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校長の小部屋

雨上がりの夕暮れ

 11月13日(木)15時47分 雨上がりの夕暮れ

 赤く染まってゆく西の空と水たまりのグラウンド - これが私の席から見えた景色です。

 太陽の光にはさまざまな色が含まれていて、空が青く見えたり赤く見えたりするのは、太陽の光が大気を通り抜けるとき、大気中の窒素や酸素の分子にぶつかり散乱するからで、その光が空に広がります(理科の先生、合っているでしょうか)。夕暮れ時は太陽の位置が低くなり、太陽の光が地球上の大気を通る距離が日中よりも長く、青い光は散乱し赤い光は残って見る人に届くことから空が赤く見えます。

 空は偉大なんだよぉ、と祖母が言うものだから、私は小学生の頃から空を見上げてお願いごとをしたり、空にまつわる詩を書いたりしていました。私は一風変わった子どもだったと思います(周りでそんなことをしていた子どもはいなかったので)。担任の先生に「他の生徒とずいぶん様子が違うようだ。専門的なところで診てもらったら」と言われ、かなりのショックを受けた、と母が昔に話してくれたことがあります。

 この日もいろいろ考えながら夕焼け空に語りかけていました。答えは返してくれませんが、私のやることをすべて見守ってくれているような気がしました。これ以上望むことはないな、と妙に自分を納得させ、放課後の校舎の見回りに出発しました(この後の出来事が昨日の校長の小部屋につながります)。

 さて、4月23日(95,730)からホームページカウンタをノートに書き込んで現在に至っています。11月14日(金)の朝から17日(月)の朝にかけて、実質3日間ですが11,304件のアクセスがございました。年内の30万件アクセスも見えてきました。

 先日も書かせていただきましたが、読んでくれている方がいるということは、ホームページを日々更新する本校の教職員にとりましても大きな励みになります。

 インスタグラムとnoteへの記事も投稿しております。是非御覧ください。

 今後ともよろしくお願いいたします。

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放課後

 11月13日(木)の放課後のこと。

 16時くらいにHR教室のある棟を歩きました。放課後は生徒の本当の姿が見られる時間なのでおもしろいです。今でも記憶に残っていますが、受け持ったクラスの生徒と過ごした放課後はとにかく楽しかったです。

 お付き合いをしている他校の女の子のこと、アルバイト先の出来事、オンラインゲームでの対戦のこと、音楽談義、悩み相談、部活動の様子、ファッション、髪型・・・朝のおはよう、帰りのさよならだけでは見えない本音の高校生の姿がそこにはありました。その中にいる自分もまた高校生に戻ったかのようで、その世界観に幸せを感じていました。

 ほとんどの生徒が下校している教室はとても静かです。でも、数名の生徒が教室や廊下に集まって何やら楽しそうに話をして盛り上がっています。それぞれのグループや仲良しがあるのでしょう。ノートを広げている生徒に何事か話しかけている二人。教室に入り「何をしているの」と聞くと、「テストがあるので勉強してました」ノートには英文がびっちり書かれていました。いきなり二人が「飴なめてたらダメじゃん」「なめてないよ」と行ったり来たりのやりとりをしだし、きっと私に何か言って欲しいようでふざけ出す。

 廊下では4人がスマートフォンをのぞき込んで話しています。「なになに、何してるの」と聞くと「ゲームです」と画面を見せてくれました。「ここの4人はこのゲームが好きで、この中に出てくるキャラクターの中にそれぞれの推しがいるんです」短縮用語が飛び交い何が何やらわかりませんが、とにかく仲良く楽しくやっているので、それはそれで良し。

 放課後の様子はあの頃と大きくは変わっていない、同じなんだ、といつも思います。それにしても、授業等で接することのない私が突然教室に入り、話しかけても何一つ嫌な顔をせずに会話してくれることもびっくりです。

 さて、普段照明のともらない教室から光が漏れています。覗いたら華道部が活動していました。月一回校長室に作品のひとつが届けられるのですが、生けているところを見たことがなかった、しまった・・・月一回の活動なのでチャンスを逃していたとは言え、盲点だったな、と反省しつつ教室の中へ。講師の先生の指導を受けながら、生徒がお喋りしながらお花を生けていました。

 完成後、自分で生けた作品をスマートフォンで撮影しており、その姿を見てなんだか嬉しくなりました。自分の作品なんだよ、という想いがその行動から垣間見えたからです。心を込めて生けたから愛情や愛着がわく・・・上手綺麗云々の前に、それ以上に大切なものがある。私はそこを大事にしたい。生徒の心に大切なものがしっかり育っている。嬉しかったです。

 「どのようなイメージで作品づくりをしたの」と聞きましたら、「いつもは横に広がってしまうので、縦にすーっと伸び上がっていくのを意識しました」と答えてくれました。その言葉のとおりの作品です。「私、校長の小部屋見てます」とも言ってくれました。嬉しいの連続です。

 その作品が私のところに届けられました。デスクに置き、正面から横から上からと眺めています。またまた贅沢をさせてもらっています。ありがとうございます。

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遠くを見ていて

 11月13日(木)美唄市立東中学校の2年生全員と校長先生並びに関係の先生、保護者等の皆様をお迎えし、学校見学会を実施いたしました。先日は美唄中学校の皆様に来校いただき、本校にとりましても地元にある高校(美唄尚栄高校)をPRできる素晴らしい時間になりました。

 地元にあっても学校の中に入れない、どのような雰囲気の学校なのかわからないなど、同じ地域にある義務高と高等学校はまだまだ遠い存在なのかな、と思っています。そうした中でも本校は長年、小学校と中学校と連携した教育活動を展開しておりますので、もっともっと交流が盛んになる取組を検討しなければならない、と考えているところです。

