北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
北海道美唄尚栄高等学校 全日制 総合学科
生徒会役員選挙を行い、会長、副会長、書記、会計の5名が信任されました。しかし、残る3つの委員長への立候補がなくてどうしたものか、と困っていました。選挙が行われてから2週間、きっと信任された5名は気が気ではなかったと思います。
その間、生徒会を担当する先生、担任、年次の先生方、そして生徒会の役員が様々な声掛けをしてくれて、今日を迎えることができました。1年次生の3名が立候補してくれたのです。時間がとれなくて、朝一番放送による演説会になってしまいましたが、意気込みを感じる立派な演説でした。
一步を踏み出す - その勇気が立派です。そんな簡単なことではありません。よく決断しました。ありがとう。
子どもたちが騒ぎ走り回るかつての賑やかさは遠い昔の出来事になってしまいました。平日は妻が一人で、週末だけ私が帰る家になり、二人で読書をしていると、居間の壁時計の刻む音がカチッ、カチッと聞こえてきます。静かな静かな家になりました。
居間でサッカーボールのリフティングやスポンジボールで野球をしていたのは、ついこの前のことのような気がしますが、現在の自分の年齢や子どもの年齢から遡って考えないと、何年前のことだったかも定かでなくなるくらい時間が流れてしまいました。
子どもたちの部屋を大きくしたので私の部屋はずいぶんと狭くなりましたが、いつか子どもたちが家を出て行ったら、広い部屋にオーディオ機器のすべてを移動し思う存分レコードを聴いてやりましょう、と考えていました。それが私の密かな楽しみでもありました。
7年も8年も前に大学生活を送るため、子どもたちが順番に家を出て行き、いよいよそのときを迎えたのに、結局は移動させずに今日に至っています。面倒になったわけではなく、長く使ってきたこの部屋にいることが自分に合っているような気がしているからです。この空間でモノをつくったり、レコードを聴いて、本を読み、あれやこれや一人で思案したり・・・私にとっては15年の想い出が詰まった大切な部屋です。いざ、移動するとなると未練が残るわけです。
先日来、断捨離をしようと思い立って、ゴタゴタだった自室を整理しました。そのときに、本命としていた高校に合格とならなかった長男からもらった手紙が出てきました。以前にも書きましたが、私は全くダメな父親で、泣きじゃくる長男にあたたかな言葉を直接かけることができず、手紙を書いて渡しました。その返事となる長男の手紙です。
中学を卒業するまで携帯電話を買い与えていなかったこともあり、手紙という形で私と長男は気持ちを伝え合ったわけです。持たせていたら、携帯電話を介した文字のやりとりになっていたかもしれません。どちらが良かったのかはわかりませんが、結局、長男の高校受験の失敗が、その後の長男の人生を揺るがす事態になったかというと、決してそのようなことはなく、その瞬間だけは一大事であっても、長い目で見るとそれはただの通過点に過ぎない出来事でした。「人生の通過点でゴールではないんだよ」とあの手紙に書いたことを想い出しました。
断捨離ではありますが、長男の手紙はさすがに捨てられませんでした。
9月26日(土)午後に開催した1日体験入学を無事に終えることができました。休日であるにも関わらず参加してくださいました生徒並びに保護者等の皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。また、関係中学校におかれましては、御多忙のところポスターの掲示や生徒への文書配布、案内等をしていただきありがとうございました。
当日お手伝いや準備してくれた生徒の皆さん、部活動見学で対応してくれた皆さん、部活動や系列紹介の動画編集をしてくれた皆さん、ありがとう。あなたたちの姿が一番の情報発信です。生徒の代表として立派な姿を見せてくれました。また、プレゼン資料の制作を含め、過去のデータの使い回しではなく、すべて新しい形に作り替えてくれたことが何より嬉しかったです。お客様を迎え入れるときの気遣いを垣間見ることができ、皆さんの成長を感じました。
本校の教職員にもお礼を述べさせていただきます。今年度、年1回の体験入学を改め、計4回実施していただきました。私が言葉でお願いすることは簡単ですが、今まで取り組んだことのない新たな企画を総務部を中心にスケジュール調整や案内文書の作成、体験プログラムの準備など、裏事情は大変だったと推察します。御苦労をかけました。本当にありがとうございました。
ひとつのイベントが終わり、私たち教職員は、生徒に求めるのと同じように振り返りが必要です。実施してみて浮き彫りになった課題や反省、成果を丁寧に検証し、負の財産を次年度に持ち越さないようにしましょう。生徒も教職員もみんなが一生懸命に取り組んだわけですから、磨けばもっともっといいものになっていくはずです。
さて、5回目は12月に実施予定の『尚栄高校フェア冬』となります。その間、体験入学を計画していないことから、今後は個別に対応させていただきます。都合がつかず参加できなかった方、本校を進学の選択肢として考えている方、とりあえず本校を知りたい方等につきましては、遠慮なく本校にお問い合わせください。御連絡をお待ちしています。
