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校長の小部屋

自分の住む町に

 昨日の修了式で年度の締めくくりとなりました。生徒は14日間の年度末年度始めの休業に入りました。しばらくの間、部活動等以外での登校はなくなりますから生徒の元気な声が校内に響き渡ることはありません。

 朝、誰もいない教室棟を回りました。1年次生の学校設定科目である「産業社会と人間」の中で作成したポスターに目を馳せると、そのできばえの善し悪しではなく、生徒なりの町に対する思いが込められており、そうだそうだと考えさせられることばかりでした。

 こうした一つひとつの意見を吸い上げていくことは難しいとしても、一つひとつに目を向けて真剣に考えていかなければ、町からどんどん若者が離れていくのではないか、そう思うのです。私も空知の町に生まれ育ちましたから空知が大好きですが、18歳以降故郷に戻らず生活拠点は別な町にあります。小中高大学と学びの段階で町づくりについて考える授業がなかったことも何かしら影響しているのかもしれません。

 本校では「産業社会と人間」、「総合的な探究の時間」をとおして、計画的な教育活動に取り組んでおり、自分たちの住む町を調べ、地域の方と意見を交換し、地域の企業や関係機関様と連携し町の活性化に向けた探究活動をしています。これらは大変魅力的な授業で、生徒たちの発想の豊かさにいつも感心させられますし、これが実現できたらおもしろい町になるだろうなと思わせてくれます。生徒が提案したものがどれかそのひとつでもプロジェクトとして動き出したら素晴らしい展開になる - 私はそう考えています。

 工業高校の建築デザインコンクールで優秀な成績を収めた建築パースが、実際の建物になったケースがいくつかあります。夢が現実になることを高校生に実感してもらうのは大変意義深いことです。学びが形につながる・・・これは夢物語ではなく現実に起こること、そうしたことをたくさん与えられる世の中であって欲しいです。

 少子高齢化が進み町の過疎化も加速度的に進んでいます。学校もさまざまな課題を抱えています。もう待ったなし、です。目の前にいる高校生の発想や視点が町や学校の課題を解決する糸口になることを私たち大人は真剣に受け止めなければなりません。

 あのときの意見や提案を早い段階で吸い上げておくべきだった・・・そういう後悔はしたくないものです。

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お別れの朝に

 鬱屈とした12月、1月、2月を乗り越えると春の陽気を感じられので3月と聞くだけで心が軽くなります。こうした季節の変わり目を繰り返し繰り返し気がつくと五十代も半ば。この先も3月で感じるこの感覚はおそらく変わることはないのだろうな、と思うところです。

 ただ、3月はわくわくするだけではなくて、お別れ、というさみしくせつない風を心に吹き込んできます。お別れの3月。卒業式で生徒と別れ人事異動で教職員と別れる。自分の周りから次々に人が離れてゆく・・・

 32年間でどれだけの教職員とお別れをしただろうか・・・100人か、200人か、いや500人か。もうお別れをした順番も定かではなくなった。積み重なっていくお別れにずっと昔にお別れした方々の顔や声が浮かんでくる。こんなことがあったなぁ、あんなこと言われたなぁ、と当時は立ち上がることも容易ではないほどのダメージを受けたことも、今はすべてあたたかな記憶の断片として私の心に残り、その一つひとつを笑って思い返すことができる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれている。人って、きっとそういう存在なんだろう。

 管理職になって2年ごとの転勤を繰り返しています。苫小牧も小樽も北見もお別れは辛かったです。教職員一人ひとりと人間関係を構築するまでに1年、土台が出来上がり円滑な業務で1年。これで2年。でも全力の2年間で深まる信頼や絆が別れを躊躇わせる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれているとするならば、自分は人に何を残したか・・・そのことは別れの時にいつも思うことでもあります。

 朝の打合せ。本校からは6名の教職員が新天地に向かうことになりました。大変お世話になりました。

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春の訪れ

 12月から2月にかけて出張や札幌の自宅に帰る時は、水道の水抜きをしなければなりません。台所、トイレ、浴室、洗面所、ボイラーの5カ所の作業をすると軽く20分はかかります。大元だけを操作すれば良いのではなくあらゆる栓を開けて管内に溜まった水をはき出さないとそれが凍結してしまいます。こうした一連の作業をしなければ後々困ることになるのはわかっていても、大丈夫だろうと高をくくって家を空け、半日以上水が出ないことが2度ありました。水が出ないことがこんなにも人を不安にさせる。水のありがたみを痛感したシーズンになりました。

