資格が取れ、たくさんの資格が取れるから進学・就職どちらにも強い
●自分に合った専門科目を学べるので、高校卒業後の進路に活かせます
●学びたいことが学べるためよい
●勉強があまり好きではなかったりテスト勉強が苦手である人や進学を前提に考えている人。専門的なことを学びたい人、自分に合ったものを見つけたい人などには総合学科はとてもいいと思う。高校選びはとても人生において重要であるし、自分の人生を選ぶ中で選択肢が広いこの学科は適していると言えると思います。
●総合学科は自分にあったやりたいと思える学科を自分で選択して楽しく授業を受けることができるよっていいます言います。
●やりたいことが決まっていなくても二年生からの選択なので時間に余裕があっていいよ
●進学と就職の両方を考えることができる。幅広い分野で学べて自分のやりたいことが明確にわかると思う
●進学と就職の両方で迷っている人は総合学科だとどちらも先生が対応してくれたり相談に相談に乗ってくれるとこところが良いなと思う。選択科目が充実している分、進路に合わせてしっかり考えて選ばないと後々後悔することもあるので、慎重に選んだ方が良いと思う。
●自分がやりたいこと興味のあることを学べる
●まだ将来のことが決まってなければ総合学科は考える時間ができておすすめ
●色々まなべる
●体験授業で、自分の向き不向きを知ってからどの分野を学ぶか決められる点
●総合学科の高校は自分の興味のある分野を学べたり出来るし、高校卒業後の進路が決まっていない人でもじっくりと考えて決めることが出来る。
●高校1年目はまだ何がやりたいのかわからないと思うので、先生の話など、それぞれ違う学科の先輩に話を聞いたりしてしてみてほしい。私は部活に入ることでいろんな先輩と関われた。
●勉強が苦手なら総合学科を選んで自分の興味のある学科を選んで授業を受けた方が意欲的に出来ると思った
●自分が進みたい進路が定まっていても、いなくても自分の興味関心や引く授業が選べるため将来について着実に進めていける。
●総合学科は必須科目だけではなく、農業や家庭、工業の中で自分の進路に合った科目が選択でき、楽しく学ぶことができる。
●総合学科は選択肢が決まってない人などが探す際にとても適しているからそういった人にオススメできます。
●まだ進路が明確に決まっていないのなら、就職も進学もできる総合学科がおすすめだと思う。自分の頑張り次第でいろんな選択肢が見えてくると思うよ。
●総合学科なら色々なことをまなべるという
●自分の将来に合った科目を複数選択することができるので後悔しない三年間を過ごすことができます
●中学校のうちから大学に行きたいと思うなら普通科高校に行くべきだと思うけど、まだ未定なら総合学科に入って体験授業などを通して興味のある科目選択をして進路を選ぶべきだと思う。
●高校入学する前に進路を明確にし、1~2 年間その進路が正しいか判断するために生活する。その手助けに総合学科がいいのかもう一度じっくり考えるとよりよい学校生活と進路活動ができると思う
●総合学科は自由度が高くて、もしも苦手があっても、選択内なら違うものを選択できるし、案外系列ごとで深まる関係というのもあったりする。
●進路が決まっていなくても入学してから決められる点
●やりたいことが特にない人ほどおすすめできる。変に普通科や専門性のあるところに進んでしまうと興味のないことに三年間取り組む地獄が待っている可能性が高い。
3年次生、ありがとう!!
12日(木)、美唄市立東中学校の卒業式へ。教頭先生は美唄市立美唄中学校の卒業式に出席していただきました。
式典が終わりに近づき、ステージ前に卒業生全員が並び代表生徒が一人前に出ての答辞。自分の想い、そしてみんなの想いをありのままに、自分の言葉で静かに語る姿に私は心底感動し涙が止まりませんでした。13、14、15歳を全力で生きてきた、その3年間が会場にいるすべての人に伝わる感動的なお話でした。
目頭を押さえる女の子、溢れ出す涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らす男の子、笑顔から急に泣き顔になった女の子、目を真っ赤にして涙を拭う男の子。そして、入場から式典が終わるまで涙を流し続けた担任の先生。ハンカチで目元を押さえる校長先生・・・それぞれの想いが心の中を駆け巡るから心が震え涙が込み上げてくるのです。何にも代えがたい涙。寂しいけれど幸せで嬉しくて美しい涙。人生にこうした一日があるのは本当に素敵なことです。
涙の担任の先生を見ていると、自分が担任として巡ってきた5度の卒業式を想い出してしまいました。先生の気持ちが痛いほどわかります。一粒一粒の涙の意味が私には手に取るようにわかります。愛情の数だけ涙が溢れる。あぁ、担任として生徒と一緒に過ごしたい・・・教師としての原点を思うとともに今や叶わぬことを真剣に考えている自分に戸惑いを感じたのも事実です。感動的な卒業式を見た今日くらいそういう気持ちになっている自分を許してください。
卒業生の合唱、全校での合唱で式典は締めくくられました。みんなで想いをひとつにできるのは合唱の醍醐味であり、大きな魅力だなと改めて思った次第です。声を合わせるっていいですよね、とても。いつまでも聴いていたい、歌の終わりを聴きたくないと正直思いました。終わると、もうお別れ。だから終わらないで、と。
卒業生の皆様へ。いつもお別れだけではありません。お別れがあれば出会いがあります。人はそれを繰り返しながら生きていく。私自身中学3年生の時には考えもしなかったことだけれど、いつの間にかそうしたことに気付きここまで生きてきました。寂しさの裏に楽しさがあることだけはこの場で伝えさせてください。
お別れの時、始まりの時、その一つひとつを大切にしたいものです。
美唄市立東中学校の3年生、美唄市立美唄中学校の3年生の皆様、そして保護者等の皆様、本日は誠におめでとうございます。また、卒園、卒業を迎えられたすべての皆様、おめでとうございます。
素敵な人生を!!
私の中での区切り。昨夕、見ないままにしていた今年度の卒業アルバムを開きました。満面の笑みにピースサインの高校生が私の心をやわらかくそして穏やかにくしてくれるのだけれど、見ているうちにじんわり涙が出てきてしまい、ひとり校長室で感傷的になってしまいました。どんどん涙もろくなっている自分を感じます。どうしたものか・・・考えても仕方ないのですが。
そこには私の知らない2年間の姿を見ることができました。全員がマスクの入学式。マスクの宿泊研修。一人ひとりアクリル板で間仕切られたテーブルでの食事。それは彼らだけに与えられた制限ではなかったけれど、ずいぶんと不自由で窮屈なスタートだったということを物語っていました。マスクのないクラスメイトの表情が見られたのは途中から。彼らはどのような思いである日突然マスクを外したのか。そうしたことを考えるだけで胸にじーんと迫ってくるものがあります。
教室での授業、見学旅行、学校祭、運動会に体育祭。一コマ一コマに彼ら一人ひとりの高校生があります。長い長い人生のどこかの場面でいつかこの卒業アルバムを開くことがあったのなら、写真の中の自分の姿に自分の中の高校生を想い出して欲しい。目の前の時間を止めて、この時の自分は、とゆっくりゆっくり高校生の時間を振り返って欲しい。
前を見て進むことだけがすべてではありません。私は7割8割は過去を懐かしみ過去に思いを馳せてばかりいる人生です。逆に言うとそれがあるから前に進めるとも思っています。過去に戻ることはできず未来に飛ぶこともできません。果たして自分の現在地が確かなモノになっているか - 過ぎ去った日々を振り返ることでその答え合わせができる、そうした経験が私には多々あります。自分の足跡を確認することを大切にしています。
3年間の担任業務を終え、入学者選抜に係る業務が続く毎日。あの日、私は担任だけに与えられる職員室(学年室)で生徒指導要録を作成していました。異動することも決まっていて、家に帰れば引越の段ボール箱に囲まれた慌ただしい生活を送っていました。
14時46分、今までに経験したことのない揺れが突然襲ってきて、いったい何が起こっているのかわかりませんでした。一瞬目に入った窓の向こう側。グラウンド袖に立つ夜間照明の鉄塔はすべてが倒れんばかりに左右に首を振り続け、野球グラウンドはぐにゃっとうねっていました。それを見てこれはただ事ではないと思いました。とんでもない地震が発生していることを理解するまでにかなりの時間を要しました。たまたま午前授業で校内には教職員だけしかいませんでした。600人を超える生徒が校内で授業を受けていたら、相当違った展開になっていただろうと思います。
あの日からしばらくの間、当時勤めていた学校はどのような対応や対策をしたのか - いくら考えても想い出すことができません。海岸まで1キロメートルに位置していた学校です。管理職の指示の元で行動したのは間違いないのですが。どうしてそこの記憶がすっぽり抜けているのかわからないのです。
私が住んでいたところは直線距離で海まで500メートルでした。住まいの周辺では避難を呼びかける車がひっきりなし走っていました。どれだけの住民が高台の避難施設に向かったのだろう。少なくとも私を含め近所の方は避難していませんでした。
あの日から15年。人の命を預かる者として危機管理のアンテナをさらに高くしなければならないと思っています。朝から危機管理マニュアルを確認しているところです。
一目惚れした名刺ケース。今年度の自分への御褒美。私の宝物です。
私は着るモノ、履くモノ、身に付けるモノに強いこだわりを持っていました(一部、現在進行形ですが)。毎月ファッション雑誌を買って、流行りの動向をチェックし品定めを楽しむ高校生でした。高価なモノというのではなく身の丈に合ったモノ。人とは異なるモノ。自分だけ感があり尚且つお洒落なモノ。アルバイトで貯めたお金を握り旭川や札幌によく出掛ける、そんな高校生活を送っていました。現在はその片鱗すら残っておりませんが、靴や腕時計、鞄や小物類に今でも気持ちがそそられるのは、間違いなく高校時代のなごりです。
人からどのように評価されているのか - 三十代前半までずいぶん気にしていましたが、そうしたことが良くない精神状態を作り出していることに気付き、それ以後いちいち気にしない自分づくりに勤しみました。「自分に嘘をつかず誠実に向き合い人に迷惑をかけない」そのことだけを考えてきました。それは現在も変わりません。もしもそうしたスタンスが評価されるのだとしたら、それはずっとずっと先のことであり、私の知らないところでいつか誰かが評価するのだろう、と思っています。自分が何かを全うした先に誰かの評価がある。そう考えるようにしています。
そういう私ですが、自分で自分を評価することは大切にしていて、その中でも一年にひとつ「よくやったよな」と思えることに対して自分への御褒美を忘れないようにしています。思い通りにならないことばかりですが、努力して達成できたことは仕事に限らずプライベートを含め必ずひとつはあるものです。そのひとつをしっかり評価して御褒美を与えています。
40歳から年に一度の御褒美を続けているのですが、継続している理由はそうすることがさらに自らのモチベーションを高め、次に向かうエネルギーに繋げられていることを経験的に理解しているからです。自分を大切にすることで次の一步に踏み出せる、私はそう考えてここまで生きてきました。特に不自由さを感じたことはありませんから、これからも続けていきます。
さて、私の御褒美のコンセプトは、決して背伸びをせず、見栄を張らず、あくまでも身の丈に合ったモノ、そしてあまり人が持っていないモノ、です。この名刺ケースはどこにもない個性的な一品でとても素敵です。何とも言えない手作り感とデザイン性が私の気持ちをいつまでも飽きさせません。
肩書きのある人生も残すところ5年となりましたが、その5年間をともにする名刺ケースです。5年後、最後の役割を終えたあとに子どもに譲ろうと考えています。
3月1日の卒業式が終わって、午後の1時過ぎ。とん、とん、と校長室の扉がノックされました。
「バレンタインデーの日に何も渡せなかったので、校長先生に今日渡そうと思って昨日作りました」そう言うと紙袋の中に手を入れラッピングされたクッキーが私の前に。「もうこれで高校生活が全部終わりました。最後になりました」少しだけ寂しそうな表情に目元はうるんでいました。「何かあったらまたいらっしゃい。いつでも来ていいのだから」私がそう言うと「わかりました。ありがとうございました」と頭を下げ彼は校長室をあとにしました。気持ちが優しくおっとりしていて、笑顔の可愛らしい礼儀正しい生徒でした。
私は教育に関してはウェルカムのスタンスですから、32年間来る者拒まずで生徒と接することを信条としてきました。教師と生徒と言えども人と人ですから、すべての生徒が私に懐き近寄ってくるということはありません。一定の距離を保ちたい、本当は行きたい、一人では近寄れない、もう少し信頼できる人か見極めてから・・・生徒それぞれに事情はあります。そうした生徒は長年の経験と勘でわかります。ここぞと思うときに私からこっそり寄っていって声をかけてあげるなど、工夫を凝らしながら接するよう心掛けてきました。無視はしない、無理はしない、無駄にしない。ただ、気にかけてあげる。ただ、見てあげる。ずっとそうしてきました。
管理職になると生徒と遠くなってしまう・・・多くの校長先生にお声掛けいただいたとき真っ先に思ったことはそれでした。60歳で退職するとき自らの教職の締めくくりを卒業生の担任として終えたい - 教師になった最初の日に決意した自分への裏切り。このことが私の決断をいつまでも遅らせた最大の理由でもありました。
紆余曲折の末に管理職に転向したとき、立場は変わるけれど自らの信条を崩す必要はないんだ、と心に決めました。それが正しいことなのかどうかはわかりませんが、一人の教師として信条を捨て去る必要はない、そう思ったのです。ただ、担任や教師を超えないように一步も二歩も下がって控えめに控えめに。
卒業生の担任として、という私の中での決め事は残る5年の教職人生で叶えることはできなくなりましたが、管理職としての生徒との関わり方については、現在もそうですが7年間ずっと思いを巡らせています。それは私にとってとても楽しい時間でもあります。生徒から学ばせてもらうこと教えてもらうことがたくさんあり、いつも私の経験値を上げてくれます。大変ありがたいことです。立場が違っても関わり様は多岐にわたっている、これが私の経験から言えることです。
躓いたとき、話を聞いて欲しいとき、ふと本校の先生方の顔が浮かんできた・・・そうしたら思い切って学校に足を運んでください。美唄尚栄高校が自分の立ち位置を確認したり見直したりできる場所であっていい。私はそう思います。
3月4日(水)及び5日(木)は入学者選抜に係る学力検査と面接のため、更新を控えさせていただきました。
子どもたちの周りではみんなスマートフォンを持っている - そうしたことは妻との会話やランニングチームの仲間からよく聞く話でした。以前は高校生から、それが小学生や中学生にまで下がってきている・・・持たせることは簡単なことではありましたが、私と妻との間で「高校に合格したら持たせよう」と決めていましたし、子どもたちもそれまで我慢するしかないと思っていたはずです。今考えると、一日でも早く持ちたかったんだろうな、と思ったりすることはあります。長男にもそうしましたから、当然2学年下の次男にも同じようにしました。次男の世代はおそらくほぼ全員がスマートフォンを持っていたのかもしれません。
私立高校の合格は2月下旬にわかっていましたが、公立高校が第一志望でしたから、3月中旬の合格発表で桜が散った日は長男は泣き崩れ、「恥ずかしい、情けない、行きたくない」と部屋に閉じ籠もりました。「何がっ、恥ずかしいんだっ」と喉元まで声が出かかりましたが、それはここで言うべきではない、と私は自らをぎゅっと抑えました。抑えたはいいけれど、感情の高ぶりはなかなか収まりませんでした。
このまま自分が家にいると良くないな、と考え、そそくさとジャージーに着替え、ジャンパーを羽織り、無言でランニングシューズを履いて外に出ました。あとのことは妻に任せようと思ったのです。あの晩、私は長男のことを考えるとともに父親としてこのあと何をすべきか、ただそれだけを考え、2時間ほど外を走っていました。あの2時間で考えていたこと -
私の転勤の都合で、小学5年生への切り替わりのタイミングで無理矢理新しい学校に転校させることになりました。引っ越すギリギリまで転校なんかしたくない、とめそめそ泣いていました。一緒に風呂に入った次男から、「いい考えがあるぞ、お父さんだけ札幌に行け」と言われもしました。子どもたちが納得するまでには結構な時間を要し、私は子どもたちにとって一時敵同然の存在でした。
新しい環境になって少ししてから「なんか勉強しないとヤバいかも。前の学校と違ってのんびりしていられない感じがする。だから塾に行かせて欲しい」そう言った長男。私は何で小学生から塾なんだという怒りにも似た思いと、でも自分で考えて必要なんだと言った長男の気持ちを認めてあげないと、という複雑な思いの中で妻とどうするか話をしました。
長男なりに転校してから今日までの5年間、焦りやプレッシャーを抱えながら受験を迎えたということ。転校させなかったらこんな思いをさせなくて済んだのかもしれないということ - 過去に遡って考えるとそもそもの原因が私の都合にあったのではないか・・・
結局、私は手紙を書いて渡すことに決め、家に帰ったあと自室で夜遅くまでペンを走らせました(このことはずいぶん前にも書きましたので割愛します)。その手紙を渡したあと長男はいつもの顔に戻りました。「よし、今から約束のスマートフォンを買いに行くぞ」と私が言うと、長男は「わかった」と言い服を着替えました。これでいいんだ、ここから始まるんだ、と私は一人納得したのです。
高校受験を迎えるとき、私はいつもわが家の顚末を想い出します。おそらく残り5年間この仕事に関わっている間は間違いなく想い出すだろうと思います。これも長男がくれた家族の大切な想い出です。
受験生の皆さん、長きにわたる受験に向けた学習、大変お疲れ様でした。
しーん、とした教室
しーん、とした時間
ここからスタートした8時35分
もうここで教科書を開くことも
もうここで向き合ってお弁当を食べることも
もうここでスマートフォンの画面を覗くことも
ありふれた日常は
すべて想い出の中へ
ここで終わる15時25分
もうここで教科書をカバンに詰め込むことも
もうここで空になったお弁当箱を持つことも
もうここでスマートフォンで音楽を鳴らすことも
ありふれた日常は
すべて想い出の中へ
