北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
一年前は何をしていただろう。生活するのに必要な最低限のものしかなかった(軽トラックの荷台で収まる分)とは言え、部屋には段ボール箱がいくつも積み上がり、掃き掃除に拭き掃除を繰り返していた。北見を出発する直前まで外すことができないストーブの前に陣取り、隙間時間は座卓にノートパソコンを広げ美唄尚栄高校に勤務するための準備をしていた。
次男が大学卒業で岡山から引き上げてくるのが3月末となり、その引越の手伝いと観光を兼ねて妻は長らく出掛けていた。私の引越よりも子どもの引越が重要という具合だった。帰ってきたその足で札幌からバスに乗り5時間半をかけて北見に来てくれたのが29日。「どうしてうちの引越は全部子どもの引越とかぶるんだろう」と疲れ果てた顔で妻が言ったのを覚えている。何だか私の引越が悪い、とでも言っているように聞こえた。
この会話は、私が教頭として苫小牧へ引越となった3月から2年おきにしてきた。前にも書いたが、私の苫小牧への引越と長男の弘前への引越、2年後苫小牧から小樽への引越で次男の岡山への引越、北見への引越で長男が弘前から札幌へ、北見から美唄の引越は次男の岡山から札幌への引越。子どもが独立した今、もう我が家の引越はかぶることはないが、おもしろい歴史を重ねてきたことはこの先家族間の笑える思い出話になると思う。
夜は職場内のいくつかの小さなグループが私のために送別会を開いてくれて、2年間の出来事を遅くまで語り別れることへの寂しさでいっぱいになっていた。もう1年、いやずっとこの人たちと仕事がしたい - これが私の本音でもあった。
2年おきに引越を繰り返してきたわけだが、わずか2年であってもその職場に対する愛着や思いは深いところまで根を張り、それを掘り返して更地にしていくのには気持ちが追いついていかない。これは苫小牧も小樽も同じだった。限られた2年だからこそ、本来5年、6年をかけて築き上げるものを60秒1分を20分、30分のスピード感を持って私は詰め込む努力をしていた。実に濃縮された脂っこい時間。人との出会いはかけがえのない大切なものになった。別れは辛いけれど、こうした気持ちにさせてくれたのは管理職になったからであり、そこは管理職の立場にある者しか感じられない大きな魅力だと私は勝手に思っている。
借家は住宅街の中にあり、道路を挟んだ向かいに住むAさんとはちょくちょく世間話をする仲になり、「先生がいなくなると本当に寂しくなるな」と、私の心を躊躇わせるようなお言葉までいただいた。31日はAさんが不在で、奥様にお礼の挨拶をして北見を後にした。翌日の4月1日の朝、校長職がスタート私に真っ先に電話をくれたのはAさんだった。激励の言葉の最後に「先生ありがとう、北見に来たら絶対遊びに来てよ」そう言ってくれたのが何よりも嬉しかった。地域の方のありがたさと大切を肌身で感じた瞬間でもあった。
ちょうど1年前のことです。時の流れは早いですね。
さて、ホームページ閲覧数が38万5千件を超えました。4月着任早々、とにかく情報発信に力を入れましょう、と教職員にお願いし5月から本格的に取り組んでまいりました。今年度で30万件を超えるアクセスをいただきました。読んでくれている方がたくさんいる、ということが更新する教職員の励みになっています。いつも大変ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
眼前にこれを見せられるともう言葉が出ません。
昨日の修了式で年度の締めくくりとなりました。生徒は14日間の年度末年度始めの休業に入りました。しばらくの間、部活動等以外での登校はなくなりますから生徒の元気な声が校内に響き渡ることはありません。
朝、誰もいない教室棟を回りました。1年次生の学校設定科目である「産業社会と人間」の中で作成したポスターに目を馳せると、そのできばえの善し悪しではなく、生徒なりの町に対する思いが込められており、そうだそうだと考えさせられることばかりでした。
こうした一つひとつの意見を吸い上げていくことは難しいとしても、一つひとつに目を向けて真剣に考えていかなければ、町からどんどん若者が離れていくのではないか、そう思うのです。私も空知の町に生まれ育ちましたから空知が大好きですが、18歳以降故郷に戻らず生活拠点は別な町にあります。小中高大学と学びの段階で町づくりについて考える授業がなかったことも何かしら影響しているのかもしれません。
本校では「産業社会と人間」、「総合的な探究の時間」をとおして、計画的な教育活動に取り組んでおり、自分たちの住む町を調べ、地域の方と意見を交換し、地域の企業や関係機関様と連携し町の活性化に向けた探究活動をしています。これらは大変魅力的な授業で、生徒たちの発想の豊かさにいつも感心させられますし、これが実現できたらおもしろい町になるだろうなと思わせてくれます。生徒が提案したものがどれかそのひとつでもプロジェクトとして動き出したら素晴らしい展開になる - 私はそう考えています。
工業高校の建築デザインコンクールで優秀な成績を収めた建築パースが、実際の建物になったケースがいくつかあります。夢が現実になることを高校生に実感してもらうのは大変意義深いことです。学びが形につながる・・・これは夢物語ではなく現実に起こること、そうしたことをたくさん与えられる世の中であって欲しいです。
少子高齢化が進み町の過疎化も加速度的に進んでいます。学校もさまざまな課題を抱えています。もう待ったなし、です。目の前にいる高校生の発想や視点が町や学校の課題を解決する糸口になることを私たち大人は真剣に受け止めなければなりません。
あのときの意見や提案を早い段階で吸い上げておくべきだった・・・そういう後悔はしたくないものです。
