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校長の小部屋

半導体は欠かせない

 超伝導物質を作る - 大学時代の研究テーマでした。ある条件が整うと電気抵抗が0になる物質で、よく耳にするリニアモーターカーの走行に応用されています。当時、室蘭工業大学では城谷研究室が目指す化合物を作ることができなかったので、高温下高圧下の実験設備がある東京大学の物性研究所に出向き、できあがった化合物の物性は筑波の高エネルギー研究所で寝ずの実験で検証しました。

 室蘭港からフェリーで大洗港、大洗から鹿島臨海鉄道で水戸、水戸から常磐線で北千住で降車し、地下鉄千代田線で乃木坂まで行き(当時物性研究所は六本木にありました)、徒歩で研究所まで。それは一大旅行になりました。

 超伝導物質を作るところから検証までには約2~3週間程度の時間を要するため、その間は東京と茨城に長期滞在しました。遊ぶときは遊びましたが、徹夜徹夜の連続で大変でした。

 私が挑戦した化合物は超伝導物質にはならず、半導体の特性を示すものばかりでしたが、わずか一年で日本最高峰の施設で時間を過ごせたのは幸運なことでした。本当は大学に残る道もありましたが、悩んだ末に今の仕事を選びました。どちらが良かったのかはこの歳になっても未だ結論は出ていません。

 11月4日(火)にメカトロ・エンジニア系列2年次生を対象にした『半導体講座』を実施しました。上述の経緯があることから、個人的にこの日を楽しみにしていました。報道等で話題になっていますので、千歳市に次世代半導体の製造拠点となるRapidus(ラピダス)が進出することはすでに御承知おきかと思います。

 2027年に量産が開始される予定になっており、今後、本校の卒業生や本校で学ぶ生徒が活躍する企業になると思います。北海道、日本全体に新たな可能性をもたらすプロジェクトが動いていることにわくわくします。

 50分の講演でしたが、半導体が身近なところに存在し、誰もがその恩恵を受けていることがわかりましたし、半導体の将来の姿を丁寧に説明していただき、生徒は興味を持って話を聴くことができたと思います。

 本校は、地域の方々や各機関の御協力のもと充実した教育活動を展開しています。いつも並々ならぬ御理解と御支援を賜り感謝申し上げます。

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この環境だから・・・

 「ここに(勤めている、通学している)のは、あなたがここで果たすべき役割があり、何かしらの使命があってのこと。文句を言わず置かれた場所で精一杯の努力をすることが大切です。思ったような(仕事、学び)ができなくても、今目の前に与えられた(仕事、学び)に目を背けず誠意を持って取り組めば、それがあなたの肥やしになり、そうした姿に目を留めた誰かがあなたを認めてくれる」これは私の経験に基づくものであり、今でも大切にしている私自身のスタンスでもあります。先生、そして生徒にもこの話をしました。

 先日、出張先においてかつての同僚と顔を合わせる機会がありました。「毎日ホームページで先生のブログ見てますよ」時間がなくて一言二言しか話できなかったが残念、と思っていたら翌晩にわざわざ電話をくれました。
 
 彼にはよく上述の話をしました。「この環境だからこの仕事に出会い自らのスキルを高めることができる。自分が本当にやりたいことができなくても、今はそういう時間なんだと自分に言い聞かせて、いい仕事をしなさいよ」私が彼と接したのはわずか2年間でしたが、自身としっかり向き合いながら成長していく姿を見ることができたのは本当に嬉しかった - そのような記憶があります。

 私は物事の考え方を180度変える生き方を心掛けています(現在進行形です)。環境を嘆かない(その環境で最高の生き方をすればいい)、文句を言わない(そうしている間にどんどん時間は経過しプラス要素が何もない)、定年退職後に始める(数十年数年先の夢を見ず今すぐできることはする)、慌てない(くることがわかっているのだから前もって準備しておく)誰かに押しつけようなどとはまるっきり思ってもいませんが、肩に力が入らずすっきりした気持ちで生活できています。

 さて、話は変わりますが、カメラを持って秋の風景を切り取る時間を過ごしています。管理職になってから6年間休んでいた写真ですので、腕は相当落ちてしまいましたが、また少しずつゆっくりのんびりカメラ旅を始めようと思っています。

(11月2日 札幌市中島公園の秋 写真の一部を加工しています) 

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この風景が好きです

(10月30日 8時36分)

