北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
数学は習熟度別の授業を展開しています。授業中に後ろ側から入ってみました。単元『集合』になるのでしょうか。教科担任とのやりとりがとても楽しそうです。教科担任が私を見て「校長先生、私の授業みんなわかりやすいと言ってくれています」と胸を張って言うものですから、私は「わかりやすいと思う人手を挙げて」と生徒に聞いたら、なんと全員が真っ直ぐに手を挙げました。本当にそうだから手を挙げたんだな、と思える手の挙げ方でした。生徒は素直です。すべての学校に言えることですが、生徒の授業評価を私たち教職員はしっかりと受け止め、授業改善に励まなければなりません。
私の場合、中学校に入学して真っ先に数学につまずきました。これが転落の人生につながっていきます。わからない、つまらない、邪魔をする、先生の言うことに反発する、これが国語社会理科英語の主要教科に波及し、体育、技術にも広がっていく・・・わからないのであれば先生に聞けばいいのに、その姿をクラスの人に見せたくなくて、どんどん深みにハマっていく感じになっていきました。すべて自分が悪いわけですが、先生や周りのせいにして逃げていた・・・これが恥ずかしながらある一時期の私の姿です。
生涯学習 - その意味は多岐にわたりますが、私の場合はまず中学生の頃に戻り、ほぼ空白にしていた時間の学習を取り戻したい。戻したところで人生はやり直せないところまで進んでしまってはいるけれど、その年齢でしか得られない何か大切なものを置き忘れてしまったと思うからです。放課後に個人的に勉強を教えてくれた佐藤先生のおかげで、置き忘れになるはずだったもののいくつかは取り戻すことはできたわけですが。本当に失敗しました。
長男が高校受験の勉強をしていたとき、「父さん、この問題どうやってやるのか教えて」と質問されました。私の苦手とする中学の数学です。20分くらいかかって私なりに答えを導き、得意になって長男に説明しました。「答えは同じでもそのやり方なら時間がかかりすぎてだめだ」「どうして」「限られた時間の試験で他の問題に手が付けられなくなる、もっと効率よく解ける方法ないの」「ないな」「じゃもう聞かない」そのあたり(解答するための)の思考回路が私の中で断絶してしまっていることを感じた瞬間でした。こうしたところに綻びが出てくるわけです。
数学の習熟度別授業からずいぶんと話が広がってしまいました。
1週間で1万アクセスずつカウンタが上がっております。美唄尚栄高校の生徒を応援してくださりありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
本校の公式マスコットキャラクタの『かなうさ』
尚栄高校の”尚”と夢は”叶(かな)うさ”を掛け合わせた可愛らしいキャラクタです。「尚栄高校でなら夢は叶うさ」尚の中に口の字がありますが、この口が跳び箱になっていて、かなうさが跳び箱を跳んでいる。発想がいいですよね。グッド・アイデアです。
かなうさを何とかしたい - 昨年からずっと考えていることです。写真は工業系列の教員が3Dプリンタで昨年製作してくれたもの。もっと小さいサイズにして全校生徒に配布してカバンやリュックに下げてもらったらどうだろう。暗がりで歩いたときに車のヘッドライトに反射するキーホルダにしたらどうだろう。制服の上着(左側のラペル(下襟)にある「フラワーホール」に付ける)に付けるピンバッジにしたらどうだろう。ぬいぐるみが流行っていますからカバンに下げられるくらいの大きさで作ったらどうだろうか・・・アイデアは多々あるのですが、何かおもしろい意見等があればお寄せください。
そんなの意味がない、と言ったり聞いたりすることないですか。簡単に口にしてしまいがちですが、私は意味がないものってないと思います。かなうさもそうです。意味があってキャラクタになっています。ただただ眠らせておくのはもったいない。意味があるのだから意味を持たせる何かを生み出したいのです。それは今ここで働く教職員が中心となって考えなければなりません。道立学校で公式キャラクタを持っている高校が果たしていくつあるでしょうか。調べてはいませんがそう多くはないはず。そういう特異性のあるものだからこそ利用しない手はないと。
フラワーホールに校章を付けてもらっていますが、その横にかなうさピンバッジを並べて付けたら良さそうだな、と思ったりしていますが如何でしょうか。インターネットでいろいろ調べてみると300個の大量受注で6~7万円ほどで製作できるようです。そうすると1個あたり300円。手に届きそうな金額かなと思うところです。
本日からスタートします。3年次生から一人ずつ順番に実施してすべての生徒と最低1回は校長室でおしゃべりを楽しむ企画です。校長と『面談』するとなると、堅苦しくなりますから、名のとおりの『おしゃべりタイム』と銘打ちました。お昼休みに当たった人はお弁当持参です。放課後は飲み物持参で構いません。肩を張らずにやっていきましょう。緊張せずに自分の順番がきたら足を運んでください。
昨年度、声掛けをせずとも多くの生徒が私のところに訪れてくれました。それとは別に着任時から本企画を考えていたところであり、1年間宙ぶらりんになってしまったことに今さらながら反省しています。前3年次生はすでに卒業してしまい、貴重な機会を見す見す逃してしまった・・・思いついたら即実行を信念とする私ですが、何故やらなかったのだろう。後悔先に立たず。
道内の公立高校は本校に限らず生徒数の確保に頭を悩ませています。それぞれの学校が素晴らしい特色や魅力を発信し、一人でも多くの生徒に入学して欲しいと必死です。当然、私も毎日そのことを考えています。地域、つまり外に向けた情報発信にウェイトを置きがちだけれど、足元をもっと見る必要があるのではないか。このことは教諭の時からずっと考えてきたことで、32年間私は私なりに力を尽くしてきたつもりです。今目の前にいる生徒に対してどのようにアプローチするか。これを無くして外への発信はないと考えます。
大人(教職員)が良かろうと思って取り組むことが、もしかしたら子ども(生徒)の感覚と大きなズレがあるのではないか。私はその感覚に戸惑いズレた時代を過ごした経験がありますから、人より敏感です(現在進行形です)。先週の校長の小部屋では、そのズレたことを悔やむ話を書きましたが、ズレたことにより掴んだモノもあるということです。そう考えると少しはプラス要素になったのかもしれませんね。
子ども(生徒)が本校で見ている景色を上手に発信することで、新しい形の美唄尚栄高校が見えてくるような気がするのです。私も教職員も、「そこは見えていなかったな」というたくさんの盲点に気付かせてくれるのではないか。これはあくまでも私個人の考えですから、やってみて失敗したらまた次を考えます。