3月3日の朝。玄関の出迎えが終わり、2階のフロアを歩きました。しーん、と静まりかえった教室に入ると、行儀良く並んだ机にまるで時間が止まったような感覚を覚えました。人がいなくなる寂しさとはこういうことなんだろうな、としみじみ感じています。
卒業アルバムの後ろに真っ白なフリースペースが設けられたのはいつからなのでしょうか。卒業式が終わったあと何人も校長室に来て、「ここに書いてください」とお願いされました。笑顔の生徒、涙を流す生徒・・・一人ひとり思いが私には伝わりました。
皆さんに出逢うことができて本当に良かったです。
皆さんに出逢わせてくれた縁に感謝の意持ちでいっぱいです。
式辞
「第15回北海道美唄尚栄高等学校卒業証書授与式」にあたり、PTA会長 〇〇〇〇様、同窓会長 〇〇〇〇様をはじめとする御来賓の皆様と保護者等の皆様の御列席を賜り、本式典を挙行できますことは、私ども教職員にとって大きな喜びであります。本日、御出席いただきましたすべての皆様に、教職員一同心より感謝申し上げます。
ただいま、卒業証書を授与した卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。
皆さんが手にした一枚の卒業証書には、入学してからの3年間、1,095日の歩みが刻まれています。自らが積み重ねてきた努力、葛藤、悩み、そして喜びのすべてが凝縮された、大変価値あるものです。現在の皆さんは、三年前の入学式とは比べものにならないほど逞しく成長し、自信に満ちあふれています。その成長を心から誇りに思います。
特色ある総合学科高校で自らの進路実現に向けて学びを深めながら、部活動で汗と涙を流し、放課後の教室で友と語り合い、各種行事における団結等をとおして社会性を身に付けてきた数々の時間は、人間を形作る大切なピースとなるとともに、その時間はすべて本校の歴史として刻まれました。目標に向かって努力し、時には壁にぶつかり、それらを仲間と共に乗り越えてきた経験は、これから皆さんが歩む長い人生において、折れない心の支えとなるはずです。どうか、自信を持って次のステップに進んでください。
さて、生徒玄関に掲げた書を皆さんは毎日目にしてきました。〇〇教諭が書道展に出展した作品です。私はその力強い言葉に惹かれ、それがRADWIMPS(ラッドウィンプス)の野田洋次郎さんが書き下ろした「正解」という楽曲の一節であることを知りました。生徒に近いところでメッセージを発信したい、その気持ちで作品をいただきあの場所に掲げました。「答えがある問いばかりを教わってきたよ そのせいだろうか 僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない」この一節は、正に今を生きる皆さんの心の代弁であり、同時に強烈なエールであると受け止めました。「いつも正解などまだ銀河にもない」この言葉を、どうか皆さんの胸に深く刻んで欲しいです。
これから足を踏み入れる社会は、かつてないほどの速さで変化を続けています。デジタル技術の飛躍的な進歩、生成AIの台頭、そしてグローバル化の進展。これらは私たちの生活を便利にする一方で、昨日までの「正解」が、明日には通用しなくなるような、予測困難な時代をもたらしています。このような「正解のない時代」の中で、戸惑いや不安を感じながら生きていくことになります。しかし、変化とは、見方を変えれば「新しい可能性」そのものです。古い枠組みが取り払われ、個人の創意工夫や熱意が、これまでにないほど大きな力を持つ時代が来ているということです。私から皆さんに大切にして欲しいことを2つお話します。
1つ目は、「問い続ける力」です。「なぜそうなるのか」、「本当にこれでいいのか」という疑問を持つことが重要です。北海道という広大な大地は、かつて先人たちが未開の地に挑み、試行錯誤を繰り返しながら切り拓いてきた歴史があります。皆さんも、「当たり前」を疑い、自らの頭で考え抜くことを恐れないでください。最適解を導き出すのは皆さんです。
2つ目は、「他者への共感と対話」です。多様性が重んじられる社会では、自分とは異なる背景や考えを持つ人々と協働することが不可欠です。「正解のない問い」に立ち向かうとき、最大の支えとなるのは仲間です。本校で育んだ6つの力(思考力、自己肯定力、意思疎通力、行動力、創造力、発信力)を発揮し、新しい価値を共に創り出せる大人になってください。
本校で過ごした3年間で、皆さんは時にぶつかり、時に励まし合いながら、友情を育んできました。その経験こそが、財産です。相手の立場に立って考え、対話を通じて新しい価値を創造できる、心豊かな大人であって欲しいと願っています。
最後になりますが、保護者等の皆様におかれましては、今日まで、深い愛情をもってお子様を育ててこられ、立派に成長されたその姿に、感慨もひとしおかと存じます。改めてお祝いを申し上げますとともに、これまでの本校への多大なる御理解と御協力に、深く感謝申し上げます。
卒業生の皆さんは、ここまで自身の成長を支えてくれた保護者等並びに多くの方々への感謝の気持ちを忘れずに生きていってください。
いよいよ別れの時です。皆さんが去った後の校舎は、寂しくなりますが、皆さんの新しい門出を祝し、豊かで幸せな人生を歩まれることを祈念し、式辞といたします。
令和8年3月1日 北海道美唄尚栄高等学校長 日下 剛
20日、2名の生徒が校長室にやってきました。授業で作ったお菓子をわざわざ届けてくれました。ありがとう。持って行ったらと言われたのか、持って行こうとなったのかはわかりませんが、私はこうして校長室に来てくれるのが何よりも嬉しいです。
前にも書きましたが、次男が「そもそも校長先生の顔も名前も知らないわ」と私に言ったことがあります。普通はそうなんだろうと思います。8間口生徒数960人の高校であれば、一度も話をしたことのない先生がいても不思議ではありません。ましてや校長、教頭と会話をすることなどなくて当たり前です。私も高校時代の校長先生の顔と名前が一致しません。そんなものだと思います。
本校はこぢんまりした学校ですから、生徒との距離がとても近く、突然話しかけても生徒は驚くこともなく返答してくれます。コミュニケーションが円滑であることが一番いいところだと私は思っています。
教諭時代の自分が抜けきらなくて、自分から生徒に話しかけることが多いな、と反省しています。ただ、闇雲に声をかけるのではなく、生徒一人ひとりの表情等を見て私の中できちんと整理しています。この仕事に就いてからは、特に意識している(染みついているのですが)ことです。
顔色を見る - 私は物心ついた頃から父親の表情(顔色)を意識した生活をしてきましたから、おそらく誰よりもそこのアンテナは高いと思っています。それがいいことなのかどうかは別の話になりますが。
美唄尚栄高校での私の1年がまもなく終わりを迎えます。日々の出来事や思ったこと感じたことを一枚の写真を付けて校長の小部屋に綴ってきました。読み返すことはしていませんが、パソコンに保存したファイルを数えたら、4月から本日まで177回アップしてきたようです。中身のない話でも、塵も積もれば山となります。
いつもお読みになっていただきありがとうございます。
3月1日の卒業式まであとわずか。その式に向けて1,2年次生がピアノ伴奏で校歌を歌っています。あらかじめCDに録音した音源を流し、校歌をみんなで歌う - そのような校歌斉唱もある中で、味わいがあっていいものだな、と思いながら聴かせてもらっています。
本校は科目「音楽」を設置していないため、校歌を歌うのは全校集会と儀式の時だけです。メロディラインはわかっていても、歌詞を覚えるまでには至っていないというのが現状です。歌詞とメロディは当サイト学校紹介のコンテンツで紹介していますので、是非アクセスしてください。心に染み入るきれいで流れるような詞が綴られており私は大好きです。
教頭としてお仕えした校長先生に今後の我が身の在り方を御相談させていただいたときの話になります。「先生がこの先校長に採用されて、そうなれば卒業式で卒業証書を渡すことになるけれど、生徒が階段を一步一步上がってきて自分の前に立ち、ぐっと顔を上げたその瞬間に見せる生徒の表情を是非見てもらいたいんだよ。その表情を見ることができるのは校長だけだから。私はそのときに自分が校長になって良かったなと思えるんだよ。先生にはそれを是非その景色を見て欲しいと思っている」
自分の器、自分の性格、自分がこの先目指すもの、残された教員生活の締めくくり方、教頭職と校長職、絶対に譲れなかった自分の中での決め事・・・教頭として5年目を迎え、私はこれからの生き方について深く深く考えるようになっていました。私の気持ちを受け止めてくれた校長先生からは本当に多くのアドバイスをいただきました。気持ちの整理をつけるまでにはかなりの時間を要しましたが、振り返るともうそこには感謝の言葉しかありません。
校長先生が仰った「是非見て欲しい景色」その日が近づいています。そのとき私は生徒一人ひとりの表情から何を受け取り何を思うのだろうか・・・緊張もしますが楽しみでもあります。
雪解けが一気に進みました。主要な道路は乾いた舗装が見えています。陽射しも春を感じさせるものに変わってきました。真っ白だった校地内も雪がわずかに残っている、そのような感じになってきました。
私には十分すぎるほど多かったのですが、職場内で雪の話をすると今シーズンの美唄の積雪はずいぶんと少なかったようです。毎朝毎夕10センチ以上の積雪があり、雪かきするのが苦痛でした。例年はこんなものではない・・・豪雪地帯恐るべしです。ただ、ありがたいことにここ10日間ほど雪かきをしていません。この調子で春に向かってくれるといいのですが。
昨日の午前中、札幌で打合せがあり、午後の遅い時間に美唄に戻りました。札幌市内も路肩にこんもりと積み上げられた雪が嵩を落とし、歩道を歩く人の姿を運転席から確認できるようになりました。
お昼過ぎ、制服を着た女子高校生数名が嬉しそうに手を取り合い横断歩道を渡って、そのままファストフード店に入っていきました。この時間にどうしたんだろ、とは思いましたが、おそらく先生方の会議等により午前授業になったのでしょう。異なる制服を着た高校生の姿もありましたので、どこの学校もこの時期ならではの状況になっていると思われます。先生方は忙しいけれど、生徒の立場からするといつもより早く帰宅できる、何だかそれだけで嬉しいですよね。わかるような気がします。
本校も年度末を迎え会議が立て込んでいますし、入学者選抜試験等の準備で慌ただしくなっています。生徒の皆さんには、短縮授業等で落ち着かない状況になり迷惑をかけますが、校内外の生活に十分気をつけてお過ごしください。
3年間使い続けてきた下駄箱
同じ場所に出し入れしてきた上靴と外靴
もう二度とは戻らない高校生の自分
さよならの日が近づいている
出会いと別れ
笑顔と涙
ある日は手をつなぎ
今日突然仲がこじれ
雨に打たれて帰った日
吹雪の中で髪を濡らした日
すべてを共にしたリュックも
今はすっかり色褪せて
右手になじんだお弁当も
今日でおしまい
口げんかで家を飛び出した日も
あの人に会える朝を楽しみに歩いた日も
一步一步
一日一日
下駄箱だけは待っていた
そこに変わらず立っていた
ありがとう
今までどうもありがとう
本日、3年次生は中間登校日。今まで使ってきた下駄箱の清掃を行いました。きれいになったことが、余計にお別れという現実を実感させるものになり、私はなんだか感傷的になっています。
今朝、夕張高校の熊谷校長先生が更新したnoteを拝見し、素晴らしい取組をなされているなと関心しました。実は不定期ではありますが、私も若手教職員とざっくばらんな話をするため、昼食を一緒にする時間を設けてきました。面と向かって一対一で話をするよりも昼食を摂りながらの方が会話も弾むだろうと考えました。私から堅い話をするのではなく、できるだけ言葉を引き出すことに心掛けてきました。成果はあったな、と個人的に思っています。
それであれば生徒とも。そう思って昨年秋に声をかけると早速お弁当を持ってやってきてくれました(写真は家庭学習に入る直前のもので、ホームページに掲載することを約束していました)。以後何度も開催していますが私はもっぱら聞き役です。でも、一番聞きたいことは「美唄尚栄高校を選択した理由」「美唄尚栄高校の魅力」「美唄尚栄高校の良さ」「美唄尚栄高校の改善点」「美唄尚栄高校で学んできたことに対する満足度」「美唄尚栄高校の今後」何となく話題を振って生徒の会話を聞いている、この時間は大変有意義です。生徒の思いを直接聞ける、これからの学校づくりについて考えさせられる意見がたくさん出てきます。かなり確度の高いヒントとして受け止め、そこに私のアイデアと合致する部分があるか否かをその都度整理させてもらっています。
担任業務を担っていたとき、たまにお弁当を持って教室に行きました。机を向かい合わせて生徒の会話を聞いている時間が大好きでした。朝はSHRが始まる相当前から教室に行き、入ってくる生徒の表情を見ながら他愛もない会話をして、放課後の清掃では話しかけてくる生徒の声を聞いていました。そこで出てくる話のほとんどは、別れた寄りが戻ったなどの彼らにとっては一大事の恋愛模様が主でしたが、一人ひとりが16歳17歳18歳の今を精一杯生きているんだな、と感じさせるものばかりでした。授業では見られない意外な一面、これをキャッチできる有効な時間であり、結局高校時代の自分と同じだな、ということに気付かせてくれる嬉しい時間でもありました。
ぽろっ、と本音が聞ける・・・その瞬間を私はとても大切にしています。そこには『信頼』が必要です。信頼される生き方は私の永遠のテーマで、信頼される生き方を目指しその努力を惜しむことはありません(なかなか辿り着きませんが)。誰も信頼しなかった十代にたった一人信頼できる佐藤先生がいてくれたことが今の私につながっている、それがあるからです。現在の言葉で言うならば「ウザい」それくらいいつも私のそばで声をかけてくれ行動してくれました。そうした中でぽろっ、と本音が言えた唯一の先生でした。この人がいてくれて良かったな、そのことに気付いたその気持ちを私は今でも忘れることはありません。
声を聞く - 大切なことであるのはみんなわかっています。その場面づくりをどうするかが大きなポイントです。私の実践がヒントになるかどうかはわかりませんが、いずれにしても、待っていても訪れない(先日も書きましたが)、これは明らかです。出しゃばらない程度にアプローチしながら、意見が聞ける有意義な時間を今後も作っていこうと思っています。
3年次生が家庭学習期間に入っており、校内は静かな毎日が続いています。2年次から興味ある科目を自分で選択して授業に参加するスタイルの学校ですから、10分間の休み時間は各教室に移動する生徒の動きがあり賑やかになります。足音、笑い声、楽しそうな会話などなど、1階の校長室にいる私の耳にも聞こえてきます。
秋が深まるまで校長室の扉を開放していましたので、移動途中にひょっと中を覗いていく生徒やわざわざ「こんにちは」と挨拶してくれる生徒がいたりして、楽しく過ごさせていただきました。冷え込みが強くなって以降は閉め切りです。早く暖かくなって扉を開け放つ日がくるのを一人楽しみにしています。
1月の校長会でお話しさせていただいたある学校の校長先生は、年間をとおして校長室の扉を開放しており、生徒が時折来室してお話することがあると伺いました。それを聞いて私も開けようとは思ったものの、目の前の玄関から流れてくる冷気には勝てませんでした。寒がりで冷え性の私にはやせ我慢でも厳しいものがあります。申し訳ないな、と思っています。
今朝、卒業生代表で答辞を読み上げる生徒が書いた原稿を読ませていただきました。そして先ほど今年度の卒業アルバム(学校保管用)が一冊届けられました。今、その卒業アルバムは私の手元にあります。私の知っている今年の1年、私の知らない2年間。どのような思いで3年間を過ごしてきたのか - そのことが伝わる言葉が綴られていました。そうだったんだな、と思えば思うほど胸に込み上げてくるものがあり、目頭が熱くなる朝になりました。
だから、私が彼らより先に卒業アルバムを開くわけにはいかない、と思いました。本来は見て点検、確認すべきなのでしょうが、それは教頭先生と担任の先生にお任せします。
私は、卒業式が終わったあとにゆっくり彼らの時間と足跡を追いかけることにします。
本日、株式会社道央メタル様の御協力により、メカトロ・エンジニア系列2年次生を対象とした技術講習を開催いたしました。美唄市のものづくり企業として、プレス、板金加工、機械加工、溶接・組立、塗装等の業務で御活躍されております。
本校のメカトロ・エンジニア系列では、機械系の実習の中で金属加工を行っていることから、自らの学びの先にある世界を知るきっかけになりますし、地元で自らの夢や将来の実現ができる、そのようなことも感じられたのではないかと思います。大変貴重な時間になりました。ありがとうございました。
実は美唄中学校の浅利校長先生が道央メタル様との御縁をつないでくださいました。その後、関係する教員が道央メタル様と面会、直接訪問させていただきながら、漸く本日を迎えることができました。
「縁」 - よく使う言葉です。そして、人はどこかで「縁」を感じて生きているような感じがします。人と人とのつながりに限ったわけではなく、物事のつながりをも含めた宇宙的で究極的な(上手く表現できませんが)何かを持ったものだと思います。ある人との出会いから次の人とのつながりを生む・・・御縁は大切にしなければなりません。
話は変わります。2040年(もうそう遠くない日)AI・ロボット分野に携わる人材が330万人日本で不足するとされています。不足すると世の中どうなるだろうということを最近よく考えます。小さなエリアで考えると、雪が積もっても除雪が入らない(重機オペレータ不足)、家を建てることが決まったが着工が遅れる(建築会社の人手不足)、道路が凍結により穴が開いている(工事に係る人がいない)、自動車が故障して動かない(見てもらうまでに相当な時間がかかる)、エレベータが調子悪い(則修理に来てくれず階段を使うしかない)・・・
昨今、人が足りない、それを担う人がいないと言う言葉をよく耳にするようになりました。課題解決の糸口が見えず、ますます不便で不自由な世の中になっているのを実感します。「父さんが育ててきた工業高校生って実はすごい存在だよね。大切にしないとこれからの産業が成り立たなくなるよね。働くようになってわかったわ」普通科高校、大学は文系だった次男が私に言った言葉です。気付いてくれたことが私は嬉しかったです。でも、気付くだけでは社会は成り立ちません。
