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校長の小部屋

春の風景

 美唄市総合体育館から美唄中学校の裏通り(農道)をどこまでもランニングするのが好きです(雪が降ってからはドライバーに迷惑をかけるのでここを走ることは遠慮していました)。昨日、夕焼けがきれいになるだろうな、と思い春の夕刻をのんびりランニングしました。

 どしんと構えた樺戸山系に守られた広大な畑とこの色、この匂い - こうした風景をずっとずっと遠い昔に見ていたような、ここを通るといつも懐かしい気持ちになります。

 空知の生まれ故郷に戻って生活を組み立て直すということは、もう私の人生には訪れないと思われます。ただ、自分の原点は空知にあるんだ、と実感させるのはこのような風景の中にある風の匂いや自然の彩りだったりします。人って、ふとしたときに自分の立ち位置がどこにあるのかを知りたくて原点を求めるのかもしれませんね。私はその頻度が高いかもしれません。

 町が衰退し少子高齢化が加速度的に進む美唄市。人が集まる観光スポットは多々あります。でも、どうでしょうか。わざわざ施設を整えなくてもこうした美しい風景を活用したら。サイクリングで回るツアーを企画したり、農業を営む方が作った野菜や果物を少しずつランニングバックに詰め込むマラニック(マラソンとピクニックを織り交ぜたエンジョイ型ランニング)イベント、5キロ・10キロ・15キロ・20キロのウォーキングコースを巡るスタンプラリーウォーキング、フォトコンテスト・・・いろいろなことができるのでは。

 ランニングをしているときは、タイムと呼吸、疲労具合、身体の乾き具合くらいしか考えないのですが、昨日は珍しく楽しいイベント企画を考えていました。と、いうのは美唄に住んでいらっしゃる方が(本校の生徒や教職員を含め)この風景を知っているのか、知らないのであればそれはずいぶんともったいないことだな、と思ったからでした。

 美唄には美しい風景があります。どこを切りとっても絵になる素敵な町です。写真の腕前が上がればもっといい形で紹介できるのですが(今年は本格的にカメラを復活する予定です)。

 さて、入学予定の皆さん、準備は進んでいますか。まもなく入学式がありますから生活リズムをしっかり整えましょうね。

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2年目に突入です

 昨日、異動する教職員と最後のお別れ。こんなことありましたね、あんなことありましたね、と想い出をいくつか語ってお別れしました。

 そして今朝。昨日までそこに座っていた方に替わって新たな方が座っています。3月31日と4月1日のたった1日を境に変わる環境。人って、組織ってこれを過去に遡って延々と続けてきたんだろうな、ということを考えています。そんなことを思う朝を迎えました。別れは確かに辛いけれどそのことばかりにとらわれてはいられません。今日から心機一転、気持ちを入れ替えて新年度4月1日をスタートさせます。

 この『校長の小部屋』につきましては2年目に突入です。1年前に着任した際、本校の情報発信の課題解決に向けて、私は教職員に対してホームページの充実とインスタグラムの積極的な発信を掲げました。いざ実践に向けてどのような形で進めていくかということを教頭先生と確認していたときに、ブログ発信してみたらおもしろいんじゃないでしょうかね、とアドバイスされました。そうか書くことは苦じゃないからそれならできるな、と。 

 私は自身の性格上、「取り組んでください」という旗振り役に徹することができません。旗を振った以上、自分ならこうやるというものを示さなければ自分を許せないおかしなこだわりがあります。このことは教諭であっても教頭であっても校長でも、私は変わることができません。

 仕事に限らず趣味も言ってみてやってみてでなければ満足できない人間です。ですから言った以上は自分でやってみる若しくは一緒にやる、失敗したら新たなことを考える若しくはきっぱり取り止める - これが私のスタンスです。
 
 『校長の小部屋』の成果はわかりませんが、毎日毎日更新できたのは、読者がいらっしゃるところにあります。アクセスカウンタが順調に増加しているということは、少なくとも失敗ではなかったのかなと受け止めさせていただいております。ホームページはごく限られたコミュニティ向けになりますので、インスタグラムとnoteを含め、末永くお付き合いいただけますと幸いです。