「やりもしないでマイナスだけを探す人生はつまらない。やってみたから新たな景色に出会うことができる。その景色が明るいのであればさらに前に進めばいいし、暗いのであれば一度原点に戻って次の景色を見に行く準備をすればいい。その時間にこそ意味がある」何の格言でもありませんが、これが私の考えで、これに基づいて今まで歩いてきました。
さて、生徒たちは私に何を語ってくれるのでしょうか。会話の中から私は生徒たちからたくさんのヒントを得られるわけで、それが楽しみでなりません。
入学式演台の飾り花を職員玄関前に展示中です。生徒の皆さん、ちょこっと足を運び見てください。綺麗ですよ。
大学に行ったのは先にある人生の在り方を考えたとき、どうしてもそのワンステップ必要だったからです。電力会社で働くか、それとも何となく目標としていた恩師(教員)のようになれるのであればそこを目指すのもいいだろうということで。もしも教員になるのであれば、私は中学や高校ではなく小学校の教員になりたかったです。残念ながらそこは叶いませんでした。
物事すべてに反発し中学校における学びを一方的に拒んでいた時期があったので、ギリギリ首の皮一枚で進めた高校からは教育大学を目指すことは困難でした。時すでに遅し - それも人生ではありますが、このことについてはのちに悔やむことになりました。自らが招いたことですから仕方ないのですが、本当に取り返しのつかない無駄な時間を過ごしてしまった、と。あのようなことをして得をしたことはひとつもなかったな、と。だから高校では心入れ替え、これでもかというほど勉強をしました。すべてを取り戻すことはできませんでしたが。
高校ではたくさんの友人に出会い楽しい時間を過ごしました。でも、私には何か物足りなかった。それは友人はいるけれど、親友が一人もいないということでした。高校を卒業した後このままでは親友のいない人生を過ごすことになるかもしれない、という寂しさと焦りみたいなものがありました。だから、先に書いた理由もありますが、親友と出会うために自分には大学が必要だと考えました。これが一番大きな理由です。私自身の大学進学の理由がこれですから、子ども二人がそれぞれ大学に進学したときの理由は、大学の4年間で自分のやりたいことを見つける、でした。そのようなことで果たしていいのでしょうか・・・
さて、親友はどうなったということですが、運良く一人と出逢うことができました。一人いればもうそれで十分です。大学に行って良かったことはこの出逢い。詳細はまたいつかどこかの場面で書けるといいのですが、実はその親友の故郷がここ美唄市です。そこにどのような巡り合わせか私が昨年から生活することになりました。出逢ったときからいつかこういうことになるような縁がきっとあったのでしょうね。見えない糸、って本当にあるのかもしれません。
親友には兄弟がいて、実はそのお子様が本校に入学してくれました。そのことを入学式が終わった一昨日の晩、ちょうどランニングを終えて着替えているときに親友からのLINEで知ることとなりました。気を遣って入学式が終わるまで私に黙っていたのだと思います。そういうことができる奴なのです。だから親友になれたのだろうと思います。
家族や兄弟のことは親友が大学時代に私に紹介してくれて、以後いろいろとお世話になったのですが、当時はまだ幼くて小学生でした。いつの間にか親となり、立派に子どもを育て本校に入学させてくれたのです。ずいぶん前置きが長くなりました。嬉しくて嬉しくてもう言葉が出てきません。
36名が元気に登校し入学式を無事終えることができました。目標とする41名以上には届きませんでしたが、数多くある高等学校の中から美唄尚栄高校を選択し入学してくれて本当にありがとう。その後押しをしていただきました保護者等の皆様大変ありがとうございました。心より感謝申し上げます。
4月8日(水)、多くの御来賓並びに保護者等の皆様の御列席のもと、第16回入学式を挙行いたしました。新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。
式辞
ただいま入学を許可しました三十六名の新入生の皆さん、御入学おめでとうございます。
本日、ここに、PTA会長 ●●●●様、美唄市長 桜井 恒(ひさし)様を始め、御来賓の皆様と新入生保護者等の皆様の御列席を賜り、令和8年度第16回入学式を挙行できますことは、私たち教職員にとって大きな喜びであります。本日、御出席をいただきましたすべての皆様に、教職員一同、心より感謝申し上げます。
新入生の皆さんが、めでたく本校の生徒となりますことに、私たち教職員、並びにすべての在校生とともに、心から歓迎いたします。
今日から、高校生活をスタートするにあたり、こんにちまで皆さんに愛情を注ぎ、大切に育ててくれた、保護者等の皆様を始め、小学校、中学校で御指導いただいた、先生方に感謝する気持ちを持ち、これからの高校生活において、学業や部活動、友人との関係を築く中で、将来の夢を実現させるため、充実した毎日を送ることを期待いたします。
さて、私たちは今、先行きの見えない社会の中で生きています。技術の進化により、一昔前は夢物語の中にあった世界が、目の前に現実のものとして広がっており、生活環境はめまぐるしく変化し続けています。このような時代を生き抜くためには、物事の本質を見極め、「自分の人生を舵取りする力」と「これからの社会の創り手となる力」を身に付けなければなりません。本校で過ごす3年間のその先にある人生を豊かにするため、高校生活の一日一日を大切に過ごしてください。
皆さんの新しい門出に際し、私から3つのメッセージを贈ります。
1つ目、自分だけの「問い」を持つこと。
私たちは今、正解のない時代を生きています。AI(人工知能)が瞬時に答えを提示してくれる便利な世の中ですが、だからこそ大切なのは「提示された答え」を鵜呑みにするのではなく、「なぜそうなるのか」「自分はどう思うのか」という自分自身の問いを持たなければなりません。学びとは、単に知識を蓄えることではありません。未知のものに出会ったとき、自ら問いを立て、調べ、考え、自分自身が納得できる答え、「納得解」を見つけ出すプロセスそのものです。高校生活の中で、ぜひ多くの「なぜ」に出会い、知的好奇心の翼を大きく広げてください。
2つ目、多様性を認め、対話を楽しむこと。
育ってきた環境も、得意なことも、将来の夢も異なる多くの仲間がここに集まっています。自分とは違う意見や価値観に出会ったとき、それを「拒絶」するのではなく、「発見」として受け止めてください。ぶつかり合うことを恐れず、対話を重ねることで、自分一人の視点では見えなかった景色が見えてくるはずです。他者の痛みに寄り添い、互いの個性を尊重し合える関係を築くこと。それは、これから皆さんが社会に出ていく上で、最も重要な力の一つとなります。
最後に、失敗を「成長の糧」にすること。