本校は総合学科高校です。衣食住に直結する系列(私はそう考えています)を抱える本校での学びは間違いなく2040年の地域を支える力になります。その頃、あなたの年齢は30歳前半。社会の中の主役です。
技術講習の講師である工場長様の姿を拝見し、自らの手掛けたものが多くの人に喜ばれ、地域社会に大きく貢献しているんだ、という職人としてのプライドを感じました。
刺激を受けました。ありがとうございました。
※35万アクセス到達となりました。御訪問誠にありがとうございます。当サイトの他にインスタグラム及びnoteによる教育活動の情報発信も行っております。是非、御覧ください。
1月末、雪道を走っている最中、左耳にはめていたイヤフォンが外れ地面に落ちてしまいました。あっ、と思ったときにはすでに遅し。色は違えど雪と同色の白、スピードを上げて走っているのでここで外れたと考えられる位置まで5メートルほど戻り、その辺りを中心に探しました。
10分ほど探しても見つからず、私はその場から妻に電話をかけました。自宅からそれほど遠くない場所でしたし、二人で探せば見つかるだろうと思ったのです。電話を切ってまもなく前方から走ってきた女性のランナーが私の前に立ち止まり「どうかしましたか」と声をかけてくれました。「イヤフォンを落としてしまって探しているところなんです」と言うと、「じゃ、私も一緒に探してあげますよ、どんなイヤフォンで何色ですか、落とした場所はこの辺ですか」と腰をかがめ一緒に探してくれました。
「それはAir●●●●だから、もしかしたらスマートフォンの位置情報で見つけられるんじゃないでしょうか」と何かにひらめいたように女性が言いました。実は私このイヤフォン、この日初めて使ったのでした。何のことやらさっぱりわかりません。ランニングで自宅を出る前に、妻が「このイヤフォンでJAZZでも聞きながら走ってみれば、すごく音がいいんだよ」と貸してくれたものでした。初めて使って無くす・・・なんという日なんだと我を恨みました。
そうこうしているうちに妻が到着し、女性とはお別れしました。同じランナーであることを差し引いても全く知らない人のものを親身になって探してくれるとは。感謝しかありませんし、もしも逆のことがあったらなら私も女性のように探してあげる人になろうと思いました。
妻のスマートフォンの画面を手がかりに位置情報で探すと、確かに外れたイヤフォンが反応し点滅しています。こっち側に行くと離れてる、逆側に歩くと近づいているなどと繰り返し同じような話をしながら探していると、外れたと想定される位置から私が立ち止まった5メートル先よりも、さらに3メートル先にイヤフォンが転がっていました。物理的に言えば自分の運動している方向と同じ方向に物体も運動しているので、後方ではなく前方に転がっていったものと思われます。普通に考えればそうなのです。ただ、冷静さを失っていました。
実はこのイヤフォンは長男が大学を卒業し社会人(現在3年目)になって初めてもらった給料で妻にプレゼントしたものでした。だから妻は大切に使っていましたし、その姿を幾度となく見てきましたので、見つからなかったら諦めてまた同じものを買えばいいというものでもありませんでした。ふたつとない大切なイヤフォンですから、私も必死でした。まずいマズイこまった困った。長男の顔と妻の顔が交互に浮かんでは消え久しぶりに動揺してしまいました。
校長室から見えるグラウンドの様子です。今日の話とは繋がらない写真ですが、ふとイヤフォンのことを想い出しましたので書いてしまいました。
勤務を終えて借家に帰り真っ先にすることは翌日のお弁当を作ることです。そのあとに夕食を作って食べてランニング。これがルーティーンです。単身赴任が長く続いていますので、これが生活のリズムになっています。このリズムが崩れると案配が悪いです。
先日妻が札幌からやってきて、帰宅するなり冷蔵庫を空け鍋にお湯を入れ米を研ぎ台所で一作業始めた私を見て、「何してるの」「これから明日の弁当づくりする」「そんなの私が作ってあげるよ」「いや自分でやるからいいよ」「だって帰ってきたばかりでしょ」「いつもこうだから」知らない人が見ると私の行動はいささか不可解なのかもしれません。
弁当を自分で作って思うことは、作ってくれたお袋や妻への感謝です。当たり前ではないと頭ではわかっていても、そうされることが日常になると、やがてそのことについて考えることすらなくなってしまいます。私だけかもしれませんが。
そのような私ではありますが、これだけは一応感謝の気持ちとして続けていることがあります。結婚してまもなく30年になりますが、初めてお弁当を持たせてもらった日から食後に弁当箱を洗って返してきました。(これも私のルーティーンになるのだろう、と書きながら思った次第です。)
恥ずかしいのですが、本日のお弁当です。仕切りは経費削減と環境に配慮し一切使用していません。
先日に引き続き、第59回北北海道学生書道展において、『特選』を受賞した1年次生8名の作品(写真の一部を加工しています。)を掲載いたします。受賞おめでとうございます。
筆を持ち半紙に文字を書いた最後はいつだろう・・・おそらく高校での書道の授業が最後、だと思います。それが高校1年生だったのか2年生だったのかも定かではありませんが、そうなると37年か38年全く書道をしていないことになります。
この歳になって、週に一度でも書に向き合うようなことをやってみたいと思うようになりました。歳というよりも本校に勤務し生徒の作品にたくさん触れる機会が多くなり、かなりの刺激を受けていることが影響しています。書によって、私の大切にする『無』をもうひとつ増やすことができるのではないか、実はそうした思いもあります。
子どもたちが巣立ち、私も妻も自分を慈しむ時間をたっぷり持つことができる環境になりました。それまでできなかったことに向き合える新たなゆとりが生まれ、互いに干渉せず自分だけの時間を楽しむ、そのようなことを意識して生活しています。それぞれが自分の時間を大切にして生きていく・・・私の理想とする形が出来上がりつつあります。
『無』 - 何も考えずに、というのは困難なことで、私の『無』は、ただ走ることだけ、ただJAZZを聴くだけ、ただ本の世界に入り込むだけ、ただ写真を撮ることだけ、という時間の過ごし方になります。それ以外のすべてを排除する時間、排除できる時間を一日24時間の中に設け実践しています。
26歳から30歳後半までいろいろ苦しみましたから、自分を変える上でとにかく『無』を意識し、40歳あたりから意識せずとも『無』を実践できている自分を感じるようになりました。以後15年、現在もその状態は続いています。これってとても贅沢な時間だなと思います。
そうした中にもうひとつ書を入れられないか、と考えているわけです。そうすることで自分をさらに変えられるんじゃないかな、と思ったりしています。そんな甘いものではないっ、と書家に叱られそうですが・・・
どういう在り方が自分のウェルビーイングに結び付けられるのかはわかりません。ただ、私は誰かがそれを与えてくれるものではないと考えています。まずは、自分で自分のウェルビーイングを生み出していく、その努力が必要だと思っています。受け身ではなく自分から。子どもたちに求める学びと同じです。待っていても望んでいても自分の心には宿りません。まずは自分をウェルビーイングにできるものを見つけていくことが大切です。
生徒の作品からつながりのない私自身の話になってしまいましたが、授業としての書道から人生の趣味としての書道になると、それはそれで素敵だろうな。そういうウェルビーイングがあるな。そんなことを考えるとついつい楽しくなり、長話になってしまいました。
2月8日(日)旭川市民文化会館で開催された第59回北北海道学生書道展授賞式において、学校奨励賞をいただいてきました。
教科芸術において、科目書道Ⅰを履修している1年次生、選択科目で書道Ⅱを履修している2、3年次生の作品を出展し、団体賞として『学校奨励賞受賞』、『特選受賞』1年次生8名及び3年次生2名、『入選受賞』1年次生14名及び3年次生7名の結果をいただきました。ありがとうございました。そして、受賞した生徒の皆さん、おめでとうございます。
特選を受賞した3年次生2名の作品(写真の一部を加工しています。)を紹介いたします。高校生として最後の作品。保護者等の方はもちろんのこと多くの人に見てもらいたいとの思いで掲載いたします。
一文字一文字心を込めて書いている - 表現の仕方が適切かどうかわかりませんが、見えない力というか、何か強烈に訴えてくるものがあるというか、魂のこもったエネルギーのようなものを感じます。
会場には小学生から高校生までの作品がずらり展示されており、一つひとつ見ていく中で、文字、書く、ということについて深く考えさせられた次第です。私自身、文字を書くということを粗末にしてしまっています。反省することばかりです。
数多くある詞、その中で心に留まった詞を書く。今を生きる上できっと心の支えになっている大切な詞なのでしょう。私も高校時代を思い返すとき、そこにはそのとき聴いていた音楽がバックグラウンドミュージックとして自然に流れてきます。たった一節、その詞で救われ、心慰めてくれたり、崩れそうな心を支えてくれたり・・・そういう音楽と詞を私も確かに持っていました。
誰かの詞が誰かの心に留まる詞になる - 奥が深いです。
美唄市立中央小学校第4学年の総合的な学習の時間において、美唄市の特産品であるハスカップの加工について、製造から販売までを理解する取組が進められ、本校もお手伝いさせていただきました。フード系列でハスカップジャムの製造の手伝いを、商品販売に向けて情報通信マネジメント系列が瓶に貼付するラベルづくりの補助を担当いたしました。
6日(金)午後からコアビバイ様を会場に中央小学校4学年によるハスカップジャム販売会が開催され、会場には多くの地域の方が集まり、約70個のジャムはあっという間に完売となりました。製造からラベルづくり、そして販売までを経験した児童の皆さん大変お疲れ様でした。
また、販売の裏でポスターセッションも行われ、大きな声で一生懸命プレゼンをしている児童の姿も大変立派でした。私の小学生の頃を振り返ると、大勢の人の前で話をすることはできなかったです。恥ずかしいし緊張するし、話をする内容をまとめることもできなかった - そう思います。今の小学生はすごいです。
今年度、本校は市内小学校2校と中学校2校との間でさまざまな連携をさせていただきました。地域にある小中高の取組が今後も継続できるよう努力させていただきます。
5日(木)1、2年次生合同で分野別模擬授業を実施しました。『職業について正しく理解させ、望ましい勤労観や職業観を育成する』、『職業の内容・職業に就くための手順や、働くことの厳しさや楽しさなどを体験授業をとおして学ぶ』、『進路実現に向けた自己目標を立て、その準備のきっかけとする』ことを目的にしています。
専門学校10校の御協力の下、動物、スポーツ、放送・音響、保育、理美容、調理、医療、情報、工業の各分野に分かれ、2時間続きの授業を御準備いただきました。各校の関係者の皆様には本校の教育活動に御理解と御協力を賜り感謝申し上げます。ありがとうございました。
高校卒業後の進路は大きく進学か就職になってきます。早い段階で上級学校の学びの一部に触れることで、自らの進路に向けて意識の変化につながったのではないかと考えます。
短い時間ですが授業の様子を見学させていただきました。興味を持った分野だから - ただそれだけでこんなにも生徒の表情は変わるんだな、ということを真っ先に感じました。みんないい顔で、楽しそうに授業を受けているのが印象的でした。
16歳、17歳で将来を決めるというのは難しいですよね。40年前の私もそうでした。自分にはたくさんの可能性があるんだ、何でもできるんだと思っていました。当然夢もありました。高校を卒業したあとの自分の人生と正面から向き合わなければならなくなったときに思い知らされた現実。
私はもう少し先延ばしし時間をかけて考える時間を大学に求めました。大学で親友と呼べる誰かを見つけたい、そうした強い思いもありました。就職を約束して高校に入った私の急な大学受験に両親はいい顔をしませんでした。「仕送りはできないから自分で学費や生活費を賄えるのなら」それが条件でした。
ずっと前に「将来どのようにして生きていくんだい」と高校生の長男に聞いたことがあります。「わかんない」、「決めてない」、「考えてもいない」そういう言葉が返ってきました。数年後高校生になった次男にも聞きました。長男と同じでした。「それを求めるために大学に行くから」二人の共通した考えでした。自分と同じ・・・そう思いました。
いくつか夢を諦めてきたけれど、未だに捨てきれない夢はやはり私にもあって、昨日も生徒の様子を見ていていいなぁと思いました。cafeやお菓子づくりをしっかり学び次の生き方につなげたい - そうした気持ちがさらに強まった自分がここにいます。
管理棟4階の廊下。SHR前の朝学習が静かに行われています。一人一人の学習は国語だったり数学だったり。端末の画面を見ながら各自のペースで取り組んでいます。入学したての頃は慣れない手つきで端末を操作していましたが、もう手慣れたものです。
それにしても時の過ぎるのは早いです。この前入学してきたと思ったらもう1年が経過しようとしています。あっという間です。
4階には1年次生のHR教室の他に書道教室があり、書道Ⅰ(1年次生の必履修科目)の授業で書いた作品をみんなが見られるように掲示されています。前に紹介しましたが、デザイン系列の作品展示やフード系列のメッセージボードなど、生徒の作品が校舎内の至る所で目にできるのは嬉しいです。また、仲間の作品を見ることにより、自らの良さや改善点等の気づきがあり、生徒の学びも深まります。
私は上手だとか下手だとかそういう基準ではなく、「個性そのものが表れた作品のおもしろさ」、「作品に込められた思い」 - そうしたことを私なりに解釈し、楽しく見させてもらっています。
子ども子どもしていた1年次生ですが、大きく成長を遂げた1年。自分で掲げた目標ですから、言葉だけではなく行動を持って達成して欲しいです。
写真につきましては一部加工しています。御了承願います。
私にはとても多く感じますが、どうやら今年の積雪は少ないらしいです。じゃ、例年はどれほど積もるのか - これ以上、を想像するだけでため息が出てきます。降ったり降らなかったりの繰り返しですが、昨年12月は毎朝毎夕10~15センチほどの雪がコンスタントに積もり、スコップを持つことが日常になりました。今日もかぁ、明日もかぁ・・・雪かきが最大のストレスでした。
2年間住んだ北見の冬はマイナス20℃前後まで冷え込みますが、ほとんど雪が降らず日中はきれいな青空が、夜は一面きらきらと星が輝きます。メリハリのあるきゅんっ、とした天気が私は大好きでした。そのような環境で過ごしましたので、私の中から冬の除雪という概念がすっかり消えていました。こちらに来て慌ててスコップを購入し、なんなんだこの雪は、と思いながら雪かきをしています。
今日は二十四節気の立春。冬に別れを告げ春の訪れの日。一日一日春に近づいていきます。外を見ると真冬の様相ですが、美唄は日中にかけて気温がプラスになるとのことです。春を感じられる一日になりそうです。
1月30日(金)はたくさんの生徒が校長室に訪問してくれた日。家庭学習に入る直前にお弁当を持った3年次生、1年次生は実習で作ったスコーンを持ってきてくれました。そして、授業の取組として提案のあったプレートの完成で3年次生が、フード系列の2年次生がパウンドケーキの試作を持って登場。一気にたくさんの生徒がやってきてお話を聞いたり写真を撮ったり。でも、すごく楽しく嬉しい出来事になりました。ありがとう。
今日は2年次生のパウンドケーキの話を。数種類のパウンドケーキを皿に載せ、それぞれに特徴があるので食べて欲しいと言うのです。改良に向けて材料の分量や手順を変えてみんなで考えながら作った、ということを私に一生懸命説明してくれるわけです。教員に言われるままに作れば、ほぼ何も考えないわけですから私を前にして詳しい説明はできません。でも、自分たちで「こうのように工夫して作ったんだ」となれば、そうした理由を含め材料、分量、手順を説明することができます。熱心に説明してくれる姿は頼もしかったです。こうしたことの繰り返しが人を成長させていくのだろうと感じました。
フード系列で言えば、人の口に入る製品を販売しています。販売することが目的ではありませんが、常に改良は必要です。本校にとって定番であっても、多くの人の定番とはなりません。誰にでも受け入れてもらえる定番を目指すために、例えば試食会で多くの意見をいただく、購入してもらった方にアンケート調査を行う(ラベルにアンケート用QRコードをつけたり、商品と一緒にアンケート用紙を入れる)などの工夫を重ねなければなりません。作りました、美味しかったです、は過去の学びの形であって、時代に即した今の学びは、何のために作るのか、それを作ったことによって何が生まれるのか、その効果は、作った先の課題と改善は・・・PDCAサイクルを確実に回していくことが求められます。
オーブンの前でケーキのスポンジの焼け具合や膨らみ具合を食い入るように眺めている、クッキーやクロワッサンを焼いているときの楽しそうな妻の姿を目にします。生徒も同じようにわくわくしながら、ドキドキしながら製品づくりをしているのだろうと思います。そうした両者の姿が私の中で重なり、自分もやってみるべきかと考えたりしています。
失敗か成功か、もう少しかき混ぜるべきだったか、粉が少なかったか、砂糖が多いか、卵の黄身は、白身は、バターは塩は・・・奥が深いから楽しいのかもしれませんね。
本校はものをつくる、体験的な学びを多く取り入れています。多感な高校時代、十代の早いうちにたくさんの経験を積めるのは貴重なことと考えます。私の高校時代、8割は教室の中で机を前に座り教科書とノートを開き黒板ばかり見ていました。おもしろい学校ですよ、本校は。
私は甘いものが大好きです。休日に自宅から札幌中心部や円山地区まで足を伸ばす30km程度のマラニック(ランニングとピクニックを掛け合わせたお遊び的な要素のあるもの)をするときは、道中出会うカフェやパン屋、ソフトクリームにケーキ屋、大福屋やお餅屋など、お店に入り飲食を一年をとおして心底楽しんでいます。真剣に走る日とお遊び要素の強いマラニックを織り交ぜながら走っています。
ウィークデーは、お店が閉店したあとの時間帯で美唄市内をランニングしますので、甘いもの、となったらコンビニエンスストアに駆け込み、購入させていただいています。何とも言えない食感やひとつ食べるとお腹いっぱいになるスコーンが好きで購入することが多いです。初めてスコーンを食べたとき、世の中にこんな美味しい食べ物があるんだと感動しました。クッキーでもない、パンでもない、ドーナツでもない。
