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校長の小部屋

花を持ってきてくれました

 学校祭前に生けたお花は、校舎内各所でのお披露目ではなく、デザイン系列の展示スペースの一角に並べられることになりました。学校祭で来校する多くの方に見ていただくことを考えるとそれが一番良かったと思います。

 6日(日)、7日(月)と学校は休業し、昨日お昼過ぎに華道部の女子生徒2名が校長室にお花を持ってきてくれました。生けてから日にちが経ち、残念ながらお花も少しだけ元気さを失っていましたが、デスクに置いて観賞させていただきます。ありがとうございました。

 本当は花と生徒の写真を撮りたかったのですが、元気いっぱいのお花の時までお預けにしました。申し訳ないと思いつつ、生徒に作品への思いを聞いたら「大きな葉っぱで夏の暑さを表現しました」と話してくれました。右下の葉がそれです。担当の先生に誘われて2年次生になってから華道部に入部したとのこと。家ではずいぶん前からハイビスカスを育てていて、きれいな花が咲くようです。学校祭楽しかった?と聞きますと、クイズや踊りがすごく楽しかったです、と笑顔で答えてくれました。

 夏真っ盛りです。我が家の薔薇は6月の2,3週目に満開となりました。一端休息に入り、白と赤のアナベル、ヤマアジサイ、アストランティア、バーベナ、エリンジウムなど、ありとあらゆる花が日替わりで満開を迎えています。

 一部ですが、薔薇の様子をどうぞ。これから咲く薔薇もありますが、一番いいときの写真です。何種類あるかわかりませんが、色も形も香りもすべて異なります。人それぞれと言いますが、薔薇それぞれです。個性があって楽しいです。 

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好きな場所

 平日の夕刻は7~10キロほどランニングしています。数年前まで10~15キロも走っていたのに、やはり年齢には勝てないのかもしれません。

 美唄市民になって3ヶ月、ここを曲がって道なりに真っ直ぐ行くと7キロ、美唄中学校前を抜けて裏通りを走っていくと9キロになる、などの距離に応じた私なりのランニングコースができあがりました。その日の気分や疲労度を考慮して毎日走っています。

 ランニングの最中、美唄駅周辺で生徒とよくすれ違います。目と目が合うと生徒は一瞬、うむっ、とびっくりした顔をしますが、私だとわかると、「こんばんは」と頭を下げてくれます。私も「こんばんは。お疲れ様」と声を掛けます。無視しないで挨拶してくれるのがとても嬉しいです。

 私は週末に札幌の自宅に帰るとき以外は自動車を運転しません。ランニングを始めて13年になりますが、運転していると見過ごすであろう小さな風景を見つけられるのがメリットで、実はこれがランニングをやめられない要因にもなっています。大きな通りだけではなく、あえて小路に入ったり、脇道に逸れて眺めのいいところに出たりしています。

 美唄の好きな場所をいくつも見つけましたが、この写真はその一箇所です。観光場所でも名所でもない小路の花壇。ここだけは走らず歩いてお花を楽しませてもらっています。実に手の行き届いた可愛らしい花壇で、自宅の庭づくりのヒントを得たりしています。

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心に

 一夏の想い出として、尚栄祭がみんなの心に焼き付いてくれたら・・・

 これが最後の尚栄祭になる3年次生には、踊ったことや歌ったこと、模擬店の販売、校内で食べたたこ焼きやワッフル、かき氷やカレー、冷やしうどんとヤキトリ・・・良き想い出としていつまでも心に残って欲しい・・・

 ステージで3年次生の男子生徒が歌った曲が胸に沁みました。じーん、ときました。目頭が熱くなりました(歳をとり涙腺がゆるんでいます)。先日のさわやか清掃、たまたまその生徒と二人で学校まで話をしながら戻ったのですが、そのときに高校卒業後の道を聞かせてくれました。そのことと重ねつつ歌を聴いたので、ついつい涙が出てしまったのかもしれません。今を生きる高校生全員の思いを彼が歌ってくれたたように感じました。