 スタートにふさわしい朝を迎えました。雲ひとつない青空が広がっています。雪はすべて解けました。あたたかでやさしい春風が流れている美唄です。

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箱の名前ではなく

 「お世話になった方が定年退職で送別会があるから札幌に帰る」28日土曜日の夕刻に成田から飛行機に乗り、宴が終わった深夜に帰ってきて我が家で睡眠をとり、翌日の日曜日午前中の便で東京に帰っていきました。朝9時に家を出るという長男を車に乗せ、妻と一緒に新千歳空港まで送りました。転勤がなく札幌で働くことができるという条件で入社した会社ではありましたが、東京における事業の拡充が決まり、「行ってこい」と声が掛かっての異動でした。地下鉄沿線上の便利な新築マンションを引き払って早いもので半年が過ぎようとしています。

 私と妻にとって長男がいくつになろうとも子どもであることには変わりはないのですが、私たちの手を離れなんだかずいぶんと遠いところに行ってしまったな、とまるで他人事のような感覚にとらわれている自分がいます。妻はどう感じているのかは聞いていないのでわかりませんが、私には子どもというよりも私と対等な一人の大人という見方が強まっています。

 大学を卒業したらあとは自分の力だけで生きていきなさい、その代わり父さんも母さんも子どもには一切頼らないから。これが我が家の決め事です。そのとおり東京のど真ん中で逞しく一人で生きている長男の成長をひしひしと感じます。私が同じ25歳26歳の頃よりも物怖じせずに堂々と歩いているその姿に、いかに自分がなっていなかったかを思い知らされることもあります。

 高校受験のことは前に書いたとおりで、長男の場合は恥ずかしいだの行きたくないだのと泣いたところからスタートしたわけですが、そんなことがあったのをみじんも感じさせません。結局、人生の単なる通過点でしかないんだよな、ということを長男が一瞬帰省したときに思ったところです。どこの高校、どこの大学であっても、それが第一志望でなかったとしても、自分が身を置いた場所で精一杯努力し生きていくことが人生の次のステップにつながっていくわけです。

 階段に今置いた右足の先に階段はさらに続いています。時間が進むのと同じように人生も進んでいる。だから左足を持ち上げ次の段に足を置かねばならない。そうした瞬間にそれまであった左足の階段はもう過去のものになっている。つまり、通過点でしかない。階段の名前が大切なのではなく、階段を駆け上がる自分が大切 - そのようなことを日曜日から考えています。

 生徒が作ったフラワーボックスをいただきました。箱の名前が大切なのではなく、箱の中に詰められた想いが大切です。

 宝物がひとつ増えました。ありがとうございました。

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「意味」と「役割」

 わずか1年間のお付き合いで毎日お話をすることはなかったけれど、一緒に働かせていただいた者として、心から「ありがとうございました」と言わせていただきます。人との縁(別れや出会い)にはきっとそのものに意味があり、意味のない縁はないものと考えます。明日限りで本校を後にする教職員の方々との縁を私はいつまでも大切にします。ありがとうございました。新天地での御活躍をお祈りしております。

 そこで働くあなたにはそこにいる意味がありそこで果たすべき役割がある - 一番最初は教諭として初めて迎える異動の時にO校長先生から言われました。専門外の学科で辞めたいと思うほど苦しい経験をしましたが、4年後に全日制の専門とする学科に校内異動となり、しばらくしてからその言葉の意味を私は私なりに理解することができました。やはり「意味」と「役割」はあったんだな、と。おそらくこういうことだったのだろうな、と気付きました。

 それは管理職になっても変わりません。誰も答えは教えてくれないけれど「意味」と「役割」があってそこに置かれている。置かれた場所でしっかり咲くために私は何をすべきなのか、それが私に与えられた課題だと思って働いてきました。今もその気持ちは変わりません。3校勤務した教頭時代に求められた花は咲かせられなかったかもしれませんが、私自身の見解と納得として「こういうことだったのだろうな」という3つの花は心に咲いています。