新しい環境では、思い通りにいかないことや、壁にぶつかることもあるでしょう。しかし、失敗は恥ずかしいことではありません。挑戦した証であり、成長するための貴重なデータです。「失敗した」という事実で立ち止まるのではなく、「次はどうすればいいか」と前を向く強さを持ってください。本校は、皆さんが安心して失敗し、何度でもやり直せる場所でありたいと考えています。私たち教職員は、皆さんの挑戦を全力で応援し、支えていくことを約束します。
3年間の高校生活を全うした先には、再び人生の岐路を迎えます。そこで、たたずんでしまうのか、積極的な進路選択ができるのか、それは、いかに皆さんが充実した高校生活を送るかにかかっています。努力、時間、仲間を大切にして、有意義な高校生活を送っていただきたいと思います。
そして保護者等の皆様、本日はお子様の御入学、誠におめでとうございます。この場をお借りし、保護者等の皆様にお願い申し上げます。子どもたちの成長には、学校と家庭、そして地域が手を取り合い、同じ方向を向いて歩んでいくことが不可欠です。思春期という多感な時期、子どもたちは時に反抗し、時に悩み、立ち止まることもあるかと思います。そんな時は、どうぞ焦らず、温かく見守ってあげてください。私たちも、一人ひとりの可能性を最大限に引き出せるよう、誠心誠意、教育活動に邁進してまいる所存です。お子様の健やかな成長のためには、学校とご家庭との信頼関係が不可欠です。何かご心配なことがあれば、どうぞ遠慮なく『相談』という形でお聞かせください。共に解決の道を探っていければ幸いです。本校の教育活動に、御理解と御協力を賜りますよう、お願い申し上げます。
結びに、御多忙の中、御臨席を賜りました御来賓の皆様、御列席をいただきました保護者等の皆様方に重ねてお礼を申し上げますとともに、本日入学された新入生の大いなる健闘と成長を心から期待して、式辞といたします。
令和8年4月8日
北海道美唄尚栄高等学校長 日 下 剛
4月7日(火)美唄市立美唄中学校の入学式に出席させていただきました。担任の先生の呼名に体育館の隅々まで響き渡る「はい」がとても印象的でした。起立したときの凜とした姿も素晴らしかったです。
小学生、そして中学生までは大きな声で返事をしたり大きな声で歌ったりするのに、高校生になるとたちまち声を出さなくなるのはどうしてなんだろう・・・真っ先にそんなことを考えてしまいました。
たぼだぼだけど折り目の付いた真新しいブレザーもやがてちょうど良いサイズになっていくのでしょうね。そうなった頃には次のステップ(高校)を考えなければなりません。ここにいる生徒たちが美唄尚栄高校を選び、美唄尚栄高校で学んでくれると嬉しい。そうした学校にしなければならないな、と思ったところです。
今日から中学校での新生活がスタートしますね。緊張が続く毎日になりますが、焦らず慌てず自分のペースでスタートを切ってください。多少みんなからスタートが遅れたとしても、長い目で見ればどこかで追いつき、3月の卒業式は一緒になります。
右に合わせなければ前に追いつかなければと我を見失うのではなく、まずは自分の立ち位置を確認するところから始めて見てはどうでしょうか。担任の先生やクラスメイトと会話をしながら小学生から中学生に切り替わった自分を確かめてみる。そうして少しずつ少しずつ慣れていけばいいのではないでしょうか。
4月1日から16歳以上の自転車の交通違反に反則金の納付を通告できる交通反則切符(青切符)制度が始まりました。スマートフォン使用のながら運転が1万2千円、二人乗り3千円、イヤフォン装着5千円、歩道走行6千円など。反則金があるから注意しましょうではなく、まずは自分の命を守るため、歩行者等との事故を防ぐためと考えることが大切です。本校の生徒も明日から自転車での通学となります。今一度、ルールを確認して自転車の乗車をお願いします。また、ヘルメット着用は努力義務ではありますが、可能であれば着用をお願いします。
今年も交通安全運動に参加しました。ちょうど1年前も同じ場所で旗を持ちました。交通事故を防ぐためには、やはりスピードを出さないことが一番なんだろうと思います。自動車を代えてから、アクセルを踏むと一気に加速するので恐ろしくなり、ついついゆっくり運転になってしまいます。「遅すぎて後ろの車に迷惑になるでしょ」といつも妻に叱られています。先日は助手席に乗った次男にも叱られました。
車の性能がどんどん向上しているにしても、この狭い日本でスピードが出る車が果たして必要なんだろうかと運転するたびに考えます。高速道路で100キロメートル走行なわけですからそれ以上のスピードはいらないように思うのは、車そのものの構造を知らない人間の勝手な考えになるのでしょうか。私などメータのMaxが80キロの車で十分なのですが。
私は平日は自動車を運転しませんが、週末は自宅に帰りますから片道1時間ハンドルを握ります。昔から運転がそれほど好きではありませんし、交通事故のリスクを減らすためできるだけ運転しないようにしています。1週間分の食料を買い込んで美唄に戻ってきますので、特に不自由はありません。
個人的な用事(本が欲しい、レコードを見たい、服を買いたいなど)で買い物に出掛けるときは、夏でも冬でもランニングバッグに着替えを詰め込み目的地まで走って向かいます。できるだけ自動車を利用せず中心街まで距離稼ぎをしながら20キロほど走ります。今年は雪解けが早かったせいか自転車に乗車する方を多く見かけました。歩道を猛スピードで走行したり、スマートフォンで音楽を聴くのはいいとしても大音量だったり、横隊で走行したり。マナーの善し悪しについてはいつも思うことはあります。
歩道を歩く人も自転車走行する人も、そして自動車を運転する人も交通安全を意識した生活を送ることが求められます。
先日、転出する教職員からいただいたお弁当バッグを本日から使わせてもらっています。ありがとうございました。コーヒーが大好きで毎日大きいボトルを持ち歩いていますから、お弁当箱とボトルを入れてもたっぷり余裕があり、特に夏場は熱中症対策でもう一本ボトルを入れますので、バッグのサイズ感が個人的にとても嬉しいです。
毎日お弁当を作っています(いや、詰め込んでいます)。代わり映えしない毎日同じような食材です。これをほぼ繰り返しています。それでも自分で研いだお米を炊いて湯がいた野菜類を食べると、毎日同じでも美味しいです。野菜はブロッコリ、アスパラ、スナップエンドウ、インゲン、ホウレンソウ、小松菜、オクラが主です。
そうでした。今はいいのですが学校がスタートしますとお弁当づくりが始まります。朝からまた大変になりますが、お子様の健康維持のため、保護者等の皆様よろしくお願いいたします。そして、生徒の皆さんは、お弁当を持たせてくれる保護者等への感謝を忘れずに。
