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校長の小部屋

翻訳

(写真の掲載については許可をいただいております)

 10月16日(木)タイ王国ストリースムットプラカーン校(Streesmutprakan School)より、教育旅行の一環として13名(校長、副校長、日本語教師、生徒8名、随行員)が本校を訪問しました。

 ストリースムットプラカーン校は、タイ王国サムットプラカーン県に所在する大規模な中等教育機関であり、1938 年(仏暦 2481 年)に教育省により設立されています。現在、中学1年生から高校3年生までの教育課程を提供しており、学業面及び人格面の両方で優れた生徒を育成してきており、在籍する生徒数は3000名とのことです。

 生徒8名はフード系列の3年次生と異文化理解と人的交流を目的とした国際交流プログラムを実践しました。ゲームなどを通して、互いの文化に触れ、コミュニケーションを深めたあと、タイのグリーンカレーを一緒に調理して食べました。最後にプレゼント交換をしてお別れとなりました。

 校長室で通訳さんを介して2時間程お話しさせていただきました。英語ですと単語からもしかしたらこのようなことをお話されているのかな、と想像を膨らませることができるのですが、タイ語となるとそうはいきません。通訳さんのありがたみをひしひしと感じた次第です。

 「これからはメールでやりとりしませんか」と校長先生から提案があり、「おっ、これは困った」と咄嗟に思ったところですが、端末の翻訳機能を活用すればいいのよ、と校長先生が仰り、さっそく私の端末にタイ語から日本語に翻訳したメールを送ってくれました。なるほど。「互いに翻訳したメールでやりとりしましょう」と校長先生は右手の親指を立ててぐりっと大きな瞳で笑いました。「オーケー」と私も親指を立てて約束しました。

 あとから思ったことですが、端末の翻訳機能があれば、変換に係るタイムラグはあっても会話も成立します。便利な時代になりました。大学の卒業前に次男がフランス、イタリアなどのヨーロッパ、韓国に旅に出ました。ツアーではなく、全て自前で。その次男が言っていたことを想い出します。「スマートフォン一台あれば世界のどこでも行けるし困ることはないんだよ」私には遠い話のように思っていましたが、目先に迫った状況になってきました。勉強しなければなりません。

 学校を数日離れておりましたので、本日数日ぶりに更新いたします。閲覧数を見てびっくりしています。22万件を超えるアクセス数となりました。

 いつも御覧いただきありがとうございます。

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私の宝物

 子どもたちがいない家の中はがらんとしてしまい、私と妻の二人では部屋を持て余すような状況になっています。いつか子どもたちがいなくなったらここよりも広い子ども部屋に移ってがつんとJAZZ三昧だな、と思っていましたが、結局そのままこの部屋でJAZZのレコードやCDを聴いています。子ども部屋はあらかた片付けられてはいますが、いつ帰省してもいいように、と妻がある程度の状態を保ったままにしています。私も別に慌てるものでもないのと、移動させるのが面倒でもあり、この部屋でいつまでも時間を過ごしています。

 高校から大学に上がって、半年先には見向きもされなくなるミュージックに飽きてしまい、アメリカの古い映画音楽やコーラスグループの音楽を聴くようになりました。次から次に聴いていくうちに、そのいくつもがスタンダードナンバーとしてJAZZ演奏されていることを知り、そこからJAZZにのめり込みました。「日下、変わった音楽聴いているな」と友人や下宿仲間に言われたこともあります。確かに私の周りではJAZZを聴く者など誰もいませんでした。

 大学を卒業して、自分で給料を稼ぐようになると自由になる小遣い銭も増えたので、休日は旭川、札幌、時には東京に出てJAZZのCDやレコードを買いました。それは今でも続いていて、私の宝物はどんどん増え続け一向に片付きません(妻にとってはガラクタのようですが)。お金がなくなると、土曜日23時からNHK-FMで放送されるJAZZ番組(長寿番組で現在も2時間の放送枠で聴くことができます)をチェックして、気に入った曲やアーティストをメモ帳に書き留め、次回購入のヒントにしたりしていました(現在もしています)。

 週末自宅に帰ると、思い入れのある一枚一枚に囲まれる部屋で、自分で作った真空管アンプに灯を入れ、ターンテーブルにお気に入りのレコードを載せています。その時間が私にとって至福の時となります。ライナーノーツに目を通し、読みかけの本を開き、居眠りを・・・それもまた至福の時です。

 秋は深まりましたが、まだまだ芸術の秋です。素敵なお時間をお過ごしください。

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あんパン

 10月11日(土)イオンモール札幌発寒において、さんフェア2025第1回北海道農業高校収穫祭inイオンが開催され、本校も参加しました。事前に準備していた生産品の販売とパン製造の実演及び販売を行いました。本校を含めて道内11校の農業科のブースが設けられ、多くのお客様で賑わっていました。

 多くの人に注目される中で作業をして、自分で作ったものが自分の目の前で売れていくという経験は、滅多にできるものではないことから、生徒たちにとって貴重な学びになったと思います。安全に作業すること、安心して買ってもらうことについては、授業中に繰り返し聞いてきたことだと思いますが、その意味するところが理解できたはずです。参加した生徒と4名の先生方大変お疲れさまでした。

