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校長の小部屋

お別れの時、始まりの時

 12日(木)、美唄市立東中学校の卒業式へ。教頭先生は美唄市立美唄中学校の卒業式に出席していただきました。

 式典が終わりに近づき、ステージ前に卒業生全員が並び代表生徒が一人前に出ての答辞。自分の想い、そしてみんなの想いをありのままに、自分の言葉で静かに語る姿に私は心底感動し涙が止まりませんでした。13、14、15歳を全力で生きてきた、その3年間が会場にいるすべての人に伝わる感動的なお話でした。

 目頭を押さえる女の子、溢れ出す涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らす男の子、笑顔から急に泣き顔になった女の子、目を真っ赤にして涙を拭う男の子。そして、入場から式典が終わるまで涙を流し続けた担任の先生。ハンカチで目元を押さえる校長先生・・・それぞれの想いが心の中を駆け巡るから心が震え涙が込み上げてくるのです。何にも代えがたい涙。寂しいけれど幸せで嬉しくて美しい涙。人生にこうした一日があるのは本当に素敵なことです。

 涙の担任の先生を見ていると、自分が担任として巡ってきた5度の卒業式を想い出してしまいました。先生の気持ちが痛いほどわかります。一粒一粒の涙の意味が私には手に取るようにわかります。愛情の数だけ涙が溢れる。あぁ、担任として生徒と一緒に過ごしたい・・・教師としての原点を思うとともに今や叶わぬことを真剣に考えている自分に戸惑いを感じたのも事実です。感動的な卒業式を見た今日くらいそういう気持ちになっている自分を許してください。

 卒業生の合唱、全校での合唱で式典は締めくくられました。みんなで想いをひとつにできるのは合唱の醍醐味であり、大きな魅力だなと改めて思った次第です。声を合わせるっていいですよね、とても。いつまでも聴いていたい、歌の終わりを聴きたくないと正直思いました。終わると、もうお別れ。だから終わらないで、と。

 卒業生の皆様へ。いつもお別れだけではありません。お別れがあれば出会いがあります。人はそれを繰り返しながら生きていく。私自身中学3年生の時には考えもしなかったことだけれど、いつの間にかそうしたことに気付きここまで生きてきました。寂しさの裏に楽しさがあることだけはこの場で伝えさせてください。

 お別れの時、始まりの時、その一つひとつを大切にしたいものです。

 美唄市立東中学校の3年生、美唄市立美唄中学校の3年生の皆様、そして保護者等の皆様、本日は誠におめでとうございます。また、卒園、卒業を迎えられたすべての皆様、おめでとうございます。

 素敵な人生を!!

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卒業アルバムから

 私の中での区切り。昨夕、見ないままにしていた今年度の卒業アルバムを開きました。満面の笑みにピースサインの高校生が私の心をやわらかくそして穏やかにくしてくれるのだけれど、見ているうちにじんわり涙が出てきてしまい、ひとり校長室で感傷的になってしまいました。どんどん涙もろくなっている自分を感じます。どうしたものか・・・考えても仕方ないのですが。

 そこには私の知らない2年間の姿を見ることができました。全員がマスクの入学式。マスクの宿泊研修。一人ひとりアクリル板で間仕切られたテーブルでの食事。それは彼らだけに与えられた制限ではなかったけれど、ずいぶんと不自由で窮屈なスタートだったということを物語っていました。マスクのないクラスメイトの表情が見られたのは途中から。彼らはどのような思いである日突然マスクを外したのか。そうしたことを考えるだけで胸にじーんと迫ってくるものがあります。

 教室での授業、見学旅行、学校祭、運動会に体育祭。一コマ一コマに彼ら一人ひとりの高校生があります。長い長い人生のどこかの場面でいつかこの卒業アルバムを開くことがあったのなら、写真の中の自分の姿に自分の中の高校生を想い出して欲しい。目の前の時間を止めて、この時の自分は、とゆっくりゆっくり高校生の時間を振り返って欲しい。

 前を見て進むことだけがすべてではありません。私は7割8割は過去を懐かしみ過去に思いを馳せてばかりいる人生です。逆に言うとそれがあるから前に進めるとも思っています。過去に戻ることはできず未来に飛ぶこともできません。果たして自分の現在地が確かなモノになっているか - 過ぎ去った日々を振り返ることでその答え合わせができる、そうした経験が私には多々あります。自分の足跡を確認することを大切にしています。

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あの日から15年

 3年間の担任業務を終え、入学者選抜に係る業務が続く毎日。あの日、私は担任だけに与えられる職員室(学年室)で生徒指導要録を作成していました。異動することも決まっていて、家に帰れば引越の段ボール箱に囲まれた慌ただしい生活を送っていました。

 14時46分、今までに経験したことのない揺れが突然襲ってきて、いったい何が起こっているのかわかりませんでした。一瞬目に入った窓の向こう側。グラウンド袖に立つ夜間照明の鉄塔はすべてが倒れんばかりに左右に首を振り続け、野球グラウンドはぐにゃっとうねっていました。それを見てこれはただ事ではないと思いました。とんでもない地震が発生していることを理解するまでにかなりの時間を要しました。たまたま午前授業で校内には教職員だけしかいませんでした。600人を超える生徒が校内で授業を受けていたら、相当違った展開になっていただろうと思います。

 あの日からしばらくの間、当時勤めていた学校はどのような対応や対策をしたのか - いくら考えても想い出すことができません。海岸まで1キロメートルに位置していた学校です。管理職の指示の元で行動したのは間違いないのですが。どうしてそこの記憶がすっぽり抜けているのかわからないのです。