学年末休業日学年始休業日はそれぞれ7日ずつ、計14日間与えられています。この間、本校の若手教職員と校長室で昼食をともにしました。生徒が登校してくると慌ただしくなりますから、そう頻繁に一緒に食べることはできなくなります。教職員の動きや表情等を観察しながら、今日なら一緒に食べられるかな、というタイミングで声掛けさせてもらっています。
昨年度も教職員、生徒と一緒にお弁当を食べる機会を設けました。会食しながらですとざっくばらんな話ができておもしろいですし、人柄や人間性など新たな発見ができるのがとてもいいです。形式的に面と向き合って話をしなければならないこともありますから、そこには管理職と教職員の距離幅を変えてはいけません。上手に使い分けです。お弁当を食べながらという接し方はお勧めです。意外と本音が聞けたりしますし、私がどのような人間なのかを知ってもらうにも好都合です。
トップページにもありますがアクセス数40万件(1年前は9万件弱でした)を超えました。私が書いている校長の小部屋は脇に置いておき、トップページのトピックスを教職員がしっかりアップしてくれるようになったのが嬉しいです。1年前に教職員にお願いしたことができている - これほど嬉しいことはありません。一人でも二人でも実践してくれると、それがやがて五人、六人と自然に広がりやがて全体のものになっていきます。
私は中味は薄くとも書くことに抵抗がないので、座席に座って真っ先に頭に浮かんだことを記しています。写真一枚を入れることがそうしたことをスムーズにさせてくれているのかもしれません。学校は話題豊富なところですから、いつもより少しだけ見るポイントを変えると発見の連続になります。そこを取り上げてホームページに掲載すればいいと私は思っています。こんなことは掲載できない、と難しく考えるからアップへの敷居が高くなり更新は途絶えます。
自分の上げた記事を読んでくれている方がいます。当然そこにはそれ相応の責任を伴います。でも、こうしてカウンタが1日1000件、2000件と増えていくのは、書き手である本校の教職員の励みになりモチベーションの高揚につながっていることは間違いありません。
今後とも末永くお付き合いくだされば幸いに存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
何度もこの風景を掲載して話をさせていただいております。私の自慢ですのでどうぞ御覧ください。今日は屋上から撮影しました。いつもより一段、二段高いポジションから撮っていますので、見えてくるものが違うと思います。1年前にもここに上がりました。私は各学校の屋上に着任したその日に上がっています。ただ風景を眺めたい、からではありません。
教頭として初めて勤務した学校は市内で一番の高台にある歴史に名だたる伝統校でした。そこで2年間お仕えした校長先生からはたくさんのことを学ばせていただき、その教えの数々は今も管理職である私の教訓として生きています。今考えると芸術派で新感覚の校長先生、発想が豊かであり古きものにとらわれないおもしろいセンスをお持ちの方でした。そう考えていいんだ、そうしてもいいんだ、と毎日が発見の連続で楽しい時間でした。
私は手術、退院直後の着任でしたから、極端に体力は落ち患部はじくじくと痛く、あろうことか借家のトイレからは水漏れ、瞬間湯沸かし器は破損、風呂のガス追い焚き機器が破損、水道管の劣化により水が使えないなど、もう毎日が泣きたくなるような生活を3週間、ほぼ4月はこれで終わりました。この時ほど、情けないと思ったことはありません(これも今だから笑えるエピソードです)。
でも、仕事は別でした。昨日までは教諭、今日から教頭です。校長先生、教職員から「教頭先生」「教頭先生」と呼ばれ、体調がどうしたこうしたと言っていられない状況になりました。全力全開の対応に、こんなにも変わってしまうんだな、と感じる毎日でした。
私の性格と言いますか、とにかく先回りして準備をし安心しておきたい、次から次に舞い込んでくる仕事にゆとりを持って向き合いたい、期限があったら4、5日前までに、こうくるだろうと思ったことは事前に調べておく、など一風変わった側面を持っています(損な性格です)。簡単に言うなら慌てたくないということです。ですから、教諭時代にたくさん経験した主任級の仕事で「どうなっているの」と言われたことがありません。いや、言われるのが嫌だったから言われないようにしていました。言われると言われた自分に腹が立ってしまうのです。これは生まれ育った環境の中で身体に染みついてしまったのだろう、と思っています。
4月のある日、校長先生に「教頭先生、そう言えば校舎の屋上に上がってみたの」と言われました。まったく意味がわかりませんでした。躊躇している私に校長先生はこう仰いました。「南側1キロメートルに海があるでしょ。もしも津波警報が発令されたら教頭先生どうします。高台にあるから安心ですか。垂直に逃げるとき一番高いところは学校のどこになるの」
私は、はっ、としましたし脂汗をかきました。その視点がまるっきり抜けていました。恥ずかしながら考えもしなかったわけです。そして、やはり自分のふがいなさに腹が立ちました。校長先生がその日私にくれた大切な言葉です。「言われる前にどうすべきかを考えて行動すること。とにかく気がつくようにアンテナを高く張ること。おかしいと思ったこと、現状にそぐわないものは、気がついた者の責任で変えること。あとは教頭先生が考えて仕事をすること」校長先生から言われたのはこの一回だけでした(何も言われないように小さな頭で考え考え行動しました)。
7年前のことを想い出しました。思いが想いに変わるほど時は流れてしまいました。あの日から私はどれほど成長したのだろう・・・
先日も書きましたが、人は必ず自分に何か大切なものを残します。いや、残してくれます。それがいったい何なのかに目を向けると新たな自分づくりができると私は考えます。
美唄市総合体育館から美唄中学校の裏通り(農道)をどこまでもランニングするのが好きです(雪が降ってからはドライバーに迷惑をかけるのでここを走ることは遠慮していました)。昨日、夕焼けがきれいになるだろうな、と思い春の夕刻をのんびりランニングしました。
どしんと構えた樺戸山系に守られた広大な畑とこの色、この匂い - こうした風景をずっとずっと遠い昔に見ていたような、ここを通るといつも懐かしい気持ちになります。
空知の生まれ故郷に戻って生活を組み立て直すということは、もう私の人生には訪れないと思われます。ただ、自分の原点は空知にあるんだ、と実感させるのはこのような風景の中にある風の匂いや自然の彩りだったりします。人って、ふとしたときに自分の立ち位置がどこにあるのかを知りたくて原点を求めるのかもしれませんね。私はその頻度が高いかもしれません。
