北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
12月から2月にかけて出張や札幌の自宅に帰る時は、水道の水抜きをしなければなりません。台所、トイレ、浴室、洗面所、ボイラーの5カ所の作業をすると軽く20分はかかります。大元だけを操作すれば良いのではなくあらゆる栓を開けて管内に溜まった水をはき出さないとそれが凍結してしまいます。こうした一連の作業をしなければ後々困ることになるのはわかっていても、大丈夫だろうと高をくくって家を空け、半日以上水が出ないことが2度ありました。水が出ないことがこんなにも人を不安にさせる。水のありがたみを痛感したシーズンになりました。
いつもより早い雪解けなのかもしれません。あんなにあった雪は陽の当たらない一部分に残すだけになりました。3月の上旬から夏用のランニングシューズで路上を走ることができたのも初めてです。さっさと冬用のランニングシューズを箱に収め片付けました。本校の陸上トラックも今日から走行できる状況です。朝の冷え込みはありますが、春の訪れは例年になく早いのかもしれません。
昨日、午前中に2時間かけて21キロのランニングを楽しみました。明日ハーフマラソン大会が開催されても飛び込みで走ることができる身体づくりを欠かしません。これは私の決め事としています(どうでもいいのですが)。午後から妻とランニングとウォーキングを織り交ぜた8キロ走に出ました。札幌市北区にある百合が原公園をスタートに繁華街を巡ってぐるり一周のコースです。途中、たい焼き屋さんで腹ごしらえをしてゆっくり春を感じる時間になりました。
ここのところさくら、さくらと開花を告げるニュースを目にしますが、さくらよりも早く咲いた花を百合が原公園内で見つけました。氷点下や猛吹雪に耐え命を芽吹かせる樹木に感動です。
マンサク科マンサク属 シナマンサク 中国原産。幼条や葉が軟毛で覆われている。花は香りも強く黄金色。開花時に枯れ葉が残っているのが特徴。
皆さんに見ていただきたくて掲載いたしました。
想像するだけで楽しくなります。クルミパウンドケーキ(美唄産クルミを使用、米粉を使用)の研究。一緒に研究開発したい、と単純に思ってしまう私。クルミの割合を変化させることで食感は変わりますから、口の中に残るクルミの状態であったりその大きさであったり検討することは次から次に出てくる。万人受けする製品にするために、作っては食べて議論を重ねて・・・美唄尚栄高校はクラブ活動ではなく授業の中でこういうことができる学校です。
前にも書きましたが、人が生きていくために食は必須です。高校の段階で食について学べるのは大きな意味があると思います。与えられたものをただ食べるのではなく、食べてもらうものを自分たちの手で - そこにおもしろさと魅力がある、私はそう考えます。
パウンドケーキを持ってきてくれた教員が「校長先生、生徒がクルミの割合について探究していいものを作ろうとしています。今まさにそれをしているところでおもしろいですよ」別の業務があってその場に行くことはできなかったのが残念。それにしても生徒だけで取り組んでいることに大きな意味があります。そこに教員が入っていかないのがいい。
子どもたちは大人(教員)が気づきもしないアイデアをするっと言葉にします。あまりに突拍子もない展開になると、大人(教員)は「それは無理だろう」とついつい軌道修正したくなる。自らの考えに寄せたくなる。それはわからないではありませんが、そこで何かを言うことによってせっかくのアイデアが消えてしまいます。そうならない寄り添いが我々には求められます。
私は先生方にいつもお話しています。「作りました、売りました、買ってもらいました、寄贈しましたで終わりではありません。作った先、売った先、買ってもらった先、寄贈した先の姿を考えた教育を展開してください」自宅において趣味の範疇で作ったのであればそれはそれで終わっていいのですが、教育活動で作ったのであればその先の展開を常に考えさせなけれなりません。20年30年前に求められていた教育と今の教育は大きく様変わりしています。
〇〇しました。だから・・・、それで・・・
だから・・・、それで・・・が問われます。生徒も教員も探究し続けなければなりません。
札幌の高校に勤務していた3月上旬のこと。「合格したよ」妻から長男の大学合格を知らせるLINEを受け取りました。当時私は3度目の入院を控え、その入院で手術することが決まっていて、体調のすぐれない日が長く続いている時でした。長男の高校受験の顚末については先日書いたとおりなのですが、あれから3年後、今度は大学受験を迎え長男は長男で大変な人生を送ってきたわけです。
3年間続けると張り切っていた部活動も2年生の途中で辞めてしまいました。私も応援に行きましたが、宮城県気仙沼で開かれたインターハイで強豪校に敗れてしまい、残された1年でどれだけ努力しても全国に名だたる選手のレベルには達しない、と自らの力量を悟っての退部でした。学校から帰ってくる時間は毎晩23時前後で土日もなく、22時前に床に就くことが日課になっていた私は長男とずっとすれ違いの生活になっていました。久々に会う長男は疲れのせいかいつもぐったりしていて、私は部活のために学校に通わせているのか勉強させるために学校に行かせているのか、もっと友達や恋人と遊ぶなど今しかできない青春時代を味わうべきではないのか、などといくつもの疑問を抱えたまま悶々とした日々を過ごしていました。
「このままでは部活だけの高校生活になってしまう。部活を続けても日本一にはなれない。今から真剣に勉強をしないと大学にも合格できなくなる。中途半端な自分になりたくない。残りは全力で受験勉強をする」という旨のLINEの最後に「今まで部活にお金を使わせてしまって申し訳ないけど、部活辞める、ごめん」と書かれていました。私の知らないところで相当な期間悩んでいたようです。口から出る言葉ではなくLINEというところがいかにも現代を生きる高校生らしい切り口ではありますが、長男の成長を感じた瞬間でもあり、正直嬉しく感じたことを覚えています。私は「考えた末の結論を父親として尊重するよ」と返信しました。
LINEに書かれた言葉に、私は、高校受験の出来事を長男はずっと意識していたんだな、と思い知らされました。あの時、私はいとも簡単に「それは通過点でゴールではないんだよ」と手紙に記したわけですが、長男はその通過点に引っかかりを抱えたまま今まで生きてきた・・・それを思うだけで胸が一杯になりました。私は大学受験を終えるまで決して何も言うまい、と決意しました。
