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校長の小部屋

クリスマスツリー

 12月1日(月)の放課後に、生徒会執行委員と担当の教員が中心となって飾り付けをしてくれました。私の身長(180センチ)を超える大きなクリスマスツリーです。飾り付けしてくれた皆さん、ありがとうございます。生徒玄関は、生徒が必ず2回通るところですから、クリスマスツリーを見て、毎朝毎夕気持ちがほっこりしてくれたら嬉しいです。私も嬉しくなって、2日の朝に記念写真を撮りました。

 大人にとっては気にも留めない小さなことかもしれません。でも、多感な生徒にとっては大きなこと。私はクリスマスツリーの展示に大きな意味がある(信仰する宗教等の話は抜きにさせてください)、と思っています。いつからこの取組が始まったのかは確認していませんが、思いつき実行した最初の誰かを私は尊敬します。『生徒の喜ぶ姿を見たい』『生徒のためにやってあげよう』その思いが、こうして現在に至っているのですから。

 生徒と教員の信頼関係の構築は、小さなことの積み上げです。生徒のためにやってあげられる小さなことを重ねていけば、それはやがて学校全体の雰囲気をも変える、そう信じています。

 玄関に立っていると「クリスマスツリー飾ってくれたんですね」と生徒たちが私に話しかけてきます。きっと嬉しかったんだと思います。執行委員の生徒が登校してきたときに、「飾り付けありがとう」と私はお礼を言いました。いい笑顔で「はい」と返してくれました。

 学校祭の終わりに先生方が集まった会で、12月にクリスマスツリーを展示することを聞きました。私はそこでひとつのアイデアを提案しました。そういうことがあってもいいよね、と。それが(ここでは書きませんが)実現するのかしないのかはわかりませんが、何か生徒に考えさせたらどうだろうか - ひとりそんなことを思っています。本校の生徒であれば安心してひとつ預けてやらせてあげていいだろう、と。

 子どもたちが小さい頃、私が設計、製作したロボット工作をクリスマスプレゼントにしていました。まだ、何もわからない二人はセンサーの反応で走行するロボットをきゃっきゃっと床を這いながら追いかけていました。最後は線が切れて、シャーシが壊れて、というのが定番ではありましたが、20年以上も前のことがつい昨日のように思い出されます。私の手づくり電子工作プレゼントを喜んでくれた期間はあまりに短く、次は宇宙戦隊ロボット、野球盤、電子ゲーム機、テレビゲームのソフト、そして最後は哀しくもお小遣いになり、高校を卒業し家を出て行きました。

 親父が何か作ってクリスマスプレゼントくれたよな。そのことを二人が覚えてくれていれば嬉しいのですが・・・またまた私のエピソードを書きました。

 30万アクセスを迎えることができました。今後も本校の教員が、ホームページ、インスタグラム、noteを更新してまいります。お時間のあるときにお読みになっていただけますと幸いです。

 今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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今年も残すところ

 昨日、午前中から午後まで美唄市内は強風が吹き荒れました。生徒が下校時刻を迎える頃には風は収まりましたが、校長室の窓ガラスはバタバタガタガタと割れんばかりの音を立てていました。

 あっという間に12月です。今年も残すところ、というところになりました。生徒玄関に立ち、生徒を迎えていると、「今年もあと30日になりましたね」と1年次の男子生徒がニッ、と笑いながら私に話しかけてきました。「あと、30回寝たらお年玉がもらえるね」と私が言うと、「お年玉楽しみですねぇ」と言いながら階段を上がっていきました。4月、5月はどことなく中学生の雰囲気が残る1年次生でしたが、今ではすっかり高校生の顔になりました。みんな成長しました。

 「おはようございます」と先に生徒から挨拶してくれるのが嬉しいです。これが当たり前のようで意外とそうでもないのです。学校の様子は、生徒の挨拶、生徒玄関の下駄箱の使い方、教室の整理整頓でほぼわかります。これができていないと次の段階(授業、行事)に進みません。長い時間をかけて積み上げてきた結果が現在であり、これを維持するとともに、現状に満足せずに更なる高みを目指して教育活動を行わなければなりません。

 話はつながりませんが、昨晩のこと。風が止み、雨が上がったのを機に外に出ました。誰もいない美唄駅のホームです。もしかすると今晩から冬景色のホームに変わるかもしれません。  

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集中して、無心に

 土曜日の夕刻、第69回全道学校書道展(札幌市民ギャラリー)に本校生徒の作品が展示されているので、妻と一緒に見てきました。小学生から高校生までの作品がずらり並び、見つけるのにかなり時間がかかりました。足を運んで自分の作品を見てくれていたら嬉しいな、と思いながら、でも、わざわざ札幌までは遠いだろうし・・・我が子の作品を是非保護者等の方に見て欲しいです。この写真から伝わればいいのですが。

 今回展示された人もそうでなかった人も、作品づくりをしているときの自分を思い返してみてください。その時間だけは余計なことは考えず、集中して、無心に筆を走らせている自分がいませんか。

 先を見通すことが困難な時代、複雑な人間関係の中で生きていますから、頭の中では常にあれやこれや考えてしまっています。見えない答えに不安を抱えたり、時間の流れについていけず疲れたりします。私も同じです。

