北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
岡山大学を卒業し電力会社勤め2年目に入った次男が市内のマンションに引越ました。1年間は自宅から通勤しお金を貯めるとのことで社会人のスタートを切り、なんだかんだとあっという間にその1年は過ぎました。目的としていた貯金ができたのかはわかりませんが。
前にも書きましたがここ10年で我が家の出たり入ったりの騒動はすさまじいものがあります。令和元年は教頭に昇任した私と弘前大学に合格した長男の引越、令和3年は私が異動により自宅に戻り次男が岡山大学に合格で引越、令和5年は私が北見に長男が卒業で自宅に、令和6年は長男が市内のマンションへ引越、令和7年は私が美唄で次男が卒業で自宅に戻り長男は東京へ引越、そして今回。この引越に翻弄されたのは妻です。毎度毎度「どうしてこうなるんだろ」と疲れた表情と張りのない声で妻がぼやくのを私はただ聞くことしかできませんでした。
「また私ひとりになっちゃうな。寂しくなるな。来月から働くからいいけれどそうでもなかったら一日誰とも喋らない毎日になるんだよね。ゴウちゃんはまだいいよ、一人で住んでいても日中は会話があるでしょ」
唐突にお袋の顔が浮かんできました。平成2年に親父が病で亡くなり、当時弟二人が高校生でしたから彼らが家を出てから30年以上一人で生きてきたわけです。ずっと働きに出ていましたし、社交的な人ですから会話がまるっきりない生活を送ってはいなかったはずですが、ひとり、で寂しい思いをしていたのだろうな・・・そんなことを急に考えてしまったのです。
あんたの人生なのだから親のことを考えずにあんたの力で生きていきなさい。一度出た家に戻ってこないこと - お袋はよくそう口にしていました。確かに私はその言葉のとおり生きてきました。お袋の強がりなのか、それとも経済的な余裕がなく長男から順番に巣立っていってもらわなければ困るからなのか・・・でも、妻の発した言葉からもしかしたらお袋も同じような気持ちを抱えていたのかな、と思ったのです。
大きな家ではありませんが2階に設けた子どもたちの2部屋はこれで完全に使われることはなくなりました。これを機会に断捨離して、空いた部屋の片方を私のオーディオ部屋に、もう片方を妻の趣味の部屋に衣替えすることを考えています。レコードが増えて手狭になっていたのでちょうどよい機会かもしれません。
5月10日(日)14時07分 グラウンドのトラックを走っていたときの上空です。飛行機雲を見ることができました。
メカトロ・エンジニア系列は工業を幅広く学ぶことができます。工業高校の●●科となりますと、●●に特化した学びになります。例えば電気科であれば電気、というように。本校は、機械、電子機械、電気、情報、建築を体験をとおして学べるおもしろいスタイルをとっています。工業に限ったことではありませんが、電気なら電気だけですべてが成り立つわけではなく、そこには機械や情報など多くの技術が組み合わさっています。幅広く学ぶことで見えてくる世界が変わってきます。
私は電気専門でこの世界に飛び込みました。最初に勤めた学校では電気科と電子科が合体した学科で、当時のH学科長から「電気のプロはわかったから電気は捨てて、これからは電子のプロになってください」初っぱなからわけのわからないお言葉をいただきました。電子回路を理解してものをつくりなさい、ということを指示され、学科長がささっと書いた電子回路を渡され回路づくりをするような日々になりました。こんなはずじゃなかったとは思いましたが、何もわからないのでとにかく一から勉強しました。
2校目は機械科に所属しました。「機械科の中で電気をしっかり教えるように」と校長先生に言われての異動でしたが、I学科長に「ここは機械科だから電気はいらない」と職員室で言われました。悔しくて涙が出ました。自分は何のためにここに来たのだろう、と。初日から辞めることを考えて一年後、機械ができる自分になればいいのではないかと突然ひらめいたわけです。私と同い年の実習助手の先生にお願いして、生徒が下校したあとに旋盤、板金、溶接、鋳造などひととおり教えてもらいました。
この2つの経験がどれほど私を高めたか・・・後に何度もこのことを思いましたし、2名の学科長との出逢いが私の教職としての幅を思い切り広げてくれました。感謝しかありません。スペシャルなことに磨きをかけることも大切ですが、右と左にある世界にも目を向けていくことで自分に備わるモノが増えていくことを教えてくれたわけです。『物事を負に捉えるのではなく正に捉える』私のスタンスが生まれたきっかけでもあります。これは私の生き方をも変えました。本当にありがたいことです。