今後とも、美唄尚栄高校をよろしくお願いいたします。
メカトロ・エンジニア系列の生徒が使用する工業系の実習室には、まちの工場で目にするような大型のマシン(工作機械)があり、鉄材等の加工に応じたマシンを利用して実習を行っています。
いつからなのかは定かではありませんが、長く稼働していなかったマシンを電子機械を専門とする先生が苦労を重ねて動作させるまでに漕ぎ着けました。マシンを動作させるためにはプログラミングをつくり、そのプログラムをマシンのコンピュータに転送しなければならないのですが、転送するための機器を探すところからのスタートでした。
古いマシンであることから、プログラムを格納するメモリの容量がわずかで、せっかくのプログラムも一気に転送することが困難で、ブロックごとに分けて転送しなければならないなど、相当な手間がかかる中で、放課後に粘り強く作業を積み重ねてくれました。その姿を私は何度か見てきました。同じ工業を専門とする者として、どれだけ大変だったかを私は理解できます。お疲れ様でした。
「まずは校長と教頭の分として作ってみました。校章と学校名を切削したプレートが何とか完成しました。メモリが小さいのでプログラムを小分けにするのと、切削ドリルの刃をその都度交換しなければならないので、ものすごく手間がかかって大変でした」動いていなかったモノを動かしたこと、新しいモノがあれば苦労しなくて済むのに、何が何でも動かし今後の実習で生徒に使わせるんだという熱意を感じさせるプレートです。校長室に足を運んでくれた先生の顔は、まさに職人、そのものでした。
AI時代です。合理的で効率的であることに着目される世の中です。ただ、AIで対応できないことがあります。人の手でなければ対応できないことは、この先も変わらずあり続けます。そのことを改めて考えさせられる出来事でした。
動かないのならそのままにしておけばいい。壊れているのなら仕方ない。手間がかかるから使わなければいい。故障しているからできない。そうしたことが当たり前になっていくと、将来的にサービスが行き届かなくなりどんどん衰退していきます。その行き着く先は、私たちの生活への支障、です。
何とか直す、必ず動かしてみせる - 熱意を持つことが大切なんだろう、と思う日々です。
御縁は大切にしなければなりません。たった一度、わずか数分しか会話のやりとりをしていないけれど、その出逢いが次なる展開へ。私は形式的な挨拶で別れるのではなく、ほんの少しの世間話を心掛けています。そうすることで自分の中にお相手の印象が残るからです。目の前を風のように去って行く人がほとんどなのに、どこか心に留まる人がいる・・・ここに御縁があるのかもしれません。
縁は必然ではなく偶然です。出逢いがなければ縁は生まれません。私はその偶然に助けられる人生を送ってきました(現在進行形です)。崖っぷちに立ったとき、考えてもなかなかそこに辿り着かないようなときに、ふと手を差し伸べてくれる方がいる。授かった御縁により解決できたことがいくつもあります。見えない糸と言いますが、私は経験的にその糸は存在すると思っています。
実はそのことをまたひとつ思わせてくれる出来事がありました。6月中旬に一般社団法人美唄青年会議所が主催した「つながる協働交流会」が開催されました。そこで私は八木原先生を紹介していただき、名刺交換と挨拶、そして短い世間話を交わしました。八木原先生は、ソープ(石鹸)にカービング(彫刻)をされる方であり、市内を中心に教室を開いて活動されています。
令和9年度の入学生から地域をフィールドにした学びをより充実させるため、『美唄学』を2年次、3年次の教育課程に新設します。地域で活躍されている方と本校の教育活動を今まで以上に強固なものにしていくことが私の仕事であり、毎日そのことを考えています。
実現するためには、まず出逢いが必要です。そうした中で、八木原先生と出逢うことができました(御縁がありました)。八木原先生の御厚意もあり、生徒向けにソープカービング授業を実施していただけることになりました。本日の授業に向けて調整してくれた家庭科の先生2名にも感謝です。ありがとうございます。
長く住んでいるのに意外とまちのことを知らない。美唄市でこのような活動をされている方がいるんだなぁ - それを生徒が知ることに大きな意味があります。型にはまった生き方ではなく、様々な生き方があるというこを私たち大人、学校は子どもたちに見せていかなければなりません。
自分の好きとするもの、自分が得意とするものを地域に還元する - それは決して夢物語ではなく実現可能であることを体験的に知って欲しい、と私は考えています。それが地域の課題を解決する手掛かりになり、あとは生徒個々のアイデアや独創性で自らのスタイルにしていけばいい。
好き、得意と仕事は別物(昭和世代の私はまだこの考えが抜け切らないところもありますが)ではない、ということをこれからを生きていく若者には肌で感じ取ってもらいたい。もう時代は昭和ではなく、平成もひと昔前、令和真っ只中です。速いスピードで世の中は変わり、可能性も無尽蔵に広がっています。本校は、教育活動の中でそうした世界の一端をお見せできる学校だと思っています。
八木原先生、ありがとうございました。