 教員一名を加えたダンスユニットも高校生のエネルギーを感じましたし、クラスを超えてチームを組んだダンスも若さ全開で素晴らしかったです。今日一日だけでいいから高校生に戻りたいな、と思いました。

 自分を表現することってそんな簡単なことじゃないです。誰にでもできることではありません。私自身もできません。みんな一律同じであることが求められているわけではないけれど、出っ張ることが何となくタブーとされている日本人の中にあって、こうして大勢の前で表現できることは尊敬に値する、私にはそれだけ価値のある行動のように思います。

 急に思い出したのですが、昔、東京の真夏に1週間缶詰の研修会に参加しました。当時全国工業高等学校長協会理事長の佐々木校長先生が、研修会最終日の挨拶で「出た杭は打たれる。でも、出すぎた杭は打たれない。本研修を受けた皆さんは自信を持って明日からの業務を進めていきなさい」と仰ったことを思い出しました。私には佐々木校長先生があらゆる意味で表現の達人に見えました。

 出て行く勇気・・・ステージ発表から私はそのようなことを考えていました。

 美唄市長桜井様、美唄市教育委員会教育長石塚様を始め、たくさんの方にお越しいただきました。また、PTA役員の皆様の御厚意によるカレーライスと冷やしうどんも大盛況でした。大変ありがとうございました。

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青春は今この瞬間

 昨日から尚栄祭を開催しています。本日は午前10時から一般公開となります。模擬店、PTA喫茶、各種展示となっていますので、是非お越しください。

 大所帯18名の部員による芸術部書道パフォーマンス。一文字一文字に高校生の、青春のエネルギーが込められています。(生徒玄関ホールに展示)

 「青春は今この瞬間」まさにそのとおりです。

 私にも青春はありました。もう二度と戻ってこない時間です。振り返ってみると、友人と過ごした楽しく明るい時間だけが思い浮かんでくるわけでなく、どこに持って行けばいいのかわからない苛立ち、表現のしようのない心の叫び、大人になることへの抵抗感、親元から一刻も離れたい気持ち、成就した恋愛や別れで傷つけた女性のこと、揺れる就職への思い、島への一人旅、親友と呼べる人と出会いたくて進んだ大学・・・そんなことばかりが脳裏を駆け巡ります。今思うと、心の置き所がなかなか定まらない時間であったように思います。

 自分はこうありたい、こういう自分になれるんだ、やっぱりこの夢は捨てて生きていかなければならないんだ - 夢や希望が現実という壁を越えられない、そのことを自分なりに理解していても、それを捨てて前に進んでいくことに迷いと未練がある、そこにもがき続けていたのかもしれません。

 しかし、今はあの頃とは違います。生徒の皆さんは夢や希望を捨てる必要はありません。何にでもなれる道や手段が無限に広がっているわけですから。青春のエネルギーを全開にして堂々と道を切り拓いていってください。

 いろいろなことがあった若き日ですが、すべてをひっくるめて、青春時代はいいものだったな、と思います。何年間を青春時代というのかはわかりませんが、あの時間は私にとっては宝物です。

 目の前の飾り付け、隣に座ったクラスメイトとのお喋り、音楽に合わせた手拍子、応援の声、文字や絵の描き、クラスみんなとのダンス、体育館の蒸し暑さと扇風機の風、体育館後方に吊り下げられたクラス垂れ幕、揃えたクラスTシャツ、大勢の前で初めての歌披露、手を取って笑えた時間、汗だらけのクラスTシャツ、ジャンプしてのハイタッチ、首から提げたタオル、担任の先生を巻き込んだクラスPR、披露できた楽器演奏・・・何でもいい。その一つひとつが一人ひとりの貴重な青春の足跡です。

 6つのクラスPRは皆さんの青春そのものでした。若いって、もうただそれだけでいいですよ。今、この瞬間をまっすぐ生きていけば、それだけでいい。

 すべてがみんなの青春です!