電気のプロではありますが、機械も電子もそこそこわかる。機械と電子のプロフェッショナルではないけれど、そこに躊躇することなく立ち入ることができる自分がいます。本校のメカトロ・エンジニア系列で学ぶ生徒を見ていて、何故かそこに自分の過去を照らし合わせてしまいます。幅広く多くのことを学べ、と。
すべては経験です。経験があるかないかはその先の人生に何かしらの影響を及ぼす、と私は考えます。経験は宝物です。
(本日から不在ですが、前日のタイマ設定でアップしました)
濃さの異なる塩水(食塩の量を20g、15g、10g、5g)に絵の具で色をつけて、フラスコに濃い順番に一つずつ入れていくと、カラフルな水の層をつくることができます。生徒は液体の比重を理解するため食塩水のカラフルタワーの実験に取り組んでいました。最初に仮説を立てて実際にやってみてその結果どうなるか。仮説のとおりであれば良し、仮説のとおりにならなかったのであればどうしてなのかを考える。教科担任は何も言わずただ見守っていました。答えは自分で見つけなさい、ということです。手取り足取り教えることがすべてではないんだよな、と改めて思ったところです。
私は一人の生徒に質問しました。「綺麗に色分けされた食塩水だけど撹拌したらどうなるんだろ」たいていは色分けに満足して終わるのでしょうが、意地悪な私はそう生徒に問いかけました。うむ - 生徒は期待と不安交じりにかき混ぜました。さて、答えはどうなるのか。ただそうなったんだではなく、〇〇だからこうなるんだというものを是非掴み取って欲しい。
実験をしている生徒は楽しそうでした。教室で受けている授業と表情が異なります。もともと選択科目ですから興味津々で参加しているのですが、その姿を見ている私も楽しい気持ちになりました。
私は選択科目のある高校で学ぶことはなかったので本校の学びのスタイルに興味があります。以前勤めた後志管内の学校も多岐にわたる選択科目があって毎日授業を見て回るのが楽しかったです。
城谷教授のもとで超伝導物質をつくる研究をしていました。大学時代のことです。ゼミはとにかく厳しかったです。「何故」の攻撃がすさまじかった。私が「これは〇〇〇になります」と言うと「それは何故」と先生が説明を求めてきます。それに対して返答すると再び「何故そうなるの」これが延々続きます。最後の最後は答えられなくなりただただ周りに助けを求める状態に追い込まれる・・・これは先生の意地悪ではありません。先生が求めたことは根拠です。教科書に書いてあるからそうなんだではなく、本質を理解して物事を語りなさいよ、ということです。勉強になりました。
興味のあることを深く学べる学校っておもしろいですよ。おもしろいから学びが深まるわけです。
さてしばらく出張等で不在となります。次回の更新は来週です。また来週お会いしましょう。
大抵の人はつくることよりも購入することを考えてしまう。いや、そもそもつくることを考えないかもしれません。これから先こうした傾向はさらに強まっていくような気がします。それがいいことなのかどうなのかはわかりませんが。
管理職になって8年目。この間つくることがなくなってしまいました。それ以前は真空管アンプやFMラジオ、ラジコン、トランシーバなど、役に立つのかはわからないけれど回路図を書いては部品を集め、ハンダごてを右手に電子工作に明け暮れていました。真空管は別として、ほとんどはマイクロコンピュータを回路に組み込みますから、プログラミングもしなければなりません。エラーを修正してはプログラムを転送することを幾度も幾度も繰り返して漸く完成となります。
お店で2千円程度で売られているラジオも自分で一からつくるとなると5千円程度かかってしまう。レジをとおせば一瞬、つくれば20日。これならやはり商品を購入するとなってしまいますよね。ただ、ここは決定的に違います。『つくることによって本質を理解することができる。理解できた喜びから次なるものをつくりたくなる』
教科書に書かれた文字を右から左に読んで理解できたからといって、ものがつくれるとは限りません。意外とつくれないと思います。ものづくりは経験とセンスがモノをいうからです。とにかくつくり込まなければ身に付きません。
デザイン系列の授業でクラフトテープでカゴをつくっていました。説明書を読むだけで終わればそれは唯の読書で終わりです。じゃ、つくってみよう。ここから一人ひとりの世界がスタートします。編み方のコツを掴めばオリジナルの作品をつくることもできます。役に立つ立たないの損得ではなく、つくった経験が新たな挑戦に結びつき、誰かに喜ばれたり自らのウェルビーイングにつながったりしていく。これって素敵なことですよね。教科担任が「じゃここまでやってみて」と指示していますが、コツがわかっておもしろくなって先に先に作業を進行している・・・わかる、その気持ち。ハマると手も気持ちも前に前に進んでしまいます。そこがおもしろさ。ものをつくる魅力。