町が衰退し少子高齢化が加速度的に進む美唄市。人が集まる観光スポットは多々あります。でも、どうでしょうか。わざわざ施設を整えなくてもこうした美しい風景を活用したら。サイクリングで回るツアーを企画したり、農業を営む方が作った野菜や果物を少しずつランニングバックに詰め込むマラニック(マラソンとピクニックを織り交ぜたエンジョイ型ランニング)イベント、5キロ・10キロ・15キロ・20キロのウォーキングコースを巡るスタンプラリーウォーキング、フォトコンテスト・・・いろいろなことができるのでは。
ランニングをしているときは、タイムと呼吸、疲労具合、身体の乾き具合くらいしか考えないのですが、昨日は珍しく楽しいイベント企画を考えていました。と、いうのは美唄に住んでいらっしゃる方が(本校の生徒や教職員を含め)この風景を知っているのか、知らないのであればそれはずいぶんともったいないことだな、と思ったからでした。
美唄には美しい風景があります。どこを切りとっても絵になる素敵な町です。写真の腕前が上がればもっといい形で紹介できるのですが(今年は本格的にカメラを復活する予定です)。
さて、入学予定の皆さん、準備は進んでいますか。まもなく入学式がありますから生活リズムをしっかり整えましょうね。
昨日、異動する教職員と最後のお別れ。こんなことありましたね、あんなことありましたね、と想い出をいくつか語ってお別れしました。
そして今朝。昨日までそこに座っていた方に替わって新たな方が座っています。3月31日と4月1日のたった1日を境に変わる環境。人って、組織ってこれを過去に遡って延々と続けてきたんだろうな、ということを考えています。そんなことを思う朝を迎えました。別れは確かに辛いけれどそのことばかりにとらわれてはいられません。今日から心機一転、気持ちを入れ替えて新年度4月1日をスタートさせます。
この『校長の小部屋』につきましては2年目に突入です。1年前に着任した際、本校の情報発信の課題解決に向けて、私は教職員に対してホームページの充実とインスタグラムの積極的な発信を掲げました。いざ実践に向けてどのような形で進めていくかということを教頭先生と確認していたときに、ブログ発信してみたらおもしろいんじゃないでしょうかね、とアドバイスされました。そうか書くことは苦じゃないからそれならできるな、と。
私は自身の性格上、「取り組んでください」という旗振り役に徹することができません。旗を振った以上、自分ならこうやるというものを示さなければ自分を許せないおかしなこだわりがあります。このことは教諭であっても教頭であっても校長でも、私は変わることができません。
仕事に限らず趣味も言ってみてやってみてでなければ満足できない人間です。ですから言った以上は自分でやってみる若しくは一緒にやる、失敗したら新たなことを考える若しくはきっぱり取り止める - これが私のスタンスです。
『校長の小部屋』の成果はわかりませんが、毎日毎日更新できたのは、読者がいらっしゃるところにあります。アクセスカウンタが順調に増加しているということは、少なくとも失敗ではなかったのかなと受け止めさせていただいております。ホームページはごく限られたコミュニティ向けになりますので、インスタグラムとnoteを含め、末永くお付き合いいただけますと幸いです。
スタートにふさわしい朝を迎えました。雲ひとつない青空が広がっています。雪はすべて解けました。あたたかでやさしい春風が流れている美唄です。
「お世話になった方が定年退職で送別会があるから札幌に帰る」28日土曜日の夕刻に成田から飛行機に乗り、宴が終わった深夜に帰ってきて我が家で睡眠をとり、翌日の日曜日午前中の便で東京に帰っていきました。朝9時に家を出るという長男を車に乗せ、妻と一緒に新千歳空港まで送りました。転勤がなく札幌で働くことができるという条件で入社した会社ではありましたが、東京における事業の拡充が決まり、「行ってこい」と声が掛かっての異動でした。地下鉄沿線上の便利な新築マンションを引き払って早いもので半年が過ぎようとしています。
私と妻にとって長男がいくつになろうとも子どもであることには変わりはないのですが、私たちの手を離れなんだかずいぶんと遠いところに行ってしまったな、とまるで他人事のような感覚にとらわれている自分がいます。妻はどう感じているのかは聞いていないのでわかりませんが、私には子どもというよりも私と対等な一人の大人という見方が強まっています。
大学を卒業したらあとは自分の力だけで生きていきなさい、その代わり父さんも母さんも子どもには一切頼らないから。これが我が家の決め事です。そのとおり東京のど真ん中で逞しく一人で生きている長男の成長をひしひしと感じます。私が同じ25歳26歳の頃よりも物怖じせずに堂々と歩いているその姿に、いかに自分がなっていなかったかを思い知らされることもあります。
高校受験のことは前に書いたとおりで、長男の場合は恥ずかしいだの行きたくないだのと泣いたところからスタートしたわけですが、そんなことがあったのをみじんも感じさせません。結局、人生の単なる通過点でしかないんだよな、ということを長男が一瞬帰省したときに思ったところです。どこの高校、どこの大学であっても、それが第一志望でなかったとしても、自分が身を置いた場所で精一杯努力し生きていくことが人生の次のステップにつながっていくわけです。
階段に今置いた右足の先に階段はさらに続いています。時間が進むのと同じように人生も進んでいる。だから左足を持ち上げ次の段に足を置かねばならない。そうした瞬間にそれまであった左足の階段はもう過去のものになっている。つまり、通過点でしかない。階段の名前が大切なのではなく、階段を駆け上がる自分が大切 - そのようなことを日曜日から考えています。
生徒が作ったフラワーボックスをいただきました。箱の名前が大切なのではなく、箱の中に詰められた想いが大切です。
宝物がひとつ増えました。ありがとうございました。
わずか1年間のお付き合いで毎日お話をすることはなかったけれど、一緒に働かせていただいた者として、心から「ありがとうございました」と言わせていただきます。人との縁(別れや出会い)にはきっとそのものに意味があり、意味のない縁はないものと考えます。明日限りで本校を後にする教職員の方々との縁を私はいつまでも大切にします。ありがとうございました。新天地での御活躍をお祈りしております。
そこで働くあなたにはそこにいる意味がありそこで果たすべき役割がある - 一番最初は教諭として初めて迎える異動の時にO校長先生から言われました。専門外の学科で辞めたいと思うほど苦しい経験をしましたが、4年後に全日制の専門とする学科に校内異動となり、しばらくしてからその言葉の意味を私は私なりに理解することができました。やはり「意味」と「役割」はあったんだな、と。おそらくこういうことだったのだろうな、と気付きました。
それは管理職になっても変わりません。誰も答えは教えてくれないけれど「意味」と「役割」があってそこに置かれている。置かれた場所でしっかり咲くために私は何をすべきなのか、それが私に与えられた課題だと思って働いてきました。今もその気持ちは変わりません。3校勤務した教頭時代に求められた花は咲かせられなかったかもしれませんが、私自身の見解と納得として「こういうことだったのだろうな」という3つの花は心に咲いています。