9月に北海道で大きな地震があり、偶然にも台風も重なって我が家は長く停電が続き、そのような中でもロウソクを灯して受験勉強をしていました。それから少ししてずっと仲良くしていた友を病により失い、メンタルも体調もボロボロになり満足にモノも食べられない状態になりました。さらに追い込みの12月24日に私が突然腹痛と高熱で寝込むことになり、どうしようもなくなって病院に駆け込むと虫垂が破裂している(虫垂炎)と言われ、29日に緊急入院となりました。共通テストの直前まで入院することになり、応援どころか逆に足を引っ張るダメな父親になってしまいました。どうしてこんな大切なときに虫垂炎になんかになるの、と妻に叱られました。今だからいろいろなことを想い出します。
長男がどこの大学を目指しているのかすらわかっていませんでした。妻とはいろいろ話をしていたようですが、私には一切話をしてくれませんでした。弘前大学に合格した日に初めてそうなんだ、と知ったわけです。何を暢気にと思われるかもしれませんが、実は非常に悪さをする虫垂炎で、一度退院してからというもの3月末の手術になるまで大変なことになり、長男の大学云々を考える余裕すらなくなる生活をしていました。しかも4月から管理職に、そんな大変なことも私自身抱えていたわけです。自分のことだけで手一杯で長男どころではなかったわけです。
長男の受験から、自ら「こうしなければならない」と気付き努力している子どもに対して、親として思うところがあったとしても、私は「何も言うまい」、つまり子どもの思いを「尊重してあげる」ことが極めて大切なんだということを経験的に理解しました。がたがたモノを申したら成功することも失敗につながってしまう・・・それが私なりの結論です。
我が家のどうでもいいような昔話をさせていただきましたが、1月から3月までの受験シーズンは、子どもたちにとって(保護者等にとっても)経験したことのない緊張であったり、大きなプレッシャを抱える時間になります。私たち大人のようにさまざまな人生を巡ってきた者にとっては簡単にやり過ごせることでも、十代の子どもたちにとっては全力で挑戦する一大事。最大の挑戦です。その時に親として何を語り何を伝えるか - 私の経験が何かのお役に立てばいいなと思って書かせていただきました。
「今度家庭クラブの代表になりました〇〇〇〇です。●●●●です。ちぎり絵カレンダーを作りましたのでどうぞ」2名の女子生徒が役員に就任した報告とカレンダーを持って校長室にわざわざ足を運んでくれました。教職32年、多くの学校で多くの生徒を見てきましたが、生徒が校長室を訪ねる(形式的なことは除いて)という話を聞いたことがありません。節度を持って来てくれる本校の生徒は本当に素晴らしく可愛らしいです。いつもありがとうございます。本校に勤めることができて本当に幸せです。
2名にお願いです。3年次生が卒業し、今度はあなたがリーダになります。今の活動がその下の代までずっと続いていくように、1年次生、さらにこれから入学してくる新入生への御指導をよろしくお願いいたします。
私は校長室に来てくれた生徒と必ず写真を撮るようにしています。今年度ずいぶんたくさんの生徒と写真を撮りました(こうしてホームページに掲載することも快く了承してくれます)。担当の先生に行っておいでと言われたのか、生徒同士で盛り上がってちょっと行ってみるかとなったのか、まぁまぁどちらであっても嬉しいですよね、こういうことは。
「ねぇ、どうする、ピースでもする?」生徒同士の日常会話的な話が聞けることを個人的な楽しみにしています。この場所でピースなどしていいのだろうか・・・迷いや冒険心からもう一步踏み込んでみたい気持ちでこそこそとやりとりしている姿に心が和みます。「ピースでもポーズでも何でもいいんだよ」と私はいつもそうした言葉を返すようにしています。せっかくの機会だから整然と並んだ写真よりありのままの姿で写って欲しいのです。
生徒を見る視点が昔と大きく変化している自分を感じることが多くなりました。1回目の担任は生徒と9つ違いでしたから友達、お兄さんとしての感覚。2回目と3回目は私自身が父親になった時でしたから兄であり父親、時に友人でもあり。4回目は自分の子どもとしての感覚がすごく強くなりました。5回目は自らの子どもと同じ世代に差しかかっていたので家族としての感覚が強まりました。勝手にそのような思いで人間付き合いをしてきましたから、生徒にしてみるとなんだなんだこの人なんか違うぞ、となっていたかもしれません。
では今は・・・とっても表現が難しいのですが、生徒すべてを寛容に受け入れられる、そうした感覚です。保護者等の気持ちまでを包み込んだものの見方と受け止め方になっています。知らないうちに自然にそうなってしまいました。どれほど可愛い存在なんだろう、宝物で大切な子どもなんだろうな、そこから物事を出発させている自分がいます。立場がどうしたではなく、自らの子どもたちが家を出て妻と二人だけの生活となり、歳とともに自らのライフスタイルが変化しています。そうしたことが影響しているのか、子ども(生徒)の大切さに思いを馳せる日々が続いています。歳をとっていくことへの戸惑いはありますが、自分の中で教育観が変化していくおもしろさを実感できていることを考えると、歳をとることもまんざらでもないと思ったりしています。
ちぎり絵カレンダーは私の真後ろにあるキャビネットに並べて貼りました。
1日に卒業した本校3年次生からのことば(原文のまま)です。北海道教育委員会がとりまとめたアンケートから抜粋しました。私が書いたり話をするよりも、すごく現実味があってすごく説得力があります。是非、お読みください。
●とりあえず挑戦しよう
●将来が決まってないなら総合学科に来た方がいいなぜなら自分がそうだったから
●様々な分野を専門の講師が具体的に説明してくれるので、資格、進路選択に活かせる
●もし、中学校卒業時点で将来どんな仕事についていたいかまだ見つかっていないという人は、総合学科の学校に行くと自分のやりたいことや特技が見つかるので進路に迷ってるならオススメします。
●進路に迷っていたら、とりあえず総合学科に入ると色んなことを学べ経験ができる
●自分にあったコースを見つけることができ、資格を取って進路活動に活かせる。
●就職をしたくても進学をしたくてもどちらにでも悩まず進むことができて、自分が将来どのような進路にしたいかが決まっていない人にすごいいいと思います。または優柔不断だったり色々な資格を取りたかったりする場合にもおすすめだと思います。