 私は過去に体調を壊した経験から、あえて考えない自分づくりを大切にしてきました。今も実践中です。物事に向き合わず逃げるということではなく、考えても答えが出ないもの、考えても仕方ないこと、考えても堂々巡りすること、考えても負のスパイラルになることについては、一切考えないことにしています。心に決めてその日から考えない自分になれたか、というとそうではありません。相当な時間がかかりましたが、そうするために、好きなことに集中する(無心になる)時間を一日の中に持つことを意識し実践してきました。それが功を奏したのか、今では肩に力の入らない楽な生き方ができています。

 先ほどの話に戻りますが、書道はまさにそうした時間が作れる絶好の機会ではないでしょうか。一人ひとりの集中と無心が作品の全てになっている - そういうことを考えて作品を見ると、見方が変わると思います。

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テストの終わりに

 本日がテスト最終日。これが終わったら・・・と考えながら、この期間を過ごしてきたはず。部活動のスタート、来月の体育祭に向けた練習、アルバイト、まずは寝る、受験に向けた準備再開、友達の家へ、何かを一緒に食べに行く、などなど、それぞれの時間を過ごすのだろうな。テストが終わるのって、嬉しくて何故かわくわくしますよね。そんなことを思いながら、私は後ろからそーっと教室に入り、写真を撮らせていただきました。

 さて、これが最後になるだろう(本当にそうなりました)と決意して受け持ったクラスの最後の文化体育大会。体育系種目にソフトボールがあって、そこでの優勝を目指し(24クラスの乱戦ですから優勝はすごいことです)、私の知らないところで生徒たちが集まって秘密の練習をしていました。そのことを知ったのは大会の数日前でした。「先生、オレたちね、実は朝とか夕方集まって練習してたんですよ。電子機械科の奴らに勝って優勝しますからっ、優勝したらみんなで焼き肉やりましょ、先生お金出してくださいよ」(残念会の焼き肉はしませんでしたが、卒業式前日に生徒がお店貸切の手配をして、卒業祝いの焼き肉をみんなでやりました)

 学校の外でグローブやバットを持って集まり、わいわい楽しみながら練習していることが、とにかく嬉しかったです。どこに集まっていたのかはわかりませんし、どんな練習をしていたのかも定かではありませんが、こうしたことが高校時代の良き想い出として生徒たちの心に植え付けられるわけです。やがて、大人になりどこかに集まったときに、「あの時練習したけど、勝てなかったよなぁ」と懐かしむことができる - 今はわからないだろうけど、ずっと先にこのことがわかるはず。私はそう思って見守りました。

 教室で見せる顔とは違った姿がグラウンドにありました。失敗を責めない前向きな言葉やスイングに一喜一憂する表情、ファーストベースに全速力で走る姿、ホームベースを踏むごとの歓声、勝った感激に抱き合い飛び上がる姿・・・生徒一人ひとりの成長を感じた瞬間でもありましたし、そのすべてが愛おしい時間でした。そうした姿を見ることが私は大好きでした。

 3年間、いいことも悪いこともたくさんありました。人と人が接触する学校は毎日がドラマであり、何も起こらないことはまずありません。私は起こらないことを望むのではなく、ドラマの脇役(主役は生徒です)として起きたことに誠実に向き合うことを意識してきました。実にさまざまな出来事がありましたが、その一つひとつが生徒一人ひとりを成長させ、教師としての私も成長させてくれました。特に最後となった担任業務の3年間は、40人が私にたくさんの宝物を授けてくれました。この仕事は、生徒に感謝なんだ、と思います。

 テストの終わりに昔を懐かしませていただきました。

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誕生日

 先日、誕生日を迎えました。東京に住む長男からはLINEギフト(時代を感じます)、次男(社会人1年目)は夕食代を持ってくれ、妻からは手袋ともうひとつ大きなプレゼントをもらいました。母からは毎年、お菓子とお祝い金が送られてきます。弟たちからはお祝いのメールが。幸せな55歳の誕生日になりました。

 ひとつずつ歳を重ねていきますが、気持ちだけは20代、30代。ただ、肉体的にはそれなりの状態であることは否定できません。先日、ランニングウォッチが、何かの拍子にデータ解析したようで、いきなり40代前半である旨の画面を表示し、よしよし、と嬉しくなりました。どこかで測定してもらった血管年齢が60代と言われた妻が、あまりに失礼すぎる、とぷんぷん怒っていたのを思い出し、あまり得意にならないように小さな声で妻に伝えた次第です。

 さて、私の弟たちもみんな50代になりました。不思議な感じがしますが、電気技師、ピアニストとしてそれぞれ活躍しています。父が早くに亡くなったこともあり、私は父親代わりであるとの意識をうっすらと持ちながら生きてきました。特に何かをしてきたわけではありませんが、幼き頃から父に「お前は長男なんだから」「長男らしく」と言われ続けてきたことも、そうさせた理由かもしれません。当時、私は大学生で、二人は高校生でしたから、いろいろと不便はあったのだろうと思いますが、さまざまな困難を乗り越え、今では私より立派に生きています。

 何かあれば大学時代に戻りたい、と思っていましたが、もうそう思うことはなくなりました。私は静かに今の自分を受け入れ、50代である自分を楽しみながら生きています。その年齢を楽しむ余裕ができたのかもしれません。50代、それはそれでなかなかいいものです。

 母からもらった小さな包み - 母からすれば私はいつまでも子どもなんだなぁ・・・そう思いながらこれを書いています。私にとっての誕生日は特別です。普段はゆっくり考えない母のこと、妻のこと、子どものこと、弟のこと、そして自分のことに思いを馳せる貴重な一日となります。

 皆様の誕生日はどのような感じでしょうか。

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