ブログ

校長の小部屋

教え

 何度もこの風景を掲載して話をさせていただいております。私の自慢ですのでどうぞ御覧ください。今日は屋上から撮影しました。いつもより一段、二段高いポジションから撮っていますので、見えてくるものが違うと思います。1年前にもここに上がりました。私は各学校の屋上に着任したその日に上がっています。ただ風景を眺めたい、からではありません。

 教頭として初めて勤務した学校は市内で一番の高台にある歴史に名だたる伝統校でした。そこで2年間お仕えした校長先生からはたくさんのことを学ばせていただき、その教えの数々は今も管理職である私の教訓として生きています。今考えると芸術派で新感覚の校長先生、発想が豊かであり古きものにとらわれないおもしろいセンスをお持ちの方でした。そう考えていいんだ、そうしてもいいんだ、と毎日が発見の連続で楽しい時間でした。

 私は手術、退院直後の着任でしたから、極端に体力は落ち患部はじくじくと痛く、あろうことか借家のトイレからは水漏れ、瞬間湯沸かし器は破損、風呂のガス追い焚き機器が破損、水道管の劣化により水が使えないなど、もう毎日が泣きたくなるような生活を3週間、ほぼ4月はこれで終わりました。この時ほど、情けないと思ったことはありません(これも今だから笑えるエピソードです)。

 でも、仕事は別でした。昨日までは教諭、今日から教頭です。校長先生、教職員から「教頭先生」「教頭先生」と呼ばれ、体調がどうしたこうしたと言っていられない状況になりました。全力全開の対応に、こんなにも変わってしまうんだな、と感じる毎日でした。

 私の性格と言いますか、とにかく先回りして準備をし安心しておきたい、次から次に舞い込んでくる仕事にゆとりを持って向き合いたい、期限があったら4、5日前までに、こうくるだろうと思ったことは事前に調べておく、など一風変わった側面を持っています(損な性格です)。簡単に言うなら慌てたくないということです。ですから、教諭時代にたくさん経験した主任級の仕事で「どうなっているの」と言われたことがありません。いや、言われるのが嫌だったから言われないようにしていました。言われると言われた自分に腹が立ってしまうのです。これは生まれ育った環境の中で身体に染みついてしまったのだろう、と思っています。

 4月のある日、校長先生に「教頭先生、そう言えば校舎の屋上に上がってみたの」と言われました。まったく意味がわかりませんでした。躊躇している私に校長先生はこう仰いました。「南側1キロメートルに海があるでしょ。もしも津波警報が発令されたら教頭先生どうします。高台にあるから安心ですか。垂直に逃げるとき一番高いところは学校のどこになるの」

 私は、はっ、としましたし脂汗をかきました。その視点がまるっきり抜けていました。恥ずかしながら考えもしなかったわけです。そして、やはり自分のふがいなさに腹が立ちました。校長先生がその日私にくれた大切な言葉です。「言われる前にどうすべきかを考えて行動すること。とにかく気がつくようにアンテナを高く張ること。おかしいと思ったこと、現状にそぐわないものは、気がついた者の責任で変えること。あとは教頭先生が考えて仕事をすること」校長先生から言われたのはこの一回だけでした(何も言われないように小さな頭で考え考え行動しました)。

 7年前のことを想い出しました。思いが想いに変わるほど時は流れてしまいました。あの日から私はどれほど成長したのだろう・・・

 先日も書きましたが、人は必ず自分に何か大切なものを残します。いや、残してくれます。それがいったい何なのかに目を向けると新たな自分づくりができると私は考えます。

0

春の風景

 美唄市総合体育館から美唄中学校の裏通り(農道)をどこまでもランニングするのが好きです(雪が降ってからはドライバーに迷惑をかけるのでここを走ることは遠慮していました)。昨日、夕焼けがきれいになるだろうな、と思い春の夕刻をのんびりランニングしました。

 どしんと構えた樺戸山系に守られた広大な畑とこの色、この匂い - こうした風景をずっとずっと遠い昔に見ていたような、ここを通るといつも懐かしい気持ちになります。

 空知の生まれ故郷に戻って生活を組み立て直すということは、もう私の人生には訪れないと思われます。ただ、自分の原点は空知にあるんだ、と実感させるのはこのような風景の中にある風の匂いや自然の彩りだったりします。人って、ふとしたときに自分の立ち位置がどこにあるのかを知りたくて原点を求めるのかもしれませんね。私はその頻度が高いかもしれません。