スコーンの話をさせていただいたのは訳がありまして、先週金曜日のお昼に1年次生の二人がガチガチに緊張して校長室にやってきました。この日は3年次生と一緒にお弁当を食べることにしていましたので、入室したら3年次生がいたことでさらに緊張させてしまったようです。
「スコーンを作ったので、校長先生食べてください」「どうもありがとう。私スコーン大好きなんだよ」私は二人の緊張を和らげてあげようと「せっかくだから記念写真を撮ろう。ホームページに掲載しても大丈夫かな」と聞きますと「大丈夫です」と返事をしてくれましたので、一緒に並んだところを3年次生に撮影してもらいました。
校長室に入ってくるときの生徒、入ってきたあとにいろいろなことを喋る生徒の様子を見るのが好きです。私にとって大切な生徒ですが、私以上に保護者等の方にとっては可愛くて愛おしくて大切な子ども。そういう親心をいつも感じながら生徒とお話させてもらっています。
私は昨年3月、次男の岡山大学卒業を持って子育てを終えました。親らしいことをしてあげたか、と言われると不安になりますが、一応親としての責任を果たしました。その立ち位置から見える風景はそれまでのものと大きく変わりました。何が変わったのかは読者に想像していただきますが、私の人生観、教育観が変わりました。これは教頭から校長に立場が変わったから、というものではないことははっきりしています。
先ほど完成したプレートを受け取りました。気持ちのこもった世界にひとつしかない 校長室 のプレート。
今日から遡った数ヶ月前のこと。校内のプレート制作に係るプレゼン発表会を校長室で行いたいとの申し出があり、私は本校の生徒が学校に対してこんなにも熱い想いがあるんだ、と感動しました。自分の想いを何か形に残し捧げたい・・・少なくとも私には持ち合わせていなかった想いです。今を生きる高校生にこれだけのエネルギーがあるんだ、ということに驚かされた瞬間でもありました。
教頭から校長として採用され10ヶ月になりますが、プレート制作プレゼンが、校長として一番嬉しい出来事になっています。校長に話をしに行こう - その発想と勇気は、やはり私の人生の中にはなかったことであり、もう二度と戻れない高校時代を振り返りながら、もしかしたら大きなチャンスを逃してしまったかもしれないなぁ、もっと自分にもできたことがあったのではないかなぁ・・・何とも言えない後悔の念にとらわれています。
プレゼンの日から何度か授業を見に行きましたが、校長室 と書いたプレート大の半紙が何十枚も机上に載っていました。書いて書いて書いて・・・百、二百、いやもっと書いてきたのだろうと思います。
「校長先生は学校をまとめる方なので、力強さみたいなものを表現したいと思っています」プレゼンの時の言葉です。
明日からは、校長室に入る前にあえてプレートを見ようと思います。今以上に気を引き締め今以上に緊張感を持って業務に当たるために。
事務室のプレートも受け取りました。心温まる素敵なプレゼントをありがとう。
本校の生徒を誇りに思います。
一昨日の夕刻、華道部の3年次生2名が校長室に来てくれました。先週私のデスクに作品を置いてくれた生徒と現在職員玄関に展示している作品に携わった生徒です。
一年間ありがとう - その気持ちを込めて写真を撮らせてもらいました。彼らに続く後輩も含め、4月から今日まで月に一度お花を届けてくれたこと、本当に嬉しかったです。また、届けてくれる生徒とわずかですがお話する時間が持てたことも幸せなことでありました。
私はできるだけ自分から出会う生徒に声をかけ会話を楽しむようにしています。授業での関わりが持てないので、待っていても生徒は来てもくれないし話かけてもくれません。管理職としてわきまえることはわきまえつつ、それでも教諭時代に教室で生徒と関わっていた時のことが身体に染みついていますから、ついつい話かけてしまうわけです。くだらないことを言ったりしながら。生徒たちはどう感じているのかはわかりませんが、嫌な顔をせず接してくれています(私だけがそう感じているのかもしれませんが)。
支給タブレットで写真を撮り、写真を二人に渡しました。プリントしたものではなく、Airなんとかという形で一瞬で二人の端末に収められました。二人はスマートフォンの画面を食い入るように見ながら何かを語り合い楽しそうに笑っていました。こういう時間って大切だなぁ、と思いながら二人にの様子を見ていました。
今日ここでこの写真を撮ったな - そう想ってくれる日がいつか訪れてくれたら私は嬉しいです。
明日、昼食時間に3年次生と一緒にお弁当をいただくこととしています。何名が参加するのかはわかりませんが楽しみです。
27日(火)美唄市立東中学校で開催された『ジビエ給食試食会』に参加させていただきました。ジビエとはフランス語で、狩猟で得た野生鳥獣のお肉を意味する言葉です。
3年生の「美唄探求」において美唄の食材を活かしたレシピを考える活動の中から、実際に生徒が考案したメニュー『美鹿ボロネーゼ』が本日美唄市内の給食として提供されました。30日(金)の給食は『サスムコギ ビビンバ』が振る舞われるとお聞きしました。
悪七校長先生より資料をいただきましたので、ここで紹介いたしますが、『ふわふわぴぱおいマフィン』『シカタコス』『たまぽて』『ピパオイ カボッチャン』『近藤シェフの五つ星肉巻き』『BIBAガレット』『鹿肉ドライカレー』『秋がたっぷり美唄の 美もち』『美唄すぎる シカチュー探検隊』のメニューも作成されています。それぞれの班で考え実際に作って食べて、生徒は研究を重ねたようです。
美唄の食材として用いられたものは、サツマイモ、ジャガイモ、人参、玉葱、ハスカップジャム(本校のフード系列が製造)、ソーセージ(本校のフード系列が製造)、カボチャ、大根、醤油、味噌。そして、鹿肉です。教科書はありません。まさに「0から1を作り出す(美唄市長 桜井様の言葉)」その実践です。よく考えるとすごい学びだなと思います。自分たちで考えるしかない。美唄の食材って何だろう、まずはそこからスタートするわけですから。
40年前にはなかった授業です。決まったものが与えられて、与えられたものに疑問を持つこともなく、唯一正しい答えを手繰り寄せるために頭を働かせる・・・これが私の学びでした。スタンダードな生き方に軌道修正しながら中学高校大学と学んできたような。それが良いか悪いかではなく、そういうことが求められた時代でした。だから、今の学びがうらやましく感じます。
鹿肉については、株式会社Mt.代表取締役・HUNTER山本峻也様が狩猟したお肉です。試食会に先立ち、山本様から『いのちをいたたく』と題した講演があり、人間は生き物の命をいただいて生きている、ということについて深く考えさせられました。食の裏で生き物の命がある - 普段考えないことではありますが、改めて感謝の気持ちを持って食を摂らなければならないと思ったところです。短時間の講演ではありましたが、本校の生徒にも是非聞かせたい話でした。機会があればお願いします、と山本様に依頼しました。
生徒が考案したせっかくのメニューを持続可能な形にする必要があります。ただ作って美味しかったね、では意味はありません。それは40年前の私たちの学びです。作った先です。 このことについては本校の教職員にも伝えています。
「〇〇の取組を行いました」で完結せず、「取組を行ったその先の生徒はどうなのか」つまり、「それを作ってその先にどのように繋げていくのか」です。東中学校は給食センター等と今後も検討を重ね、持続可能な取組に繋げていく構想を持っています。本校もさまざまな取組を行っています。持続可能についてもっともっと考える必要があります。
「考えて作りました、作って試食しました、さらに美味しくするためにどうしたらよいかを考えました、私たちの作ったものを美唄市にどのように広めていくかを考察しています、給食メニューもいいけれど、食堂で提供できないでしょうか」この経験をしてきた生徒たちが本校に入学してくるわけです。そのことを肝に銘じ教育活動を展開しなければなりません。
※パスタの麺についても生徒が検討し、特注で作ってもらったとお聞きしました。
先週22日(木)、23日(金)の2日間、釧路市へ出張があり、昨日はお昼まで休暇を取得していたため、校長の小部屋を更新することができませんでした。本日より再開いたしますので、お付き合いください。
月に一度のお花の日です。久しぶりに校長室に入室し、その瞬間に視線を捉えたのは写真の生け花です。華道部が活動した日に私が不在だったことから、気を利かせてデスクに置いてくれたのでしょう。直接受け取ることができず残念でした。
お花って別に自己主張しているわけでもないのに、そこにあるだけで人を惹きつける - 不思議な力があります(そこにいるだけで人を惹きつける - 私にはそのような力はありません)。3年次生にとってはこれが高校生活最後の作品になります。どちらかと言うと寂しさが込み上げてきていますが、「ありがとう」と感謝しながら観賞させてもらっています。
高校3年間はどういう時間だったのかな。思い描いた時間になったのだろうか、良き友人良き教師に巡り会えただろうか、どんなことを身に付けたのだろうか、描いた進路を実現できたのだろうか・・・私はそのようなことを考えています。
私の長男は希望していた高校に通学することはできませんでしたし、次男の口からは入学した高校に対して満足度の高い話は出てきませんでした。彼らが3年間の高校生活を終え、大学に入学するときに「なんだかんだ言ってもまぁこの高校で良かったかな」と言うのを聞いて、初めて彼らの3年間は有意義だったんだな、と思ったのを覚えています。卒業して時間が経ってから高校への思いが押し寄せてくるものなのかもしれません。
3年次生は今月一杯は登校してきますから、美唄尚栄高校の3年間どうだった、と聞いてみたいと思います。
昨日の学習成果発表会は、多くの御来賓、保護者等の皆様をお招きし無事に終えることができました。出席いただいたすべての方に感謝申し上げます。
3年次生の皆さんは、総合的な学習の時間における1年間の取組とその成果について、余すところなく伝えることができたでしょうか。一生懸命にプレゼンしている姿を見て、学びの成果があったんだな、と私は思いました。大変お疲れ様でした。
「地域の課題を自分たちで見出し、課題解決に向けて何をどのように進めていくかを考えてください」いきなり問いを与えられたわけです。教科書はありません。解答もありません。教員からその手順を教えられたわけでもありません。与えられたのはグループ活動をすることと時間は約9ヶ月であること。
何もないところからスタートして形にすることの大変さを3年次生全員が感じたはず。自分の考えをまとめ発表する。他者の考えをしっかり聞く。批判ではなく建設的な意見を述べる。ばらばらの考えをひとつにまとめる。次の一歩を踏み出すためにどうする。地域に出るための折衝。試作と検証、改善。成果と積み残しになった課題の整理。桜井市長様が仰っていた『0から1を生む』ことの一端を学んだことは、これからの人生に必ず役立つ時がくると思います。
お仕えした校長先生から言われた言葉を私は今でも大切にしています。「課題を見抜いたら決して先送りすることなく先生の責任の下で課題を解決すること。次の人次の代のことを考えること。時代の変化を掴み新と旧を見極めること。言われなくても気付いて行動すること」まさに探究の精神です。
今日の表題「聞いてもらうための」について。発表会は終わってしまいましたが、今一度考えて欲しいことがあります。スライドや発表原稿の善し悪しは二の次三の次。静粛な場にふさわしい発表ができたかどうかを探究のテーマとして与えます。仲間のプレゼンはどうだったか、自分たちのプレゼンはどうだったか。多くの人に「聞いてもらうための」ものになっていたか。発表して終わりではなく、発表を終えて見えてきた課題の整理と検証を進めて欲しいと思います。
美唄駅前西口広場はイルミネーションで彩られています。16時30分を過ぎると辺りは薄暗くなってきますので、本校の生徒も部活動を終えて下校する際に目にしているのではないでしょうか。駅は街の玄関口になる場所ですから、こうした演出は来る者去る者の気持ちをほっこりさせてくれます。外国人観光客も多数見かけますので、きっと喜んでくれていると思います。
ごろんごろんとしたいくつかの雪山はかまくらでした。かまくらを見るとどういうわけかわくわくします。幼き頃に祖父が作ってくれたかまくらの中で、お茶を飲みながらおやつを囓った記憶が残っているからかもしれません。
お正月、弟家族も集まり賑やかに実家で過ごしました。前にも書きましたが、大晦日に家族で昔の写真を見たこともあって、実家でもお袋が保管している写真を出してもらいみんなで見ました。長男が4歳、次男が2歳(甥っ子、姪っ子も同じ歳)だと思うのですが、実家の庭に積もった雪で私がかまくらを作り、その中に4人を入れて撮った写真が出てきました。狭いから向こうに行けっ、こっちに来いっ、などと狭い穴蔵の中で4人が押し合いへし合いしながらきゃっきゃと騒いでいた覚えがあります。
「あっ、かまくらのこと覚えてるわ」「ごうちゃん、かまくら作ってくれて写真撮ったの覚えてるよ」二十年以上前のかまくらのことを4人とも覚えていました。私が祖父からもらったかまくらの記憶を、私もこうして子どもたちの記憶に残すことができたんだ・・・感慨深いものがありました。
デジタル世代の子どもたちではありますが、プリントされた写真の良さを感じたようです。「紙に残る写真っていいもんだね」紙は場所もとりますし重量もありますが、スマートフォンに記憶された写真をちゃっちゃっと指先ではじくように見るのとは訳が違い、一枚一枚に撮り手と映り手の魂みたいなものが宿るような気がします。これはデジタルの善し悪しではなく、アナログでしか味わえないものです。
さて、本日午後から、3年次生が地域を題材に総合的な探究の時間で取り組んできた成果を発表する学習成果発表会を行います。生徒の発想やアイデアが、今後の美唄市の街づくりの柱として採用されるかもしれません。いつか美唄市の活性化に携わる一人として関わることになるかもしれません。そう考えると興味深いです。
総合的な探究の時間の経験から、イルミネーションで彩られた駅前づくりのように、人の心に記憶を刻み込めるような、誰かの気持ちをやさしくするような、そのような美唄市の街づくりに尽力する人が本校から出てきてくれると嬉しいです。
今日の美唄ガチガチの冷凍庫。この冬一番の冷え込みだろうと思います。
借家から職場まで数百メートルの道中、足元はいつもよりぎゅっと堅く締まっており、ゆっくり瞬きをすると上下が凍結してふっつきました。昨年、一昨年と過ごした北見を想い出させるような朝になりました。
18歳まで過した空知では睫毛が凍ったり、鼻の粘膜が凍ったりするようなことは当たり前で、冬場はかなりの頻度でそうなっていた記憶があります。でも、いつの頃からかそのような日は数えるだけになってしまったような・・・そんな気がします。
ピンと張り詰めた冷ややかな空気に包まれた朝だからくっきり山並みが見られたのかもしれません。先週は猛吹雪、どんよりした空模様でこの山並みを見ることはできませんでした。久しぶりに見たような気がします。樺戸山系については校長の小部屋で何度か紹介しておりますが、堂々と、そして美しく、決して見飽きることはありません。
玄関で生徒のお迎えが終わった後、4階に上がって1年次生の教室⇒2年次生⇒3年次生と回ることを続けています。4階西側の窓からこの山並みを眺めるのが好きです。朝はもちろん、夕暮れ時も素敵な景色を見せてくれます。
励ましてくれたり背中を押してくれたり。考えごとの答えをくれたり慰めてくれたり。現実に直視することの大切さやずっと昔の記憶を呼び寄せてくれたり。勇気をくれたりやさしい気持ちにさせてくれたり。私にとっては大切な景色になっています。きっと私と同じようにこの山並みとこの景色を大切にしている人がいるのだろうな、と思います。
さて、明日から1年で最も寒い頃とされる大寒です。二十四節気は、1年間を太陽の軌道をもとに約15日ずつ24に区分し、それぞれに季節を表す名称がつけられていて、大寒はその最終節。大寒の最終日が2月3日の節分、その翌日が立春です。
北海道はこれからが冬本番で、今週は厳しい冷え込みになるとの予報が出ています。体調管理に気をつけて過ごしましょう。
久しぶりに星が輝く空。綺麗な星を眺めながら8キロのランニングを楽しみました。雪のないオンロードを走るのが一番ですが、ぎゅっぎゅっと雪の踏みしめる音を聞きながら走れるのはこの季節だけ。趣があっていいものです。
雪上に青い光が見えます。駅前から国道に向かう歩道に投影されていました。なんだろう、と思ってSTAY BIBAI様のホームページにアクセスすると、昨年から影絵スポットライトとして灯されているとのこと。写真を撮って借家まで戻る途中でもう一カ所灯されているところを見つけ、何だか得をした気持ちになりました。
美唄は一昨日、昨日午前中まで雪が降り続け、路肩の雪も一気に積み上がりました。さすがは豪雪地帯。北見に勤務していた2年間はマイナス20℃以下の寒さが日常でしたが、雪かきは数えるほどしかしていません。2年間楽をさせてもらったので、美唄における毎日の除雪は身体に堪えますし、何せ疲労が蓄積します。冷え込みか積雪かどちらを選ぶ・・・うむ、どちらがいいのでしょうか。
雪などものともせずに生徒は元気に登校しています。さすがは空知っ子です。ただ、ホワイトアウトになって身に危険を感じた場合は、①外に出ないこと②天候が落ち着くまで自宅で待機することをここで再度確認させてください。
全校集会の場において、私は生徒の皆さんに大きな宿題をひとつ与えました。「自分の身は自分で守ること」環境の変化、天候の変化、災害の発生はいつ起こるかわかりません。平時からすべての人が考えなければならないことです。
宣伝になりますが、本日16日(金)16時から美唄駅前西口広場にてイルミネーション点灯式が開催されるようです。
昨日、生徒は長い休業を終えて久しぶりの登校となりました。大切なスタートの日となりましたが、外は猛吹雪のホワイトアウト。気温も低く大荒れの天候となりました。外套も頭も真っ白にして生徒玄関をくぐってくる生徒は、ホールに立つ私に近寄ってきて「おはようございます」と声をかけてくれました。
今年度の年末年始の休みは土曜日と日曜日も含めて最大9連休。おそらく社会人になって一番長い休みかもしれません。子どもであっても大人であっても休みに入る前は気持ちがほっとして、心も軽くなります。少し休めるな、と思うだけで嬉しくなります。ただ、休みも後半に入り終わりがちらちら見え始めると妙に落ち着かなくなります。そうした経験をお持ちの方は多いと思います。