 いつもより早い雪解けなのかもしれません。あんなにあった雪は陽の当たらない一部分に残すだけになりました。3月の上旬から夏用のランニングシューズで路上を走ることができたのも初めてです。さっさと冬用のランニングシューズを箱に収め片付けました。本校の陸上トラックも今日から走行できる状況です。朝の冷え込みはありますが、春の訪れは例年になく早いのかもしれません。

 昨日、午前中に2時間かけて21キロのランニングを楽しみました。明日ハーフマラソン大会が開催されても飛び込みで走ることができる身体づくりを欠かしません。これは私の決め事としています(どうでもいいのですが)。午後から妻とランニングとウォーキングを織り交ぜた8キロ走に出ました。札幌市北区にある百合が原公園をスタートに繁華街を巡ってぐるり一周のコースです。途中、たい焼き屋さんで腹ごしらえをしてゆっくり春を感じる時間になりました。

 ここのところさくら、さくらと開花を告げるニュースを目にしますが、さくらよりも早く咲いた花を百合が原公園内で見つけました。氷点下や猛吹雪に耐え命を芽吹かせる樹木に感動です。

 マンサク科マンサク属 シナマンサク 中国原産。幼条や葉が軟毛で覆われている。花は香りも強く黄金色。開花時に枯れ葉が残っているのが特徴。

 皆さんに見ていただきたくて掲載いたしました。 

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パウンドケーキ探究

 想像するだけで楽しくなります。クルミパウンドケーキ(美唄産クルミを使用、米粉を使用)の研究。一緒に研究開発したい、と単純に思ってしまう私。クルミの割合を変化させることで食感は変わりますから、口の中に残るクルミの状態であったりその大きさであったり検討することは次から次に出てくる。万人受けする製品にするために、作っては食べて議論を重ねて・・・美唄尚栄高校はクラブ活動ではなく授業の中でこういうことができる学校です。
 
 前にも書きましたが、人が生きていくために食は必須です。高校の段階で食について学べるのは大きな意味があると思います。与えられたものをただ食べるのではなく、食べてもらうものを自分たちの手で - そこにおもしろさと魅力がある、私はそう考えます。

 パウンドケーキを持ってきてくれた教員が「校長先生、生徒がクルミの割合について探究していいものを作ろうとしています。今まさにそれをしているところでおもしろいですよ」別の業務があってその場に行くことはできなかったのが残念。それにしても生徒だけで取り組んでいることに大きな意味があります。そこに教員が入っていかないのがいい。

 子どもたちは大人(教員)が気づきもしないアイデアをするっと言葉にします。あまりに突拍子もない展開になると、大人(教員)は「それは無理だろう」とついつい軌道修正したくなる。自らの考えに寄せたくなる。それはわからないではありませんが、そこで何かを言うことによってせっかくのアイデアが消えてしまいます。そうならない寄り添いが我々には求められます。

 私は先生方にいつもお話しています。「作りました、売りました、買ってもらいました、寄贈しましたで終わりではありません。作った先、売った先、買ってもらった先、寄贈した先の姿を考えた教育を展開してください」自宅において趣味の範疇で作ったのであればそれはそれで終わっていいのですが、教育活動で作ったのであればその先の展開を常に考えさせなけれなりません。20年30年前に求められていた教育と今の教育は大きく様変わりしています。

 〇〇しました。だから・・・、それで・・・

 だから・・・、それで・・・が問われます。生徒も教員も探究し続けなければなりません。

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尊重するよ

 札幌の高校に勤務していた3月上旬のこと。「合格したよ」妻から長男の大学合格を知らせるLINEを受け取りました。当時私は3度目の入院を控え、その入院で手術することが決まっていて、体調のすぐれない日が長く続いている時でした。長男の高校受験の顚末については先日書いたとおりなのですが、あれから3年後、今度は大学受験を迎え長男は長男で大変な人生を送ってきたわけです。

