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校長の小部屋

贈り物

 今日は樹氷が見られるかもと思い、駐車場脇の針葉樹を見に行きました。予想したとおりでした。陽が上がると解けるでしょうし、明日からのクリスマスは雨の模様ですので、一日早くクリスマスの雰囲気にぴったりな樹氷の贈り物をいただき、得をした気分です。

 クリスマスプレゼントはどうしましたか?誰かのことを想ってプレゼントを用意したり、事前に約束したプレゼントを買いに出掛けたり・・・私は、今年ランニングを始めた妻に相当早い時期にクリスマスと誕生日を兼ねたプレゼントを贈りました。妻からは大きな大きなプレゼントをもらいました。

 もうひとつ、毎年自分にクリスマスプレゼントを贈っています。健康でいられた自分に元気に働くことができた自分に中古のJAZZレコードを何十枚もプレゼントします。インターネットで購入するのではなく、札幌にあるJAZZレコードを扱うお店に足を運び時間をかけて探します。物欲がほとんどない私ですが、レコードとなると別です。いくらあっても欲しい。これが私が私に贈る最高のプレゼントです。

 誰かが心惹かれて手にしたレコードは、やがて何かの事情で手放され、世界のどこかを彷徨い、巡り巡って私の手元に収まります。ジャケットは擦り切れ、ライナーノーツは茶色く色褪せ、レコードもプチプチノイズが入る。でも、それがまたいいのです。何とも言えない浪漫を感じます。

 廃盤になったアルバムを何年、何十年も探して漸く手にできることがあります。滅多なことがないとこうはなりませんが、唐突に巡り合うことがあります。私にとって最高の出逢いで最高の幸せを感じる瞬間です。

 真空管に灯をとおし、ターンテーブルにレコードを載せ針を落とす。一手間二手間かかりますが、最初の音が鳴り出すまでのわずかなじり、ジリ、じィー - この時の緊張感がレコードの魅力のひとつかもしれません。

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拍手

 開会式の挨拶を頼まれていましたので、あれこれ言うよりも先に生徒の拍手から体育祭をスタートさせたい、と思っていました。ステージの上に立つとすべての生徒の様子が見てとれます。生徒全員が拍手してくれました。本校の生徒の良いところです。ありがたいな、と思います。

 何故拍手か - 目立たない地味な仕事をして本日の体育祭に結び付けてくれた執行委員への感謝の気持ちを持って欲しかったからです。私がいちいち言わなくても気付いている生徒もいます。その一方で言われて気付く生徒もいます。割合的には後者の方が多いのではないでしょうか。

 誰かがお膳立てしてくれたものに乗るのが一番簡単で楽です。そのような環境下に置かれることの方が実に多いです。起こしてくれる、夕食を準備してくれる、お弁当を作ってくれる、学校まで送ってくれる、洗濯をしてくれる、雪かきをしてくれる、風呂を洗ってくれる。考えてみると〇〇してくれることが多くないですか。そして、そのことが当たり前になってしまい、『感謝』をずいぶん遠いところに置き忘れてしまっていませんか。

 お膳立てしてくれた人の苦労や努力を頭の片隅に置き、「ありがとう」の気持ちを持っていれば、文句やわがままは出てこないと思います。感謝の気持ちを持って行動することができます。逆に、自分がお膳立てする側の立場だったら何ができるだろう。両方の視点からものを見られる人になって欲しいと思います。

 立派なことを書きましたが、単身赴任で生活していると反省することだらけです。お弁当作ってくれて「ありがとう」を言ってなかったな。朝夕の御飯を用意してくれて「ありがとう」を言ってなかったな。洗濯してくれて「ありがとう」を言ってなかったな・・・〇〇してくれることが当たり前化していた自分に反省しきりです。自分で何でもやらなければならない状況になって改めて気付くわけです。そういう意味では不自由なことが多いですが、単身赴任も悪いものではありません。

 本日が体育祭最終日です(この話、昨日のお昼に書きました)。閉会式で私はもう一度全校生徒と拍手します。

 執行委員へのお礼と感謝の拍手。クラスメイトと楽しく活動し成長できたことに拍手。最後の大きな行事で仲間の大切さを教えてくれた3年次生への感謝を込めた拍手。そして、体育祭を全員で楽しく終えられたことに拍手。最後に、閉会式まで25分の待ち時間を静かに待てた全員に拍手!!