 生徒玄関で生徒を迎えた後、まずは4階へ上がり3階、2階の順番でHR教室の様子を見て回っています。着任してから今日まで静かで落ち着いた朝を迎えています。

 4階の窓から西側に広がる景色を見るのが好きです。何度も転勤を繰り返してきたわけですが、校長として着任した最初の朝の緊張はそれまでのものとは違っていました。そうした中でこの景色を見たのを今でも覚えていますし、その日の想いや感覚を私は一生忘れることはないと思います。それくらい印象に残る朝でした。

 高校を終えるまで私の目の前にあった風景です。この風景の中で走り回り、親に叱られ祖父母に甘えてきました。陽が暮れるまでキャッチボールをして、教科書など広げずに本ばかり読み、やがて心が荒んでわがまま放題になり、そのことから多くの人たちを傷つけ、傍らで将来に不安を抱えながら、いくつかの恋愛を繰り返し、空知を離れたいがために大学に進学しました。

 長いようで短い人生の中で、私は何かを捨てて何かを掴んでこの場所に戻ってきました。私は確かに変化している。でも、この山は何も変わらないあの頃のまま・・・

 僕の目の前のピンネシリ山系に雪渓が見えるようになりました。

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この日、この時間でなければ

 もう雨なら雨でいいや、そう思って外に出ました。平日は静かな夜の町をゆっくりとランニングするのを日課にしています。静寂な空間で感じるのは自らの足音と呼吸のみ。私はこの時間がとても好きです。

 前の晩はゴウゴウと激しい風が雨を巻き散らしていたので外に出ることを諦めました。2日連続でランニングを休むことに歯がゆさがあり、行くしかないと意を決したわけです(こうしたことはいつもあります)。冷え込みが強くいつ荒天になってもおかしくない状況ではありましたが、幸運なことに小さな雨粒が時折頬に当たる、その程度の夜でした。

 国道沿いから幹線の向こう側に橙色の街灯に浮かび上がる銀杏の木を見つけたので、その場所まで走りました。決して大きな木ではありませんが、見事な色付きでしばらく見入ってしまいました。そのとき空から雪が降ってきて、それはそれでロマンチックな空間が演出され、私だけの特別な時間を過ごすことができました。これまた幸運です。雪と冬はどうしても好きになれないけれど、この日、この時間でなければ出逢えなかった風景。ためらわずに外に出て良かったな、と思いました。

(10月28日 19時 美唄市西1条南2丁目付近)

 本当はしっかりとしたカメラでシャッタスピードを3秒程度におとし、傍らにヘッドライトを点した自動車が抜けていけば流れるような光と雪の軌跡を残せたのに・・・スマートフォンで手ぶれしないギリギリのところで撮りましたが、やはり思い描いたような写真を残すことはできませんでした。仮に急いで家に戻りこの場所に20分後にやってきたとしても、同じ景色には出逢うことはできません。写真は、そのとき、を切り取るものなのです。残念です。

 自動車を運転していると気付かない風景でも、自らの足で歩みを進めることでそれまで見逃してきた多くの風景に出逢えます。私のランニングが続いている理由のひとつは、「見えなかったものを見つけられる魅力を知ってしまった」ことです。これは知った人にしかわからないおもしろさです。

 教育の世界にも相通じるものがあるように思います。その日その瞬間に見せる生徒の表情や仕草 - これを見逃さないためには、足で稼ぐことは必須です。とにかく近くまで行って様子をキャッチする。私は今でも実践しています。

 これから出張で札幌に向かいます。明日は更新いたしません。素敵な3連休をお過ごしください。 

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忘れていないよ

 4階の掲示板

 私の余計な言葉はいりません

 一つひとつの作品に

 言葉では語り尽くせない

 深い深いメッセージがある

 「忘れていないよ」

 いつまでも

 忘れないでいることが

 誰かの支えになり

 誰かへの応援になる

 私はそう思っています 

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 今朝のテレビニュースですが、標高300メートルの大倉山(札幌市)はもさもさと雪が降り真っ白な世界になっていました。いよいよだな、と思って外に出たら、私の頭上から雪が落ちてきました。朝7時5分、今年初の雪です。美唄市の初雪になるのでしょうか。

 見学旅行から帰ってきてからずっと天気がぐずついていて、雨ばかり降っています。晴れた日がほぼない状況です。青空が見たい、そう思います。

 朝、校舎内を回っています。4階奥の西向きの窓から灰色がかった空の中にぼんやりと冠雪したピンネシリ山系を望むことができました。この写真からわかるでしょうか・・・

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読書をしない

 北海道新聞の記事に、一日に全く読書をしない小中高生が50%を超えるという記事を見つけました。(無作為に抽出した同一の親子)。今の時代ですから本ではなく端末で読書を楽しむ子どもたちも多いのかもしれませんが、何とも残念な調査結果です。