●学びたいことをしながら、片手間で他のことについても学べる
●さまざまな科目があるから、就職・進学先は明確になりやすいかもしれないが、進学で学科試験がある人は、本当に努力しなきゃいけないです。
●まだ将来のことが全く想像つかないひとにおすすめ
●どんなことがやりたいかわからなくても、やりたいことを見つけるのに最適な学科
●じぶんに見合った進路を見つけれるようにがんばってください
●高校卒業後の進路が明確じゃなくても総合学科の高校に進学すれば色々な科目を学べてたくさんの資格が取れ、たくさんの資格が取れるから進学・就職どちらにも強い
●自分に合った専門科目を学べるので、高校卒業後の進路に活かせます
●学びたいことが学べるためよい
●勉強があまり好きではなかったりテスト勉強が苦手である人や進学を前提に考えている人。専門的なことを学びたい人、自分に合ったものを見つけたい人などには総合学科はとてもいいと思う。高校選びはとても人生において重要であるし、自分の人生を選ぶ中で選択肢が広いこの学科は適していると言えると思います。
●総合学科は自分にあったやりたいと思える学科を自分で選択して楽しく授業を受けることができるよっていいます言います。
●やりたいことが決まっていなくても二年生からの選択なので時間に余裕があっていいよ
●進学と就職の両方を考えることができる。幅広い分野で学べて自分のやりたいことが明確にわかると思う
●進学と就職の両方で迷っている人は総合学科だとどちらも先生が対応してくれたり相談に相談に乗ってくれるとこところが良いなと思う。選択科目が充実している分、進路に合わせてしっかり考えて選ばないと後々後悔することもあるので、慎重に選んだ方が良いと思う。
●自分がやりたいこと興味のあることを学べる
●まだ将来のことが決まってなければ総合学科は考える時間ができておすすめ
●色々まなべる
●体験授業で、自分の向き不向きを知ってからどの分野を学ぶか決められる点
●総合学科の高校は自分の興味のある分野を学べたり出来るし、高校卒業後の進路が決まっていない人でもじっくりと考えて決めることが出来る。
●高校1年目はまだ何がやりたいのかわからないと思うので、先生の話など、それぞれ違う学科の先輩に話を聞いたりしてしてみてほしい。私は部活に入ることでいろんな先輩と関われた。
●勉強が苦手なら総合学科を選んで自分の興味のある学科を選んで授業を受けた方が意欲的に出来ると思った
●自分が進みたい進路が定まっていても、いなくても自分の興味関心や引く授業が選べるため将来について着実に進めていける。
●総合学科は必須科目だけではなく、農業や家庭、工業の中で自分の進路に合った科目が選択でき、楽しく学ぶことができる。
●総合学科は選択肢が決まってない人などが探す際にとても適しているからそういった人にオススメできます。
●まだ進路が明確に決まっていないのなら、就職も進学もできる総合学科がおすすめだと思う。自分の頑張り次第でいろんな選択肢が見えてくると思うよ。
●総合学科なら色々なことをまなべるという
●自分の将来に合った科目を複数選択することができるので後悔しない三年間を過ごすことができます
●中学校のうちから大学に行きたいと思うなら普通科高校に行くべきだと思うけど、まだ未定なら総合学科に入って体験授業などを通して興味のある科目選択をして進路を選ぶべきだと思う。
●高校入学する前に進路を明確にし、1~2 年間その進路が正しいか判断するために生活する。その手助けに総合学科がいいのかもう一度じっくり考えるとよりよい学校生活と進路活動ができると思う
●総合学科は自由度が高くて、もしも苦手があっても、選択内なら違うものを選択できるし、案外系列ごとで深まる関係というのもあったりする。
●進路が決まっていなくても入学してから決められる点
●やりたいことが特にない人ほどおすすめできる。変に普通科や専門性のあるところに進んでしまうと興味のないことに三年間取り組む地獄が待っている可能性が高い。
3年次生、ありがとう!!
12日(木)、美唄市立東中学校の卒業式へ。教頭先生は美唄市立美唄中学校の卒業式に出席していただきました。
式典が終わりに近づき、ステージ前に卒業生全員が並び代表生徒が一人前に出ての答辞。自分の想い、そしてみんなの想いをありのままに、自分の言葉で静かに語る姿に私は心底感動し涙が止まりませんでした。13、14、15歳を全力で生きてきた、その3年間が会場にいるすべての人に伝わる感動的なお話でした。
目頭を押さえる女の子、溢れ出す涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らす男の子、笑顔から急に泣き顔になった女の子、目を真っ赤にして涙を拭う男の子。そして、入場から式典が終わるまで涙を流し続けた担任の先生。ハンカチで目元を押さえる校長先生・・・それぞれの想いが心の中を駆け巡るから心が震え涙が込み上げてくるのです。何にも代えがたい涙。寂しいけれど幸せで嬉しくて美しい涙。人生にこうした一日があるのは本当に素敵なことです。
涙の担任の先生を見ていると、自分が担任として巡ってきた5度の卒業式を想い出してしまいました。先生の気持ちが痛いほどわかります。一粒一粒の涙の意味が私には手に取るようにわかります。愛情の数だけ涙が溢れる。あぁ、担任として生徒と一緒に過ごしたい・・・教師としての原点を思うとともに今や叶わぬことを真剣に考えている自分に戸惑いを感じたのも事実です。感動的な卒業式を見た今日くらいそういう気持ちになっている自分を許してください。
卒業生の合唱、全校での合唱で式典は締めくくられました。みんなで想いをひとつにできるのは合唱の醍醐味であり、大きな魅力だなと改めて思った次第です。声を合わせるっていいですよね、とても。いつまでも聴いていたい、歌の終わりを聴きたくないと正直思いました。終わると、もうお別れ。だから終わらないで、と。
卒業生の皆様へ。いつもお別れだけではありません。お別れがあれば出会いがあります。人はそれを繰り返しながら生きていく。私自身中学3年生の時には考えもしなかったことだけれど、いつの間にかそうしたことに気付きここまで生きてきました。寂しさの裏に楽しさがあることだけはこの場で伝えさせてください。
お別れの時、始まりの時、その一つひとつを大切にしたいものです。
美唄市立東中学校の3年生、美唄市立美唄中学校の3年生の皆様、そして保護者等の皆様、本日は誠におめでとうございます。また、卒園、卒業を迎えられたすべての皆様、おめでとうございます。
素敵な人生を!!