「意味」と「役割」は決して仕事上の出来だけではなく、人とのつながり、地域とのつながり、つまり縁を含めたすべてにおいて含まれるものと私は思っています。
さて、話は変わります。いつだかお弁当(ただただ詰め込み型のお弁当)の話を書いたばっかりに、異動する教職員からお弁当を入れる素敵な手づくりバックをいただきました。書かなければ良かった・・・なんと妻にポーチまで。私ごと、先日、5年間使ってきたお弁当箱を新調したばかりで、実は新しいお弁当バックはナイスなタイミングで、嬉しい限りです。
きっと、これも縁がつないでくれたんだろうな、ってしみじみ思うところです。大切に使わせていただきます。ありがとうございました。そして、1年間大変お世話になりました。
明日で令和7年度は終わりを告げます。令和8年度がスタートを切ります。私の頭上の2階の職員室は心機一転配置換えを行いました。自分の前や隣に座る方が変わり、新たな発見やコミュニティが生まれるものと思います。これも縁ですね。
願書に貼付された写真と名前を繰り返し見て記憶していく。入学式で必要となる呼名用の名簿をつくり、座席表に時間割、ロッカーと下駄箱に出席番号のシールを貼り、学級通信を作成し、机を並べる際の目印を床にマークし・・・担任業務がスタートするこの時期は慌ただしくなります。緊張が続く中にも早く生徒に会いたいという気持ちが日に日に高まってゆく - 私にはそうした想い出があります。
担任として接する生徒の呼び名は苗字ではなく、私はすべて名前と決めていました。名前は名付けた人が思いを込めて授けた大切なプレゼントです。そこに敬意を表しながら生徒に声をかけていました。それからもうひとつ、生徒と近い存在でいたい、そのことが私の中では苗字ではなく名前でした。教え子たちがどのように感じていたのかはわかりませんが、名前で接すると生徒一人ひとりがより身近に感じて愛おしい存在になりました。これは私見ですので、正解ではないと思います。教師個々の持ち味がありますから接し方は多様です。
平成24、25、26年度の3年間が私の最後の担任業務となりました。40人それぞれが毎日引き起こすあぁだこうだがドラマチックでした。困ったこともたくさん発生しましたし、どうしてそうなるのとがっかりさせられることもありましたが、その都度みんなで考え乗り切った3年間でした。卒業時の40人は立派に成長し青年の姿になっていました。
2年生を終えるまではほぼ毎日空き教室で個別に話をすることばかり。1週間しかない学校祭の準備期間なのにふざけてばかりいるので2日間作業させずに下校させたこともありました。あのときの生徒たちの慌てた顔は忘れられません。今だから笑える懐かしい出来事です。毎日がこのようなことばかりでした。
私はこうした顚末を毎日学級通信に記し保護者等にドラマをお伝えし続けました(5回の担任業務のすべて)。褒められることも失敗したことも、生徒、保護者等、担任みんなでドラマを見て考えていきたかったからです。3年間で約600回のドラマをお伝えしました(意外にすべての保護者等の手元に届いていました。「おもしろい」、「毎日楽しみにしています」、「先生、本当にうちの息子が、すみません」、「先生応援してます」、「穴を開けてくれているので紙ファイルを買ってストックしてます」、「いつもありがとうございます」などよく電話をいただいていました)。
B5版の紙ファイルがパンパンに3冊。いつかクラス会が行われて、40人の誰か一人でもその3冊を持ってきたら、そこに集まった全員にあの日あのときの高校3年間が蘇ってくる・・・そういう未来の姿をイメージしながら私はいそいそと学級通信を作っていました。こういうのを自己満足というのかもしれません。それでも学級通信の元データは今でも私の宝物です。
さて、本校では新入生の受け入れに向けた準備が進んでいます。御家庭におかれましては、制服やジャージー等の採寸と購入、端末に教科書等の購入、新生活に向けたさまざまな出費が嵩んでいることと推察いたします。何か御不明なことがございましたらお問い合わせください。
一年前は何をしていただろう。生活するのに必要な最低限のものしかなかった(軽トラックの荷台で収まる分)とは言え、部屋には段ボール箱がいくつも積み上がり、掃き掃除に拭き掃除を繰り返していた。北見を出発する直前まで外すことができないストーブの前に陣取り、隙間時間は座卓にノートパソコンを広げ美唄尚栄高校に勤務するための準備をしていた。
次男が大学卒業で岡山から引き上げてくるのが3月末となり、その引越の手伝いと観光を兼ねて妻は長らく出掛けていた。私の引越よりも子どもの引越が重要という具合だった。帰ってきたその足で札幌からバスに乗り5時間半をかけて北見に来てくれたのが29日。「どうしてうちの引越は全部子どもの引越とかぶるんだろう」と疲れ果てた顔で妻が言ったのを覚えている。何だか私の引越が悪い、とでも言っているように聞こえた。
この会話は、私が教頭として苫小牧へ引越となった3月から2年おきにしてきた。前にも書いたが、私の苫小牧への引越と長男の弘前への引越、2年後苫小牧から小樽への引越で次男の岡山への引越、北見への引越で長男が弘前から札幌へ、北見から美唄の引越は次男の岡山から札幌への引越。子どもが独立した今、もう我が家の引越はかぶることはないが、おもしろい歴史を重ねてきたことはこの先家族間の笑える思い出話になると思う。
夜は職場内のいくつかの小さなグループが私のために送別会を開いてくれて、2年間の出来事を遅くまで語り別れることへの寂しさでいっぱいになっていた。もう1年、いやずっとこの人たちと仕事がしたい - これが私の本音でもあった。
2年おきに引越を繰り返してきたわけだが、わずか2年であってもその職場に対する愛着や思いは深いところまで根を張り、それを掘り返して更地にしていくのには気持ちが追いついていかない。これは苫小牧も小樽も同じだった。限られた2年だからこそ、本来5年、6年をかけて築き上げるものを60秒1分を20分、30分のスピード感を持って私は詰め込む努力をしていた。実に濃縮された脂っこい時間。人との出会いはかけがえのない大切なものになった。別れは辛いけれど、こうした気持ちにさせてくれたのは管理職になったからであり、そこは管理職の立場にある者しか感じられない大きな魅力だと私は勝手に思っている。
借家は住宅街の中にあり、道路を挟んだ向かいに住むAさんとはちょくちょく世間話をする仲になり、「先生がいなくなると本当に寂しくなるな」と、私の心を躊躇わせるようなお言葉までいただいた。31日はAさんが不在で、奥様にお礼の挨拶をして北見を後にした。翌日の4月1日の朝、校長職がスタート私に真っ先に電話をくれたのはAさんだった。激励の言葉の最後に「先生ありがとう、北見に来たら絶対遊びに来てよ」そう言ってくれたのが何よりも嬉しかった。地域の方のありがたさと大切を肌身で感じた瞬間でもあった。
