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校長の小部屋

忘れていないよ

 4階の掲示板

 私の余計な言葉はいりません

 一つひとつの作品に

 言葉では語り尽くせない

 深い深いメッセージがある

 「忘れていないよ」

 いつまでも

 忘れないでいることが

 誰かの支えになり

 誰かへの応援になる

 私はそう思っています 

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 今朝のテレビニュースですが、標高300メートルの大倉山(札幌市)はもさもさと雪が降り真っ白な世界になっていました。いよいよだな、と思って外に出たら、私の頭上から雪が落ちてきました。朝7時5分、今年初の雪です。美唄市の初雪になるのでしょうか。

 見学旅行から帰ってきてからずっと天気がぐずついていて、雨ばかり降っています。晴れた日がほぼない状況です。青空が見たい、そう思います。

 朝、校舎内を回っています。4階奥の西向きの窓から灰色がかった空の中にぼんやりと冠雪したピンネシリ山系を望むことができました。この写真からわかるでしょうか・・・

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読書をしない

 北海道新聞の記事に、一日に全く読書をしない小中高生が50%を超えるという記事を見つけました。(無作為に抽出した同一の親子)。今の時代ですから本ではなく端末で読書を楽しむ子どもたちも多いのかもしれませんが、何とも残念な調査結果です。

 長く本に親しみ、本から多くの世界を教えてもらった私から言わせてもらえば(あくまでも個人的に)、読書をするかしないかの人生は180度異なる - そのくらい大きなことと考えます。でも、これは自分自身に言えることであって、他人に強いるものではありません。

 私の経験から読書は誰かに強制されるものではありません。話題となっている本やベストセラーを買い揃え宣伝しても本を手にする人が増えません。お金があるから読むとかお金がないから読まないでもありません。買わなくても学校の図書室や街の図書館で無料で借りて読むことができるわけですから。

 物心ついたときから身近に本があり、仲間と走り回るより本の世界に自分を置き、授業の合間に本を読み、大学の講義の半分は(それは大げさですが3割から4割りは)読書に明け暮れてきた私です。札幌で勤務した8年間の電車通勤は格好の読書の時間となりました。年齢を重ねるごとに気力が薄れ読量こそ激減しましたが、それでも月に2~3冊を読破しています。要は習慣ですし、自分の趣味の範疇に読書があるかどうかではないかと思ったりしています。

 読書する人を増やす議論ではなく、例えば右手を伸ばしたところに本があったり、教室の後ろの棚に本が並んでいたりする中で、何となくその本を手に取る人が一人いて、一冊読み終えた後に「おもしろかったなぁ」と次の一冊を広げる・・・そうした場所が誰かのためにあればいいのでは、と思ったりしています。 

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向こう側の風景

 今朝、『モチモチの木』があるだろうか、と図書館に足を運びました。残念・・・ありませんでした。斎藤隆介・滝平次郎さんの絵本は一冊もありませんでした。無性に読みたくなっているので、土曜日北海道大学の銀杏並木を見に出掛けるので、その帰りに書店に寄ろうと思っています。

 本校の図書館は4階にあります。今まで勤務した学校もほとんどが4階(最上階の端っこ)。小樽と北見の高校は2階でした。それぞれの学校事情はありますが、どうしてか上を好むようです。

 子どもたちがそれぞれ中学3年生になったとき、気になる学校の見学会に参加することから、私も教育関係者ということもあり、いくつかの学校を見学させてもらいました。個人的に本が好きなので図書館の配置が気になり、教室で授業を受けている生徒よりも図書館を真っ先に見に行きました。結局、長男は1階に、次男は2階に図書館を配置する高校に進学しましたが、生徒全員の動線上にある図書館っていいなぁ、と思います。本好きな人がさーっ、と本のある空間に入り、そこで自分の時間を過ごしていく。ぱらぱらページをめくったり、本棚に並べられた背表紙のタイトルや著者名を眺め、この一冊に広がる世界を想像する・・・そんな時間を過ごせる図書館。本離れ、読書をしない人が加速度的に増えているのは、時代背景からもわかるような気がしますが、動線は大きな要因なのかなぁ、と勝手に思ったりもします。

 図書館の反対側になる南向きの窓から見える景色が雨上がりの秋を漂わせていました。こういう現象を気象学的に?何というのかはわかりませんが、少しだけ早く出勤したことで目にできた風景です。何かいいことがあるかもしれないぞ、と勝手に思ったところです。

 ここのところずっと雨が降って、日に日に気温が下がってきています。体調管理に気を付け素敵な週末をお過ごしください。

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お花がくれたプレゼント

 朝一番、私たちをあたたかく出迎えてくれるお花。職員玄関と生徒玄関、そして職員室前に飾られています。本校は節電に取り組んでいますので、生徒が活動する場所を除いた玄関や廊下は陽が入らないため薄暗い状態になっています。スイッチONで全ての箇所を明るくすることは可能ですが、限られた経費を大切に使わせていただくために、本校だけではなく全ての学校が知恵を絞って節電や節約に取り組んでいます。

 ここのところどんよりとした空模様で雨が降り続いています。雨、というだけで気持ちも下がってしまいますが、傘を閉じ玄関の扉を開けると、一点そこだけが明るい。真っ先に目がそこに留まります。おそらく来校された方も「あらっ」と感じてくれるはずです。

 華道部のある学校は本校がそうしているようにお花を校内に飾っていると思いますが、私は本校で働いて良かったなと思うことの一つは『お花が身近にある』ことです。学校現場は日々様々なことが発生します。それは生徒も教職員も。人と人が接する現場ですから当たり前です。私は何もないことを願っている暇はないと思っています。私の働く上でのスタンスですが、何かある前に一手を打つ、何かあったらどのように対応するか、そのことを31年間自分に言い聞かせています。想定しておく準備しておくことの大切さ。これをしておけばバタバタ慌てることはありませんし、自信を持って対応できる。

 話が逸れてしまいました。そういう現場ですから浮き沈みは不定期に訪れます。「あぁ今日はこんなことがあったなぁ」そんなことを考えながら階段を降りてきて玄関まで歩いてきたときに、一瞬お花に目が留まる。肉体的な疲労や精神的な疲れ、イライラやがちがちになった肩、少しだけいいことがあった気持ち、部活動に向かう意気込み、気の進まないアルバイトに行く気の重さ、明日の授業の組立、家族のこと、友達のこと、自分のこと・・・みんなそうしたことを考えながら歩いている。そんな時のお花。自分の気付かないところで何かしらの支えになってくれたり励ましてくれたり慰めてくれたり褒めてくれたりしている。私はそう思っています。

 もしかすると私だけの感覚なのかどうかわかりませんが、お花を見ているその瞬間だけは、花の形、色、香りのことだけで心が動いています。それ以外のことはやはり一瞬ではありますがすっぽり心の中から消えています。これがお花がくれたプレゼントなのではないか。お金に変えられない大切な時間を与えてくれているような気がする。ふと、我に返った時に余計なことが心の中から消えいた瞬間を感じる自分が好きです。自宅庭のお花にのめり込む理由はこの感覚の中にいたいからなのかもしれません。

 思いを込めて生けたお花。作品を飾ってくれる生徒と顧問の先生、御指導いただいています講師の先生に感謝いたします。

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