 町が衰退し少子高齢化が加速度的に進む美唄市。人が集まる観光スポットは多々あります。でも、どうでしょうか。わざわざ施設を整えなくてもこうした美しい風景を活用したら。サイクリングで回るツアーを企画したり、農業を営む方が作った野菜や果物を少しずつランニングバックに詰め込むマラニック(マラソンとピクニックを織り交ぜたエンジョイ型ランニング)イベント、5キロ・10キロ・15キロ・20キロのウォーキングコースを巡るスタンプラリーウォーキング、フォトコンテスト・・・いろいろなことができるのでは。

 ランニングをしているときは、タイムと呼吸、疲労具合、身体の乾き具合くらいしか考えないのですが、昨日は珍しく楽しいイベント企画を考えていました。と、いうのは美唄に住んでいらっしゃる方が(本校の生徒や教職員を含め)この風景を知っているのか、知らないのであればそれはずいぶんともったいないことだな、と思ったからでした。

 美唄には美しい風景があります。どこを切りとっても絵になる素敵な町です。写真の腕前が上がればもっといい形で紹介できるのですが(今年は本格的にカメラを復活する予定です)。

 さて、入学予定の皆さん、準備は進んでいますか。まもなく入学式がありますから生活リズムをしっかり整えましょうね。

0

2年目に突入です

 昨日、異動する教職員と最後のお別れ。こんなことありましたね、あんなことありましたね、と想い出をいくつか語ってお別れしました。

 そして今朝。昨日までそこに座っていた方に替わって新たな方が座っています。3月31日と4月1日のたった1日を境に変わる環境。人って、組織ってこれを過去に遡って延々と続けてきたんだろうな、ということを考えています。そんなことを思う朝を迎えました。別れは確かに辛いけれどそのことばかりにとらわれてはいられません。今日から心機一転、気持ちを入れ替えて新年度4月1日をスタートさせます。

 この『校長の小部屋』につきましては2年目に突入です。1年前に着任した際、本校の情報発信の課題解決に向けて、私は教職員に対してホームページの充実とインスタグラムの積極的な発信を掲げました。いざ実践に向けてどのような形で進めていくかということを教頭先生と確認していたときに、ブログ発信してみたらおもしろいんじゃないでしょうかね、とアドバイスされました。そうか書くことは苦じゃないからそれならできるな、と。 

 私は自身の性格上、「取り組んでください」という旗振り役に徹することができません。旗を振った以上、自分ならこうやるというものを示さなければ自分を許せないおかしなこだわりがあります。このことは教諭であっても教頭であっても校長でも、私は変わることができません。

 仕事に限らず趣味も言ってみてやってみてでなければ満足できない人間です。ですから言った以上は自分でやってみる若しくは一緒にやる、失敗したら新たなことを考える若しくはきっぱり取り止める - これが私のスタンスです。
 
 『校長の小部屋』の成果はわかりませんが、毎日毎日更新できたのは、読者がいらっしゃるところにあります。アクセスカウンタが順調に増加しているということは、少なくとも失敗ではなかったのかなと受け止めさせていただいております。ホームページはごく限られたコミュニティ向けになりますので、インスタグラムとnoteを含め、末永くお付き合いいただけますと幸いです。

 スタートにふさわしい朝を迎えました。雲ひとつない青空が広がっています。雪はすべて解けました。あたたかでやさしい春風が流れている美唄です。

0

箱の名前ではなく

 「お世話になった方が定年退職で送別会があるから札幌に帰る」28日土曜日の夕刻に成田から飛行機に乗り、宴が終わった深夜に帰ってきて我が家で睡眠をとり、翌日の日曜日午前中の便で東京に帰っていきました。朝9時に家を出るという長男を車に乗せ、妻と一緒に新千歳空港まで送りました。転勤がなく札幌で働くことができるという条件で入社した会社ではありましたが、東京における事業の拡充が決まり、「行ってこい」と声が掛かっての異動でした。地下鉄沿線上の便利な新築マンションを引き払って早いもので半年が過ぎようとしています。