私の中での区切り。昨夕、見ないままにしていた今年度の卒業アルバムを開きました。満面の笑みにピースサインの高校生が私の心をやわらかくそして穏やかにくしてくれるのだけれど、見ているうちにじんわり涙が出てきてしまい、ひとり校長室で感傷的になってしまいました。どんどん涙もろくなっている自分を感じます。どうしたものか・・・考えても仕方ないのですが。
そこには私の知らない2年間の姿を見ることができました。全員がマスクの入学式。マスクの宿泊研修。一人ひとりアクリル板で間仕切られたテーブルでの食事。それは彼らだけに与えられた制限ではなかったけれど、ずいぶんと不自由で窮屈なスタートだったということを物語っていました。マスクのないクラスメイトの表情が見られたのは途中から。彼らはどのような思いである日突然マスクを外したのか。そうしたことを考えるだけで胸にじーんと迫ってくるものがあります。
教室での授業、見学旅行、学校祭、運動会に体育祭。一コマ一コマに彼ら一人ひとりの高校生があります。長い長い人生のどこかの場面でいつかこの卒業アルバムを開くことがあったのなら、写真の中の自分の姿に自分の中の高校生を想い出して欲しい。目の前の時間を止めて、この時の自分は、とゆっくりゆっくり高校生の時間を振り返って欲しい。
前を見て進むことだけがすべてではありません。私は7割8割は過去を懐かしみ過去に思いを馳せてばかりいる人生です。逆に言うとそれがあるから前に進めるとも思っています。過去に戻ることはできず未来に飛ぶこともできません。果たして自分の現在地が確かなモノになっているか - 過ぎ去った日々を振り返ることでその答え合わせができる、そうした経験が私には多々あります。自分の足跡を確認することを大切にしています。
3年間の担任業務を終え、入学者選抜に係る業務が続く毎日。あの日、私は担任だけに与えられる職員室(学年室)で生徒指導要録を作成していました。異動することも決まっていて、家に帰れば引越の段ボール箱に囲まれた慌ただしい生活を送っていました。
14時46分、今までに経験したことのない揺れが突然襲ってきて、いったい何が起こっているのかわかりませんでした。一瞬目に入った窓の向こう側。グラウンド袖に立つ夜間照明の鉄塔はすべてが倒れんばかりに左右に首を振り続け、野球グラウンドはぐにゃっとうねっていました。それを見てこれはただ事ではないと思いました。とんでもない地震が発生していることを理解するまでにかなりの時間を要しました。たまたま午前授業で校内には教職員だけしかいませんでした。600人を超える生徒が校内で授業を受けていたら、相当違った展開になっていただろうと思います。
あの日からしばらくの間、当時勤めていた学校はどのような対応や対策をしたのか - いくら考えても想い出すことができません。海岸まで1キロメートルに位置していた学校です。管理職の指示の元で行動したのは間違いないのですが。どうしてそこの記憶がすっぽり抜けているのかわからないのです。
私が住んでいたところは直線距離で海まで500メートルでした。住まいの周辺では避難を呼びかける車がひっきりなし走っていました。どれだけの住民が高台の避難施設に向かったのだろう。少なくとも私を含め近所の方は避難していませんでした。
あの日から15年。人の命を預かる者として危機管理のアンテナをさらに高くしなければならないと思っています。朝から危機管理マニュアルを確認しているところです。
一目惚れした名刺ケース。今年度の自分への御褒美。私の宝物です。
私は着るモノ、履くモノ、身に付けるモノに強いこだわりを持っていました(一部、現在進行形ですが)。毎月ファッション雑誌を買って、流行りの動向をチェックし品定めを楽しむ高校生でした。高価なモノというのではなく身の丈に合ったモノ。人とは異なるモノ。自分だけ感があり尚且つお洒落なモノ。アルバイトで貯めたお金を握り旭川や札幌によく出掛ける、そんな高校生活を送っていました。現在はその片鱗すら残っておりませんが、靴や腕時計、鞄や小物類に今でも気持ちがそそられるのは、間違いなく高校時代のなごりです。
人からどのように評価されているのか - 三十代前半までずいぶん気にしていましたが、そうしたことが良くない精神状態を作り出していることに気付き、それ以後いちいち気にしない自分づくりに勤しみました。「自分に嘘をつかず誠実に向き合い人に迷惑をかけない」そのことだけを考えてきました。それは現在も変わりません。もしもそうしたスタンスが評価されるのだとしたら、それはずっとずっと先のことであり、私の知らないところでいつか誰かが評価するのだろう、と思っています。自分が何かを全うした先に誰かの評価がある。そう考えるようにしています。
そういう私ですが、自分で自分を評価することは大切にしていて、その中でも一年にひとつ「よくやったよな」と思えることに対して自分への御褒美を忘れないようにしています。思い通りにならないことばかりですが、努力して達成できたことは仕事に限らずプライベートを含め必ずひとつはあるものです。そのひとつをしっかり評価して御褒美を与えています。
40歳から年に一度の御褒美を続けているのですが、継続している理由はそうすることがさらに自らのモチベーションを高め、次に向かうエネルギーに繋げられていることを経験的に理解しているからです。自分を大切にすることで次の一步に踏み出せる、私はそう考えてここまで生きてきました。特に不自由さを感じたことはありませんから、これからも続けていきます。
さて、私の御褒美のコンセプトは、決して背伸びをせず、見栄を張らず、あくまでも身の丈に合ったモノ、そしてあまり人が持っていないモノ、です。この名刺ケースはどこにもない個性的な一品でとても素敵です。何とも言えない手作り感とデザイン性が私の気持ちをいつまでも飽きさせません。
肩書きのある人生も残すところ5年となりましたが、その5年間をともにする名刺ケースです。5年後、最後の役割を終えたあとに子どもに譲ろうと考えています。
3月1日の卒業式が終わって、午後の1時過ぎ。とん、とん、と校長室の扉がノックされました。
「バレンタインデーの日に何も渡せなかったので、校長先生に今日渡そうと思って昨日作りました」そう言うと紙袋の中に手を入れラッピングされたクッキーが私の前に。「もうこれで高校生活が全部終わりました。最後になりました」少しだけ寂しそうな表情に目元はうるんでいました。「何かあったらまたいらっしゃい。いつでも来ていいのだから」私がそう言うと「わかりました。ありがとうございました」と頭を下げ彼は校長室をあとにしました。気持ちが優しくおっとりしていて、笑顔の可愛らしい礼儀正しい生徒でした。
