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校長の小部屋

見学旅行に向けて

 本校の見学旅行は2年次生で実施しており、今年度は10月7日(火)から10日(金)の3泊4日、行き先は関西方面(大阪、京都)です。

 8月27日(水)5、6校時で生徒向けの説明会を行い、本日夕刻より保護者等に向けた説明会を実施いたします。まだ先のことと思っていましたが、一月先に迫ってきました。出発に向けて本格的な準備がスタートしています。生徒も見学旅行を楽しみにしていると思います。

 指折り数えて12回見学旅行の引率をしました。沖縄3回、九州3回、関西・関東・東海5回、道内1回となります。直近の関西方面の見学旅行は2年前で、広島県→大阪府→京都府の行程になります。原爆ドーム、厳島神社、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、金閣寺、清水寺でなかったかと思います(たくさんの引率で記憶が曖昧になってきています)。

 どの見学旅行においても同じですが、たくさんのお土産を買って、美味しいものを食べて、両手いっぱいに自分用の服やぬいぐるみを持ち、笑顔でホテルを歩き回る生徒たちの姿が浮かんできます。今回もきっとそうした生徒の姿をたくさん目にすることになるのだろうな、と思います。楽しみです。

 令和4年度、管理職として沖縄の見学旅行の引率をしました。コロナ禍での旅行でしたので、出発から帰着まで気が抜けませんでした。新型コロナウイルスに罹患した生徒が出て、沖縄まで保護者の方に来てもらうなどの対応もありました。

 私が在籍した学校は旅先を変更をしながらも見学旅行を実施しましたが、令和2,3年度は、見学旅行そのものを中止した学校も多かったはずです。

 たった一度しかない高校時代に、それも一番の楽しみとなるであろう見学旅行が中止になってしまった、涙をのんだ先輩たちがこの日本に数多くいることを私たちはいつまでも忘れてはなりません。

 4泊5日の沖縄が九州長崎に変わり、関西に変更せざるを得なくなり、そこもダメで東京を外した関東で2泊3日、よしこれで行けるぞと思ったところで、再度東北に旅先を変えざるを得なくなり、青森の下車は認められず岩手とその帰りに函館なら寄れる - 出発したのは3月中旬。とにかく中止にしない、ただそれだけを思って奔走しました。こうしたことが数年前にあったわけです。行かせてあげることができた、ただそれだけでした。当時の生徒たちは現在、自分たちの見学旅行のことをどう思っているのだろうか・・・気になります。

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正解など

 夏季休業明けの登校で全員が目にした作品。そしてそれはこれから毎日目にすることになります。みんなの目に留まる位置に、青春真っ盛りのみんなを支えてくれるであろう書を掲げました。本校の先生が書いた作品です。作品の素晴らしさは当然ではありますが、万人が思いつきもしないであろうこの芸術的な言葉の綴りが、今を生きる高校生の道標になるはず、と私は思っています。

 8月上旬に第3回教育大学旭川校書道研究室卒業生展が札幌市で開催され、招待状をいただいたこともあり足を運びました。恥ずかしながら筆も立たず、見せられるような字も書けない私ではありますが、人生で初めて『書の存在感』、『書のエネルギー』のようなものを感じました。数々の作品を目にし、「これはすごい」 - あまりに圧倒的で、もうそれ以上の言葉が出てこないのです。書き手の想いや魂がまざまざと迫ってきて、下手なコメントを述べるくらいなら、ただ黙って作品の前に立ち、感じるものをすべて全身で受け止めればそれでいいんだ、と思いました。

 この日、偶然にも教頭先生も会場にいらしたので、「作品を校内に展示して生徒に見せたいですね」という話になり、実はこれが冒頭の経緯となったわけです。大切な作品を惜しみなく提供してくれた先生に感謝いたします。