※体験を希望される方は、八木原先生に直接お問い合わせください。
令和3年度から4年度の2年間、小樽の学校に勤務(教頭として2校目)しました。自宅から職場までの片道50キロの自動車通勤は冬場は大変でしたが、オンとオフを切り替えるのにはちょうど良い時間になったのを覚えています。張碓峠の頂上付近から行きは右手帰りは左手にぐーんと海が広がり、私はその海に毎朝毎夕「今日も始まるぞ」「今日も終わったぞ」と呟いていました。
小樽の2年間はコロナ禍真っ只中で、何をするにも真っ先に通知に基づいたコロナ対応を考え、マスク着用に手洗い、罹患した生徒や濃厚接触者の確認と教育局及び保健所への連絡、分散登校にオンライン授業、対面開催から紙面開催への調整・・・などなど、そのときは大変でしたが、今振り返ると一つひとつの対応が自らの経験値となり、管理職としての危機管理について身をもって知ることができたように思います。
そのような時期でしたから、せっかくの観光地小樽に勤務していても、うかうか出掛けることができず、仕事の想い出だけを残して離れることになりました。あれから5年半です。本当に時の流れるのは速い。管理職になって感じたことですが、教諭のときの2倍3倍速で時間が経過していきます。どうしてなんだろう。ただ、その時間に見る世界は、極めて濃厚です。これはその立場になった時に初めて理解できることだと思いますし、そこがやりがい、なのかもしれません。
さて、小樽のあとに北見、そして美唄で勤務することになりました。転勤を嫌う風潮があるようですが、私は多くのまちを見て回るべきだと考えています。今住むところだけがすべての世界ではありません。一步踏み出したそのまちの空気を吸って、そのまちにしかない魅力を肌で感じ、そこで出逢う人と縁を結ぶ。これは異動しなければわからないことです。住めば都 - まさにこのことばのとおりです。
自分が勤めたまちはいつでも気になります。恋しくなります。先日、妻と小樽に車を走らせました。勤務した学校を見たあと、当時足を運ぶことができなかった運河沿いをゆっくり歩きました。お仕えした校長先生や私を大切にしてくれた全日制、定時制の教職員の顔、楽しく過ごした2年間の想い出が次々溢れてきました。そのすべてが私の宝物になっています。
まちの本屋さんが好きで出逢った本屋さんには迷わず入っています。本に囲まれた空間にいるだけで幸せな気持ちになります。欲しいな、読みたいなと思う本はたくさんありますが、購入して自宅に増えていく本の取扱を考えると元の棚に戻してしまうことが多くなりました。腕時計やJAZZレコードは別として、もうこれ以上多くのモノをコレクションしていくことはやめました。むしろ、モノを減らしていく人生、そういう年齢に差しかかった自分をやけに考えるようになっています。
これは一度読んだらもうこの先読まないだろう、と思う本は買わず、この先の人生で繰り返し読むな、と感じた本は購入します。そうした中、つい最近手にした本は、松浦弥太郎著「しあわせをはかるものさし ぬくもりのことば」です。タイトル通りのことばたちが納められていて、固まった気持ちやガチガチの肩をほぐしてくれるような一冊です。「そうやって生きていけばいいのか」「そんな考え方で生きていけばいいんだな」と思わせてくれます。
『なんでもやってみる。』このことばがありました(要約)。「成功の反対は失敗ではなく、何もしなかったこと。成功や失敗はなく、何をするか、しないかにある。何かに取り組み、成果が出なかった。目標を達成できなかった。失敗に思えるかもしれないけれど、行動したことによって学びがある。何もしないことがいちばんよくない。いちばん大切なのは、何でもやってみる勇気。」実はこのことばを私は昔から実践しています。あぁ、自分は間違っていなかったんだな、と背中を押されました。
これは着任してからずっと教職員にお伝えしてきたことばでもあります。「無理、できない、今までやっていないではなく、新たなことに取り組みたいと思ったら先送りせず躊躇わずにやってみましょう。その案が日の目を浴びずに消えてしまうのがもったいない。やってダメなら思い切ってやめてもいいし、改善して再チャレンジしてもいい。成果が出たらさらに良いものにするために知恵を絞りましょう。」
何でもやってみるときに私が私自身を励ますことばがあります。著者のことばと並べるのは恥ずかしいのですが・・・
”それをやってみて失敗したからといって地球はひっくり返らない”
つまり、それほど重大な局面は迎えない、ということです。だから、やってみます。
シルバーウィーク5連休です。良き休日をお過ごしください。
朝の打合せが終わって生徒玄関ホールで生徒を出迎え、午前9時にnote、インスタグラムへ記事を投稿します。その後、ブログの記事を書いて投稿。この席に座って1年半、私の朝のルーティーンとなっています。習慣とは恐ろしいもので、今や何も考えずとも(気づいたらそうしている)その行動になっています。
ずっと昔、10年ほど続けたでしょうか、三十代の終わりくらいまでインターネット上に日記と大好きなJAZZを語る自らのホームページを持っていました。何気ない日常の記録、一枚のレコードやCDに対する想い・・・誰が読んでくれているかはわからないけれどずっと投稿していました。無料で持てるホームページでしたが、プロバイダ側の都合により無料提供が終了となり、移行するのが面倒でホームページは閉鎖しました。