教科書に書かれたことをただ記憶に留めておく時代はとっくに終わりました。私たちが高校生の時は知識のある人が優秀、知識偏重でした。今は知識だけでは世界は渡っていけません。それを知って次にどうしていくのかが問われる時代です。
体験的に学びを深めていく本校の教育のおもしろさを多くの人に知って欲しいと思っています。本校の教育活動に興味を持たれた中学生や保護者等の方がいらっしゃいましたら、いつでも御連絡ください。その都度対応させていただきます。
43万6千アクセスをいただきました。ありがとうございます。
高校に入学したら部活動どうしようかな - 私もそうしたことを考えました。40年も前のことになります。えっ、あれから40年も過ぎてしまったのか。1秒1分1時間を積み重ね前に進んでいく。時は止まらない。積んで積み重ねて1261440000秒。この数字がどれくらいすごいものなのかはわかりませんが、とにかく高校に入学してから歩んできた秒数(時間)です。
私は落ち着きがなく周囲に迷惑をかける子どもでした。授業中に立ち歩き人を叩いて回ったり、気に食わないことがあると唾をかけたり。ほとんどは忘れてしまいましたが、これだけは今でも鮮明に覚えています。私はあるときテル(通称)に唾をかけ、それを知った担任の先生が泣いているテルに対して「唾をかけられた人の気持ちをわからせるためにあなたも日下くんに同じことをしなさい」と鬼の形相で言ったその日の出来事です。とにかくこんなことばかりしていて、親も学校も困らせていました。
どうしてそのようなことをしたのかは自分でもわかりません。恥ずかしく情けなくとても自慢できるようなことではありません。戻れるのであればそんなことをしない自分になりたい・・・父にも母にも先生にも叱られてばかりで、でも近くにいた祖父母はやさしくて私にとってはそこが安らぎの場であり唯一の居場所でした。何かそうしたところに原因があるのだろうな、と私なりに考えています。
この話を書きたかったわけではありません。余計なことを想い出して書いてしまいました。そういう子どもでしたから父が誰に吹き込まれたのかはわかりませんが、ある日突然私をトラックに乗せ(トラックが自家用車でどこに行くのもトラックでした)何も言わず剣道の道場に私を連れて行ったのです。父が剣道着を身につけた人に丁重な姿勢で歩み寄り一言二言言って頭を下げていました。そんな父を見たのは初めてのことでびっくりしたわけですが、それよりも驚いたことは私の意見を聞くでもなくこの日に加入の手続がなされたことでした。「これから毎週火曜日と金曜日の18時からお前はここに来ることになったぞ」父が私の剣道を見に来てくれたことはありません。この日、この1回限りです。私の行動を正すために剣道をさせる、というのが悩んだ末の父の結論だったのかもしれません。
結局、高校3年生まで剣道を続けました。小学校の野球チームにも所属し、中学では1年生の途中まで野球部に所属しました。いろいろなことがあって(詳しくは書きません)途中で退部しました。高校では別な部活動も考えましたが、そのままの流れで剣道部に入部しました。中学生までは道場備え付けの防具を借りて練習していたので、自分の防具で剣道をしたかったわけです。ずいぶんと高級な防具を買ってもらい3年間剣道に打ち込みました。ですから私は有段者です。
3年生の高体連で3回戦4回戦と勝ち進んで全道が見えたところで敗退。私はここで剣道ときれいにおさらばすることにしました。もう二度と剣道はしない。防具と竹刀はもう長いこと実家の納戸に眠っています。
本日の写真は、少し前のものになります。作品づくりをした生徒さんごめんなさい。 もっと早くに掲載してあげれば良かった・・・高校に入って初めて生けたお花はどうでしたか。お花の美しさは当然のことお花自身が発するやさしさやあたたかさに触れられたかな。毎日作品の横を通るすべての生徒もきっと何かを感じてくれているはず。これから先も華道部でお花と向き合う素敵な時間を過ごしてください。
待つと長くて来てしまうとあっという間。5月の大型連休も終わってしまいました。本日から通常の生活がスタート。何となく身体が重たい・・・これって私だけではないのかもしれません。
早い桜に連休中の雪と20度を超える気温。風も強く不思議な連休でもありました。次男は大学時代を過ごした岡山に飛び、長男は仕事を兼ねて数日だけ帰ってきたけれど、もう昔のように家族が揃った時間は持てなくなりました。子育てから手が離れ子どもは子どもの生活、私と妻もそれぞれの時間の過ごし方になりました。いつの間にか家族のスタイルが変わってしまいました。