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一面、との遭遇

 今まで見えていなかった一面を知ってしまった - 長い時間同じ人と過ごしているとそうしたことは必ずあります。通常の授業が行われている時にはないけれど、行事の準備をしているとき、見学旅行中、部活動の最中などによく起こることです。

 我を通そうとしたりついつい我が儘が出てしまったり。片付けないで帰ったり時間に遅れたり。サボったり言うことを聞いてくれなかったり。自分はこんなに作業しているのにあの人はスマートフォンを見てばかり・・・たぶん、この学校祭準備期間中に多くの生徒がそれぞれの、一面、に遭遇したのではないかな、と思います。

 廊下を歩きながら生徒を見ていると、「あっ、何かあったな、昨日と顔色が違う」そうした雰囲気を感じ取ります。廊下の壁に寄りかかり、抱えきれない気持ちを友人に聞いてもらっている姿を目にしました。話の内容はわかりませんが、きっと、一面、に触れてしまったのでしょう。

 我慢しなければならないのはわかっている、でも、もうどうにも・・・自分の想いを聞いてくれる友達がいる。そこでの気持ちのやりとりが最終的に心を落ち着かせ、次に自分がどうすべきかを考えるきっかけになっていく。私は二人の様子からきっと二人の中で解決できるだろうと思い、そーっと、二人の横を通り過ぎました。翌日の表情が良かったので、きっとすっきりしたのだと思います。

 昨日も書きましたが、行事は生徒だけではなく、教員の成長の場である、と私は考えます。特に5回15年の担任業務で私は生徒たちから成長させてもらいました。行事のたびに一つひとつの困難を乗り越えていった生徒たちもまた成長しました。自分も、そして生徒たちも成長していくことが嬉しかったですし、幸せを実感できました。中でも札幌琴似工業高校で、もしかするとこれが最後の担任業務になるかもしれないな(その後管理職になりましたので本当に最後になりました)、と思いながら接した40人との3年間は、一日一日が愛おしく一日一日が厚く深かったです。あの40人の生徒たちに私は成長させてもらいました。感謝しかありません。

 いろいろな想いが交錯した学校祭準備期間を終え、生徒も教員もいよいよ尚栄祭を迎えます。たくさんの素敵な笑顔を見せてくれてありがとうございました。皆さんの姿から、私は、私の高校時代のことと教え子と過ごした懐かしい日々を思い返せる、心和む穏やかな時間を過ごすことができました。生徒と教員の皆さんに感謝しかありません。ありがとうございました。

 保護者等の皆様、お子様は学校祭準備期間を経て確実に成長を遂げています。成長したお子様の姿に是非会いに来てください。高校生のお子様の瞬間は、今この時しか見ることはできません。自宅では見られない新しい笑顔や声に触れてください。お待ちしております!

 さぁ、主役は、あなた、です。そして、あなたの隣の仲間も一人ひとりが主役です。みんなが主役です。

 尚栄祭大いに楽しんでください!!

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クラスと生徒の成長

 ステージ練習を体育館後方から見させていただいてますが、日増しに上手になっています。息が合ってきている - 練習を繰り返す中で着実に上達しているのを感じます。

 蒸し暑い中での準備作業ですから、ちょっとしたことで苛立ったり、普段なら聞き流せる言葉が神経に障ったり、思い通りに周りが動いてくれなかったり・・・おそらくそうしたことがあるのだろうと思います。

 そのような障壁は、クラスが、そして生徒たちが成長する過程の中では、必要なことと私は考えます。実際クラス担任をしているときには日常的にトラブルが発生し、そのたびに時間を割いて話を聞き話をして間を取り持ちました。衝突や仲直りを繰り返す中で、生徒たちはひと回りもふた回りも大きくなっていきます。

 完成されたものの評価も大切ではありますが、私はそこに至るまでの成長の見取りがより大切だと思っています。生徒自身が「私は成長したよ」「私たちのクラスはまとまったよ」などとはなかなか思わない。でも、私たち教職員は、クラスの成長、生徒一人ひとりの成長を肌で感じ取ることができます。そこが教師のやりがいであり魅力なのだ - 教職32年目になる私なりの結論です。