そうした経験もあり、学校の情報発信にかかる投稿は負担ではなく、むしろ楽しんでいます。読者の顔は見ることはできませんが、カウント数が増加していることを励みに今後もコツコツ取り組んでまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
本日は、2年次生全員が社会体験実習で地域の方々にお世話になります。先ほど2台のバスに乗車し、体験させていただく場所に出発していきました。インターンシップ、キャリア教育と言われますが、地域の御支援と御協力があって成り立つ教育活動です。美唄市の予算に計上されているとは言え、こうしてバスがあてがわれ現地まで送ってくれることに感謝するとともに、私たちはその成果を地域に還元する責任があります。1年間の教育活動の一行事ではない、ということです。
私もまだまだ未熟な人間で完全にそのようにはなりきれていないので偉そうには語れないのだけれど、当たり前と思うのではなく、ありがとうと感謝する気持ちを持つと仕事でも家庭でも遊びでも目の前に広がる世界や価値観が変わってくるように感じています。学校の情報を見てくれてありがとう、教育活動に協力していただいてありがとう、マラソン大会のエイドのボランティアありがとう・・・「どうして私が?」「なぜ自分だけ?」そのような気持ちは自然と消えてゆくような気がします。まとまりのない話になりました。
さて、青年会議所のイベントに参加したとき、「美唄の夕陽がきれいなので地域おこしに活用できないか」と提案したグループがありました。せっかくのアイデア。市民に思い思いの夕焼け空を撮影してもらい(人は何につけても順位をつけたくなるけれど、決して順位を決める写真コンテストにするのではなく)、夕焼け空に対するその人のエピソードや想いをまとめてみたらどうだろう。インターネットで1写真1話ずつ配信したり、冊子を制作してみたり。胸打つ話に多くの市民が共感し、夕焼け空をゆっくり眺め、人生を豊かにできる人がさらに増えるのではなかろうか・・・
夕方にランニングを楽しんでいる私はほぼ毎日美しい夕暮れを楽しんでいます。そして、今日一日にありがとうと感謝しています。私だけの夕焼け空ではなく、みんなに等しく与えられた夕焼け空です。見逃さないように意識して、その時間が巡ってきたら目をちょっと上に向けませんか。大きく広がっていますよ。
本日、就職試験が解禁されます。本校の生徒も「いざ出陣」です。
本校の場合は、大きく進学か就職を選択することになります。その割合は半々です。1年次生の『産業社会と人間』、2、3年次生の『総合的な探究の時間』を主軸に、ゆっくり時間をかけながら自らの将来を考察するキャリア教育を行っています。その上で進学を目指す生徒はオープンキャンパスに、就職を目指す生徒は応募前職場見学等に参加することで、所謂ミスマッチが起きないようにしています。
高校3年生18歳でひとつの節目を迎え、多くはその先の人生について考えなければなりません。これは本校に限ったことではなく、どこの高校に所属していても同じように巡ってきます。自分の人生に答えがないから考えなければならないのだと思います。当然、不安や迷いは生じますが、自分の人生は自分で舵取りするもの。だから、おもしろい、のです。誰かが敷いたレールに乗る人生ほどつまらないものはない - 私はそう考えます。
ほぼすべての生徒がこう言います。「自分は何をしたいのかがわかっていなかったから、尚栄の幅広い学びの中で自分探しをしたいと考えて進学した」中学校の卒業段階でその先に訪れる自らの将来像をそう簡単には描けるはずはない。私も描けなかった。あなただけが描けないのではなくみんな描けないのです。だから、ひとつのことだけではなく、広い世界を見るべきだと考えます。その広い、おもしろい世界を本校の学びの中で経験することにより、イメージを膨らませることができます。
近い将来、特化的な思考よりも、広範にわたる視野や経験を持つ人が新たな価値を生み出していく、そんな時代がやってきます。いや、もうすでに到来しています。学歴や学力のこだわりは身を潜め、発想とアイデアで物事を動かしていく、そのような世界が広がり、誰にでもチャンスが訪れる社会になります。総合学科の高校がまさにその流れに沿うスタイルの学校と考えます。そうなっていかなければなりません。
本校で過ごした時間で、生徒たちは今の自分にはこれがベスト、と判断できるレールを自分で敷いています。自分で決めた選択に自信と誇りを持って進んでいます。確実に成長を遂げています。立派です。
追伸 写真は先日の校内運動会のものです。3年次生全員のエネルギーに私は勇気づけられました。私は歳をとっていきますが、いつまでも気持ちが若くいられるのは三十数年16歳17歳18歳のエネルギーをいただいているからなのかもしれません。これが教員の魅力なんだろう、と思います。
自分が勤める学校を褒めるというのはどうも照れくさいです。でも、褒めます。本校は行事等を行うと必ず生徒に振り返りをさせています。させたらさせっぱなしにはしないということです。物事を客観的に捉え、自らの活動についてじっくり考えさせる。短い時間であっても大事にしなければならない取組です。