4日(日)夕刻に自宅から美唄の借家に戻りましたが、明日からの仕事のことを思うと、急に緊張しだしそわそわしている自分に気付きます。あれもある、これもしなければならない、久しぶりだからどうなっているだろうなどとあれこれ考えるとどんどん気持ちが重くなってきます。今回に限らず連休の最終日は不思議と私をそうした気持ちにさせてしまいます。
ここからは全校集会でお話したことです。「世間では、新年を迎え新たな気持ちでスタート、新たな目標や夢に向かって歩いていこうなどと言いますが、私は、そう自分を煽り立てる必要はないと思っています。心穏やかになるまでゆっくりゆっくり時間を過ごし、自分のペースやタイミングを掴んで欲しいです。久しぶりに登校してくるにあたって、わくわくしている人もいれば、緊張していたり、不安を抱えていたりなど、それぞれの心持ちでいるはずです。みんなが揃って、前向きな状態でいるとは考えづらいです。どちらかと言えば、後ろ向きの状態の人が多いと思います。自分のペースを掴むまで、焦らずに、でも一歩一歩進んでいきましょう。さて、年末年始。私は数年ぶりに家族揃って過ごすことができました。子どもが二人いますが、それぞれ大学生の頃は、青森県と岡山県に住んでいましたので、それぞれの用事で、札幌に帰ってくることはありませんでした。どちらも大学を卒業して、社会人になりましたが、そうなったらなったで、もう二度と家族が揃うことはないだろう、と思ったりしていたので、なんだかとても嬉しかったです。そのときに思ったことは、多少お金がなくても、交通事故や大きな怪我や病気をすることもなく、健康で過ごせていることが幸せであり、感謝しなければならない、ということでした。それ以上のものはないし、それ以上のことは望む必要はないと思いました。 - 私が、本日のスタートにあたり、皆さんに伝えたいことは、自分を大切にしてください、ということです。あなたが健康でいることが、あなたの保護者等の方にとって、最高の幸せにつながっています。(一部抜粋)」
3年次生はまもなく家庭学習期間に入ることから、登校する日も残りわずかになってきました。私の知らない2年間、生徒一人ひとりそれぞれが一日一日の登下校を繰り返し、その中で多くの困難を乗り越えながら今日を迎えている・・・立派に生きてきたんだなと思います。
3年次生とはお別れが近づいていますから、昨日も今日もちょっぴり寂しい気持ちになりながら「おはよう」と声をかけています。
たくさんの宿題と毎日の日記、読書感想文に絵を一枚、さらに自由研究、そして家の手伝い。小学校の長期休業はやることがたくさんありました。計画的に取り組むことが苦手だった私はそのすべてを後回しにして遊ぶことに専念し、明日から学校が始まるという段階にくると慌てて鉛筆を持ち、母親に怒られ半べそをかきながらやっていました。完成させて提出できたものはほとんどありませんでした。長期休業にいい記憶はありません。
いつだったか、何を書いたか忘れてしまいましたが、書き初めの宿題が出されたことがあって、広げた新聞紙の上に跪き、これまた母親に怒られながら半紙に筆を走らせていた記憶があります。落ち着きがなく集中力に欠けていた私には半紙に向き合う時間は大変苦痛でした。そんな私に無理矢理取り組ませようとしていた母親も苦痛だったと思います。他の子どもとどこか違う、なんてことを直接担任の先生から言われていた母親にとって、何とかしなければならないと大変なプレッシャだったはずです。
さて、美唄郵便局のフロアに本校生徒の作品が展示されているので昨日見に行きました。昨年芸術部の活動の中で書かれた作品ですから書き初めではありませんが、作品を眺めているときに、前段の書き初めのことを想い出してしまったわけです。嫌々書いていた私とは違って、ここに展示された作品は一字一字集中し、自由に思いのまま・・・そういう作品なんだということを強く感じました。
絵心もなく筆も立たなかった私には自分のもの(恥ずかしくて作品とは言えません)が展示された記憶がありません。多くの人に見てもらえる機会は人生においてそう多くあるわけではなく、そう考えるとうらやましい限りです。下校の途中に郵便局に寄って展示されている自分の友達の作品を是非見て欲しいと思います。
さて、本日から通常登校となりますが、外は吹雪いています。校長室の窓から100メートル先が見通せない状況です。周囲の状況に十分注意し登校してください。
先週は出張で不在にしていました。本日から校長室で業務を行っています。冬季休業は本日までで明日からいよいよ教育活動再開となります。生徒が登校し静かだった学校が賑やかになります。今から楽しみです。
冬場に借家を空けると気がかりは積もった雪のことと水道凍結のことです。年が明けた1日(木)空知の実家に帰省する前に借家に寄って雪かきを行い、4日(日)から借家での生活をスタートさせましたが、台所と洗面所の水廻りで3時間、浴室の水廻りに2日を要し、漸く水道を使えるようになりました。水が出たときは心から安心し嬉しくなりました。
5日(月)に再度水を落とし昨夕久方ぶりに借家に戻りました。車を運転しながら考えたことはやはり雪と水のことです。「駐車スペースどうなっているだろう」「すぐに水が出るだろうか」積雪10センチ、水はすぐに出てきました。雨が降ったりプラス気温になったりが影響したものと思われます。生活に影響が出ないことが一番ではありますが、通常とは異なる気象状況が要因であるとすれば、これは手放しでは喜べないことでもあります。
写真は本日の様子を撮影したものですが、本来はもっともっと積雪があるのにこの程度となっています。気温も高く暖かいです。
1月5日(月)仕事始めです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年末年始にかけて、穏やかにお過ごしになられたことと思います。9連休の長い休みになりましたが、如何でしたでしょうか。過ぎてしまうとあっという間だったような。
どちらも社会人になりましたが、子どもたちが青森と岡山で大学生活を送っていたときは、アルバイトや旅行などそれぞれの用事で札幌に帰ってきませんでした。今回6年ぶりに家族が揃い静かな正月を迎えることができました。もう二度とないだろうと思っていたのですが、年末に妻の実家へ年明けに私の実家へ家族揃って出掛けることもできました。
大晦日から元旦にかけて自宅で過ごしたのも数年ぶりです。大学受験を控えていたとき以来かもしれません。昔の写真を見ようという話になり、二階の屋根裏の納戸からアルバムの一部を降ろしました。私が撮影してきた写真です。そこには二十五年前の私と妻、長男が写っており、そこからさらに数年後に次男が登場してくるという家族の変遷が記録されていました。懐かしいやら恥ずかしいやら、笑いの絶えない時間になりました。
さて、昨夕から美唄は雪に見舞われています。路肩の雪も高くなりました。本格的な冬はこれからです。
12月23日(火)フード系列の教員を講師にして、教職員(事務職員も含む)向けのそば打ち研修会を実施しました。以前、授業の中で2年次生の生徒がそばを打ち、是非食べてくださいと私のもとに届けてくれたことがあり、このときに教職員向けのそば打ち研修会を是非開催してください、と担当の教員にお願いしたのです。とうとう実現しました。
同じ学校に勤務していても、それぞれの系列、個々の専門、一人ひとりの授業、業務がありますから、隣に座っている先生が得意としていることだとか各系列が何に取り組んでいるのかは理解しづらい状況にあります。これは本校に限ったことではなく、他校でも同様です。誰かのことを知ろうと思ったら、時間をともにして話をしながら何かに取り組んでみるのが一番だと私は思っています。
今回は、『材料費約1000円で自宅で打てる3~4人前そば』をテーマに紹介していただき、参加者全員がそばを打ち茹であげ食すまでを体験しました。3時間の研修はとても有意義なものとなりました。1にコミュニケーション向上、2に経験の幅を広げる、3に新たな学び、4に楽しみや幸せ。私がこの研修に求めた4つの思いは達成できたと考えます。
さて、年越しそばと言いますが、調べてみますと江戸の中期頃にこの文化の起源があるようです。いろいろ謂れはありますが、(1)健康祈願(そばの実は雨風を受けてもその後の晴天で日光が当たると元気になることから、健康への縁起を担ぐ)(2)長寿祈願(細く長いそばは、延命や長寿につながる)(3)厄払い(そばは切れやすいことから一年の厄災や苦労を切り捨てて翌年に持ち越さない)
今年最後の『校長の小部屋』への投稿となります。縁起の良いそばで締めくくらせてください。
本校に着任して9ヶ月を終えようとしていますが、空知っ子そのものを思わせる素朴で素直な生徒に出逢えたことに幸せを感じます。自慢できる生徒たちです。
すべての保護者等の皆様にお会いすることはできませんでしたが、PTA活動や説明会、行事のたびに足を運んでくれ、学校を応援していただいていることにお礼申し上げます。
本校の教育活動を多方面から支えていただいております地域の皆様に対しましても感謝申し上げます。
そして、熱心に教育活動を行い、陰ながら本校の教育環境を整えてくれているすべての教職員の力により今日を迎えています。ありがとうございました。
今年一年、大変お世話になりました。来る年がすべての皆様にとりまして、幸せで素敵な一年になりますことを祈念して、挨拶に代えさせていただきます。
ありがとうございました。
子どもたちが幼稚園に通っていた頃、家族で沖縄へ飛びクリスマスを過ごしたことがあります。日中は長袖シャツ一枚、陽が暮れても薄手のジャンパーを羽織るだけで街を歩ける暖かなクリスマスでした。地球規模で見たときの日本は本当に小さくて、北海道から那覇までの約3000キロもほんのわずかな距離なのに、こんなにも季節が異なるんだということを体感する旅になったのを覚えています。
二十数年前のことを急に想い出したのは、雪が少なく暖かなクリスマスを迎えたからかもしれません。24日(水)のお昼休みにこの話を書いているのですが(たいてい翌日掲載分を前日に書いています)、天気予報のとおり雨がぽつりぽつりと空から落ちてきています。5年ぶりの雨のクリスマスイブらしいです。
雨が降らなければランニングをして普段と何ら変わらない夕食を食べる一夜になりそうですが、せっかくなのでデジタルオーディオプレーヤからクリスマスソングを流し、ちょっとだけクリスマス気分を味わおうと思っています。昨日、デザイン系列の3年次生が制作したクリスマスリースをいただいたので借家に飾って。
生徒からいろいろなものをいただいていますが、小さなお手紙が添えられているのがとても嬉しいです。作り手の気持ちが受け取る側に伝わりますし、ずっと大切にしようと思わせてくれます。ちょっとした気遣いではありますが、なかなかそこまで気が回らないものです。私も見習わなければなりません。
先日JAZZレコードのお店でたくさんのレコードを自分にプレゼントした話を書きました。このお店のマスターはかなりの御高齢ではありますが、年に数回オランダまでレコードを買い付けに行っています。世界中の中古JAZZレコードが集められ、世界中のバイヤーがこぞって購入するとお聞きしたことがあります。マスターのお眼鏡に叶ったレコードが船積みされ、やがてそれらがお店に届き、マスターの耳、目、手で一枚一枚厳正な検盤を終えた後、お店に商品として並びます。
いざ販売という段階になると、マスターから「お待ちしております」と書かれたお手紙が届きます。マスターの顔を見に行きたいな、どんなレコードが並んでいるのだろう、探しているレコードがあるだろうか、などとわくわくします。手紙って人の心を揺さぶる何か不思議な力があるな、と感じるのは私だけでしょうか。
それでは素敵なクリスマスをお過ごしください。
冷え込んだ12月23日(火)の朝、この景色を眺めることができました。
管理棟4階の一番奥の窓から見える樺戸連山は、真っ白な雪に覆われその美しい姿を朝陽に輝かせていました。とにかく美しい。
この山を前にして、あまりにちっぽけな自身の存在を思い知らされるとともに、ちっぽけながらも精一杯生きていくことの大切さみたいなものを感じる朝になりました。何十年何百年何千年変わることなくそこにあることの偉大さに圧倒されます。
私はカメラを持った野山の散策はしますが山登りはしません。いつかはしたいと思うことはありますが、ランニング、読書、レコード、薔薇、映画・・・などすべきことが多々ある中ではその優先順位はどうしても下方に押しやられます。時間が2倍、身体が2つあるといいな、といつも思います。
ただ、山岳小説(山に登ることを題材にした作品)は大好きです。井上靖、新田次郎、夢枕獏、笹本稜平、湊かなえ、樋口明雄、下村敦史、各氏の作品はほぼすべて購入し読了しています。中でも笹本稜平氏(1951年10月9日 - 2021年11月22日)の作品は、山の美しさ、恐ろしさ、クライマーの心情、友情、孤独、愛、生きることのすべてを描き切っていて、考えさせられることが多々あります。自分の知らない世界だからこそ知りたいというのはありますが、どの作品も自分がその山にいるような感覚を味合わせてくれます。気になる方は是非手に取って読んで欲しいです。
私が山岳小説に魅せられる理由は、極限において究極の選択をする主人公の心情に惹かれるからです。私の人生における選択は主人公の選択からすると足元にも及びませんが、それでも何か迷ったときやどちらかを選ばなければならないときに参考にしたことが多々あります。
「ふたつにひとつ、どちらかを選ばなければならないのなら、あえて困難を極める道を選べ」山岳小説の中にあった言葉です。どの著者のどの作品だったかがわからなくなってしまいましたが(付箋を付けておくべきだったな、と後悔しています)、私の人生の選択において力強く背中を押してくれた大切な言葉です。当然のことながら本の中では困難な道を選択した主人公が最後にはその道を選択したことに間違いはなかったという形に収束していくわけですが、私自身のいくつかの選択も今振り返ると間違ってはいなかったなと思います。
この景色が毎日目の前に広がる - これは本当に贅沢です。生徒が過ごす教室は南向きの窓ですから、残念ながら見ることはできませんが、廊下を挟んだ向かい側の教室を使用するときは是非見て欲しいです。
在学中にとても素敵な景色を見ていたんだよ - 生徒が高校時代を振り返るときのキーワードになってくれればいいなぁと思っています。
今日は樹氷が見られるかもと思い、駐車場脇の針葉樹を見に行きました。予想したとおりでした。陽が上がると解けるでしょうし、明日からのクリスマスは雨の模様ですので、一日早くクリスマスの雰囲気にぴったりな樹氷の贈り物をいただき、得をした気分です。
クリスマスプレゼントはどうしましたか?誰かのことを想ってプレゼントを用意したり、事前に約束したプレゼントを買いに出掛けたり・・・私は、今年ランニングを始めた妻に相当早い時期にクリスマスと誕生日を兼ねたプレゼントを贈りました。妻からは大きな大きなプレゼントをもらいました。
もうひとつ、毎年自分にクリスマスプレゼントを贈っています。健康でいられた自分に元気に働くことができた自分に中古のJAZZレコードを何十枚もプレゼントします。インターネットで購入するのではなく、札幌にあるJAZZレコードを扱うお店に足を運び時間をかけて探します。物欲がほとんどない私ですが、レコードとなると別です。いくらあっても欲しい。これが私が私に贈る最高のプレゼントです。
誰かが心惹かれて手にしたレコードは、やがて何かの事情で手放され、世界のどこかを彷徨い、巡り巡って私の手元に収まります。ジャケットは擦り切れ、ライナーノーツは茶色く色褪せ、レコードもプチプチノイズが入る。でも、それがまたいいのです。何とも言えない浪漫を感じます。
廃盤になったアルバムを何年、何十年も探して漸く手にできることがあります。滅多なことがないとこうはなりませんが、唐突に巡り合うことがあります。私にとって最高の出逢いで最高の幸せを感じる瞬間です。
真空管に灯をとおし、ターンテーブルにレコードを載せ針を落とす。一手間二手間かかりますが、最初の音が鳴り出すまでのわずかなじり、ジリ、じィー - この時の緊張感がレコードの魅力のひとつかもしれません。
開会式の挨拶を頼まれていましたので、あれこれ言うよりも先に生徒の拍手から体育祭をスタートさせたい、と思っていました。ステージの上に立つとすべての生徒の様子が見てとれます。生徒全員が拍手してくれました。本校の生徒の良いところです。ありがたいな、と思います。
何故拍手か - 目立たない地味な仕事をして本日の体育祭に結び付けてくれた執行委員への感謝の気持ちを持って欲しかったからです。私がいちいち言わなくても気付いている生徒もいます。その一方で言われて気付く生徒もいます。割合的には後者の方が多いのではないでしょうか。
誰かがお膳立てしてくれたものに乗るのが一番簡単で楽です。そのような環境下に置かれることの方が実に多いです。起こしてくれる、夕食を準備してくれる、お弁当を作ってくれる、学校まで送ってくれる、洗濯をしてくれる、雪かきをしてくれる、風呂を洗ってくれる。考えてみると〇〇してくれることが多くないですか。そして、そのことが当たり前になってしまい、『感謝』をずいぶん遠いところに置き忘れてしまっていませんか。
お膳立てしてくれた人の苦労や努力を頭の片隅に置き、「ありがとう」の気持ちを持っていれば、文句やわがままは出てこないと思います。感謝の気持ちを持って行動することができます。逆に、自分がお膳立てする側の立場だったら何ができるだろう。両方の視点からものを見られる人になって欲しいと思います。
立派なことを書きましたが、単身赴任で生活していると反省することだらけです。お弁当作ってくれて「ありがとう」を言ってなかったな。朝夕の御飯を用意してくれて「ありがとう」を言ってなかったな。洗濯してくれて「ありがとう」を言ってなかったな・・・〇〇してくれることが当たり前化していた自分に反省しきりです。自分で何でもやらなければならない状況になって改めて気付くわけです。そういう意味では不自由なことが多いですが、単身赴任も悪いものではありません。
本日が体育祭最終日です(この話、昨日のお昼に書きました)。閉会式で私はもう一度全校生徒と拍手します。
執行委員へのお礼と感謝の拍手。クラスメイトと楽しく活動し成長できたことに拍手。最後の大きな行事で仲間の大切さを教えてくれた3年次生への感謝を込めた拍手。そして、体育祭を全員で楽しく終えられたことに拍手。最後に、閉会式まで25分の待ち時間を静かに待てた全員に拍手!!