 「正解」という野田洋次郎さんの曲と詞を昨日インターネットで拝聴・拝見しました。静かな美しい曲でありながら、メッセージ性の高い、実に心に沁みる奥深い素敵な音楽と詞でした。できることなら高校生の時に聴きたかったな、と真っ先に思いました。夢があっても結局は既定路線に身を委ねるしかないのか、という葛藤や不安、怒りと諦めの中で、それでも一歩一歩現実に向かっている自分にもやもやしていたあの頃に出会っていたら、自らの心の有り様をやさしく包み込んでくれたはず。もしかしたら別な答えを探す旅に勇気を持って踏み出せたかもしれない・・・今さらですがそんなことを考えたりしています。大学時代からほぼJAZZしか聴いてこなかったので、日本の世の中にこんな素敵な音楽があったことに驚きも感じています。これからは音楽についてもう少し広くいろいろなものを吸収していく必要がありそうです。

 生きる、ということは、1足す1が2となるような、きれいな答えと正解ばかりではありません。そのほとんどは銀河のような空間の中で、自分の立ち位置すら曖昧な状態にありながらも、これかもしれないという光を見つけ、自分の足でその光を掴みにいくような、そんな旅を続けていくことなんじゃないか、と思います。誰かが放った正解のような光が、自分が探している正解を照らすものにはならない。自分の進むべき道は自分で拓きなさい。正解などないのだから自分で正解を見つけなさい。野田洋次郎さんの意図するところとはかけ離れているかもしれませんが、私はそう考えています。

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整理整頓から学校が見える

 日曜日の夕方 - 「明日生徒が元気に登校してくれるだろうか・・・」妙に緊張して心臓がばくばくしました。

 昨日25日(月)久しぶりの登校日になりましたが、私は朝の目覚めと同時に再び緊張し、その状態で職場に入りました。一月に及ぶ長い休暇になりましたので、ぎゅっとネジを締め直したかのような生活に生徒がうまく順応できるだろうか、そのことが心配だったわけです。

 朝の登校の様子、全校集会でステージから見た生徒の表情に曇りがなかったので、ひとまずほーっとしてはいますが、御家庭におかれましては、いつも以上にお子様の様子に気を配っていただき、話を聴いてあげたり問いかけをしたりして、コミュニケーションを図るようお願いいたします。何かございましたら学校へ連絡をください。

 私も学校閉庁日を含め、長めの休暇を取得しました。自分の実家と妻の実家で一泊ずつお盆をしてきました。もう子どもたちを伴った帰省ではなく、私と妻の二人だけの帰省です。ずいぶん前のことになりますが、子どもたちがサッカーと野球の少年団に所属していて、毎年、練習や試合のスケジュールの穴を見つけて、それぞれの実家へ帰省していたことが懐かしく思い出されます。もう同じような時は二度とやってはこない、そのことは理解していても、にぎやかだったお盆と年末年始の帰省に思いを馳せる自分がいたりします。

 さて、話を元に戻します。校舎内を歩いて生徒の様子を見て回っています。私が教室の後ろから突然入っていっても別段驚く様子もなく、普段通りに振る舞ってくれるのが嬉しいです。先生方も最初の授業ですから、生徒の表情を見ながら工夫した取組をしているのが見てとれます。生徒と先生が会話のキャッチボールを交わしながら授業に向かっているのがとてもいいです。

 並んで廊下を歩く姿、笑い声、体育館から聞こえる歓声、お弁当袋を下げた姿、駐輪場の自転車、ホールのベンチに腰掛ての談笑・・・生徒がいると学校が元気になります。

 教室後方のロッカーに鞄が入りました。整理整頓された使い方がおわかりになると思います。当たり前、といってしまえばそれまでですが、私が教室に入った時に真っ先に見るところです。こうした小さな箇所に学校のすべてが現れてきます。

 みんなで利用する場所だからきれいにする。つまり、教室は自分の部屋ではなく、みんなの部屋 - 私はそのように考え行動する心豊かな生徒を育てたいと思っています。それができて始めて次の段階の学びにつながっていきます。これは私自身の教育のスタンスでもあります。

 本日、学校生活2日目を迎えます。

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ゆっくりゆっくり

 約一月にわたる夏季休業を終え、本日登校日を迎えます。身体が重い、すっきりしない、憂鬱、冬休みまでまだまだ長いなぁ・・・そうした気持ちで今日を迎えているのではないかな、と思います。