校内運動会の振り返りをまとめたシートを読みました。『今回の校内運動会で学んだことは』の中にありましたよ、これが。「全力を出し切るのって大事なんだと思った」「全力でやることは大切」「全力を出すこと」「全力で挑む楽しさを学んだ」「全校生徒が全力で挑み自分自身の力をきちんと出している姿をみてこれからも頑張ろうということを学びました」嬉しかったなぁ、本当に。これを感じさせる授業が実践できていたということでしょう。担当の先生方、ありがとう。
昨日のブログと重なりますが、全力を出し切らなければならない場面にふさわしい年齢があって、そこで間違いなく全力を出し切る - 当然ながら本人の意識に委ねられるところはあります。しかし、どうでしょうか。私は大人側の熱意に寄るところも大きいと考えます。そうさせるための仕掛けがあったかどうか。ここは先生方も振り返ってください。
言い訳になりますが、100m走に生徒と一緒に出場したかったです(願望に終わりました。来年は出場させてください)。生徒に大人の全力を見せてあげたかった・・・先月末の北海道マラソン後に右膝を痛めてしまい、全力で走ることができない状態になりました。少しずつ良くはなっているもののLSD(キロ7分程度)がやっとです。無理をしたらしばらくランニングできないだろう、と判断してやめました。
さて、私のことはさておき嬉しい出来事がありました。私と同年齢の先生が100mを生徒と走ったのです。勝ち負けではなく、力のすべてをかけて走った・・・大人の全力を生徒たちに見せることの意味は大きい。言葉ではなく姿で伝えるメッセージ。生徒に強烈なメッセージを投じたな - 私はそのように考えています。一緒にスタートを切った生徒は先に先に、それを追いかける大人の走り。感動的なシーンでした。ありがとうございました。
話を変えます。本校のホームページのアクセス数が60万件を超え、昨日、教職員によるお礼のメッセージが投稿されたところです。本校の一日一日を楽しみに訪問してくれている方がいるのだ、と私たちは受け止めています。せっかくの訪問に応えられるような取組を続けなければなりません。
「写真一枚と1行のメッセージ」これが私の口癖です。難しいことを書こうとしなければ、気軽な日記として書けます。着任来、手のかかる点検や決裁は省き、とにかくタイムリーに情報発信することを教職員にお願いしています。
今後とも末永くお付き合いくだされば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
校内運動会におけるPTA活動について、「何か協力をしたい」と前PTA会長からお話をいただいていたところでした。この思いは現PTA会長に引き継がれ、このたび冷たい飲み物を生徒に渡していただくという形で実現しました。受け取った生徒からは「ありがとうございます」という感謝の言葉とよく冷えた飲み物に感激の声が上がっていました。忙しい中でのお手伝い大変ありがとうございました。
昨年度に引き続き保護者等の観覧スペースを設けました(写真中央の校舎とプールのあたりになります)。多くの方にお越しいただきました。お子様並びに本校の生徒の様子をお見せすることができ嬉しく思っています。また、見てもらえる、そのことによる生徒のモチベーションも向上したように感じます。
走る跳ぶ投げるが苦手な生徒もとにかく全力で活動している、クラスの仲間を応援し競技終了後の成績発表では年次を問わず拍手で讃え合う。その姿は言葉では言い表せない感動的な光景でもありました。
閉会式の講評(原稿なしの感じたままの話です)でも話したことですが、人は簡単に『全力を出し切れ』と言う。ただ、果たして人生で何回全力を出し切る場面があるだろうか。ここにいる生徒の皆さんは、体育の授業や運動系の行事で全力を出す場面はあるけれど、年を重ねるにつればったりとそうしたことが遠ざかってしまう。全力を出し切れと言う大人が全力を出し切ることはそう多くない。だから、小学生中学生高校生の活気盛んなこの時に全力を出し切ることは本当に大切なこと。その姿を見せてくれた生徒の皆さんに感動している・・・
自分の全力を人に見られたくない、喜びを分かち合うことが格好悪い、真剣に向き合うことを避ける、などなど私の人生の中にある年齢期における恥ずかしい空白の時間があります。生徒一人ひとりの全力をまじまじと見せつけられることで、それを避けた自分を想い出しては情けなくなってしまいます。もう、戻ることはできません。後悔しかありません。その年齢でしか味わうことのできなかい大切なものはもう二度と拾うことはできません。私の失敗談です。
さて、今回のお手伝いもそうですが、保護者等の方々は学校の活動に関わりたいと思ってくれています。学校としてお願いできることは遠慮せずに、逆にお願いされたことについては実現に向けて真摯に考えなければなりません。PTA会長から「今回の企画をこの先も続けていきましょうね」との言葉をいただきました。今後ともよろしくお願いいたします。
「0(ゼロ)から1(イチ)を生み出す力」昨年度、美唄市長桜井恒様からいただいた言葉です。