 長く本に親しみ、本から多くの世界を教えてもらった私から言わせてもらえば(あくまでも個人的に)、読書をするかしないかの人生は180度異なる - そのくらい大きなことと考えます。でも、これは自分自身に言えることであって、他人に強いるものではありません。

 私の経験から読書は誰かに強制されるものではありません。話題となっている本やベストセラーを買い揃え宣伝しても本を手にする人が増えません。お金があるから読むとかお金がないから読まないでもありません。買わなくても学校の図書室や街の図書館で無料で借りて読むことができるわけですから。

 物心ついたときから身近に本があり、仲間と走り回るより本の世界に自分を置き、授業の合間に本を読み、大学の講義の半分は(それは大げさですが3割から4割りは)読書に明け暮れてきた私です。札幌で勤務した8年間の電車通勤は格好の読書の時間となりました。年齢を重ねるごとに気力が薄れ読量こそ激減しましたが、それでも月に2~3冊を読破しています。要は習慣ですし、自分の趣味の範疇に読書があるかどうかではないかと思ったりしています。

 読書する人を増やす議論ではなく、例えば右手を伸ばしたところに本があったり、教室の後ろの棚に本が並んでいたりする中で、何となくその本を手に取る人が一人いて、一冊読み終えた後に「おもしろかったなぁ」と次の一冊を広げる・・・そうした場所が誰かのためにあればいいのでは、と思ったりしています。 

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向こう側の風景

 今朝、『モチモチの木』があるだろうか、と図書館に足を運びました。残念・・・ありませんでした。斎藤隆介・滝平次郎さんの絵本は一冊もありませんでした。無性に読みたくなっているので、土曜日北海道大学の銀杏並木を見に出掛けるので、その帰りに書店に寄ろうと思っています。

 本校の図書館は4階にあります。今まで勤務した学校もほとんどが4階(最上階の端っこ)。小樽と北見の高校は2階でした。それぞれの学校事情はありますが、どうしてか上を好むようです。

 子どもたちがそれぞれ中学3年生になったとき、気になる学校の見学会に参加することから、私も教育関係者ということもあり、いくつかの学校を見学させてもらいました。個人的に本が好きなので図書館の配置が気になり、教室で授業を受けている生徒よりも図書館を真っ先に見に行きました。結局、長男は1階に、次男は2階に図書館を配置する高校に進学しましたが、生徒全員の動線上にある図書館っていいなぁ、と思います。本好きな人がさーっ、と本のある空間に入り、そこで自分の時間を過ごしていく。ぱらぱらページをめくったり、本棚に並べられた背表紙のタイトルや著者名を眺め、この一冊に広がる世界を想像する・・・そんな時間を過ごせる図書館。本離れ、読書をしない人が加速度的に増えているのは、時代背景からもわかるような気がしますが、動線は大きな要因なのかなぁ、と勝手に思ったりもします。

 図書館の反対側になる南向きの窓から見える景色が雨上がりの秋を漂わせていました。こういう現象を気象学的に?何というのかはわかりませんが、少しだけ早く出勤したことで目にできた風景です。何かいいことがあるかもしれないぞ、と勝手に思ったところです。

 ここのところずっと雨が降って、日に日に気温が下がってきています。体調管理に気を付け素敵な週末をお過ごしください。

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お花がくれたプレゼント

 朝一番、私たちをあたたかく出迎えてくれるお花。職員玄関と生徒玄関、そして職員室前に飾られています。本校は節電に取り組んでいますので、生徒が活動する場所を除いた玄関や廊下は陽が入らないため薄暗い状態になっています。スイッチONで全ての箇所を明るくすることは可能ですが、限られた経費を大切に使わせていただくために、本校だけではなく全ての学校が知恵を絞って節電や節約に取り組んでいます。

 ここのところどんよりとした空模様で雨が降り続いています。雨、というだけで気持ちも下がってしまいますが、傘を閉じ玄関の扉を開けると、一点そこだけが明るい。真っ先に目がそこに留まります。おそらく来校された方も「あらっ」と感じてくれるはずです。