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クリスマスプレゼント

 「校長先生ぇ、クリスマスプレゼントでーす」生徒玄関ホールで朝のお迎えをしている私の横にひょっこり現れた2年次生の女子生徒から小さなカルトナージュを受け取りました。「デザイン系列の授業で作ったので、ペン立てとかで使ってくださいね」そう言うと3階の教室に向かって階段を上がっていきました。

(写真を一部加工しています)

 お菓子と手書きの小さな手紙が添えられていて、「ペンを入れたり、コーヒーや砂糖のスティックを入れたりもできますよ!」と書かれていました。ペンを入れるとインク等の汚れがついてしまうので、飴やスティックタイプのコーヒー、お茶を入れようかなと思っています。クリスマスプレゼントありがとうございました。大切に大切に使わせていただきます。

 一文字一文字丁寧に書いたお手紙をいただくのはとても嬉しいです。私くらいの世代の方ですと当たり前のように手紙のやりとりをしていたはずです。私は当時お付き合いをしていた女性とこまめに手紙やはがきのやりとりをしていました。今は指先をしゃしゃしゃーっと滑らせて、ボタンを押して相手にメッセージを届ける時代です。デジタル世代の高校生が、アナログチックな形で相手に気持ちを届ける・・・感慨深いものがあります。

 週末自宅に帰る車内のラジオからクリスマスソングが流れます。胸ポケットに小型ラジオを忍ばせて走る夜のランニングでも、DJがクリスマスにちなんだ話をしていて傍らにクリスマスソングがかかります。美唄には持ってきていませんが、自宅の部屋の棚にクリスマスソングだけで構成されたJAZZアルバムが何枚か入っていて、どういう訳かこの時期だけはターンテーブルに載せてそれらを聴きます。この時期が過ぎると、また1年後・・・ずっとこれを繰り返しているような感じがします(真夏にクリスマスソングは聴かないですよね)。時期的に聴きたくなるのかなぁ。

 大学時代のクリスマスは、友達と、たった一人で、恋人と、というようにいくつかの過ごし方をしました。バブル経済真っ盛りから崩壊までが私の学生時代と密接につながっていて、当時12月は日本中が浮き足立っており、ひとりぼっちで迎えるクリスマスには冷たい視線が注がれていたような雰囲気がありました。とにかく派手で賑やかに、高価なプレゼントを - これがバブル期のクリスマス。

 年内の大学の講義が終わり、新年を迎えるまでの残されたアルバイトの日数を数えながら、下宿の6畳間で寝っ転がりながら小説を読んでいる、いつもと何ら変わらない時間の中に、クリスマスを過ごした夜のことを想い出しています。下宿生のほとんどは帰省し、しーんと静まりかえった建物の中で、私は私なりのクリスマスの夜を静かに過ごしていました。懐かしいです。

 先週、自宅に帰るとクリスマスの飾り付けがされていました。子どもたちが小さかった頃は、狭い居間に不釣り合いな大きなクリスマスツリーを飾ったものですが、それもいつの間にか処分し、2つ3つの飾りを壁に止めるだけになってしまいました。それでも妻は妻なりにクリスマスの雰囲気を味わいたいのだろうなぁ。

 今年のクリスマスも猛吹雪にならない限り夜のランニングを楽しみ、夕食を作り、いつもと何ら変わらない時間を過ごします。単身赴任期間5年目になりますが、毎年同じことを繰り返していますが、これができれば他には何もいりません。

 皆様、素敵なクリスマスを! 