昨日9月10日(木)総合的な探究の時間に取り組む3年次生の「探究学習中間発表会」を実施しました。3年次生はもちろんのこと、担当している先生方、そして当日の準備、運営に携わってくれた教職員に感謝します。また、御多忙にもかかわらず御参観くださいました方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。
本校の探究学習については、3年前から地域をフィールドにした取組を進めています。まちづくりに貢献するために自分たちは何ができるかを地域の方々のお力をいただきながら取り組んでいるところです。
約8ヶ月で課題を整理し課題解決に向けた提案に結び付けていくので、ゆっくりのんびりしている時間はありません。週1回の限られた枠組みの中で取り組まなければならないという難しさがありますが、それでもよくここまでの形にできたな、と感心しているところです。
私から気がついたこと。①ポスターセッション形式ですから、1枚の模造紙にかけるエネルギーについて今一度考え直して欲しい(見てもらう、伝えるための気遣いを意識していたでしょうか。いつも話していますが文字の上手下手ではありません)②集まってきた人に聞いてもらえる声量になっていたかを検証して欲しい(事前に会場となる体育館で確認したでしょうか)③原稿を見ないでトークして欲しい(相手の顔を見てメッセージを伝えていたでしょうか)④いただいた意見を精査して欲しい(高校生にしか気づけないことと大人だから気づくことを掛け合わせていくことを意識したでしょうか)①から④までをやっつけ仕事ではなく、丁寧に時間をかけて取り組むことによってさらに素晴らしい発表になると思います。
昔は与えられたことをただこなしていけば良かったわけですが、現在そしてこれからは何もないところ(0 ゼロ)から出発して、形を作り上げる(1 イチ)時代です。困難さはありますが、それ故の楽しさもあります。多くの大人(私も)が経験したことのない学びを経験している生徒がうらやましいです。
積み重なった数字がまもなく60万訪問者数を迎えます。今後も本校の教育活動の情報発信に努めてまいります。何卒よろしくお願いいたします。
4階にある図書館のここに座って数分間本を読んでいます。1話を5分程度で読むことができる短編集。気持ちの切替にはもってこいです。誰もいない静かな図書館は本の香りに包まれています。安らげる場所として私は大切にしています。
今までいくつもの学校に勤務してきましたが、どこの学校も校舎の端の方に図書館が配置されていて、どうしてなんだろうなと疑問に感じてきました。上に上に端に端にとなってしまう図書館が生徒から遠い存在になっているのは学校の大きな課題だと思っています。本来はもっと近くにあるべき場所が遠くになっているのは残念です。
図書局の生徒が放課後に活動していますが、訪れる生徒が少ないとのこと。本離れが進んでいる中、集客の工夫に頭を悩ませています。まずはすぐ手の届くところに本があるというのが理想。そうした環境を何とか作れないものか・・・考えるところです。
インターネットで配信されているランニング番組を聴いて走っていると、最近は聴く読書を楽しんでいる方が多いらしいです。簡単に言えば、活字を目で追うのではなく、読んでくれているものを聴くということです。それはそれで楽しそうとは思うものの、私はやはり本を広げ読むのが一番だと思っています。
9月8日(火)本校において、北海道高等学校文化連盟空知支部第18回ボランティア研究大会を開催(参加校は岩見沢農業高校、岩見沢東高校、岩見沢緑陵高校、本校の4校)しました。ボランティアという共通の志を持った高校生がこうして集まると、これからの世の中もまだまだ大丈夫だぞ、と妙に心強く思ったりします。ボランティア精神は若い世代に確実に引き継がれている・・・何だか嬉しくなりました。
本校が当番校ということもあり顧問の先生を始め生徒たちは準備等で苦労したと思います。用意された大会に参加することが多い中、こうして準備と運営に携われたことは貴重な経験です。人を迎えるに当たって何をしなければならないか。大会の成功は小さな気遣いができるかにかかっています。
さて、私は開会の挨拶の中で次のことを話しました。「せっかくの機会ですから、自校の枠から飛び出して、他校の生徒とのコミュニケーションを積極的に図り、交流を深めて欲しいと思っています。自校のボランティア活動がさらに良きものとなるよう、また他校と連携できる取組がないかなどを考察しながら本日の時間を過ごしていただけると、ここに集まった意味があるのかな、と考えます」
初めて会った人とコミュニケーションを図ることはとっても難しいです。いつからこのような形態がとられるようになったのかは定かではありませんが、ひとつのテーブルに見知らぬ人が一緒になってグループワークをすることが当たり前になっています。教頭会も校長会に参加してもグループが作られ、そこで協議・発表となります。
誰が最初に口火を切るか・・・大人でも腹の探り合いみたいな雰囲気になります。私はその一瞬の沈黙が苦手なので誰から言われるともなく、真っ先に所属先と氏名を言って挨拶をするようにしています。そうすると「じゃ、次私が」という流れになっていきます。誰かが口火を切ったらそのあとは自然に流れていくわけです。最初が肝心です。