私は教育に関してはウェルカムのスタンスですから、32年間来る者拒まずで生徒と接することを信条としてきました。教師と生徒と言えども人と人ですから、すべての生徒が私に懐き近寄ってくるということはありません。一定の距離を保ちたい、本当は行きたい、一人では近寄れない、もう少し信頼できる人か見極めてから・・・生徒それぞれに事情はあります。そうした生徒は長年の経験と勘でわかります。ここぞと思うときに私からこっそり寄っていって声をかけてあげるなど、工夫を凝らしながら接するよう心掛けてきました。無視はしない、無理はしない、無駄にしない。ただ、気にかけてあげる。ただ、見てあげる。ずっとそうしてきました。
管理職になると生徒と遠くなってしまう・・・多くの校長先生にお声掛けいただいたとき真っ先に思ったことはそれでした。60歳で退職するとき自らの教職の締めくくりを卒業生の担任として終えたい - 教師になった最初の日に決意した自分への裏切り。このことが私の決断をいつまでも遅らせた最大の理由でもありました。
紆余曲折の末に管理職に転向したとき、立場は変わるけれど自らの信条を崩す必要はないんだ、と心に決めました。それが正しいことなのかどうかはわかりませんが、一人の教師として信条を捨て去る必要はない、そう思ったのです。ただ、担任や教師を超えないように一步も二歩も下がって控えめに控えめに。
卒業生の担任として、という私の中での決め事は残る5年の教職人生で叶えることはできなくなりましたが、管理職としての生徒との関わり方については、現在もそうですが7年間ずっと思いを巡らせています。それは私にとってとても楽しい時間でもあります。生徒から学ばせてもらうこと教えてもらうことがたくさんあり、いつも私の経験値を上げてくれます。大変ありがたいことです。立場が違っても関わり様は多岐にわたっている、これが私の経験から言えることです。
躓いたとき、話を聞いて欲しいとき、ふと本校の先生方の顔が浮かんできた・・・そうしたら思い切って学校に足を運んでください。美唄尚栄高校が自分の立ち位置を確認したり見直したりできる場所であっていい。私はそう思います。
3月4日(水)及び5日(木)は入学者選抜に係る学力検査と面接のため、更新を控えさせていただきました。
子どもたちの周りではみんなスマートフォンを持っている - そうしたことは妻との会話やランニングチームの仲間からよく聞く話でした。以前は高校生から、それが小学生や中学生にまで下がってきている・・・持たせることは簡単なことではありましたが、私と妻との間で「高校に合格したら持たせよう」と決めていましたし、子どもたちもそれまで我慢するしかないと思っていたはずです。今考えると、一日でも早く持ちたかったんだろうな、と思ったりすることはあります。長男にもそうしましたから、当然2学年下の次男にも同じようにしました。次男の世代はおそらくほぼ全員がスマートフォンを持っていたのかもしれません。
私立高校の合格は2月下旬にわかっていましたが、公立高校が第一志望でしたから、3月中旬の合格発表で桜が散った日は長男は泣き崩れ、「恥ずかしい、情けない、行きたくない」と部屋に閉じ籠もりました。「何がっ、恥ずかしいんだっ」と喉元まで声が出かかりましたが、それはここで言うべきではない、と私は自らをぎゅっと抑えました。抑えたはいいけれど、感情の高ぶりはなかなか収まりませんでした。
このまま自分が家にいると良くないな、と考え、そそくさとジャージーに着替え、ジャンパーを羽織り、無言でランニングシューズを履いて外に出ました。あとのことは妻に任せようと思ったのです。あの晩、私は長男のことを考えるとともに父親としてこのあと何をすべきか、ただそれだけを考え、2時間ほど外を走っていました。あの2時間で考えていたこと -
私の転勤の都合で、小学5年生への切り替わりのタイミングで無理矢理新しい学校に転校させることになりました。引っ越すギリギリまで転校なんかしたくない、とめそめそ泣いていました。一緒に風呂に入った次男から、「いい考えがあるぞ、お父さんだけ札幌に行け」と言われもしました。子どもたちが納得するまでには結構な時間を要し、私は子どもたちにとって一時敵同然の存在でした。
新しい環境になって少ししてから「なんか勉強しないとヤバいかも。前の学校と違ってのんびりしていられない感じがする。だから塾に行かせて欲しい」そう言った長男。私は何で小学生から塾なんだという怒りにも似た思いと、でも自分で考えて必要なんだと言った長男の気持ちを認めてあげないと、という複雑な思いの中で妻とどうするか話をしました。
長男なりに転校してから今日までの5年間、焦りやプレッシャーを抱えながら受験を迎えたということ。転校させなかったらこんな思いをさせなくて済んだのかもしれないということ - 過去に遡って考えるとそもそもの原因が私の都合にあったのではないか・・・
結局、私は手紙を書いて渡すことに決め、家に帰ったあと自室で夜遅くまでペンを走らせました(このことはずいぶん前にも書きましたので割愛します)。その手紙を渡したあと長男はいつもの顔に戻りました。「よし、今から約束のスマートフォンを買いに行くぞ」と私が言うと、長男は「わかった」と言い服を着替えました。これでいいんだ、ここから始まるんだ、と私は一人納得したのです。
高校受験を迎えるとき、私はいつもわが家の顚末を想い出します。おそらく残り5年間この仕事に関わっている間は間違いなく想い出すだろうと思います。これも長男がくれた家族の大切な想い出です。
受験生の皆さん、長きにわたる受験に向けた学習、大変お疲れ様でした。
しーん、とした教室
しーん、とした時間
ここからスタートした8時35分
もうここで教科書を開くことも
もうここで向き合ってお弁当を食べることも
もうここでスマートフォンの画面を覗くことも
ありふれた日常は
すべて想い出の中へ
ここで終わる15時25分
もうここで教科書をカバンに詰め込むことも
もうここで空になったお弁当箱を持つことも
もうここでスマートフォンで音楽を鳴らすことも
ありふれた日常は
すべて想い出の中へ