 華道部のある学校は本校がそうしているようにお花を校内に飾っていると思いますが、私は本校で働いて良かったなと思うことの一つは『お花が身近にある』ことです。学校現場は日々様々なことが発生します。それは生徒も教職員も。人と人が接する現場ですから当たり前です。私は何もないことを願っている暇はないと思っています。私の働く上でのスタンスですが、何かある前に一手を打つ、何かあったらどのように対応するか、そのことを31年間自分に言い聞かせています。想定しておく準備しておくことの大切さ。これをしておけばバタバタ慌てることはありませんし、自信を持って対応できる。

 話が逸れてしまいました。そういう現場ですから浮き沈みは不定期に訪れます。「あぁ今日はこんなことがあったなぁ」そんなことを考えながら階段を降りてきて玄関まで歩いてきたときに、一瞬お花に目が留まる。肉体的な疲労や精神的な疲れ、イライラやがちがちになった肩、少しだけいいことがあった気持ち、部活動に向かう意気込み、気の進まないアルバイトに行く気の重さ、明日の授業の組立、家族のこと、友達のこと、自分のこと・・・みんなそうしたことを考えながら歩いている。そんな時のお花。自分の気付かないところで何かしらの支えになってくれたり励ましてくれたり慰めてくれたり褒めてくれたりしている。私はそう思っています。

 もしかすると私だけの感覚なのかどうかわかりませんが、お花を見ているその瞬間だけは、花の形、色、香りのことだけで心が動いています。それ以外のことはやはり一瞬ではありますがすっぽり心の中から消えています。これがお花がくれたプレゼントなのではないか。お金に変えられない大切な時間を与えてくれているような気がする。ふと、我に返った時に余計なことが心の中から消えいた瞬間を感じる自分が好きです。自宅庭のお花にのめり込む理由はこの感覚の中にいたいからなのかもしれません。

 思いを込めて生けたお花。作品を飾ってくれる生徒と顧問の先生、御指導いただいています講師の先生に感謝いたします。

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モチモチの木

 朝のテレビニュースでは、北見赴任時の2年間(4月から10月)何度も自動車を走らせた石北峠が映し出され、真っ白な世界を大型トラックが雪煙を上げながら上川方面に向かって走行していました。山間部や峠に降るものはもう雨から雪に変わり、それはこれから少しずつ平野に降りてきます。

 黄褐色に衣替えしたトチノキが眼前にあります。九月はたくさんのトチの実を付け、やがてそれらは落下し一面トチの実だらけになります。今年初めてトチノキを知り、初めてトチの実を手にしました。

 ただ、45年前に担任だった本多先生が、斎藤隆介作、滝平二郎絵の『モチモチの木』という絵本を私たちに読んでくれて、その時にモチモチの木がトチノキで、トチの実を粉にして餅にまぶしてふかして食べる、という話を私は忘れずに覚えています。溢れるように本多先生のことが想い出されますが、斎藤隆介作、滝平二郎絵の作品は他にも有名なものがあり、『八郎』『花さき山』『ベロ出しチョンマ』『三コ』『半日村』・・・どれも心に沁みる話です。本田先生がそれらを読んでくれるのをみんな楽しみにしていました。

 小学生の、しかも低学年の出来事はそう多く記憶できないのではないかと思いますが、そうした中にあって本多先生と絵本の記憶がここまで鮮明に残っているのは、先生の魅力が普通のものではなかったことと、一種独特な版画と子どもの心を的確に捉える語り口にあるのではないか - そう考えたりしています。私の学年だけ16名しかいない小さなクラスでしたが、おそらく全員が本多先生と絵本のことを覚えているのではないかと思います。

 多くの人と出会い、多くの人と別れ・・・そのような人生を送ってきました。残念ながら忘れてしまった人もたくさんいます。何でもかんでも覚えていたら頭がパンクしてしまいますから、私は忘れてしまっていいと思っています。忘れて、新しいことが記憶されて、それでいいと。ただ、本多先生と絵本のことは最後まで忘れないだろうと思います。一人の人間にそれだけの記憶を植え付けてしまう人間力とは何なのだろう。私は一人の教育者としてそこまでの教育や関わり合いができたのだろうか・・・

 私は節目節目で良き出逢いに巡り会う徳を持った人間だと感じることがあります。その一人が小学校の担任の本多先生、中学校の佐藤先生、高校の廣瀬先生、大学の城谷先生、大学で出逢った親友K、そして妻、40歳でのマラソン仲間。困ったときに助けてくれた大切な方々です。

 モチモチの木が深いところまで考えさせてくれる一日です。

 本校の図書館に蔵書されているといいのですが。

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