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体育祭

 本日、明日は体育祭です。この日のために長い時間をかけて執行委員が放課後遅くまで準備に勤しんでくれました。先輩たちが退任し、新体制になって初めての大仕事でいろいろと大変だった思います。まずは、ここまでの準備、ありがとうございました。そして全校生徒の皆さん、運営してくれる執行委員に感謝して楽しんでください。

 どこの学校でもスポーツに親しむ行事を設置していますが、美唄尚栄高校の特長だな、と思うことにポスターが掲示されるというものがあります。執行委員が作成するのではなく、それ以外の生徒が心を込めて描く - これはそうあることではありません。過日実施した校内運動会のときにもポスターが掲示されたのを見て、真っ先に感じたことです。学校から与えられた行事だから何となく参加する、というのではなく、主体的に行事に参加するんだ、という生徒からのメッセージとして私は受け取っています。

 生徒玄関ホールに掲示していますから、全校生徒の目に触れています。ポスターを見て何かが劇的に変化することはないとしても、「体育祭楽しみだな」、「練習しないとな」、「怪我しないように参加しよう」などと、人の心に確実に何かを芽生えさせています。これって、とても大切なメッセージです。ポスターづくりをしてくれた生徒の皆さん、本当にありがとう。私はこのような学校に勤めることができて幸せです。

 体育祭の開催期間、そして終了した後に、クラスの団結力が高まったり協調性がさらに深まってくれることを期待しています。

 体育祭の目的を今一度確認します。

 『体力の向上及びクラスや年次間の団結力や協調性を養う。』

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『あたたかい心』『信じる心』

 目の前のお花からほんのり甘い香りが漂ってきます。鼻を近づけると青い花が香りを放っています。リューココリーネというお花です。

 野山を歩き花の写真を撮るようになった頃、花の名前が知りたくてずいぶんと高価な図鑑を買いました。撮った写真と見比べながら、名前を覚えていった記憶があります。ただ撮るだけではなくて、名前とセットで覚えていくのはそれはそれでまた違った楽しみがあり、結構のめり込みました。覚えた花のページは端を折り、まだ折っていないページの花との出会いを楽しみに図鑑を眺めていました。

 今年のことになりますが、妻からスマートフォンが図鑑の役割を果たすことを教わりました。写真を撮ってその写真を検索すると、一瞬で花の名前がわかるというものです。毎年、春から初夏にかけて庭にさまざまな宿根草を植えるため、妻といくつかのお店を周りますが、隣接するガーデンに咲く花を見て、「この可愛らしい花の名前は何というのだろうね」と当てもなく言うと、妻がさっと花にスマートフォンを向け、「〇〇だって」と答えます。「どうしてわかったの」と聞くと、「Google先生が教えてくれるよ」と。そうなのか・・・そういう調べ方ができるのか、と。

 先週、生けている生徒にこの花の名前を聞くと「リューココリーネです」と教えてくれました。それから週が明けこの話を書いているのですが、花の名前をすっかり忘れてしまい、写真を撮って検索すると「リューココリーネ」と瞬時に表示されました。そうだ、そうだった。AI、すごい。

 花言葉 - 『あたたかい心』『信じる心』

 『あたたかい心』 - 相手を思いやり、いたわる優しい気持ちや精神
 『信じる心』 - 物事を真実であると受け入れる感情や態度

 どちらもAIの回答になります。なるほど、と納得させられる言葉です。

 翻って自分はどうだろうか・・・ある側面ではできているけれど、そうではない自分もいるなと思ったり。一人の人間として、そうありたいと願うところではありますが、私にはまだまだ手の届かない遠い遠い心の有り様です。

 それでも若いときの自分からは考えられないくらい心は変わりました。歳とともに物事の見方や考え方が大きく変化し、何でも許容でき心乱すことなく穏やかに対応できている自分を感じています。不思議ですが、肩に力の入らないとても楽な生き方ができています。

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