 少し話は逸れますが、教頭先生から写真のレイアウトの仕方を習いましたので、数日前からアプリケーションをフル活用しています。自動的に写真配置を提案してくれるので、とにかく便利です。今までは時間をかけて写真を縮小したり切り取ったりの加工をしながら並べていました。その一例として、この一枚(高校説明会で使用するスライドの一部)を作成するのに相当な時間を要しました。楽しみながら作成したとは言え、さーっと並べてくれるアプリケーションがあれば、と思っていたわけです。

 生涯学習、という言葉を耳にします。今までの知識をリニューアルしていくこともそのひとつです。今回のちょっとした学びにより、効率化、時間短縮につながる作業の在り方を実感しました。どんな分野であれ、学び続けることは大切です。

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みんないい顔しています

 今週は午後(5,6校時)を学校祭の準備の時間としています。各教室ではクラスPR(各クラスの特徴をテーマに沿ったダンスや演劇等のステージ発表でアピールする)に向けて、笑い声や振り付け指導する声が飛び交い、日に日に盛り上がってきています。

 教卓の上にタブレットを置き、みんなで画面をのぞき込んでダンスをしたり、打ち合わせしている様がやはり時代を感じさせます。そうした道具がなければないなりに工夫して取り組むのでしょうが、あればあったで次から次へと効果的な活用を見出していく生徒はすごいと思います。

 携帯電話もデジタルカメラもない私たちの高校時代は、記録用としてインスタントカメラ(写○ンです)で静止画を撮影することが主でした。動画を残すとなるとテレビ放送局から持ってきたのか、と思わせるようなビデオカメラを抱えた撮影となり、それはそれで大変な作業でした。そもそもそんな高級な機材を個人で所有している友達など誰一人いませんでした。だから動画ではなく静止画。

 自分の家から持ってきたラジカセにカセットテープ(CDは高校3年生あたりからちらほら出現)を入れて音楽を流す、ビデオデッキとブラウン管テレビを持ってきて動画を見なければならない。何か事を起こすとなるとすべてが大がかりな準備となりました。約40年の間に何もかも様変わりし、スマート化されました。そんな中でも変わらないものはあります。生徒同士のやりとり、汗を流しながら練習する姿です。これだけは昔から変わりません。

 私の顔を見ると生徒たちが寄ってきて声をかけてくれるようになりました。2ヶ月半で垣根がかなり低くなったような気がします。校長の小部屋は、写真エッセイをコンセプトに始めましたので、とにかく写真を撮って歩いています。最近は驚くほど自然でいい顔を見せてくれます。仰々しく一眼レフを構えるのではなく、スマートフォンで撮影するからそうなるのかもしれません。

(写真のレイアウトの仕方を教頭先生から習いました。便利です。)

 先日自宅に帰ったとき、次男が「父さん、校長先生どうなの?」と唐突に聞いてきました。話の中で「そういえば、オレ、高校の時の校長先生と喋ったことないし、顔も知らないわ」と。確かに1学年8間口の大規模校に通っていたわけですから、それもわかるような気がします。

 知られるということはそれだけ認知されたということですから、より一層身も心も引き締めていかなければなりません。

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学校祭の準備から

 放課後の学校祭準備。

 教員になって良かったな、と思うことのひとつは日々の生徒の様子を見て、自らの高校時代の記憶が身近に感じられることです。どんどん遠くなるはずの高校時代の記憶が意外と近いところにある・・・おそらくこの仕事をしていなかったら、日常的に高校時代のことを想い出すことはなかっただろうと思います。

 それともうひとつ。目の前の生徒たちの声や笑顔、部活動で汗を流す姿、教室で授業を受けている様子を見るたび、教え子たちと過ごした時間が鮮明に蘇ってくることです。あのときこうだったなぁ、そういえばあの子元気にしているだろうか、と。