「校長先生ぇ、クリスマスプレゼントでーす」生徒玄関ホールで朝のお迎えをしている私の横にひょっこり現れた2年次生の女子生徒から小さなカルトナージュを受け取りました。「デザイン系列の授業で作ったので、ペン立てとかで使ってくださいね」そう言うと3階の教室に向かって階段を上がっていきました。
(写真を一部加工しています)
お菓子と手書きの小さな手紙が添えられていて、「ペンを入れたり、コーヒーや砂糖のスティックを入れたりもできますよ!」と書かれていました。ペンを入れるとインク等の汚れがついてしまうので、飴やスティックタイプのコーヒー、お茶を入れようかなと思っています。クリスマスプレゼントありがとうございました。大切に大切に使わせていただきます。
一文字一文字丁寧に書いたお手紙をいただくのはとても嬉しいです。私くらいの世代の方ですと当たり前のように手紙のやりとりをしていたはずです。私は当時お付き合いをしていた女性とこまめに手紙やはがきのやりとりをしていました。今は指先をしゃしゃしゃーっと滑らせて、ボタンを押して相手にメッセージを届ける時代です。デジタル世代の高校生が、アナログチックな形で相手に気持ちを届ける・・・感慨深いものがあります。
週末自宅に帰る車内のラジオからクリスマスソングが流れます。胸ポケットに小型ラジオを忍ばせて走る夜のランニングでも、DJがクリスマスにちなんだ話をしていて傍らにクリスマスソングがかかります。美唄には持ってきていませんが、自宅の部屋の棚にクリスマスソングだけで構成されたJAZZアルバムが何枚か入っていて、どういう訳かこの時期だけはターンテーブルに載せてそれらを聴きます。この時期が過ぎると、また1年後・・・ずっとこれを繰り返しているような感じがします(真夏にクリスマスソングは聴かないですよね)。時期的に聴きたくなるのかなぁ。
大学時代のクリスマスは、友達と、たった一人で、恋人と、というようにいくつかの過ごし方をしました。バブル経済真っ盛りから崩壊までが私の学生時代と密接につながっていて、当時12月は日本中が浮き足立っており、ひとりぼっちで迎えるクリスマスには冷たい視線が注がれていたような雰囲気がありました。とにかく派手で賑やかに、高価なプレゼントを - これがバブル期のクリスマス。
年内の大学の講義が終わり、新年を迎えるまでの残されたアルバイトの日数を数えながら、下宿の6畳間で寝っ転がりながら小説を読んでいる、いつもと何ら変わらない時間の中に、クリスマスを過ごした夜のことを想い出しています。下宿生のほとんどは帰省し、しーんと静まりかえった建物の中で、私は私なりのクリスマスの夜を静かに過ごしていました。懐かしいです。
先週、自宅に帰るとクリスマスの飾り付けがされていました。子どもたちが小さかった頃は、狭い居間に不釣り合いな大きなクリスマスツリーを飾ったものですが、それもいつの間にか処分し、2つ3つの飾りを壁に止めるだけになってしまいました。それでも妻は妻なりにクリスマスの雰囲気を味わいたいのだろうなぁ。
今年のクリスマスも猛吹雪にならない限り夜のランニングを楽しみ、夕食を作り、いつもと何ら変わらない時間を過ごします。単身赴任期間5年目になりますが、毎年同じことを繰り返していますが、これができれば他には何もいりません。
皆様、素敵なクリスマスを!
本日、明日は体育祭です。この日のために長い時間をかけて執行委員が放課後遅くまで準備に勤しんでくれました。先輩たちが退任し、新体制になって初めての大仕事でいろいろと大変だった思います。まずは、ここまでの準備、ありがとうございました。そして全校生徒の皆さん、運営してくれる執行委員に感謝して楽しんでください。
どこの学校でもスポーツに親しむ行事を設置していますが、美唄尚栄高校の特長だな、と思うことにポスターが掲示されるというものがあります。執行委員が作成するのではなく、それ以外の生徒が心を込めて描く - これはそうあることではありません。過日実施した校内運動会のときにもポスターが掲示されたのを見て、真っ先に感じたことです。学校から与えられた行事だから何となく参加する、というのではなく、主体的に行事に参加するんだ、という生徒からのメッセージとして私は受け取っています。
生徒玄関ホールに掲示していますから、全校生徒の目に触れています。ポスターを見て何かが劇的に変化することはないとしても、「体育祭楽しみだな」、「練習しないとな」、「怪我しないように参加しよう」などと、人の心に確実に何かを芽生えさせています。これって、とても大切なメッセージです。ポスターづくりをしてくれた生徒の皆さん、本当にありがとう。私はこのような学校に勤めることができて幸せです。
体育祭の開催期間、そして終了した後に、クラスの団結力が高まったり協調性がさらに深まってくれることを期待しています。
体育祭の目的を今一度確認します。
『体力の向上及びクラスや年次間の団結力や協調性を養う。』
目の前のお花からほんのり甘い香りが漂ってきます。鼻を近づけると青い花が香りを放っています。リューココリーネというお花です。
野山を歩き花の写真を撮るようになった頃、花の名前が知りたくてずいぶんと高価な図鑑を買いました。撮った写真と見比べながら、名前を覚えていった記憶があります。ただ撮るだけではなくて、名前とセットで覚えていくのはそれはそれでまた違った楽しみがあり、結構のめり込みました。覚えた花のページは端を折り、まだ折っていないページの花との出会いを楽しみに図鑑を眺めていました。
今年のことになりますが、妻からスマートフォンが図鑑の役割を果たすことを教わりました。写真を撮ってその写真を検索すると、一瞬で花の名前がわかるというものです。毎年、春から初夏にかけて庭にさまざまな宿根草を植えるため、妻といくつかのお店を周りますが、隣接するガーデンに咲く花を見て、「この可愛らしい花の名前は何というのだろうね」と当てもなく言うと、妻がさっと花にスマートフォンを向け、「〇〇だって」と答えます。「どうしてわかったの」と聞くと、「Google先生が教えてくれるよ」と。そうなのか・・・そういう調べ方ができるのか、と。
先週、生けている生徒にこの花の名前を聞くと「リューココリーネです」と教えてくれました。それから週が明けこの話を書いているのですが、花の名前をすっかり忘れてしまい、写真を撮って検索すると「リューココリーネ」と瞬時に表示されました。そうだ、そうだった。AI、すごい。
花言葉 - 『あたたかい心』『信じる心』
『あたたかい心』 - 相手を思いやり、いたわる優しい気持ちや精神
『信じる心』 - 物事を真実であると受け入れる感情や態度
どちらもAIの回答になります。なるほど、と納得させられる言葉です。
翻って自分はどうだろうか・・・ある側面ではできているけれど、そうではない自分もいるなと思ったり。一人の人間として、そうありたいと願うところではありますが、私にはまだまだ手の届かない遠い遠い心の有り様です。
それでも若いときの自分からは考えられないくらい心は変わりました。歳とともに物事の見方や考え方が大きく変化し、何でも許容でき心乱すことなく穏やかに対応できている自分を感じています。不思議ですが、肩に力の入らないとても楽な生き方ができています。
華道部の活動の日、教室に足を運ぶと生徒は真剣にお花を生けておりました。与えられる花材は同じであっても生ける4名それぞれの個性が表れます。主役の花、引き立てる花などどれに主眼を置くかによって作品は異なります。本当に奥が深いです。
生徒はうーん、と頭を動かし配置を考えながら、さーっと生けていきます。先生が最後にちょっとしたアドバイスを与えて完成です。完成後、スマートフォンを向けて自分の作品を撮影している姿は、前にも書きましたが、とてもいいなと感じます。家に帰って保護者等に見せて(いや、今は見せるのではなく写真をしゃっと送る)くれたらさらにいいのにな、と思いながら見ていました。
一見簡単そうに見えますが、センス良くお花を生けるのは難しい、ということを私は経験的に理解しています。自宅の庭に咲く花々を花瓶に挿して室内でも楽しんでいますが、思うような形にできません。私はそうしたセンスを持ち合わせていないようです。「花を切ったよ」と妻に渡し、妻が花瓶に挿す、という分担になっています。
活動が終わった後、作者の生徒に連れ添って3名が校長室にやってきました。うち1名は華道部に所属していますが、もう1名は仲の良い友達。3名とも3年次生ですから、順調にいけばもう少しで卒業となります。3年次生とはここまで9ヶ月のお付き合いですが、どの生徒も私にきちんと挨拶をしてくれますし、話しかけてくれたり、逆に話しかけても嫌な顔もせず笑顔で応えてくれる・・・どの生徒も可愛らしく、3月のお別れのことを考えると寂しい気持ちが込み上げてきます。
「オレ、校長室初めて入ったぁ」とこそこそ話をしています。生徒にとってはなかなか入る部屋ではないのでしょうね。「結構、いろいろな生徒が校長室来るんだよ」と言うと、「えっ、そうなんですか、何しに来るんですか」と目を大きくしているのがこれまた可愛らしい。「話をしに来てくれたり、何か持ってきてくれたりね」「へぇーっ」
今日あったことを明日想い出すことはできます。でも、その記憶は時間の経過とともにどんどん薄れていきます。あったことのすべてを記憶として残すことはできません。「せっかくだから3人並んで写真を撮ってあげるよ、そしてこの写真をホームページに掲載するよ」と言うと、「オレ、華道部でないから関係ない」などと3名がふざけあっています。こうしたところも高校生らしくていいものです。きっと私にも同じようなことがあったのかもしれないな、思いながら写真を撮りました。
私が撮った1枚のスナップ写真が、3名それぞれの高校時代の記憶を引き出す何かになってくれるのであれば嬉しいですし、そんな願いを込めて撮りました(撮った写真は生徒にお渡ししました。すごく喜んでくれました)。
みんなが楽しみにしている体育祭が近づいてきました。体育館での練習にも熱が入ってきている頃だと思います。3年次生にとっては、高校最後の大きな行事となりますから、各種目の優勝を目指して盛り上がっているのでないでしょうか。
12月11日(木)放課後16時過ぎの生徒会室では、執行委員の面々がパソコンの画面をのぞき込み、体育祭の準備をしていました。新しい執行委員として初の大仕事です。成功させよう、と力を合わせ黙々と仕事をしてくれています。
おそらくほとんどの生徒はこの姿を知らないはず。本当は全ての生徒に執行委員の姿を見て欲しいのですが、それは難しいので校長の小部屋にて紹介させていただきます。
誰かがやらなければならない、誰かがやってくれないと成立しない - こうしたことはコミュニティの中で必ず起こってきます。みんながそっぽを向けば次のステップに進まないことはわかっていても、自分から積極的にその誰かになろうとはしません。真っ先に頭に浮かぶのは、面倒なことに足を踏み入れる必要がない、ということです。私自身もかつてはその一人でした。
意を決してその誰かになってくれる人がいるのなら、そこは素直に応援してあげなければならないと私は考えます。自分の代わりにやってくれていると思ったら、文句ではなく感謝の言葉しか出てこないはずです。私はそういう心を持つ人を育てたいと思っています。何かをしてくれたら「ありがとうございます」と言える人になって欲しい。
4月に管理職員の初の打ち合わせをしたときに、私は「ありがとうございます」を互いに言える関係でいましょうね、と言わせていただきました。人間関係を築き上げるうえで一番大切なことと信じているからです。これは現在も実践中でありますし、私がこの仕事を終えるまで大切にしたいと思っています。
「ありがとうございます」すごく簡単な言葉ではありますが、相手を尊敬し、相手に感謝の気持ちがなければそう簡単に言える言葉ではありません。ただ、自分のためにやってくれているんだ、自分の代わりにやってくれているんだ、と発想を転換すれば、自然と「ありがとうございます」は言葉として出てきます。
少し難しい話をしましたが、執行委員のこの姿を見たら、体育祭で思い通りにいかないことやジャッジのミス、負けたイラ立ちなど個人的感情によって、周囲に迷惑はかけられないな、と思うはずです。いい形で完結させるために自分はどうあるべきか、そう考えるはずです。試合に負けるより勝つ方がいいに決まっています。ただ、それよりももっと大切なことがある、そのことを生徒の皆さんには知って欲しい。そういう体育祭であって欲しいと願っています。
こんなに真っ白になってしまいました。
最近は、出勤前の除雪、帰宅後の除雪で1日2回の除雪をしています。管理職になって苫小牧と北見に2年ずつ単身赴任し、どちらも冷え込みの厳しい街ではありましたが、雪が少なく、年に数回の除雪をするだけで済みました。札幌の自宅の除雪もここ数年間はしておらず、ずいぶん楽をさせてもらっていました。そうしたこともあって冬の除雪という概念が私の中からすっかり消えていました。
道内でも有数の豪雪地帯である美唄。中空知出身の私ですが、美唄は違うぞ、と感じる今日この頃です。そのような中にあっても、生徒は毎日元気に登校しています。登校までの道のりで真っ白になりながら、生徒玄関をくぐってきます。「おはようございます」が交わされる生徒玄関ホールに立ち、私は「この子たちは逞しいな」と思いながらお迎えをしています。夏場は自転車でさーっと登校できても、冬場は徒歩になります。てくてく歩きながら何を考え学校に向かってきているのだろう・・・いつもそうしたことを思ってしまいます。
私は冬以外は自転車で通学していました。雨の日も自転車でした。混み合うバスの車内が苦手でしたし、何より空いた座席に座ると先輩たちから睨まれたり、直接文句を言われることが嫌だったのです。それなら乗らない、と意地を張ったわけです。でも、冬だけはどうしてもバスを利用せざるを得なかったのです。仕方ないとは言え、私にとっては苦痛でした。
自分は何を考えて登校していたのだろう - 当然のことながら想い出すことはできません。学校のことよりも、別なことを考えていたのかもしれません。高校を出た後のこと、家を出ることへのあこがれ、好きな音楽やレコードのこと、途中になっている小説の続きのこと、恋人のこと、次に買おうと思っている服のこと、札幌でのライブのこと、学校帰りのボウリングのこと、行こうと思っている映画のこと、でも勉強のことも・・・こうしたことを考えて通学していたのかなぁ。
さて、車を運転する者として道路を歩いたり走ったりする歩行者として、冬の路面状況は大変危険で注意が必要です。道幅も狭くなり、交差点に積み上げられた雪で見通しも悪くなります。
生徒の皆さんは、登下校はもとより外を歩くときは、周囲の状況を的確に判断し、自分の命を守る意識を今まで以上に高めてください。
本校の教育活動に対し、株式会社岸本組様(美唄市光珠内)からは多大な御支援をいただいており、直近ではポータブルクーラーと大型扇風機の寄贈がありました。感謝の意を込めた感謝状贈呈式を6月上旬に執り行わせていただいた際、短い時間ではありましたが、岸本社長様と懇談いたしました。私は厚かましくも建設業における最先端技術(ドローン技術)を生徒に触れさせたい旨の話をしました。
「持ち帰ってすぐに検討します」と引き受けてくださり、まもなく授業プランを作成して所属職員とともに私のところに来てくれました。外でドローンを飛ばし、校舎全景を撮影した後に3Dプリンタで校舎模型を作り上げていく、というものでした。想像を超えるプランでありましたが、本校の授業スケジュールの都合もあり、秋の実施が困難になり、冬場の実施になってしまいましたが、室内の授業プランを再構築していただき、昨日(12月9日)とうとう実現したわけです。
私は、ドローンを操縦することの楽しさだけを知ってもらいたいのではなく、ドローンが何のために使われ、ドローンを使うことによって何ができるのかを知って欲しい。そして、最先端技術を活用した建設業と働く方々の生き生きとした姿に触れて欲しい。そこで働く自分の姿を想像し、進路の在り方を考えて欲しい。こうした思いがあります。今回は、美唄尚栄高校、そして前身の美唄高校の卒業生も岸本組様の一員として来校していただきました。身近な先輩たちの姿を見ることができたのは生徒にとって大きな意味があります。
岸本組様が高校に出前授業の形で関わるのは初めてのこととお聞きしました。全社員の4分の1を超える方々が御多忙な中、本校の生徒のために時間を割いて来校してくれました。社長様を始めとするすべての方に、この場をかりましてお礼申し上げます。ありがとうございました。
本日の取組が単年度で終了するのではなく、持続可能な取組になるようにしていかなければなりません。生徒に興味を持たせ、将来美唄市内の建設業界で活躍してくれる人材を育成する責任も私たちには課せられています。
長男が真冬の花火大会のチケットを送ってくれました。今年も夏から秋にかけてあちらこちらで花火の打ち上げがありましたが、今年はシーズン中に見ることはありませんでした。自宅周辺でも、いくつかの高校の学校祭で花火を打ち上げていたものの、どーん、どーん、と音の響きだけを聞きました。車で数分のモエレ沼公園の花火大会も音だけ、ずっと向こうの豊平川の花火大会もどーん、という音だけに終わりました。
空知川の河川敷に面した小さなアパートに住んでいた頃、土手の向こう側で打ち上げられる真冬の花火を妻と二人で見たことがあります。おそらく何かのイベントの一環だったような気がします。つーん、と冷え込んだ空に広がる花火を震えながら見た記憶があります。空気が澄み切っているからなのか、それはずいぶん綺麗に見えました。
あれは学校としても本当に大変な時期で、先生方のほぼすべてが学校祭そのものを実施することに疑問を抱えるような状況下で、でも、生徒会の先生方を中心に「学校として初めての花火を上げるんだ」と奔走していた姿を今でも覚えています。当時、私は3年生の担任でした。6人の担任が集まり、こうしようああしようと、自らのクラスと学年の安定に毎晩頭を揃えて話し合っていました。これは1学年も2学年も同様だったと思います。
