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校長の小部屋

一歩踏み込む

 毎日デスクのお花を眺めています。花好きの私、ただそれだけで嬉しいです。

 どうですか、この写真。こういう見方をすると違った世界を感じませんか?知らなかった世界が見えませんか?私の趣味とする写真やカメラのことはいくつかの話の中で書いてきたところですが、風景写真だけではなく、クローズアップした花の写真を撮ることも大好きです。

 マクロレンズ越しに見る世界に魅力を感じたのは30代半ば。以後、花を求めてずいぶん野山を歩きました。私の山歩きは頂上を目指すものではないので、名もない裏山でも構いません。途中に咲く花が見られればそれでいい。足元に咲く花を撮影して、そこで満足したら入口だろうが三合目だろうが下山です。頂上を目指す人もたくさんいるのに、人って目的がさまざまで、それぞれ違っていておもしろいですよね。

 作品の全体像は先日お見せしましたが、ここだけに着目した今日の写真と比べてみてください。全体からは見えなかったひとつ、しかもそのひとつを構成する細かな要素にまで目が行き届く・・・おもしろさがわかりますか。

 学校も同じです。廊下から教室を覗く。そこには30人の生徒がいます。一歩教室に踏み込み、一人の生徒を見る。遠くからは見えなかったものが多々あることに気付く。私は『一歩踏み込む』ことを大切にしてきました。

 26歳から30代半ば、出口が見えずあのどうしようもないどんよりした時間の中で、私は多くのものを見失ってきました。何を目指し何が大切で何を間違ったのか。これから自分は何を頼りに何を身に付け何をすべきなのか。辞めるべきか続けるべきか・・・重たいカメラバックを肩に提げ、三脚を左手に、首からぶら下げたカメラに縋って野山を歩きながら、そんなことを自問自答し写真を撮っていました。
 
 望遠レンズでお花を引っ張ってくるのではなく、ゆっくり腰を下ろし、足元の小さな花に顔を近づけ目と鼻で感じ、マクロレンズをとおして一枚に納める - その繰り返しの中で私はぼんやりとした何かを掴みました。マクロレンズの世界の中に、暗闇だった空間にうっすら光が灯り、出口出口へと私を誘ってくれました(体調が良くなるまでにはそこからさらに5年ほどかかりましたが)。振り返ると本当に苦しい経験をしてきたな、と思います。いらない廻り道、でも、それはそれで良かったかも、と思ったりもしています。

 遠く離れて外側だけから見るのではなく、思い切って一歩踏み込みそこだけに着目して見てみる。

 考え方だけではなく、生き方さえも変える出来事になる・・・私自身の経験談です。

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かなうさ(叶うさ)

 先日、学校見学会に参加していただいた美唄市立東中学校2年生に、メカトロ・エンジニア系列で製作したアクセサリーをお渡ししました。これを見て、私は『合格絵馬』ならぬ『合格かなうさ』だと思っていますが(どうか御利益がありますように)・・・

 本校には公式マスコットキャラクター『かなうさ』が登録されており、私はこの『かなうさ』を何とか活用できないものか、と着任早々思案を巡らせ現在に至っています。北海道内の公立高校で公式マスコットキャラクターを持つ学校はそう多くないはずです。私自身本校で7校目になりますが初めてです。

 他校にはない特色、せっかくのキャラクターなのだから活かすべきだ、と。せめて、美唄市にお住まいの方には「あっ、かなうさだ」と認知してもらえるくらいにはしたい、そう思っています。何か名案がありましたら御一報お願いいたします。

 以前、デザイン系列の生徒が『かなうさクッキー』を焼いて私に届けてくれましたが、この写真の作品も本校の設備を活用して作られています。お金をかけて業者に発注するのではなく、あれこれ考えながら手づくりで、というのを大切にしなければなりません。そこに大きな意味があります。

 さて、話は変わります。昨日も書かせていただきましたが、ホームページやインスタグラムを更新するにあたり、私は基本的に、美唄尚栄高校に通学している生徒とその保護者等が閲覧してくれるものでなければ、地域の方々は閲覧してくれないと思っています。身内が認めないものを他者が認めてくれるはずはありません。本校の生徒一人ひとりがフォロワーになってくれて初めて地域の評価に結び付くものと信じます。