どうなるんだろう、と心配半分生徒たちの様子を見ていましたら、スマホ世代、ゲーム世代と言われながらも、ぐるっと一周自己紹介を終えたあとしっかりコミュニケーション活動がなされていて安心しました。後半の体験活動は来客対応のため見ることはできませんでしたが、閉会式では満足した表情が伺えましたから、有意義な時間になったのだろうと思っています。
最後に本校の部長の言葉です。「誰かを思うことからボランティア、防災を始める」誰かを思うことから・・・重くて深くてずしっとくる言葉でした。
昨日から3日間、生徒は4校時授業(午前授業)です。午後からは成績処理や教職員の勉強会(研修会)となっています。昨日は日本医療大学ヒューマンデザイン学部共生社会デザイン学科橋本達志様をお迎えし、14時から特別支援教育に関する研修会を実施しました。
本校では、定例の職員会議を行う日を5分短縮とし、確保した30分でミニ研修を行っているところですが、2時間、3時間を確保するとなると容易ではありません。貴重な時間を有効に活用するため、研修担当の先生方が頭を悩ませながら計画してくれたことに感謝しています。
個人で勉強するのは当たり前ですが、全員が同じテーマで勉強することも大切です。いずれにしても学んだ成果を次のステップにつなげて欲しいと考えます。『課題を消費』することから『価値を創造』することが重要です。本校で今日からできることは何かを考えてスモールステップで実践していけば、学校としての力は必ずアップします。
橋本様、御多忙にもかかわらず本校の研修会のために時間を割いていただきありがとうございました。
9月4日(金)昨年に引き続き美唄市立美唄中学校の学校祭に招待され、合唱コンクールの審査をさせていただきました。合唱の響きはいつ聞いても胸を打つものがあります。遠く懐かしい記憶を蘇らせてくれたり、心の琴線を震わせてくれたり。どうしてか涙が出てしまいます。どうしてなんだろう。
あのとき、みんなと一緒に真剣に歌えば良かった・・・
私はデタラメな中学生でしたから、クラスみんなで合唱など恥ずかしいことと思って、ふざけておかしな声を出したり歌わなかったり。真剣に歌う人たちに多大な迷惑をかけた記憶しかありません。ステージ前に整列しなかった記憶もあります。そのときはこれでいいんだ、と思ってやっていたことが、高校を卒業して大学、社会人となっていく過程で、みんなに申し訳ないことをしてしまったな、と反省や後悔する場面が多くなりました。それは今でも消えることはありません。これに限らず様々な迷惑をかけましたから、中学卒業後のクラス会等には一切顔を出していません。せめてものけじめです。合唱を聞くといつも中学時代の情けない自分を想い出します。恥ずかしいです。
各学年2クラスの合唱からは、繰り返し繰り返し練習してきたんだろうな、と思わせる発声、ハーモニー、表現がありました。私のような生徒はどこにも見当たりませんでした(いるはずがありません)。みんな真剣でした。コンクールに向けての活動時間は、様々な感情に振り回された時間でもあったはず。一度は離れかけた気持ちも今日この時間にきっと心をひとつにすることができたんだろうな、と思います。
合唱がすべての生徒を成長させた(合唱から逃げた私は成長できなかった) - 私はその成長した姿を見ることができて感激です。ありがとうございました。
ステージに飾られた樺戸連山。中学校の校庭から見えるありのままの景色。素敵ですよね。
本日の校内運動会はグラウンドのコンディションが悪く1週間後に延期。グラウンドは御覧のとおりです。
昨日は雨こそなかったものの夕刻から遠いところで雷が鳴り出して、ゆっくりこちら側に近づいてくる感じでした。17時50分あたりから激しい雨が降り出すとともに、雷もひどくなりました。一気にバケツをひっくり返したような雨。人生で初めて経験した雨でした。
校舎内にわりと多く生徒が残っていましたので、雷と雨がおさまるまで外には出ないこと、駐輪場で雨宿りはせず校舎に入ることを放送により指示しました。私がそうする前に退勤前の先生方が手分けをして生徒の対応をしてくれており大変助かりました。また、すべての生徒が状況を理解し対応してくれたのも良かったです。
保護者等の方にお迎えに来てもらって、全ての生徒を引き渡し終わったのは19時10分。その頃には奈井江方面の空が雷で時折光っている状況でしたが、雨は何事もなかったかのようにすっかりやんでいました。職員玄関を出たすぐのところにマンホールがあるのですが、その蓋がガチャンガチャンと金属音を立て今にも吹き飛んできそうになっているのは恐怖でした。
昨日も地球温暖化による気候変動の話を書いたところですが、まさにその日にこのような状況になり、いろいろ思うところがありました。みんな異常だとわかっている。その原因もわかっている。世界の国々もわかっている。でも、個人レベルで何をすべきなのかの肝心なメッセージがない。災害から身を守るメッセージと同時に環境を元に戻していくためのメッセージを発信すべきです。日本だけで1億人。この1億人一人ひとりが共通して小さなことを続けていけば、小さくとも何かが変わっていく - 私はそう考えるのですが・・・