3月3日の朝。玄関の出迎えが終わり、2階のフロアを歩きました。しーん、と静まりかえった教室に入ると、行儀良く並んだ机にまるで時間が止まったような感覚を覚えました。人がいなくなる寂しさとはこういうことなんだろうな、としみじみ感じています。
卒業アルバムの後ろに真っ白なフリースペースが設けられたのはいつからなのでしょうか。卒業式が終わったあと何人も校長室に来て、「ここに書いてください」とお願いされました。笑顔の生徒、涙を流す生徒・・・一人ひとり思いが私には伝わりました。
皆さんに出逢うことができて本当に良かったです。
皆さんに出逢わせてくれた縁に感謝の意持ちでいっぱいです。
式辞
「第15回北海道美唄尚栄高等学校卒業証書授与式」にあたり、PTA会長 〇〇〇〇様、同窓会長 〇〇〇〇様をはじめとする御来賓の皆様と保護者等の皆様の御列席を賜り、本式典を挙行できますことは、私ども教職員にとって大きな喜びであります。本日、御出席いただきましたすべての皆様に、教職員一同心より感謝申し上げます。
ただいま、卒業証書を授与した卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。
皆さんが手にした一枚の卒業証書には、入学してからの3年間、1,095日の歩みが刻まれています。自らが積み重ねてきた努力、葛藤、悩み、そして喜びのすべてが凝縮された、大変価値あるものです。現在の皆さんは、三年前の入学式とは比べものにならないほど逞しく成長し、自信に満ちあふれています。その成長を心から誇りに思います。
特色ある総合学科高校で自らの進路実現に向けて学びを深めながら、部活動で汗と涙を流し、放課後の教室で友と語り合い、各種行事における団結等をとおして社会性を身に付けてきた数々の時間は、人間を形作る大切なピースとなるとともに、その時間はすべて本校の歴史として刻まれました。目標に向かって努力し、時には壁にぶつかり、それらを仲間と共に乗り越えてきた経験は、これから皆さんが歩む長い人生において、折れない心の支えとなるはずです。どうか、自信を持って次のステップに進んでください。
さて、生徒玄関に掲げた書を皆さんは毎日目にしてきました。〇〇教諭が書道展に出展した作品です。私はその力強い言葉に惹かれ、それがRADWIMPS(ラッドウィンプス)の野田洋次郎さんが書き下ろした「正解」という楽曲の一節であることを知りました。生徒に近いところでメッセージを発信したい、その気持ちで作品をいただきあの場所に掲げました。「答えがある問いばかりを教わってきたよ そのせいだろうか 僕たちが知りたかったのは いつも正解などまだ銀河にもない」この一節は、正に今を生きる皆さんの心の代弁であり、同時に強烈なエールであると受け止めました。「いつも正解などまだ銀河にもない」この言葉を、どうか皆さんの胸に深く刻んで欲しいです。
これから足を踏み入れる社会は、かつてないほどの速さで変化を続けています。デジタル技術の飛躍的な進歩、生成AIの台頭、そしてグローバル化の進展。これらは私たちの生活を便利にする一方で、昨日までの「正解」が、明日には通用しなくなるような、予測困難な時代をもたらしています。このような「正解のない時代」の中で、戸惑いや不安を感じながら生きていくことになります。しかし、変化とは、見方を変えれば「新しい可能性」そのものです。古い枠組みが取り払われ、個人の創意工夫や熱意が、これまでにないほど大きな力を持つ時代が来ているということです。私から皆さんに大切にして欲しいことを2つお話します。
1つ目は、「問い続ける力」です。「なぜそうなるのか」、「本当にこれでいいのか」という疑問を持つことが重要です。北海道という広大な大地は、かつて先人たちが未開の地に挑み、試行錯誤を繰り返しながら切り拓いてきた歴史があります。皆さんも、「当たり前」を疑い、自らの頭で考え抜くことを恐れないでください。最適解を導き出すのは皆さんです。
2つ目は、「他者への共感と対話」です。多様性が重んじられる社会では、自分とは異なる背景や考えを持つ人々と協働することが不可欠です。「正解のない問い」に立ち向かうとき、最大の支えとなるのは仲間です。本校で育んだ6つの力(思考力、自己肯定力、意思疎通力、行動力、創造力、発信力)を発揮し、新しい価値を共に創り出せる大人になってください。
本校で過ごした3年間で、皆さんは時にぶつかり、時に励まし合いながら、友情を育んできました。その経験こそが、財産です。相手の立場に立って考え、対話を通じて新しい価値を創造できる、心豊かな大人であって欲しいと願っています。
最後になりますが、保護者等の皆様におかれましては、今日まで、深い愛情をもってお子様を育ててこられ、立派に成長されたその姿に、感慨もひとしおかと存じます。改めてお祝いを申し上げますとともに、これまでの本校への多大なる御理解と御協力に、深く感謝申し上げます。
卒業生の皆さんは、ここまで自身の成長を支えてくれた保護者等並びに多くの方々への感謝の気持ちを忘れずに生きていってください。
いよいよ別れの時です。皆さんが去った後の校舎は、寂しくなりますが、皆さんの新しい門出を祝し、豊かで幸せな人生を歩まれることを祈念し、式辞といたします。
令和8年3月1日 北海道美唄尚栄高等学校長 日下 剛
20日、2名の生徒が校長室にやってきました。授業で作ったお菓子をわざわざ届けてくれました。ありがとう。持って行ったらと言われたのか、持って行こうとなったのかはわかりませんが、私はこうして校長室に来てくれるのが何よりも嬉しいです。
前にも書きましたが、次男が「そもそも校長先生の顔も名前も知らないわ」と私に言ったことがあります。普通はそうなんだろうと思います。8間口生徒数960人の高校であれば、一度も話をしたことのない先生がいても不思議ではありません。ましてや校長、教頭と会話をすることなどなくて当たり前です。私も高校時代の校長先生の顔と名前が一致しません。そんなものだと思います。
本校はこぢんまりした学校ですから、生徒との距離がとても近く、突然話しかけても生徒は驚くこともなく返答してくれます。コミュニケーションが円滑であることが一番いいところだと私は思っています。
教諭時代の自分が抜けきらなくて、自分から生徒に話しかけることが多いな、と反省しています。ただ、闇雲に声をかけるのではなく、生徒一人ひとりの表情等を見て私の中できちんと整理しています。この仕事に就いてからは、特に意識している(染みついているのですが)ことです。