 小さなことでいい。極端なことを言ったら「今日雪が降りました」のタイトルで写真を一枚掲載し、1行文章を添えた日記をホームページにアップする。わずかそれだけでも、本校の様子をお伝えすることができる。だから、歩けば至る所に記事は転がっています、と私は先生方にお話ししています。

 オホーツクのある高校の校長先生が支部の教頭会の講義の中でこのようにお話ししてくれたのが印象的でした。「インスタグラムを立ち上げたら、わずか数日で全校生徒のほとんどがフォロワーになってくれて、そこから口コミで一月も経たないうちにあっという間に1800くらいになったんですよ」学校を応援したいからそうなるんだよなぁ、私はそんなことを考えながら話を聞かせていただきました。自校も何とかしないとダメだと思い、すぐに先生方とインスタグラムを遅まきながら立ち上げ校内研修を行いました。

 生徒と保護者等の学校満足度を高める方策は山ほどあります。そのひとつとして「かなうさ」を活かしたい。そのために、まずは生徒と保護者等の方に「かなうさ」の存在を知ってもらわなければなりません。クッキー、アクセサリ、次は。

 どうするか・・・みんなで考えなければなりません。

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雨上がりの夕暮れ

 11月13日(木)15時47分 雨上がりの夕暮れ

 赤く染まってゆく西の空と水たまりのグラウンド - これが私の席から見えた景色です。

 太陽の光にはさまざまな色が含まれていて、空が青く見えたり赤く見えたりするのは、太陽の光が大気を通り抜けるとき、大気中の窒素や酸素の分子にぶつかり散乱するからで、その光が空に広がります(理科の先生、合っているでしょうか)。夕暮れ時は太陽の位置が低くなり、太陽の光が地球上の大気を通る距離が日中よりも長く、青い光は散乱し赤い光は残って見る人に届くことから空が赤く見えます。

 空は偉大なんだよぉ、と祖母が言うものだから、私は小学生の頃から空を見上げてお願いごとをしたり、空にまつわる詩を書いたりしていました。私は一風変わった子どもだったと思います(周りでそんなことをしていた子どもはいなかったので)。担任の先生に「他の生徒とずいぶん様子が違うようだ。専門的なところで診てもらったら」と言われ、かなりのショックを受けた、と母が昔に話してくれたことがあります。

 この日もいろいろ考えながら夕焼け空に語りかけていました。答えは返してくれませんが、私のやることをすべて見守ってくれているような気がしました。これ以上望むことはないな、と妙に自分を納得させ、放課後の校舎の見回りに出発しました(この後の出来事が昨日の校長の小部屋につながります)。

 さて、4月23日(95,730)からホームページカウンタをノートに書き込んで現在に至っています。11月14日(金)の朝から17日(月)の朝にかけて、実質3日間ですが11,304件のアクセスがございました。年内の30万件アクセスも見えてきました。

 先日も書かせていただきましたが、読んでくれている方がいるということは、ホームページを日々更新する本校の教職員にとりましても大きな励みになります。

 インスタグラムとnoteへの記事も投稿しております。是非御覧ください。

 今後ともよろしくお願いいたします。

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放課後

 11月13日(木)の放課後のこと。

 16時くらいにHR教室のある棟を歩きました。放課後は生徒の本当の姿が見られる時間なのでおもしろいです。今でも記憶に残っていますが、受け持ったクラスの生徒と過ごした放課後はとにかく楽しかったです。

 お付き合いをしている他校の女の子のこと、アルバイト先の出来事、オンラインゲームでの対戦のこと、音楽談義、悩み相談、部活動の様子、ファッション、髪型・・・朝のおはよう、帰りのさよならだけでは見えない本音の高校生の姿がそこにはありました。その中にいる自分もまた高校生に戻ったかのようで、その世界観に幸せを感じていました。

 ほとんどの生徒が下校している教室はとても静かです。でも、数名の生徒が教室や廊下に集まって何やら楽しそうに話をして盛り上がっています。それぞれのグループや仲良しがあるのでしょう。ノートを広げている生徒に何事か話しかけている二人。教室に入り「何をしているの」と聞くと、「テストがあるので勉強してました」ノートには英文がびっちり書かれていました。いきなり二人が「飴なめてたらダメじゃん」「なめてないよ」と行ったり来たりのやりとりをしだし、きっと私に何か言って欲しいようでふざけ出す。