 休み明けの初日。それぞれにそれぞれの思いで登校してくるはずです。今日というスタートラインは同じであっても、スタートダッシュはそれぞれです。素晴らしい加速で前に進める人と、躓いて転んでそこから立ち上がり走り始める人もいます。今週は、いきなりシフトアップするのではなく、ゆっくりゆっくりの加速でいきましょう。慌てずに自分のスタートダッシュを切ってください。

 始まりに当たり、生徒の皆さんにお願いです。多様な人がいる中で私たちは生きています。思いやりに欠ける行動や言動、わがままな考え方、自分を中心にした生き方、人の気持ちを考えない生活は、他者を傷つけ、他者を不愉快な気持ちにさせます。人との関わり方について、自分自身はどうなんだろう、ということについて思いを馳せて欲しいな、と思っています。

 朝、7時18分にこの記事を書いています。あと40分後に皆さんが登校してきます。どきどき心臓が鳴っています。私も緊張した朝を迎えています。

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読書

 恥ずかしくてあまり大きな声では言えませんが、大学の講義中は読書ばかりしていました。もちろんすべてではありませんが、哲学の講義の時に教授に見つかり、こっぴどく叱られたことがありました。「き・みっっ、ここからデテいきなさいっ」いつもは穏やかな教授でしたが、この日は鬼の形相で私を睨みつけていました。私のクラスで、大学生にもなって、しかも教授から叱られたのは、私だけだと思います。

 「すみませんでした」と私は謝罪し、素直に講義室から退室しました。隣に座っていた親友が後から「日下な、お前が悪いんだから、教授の部屋に直接行って、もう一度謝罪してこい、そうしなかったら単位出してもらえないぞ」と心配してくれたこともあり、翌日謝罪しました。その後どうなったかについては、今この場に私がいることで想像してください。

 小さな頃からずっと本に触れてきました。祖母がいつも本を読んでいたことと、母親が童話集を定期的に買ってくれたことが影響しているのだと思います。居間に一台のテレビがありましたが、私たち兄弟3人が番組を見られる時間は6時から8時までに放映されていたマンガのいくつかだけでした。それも父親の機嫌を伺いながらでしたので(ほとんど機嫌が悪かったのですが)、連続的に続いていく物語性のあるマンガですと、一話を見逃すと虫食いになり、突然展開が変わるためずいぶんと案配が悪いものになりました。テレビの前に子ども3人が笑い話しながらワイワイ楽しそうにしているところに、父親は自然に入り込むことができなかったのだろうと思います。テレビを見たくても落ち着いて見ることができないので、私いつも祖母の隣で本を読んでいました。そうした背景もあって、母親は月に一冊本を買ってくれたのかもしれません。

 現在に至るまで読書を続けておりますが、高校生、大学生の頃は月に5~10冊ほどを同時に読み回していました。ずいぶんとエネルギーを要する読書をしていました。もう、今はそんな読み方はできません。私は、登場人物の一人を自身に投影した読書をするので(これは今も変わりません)、10冊も抱え込んで読んでしまうと、10個の世界に生きている状況になってしまい、何が何だかわからなくなりました。それでも見たことのない世界に自分が生きているような気がして、とてもいい時間を過ごせたように思います。

 今朝、本校の図書館でずらり並ぶ本の中から、伊与原新(いよはらしん)さんの「宙わたる教室」を見つけました。定時制高校の科学部を舞台にした物語ですが、実は少し前にNHKドラマで放映されたのを私は見ていました。すごくいい話なので紹介いたします。

 本のある空間が好きです。時間があると街に出掛け本屋さんで時間を過ごします。苫小牧では定時制課程の勤務でしたので、午前中は図書館に行って本を読んでいました。北見では週末はランニング後にカフェでのんびり本を読んでいました。

 電子媒体で読書できる時代になりましたが、やはり一冊の本を手に取り、その重さを感じながら珈琲を飲みゆっくり活字を楽しみたいと思っています。

 本校ホームページへのたくさんの御訪問ありがとうございます。

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