 午前の早い時間に妻と一緒にイオンに足を運び、生徒が作った焼きたてのあんパンを購入しました。「あんパン、って実はすごく難しいんだよ。あんがきちんと真ん中にくることは簡単じゃないんだから」パン教室に何年も通って、多くの技術を身に付けた妻はそう言いながらあんパンを半分に割り、「あぁ、きちんと真ん中にきているよ」と嬉しそうな顔をして齧りました。「美味しいよ。いいなぁ、パンを焼ける授業があるなら、私、サポート役で生徒と一緒にやりたいよ。そういう学校があったのなら間違いなく入学してたなぁ」

 本校のフード系列で毎日パン作りをしているわけではありませんが、実習の中で様々なパンの作り方を学んだことがきっかけとなり、家庭でもパンを焼き、その趣味が講じてやがてパンを販売するお店を持つ・・・そうした将来が拓けていく可能性がある。私はまるっきりの夢物語ではなく、実現可能な夢であると思っています。商いは簡単なことではありませんから、経営に関する勉強は求められますし、更なる美味しいパン作りの研究や修行も必要でしょう。その努力を積み重ねた先に、本校で学んだ生徒が美唄市内でパンのお店を出店してくれたらどんなに素敵だろう - そんなことを考えながら真ん中にきているあんパンを私も齧りました。

 この日、生徒たちの活躍に背中を押されました。私も自身の夢の実現に向けて負けてはいられないな、と。

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無事終了しました

 3泊4日の見学旅行を無事終えることができました。保護者等の皆様には旅行費用並びに旅行に係る準備等をしていただき感謝申し上げます。御負担をおかけいたしましたが、充実した研修を行うことができ、当初の目的を達成することができました。大変ありがとうございました。

 見学先、宿泊先において、生徒は最高の笑顔を見せてくれました。両手にたくさんのお土産を下げ、ぬいぐるみやキャラクターの被り物を纏い、楽しそうに語らう姿を見ていると、教え子たちと過ごした見学旅行のことや自らの見学旅行のことを想い出しました。みんな同じなんだなぁ・・・そう思いました。

 時間が流れ、生徒たちがやがて子を持つ親になり、五十代六十代と歳を重ねる中で、3泊4日の見学旅行はどんどん点のような記憶になっていくわけですが、それでも何かの拍子にこの日のことを想い出すとき、凝縮された数々の出来事が一気に膨らんでくる - 私自身の経験から、そのような日がいつかくる、そう思っています。

 仲良くしている友達とのお買い物、深夜のおしゃべり、歴史的な建造物をバックに並んで撮った写真・・・一人ひとりの心にしっかり焼き付いているはずです。いつまでも大切にしまっておいてください。

 見学旅行の引率のため、しばらく小部屋の更新を控えておりました。久しぶりにホームページを開きましたら、21万5千を超えるアクセス数となっておりました。

 いつも御訪問ありがとうございます。

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見学旅行に出発します。

 明日から2年次生は3泊4日の見学旅行です。私も引率しますので、今晩はスーツケースに衣類等を詰め込む準備をします。今週から北海道は一気に秋が深まるようで、今朝はそのとおりに空気が冷え込んでいました。薄手のコートが欲しいな、と思わせるような感じでした。旅行先となる関西は日中は25℃を超えるようで、夏物のスーツがちょうど良さそうです。

 飛行機の搭乗は年末年始以来ですので10ヵ月ぶりです。北見に単身赴任していたとき、女満別-丘珠間の飛行機を何度も利用しました。自動車ですと高速道路を利用しても5時間ほど要しますし、特に冬場は交通事故のリスクを避けるため、片道35分の飛行機に搭乗していました。早割ですと片道8000円なので懐にもやさしかったです。
 
 丘珠空港から自宅までは自動車で10分もかかりませんので、妻に迎えに来てもらうとドアtoドアで1時間の移動でした。積極的に飛行機に乗りたいか、というとそうではありませんが、この時ほど飛行機のありがたみを感じたことはありませんでした。早い。離陸してシートベルトの着用サインが消えて機内サービスのアップルジュース(いつもこれをいただきました)を飲み終えると着陸態勢に入ります。19時15分に離陸、20時15分には自宅の玄関です。

 丘珠から女満別に向かう飛行機は風向きによって離陸する向きが変わり、西寄りの風だと飛行機はぐるっと旋回して我が家の上空を飛行します。今度はいつ帰れるだろうか・・・私は小さな窓からこの辺だろうと思われる自宅周辺を眺めては寂しい気持ちになっていたのを覚えています。

 北見での毎晩のランニングにおいて、19時20分頃に女満別を飛び立った飛行機がパッ、パッ、とライトを点滅させて私の頭上を大雪山旭岳方向に飛行していきました。あと30分後に丘珠、そしてこの飛行機に乗っていれば50分後に自宅なんだよな、と思って眺めていました。遠い300キロ先の自宅。今度この飛行機に乗る日のために明日も精一杯仕事をしなければならないな、と自らを励ましていました。

 飛行機の話から私の単身赴任にまつわる話になってしまいました。丘珠空港を飛び立つ飛行機の写真です。

 生徒たちが満足できる見学旅行になることを心から願っています。

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