 3年間続けると張り切っていた部活動も2年生の途中で辞めてしまいました。私も応援に行きましたが、宮城県気仙沼で開かれたインターハイで強豪校に敗れてしまい、残された1年でどれだけ努力しても全国に名だたる選手のレベルには達しない、と自らの力量を悟っての退部でした。学校から帰ってくる時間は毎晩23時前後で土日もなく、22時前に床に就くことが日課になっていた私は長男とずっとすれ違いの生活になっていました。久々に会う長男は疲れのせいかいつもぐったりしていて、私は部活のために学校に通わせているのか勉強させるために学校に行かせているのか、もっと友達や恋人と遊ぶなど今しかできない青春時代を味わうべきではないのか、などといくつもの疑問を抱えたまま悶々とした日々を過ごしていました。

 「このままでは部活だけの高校生活になってしまう。部活を続けても日本一にはなれない。今から真剣に勉強をしないと大学にも合格できなくなる。中途半端な自分になりたくない。残りは全力で受験勉強をする」という旨のLINEの最後に「今まで部活にお金を使わせてしまって申し訳ないけど、部活辞める、ごめん」と書かれていました。私の知らないところで相当な期間悩んでいたようです。口から出る言葉ではなくLINEというところがいかにも現代を生きる高校生らしい切り口ではありますが、長男の成長を感じた瞬間でもあり、正直嬉しく感じたことを覚えています。私は「考えた末の結論を父親として尊重するよ」と返信しました。

 LINEに書かれた言葉に、私は、高校受験の出来事を長男はずっと意識していたんだな、と思い知らされました。あの時、私はいとも簡単に「それは通過点でゴールではないんだよ」と手紙に記したわけですが、長男はその通過点に引っかかりを抱えたまま今まで生きてきた・・・それを思うだけで胸が一杯になりました。私は大学受験を終えるまで決して何も言うまい、と決意しました。

 9月に北海道で大きな地震があり、偶然にも台風も重なって我が家は長く停電が続き、そのような中でもロウソクを灯して受験勉強をしていました。それから少ししてずっと仲良くしていた友を病により失い、メンタルも体調もボロボロになり満足にモノも食べられない状態になりました。さらに追い込みの12月24日に私が突然腹痛と高熱で寝込むことになり、どうしようもなくなって病院に駆け込むと虫垂が破裂している(虫垂炎)と言われ、29日に緊急入院となりました。共通テストの直前まで入院することになり、応援どころか逆に足を引っ張るダメな父親になってしまいました。どうしてこんな大切なときに虫垂炎になんかになるの、と妻に叱られました。今だからいろいろなことを想い出します。

 長男がどこの大学を目指しているのかすらわかっていませんでした。妻とはいろいろ話をしていたようですが、私には一切話をしてくれませんでした。弘前大学に合格した日に初めてそうなんだ、と知ったわけです。何を暢気にと思われるかもしれませんが、実は非常に悪さをする虫垂炎で、一度退院してからというもの3月末の手術になるまで大変なことになり、長男の大学云々を考える余裕すらなくなる生活をしていました。しかも4月から管理職に、そんな大変なことも私自身抱えていたわけです。自分のことだけで手一杯で長男どころではなかったわけです。

 長男の受験から、自ら「こうしなければならない」と気付き努力している子どもに対して、親として思うところがあったとしても、私は「何も言うまい」、つまり子どもの思いを「尊重してあげる」ことが極めて大切なんだということを経験的に理解しました。がたがたモノを申したら成功することも失敗につながってしまう・・・それが私なりの結論です。

 我が家のどうでもいいような昔話をさせていただきましたが、1月から3月までの受験シーズンは、子どもたちにとって(保護者等にとっても)経験したことのない緊張であったり、大きなプレッシャを抱える時間になります。私たち大人のようにさまざまな人生を巡ってきた者にとっては簡単にやり過ごせることでも、十代の子どもたちにとっては全力で挑戦する一大事。最大の挑戦です。その時に親として何を語り何を伝えるか - 私の経験が何かのお役に立てばいいなと思って書かせていただきました。

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