グラウンドに上がった花火。私は、この花火が学校が変わる起点になったと思っています。総勢750人の生徒と教職員が打ち上がる花火に心をひとつにしました。連続する大輪の錦冠菊(にしきかむろぎく)「しだれ柳」が最後静かに暗闇に吸い込まれた後、そこにいたすべてが大きな拍手を送りました。すれ違いだらけだった心がひとつになったその瞬間に私は鳥肌が立ちました。「あぁ、これで大丈夫だ」と。「生徒会はすごいな」と。
花火を見ると私はいつもあのときのグラウンドを想い出します。人生で一番心に残る花火です。この日、打ち上がる花火にやはりあの時の花火が重なり、苦楽をともにした先生方の顔まで浮かんできました。教え子は33歳になっています。
花火が終わった後、リフトに乗って展望デッキまで上がりました。札幌の夜がきらきら輝いていました。「昨日が満月だったんだよ。でも、綺麗に見えるね」月の満ち欠けを気にしている妻がそっと言いました。
白く輝く月はくっきり夜空のたなびきを演出していました。
その昔は至る所に公衆電話がありました。駅やバスターミナルには複数台設置されていて、利用したい人が並んで自分の順番が来るのを待っていました。出先ではなくてはならない大切なものだったような気がします。
長く通話するなら100円を、そうでなければ10円玉を握りしめて、最後の10円玉を入れたら残り通話時間3分。間違っていなければ市外への通話時間はもっと短かったと思います。あれはたしか、中学生に上がるくらいのときに(40年前)テレフォンカードが普及し始めました。500円分、1000円分のテレフォンカードをもらうと嬉しかった。
これだけ携帯電話が普及したので、公衆電話そのものに目がいかなくなったのですが、本校の正門を出て左側30メートルほどのところに電話ボックスが設置されています。雪が積もったこの日もガラス張りの空間の中に緑色の電話機が灯されていました。
私は毎日の通勤で電話ボックスの横を通ります。そのたびに電話にまつわる数々の出来事を想い出します。公衆電話に限ったことで言えば、大学時代の下宿に設置された電話機と下宿から50メートル先にあった電話ボックスです。
「一年は玄関先の電話機の呼び出し音3回以内に出ること」これが下宿のルールでした。20名ほどが居住する大きな下宿で、入学式前に私を含めた1年生が全員入居した夜に、狭い6畳間に集合させられて先輩から言われた最初の言葉でもありました。1年生は5人でしたので、呼び出し音が鳴った瞬間に5名とも廊下に飛び出して電話機に走って行くようなことが毎日でした。
下宿の電話機に先客があると、私は歩いて電話ボックスに向かいました。そこにも先客があると近辺をぶらぶら散歩して時間を潰しました。そうやって一台の電話機を利用しました。これは私に限ったことではなく、おそらくみんながそうだったと思います。
当時お付き合いをしていた女性と時間を決めて電話機でつながることが楽しみでもありました。「22時ちょうどに電話するから」という具合に。約束はほとんどが守られましたが、その晩だけは父親らしき人が出て、何が気に入らなかったのかこっぴどく怒られた記憶もあります。すべて懐かしい想い出です。
気になって総務省のホームページを見ると、公衆電話の設置についてこのように書かれていました。『社会生活上の安全及び戸外における最低限の通信手段を確保する観点から、公道上、公道に面した場所その他の常時利用することができる場所又は公衆が容易に出入りすることができる施設内の往来する公衆の目につきやすい場所に、市街地においては概ね1km四方に1台、それ以外の地域においては概ね2km四方に1台という基準に基づき設置される』とのことです。
昨日に続き、展示の話になりますが、この写真はいかがでしょうか。
浴衣、ワンピース、エコバッグ、ポーチ、ペンケース、ポケットティッシュケースなど、布細工が所狭しと展示されています。
デザイン系列で学ぶ生徒の作品が展示された可愛らしい空間(廊下)です。生徒玄関と職員玄関から少し離れた位置にあるので、来校する全ての方の目に留まらないのが残念です。この場所はこの場所として、何とかしてもうひとつ展示場所を動線の多いところにしたい、と考えています。
ここは、4月に着任して校舎の全てを見て回り、いいなと思った場所のひとつです。これは特色のひとつになる、と思いました。パーっ、と明るく広がりを見せる可愛らしい空間 - 素敵だな、と。勤務してきた学校、出張等で訪問した学校など数々ある中で、このスタイルは見たことがありません。自慢できる場所のひとつです。
自分で作ったものを多くの人に見てもらえる機会は、そう多くあるものではありません。生徒にとって素晴らしい経験になりますし、こうした展示を積極的に行ってくれる教職員にも私は感謝します。今年度、北海道教育委員会は『生徒を主語にした教育活動』を掲げています。私はこうした取組が実践のそのひとつであると考えます。
この先の人生、忙しさの中で多くのことを犠牲にしたり後回しにしてしまったり、いつの間にか忘れてしまっていたり・・・慌ただしさの中で見失うものの多さに気付くときがきます。何かの拍子に、?となり、自分に向き合うときが必ず訪れます。
自分に何ができるだろうか、自分は何かに挑戦できるだろうか、自分が一番やりたいことは何なのだろうか・・・そのときに自分の手でひとつのものを作った経験が生かされるときが来るかもしれない。どこでどうなるかなんて誰にもわからないわけです。
もう一度、高校のときに作ったバックを作ってみようかなぁ - このことがきっかけになり、作品をインターネット上に紹介し、誰かが興味を示し購入してくれるかもしれない。趣味からやがて起業につながるという展開だってあるかもしれません。
レールに乗るしかなかった生き方が、今は自分でレールを敷いて生きていく時代に様変わりしています。『探究的な学び』、『体験的な学び』を大切にしている意味は多々ありますが、そのひとつに、「たったひとつの経験が自らのレールを敷き、生きていくことにつながっていくんだ」ということを生徒には知っていてもらいたいです。
高校時代に素晴らしい経験ができている自分を誇りに思ってください。
生徒が作ったものをみんなが見えるところに飾ったり掲示して欲しい、と何度かお話しました。最初は先生方も遠慮気味でしたが、廊下を歩くとたくさんの作品を目にすることができ嬉しいです。私よりも生徒が一番嬉しいと思います。
学校のことや生徒のことをこのブログ内で褒めるのもどうだろうか、と思いながら書きますが、生徒は誰一人として作品にいたずらするようなことがありません。8ヶ月様子を見てきていますが、皆無です。そんなこと当たり前でしょ、と思われるかもしれません。しかし、学校現場においてはこれが当たり前ではないということを私は経験的に理解しています。どこかがちぎられていたり剥がされていたり、引っ張ったり外したり・・・小さないたずらを私はたくさん見てきました。
過去に遡り、小さなほころびを見逃すことなく生徒を育ててきた教職員の賜だと思っています。いつまでもいつまでもこの状態が続いていくように、私たちは教育活動を行っていかなければなりません。
朝一番、そして、下校を迎える時間、私は生徒玄関に足を運び、ツリーのイルミネーションを点灯させています。多少の電気代はかかるかもしれませんが、輝くクリスマスツリーのもとに登校、下校して欲しいのです。気持ちのざわつきがもしかしたら穏やかになるかもしれない - そんな願いを込めて点灯させています。
12月1日(月)の放課後に、生徒会執行委員と担当の教員が中心となって飾り付けをしてくれました。私の身長(180センチ)を超える大きなクリスマスツリーです。飾り付けしてくれた皆さん、ありがとうございます。生徒玄関は、生徒が必ず2回通るところですから、クリスマスツリーを見て、毎朝毎夕気持ちがほっこりしてくれたら嬉しいです。私も嬉しくなって、2日の朝に記念写真を撮りました。
大人にとっては気にも留めない小さなことかもしれません。でも、多感な生徒にとっては大きなこと。私はクリスマスツリーの展示に大きな意味がある(信仰する宗教等の話は抜きにさせてください)、と思っています。いつからこの取組が始まったのかは確認していませんが、思いつき実行した最初の誰かを私は尊敬します。『生徒の喜ぶ姿を見たい』『生徒のためにやってあげよう』その思いが、こうして現在に至っているのですから。
生徒と教員の信頼関係の構築は、小さなことの積み上げです。生徒のためにやってあげられる小さなことを重ねていけば、それはやがて学校全体の雰囲気をも変える、そう信じています。
玄関に立っていると「クリスマスツリー飾ってくれたんですね」と生徒たちが私に話しかけてきます。きっと嬉しかったんだと思います。執行委員の生徒が登校してきたときに、「飾り付けありがとう」と私はお礼を言いました。いい笑顔で「はい」と返してくれました。
学校祭の終わりに先生方が集まった会で、12月にクリスマスツリーを展示することを聞きました。私はそこでひとつのアイデアを提案しました。そういうことがあってもいいよね、と。それが(ここでは書きませんが)実現するのかしないのかはわかりませんが、何か生徒に考えさせたらどうだろうか - ひとりそんなことを思っています。本校の生徒であれば安心してひとつ預けてやらせてあげていいだろう、と。
子どもたちが小さい頃、私が設計、製作したロボット工作をクリスマスプレゼントにしていました。まだ、何もわからない二人はセンサーの反応で走行するロボットをきゃっきゃっと床を這いながら追いかけていました。最後は線が切れて、シャーシが壊れて、というのが定番ではありましたが、20年以上も前のことがつい昨日のように思い出されます。私の手づくり電子工作プレゼントを喜んでくれた期間はあまりに短く、次は宇宙戦隊ロボット、野球盤、電子ゲーム機、テレビゲームのソフト、そして最後は哀しくもお小遣いになり、高校を卒業し家を出て行きました。
親父が何か作ってクリスマスプレゼントくれたよな。そのことを二人が覚えてくれていれば嬉しいのですが・・・またまた私のエピソードを書きました。
30万アクセスを迎えることができました。今後も本校の教員が、ホームページ、インスタグラム、noteを更新してまいります。お時間のあるときにお読みになっていただけますと幸いです。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
昨日、午前中から午後まで美唄市内は強風が吹き荒れました。生徒が下校時刻を迎える頃には風は収まりましたが、校長室の窓ガラスはバタバタガタガタと割れんばかりの音を立てていました。
あっという間に12月です。今年も残すところ、というところになりました。生徒玄関に立ち、生徒を迎えていると、「今年もあと30日になりましたね」と1年次の男子生徒がニッ、と笑いながら私に話しかけてきました。「あと、30回寝たらお年玉がもらえるね」と私が言うと、「お年玉楽しみですねぇ」と言いながら階段を上がっていきました。4月、5月はどことなく中学生の雰囲気が残る1年次生でしたが、今ではすっかり高校生の顔になりました。みんな成長しました。
「おはようございます」と先に生徒から挨拶してくれるのが嬉しいです。これが当たり前のようで意外とそうでもないのです。学校の様子は、生徒の挨拶、生徒玄関の下駄箱の使い方、教室の整理整頓でほぼわかります。これができていないと次の段階(授業、行事)に進みません。長い時間をかけて積み上げてきた結果が現在であり、これを維持するとともに、現状に満足せずに更なる高みを目指して教育活動を行わなければなりません。
話はつながりませんが、昨晩のこと。風が止み、雨が上がったのを機に外に出ました。誰もいない美唄駅のホームです。もしかすると今晩から冬景色のホームに変わるかもしれません。
土曜日の夕刻、第69回全道学校書道展(札幌市民ギャラリー)に本校生徒の作品が展示されているので、妻と一緒に見てきました。小学生から高校生までの作品がずらり並び、見つけるのにかなり時間がかかりました。足を運んで自分の作品を見てくれていたら嬉しいな、と思いながら、でも、わざわざ札幌までは遠いだろうし・・・我が子の作品を是非保護者等の方に見て欲しいです。この写真から伝わればいいのですが。
今回展示された人もそうでなかった人も、作品づくりをしているときの自分を思い返してみてください。その時間だけは余計なことは考えず、集中して、無心に筆を走らせている自分がいませんか。
先を見通すことが困難な時代、複雑な人間関係の中で生きていますから、頭の中では常にあれやこれや考えてしまっています。見えない答えに不安を抱えたり、時間の流れについていけず疲れたりします。私も同じです。
私は過去に体調を壊した経験から、あえて考えない自分づくりを大切にしてきました。今も実践中です。物事に向き合わず逃げるということではなく、考えても答えが出ないもの、考えても仕方ないこと、考えても堂々巡りすること、考えても負のスパイラルになることについては、一切考えないことにしています。心に決めてその日から考えない自分になれたか、というとそうではありません。相当な時間がかかりましたが、そうするために、好きなことに集中する(無心になる)時間を一日の中に持つことを意識し実践してきました。それが功を奏したのか、今では肩に力の入らない楽な生き方ができています。
先ほどの話に戻りますが、書道はまさにそうした時間が作れる絶好の機会ではないでしょうか。一人ひとりの集中と無心が作品の全てになっている - そういうことを考えて作品を見ると、見方が変わると思います。
本日がテスト最終日。これが終わったら・・・と考えながら、この期間を過ごしてきたはず。部活動のスタート、来月の体育祭に向けた練習、アルバイト、まずは寝る、受験に向けた準備再開、友達の家へ、何かを一緒に食べに行く、などなど、それぞれの時間を過ごすのだろうな。テストが終わるのって、嬉しくて何故かわくわくしますよね。そんなことを思いながら、私は後ろからそーっと教室に入り、写真を撮らせていただきました。
さて、これが最後になるだろう(本当にそうなりました)と決意して受け持ったクラスの最後の文化体育大会。体育系種目にソフトボールがあって、そこでの優勝を目指し(24クラスの乱戦ですから優勝はすごいことです)、私の知らないところで生徒たちが集まって秘密の練習をしていました。そのことを知ったのは大会の数日前でした。「先生、オレたちね、実は朝とか夕方集まって練習してたんですよ。電子機械科の奴らに勝って優勝しますからっ、優勝したらみんなで焼き肉やりましょ、先生お金出してくださいよ」(残念会の焼き肉はしませんでしたが、卒業式前日に生徒がお店貸切の手配をして、卒業祝いの焼き肉をみんなでやりました)
学校の外でグローブやバットを持って集まり、わいわい楽しみながら練習していることが、とにかく嬉しかったです。どこに集まっていたのかはわかりませんし、どんな練習をしていたのかも定かではありませんが、こうしたことが高校時代の良き想い出として生徒たちの心に植え付けられるわけです。やがて、大人になりどこかに集まったときに、「あの時練習したけど、勝てなかったよなぁ」と懐かしむことができる - 今はわからないだろうけど、ずっと先にこのことがわかるはず。私はそう思って見守りました。
教室で見せる顔とは違った姿がグラウンドにありました。失敗を責めない前向きな言葉やスイングに一喜一憂する表情、ファーストベースに全速力で走る姿、ホームベースを踏むごとの歓声、勝った感激に抱き合い飛び上がる姿・・・生徒一人ひとりの成長を感じた瞬間でもありましたし、そのすべてが愛おしい時間でした。そうした姿を見ることが私は大好きでした。
3年間、いいことも悪いこともたくさんありました。人と人が接触する学校は毎日がドラマであり、何も起こらないことはまずありません。私は起こらないことを望むのではなく、ドラマの脇役(主役は生徒です)として起きたことに誠実に向き合うことを意識してきました。実にさまざまな出来事がありましたが、その一つひとつが生徒一人ひとりを成長させ、教師としての私も成長させてくれました。特に最後となった担任業務の3年間は、40人が私にたくさんの宝物を授けてくれました。この仕事は、生徒に感謝なんだ、と思います。
テストの終わりに昔を懐かしませていただきました。
先日、誕生日を迎えました。東京に住む長男からはLINEギフト(時代を感じます)、次男(社会人1年目)は夕食代を持ってくれ、妻からは手袋ともうひとつ大きなプレゼントをもらいました。母からは毎年、お菓子とお祝い金が送られてきます。弟たちからはお祝いのメールが。幸せな55歳の誕生日になりました。
ひとつずつ歳を重ねていきますが、気持ちだけは20代、30代。ただ、肉体的にはそれなりの状態であることは否定できません。先日、ランニングウォッチが、何かの拍子にデータ解析したようで、いきなり40代前半である旨の画面を表示し、よしよし、と嬉しくなりました。どこかで測定してもらった血管年齢が60代と言われた妻が、あまりに失礼すぎる、とぷんぷん怒っていたのを思い出し、あまり得意にならないように小さな声で妻に伝えた次第です。
さて、私の弟たちもみんな50代になりました。不思議な感じがしますが、電気技師、ピアニストとしてそれぞれ活躍しています。父が早くに亡くなったこともあり、私は父親代わりであるとの意識をうっすらと持ちながら生きてきました。特に何かをしてきたわけではありませんが、幼き頃から父に「お前は長男なんだから」「長男らしく」と言われ続けてきたことも、そうさせた理由かもしれません。当時、私は大学生で、二人は高校生でしたから、いろいろと不便はあったのだろうと思いますが、さまざまな困難を乗り越え、今では私より立派に生きています。
何かあれば大学時代に戻りたい、と思っていましたが、もうそう思うことはなくなりました。私は静かに今の自分を受け入れ、50代である自分を楽しみながら生きています。その年齢を楽しむ余裕ができたのかもしれません。50代、それはそれでなかなかいいものです。
母からもらった小さな包み - 母からすれば私はいつまでも子どもなんだなぁ・・・そう思いながらこれを書いています。私にとっての誕生日は特別です。普段はゆっくり考えない母のこと、妻のこと、子どものこと、弟のこと、そして自分のことに思いを馳せる貴重な一日となります。