ちょうど1年前のことです。時の流れは早いですね。
さて、ホームページ閲覧数が38万5千件を超えました。4月着任早々、とにかく情報発信に力を入れましょう、と教職員にお願いし5月から本格的に取り組んでまいりました。今年度で30万件を超えるアクセスをいただきました。読んでくれている方がたくさんいる、ということが更新する教職員の励みになっています。いつも大変ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
眼前にこれを見せられるともう言葉が出ません。
昨日の修了式で年度の締めくくりとなりました。生徒は14日間の年度末年度始めの休業に入りました。しばらくの間、部活動等以外での登校はなくなりますから生徒の元気な声が校内に響き渡ることはありません。
朝、誰もいない教室棟を回りました。1年次生の学校設定科目である「産業社会と人間」の中で作成したポスターに目を馳せると、そのできばえの善し悪しではなく、生徒なりの町に対する思いが込められており、そうだそうだと考えさせられることばかりでした。
こうした一つひとつの意見を吸い上げていくことは難しいとしても、一つひとつに目を向けて真剣に考えていかなければ、町からどんどん若者が離れていくのではないか、そう思うのです。私も空知の町に生まれ育ちましたから空知が大好きですが、18歳以降故郷に戻らず生活拠点は別な町にあります。小中高大学と学びの段階で町づくりについて考える授業がなかったことも何かしら影響しているのかもしれません。
本校では「産業社会と人間」、「総合的な探究の時間」をとおして、計画的な教育活動に取り組んでおり、自分たちの住む町を調べ、地域の方と意見を交換し、地域の企業や関係機関様と連携し町の活性化に向けた探究活動をしています。これらは大変魅力的な授業で、生徒たちの発想の豊かさにいつも感心させられますし、これが実現できたらおもしろい町になるだろうなと思わせてくれます。生徒が提案したものがどれかそのひとつでもプロジェクトとして動き出したら素晴らしい展開になる - 私はそう考えています。
工業高校の建築デザインコンクールで優秀な成績を収めた建築パースが、実際の建物になったケースがいくつかあります。夢が現実になることを高校生に実感してもらうのは大変意義深いことです。学びが形につながる・・・これは夢物語ではなく現実に起こること、そうしたことをたくさん与えられる世の中であって欲しいです。
少子高齢化が進み町の過疎化も加速度的に進んでいます。学校もさまざまな課題を抱えています。もう待ったなし、です。目の前にいる高校生の発想や視点が町や学校の課題を解決する糸口になることを私たち大人は真剣に受け止めなければなりません。
あのときの意見や提案を早い段階で吸い上げておくべきだった・・・そういう後悔はしたくないものです。
鬱屈とした12月、1月、2月を乗り越えると春の陽気を感じられので3月と聞くだけで心が軽くなります。こうした季節の変わり目を繰り返し繰り返し気がつくと五十代も半ば。この先も3月で感じるこの感覚はおそらく変わることはないのだろうな、と思うところです。
ただ、3月はわくわくするだけではなくて、お別れ、というさみしくせつない風を心に吹き込んできます。お別れの3月。卒業式で生徒と別れ人事異動で教職員と別れる。自分の周りから次々に人が離れてゆく・・・
32年間でどれだけの教職員とお別れをしただろうか・・・100人か、200人か、いや500人か。もうお別れをした順番も定かではなくなった。積み重なっていくお別れにずっと昔にお別れした方々の顔や声が浮かんでくる。こんなことがあったなぁ、あんなこと言われたなぁ、と当時は立ち上がることも容易ではないほどのダメージを受けたことも、今はすべてあたたかな記憶の断片として私の心に残り、その一つひとつを笑って思い返すことができる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれている。人って、きっとそういう存在なんだろう。
管理職になって2年ごとの転勤を繰り返しています。苫小牧も小樽も北見もお別れは辛かったです。教職員一人ひとりと人間関係を構築するまでに1年、土台が出来上がり円滑な業務で1年。これで2年。でも全力の2年間で深まる信頼や絆が別れを躊躇わせる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれているとするならば、自分は人に何を残したか・・・そのことは別れの時にいつも思うことでもあります。
朝の打合せ。本校からは6名の教職員が新天地に向かうことになりました。大変お世話になりました。
12月から2月にかけて出張や札幌の自宅に帰る時は、水道の水抜きをしなければなりません。台所、トイレ、浴室、洗面所、ボイラーの5カ所の作業をすると軽く20分はかかります。大元だけを操作すれば良いのではなくあらゆる栓を開けて管内に溜まった水をはき出さないとそれが凍結してしまいます。こうした一連の作業をしなければ後々困ることになるのはわかっていても、大丈夫だろうと高をくくって家を空け、半日以上水が出ないことが2度ありました。水が出ないことがこんなにも人を不安にさせる。水のありがたみを痛感したシーズンになりました。
いつもより早い雪解けなのかもしれません。あんなにあった雪は陽の当たらない一部分に残すだけになりました。3月の上旬から夏用のランニングシューズで路上を走ることができたのも初めてです。さっさと冬用のランニングシューズを箱に収め片付けました。本校の陸上トラックも今日から走行できる状況です。朝の冷え込みはありますが、春の訪れは例年になく早いのかもしれません。
昨日、午前中に2時間かけて21キロのランニングを楽しみました。明日ハーフマラソン大会が開催されても飛び込みで走ることができる身体づくりを欠かしません。これは私の決め事としています(どうでもいいのですが)。午後から妻とランニングとウォーキングを織り交ぜた8キロ走に出ました。札幌市北区にある百合が原公園をスタートに繁華街を巡ってぐるり一周のコースです。途中、たい焼き屋さんで腹ごしらえをしてゆっくり春を感じる時間になりました。
ここのところさくら、さくらと開花を告げるニュースを目にしますが、さくらよりも早く咲いた花を百合が原公園内で見つけました。氷点下や猛吹雪に耐え命を芽吹かせる樹木に感動です。
マンサク科マンサク属 シナマンサク 中国原産。幼条や葉が軟毛で覆われている。花は香りも強く黄金色。開花時に枯れ葉が残っているのが特徴。
皆さんに見ていただきたくて掲載いたしました。