鬱屈とした12月、1月、2月を乗り越えると春の陽気を感じられので3月と聞くだけで心が軽くなります。こうした季節の変わり目を繰り返し繰り返し気がつくと五十代も半ば。この先も3月で感じるこの感覚はおそらく変わることはないのだろうな、と思うところです。
ただ、3月はわくわくするだけではなくて、お別れ、というさみしくせつない風を心に吹き込んできます。お別れの3月。卒業式で生徒と別れ人事異動で教職員と別れる。自分の周りから次々に人が離れてゆく・・・
32年間でどれだけの教職員とお別れをしただろうか・・・100人か、200人か、いや500人か。もうお別れをした順番も定かではなくなった。積み重なっていくお別れにずっと昔にお別れした方々の顔や声が浮かんでくる。こんなことがあったなぁ、あんなこと言われたなぁ、と当時は立ち上がることも容易ではないほどのダメージを受けたことも、今はすべてあたたかな記憶の断片として私の心に残り、その一つひとつを笑って思い返すことができる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれている。人って、きっとそういう存在なんだろう。
管理職になって2年ごとの転勤を繰り返しています。苫小牧も小樽も北見もお別れは辛かったです。教職員一人ひとりと人間関係を構築するまでに1年、土台が出来上がり円滑な業務で1年。これで2年。でも全力の2年間で深まる信頼や絆が別れを躊躇わせる。どんな人も何かしら自分に何かを残してくれているとするならば、自分は人に何を残したか・・・そのことは別れの時にいつも思うことでもあります。
朝の打合せ。本校からは6名の教職員が新天地に向かうことになりました。大変お世話になりました。
12月から2月にかけて出張や札幌の自宅に帰る時は、水道の水抜きをしなければなりません。台所、トイレ、浴室、洗面所、ボイラーの5カ所の作業をすると軽く20分はかかります。大元だけを操作すれば良いのではなくあらゆる栓を開けて管内に溜まった水をはき出さないとそれが凍結してしまいます。こうした一連の作業をしなければ後々困ることになるのはわかっていても、大丈夫だろうと高をくくって家を空け、半日以上水が出ないことが2度ありました。水が出ないことがこんなにも人を不安にさせる。水のありがたみを痛感したシーズンになりました。
いつもより早い雪解けなのかもしれません。あんなにあった雪は陽の当たらない一部分に残すだけになりました。3月の上旬から夏用のランニングシューズで路上を走ることができたのも初めてです。さっさと冬用のランニングシューズを箱に収め片付けました。本校の陸上トラックも今日から走行できる状況です。朝の冷え込みはありますが、春の訪れは例年になく早いのかもしれません。
昨日、午前中に2時間かけて21キロのランニングを楽しみました。明日ハーフマラソン大会が開催されても飛び込みで走ることができる身体づくりを欠かしません。これは私の決め事としています(どうでもいいのですが)。午後から妻とランニングとウォーキングを織り交ぜた8キロ走に出ました。札幌市北区にある百合が原公園をスタートに繁華街を巡ってぐるり一周のコースです。途中、たい焼き屋さんで腹ごしらえをしてゆっくり春を感じる時間になりました。
ここのところさくら、さくらと開花を告げるニュースを目にしますが、さくらよりも早く咲いた花を百合が原公園内で見つけました。氷点下や猛吹雪に耐え命を芽吹かせる樹木に感動です。
マンサク科マンサク属 シナマンサク 中国原産。幼条や葉が軟毛で覆われている。花は香りも強く黄金色。開花時に枯れ葉が残っているのが特徴。
皆さんに見ていただきたくて掲載いたしました。
想像するだけで楽しくなります。クルミパウンドケーキ(美唄産クルミを使用、米粉を使用)の研究。一緒に研究開発したい、と単純に思ってしまう私。クルミの割合を変化させることで食感は変わりますから、口の中に残るクルミの状態であったりその大きさであったり検討することは次から次に出てくる。万人受けする製品にするために、作っては食べて議論を重ねて・・・美唄尚栄高校はクラブ活動ではなく授業の中でこういうことができる学校です。
前にも書きましたが、人が生きていくために食は必須です。高校の段階で食について学べるのは大きな意味があると思います。与えられたものをただ食べるのではなく、食べてもらうものを自分たちの手で - そこにおもしろさと魅力がある、私はそう考えます。
パウンドケーキを持ってきてくれた教員が「校長先生、生徒がクルミの割合について探究していいものを作ろうとしています。今まさにそれをしているところでおもしろいですよ」別の業務があってその場に行くことはできなかったのが残念。それにしても生徒だけで取り組んでいることに大きな意味があります。そこに教員が入っていかないのがいい。
子どもたちは大人(教員)が気づきもしないアイデアをするっと言葉にします。あまりに突拍子もない展開になると、大人(教員)は「それは無理だろう」とついつい軌道修正したくなる。自らの考えに寄せたくなる。それはわからないではありませんが、そこで何かを言うことによってせっかくのアイデアが消えてしまいます。そうならない寄り添いが我々には求められます。
私は先生方にいつもお話しています。「作りました、売りました、買ってもらいました、寄贈しましたで終わりではありません。作った先、売った先、買ってもらった先、寄贈した先の姿を考えた教育を展開してください」自宅において趣味の範疇で作ったのであればそれはそれで終わっていいのですが、教育活動で作ったのであればその先の展開を常に考えさせなけれなりません。20年30年前に求められていた教育と今の教育は大きく様変わりしています。
〇〇しました。だから・・・、それで・・・
だから・・・、それで・・・が問われます。生徒も教員も探究し続けなければなりません。
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