 学校見学会につきましては、PRは本校の生徒が行いますので、このような機会は生徒を成長させる場になります。まさに両者にとってWin-Winです。東中学校並びに美唄中学校の両校が年間授業計画の中に、美唄尚栄高校見学会を盛り込んでいただいておりますことにこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございます。

 歳を重ねてわかったことがあります。あくまでも私自身のことではありますが、近くのものを見ず、遠くのものばかりを見てしまっていた - このことを最近特に感じるようになっています。人はそれぞれに目指すものがありますから、今より便利なところ、出世、ブランド、肩書き、お金・・・など先を見続けて生きていく、私も空知の地元を捨てて地方に出て行った人間です。大学に入ったとき、これで故郷から離れられる、そしてもう故郷で生活していくことはないだろう、と思いました。そのとおり故郷を顧みることなく生きてきました。一方ですぐ下の弟は地元を大切にして生きている・・・この違いを私はどうしても考えてしまいます。

 管理職として五十代を迎えた小樽、そして本校に勤務し、生徒たちの総合的な探究の時間の活動を見ていく中で、地元を粗末にしてはいけなかったんだ、という気持ちにさせられている自分がいます。空知に住む母親のことは常に気になるけれど、故郷の発展や将来という視点がまるっきり欠けていたことに気付かされました。遠くを望むことは決して悪いことではないと思いますが、そのことによって近くのものを見失っていたわけです。

 美唄市は小さな町ではありますが、そこに住んでいても意外と知らないことが多いと思います。今回の学校見学会もそうです。冒頭で私は「美唄尚栄高校に今回初めて入った人」と訪ねたらほとんど全員が手を挙げました。こんなに近くにあっても遠いんだな、と。

 総合的な探究の時間をとおして、地域学を取り入れた学校や地域に目を向けた教育活動が積極的に行われています。近くにあるものの良さにたくさん触れて、その上で遠くを見ていく - そうした逆転の発想で生徒を育てていくことが大切なのではないか(個人的に)、と考えているところです。

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山の雪

 今朝のこと。

 いつも西側のピンネシリ山系ばかり見ていて、その逆の東側の景色を眺めることはなかったな - そんなことを思いながら学校までの道を歩いてきました。どこを見て歩いてきたのかを想い出すことはできませんが、おそらく足元ばかりを見て歩いていたのでしょう。

 もしかすると少し前から雪がかぶっていたのかもしれませんが、東側の山の雪景色を見ることができました。気温は昨日と比べると風は強いながらも暖かくて、平地に雪が降るような感じはありません。山の気温はかなり低いのかもしれません。

 退職したら富士山登りに行こうね、と先日何かの会話をしているときに妻が言いました。そうだね、と私は簡単に返事をしましたが、何かのニュースで富士山もオーバーツーリズムの影響を受け、数珠つなぎの登山とマナーの悪さが課題になっているようです。それはそれとして3000メートル級の山をあと5年少しで登れるのかが不安です。

 結婚してすぐの頃、妻と義父母の4人で黒岳に登山したことを想い出します。あれが私の初登山になります。頂上から見た景色はぼんやりとですが覚えています。登山道の脇に咲く花の写真も撮って歩きました。

 長く忘れていた記憶が目の前に浮かぶ朝を迎えています。

 さて、出勤してすぐに普段は使用していない4階の音楽室まで駆け上がり、そこから東側の山並みを撮影しました。過去に遡って本校にゆかりのある方々が、この場所からこの景色を眺めていたはずです。美唄を離れて暮らす方々が、本校のホームページからこの写真を見てくれていますと幸いです。

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生命の営み

 週末は自宅のある札幌に帰り、レコードを聴いたりランニングをして過ごします。朝食を食べてから15~30キロのランニングをすることが10年以上に及ぶルーティンですが、二月ほど前から妻もウォーキングとジョギングを始めたので、私のゴール地を丘珠空港緑地公園やモエレ沼公園に設定し、そこで妻と合流し一緒に歩いたり走ったりするようになりました。あれだけ走らない、と断言していたのに不思議です。
 
 さて、自宅から3.5キロメートル離れたところに龍雲寺の大きな銀杏の木を見ることができます。鋤柄松太郎氏が新天地開拓の記念として植えたと伝えられ、樹齢は100年を超えています。私の住む北区内で唯一北海道自然環境等保全条例で保存樹に指定されています。植えたときはきっと小さなものだったのでしょうが、これが100年かと思わせる大木で迫力があります。

 自宅周辺をランニングするか、遠くまで走るかはその日の気分や疲労度により変わりますが、長くやっているとお気に入りのコースができ、その数は何十本にもなります。例えば20キロにしようと思えばこのコースを、10キロはここを、というのがインプットされています。そのひとつに龍雲寺通過コースがあり、毎年、晩秋の龍雲寺に見事に色付いた銀杏を拝み、写真を撮らせてもらってます。

 この写真は11月3日(月)のものになります。1週間後の9日(日)に再びここを通ったら葉は全て落ちてしまっていました。雪が残る歩道は積み重なった落ち葉でふかふかの絨毯になっていて、それはそれで趣はありましたが、今年は見頃の時間が極端に短かったような気がします。

 日照時間の長い春から夏にかけて光合成で栄養を蓄え、秋になり日照時間が短くなると、光合成により生成される栄養が少なくなるため、光合成をやめて冬に向けて葉を落とす - これを百年を超える間(龍雲寺の銀杏だけではありませんが)繰り返し、現在に至っていることに驚かされます。生命の営みはすごいです。私のランニング・ルーティンなど遙か足元にも及びません。

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