 この日も生徒たちを見ていると、いつものように高校時代の学校祭準備のことや教え子たちと一緒に過ごした学校祭が重なり、懐かしい気持ちで一杯になっている自分がいました。

 恋人の話を聞きながら行灯を製作したこと、床にこぼした絵の具をそのままにして帰った生徒を叱ったこと、40人と私でスピッツの「チェリー」を大合唱したこと、ケーキを販売するJAZZ喫茶のお店を出したこと、学校祭のお疲れ様会で我が家の庭でクラス焼肉大会をしたこと、第二種電気工事士の放課後補習が終わってからスタートした準備作業、サボって帰った生徒がいて翌日の準備作業をストップしたこと、グランドで打ち上げられた花火、みんなで着用したクラスTシャツやパーカー・・・すべてがいい想い出です。

 準備期間はもう少し続きます。この瞬間の会話、笑えた言葉、教え合った振り付け、不足するものの買い出し、学級旗への色付け、一緒にジュースを飲んでの休憩、窓から入ってきた夕暮れの風、楽器の鳴り響き、分け合ったお菓子、床にこぼした絵の具、疲れて眠い授業、スマホで流して聴いた大好きな曲、買い出し途中で食べたアイスキャンディ-・・・その一つひとつが子どもたち一人ひとりの心に刻み込まれますように - 私の願いはただそれだけです。

 4月中旬以降平均500アクセス数でしたが、最近1000アクセス数となりました。御訪問誠にありがとうございます。本校生徒の活躍を今後もお伝えいたします。何卒よろしくお願いいたします。

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夕焼け空の向こうに

 5月最後の土曜日、長男は転勤により札幌のアパートを引き払い、東京へ向かいました。妻と次男は何度か長男の部屋に入っていたようですが、私はこの日初めて部屋に入りました。すでに引越業者によって荷物は搬出され、残るいくつかの段ボール箱には衣類や調理道具が無造作に放り込まれていました。

 地下鉄駅近の新築のアパートとはいえ、狭いワンルームでよくも1年半を過ごしたものだな、と思いながら部屋と駐車場を何度も行き来し、段ボール箱を車に積み込みました。最後に私は「それじゃな」と声をかけ、長男は「あぁ」と、ただそれだけ言い、挨拶だかなんだかわからない言葉を交わして私はアパートを後にしました。

 転勤がないことを条件に長男は現在の会社に就職したわけですが、関東圏への事業展開に伴い白羽の矢が立ったようです。もう、子どもたちは親の手を離れ、自立してそれぞれの人生を歩んでいるわけですから、どこでどのような生活をしてもいいのですが、わずか7年の間にこんなにも出たり入ったり、行ったり来たりになった我が家のドタバタ劇的な惨状を思わずにはいられませんでした。

 前にも書きましたが、令和元年を境に私は学校管理職として苫小牧で単身赴任、同時に長男が弘前大学入学で旅立ち、自宅は妻と次男だけの生活となりました。2年後に私は自宅に戻って新しい職場に通勤し、それと同時に次男が岡山大学に入学することになり、平成9年以来の妻との二人暮らしがスタートしました。さらに2年後、私の北見への異動と長男の札幌での新生活が重なりました。そして今年、私は美唄、次男が札幌に戻ってきて、再び家族が近場に揃った矢先の長男の東京行き、となったわけです。

 たぶん、飛行機に搭乗する前なんだろうと思いますが、家族LINEに長男からメッセージが入りました。「色々お世話になりました またすぐ札幌に帰るし東京にもいつでもきてね」言葉で言えなくても文字なら言える・・・便利なツールです。私は「心配しないで東京生活を楽しみましょう」と打ちました。東京を仕事だけで生活して欲しくない。自分の時間としても東京を楽しんで欲しい。私の生き方のスタンスを伝えるメッセージ、として送信したつもりです。

 うむ、またすぐ札幌に帰るし - すぐ?何?