顔色を見る - 私は物心ついた頃から父親の表情(顔色)を意識した生活をしてきましたから、おそらく誰よりもそこのアンテナは高いと思っています。それがいいことなのかどうかは別の話になりますが。
美唄尚栄高校での私の1年がまもなく終わりを迎えます。日々の出来事や思ったこと感じたことを一枚の写真を付けて校長の小部屋に綴ってきました。読み返すことはしていませんが、パソコンに保存したファイルを数えたら、4月から本日まで177回アップしてきたようです。中身のない話でも、塵も積もれば山となります。
いつもお読みになっていただきありがとうございます。
3月1日の卒業式まであとわずか。その式に向けて1,2年次生がピアノ伴奏で校歌を歌っています。あらかじめCDに録音した音源を流し、校歌をみんなで歌う - そのような校歌斉唱もある中で、味わいがあっていいものだな、と思いながら聴かせてもらっています。
本校は科目「音楽」を設置していないため、校歌を歌うのは全校集会と儀式の時だけです。メロディラインはわかっていても、歌詞を覚えるまでには至っていないというのが現状です。歌詞とメロディは当サイト学校紹介のコンテンツで紹介していますので、是非アクセスしてください。心に染み入るきれいで流れるような詞が綴られており私は大好きです。
教頭としてお仕えした校長先生に今後の我が身の在り方を御相談させていただいたときの話になります。「先生がこの先校長に採用されて、そうなれば卒業式で卒業証書を渡すことになるけれど、生徒が階段を一步一步上がってきて自分の前に立ち、ぐっと顔を上げたその瞬間に見せる生徒の表情を是非見てもらいたいんだよ。その表情を見ることができるのは校長だけだから。私はそのときに自分が校長になって良かったなと思えるんだよ。先生にはそれを是非その景色を見て欲しいと思っている」
自分の器、自分の性格、自分がこの先目指すもの、残された教員生活の締めくくり方、教頭職と校長職、絶対に譲れなかった自分の中での決め事・・・教頭として5年目を迎え、私はこれからの生き方について深く深く考えるようになっていました。私の気持ちを受け止めてくれた校長先生からは本当に多くのアドバイスをいただきました。気持ちの整理をつけるまでにはかなりの時間を要しましたが、振り返るともうそこには感謝の言葉しかありません。
校長先生が仰った「是非見て欲しい景色」その日が近づいています。そのとき私は生徒一人ひとりの表情から何を受け取り何を思うのだろうか・・・緊張もしますが楽しみでもあります。
雪解けが一気に進みました。主要な道路は乾いた舗装が見えています。陽射しも春を感じさせるものに変わってきました。真っ白だった校地内も雪がわずかに残っている、そのような感じになってきました。
私には十分すぎるほど多かったのですが、職場内で雪の話をすると今シーズンの美唄の積雪はずいぶんと少なかったようです。毎朝毎夕10センチ以上の積雪があり、雪かきするのが苦痛でした。例年はこんなものではない・・・豪雪地帯恐るべしです。ただ、ありがたいことにここ10日間ほど雪かきをしていません。この調子で春に向かってくれるといいのですが。
昨日の午前中、札幌で打合せがあり、午後の遅い時間に美唄に戻りました。札幌市内も路肩にこんもりと積み上げられた雪が嵩を落とし、歩道を歩く人の姿を運転席から確認できるようになりました。
お昼過ぎ、制服を着た女子高校生数名が嬉しそうに手を取り合い横断歩道を渡って、そのままファストフード店に入っていきました。この時間にどうしたんだろ、とは思いましたが、おそらく先生方の会議等により午前授業になったのでしょう。異なる制服を着た高校生の姿もありましたので、どこの学校もこの時期ならではの状況になっていると思われます。先生方は忙しいけれど、生徒の立場からするといつもより早く帰宅できる、何だかそれだけで嬉しいですよね。わかるような気がします。
本校も年度末を迎え会議が立て込んでいますし、入学者選抜試験等の準備で慌ただしくなっています。生徒の皆さんには、短縮授業等で落ち着かない状況になり迷惑をかけますが、校内外の生活に十分気をつけてお過ごしください。
3年間使い続けてきた下駄箱
同じ場所に出し入れしてきた上靴と外靴
もう二度とは戻らない高校生の自分
さよならの日が近づいている
出会いと別れ
笑顔と涙
ある日は手をつなぎ
今日突然仲がこじれ
雨に打たれて帰った日
吹雪の中で髪を濡らした日
すべてを共にしたリュックも
今はすっかり色褪せて
右手になじんだお弁当も
今日でおしまい
口げんかで家を飛び出した日も
あの人に会える朝を楽しみに歩いた日も
一步一步
一日一日
下駄箱だけは待っていた
そこに変わらず立っていた
ありがとう
今までどうもありがとう
本日、3年次生は中間登校日。今まで使ってきた下駄箱の清掃を行いました。きれいになったことが、余計にお別れという現実を実感させるものになり、私はなんだか感傷的になっています。
今朝、夕張高校の熊谷校長先生が更新したnoteを拝見し、素晴らしい取組をなされているなと関心しました。実は不定期ではありますが、私も若手教職員とざっくばらんな話をするため、昼食を一緒にする時間を設けてきました。面と向かって一対一で話をするよりも昼食を摂りながらの方が会話も弾むだろうと考えました。私から堅い話をするのではなく、できるだけ言葉を引き出すことに心掛けてきました。成果はあったな、と個人的に思っています。
それであれば生徒とも。そう思って昨年秋に声をかけると早速お弁当を持ってやってきてくれました(写真は家庭学習に入る直前のもので、ホームページに掲載することを約束していました)。以後何度も開催していますが私はもっぱら聞き役です。でも、一番聞きたいことは「美唄尚栄高校を選択した理由」「美唄尚栄高校の魅力」「美唄尚栄高校の良さ」「美唄尚栄高校の改善点」「美唄尚栄高校で学んできたことに対する満足度」「美唄尚栄高校の今後」何となく話題を振って生徒の会話を聞いている、この時間は大変有意義です。生徒の思いを直接聞ける、これからの学校づくりについて考えさせられる意見がたくさん出てきます。かなり確度の高いヒントとして受け止め、そこに私のアイデアと合致する部分があるか否かをその都度整理させてもらっています。