 私が住んでいたところは直線距離で海まで500メートルでした。住まいの周辺では避難を呼びかける車がひっきりなし走っていました。どれだけの住民が高台の避難施設に向かったのだろう。少なくとも私を含め近所の方は避難していませんでした。

 あの日から15年。人の命を預かる者として危機管理のアンテナをさらに高くしなければならないと思っています。朝から危機管理マニュアルを確認しているところです。

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御褒美の名刺ケース

 一目惚れした名刺ケース。今年度の自分への御褒美。私の宝物です。

 私は着るモノ、履くモノ、身に付けるモノに強いこだわりを持っていました(一部、現在進行形ですが)。毎月ファッション雑誌を買って、流行りの動向をチェックし品定めを楽しむ高校生でした。高価なモノというのではなく身の丈に合ったモノ。人とは異なるモノ。自分だけ感があり尚且つお洒落なモノ。アルバイトで貯めたお金を握り旭川や札幌によく出掛ける、そんな高校生活を送っていました。現在はその片鱗すら残っておりませんが、靴や腕時計、鞄や小物類に今でも気持ちがそそられるのは、間違いなく高校時代のなごりです。

 人からどのように評価されているのか - 三十代前半までずいぶん気にしていましたが、そうしたことが良くない精神状態を作り出していることに気付き、それ以後いちいち気にしない自分づくりに勤しみました。「自分に嘘をつかず誠実に向き合い人に迷惑をかけない」そのことだけを考えてきました。それは現在も変わりません。もしもそうしたスタンスが評価されるのだとしたら、それはずっとずっと先のことであり、私の知らないところでいつか誰かが評価するのだろう、と思っています。自分が何かを全うした先に誰かの評価がある。そう考えるようにしています。

 そういう私ですが、自分で自分を評価することは大切にしていて、その中でも一年にひとつ「よくやったよな」と思えることに対して自分への御褒美を忘れないようにしています。思い通りにならないことばかりですが、努力して達成できたことは仕事に限らずプライベートを含め必ずひとつはあるものです。そのひとつをしっかり評価して御褒美を与えています。

 40歳から年に一度の御褒美を続けているのですが、継続している理由はそうすることがさらに自らのモチベーションを高め、次に向かうエネルギーに繋げられていることを経験的に理解しているからです。自分を大切にすることで次の一步に踏み出せる、私はそう考えてここまで生きてきました。特に不自由さを感じたことはありませんから、これからも続けていきます。

 さて、私の御褒美のコンセプトは、決して背伸びをせず、見栄を張らず、あくまでも身の丈に合ったモノ、そしてあまり人が持っていないモノ、です。この名刺ケースはどこにもない個性的な一品でとても素敵です。何とも言えない手作り感とデザイン性が私の気持ちをいつまでも飽きさせません。

 肩書きのある人生も残すところ5年となりましたが、その5年間をともにする名刺ケースです。5年後、最後の役割を終えたあとに子どもに譲ろうと考えています。

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クッキー

 3月1日の卒業式が終わって、午後の1時過ぎ。とん、とん、と校長室の扉がノックされました。

 「バレンタインデーの日に何も渡せなかったので、校長先生に今日渡そうと思って昨日作りました」そう言うと紙袋の中に手を入れラッピングされたクッキーが私の前に。「もうこれで高校生活が全部終わりました。最後になりました」少しだけ寂しそうな表情に目元はうるんでいました。「何かあったらまたいらっしゃい。いつでも来ていいのだから」私がそう言うと「わかりました。ありがとうございました」と頭を下げ彼は校長室をあとにしました。気持ちが優しくおっとりしていて、笑顔の可愛らしい礼儀正しい生徒でした。

 私は教育に関してはウェルカムのスタンスですから、32年間来る者拒まずで生徒と接することを信条としてきました。教師と生徒と言えども人と人ですから、すべての生徒が私に懐き近寄ってくるということはありません。一定の距離を保ちたい、本当は行きたい、一人では近寄れない、もう少し信頼できる人か見極めてから・・・生徒それぞれに事情はあります。そうした生徒は長年の経験と勘でわかります。ここぞと思うときに私からこっそり寄っていって声をかけてあげるなど、工夫を凝らしながら接するよう心掛けてきました。無視はしない、無理はしない、無駄にしない。ただ、気にかけてあげる。ただ、見てあげる。ずっとそうしてきました。

 管理職になると生徒と遠くなってしまう・・・多くの校長先生にお声掛けいただいたとき真っ先に思ったことはそれでした。60歳で退職するとき自らの教職の締めくくりを卒業生の担任として終えたい - 教師になった最初の日に決意した自分への裏切り。このことが私の決断をいつまでも遅らせた最大の理由でもありました。

 紆余曲折の末に管理職に転向したとき、立場は変わるけれど自らの信条を崩す必要はないんだ、と心に決めました。それが正しいことなのかどうかはわかりませんが、一人の教師として信条を捨て去る必要はない、そう思ったのです。ただ、担任や教師を超えないように一步も二歩も下がって控えめに控えめに。

 卒業生の担任として、という私の中での決め事は残る5年の教職人生で叶えることはできなくなりましたが、管理職としての生徒との関わり方については、現在もそうですが7年間ずっと思いを巡らせています。それは私にとってとても楽しい時間でもあります。生徒から学ばせてもらうこと教えてもらうことがたくさんあり、いつも私の経験値を上げてくれます。大変ありがたいことです。立場が違っても関わり様は多岐にわたっている、これが私の経験から言えることです。

 躓いたとき、話を聞いて欲しいとき、ふと本校の先生方の顔が浮かんできた・・・そうしたら思い切って学校に足を運んでください。美唄尚栄高校が自分の立ち位置を確認したり見直したりできる場所であっていい。私はそう思います。 

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