 長男の引越から数日後、妻が東京に向かいました。1週間後に帰ってきた妻と自宅からほど近い百合が原公園を散歩し、藤棚の真下に設置されたベンチに座って話をしていたときに「なんかね、彼女がいたんだって。私写真見せてもらったよ」と妻が教えてくれました。そういうことだったのか・・・?の答えがわかったわけです。

 かなりいい距離をランニングして、あとは家まで呼吸を整えながらゆっくりジョグで。その途中の跨線橋でこの景色に出会いました。この夕焼け空の向こう側の、海を越えた数百キロ先の東京で生活している長男を思いました。今頃何をしているのだろうか、東京を楽しんでいるだろうか・・・アパート前で別れたあの日のこととLINEメッセージのことが思い浮かんできました。

(有明跨線橋からの夕焼け空)

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ものをつくる

 3年次生が製作したハーバリウム(植物標本)が並べられています。光が通るとさらにきれいに見えます。どれも素晴らしい作品です。

 私が教室に入ったときは、2年次生が作品づくりをしていました。ガラスのボトルにお花を入れたり出したり、持ち上げたボトルをくるくる回して眺めたり。彩りや配置を何度も確認して、気に入った形にしていく・・・ものをつくるのっていいですよね。余計なことを考えずそのことだけに集中できます。

 お店の商品棚に並んでいるものの中から気に入ったものを購入する、私たちはそうしたことを繰り返しているわけですが、ちょっと調べれば意外に自分で作れてしまうものが多いです。

 本校では、何でも、とまではいきませんが、各系列で工夫して様々なものづくりをしています。確かに手間はかかりますが、その分ものの大切さや工夫することの楽しさ、完成したときの感動!!を日々体感できるという、美唄尚栄ならではのおもしろい学びができます。

 こんなものがあればいいな、と思うものは大抵手に入る時代です。それは確かに便利でありがたいことではありますが、本校の生徒は多くの体験的な学習を積み重ねることによって、完成したものを探すのではなく、工夫してものをつくることを考えるだろう、と私は思っています。

 例えば物置の奥に、ある材料が眠っているのを思い出し、「あっ、そうだ、あれを使えばこれが作れるよな」とひらめく。「あのときあの果物でジャムをつくったから、このリンゴで今日ジャムをつくろう」となる。「布でスカートつくったことあるから、ブラウスがつくれるな」と想像を膨らませることができる。

 これからの時代、こうした発想が大切になるような気がするのです。学歴だとか物事を何でも知っている、などといった他者と比較する物差しではなく、もう物差しでは測ることができない、物差しをそもそも必要としないおもしろい発想が、世の中をぐんぐん動かしていく、と私は考えています。

 先日、パウンドケーキづくりの実習を見学したとき、生徒に「ケーキを焼いたりパンを焼いたりするノウハウを身に付けているのだから、美唄市内で自分のお店を出せるよね」と話をしました。お店を経営するのは簡単なことではない、そのことはわかっていますが、発想の転換でまんざら夢物語ではないような気が私はしています。誰でも起業できる。何にでも挑戦できる。もっと言えば誰でも起業していい。何にでも挑戦していい。昭和、平成の既定路線の価値観は身を潜め、今は新たな価値観に転換され続けています。

 小さなコーヒーショップを持ちたい、と考えている私からすると、お菓子を作ったりパンを焼いたり、ジャムをつくったりできるスキルはどうしても必要で、そうした知恵を高校時代に身に付けている生徒が本当にうらやましいです。私も若いうちに習っておきたかった、そうした学校に通っていれば今頃・・・なんて真剣に考えるわけです。退職したらまず専門学校に入学して学ばなければならないわけですから。

 発想の転換で夢や将来がどんどん広がっていく - 私が勤める学校には可能性がたくさん詰まっていると思っています。私は工業(電気)を専門とする教員ですので、長くものをつくることに取り組んできましたが、そんな私から見ても新たな発見ばかりでおもしろいです。自分の守備範囲以外のものづくりがたくさん詰まっていて興味津々です。

 明日は誠に勝手ながら更新なしとさせていただきます。また来週お会いしましょう。

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