想像するだけで楽しくなります。クルミパウンドケーキ(美唄産クルミを使用、米粉を使用)の研究。一緒に研究開発したい、と単純に思ってしまう私。クルミの割合を変化させることで食感は変わりますから、口の中に残るクルミの状態であったりその大きさであったり検討することは次から次に出てくる。万人受けする製品にするために、作っては食べて議論を重ねて・・・美唄尚栄高校はクラブ活動ではなく授業の中でこういうことができる学校です。
前にも書きましたが、人が生きていくために食は必須です。高校の段階で食について学べるのは大きな意味があると思います。与えられたものをただ食べるのではなく、食べてもらうものを自分たちの手で - そこにおもしろさと魅力がある、私はそう考えます。
パウンドケーキを持ってきてくれた教員が「校長先生、生徒がクルミの割合について探究していいものを作ろうとしています。今まさにそれをしているところでおもしろいですよ」別の業務があってその場に行くことはできなかったのが残念。それにしても生徒だけで取り組んでいることに大きな意味があります。そこに教員が入っていかないのがいい。
子どもたちは大人(教員)が気づきもしないアイデアをするっと言葉にします。あまりに突拍子もない展開になると、大人(教員)は「それは無理だろう」とついつい軌道修正したくなる。自らの考えに寄せたくなる。それはわからないではありませんが、そこで何かを言うことによってせっかくのアイデアが消えてしまいます。そうならない寄り添いが我々には求められます。
私は先生方にいつもお話しています。「作りました、売りました、買ってもらいました、寄贈しましたで終わりではありません。作った先、売った先、買ってもらった先、寄贈した先の姿を考えた教育を展開してください」自宅において趣味の範疇で作ったのであればそれはそれで終わっていいのですが、教育活動で作ったのであればその先の展開を常に考えさせなけれなりません。20年30年前に求められていた教育と今の教育は大きく様変わりしています。
〇〇しました。だから・・・、それで・・・
だから・・・、それで・・・が問われます。生徒も教員も探究し続けなければなりません。
札幌の高校に勤務していた3月上旬のこと。「合格したよ」妻から長男の大学合格を知らせるLINEを受け取りました。当時私は3度目の入院を控え、その入院で手術することが決まっていて、体調のすぐれない日が長く続いている時でした。長男の高校受験の顚末については先日書いたとおりなのですが、あれから3年後、今度は大学受験を迎え長男は長男で大変な人生を送ってきたわけです。
3年間続けると張り切っていた部活動も2年生の途中で辞めてしまいました。私も応援に行きましたが、宮城県気仙沼で開かれたインターハイで強豪校に敗れてしまい、残された1年でどれだけ努力しても全国に名だたる選手のレベルには達しない、と自らの力量を悟っての退部でした。学校から帰ってくる時間は毎晩23時前後で土日もなく、22時前に床に就くことが日課になっていた私は長男とずっとすれ違いの生活になっていました。久々に会う長男は疲れのせいかいつもぐったりしていて、私は部活のために学校に通わせているのか勉強させるために学校に行かせているのか、もっと友達や恋人と遊ぶなど今しかできない青春時代を味わうべきではないのか、などといくつもの疑問を抱えたまま悶々とした日々を過ごしていました。
「このままでは部活だけの高校生活になってしまう。部活を続けても日本一にはなれない。今から真剣に勉強をしないと大学にも合格できなくなる。中途半端な自分になりたくない。残りは全力で受験勉強をする」という旨のLINEの最後に「今まで部活にお金を使わせてしまって申し訳ないけど、部活辞める、ごめん」と書かれていました。私の知らないところで相当な期間悩んでいたようです。口から出る言葉ではなくLINEというところがいかにも現代を生きる高校生らしい切り口ではありますが、長男の成長を感じた瞬間でもあり、正直嬉しく感じたことを覚えています。私は「考えた末の結論を父親として尊重するよ」と返信しました。
LINEに書かれた言葉に、私は、高校受験の出来事を長男はずっと意識していたんだな、と思い知らされました。あの時、私はいとも簡単に「それは通過点でゴールではないんだよ」と手紙に記したわけですが、長男はその通過点に引っかかりを抱えたまま今まで生きてきた・・・それを思うだけで胸が一杯になりました。私は大学受験を終えるまで決して何も言うまい、と決意しました。
9月に北海道で大きな地震があり、偶然にも台風も重なって我が家は長く停電が続き、そのような中でもロウソクを灯して受験勉強をしていました。それから少ししてずっと仲良くしていた友を病により失い、メンタルも体調もボロボロになり満足にモノも食べられない状態になりました。さらに追い込みの12月24日に私が突然腹痛と高熱で寝込むことになり、どうしようもなくなって病院に駆け込むと虫垂が破裂している(虫垂炎)と言われ、29日に緊急入院となりました。共通テストの直前まで入院することになり、応援どころか逆に足を引っ張るダメな父親になってしまいました。どうしてこんな大切なときに虫垂炎になんかになるの、と妻に叱られました。今だからいろいろなことを想い出します。
長男がどこの大学を目指しているのかすらわかっていませんでした。妻とはいろいろ話をしていたようですが、私には一切話をしてくれませんでした。弘前大学に合格した日に初めてそうなんだ、と知ったわけです。何を暢気にと思われるかもしれませんが、実は非常に悪さをする虫垂炎で、一度退院してからというもの3月末の手術になるまで大変なことになり、長男の大学云々を考える余裕すらなくなる生活をしていました。しかも4月から管理職に、そんな大変なことも私自身抱えていたわけです。自分のことだけで手一杯で長男どころではなかったわけです。
長男の受験から、自ら「こうしなければならない」と気付き努力している子どもに対して、親として思うところがあったとしても、私は「何も言うまい」、つまり子どもの思いを「尊重してあげる」ことが極めて大切なんだということを経験的に理解しました。がたがたモノを申したら成功することも失敗につながってしまう・・・それが私なりの結論です。
我が家のどうでもいいような昔話をさせていただきましたが、1月から3月までの受験シーズンは、子どもたちにとって(保護者等にとっても)経験したことのない緊張であったり、大きなプレッシャを抱える時間になります。私たち大人のようにさまざまな人生を巡ってきた者にとっては簡単にやり過ごせることでも、十代の子どもたちにとっては全力で挑戦する一大事。最大の挑戦です。その時に親として何を語り何を伝えるか - 私の経験が何かのお役に立てばいいなと思って書かせていただきました。
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