職員玄関を入ると真っ先に目にするお花。朝の打ち合わせのために2階の職員室に行きますが、その入り口に飾られたお花。そして、生徒をお迎えする生徒玄関ホールに置かれたお花。毎朝校内3箇所で見ることができます。今回は鮮やかなオレンジ色の花が目を引きます。見事なオレンジ。この色を見たら朝一番みんな元気になるのではないでしょうか。
自分にもできるかも。そう思っても簡単に生けられるモノではありません。主役をどうするか、脇役の配置、全体のバランス、そして自らの想いも入ってくる。簡単にできそうなことも実際やってみたら・・・そうした経験は誰しもお持ちですよね。やってみて初めてその難しさがわかる。
上手に生けてるな、といつも思います。講師の先生の御指導のお陰ですが、生徒たちの腕も確実に上がっています。先日の書道の作品もそうですが、高校生がこうしたセンスやテクニックを持つことってすごいと思いますし、うらやましいです。
暦は進んでいきます。九月に入りました。今年は夏と秋の線引きがしっかりできる季節の切り替わりになっているように感じます。だらだらといつまでも暑さが継続し、極端に短い秋が過去何年にも渡って訪れていました。久しぶりに秋を感じることができています。
さて、本日(9月3日)の北海道新聞朝刊に深刻な記事(一部抜粋)がありました。
『気温 数年で危機的水準』国連環境計画は、地球温暖化による気温上昇で、災害や健康障害などのリスクが危機的な水準に高まる報告書を提出。化石燃料からの脱却や再生可能エネルギーの拡大が必要と訴えた。
日本のことで言えば、地球温暖化が原因と思われる災害が全国のあちらこちらで発生し、報道はその悲惨さだけしか伝えてきません。私はいつも戸惑いと疑問を感じています。その次のメッセージがないのです。直近で言えば線状降水帯による千葉県、富山県、石川県、青森県の被害。「こうした災害を防ぐために、私たちは地球環境に対して今日から何を始めなければならないのか」災害への対処は語られるけれど、災害を防ぐ話はありません。私は後者のメッセージが欲しいです。
一人ひとりが小さなことに行動を起こしていけば、やがてそれは大きな課題の解決につながっていくはず - そのように考えます。
昨日、9月1日は災害について考える一日として教育活動を実施しました。長い期間をかけて準備をしてくれた教職員に感謝いたします。生徒の皆さんは自分事として考えることができたでしょうか。
日本各地、世界中で災害が発生しています。身近なことで言いますと、線状降水帯の発生により、千葉県、富山県、石川県に甚大な被害が出ています。また、一月前には熊本県で大きな地震が発生しました。他人事ではありません。いつ身の回りで災害が発生するかわからない状況になっています。
今回の一日防災学校の取組について生徒向けの振り返りシートが配信されています。未回答の人は本日中に記入をお願いします。
北海道マラソン2026 - グロスタイム(号砲からの計測タイムが公式記録)3時間35分00秒。スタートラインに到達するまで2分。それを差し引いたとしても結果的に目標としていた3時間29分59秒には届きませんでした。時間にして3分、180秒。このわずかな時間を10年かけても縮めることができません。
昨年は暑さにやられ3時間49分47秒。ゴール直後、両足が攣り歩けなくなり大通公園の芝生の上にひっくり返ったまましばらく立ち上がることができませんでした。夕刻、仲間と打ち上げをした会場で微熱と吐き気が襲ってきて具合が悪かったのを覚えています。おそらく軽い熱中だったと思います。過去10回のマラソンで最悪のゴールでした。
自己ベストは3時間32分17秒。背中が見えてきたサブ3.5を超えることができません。全マラソンランナーの数%しか達成できないと言われる記録。手が届きそう、でも届かない。ゴールの喜びよりも悔しさだけが残るレースです。ゴール前3分、距離にすると600m。本校の陸上トラック2周分の遅れ。悔しくて悔しくて、昨晩、激しい筋肉痛の足で4キロのジョグと2キロのウォーキングをしました。ここからまた1年をかけて練習です。
市民ランナーである私は順位には全く興味はありません(人と争うことは可能な限り避けています)。だから人に勝つ負けるのストレスは発生しません。格好をつけるわけではありませんが、自分との戦いです。今の私の人生を考えるとき、自分と唯一戦えるのはマラソンだけです。
いつも37キロを過ぎると、本格的な自分との戦いが始まります。重くなった足をいかに前に出すか、残り5キロのラストスパートをキロ5分以内に持っていけるか。このふたつの自問自答。今大会は37キロ以降キロ5分20秒となり、それ以上速度を上げることができませんでした。まだまだ、です。
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
1   | 2   | 3   | 4   | 5   | 6   | 7   |
8   | 9   | 10   | 11   | 12   | 13   | 14   |
15   | 16   | 17   | 18   | 19   | 20   | 21   |
22   | 23   | 24   | 25   | 26   | 27   | 28   |
29   | 30   | 1   | 2   | 3   | 4   | 5   |