担任業務を担っていたとき、たまにお弁当を持って教室に行きました。机を向かい合わせて生徒の会話を聞いている時間が大好きでした。朝はSHRが始まる相当前から教室に行き、入ってくる生徒の表情を見ながら他愛もない会話をして、放課後の清掃では話しかけてくる生徒の声を聞いていました。そこで出てくる話のほとんどは、別れた寄りが戻ったなどの彼らにとっては一大事の恋愛模様が主でしたが、一人ひとりが16歳17歳18歳の今を精一杯生きているんだな、と感じさせるものばかりでした。授業では見られない意外な一面、これをキャッチできる有効な時間であり、結局高校時代の自分と同じだな、ということに気付かせてくれる嬉しい時間でもありました。
ぽろっ、と本音が聞ける・・・その瞬間を私はとても大切にしています。そこには『信頼』が必要です。信頼される生き方は私の永遠のテーマで、信頼される生き方を目指しその努力を惜しむことはありません(なかなか辿り着きませんが)。誰も信頼しなかった十代にたった一人信頼できる佐藤先生がいてくれたことが今の私につながっている、それがあるからです。現在の言葉で言うならば「ウザい」それくらいいつも私のそばで声をかけてくれ行動してくれました。そうした中でぽろっ、と本音が言えた唯一の先生でした。この人がいてくれて良かったな、そのことに気付いたその気持ちを私は今でも忘れることはありません。
声を聞く - 大切なことであるのはみんなわかっています。その場面づくりをどうするかが大きなポイントです。私の実践がヒントになるかどうかはわかりませんが、いずれにしても、待っていても訪れない(先日も書きましたが)、これは明らかです。出しゃばらない程度にアプローチしながら、意見が聞ける有意義な時間を今後も作っていこうと思っています。
3年次生が家庭学習期間に入っており、校内は静かな毎日が続いています。2年次から興味ある科目を自分で選択して授業に参加するスタイルの学校ですから、10分間の休み時間は各教室に移動する生徒の動きがあり賑やかになります。足音、笑い声、楽しそうな会話などなど、1階の校長室にいる私の耳にも聞こえてきます。
秋が深まるまで校長室の扉を開放していましたので、移動途中にひょっと中を覗いていく生徒やわざわざ「こんにちは」と挨拶してくれる生徒がいたりして、楽しく過ごさせていただきました。冷え込みが強くなって以降は閉め切りです。早く暖かくなって扉を開け放つ日がくるのを一人楽しみにしています。
1月の校長会でお話しさせていただいたある学校の校長先生は、年間をとおして校長室の扉を開放しており、生徒が時折来室してお話することがあると伺いました。それを聞いて私も開けようとは思ったものの、目の前の玄関から流れてくる冷気には勝てませんでした。寒がりで冷え性の私にはやせ我慢でも厳しいものがあります。申し訳ないな、と思っています。
今朝、卒業生代表で答辞を読み上げる生徒が書いた原稿を読ませていただきました。そして先ほど今年度の卒業アルバム(学校保管用)が一冊届けられました。今、その卒業アルバムは私の手元にあります。私の知っている今年の1年、私の知らない2年間。どのような思いで3年間を過ごしてきたのか - そのことが伝わる言葉が綴られていました。そうだったんだな、と思えば思うほど胸に込み上げてくるものがあり、目頭が熱くなる朝になりました。
だから、私が彼らより先に卒業アルバムを開くわけにはいかない、と思いました。本来は見て点検、確認すべきなのでしょうが、それは教頭先生と担任の先生にお任せします。
私は、卒業式が終わったあとにゆっくり彼らの時間と足跡を追いかけることにします。
本日、株式会社道央メタル様の御協力により、メカトロ・エンジニア系列2年次生を対象とした技術講習を開催いたしました。美唄市のものづくり企業として、プレス、板金加工、機械加工、溶接・組立、塗装等の業務で御活躍されております。
本校のメカトロ・エンジニア系列では、機械系の実習の中で金属加工を行っていることから、自らの学びの先にある世界を知るきっかけになりますし、地元で自らの夢や将来の実現ができる、そのようなことも感じられたのではないかと思います。大変貴重な時間になりました。ありがとうございました。
実は美唄中学校の浅利校長先生が道央メタル様との御縁をつないでくださいました。その後、関係する教員が道央メタル様と面会、直接訪問させていただきながら、漸く本日を迎えることができました。
「縁」 - よく使う言葉です。そして、人はどこかで「縁」を感じて生きているような感じがします。人と人とのつながりに限ったわけではなく、物事のつながりをも含めた宇宙的で究極的な(上手く表現できませんが)何かを持ったものだと思います。ある人との出会いから次の人とのつながりを生む・・・御縁は大切にしなければなりません。
話は変わります。2040年(もうそう遠くない日)AI・ロボット分野に携わる人材が330万人日本で不足するとされています。不足すると世の中どうなるだろうということを最近よく考えます。小さなエリアで考えると、雪が積もっても除雪が入らない(重機オペレータ不足)、家を建てることが決まったが着工が遅れる(建築会社の人手不足)、道路が凍結により穴が開いている(工事に係る人がいない)、自動車が故障して動かない(見てもらうまでに相当な時間がかかる)、エレベータが調子悪い(則修理に来てくれず階段を使うしかない)・・・
昨今、人が足りない、それを担う人がいないと言う言葉をよく耳にするようになりました。課題解決の糸口が見えず、ますます不便で不自由な世の中になっているのを実感します。「父さんが育ててきた工業高校生って実はすごい存在だよね。大切にしないとこれからの産業が成り立たなくなるよね。働くようになってわかったわ」普通科高校、大学は文系だった次男が私に言った言葉です。気付いてくれたことが私は嬉しかったです。でも、気付くだけでは社会は成り立ちません。
本校は総合学科高校です。衣食住に直結する系列(私はそう考えています)を抱える本校での学びは間違いなく2040年の地域を支える力になります。その頃、あなたの年齢は30歳前半。社会の中の主役です。
技術講習の講師である工場長様の姿を拝見し、自らの手掛けたものが多くの人に喜ばれ、地域社会に大きく貢献しているんだ、という職人としてのプライドを感じました。
刺激を受けました。ありがとうございました。
※35万アクセス到達となりました。御訪問誠にありがとうございます。当サイトの他にインスタグラム及びnoteによる教育活動の情報発信も行っております。是非、御覧ください。
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