長男を新千歳空港まで送った帰り道、妻と長沼で軽い飲食を兼ねた8キロのランニング、さらに南幌にも車を停めて6キロのランニングを楽しみました。普段は通過するだけの町ですが、ランニングでぐるぐる駆け巡ると町のつくりや数々のお店と出会うことができ、それはそれで楽しい時間になりました。次はガーデニングで有名な恵庭を走り、庭づくりを勉強しながらランニングしようと話をしているところです。
結局、ランニングとガーデニングに明け暮れました。自宅から距離にして2キロメートルのところに桜並木があります。大きな公園の遊歩道に沿って桜が綺麗に咲き誇ります。自分の足でそこに向かい来年まで見納めになる桜の下でひとり静かな時間を過ごしました。誰にも邪魔をされない贅沢な時間になりました。
さて、気温が高くなりそうです。20度、25度という日が出てきます。油断をすると熱中症の危険が出てきますから、こまめな水分補給をしましょう。
生徒の皆さんへ。連休を楽しみにしていたはず。部活動の練習や練習試合で予定が埋まっている人や家族との旅行、アルバイト・・・それぞれの過ごし方がありますが、昨日の交通安全・防犯教室における講話のことを頭の片隅において生活してください。特に自転車に乗るときは自動車や歩行者に注意してください。
やはり今年の桜は10日ほど早かったかも。毎年ここの桜(札幌の新川通)を見に来ています。ゴールデンウィークの後半に満開になりますが今年は4月末の週末で満開でした。
桜を早く見られるのは嬉しいけれど環境の変化がそうさせているのだとしたら複雑です。来年はゴールデンウィーク後半に満開になって欲しい。
昨夕、国道沿いを歩いていましたら「あれっ、校長先生?」と声をかけられました。愛犬と散歩中の女性でした。「そうですが」「なんか似ているからそうではないかなと思って声をかけました」
2年次生の生徒の保護者の方でした。私は直接お話をしたことはありませんが、きっと学校へお越しの際に特徴的な私の顔を見て記憶してくれていたのでしょうね。嬉しいような、緊張するような。校長は町の顔、という言葉をずいぶん前に誰かから聞いたことがありますが、本当にそうなんだなと改めて思った次第です。気を引き締めなければなりません。お声をかけていただきありがとうございました。
短い距離をお話しながら歩きました。「今年の1年生少なかったんですね。私の子どもの時も人数少なかったけれど、少ないと寂しくなりますよね」「今新しい取組をしていきますのでお気づきのことがあったらいつでも御意見をください。いただいた意見が何かを変えるきっかけになると思いますので」このようなお話をしてお別れしました。
さて、話は変わりますが、皆さん、良き連休をお過ごしください。
4月25日(土)本校で開催した授業参観並びにPTA総会ですが、無事に終了いたしました。ありがとうございました。
今年は、授業参観に多くの保護者等の方がお越しになり、生徒の様子を見ていただくことができました。PTA総会の出席が少なかったのが心残りではありますが、相馬PTA会長の離任と新PTA役員が決定し安心しているところです。学校はPTA役員の方々だけではなく、すべての保護者等の皆様のお力添えをいただき活動を行っていく場でもあります。今後とも御理解と御協力をお願いいたします。
PTA総会に出席することでPTA会費の取扱や行事計画等を知っていただくことができます。出席するとPTA役員やクラス役員をお願いされるということは一切ありませんので、次年度お気軽に参加ください。
出張等が続きますので、不定期な更新になるかもしれません。今後ともよろしくお願いいたします。
昨年、美唄市立美唄中学校の浅利校長先生から株式会社道央メタル様を御紹介いただき、メカトロ・エンジニア系列の工業科の教職員が工場見学に伺った、これが縁結びのなれそめになります。私は浅利校長先生から話を受けたあとにホームページを拝見し、数多くの金属加工品を製造されていることを知りました。特にメカトロ・エンジニア系列を選択した生徒が、自らの学びの先にある姿をイメージできる大変興味深い業務を展開されています。
その後話が進み、昨年度末に工場長様を始めとするスタッフがわざわざ本校に来校し、メカトロ・エンジニア系列の生徒向けに出前授業を行ってくれました。最先端の工作機械を使った金属加工について説明をいただき、生徒にとって大変有意義な時間になりました。工業を専門とする私にとても勉強になりましたし、ものづくりが好きですから働いてみたいなとも思いました。