 廊下では4人がスマートフォンをのぞき込んで話しています。「なになに、何してるの」と聞くと「ゲームです」と画面を見せてくれました。「ここの4人はこのゲームが好きで、この中に出てくるキャラクターの中にそれぞれの推しがいるんです」短縮用語が飛び交い何が何やらわかりませんが、とにかく仲良く楽しくやっているので、それはそれで良し。

 放課後の様子はあの頃と大きくは変わっていない、同じなんだ、といつも思います。それにしても、授業等で接することのない私が突然教室に入り、話しかけても何一つ嫌な顔をせずに会話してくれることもびっくりです。

 さて、普段照明のともらない教室から光が漏れています。覗いたら華道部が活動していました。月一回校長室に作品のひとつが届けられるのですが、生けているところを見たことがなかった、しまった・・・月一回の活動なのでチャンスを逃していたとは言え、盲点だったな、と反省しつつ教室の中へ。講師の先生の指導を受けながら、生徒がお喋りしながらお花を生けていました。

 完成後、自分で生けた作品をスマートフォンで撮影しており、その姿を見てなんだか嬉しくなりました。自分の作品なんだよ、という想いがその行動から垣間見えたからです。心を込めて生けたから愛情や愛着がわく・・・上手綺麗云々の前に、それ以上に大切なものがある。私はそこを大事にしたい。生徒の心に大切なものがしっかり育っている。嬉しかったです。

 「どのようなイメージで作品づくりをしたの」と聞きましたら、「いつもは横に広がってしまうので、縦にすーっと伸び上がっていくのを意識しました」と答えてくれました。その言葉のとおりの作品です。「私、校長の小部屋見てます」とも言ってくれました。嬉しいの連続です。

 その作品が私のところに届けられました。デスクに置き、正面から横から上からと眺めています。またまた贅沢をさせてもらっています。ありがとうございます。

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遠くを見ていて

 11月13日(木)美唄市立東中学校の2年生全員と校長先生並びに関係の先生、保護者等の皆様をお迎えし、学校見学会を実施いたしました。先日は美唄中学校の皆様に来校いただき、本校にとりましても地元にある高校(美唄尚栄高校)をPRできる素晴らしい時間になりました。

 地元にあっても学校の中に入れない、どのような雰囲気の学校なのかわからないなど、同じ地域にある義務高と高等学校はまだまだ遠い存在なのかな、と思っています。そうした中でも本校は長年、小学校と中学校と連携した教育活動を展開しておりますので、もっともっと交流が盛んになる取組を検討しなければならない、と考えているところです。

 学校見学会につきましては、PRは本校の生徒が行いますので、このような機会は生徒を成長させる場になります。まさに両者にとってWin-Winです。東中学校並びに美唄中学校の両校が年間授業計画の中に、美唄尚栄高校見学会を盛り込んでいただいておりますことにこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございます。

 歳を重ねてわかったことがあります。あくまでも私自身のことではありますが、近くのものを見ず、遠くのものばかりを見てしまっていた - このことを最近特に感じるようになっています。人はそれぞれに目指すものがありますから、今より便利なところ、出世、ブランド、肩書き、お金・・・など先を見続けて生きていく、私も空知の地元を捨てて地方に出て行った人間です。大学に入ったとき、これで故郷から離れられる、そしてもう故郷で生活していくことはないだろう、と思いました。そのとおり故郷を顧みることなく生きてきました。一方ですぐ下の弟は地元を大切にして生きている・・・この違いを私はどうしても考えてしまいます。

 管理職として五十代を迎えた小樽、そして本校に勤務し、生徒たちの総合的な探究の時間の活動を見ていく中で、地元を粗末にしてはいけなかったんだ、という気持ちにさせられている自分がいます。空知に住む母親のことは常に気になるけれど、故郷の発展や将来という視点がまるっきり欠けていたことに気付かされました。遠くを望むことは決して悪いことではないと思いますが、そのことによって近くのものを見失っていたわけです。

 美唄市は小さな町ではありますが、そこに住んでいても意外と知らないことが多いと思います。今回の学校見学会もそうです。冒頭で私は「美唄尚栄高校に今回初めて入った人」と訪ねたらほとんど全員が手を挙げました。こんなに近くにあっても遠いんだな、と。

 総合的な探究の時間をとおして、地域学を取り入れた学校や地域に目を向けた教育活動が積極的に行われています。近くにあるものの良さにたくさん触れて、その上で遠くを見ていく - そうした逆転の発想で生徒を育てていくことが大切なのではないか(個人的に)、と考えているところです。

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