 私と妻にとって長男がいくつになろうとも子どもであることには変わりはないのですが、私たちの手を離れなんだかずいぶんと遠いところに行ってしまったな、とまるで他人事のような感覚にとらわれている自分がいます。妻はどう感じているのかは聞いていないのでわかりませんが、私には子どもというよりも私と対等な一人の大人という見方が強まっています。

 大学を卒業したらあとは自分の力だけで生きていきなさい、その代わり父さんも母さんも子どもには一切頼らないから。これが我が家の決め事です。そのとおり東京のど真ん中で逞しく一人で生きている長男の成長をひしひしと感じます。私が同じ25歳26歳の頃よりも物怖じせずに堂々と歩いているその姿に、いかに自分がなっていなかったかを思い知らされることもあります。

 高校受験のことは前に書いたとおりで、長男の場合は恥ずかしいだの行きたくないだのと泣いたところからスタートしたわけですが、そんなことがあったのをみじんも感じさせません。結局、人生の単なる通過点でしかないんだよな、ということを長男が一瞬帰省したときに思ったところです。どこの高校、どこの大学であっても、それが第一志望でなかったとしても、自分が身を置いた場所で精一杯努力し生きていくことが人生の次のステップにつながっていくわけです。

 階段に今置いた右足の先に階段はさらに続いています。時間が進むのと同じように人生も進んでいる。だから左足を持ち上げ次の段に足を置かねばならない。そうした瞬間にそれまであった左足の階段はもう過去のものになっている。つまり、通過点でしかない。階段の名前が大切なのではなく、階段を駆け上がる自分が大切 - そのようなことを日曜日から考えています。

 生徒が作ったフラワーボックスをいただきました。箱の名前が大切なのではなく、箱の中に詰められた想いが大切です。

 宝物がひとつ増えました。ありがとうございました。

0

「意味」と「役割」

 わずか1年間のお付き合いで毎日お話をすることはなかったけれど、一緒に働かせていただいた者として、心から「ありがとうございました」と言わせていただきます。人との縁(別れや出会い)にはきっとそのものに意味があり、意味のない縁はないものと考えます。明日限りで本校を後にする教職員の方々との縁を私はいつまでも大切にします。ありがとうございました。新天地での御活躍をお祈りしております。

 そこで働くあなたにはそこにいる意味がありそこで果たすべき役割がある - 一番最初は教諭として初めて迎える異動の時にO校長先生から言われました。専門外の学科で辞めたいと思うほど苦しい経験をしましたが、4年後に全日制の専門とする学科に校内異動となり、しばらくしてからその言葉の意味を私は私なりに理解することができました。やはり「意味」と「役割」はあったんだな、と。おそらくこういうことだったのだろうな、と気付きました。

 それは管理職になっても変わりません。誰も答えは教えてくれないけれど「意味」と「役割」があってそこに置かれている。置かれた場所でしっかり咲くために私は何をすべきなのか、それが私に与えられた課題だと思って働いてきました。今もその気持ちは変わりません。3校勤務した教頭時代に求められた花は咲かせられなかったかもしれませんが、私自身の見解と納得として「こういうことだったのだろうな」という3つの花は心に咲いています。

 「意味」と「役割」は決して仕事上の出来だけではなく、人とのつながり、地域とのつながり、つまり縁を含めたすべてにおいて含まれるものと私は思っています。

 さて、話は変わります。いつだかお弁当(ただただ詰め込み型のお弁当)の話を書いたばっかりに、異動する教職員からお弁当を入れる素敵な手づくりバックをいただきました。書かなければ良かった・・・なんと妻にポーチまで。私ごと、先日、5年間使ってきたお弁当箱を新調したばかりで、実は新しいお弁当バックはナイスなタイミングで、嬉しい限りです。

 きっと、これも縁がつないでくれたんだろうな、ってしみじみ思うところです。大切に使わせていただきます。ありがとうございました。そして、1年間大変お世話になりました。

 明日で令和7年度は終わりを告げます。令和8年度がスタートを切ります。私の頭上の2階の職員室は心機一転配置換えを行いました。自分の前や隣に座る方が変わり、新たな発見やコミュニティが生まれるものと思います。これも縁ですね。

0