 「意味」と「役割」は決して仕事上の出来だけではなく、人とのつながり、地域とのつながり、つまり縁を含めたすべてにおいて含まれるものと私は思っています。

 さて、話は変わります。いつだかお弁当(ただただ詰め込み型のお弁当)の話を書いたばっかりに、異動する教職員からお弁当を入れる素敵な手づくりバックをいただきました。書かなければ良かった・・・なんと妻にポーチまで。私ごと、先日、5年間使ってきたお弁当箱を新調したばかりで、実は新しいお弁当バックはナイスなタイミングで、嬉しい限りです。

 きっと、これも縁がつないでくれたんだろうな、ってしみじみ思うところです。大切に使わせていただきます。ありがとうございました。そして、1年間大変お世話になりました。

 明日で令和7年度は終わりを告げます。令和8年度がスタートを切ります。私の頭上の2階の職員室は心機一転配置換えを行いました。自分の前や隣に座る方が変わり、新たな発見やコミュニティが生まれるものと思います。これも縁ですね。

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スタートに向けて

 

 願書に貼付された写真と名前を繰り返し見て記憶していく。入学式で必要となる呼名用の名簿をつくり、座席表に時間割、ロッカーと下駄箱に出席番号のシールを貼り、学級通信を作成し、机を並べる際の目印を床にマークし・・・担任業務がスタートするこの時期は慌ただしくなります。緊張が続く中にも早く生徒に会いたいという気持ちが日に日に高まってゆく - 私にはそうした想い出があります。

 担任として接する生徒の呼び名は苗字ではなく、私はすべて名前と決めていました。名前は名付けた人が思いを込めて授けた大切なプレゼントです。そこに敬意を表しながら生徒に声をかけていました。それからもうひとつ、生徒と近い存在でいたい、そのことが私の中では苗字ではなく名前でした。教え子たちがどのように感じていたのかはわかりませんが、名前で接すると生徒一人ひとりがより身近に感じて愛おしい存在になりました。これは私見ですので、正解ではないと思います。教師個々の持ち味がありますから接し方は多様です。

 平成24、25、26年度の3年間が私の最後の担任業務となりました。40人それぞれが毎日引き起こすあぁだこうだがドラマチックでした。困ったこともたくさん発生しましたし、どうしてそうなるのとがっかりさせられることもありましたが、その都度みんなで考え乗り切った3年間でした。卒業時の40人は立派に成長し青年の姿になっていました。

 2年生を終えるまではほぼ毎日空き教室で個別に話をすることばかり。1週間しかない学校祭の準備期間なのにふざけてばかりいるので2日間作業させずに下校させたこともありました。あのときの生徒たちの慌てた顔は忘れられません。今だから笑える懐かしい出来事です。毎日がこのようなことばかりでした。

 私はこうした顚末を毎日学級通信に記し保護者等にドラマをお伝えし続けました(5回の担任業務のすべて)。褒められることも失敗したことも、生徒、保護者等、担任みんなでドラマを見て考えていきたかったからです。3年間で約600回のドラマをお伝えしました(意外にすべての保護者等の手元に届いていました。「おもしろい」、「毎日楽しみにしています」、「先生、本当にうちの息子が、すみません」、「先生応援してます」、「穴を開けてくれているので紙ファイルを買ってストックしてます」、「いつもありがとうございます」などよく電話をいただいていました)。

 B5版の紙ファイルがパンパンに3冊。いつかクラス会が行われて、40人の誰か一人でもその3冊を持ってきたら、そこに集まった全員にあの日あのときの高校3年間が蘇ってくる・・・そういう未来の姿をイメージしながら私はいそいそと学級通信を作っていました。こういうのを自己満足というのかもしれません。それでも学級通信の元データは今でも私の宝物です。

 さて、本校では新入生の受け入れに向けた準備が進んでいます。御家庭におかれましては、制服やジャージー等の採寸と購入、端末に教科書等の購入、新生活に向けたさまざまな出費が嵩んでいることと推察いたします。何か御不明なことがございましたらお問い合わせください。

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