前置きはこのくらいにしますが、以前に名刺ケースにまつわる話をブログ内に記述させていただきましたが、ホームページを見て真っ先に心打たれたのがまさに道央メタル様が製造された『名刺ケース』です。私の宝物として、またそのデザイン性から広がる人とのつながりを楽しみに毎日ポケットに入れています。こだわりのアイテムです。
さて、御縁をいただきたことに感謝していたところに、道央メタル様のお心遣いにより製作された校章エンブレムが届けられました。設計から製造、完成まで3週間を要したまさにこだわりとプロ魂を感じるエンブレムです。
美唄尚栄高校がここに開校(平成23年4月1日)してから15年が経過し、今までの歴史への敬意とこれからの躍進に向けた象徴的な校章エンブレムである、と受け止めさせていただいております。ここに集う生徒たちが普段から目にできる場所への展示と入学式及び卒業式等の式典や集会時等において演台に飾りたいと考えています。
生徒向けのお披露目が終わったあとは、職員玄関から入って左手に設置された賞状等を飾る収納ケースで展示いたします。本校にお越しの際は是非御覧ください。
昨年度末、本校にとっては大きな転換がありました。『定期考査の実施を廃止する』としたわけです。この4月からその形で動いています。スタートしたばかりですからさまざまな課題は出てくると思いますが、こまめな情報交換と職場内の研修を繰り返して、本校にふさわしい評価スタイルの確立に向けて勉強していきましょう。
私が感激したのは『廃止したこと』ではなく、これが先生方の声の中から発議され分掌で検討を繰り返し会議のテーブルに上がってきたことでした。学校現場ではここが一番難しく壁が高いのです。よくぞやってくれました - 組織の成長を感じた瞬間でもありましたし、心の中で先生方に対して大きな拍手を送りました。
数年前に教頭として勤務した学校で、観点別評価の適切な実施に向けて教務部長と一緒に勉強し、どのように学校に落とし込んでいくかを話し合いました。そこで一致した意見は定期考査の廃止でした。その日、その時間の授業で生徒の変容を見取っていくのですから定期考査の実施は必要なのか、となったのです。校長先生に説明申し上げ背中を押していただきました。そこから先生方と議論を重ね結果的に廃止となりました。管内初、おそらく全道でもそう例のないケースだったはずです。
そのときと今回の本校での動きはまったく異なります。私のような管理職は教育の動向にアンテナが高いのは当たり前で、時代に合わせた学校改革を常に考えています。あぁなれば、こうなれば、ということを考え、それをどのように実現させるかに頭を使う毎日です。その一つひとつを先生方に気付かせてボトムアップで組織を変えていく、またはその逆にトップダウンで変えていく、選択肢はどちらかしかないわけですが、可能な限り前者であるのが望ましいわけです。
これだけ時代が変化していますので、学校現場もその時代の流れに乗っていかなければならないと考えています。私はこのことを着任早々から先生方にお伝えしています。20年30年前に決められたことが今の時代にあっていないのはいわば当たり前で、学校、教職員、生徒がWin-Winになれるようにどうすべきかを目指すことがストレスフリーになります。踏襲したり昔からこうだからに縛られるとお互いが窮屈になり、答えはすぐ手の届くところにあるのに別な着地をして混乱する。せっかく使うエネルギーならば効果と意味のあるものにすべきです。
本校の先生方に感謝していることは、必要なものや変えたいことを見つけ動いてくれるようになったことです。自分たちの手で変えることができた、という体験はやりがいや自信につながります。そして次なる疑問や?(はてな)の気づきを生み出します。これが課題解決に向けた一步になり改善に向かっていきます。あとは循環していくだけです。コツを掴めばとにかく回転します。
誰かの思いやアイデアはまずしっかり聴く - はなから否定するのではなく、「実現できたらおもしろいよね」「実現させるためにどうしたらいいだろ」という姿勢で聴いてみる。本来、変わることっておもしろいことなのですから。小さなことにみんなで磨きをかけていけば学校全体を変える大きな原動力になる。私はそう考えます。
さて、生徒の皆さん、考査がなくなったという言葉に喜んではいられませんよ。すでに評価の在り方について文書も発出していますし教科担任からも説明があったと思いますが、今日受けたその授業の学びの成果が評価されています。一時間一時間の授業が、今まで以上に重要になった、と考えなければなりません。
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