皆様の誕生日はどのような感じでしょうか。
授業の中でそばを打ち、できあがったそばを私のところに。味と風味を感じて欲しい、ということで音威子府産新そばと昨年の幌加内産そばを分けて持ってきてくれました。授業の中でそばを打つのは今年度初めての取組とのことです。この先も続けて欲しいです。今年のものと昨年のものでは、香りも味もこんなに違うんだなぁ、と思いながらいただきました。ありがとうございます。
私はそばは打てません。室蘭の高校に勤務していた時に、学科の研修旅行で一度だけ打ったことがありますが、それ一回きりです。持ってきてくれた生徒は家でもそばを打って家族で食べているとのこと。そんな生徒を私は心から尊敬します。
美唄尚栄高校はどんな学校何だろう - 私は衣食住をひとつに学べる学校と考えています。物事の基本や成り立ちを知る(文理教養)ことを土台にして、衣(デザイン)食(フード、デザイン)住(情報通信マネジメント、メカトロ・エンジニア)、つまり、人が生きていくために必要なことを学ぶ学校。そのすべてが揃った学校はそう多くはないはず。
人が生きていくための根幹になる『食べる』ことについて思いを巡らせるとき、食べることは基本中の基本ではあるけれど、食べる前のことができるかできないか、如何でしょう。自分で食材を選んで購入し自分の手でつくる。できる人できない人、している人していない人・・・そう簡単なことではないのではないでしょうか。
難解な問題を解ける力も必要かもしれませんが、私は人が生きていくために必要な知識と技術、技能を高校生の段階で身に付けることは大切だと思っています。私自身、高校生の時にこのようなスキルを身に付けていたらもっと違う人生があったかもしれない。退職後に専門学校に通うことをイメージしている私にとっては、60歳から身に付けることではなかったかもしれないな・・・と思うところです。早ければ早いほど良かったと。
「あなたたちは、長い人生の中で何かやろうと思ったとき、そばを打つお店を持ったり、パンのお店、ケーキのお店を持ったりできるよね、今習得している知識でそうした生き方を選択することができるよね。それって誰もができることではないからすごいことだよね。あなたたちがうらやましいよ」二人に話をしている自分がいました。
決して無責任な発言ではありません。もう、セオリー通りの生き方が求められる時代ではありません。いろいろなことに信念を持ちって挑戦し、実現していける時代です。今のスタンダードが、半年後、1年後、2年後には時代遅れになっている可能性もあります。レールに乗っていることだけが必ずしも安定を生むとは限らない時代になっています。
11月8日の記事「生活に生きる書 教室名を作成」で投稿しておりますが、「教室名を筆文字で書いてみる」という生徒の発案により、管理職に向けたプレゼンが行われました。私たちはこういうことをしたいのです、という強いメッセージが、我々管理職にも伝わり、是非お願いします、ということになりました。その後の様子です。
少し時間ができたので、タブレットを持ちながら3階と4階で行われている授業の様子を見て歩きました。私はいつも遠慮することなく教室の中にずかずか入っていきます。生徒も慣れているので別段驚くこともなく、いつも通りのスタイルを貫いています。私に手を振る生徒、こんにちはと声をかけてくる生徒、ぺこり頭を下げる生徒、居眠りの生徒・・・それがまた自然でいい。こういう所が本校の生徒の良いところで可愛らしところ、と思っています。どのクラスも落ち着いた授業が展開されていて、生徒は安心して学ぶことができる環境にあることもPRさせていただきます。
さて、熱心に筆を走らせる生徒が3名。書いて書いて書き続けている。ゴールは自らが納得したとき。完成ではなさそうですが、これだけ心を込めて丁寧に書かれたものならば、プレートが掲げられたときの重みを感じます。途中の過程を見ることができて本当に良かったと思いました。下の余白に自らの氏名が刻まれたプレートが校舎内に残るのっていいですよね。こんな素敵なプレートがある学校は日本中どこを探してもないのではないでしょうか。(写真の氏名は加工しております)
3年次生はまもなく高校卒業のゴールを迎えます。ゴールテープがちらちら見え始めてきている。私は3年次生とはここまで約9ヵ月のお付き合いしかありませんが、その間にも生徒一人ひとりが直面した課題や経験の一端を見聞きしています。楽しかっただろうな、辛かっただろうに、よく登校してきているよね、悲しみをどのように笑顔にかえているんだろ、社会に出る不安でいっぱいでしょ、このまま卒業しないで高校生でいたいよね・・・
みんなそれぞれに多くのことを抱えて生きている。私は生徒からそのような心の叫びみたいなものを感じ、いつも勝手に胸を目頭を熱くしています。私も高校3年生、たくさんのことを抱えて生きてきて、それと重なる部分がたくさんあって、でも、何とか乗り越えてきました。みんなも乗り越えられるはずです。
誰かの心のこもったメッセージは、受け取る人の心にじゅわっと奥深いところまで染み込んできます。必ず伝わります。心を込めて話す、心を込めて聴く、心を込めて想う、心を込めて受け止める、心を込めて書く、心を込めて・・・
いつか心を込めたプレート文字が完成し私のもとに届けられるのでしょう。そのとき、私は生徒の想いや願いをしっかり受け止め、感謝の気持ちで受け取ろうと思っています。
本日、不在となりますので、タイマー設定でこの記事を更新いたします。
いつも御訪問いただきましてありがとうございます。
11月18日 19時34分 美唄駅
私は、やはり、今夜もランニングシューズ(冬用)を履いて外に出ていました。
退勤時、職場から借家までの数百メートルを歩きながら、これからの晩御飯のことを考え、それを終えた後のランニングをどうするかを考え歩いていました。道路はこのとおり滑るし、寒いし、疲れているし、転んだら怪我をするし、面倒だな、どうしようかな・・・外に出ない理由をいくつも頭に並べて借家に到着です。
毎日ランニングをしている私でも、毎日走る走らないの葛藤をしています。軍配はいつも『走る』。どうでもいいような葛藤ではありますが、このことを13年間毎日繰り返せている自分はある意味幸せなんだろう、と思ったりしています。ずっと昔は、「えっ、走るの?こんな時間から」と妻に言われたものですが、 その言葉はいつの間にかなくなりました。「いつ帰ってくるの」「10キロだから1時間後」「その頃に合わせて風呂入れておくから」「わかった、お願い」
葛藤の末に走ると必ずいいことに巡り会えます。だから、やめられないのです。走らなければ見られなかった一瞬の景色は、お金に換えられない満足感を与えてくれる。これを知ってしまったが故のランニング。人はありきたりの景色じゃない、と言うでしょう。当たり前の日常でしょ、と言うでしょう。でも、私には感動的な景色です。外に出たことが正解だったな、と毎日思わせてくれる。私の感動した気持ちがこの写真から伝わればいいのですが・・・
作り上げる美しさよりも、そこにあるそのものが一番美しいのではないか、と思っています。まだまだ美唄の一部分にしか触れていませんが、町の名のとおり、美しい、です。
札幌の自宅は、徒歩3分、250メートルのところにJR駅があり、私の生活に密着していることもあり、行く先々で駅のある風景、電車が往来する風景が気になります。美唄を拠点としたランニングはいつも駅の界隈を走るコースになっています。
本校のホームページですが、一昨日から昨日の24時間で4500アクセスをいただきました。本校の教育活動を教職員が熱心に更新しております。これからも御覧ください。よろしくお願いいたします。
毎日デスクのお花を眺めています。花好きの私、ただそれだけで嬉しいです。
どうですか、この写真。こういう見方をすると違った世界を感じませんか?知らなかった世界が見えませんか?私の趣味とする写真やカメラのことはいくつかの話の中で書いてきたところですが、風景写真だけではなく、クローズアップした花の写真を撮ることも大好きです。
マクロレンズ越しに見る世界に魅力を感じたのは30代半ば。以後、花を求めてずいぶん野山を歩きました。私の山歩きは頂上を目指すものではないので、名もない裏山でも構いません。途中に咲く花が見られればそれでいい。足元に咲く花を撮影して、そこで満足したら入口だろうが三合目だろうが下山です。頂上を目指す人もたくさんいるのに、人って目的がさまざまで、それぞれ違っていておもしろいですよね。
作品の全体像は先日お見せしましたが、ここだけに着目した今日の写真と比べてみてください。全体からは見えなかったひとつ、しかもそのひとつを構成する細かな要素にまで目が行き届く・・・おもしろさがわかりますか。
学校も同じです。廊下から教室を覗く。そこには30人の生徒がいます。一歩教室に踏み込み、一人の生徒を見る。遠くからは見えなかったものが多々あることに気付く。私は『一歩踏み込む』ことを大切にしてきました。
26歳から30代半ば、出口が見えずあのどうしようもないどんよりした時間の中で、私は多くのものを見失ってきました。何を目指し何が大切で何を間違ったのか。これから自分は何を頼りに何を身に付け何をすべきなのか。辞めるべきか続けるべきか・・・重たいカメラバックを肩に提げ、三脚を左手に、首からぶら下げたカメラに縋って野山を歩きながら、そんなことを自問自答し写真を撮っていました。
望遠レンズでお花を引っ張ってくるのではなく、ゆっくり腰を下ろし、足元の小さな花に顔を近づけ目と鼻で感じ、マクロレンズをとおして一枚に納める - その繰り返しの中で私はぼんやりとした何かを掴みました。マクロレンズの世界の中に、暗闇だった空間にうっすら光が灯り、出口出口へと私を誘ってくれました(体調が良くなるまでにはそこからさらに5年ほどかかりましたが)。振り返ると本当に苦しい経験をしてきたな、と思います。いらない廻り道、でも、それはそれで良かったかも、と思ったりもしています。
遠く離れて外側だけから見るのではなく、思い切って一歩踏み込みそこだけに着目して見てみる。
考え方だけではなく、生き方さえも変える出来事になる・・・私自身の経験談です。
先日、学校見学会に参加していただいた美唄市立東中学校2年生に、メカトロ・エンジニア系列で製作したアクセサリーをお渡ししました。これを見て、私は『合格絵馬』ならぬ『合格かなうさ』だと思っていますが(どうか御利益がありますように)・・・
本校には公式マスコットキャラクター『かなうさ』が登録されており、私はこの『かなうさ』を何とか活用できないものか、と着任早々思案を巡らせ現在に至っています。北海道内の公立高校で公式マスコットキャラクターを持つ学校はそう多くないはずです。私自身本校で7校目になりますが初めてです。
他校にはない特色、せっかくのキャラクターなのだから活かすべきだ、と。せめて、美唄市にお住まいの方には「あっ、かなうさだ」と認知してもらえるくらいにはしたい、そう思っています。何か名案がありましたら御一報お願いいたします。
以前、デザイン系列の生徒が『かなうさクッキー』を焼いて私に届けてくれましたが、この写真の作品も本校の設備を活用して作られています。お金をかけて業者に発注するのではなく、あれこれ考えながら手づくりで、というのを大切にしなければなりません。そこに大きな意味があります。
さて、話は変わります。昨日も書かせていただきましたが、ホームページやインスタグラムを更新するにあたり、私は基本的に、美唄尚栄高校に通学している生徒とその保護者等が閲覧してくれるものでなければ、地域の方々は閲覧してくれないと思っています。身内が認めないものを他者が認めてくれるはずはありません。本校の生徒一人ひとりがフォロワーになってくれて初めて地域の評価に結び付くものと信じます。
小さなことでいい。極端なことを言ったら「今日雪が降りました」のタイトルで写真を一枚掲載し、1行文章を添えた日記をホームページにアップする。わずかそれだけでも、本校の様子をお伝えすることができる。だから、歩けば至る所に記事は転がっています、と私は先生方にお話ししています。
オホーツクのある高校の校長先生が支部の教頭会の講義の中でこのようにお話ししてくれたのが印象的でした。「インスタグラムを立ち上げたら、わずか数日で全校生徒のほとんどがフォロワーになってくれて、そこから口コミで一月も経たないうちにあっという間に1800くらいになったんですよ」学校を応援したいからそうなるんだよなぁ、私はそんなことを考えながら話を聞かせていただきました。自校も何とかしないとダメだと思い、すぐに先生方とインスタグラムを遅まきながら立ち上げ校内研修を行いました。
生徒と保護者等の学校満足度を高める方策は山ほどあります。そのひとつとして「かなうさ」を活かしたい。そのために、まずは生徒と保護者等の方に「かなうさ」の存在を知ってもらわなければなりません。クッキー、アクセサリ、次は。
どうするか・・・みんなで考えなければなりません。
11月13日(木)15時47分 雨上がりの夕暮れ
赤く染まってゆく西の空と水たまりのグラウンド - これが私の席から見えた景色です。
太陽の光にはさまざまな色が含まれていて、空が青く見えたり赤く見えたりするのは、太陽の光が大気を通り抜けるとき、大気中の窒素や酸素の分子にぶつかり散乱するからで、その光が空に広がります(理科の先生、合っているでしょうか)。夕暮れ時は太陽の位置が低くなり、太陽の光が地球上の大気を通る距離が日中よりも長く、青い光は散乱し赤い光は残って見る人に届くことから空が赤く見えます。
空は偉大なんだよぉ、と祖母が言うものだから、私は小学生の頃から空を見上げてお願いごとをしたり、空にまつわる詩を書いたりしていました。私は一風変わった子どもだったと思います(周りでそんなことをしていた子どもはいなかったので)。担任の先生に「他の生徒とずいぶん様子が違うようだ。専門的なところで診てもらったら」と言われ、かなりのショックを受けた、と母が昔に話してくれたことがあります。
この日もいろいろ考えながら夕焼け空に語りかけていました。答えは返してくれませんが、私のやることをすべて見守ってくれているような気がしました。これ以上望むことはないな、と妙に自分を納得させ、放課後の校舎の見回りに出発しました(この後の出来事が昨日の校長の小部屋につながります)。
さて、4月23日(95,730)からホームページカウンタをノートに書き込んで現在に至っています。11月14日(金)の朝から17日(月)の朝にかけて、実質3日間ですが11,304件のアクセスがございました。年内の30万件アクセスも見えてきました。
先日も書かせていただきましたが、読んでくれている方がいるということは、ホームページを日々更新する本校の教職員にとりましても大きな励みになります。
インスタグラムとnoteへの記事も投稿しております。是非御覧ください。
今後ともよろしくお願いいたします。
11月13日(木)の放課後のこと。
16時くらいにHR教室のある棟を歩きました。放課後は生徒の本当の姿が見られる時間なのでおもしろいです。今でも記憶に残っていますが、受け持ったクラスの生徒と過ごした放課後はとにかく楽しかったです。
お付き合いをしている他校の女の子のこと、アルバイト先の出来事、オンラインゲームでの対戦のこと、音楽談義、悩み相談、部活動の様子、ファッション、髪型・・・朝のおはよう、帰りのさよならだけでは見えない本音の高校生の姿がそこにはありました。その中にいる自分もまた高校生に戻ったかのようで、その世界観に幸せを感じていました。
ほとんどの生徒が下校している教室はとても静かです。でも、数名の生徒が教室や廊下に集まって何やら楽しそうに話をして盛り上がっています。それぞれのグループや仲良しがあるのでしょう。ノートを広げている生徒に何事か話しかけている二人。教室に入り「何をしているの」と聞くと、「テストがあるので勉強してました」ノートには英文がびっちり書かれていました。いきなり二人が「飴なめてたらダメじゃん」「なめてないよ」と行ったり来たりのやりとりをしだし、きっと私に何か言って欲しいようでふざけ出す。
廊下では4人がスマートフォンをのぞき込んで話しています。「なになに、何してるの」と聞くと「ゲームです」と画面を見せてくれました。「ここの4人はこのゲームが好きで、この中に出てくるキャラクターの中にそれぞれの推しがいるんです」短縮用語が飛び交い何が何やらわかりませんが、とにかく仲良く楽しくやっているので、それはそれで良し。
放課後の様子はあの頃と大きくは変わっていない、同じなんだ、といつも思います。それにしても、授業等で接することのない私が突然教室に入り、話しかけても何一つ嫌な顔をせずに会話してくれることもびっくりです。
さて、普段照明のともらない教室から光が漏れています。覗いたら華道部が活動していました。月一回校長室に作品のひとつが届けられるのですが、生けているところを見たことがなかった、しまった・・・月一回の活動なのでチャンスを逃していたとは言え、盲点だったな、と反省しつつ教室の中へ。講師の先生の指導を受けながら、生徒がお喋りしながらお花を生けていました。
完成後、自分で生けた作品をスマートフォンで撮影しており、その姿を見てなんだか嬉しくなりました。自分の作品なんだよ、という想いがその行動から垣間見えたからです。心を込めて生けたから愛情や愛着がわく・・・上手綺麗云々の前に、それ以上に大切なものがある。私はそこを大事にしたい。生徒の心に大切なものがしっかり育っている。嬉しかったです。
「どのようなイメージで作品づくりをしたの」と聞きましたら、「いつもは横に広がってしまうので、縦にすーっと伸び上がっていくのを意識しました」と答えてくれました。その言葉のとおりの作品です。「私、校長の小部屋見てます」とも言ってくれました。嬉しいの連続です。
その作品が私のところに届けられました。デスクに置き、正面から横から上からと眺めています。またまた贅沢をさせてもらっています。ありがとうございます。
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