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校長の小部屋

拍手

 開会式の挨拶を頼まれていましたので、あれこれ言うよりも先に生徒の拍手から体育祭をスタートさせたい、と思っていました。ステージの上に立つとすべての生徒の様子が見てとれます。生徒全員が拍手してくれました。本校の生徒の良いところです。ありがたいな、と思います。

 何故拍手か - 目立たない地味な仕事をして本日の体育祭に結び付けてくれた執行委員への感謝の気持ちを持って欲しかったからです。私がいちいち言わなくても気付いている生徒もいます。その一方で言われて気付く生徒もいます。割合的には後者の方が多いのではないでしょうか。

 誰かがお膳立てしてくれたものに乗るのが一番簡単で楽です。そのような環境下に置かれることの方が実に多いです。起こしてくれる、夕食を準備してくれる、お弁当を作ってくれる、学校まで送ってくれる、洗濯をしてくれる、雪かきをしてくれる、風呂を洗ってくれる。考えてみると〇〇してくれることが多くないですか。そして、そのことが当たり前になってしまい、『感謝』をずいぶん遠いところに置き忘れてしまっていませんか。

 お膳立てしてくれた人の苦労や努力を頭の片隅に置き、「ありがとう」の気持ちを持っていれば、文句やわがままは出てこないと思います。感謝の気持ちを持って行動することができます。逆に、自分がお膳立てする側の立場だったら何ができるだろう。両方の視点からものを見られる人になって欲しいと思います。

 立派なことを書きましたが、単身赴任で生活していると反省することだらけです。お弁当作ってくれて「ありがとう」を言ってなかったな。朝夕の御飯を用意してくれて「ありがとう」を言ってなかったな。洗濯してくれて「ありがとう」を言ってなかったな・・・〇〇してくれることが当たり前化していた自分に反省しきりです。自分で何でもやらなければならない状況になって改めて気付くわけです。そういう意味では不自由なことが多いですが、単身赴任も悪いものではありません。

 本日が体育祭最終日です(この話、昨日のお昼に書きました)。閉会式で私はもう一度全校生徒と拍手します。

 執行委員へのお礼と感謝の拍手。クラスメイトと楽しく活動し成長できたことに拍手。最後の大きな行事で仲間の大切さを教えてくれた3年次生への感謝を込めた拍手。そして、体育祭を全員で楽しく終えられたことに拍手。最後に、閉会式まで25分の待ち時間を静かに待てた全員に拍手!!

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クリスマスプレゼント

 「校長先生ぇ、クリスマスプレゼントでーす」生徒玄関ホールで朝のお迎えをしている私の横にひょっこり現れた2年次生の女子生徒から小さなカルトナージュを受け取りました。「デザイン系列の授業で作ったので、ペン立てとかで使ってくださいね」そう言うと3階の教室に向かって階段を上がっていきました。

(写真を一部加工しています)

 お菓子と手書きの小さな手紙が添えられていて、「ペンを入れたり、コーヒーや砂糖のスティックを入れたりもできますよ!」と書かれていました。ペンを入れるとインク等の汚れがついてしまうので、飴やスティックタイプのコーヒー、お茶を入れようかなと思っています。クリスマスプレゼントありがとうございました。大切に大切に使わせていただきます。

 一文字一文字丁寧に書いたお手紙をいただくのはとても嬉しいです。私くらいの世代の方ですと当たり前のように手紙のやりとりをしていたはずです。私は当時お付き合いをしていた女性とこまめに手紙やはがきのやりとりをしていました。今は指先をしゃしゃしゃーっと滑らせて、ボタンを押して相手にメッセージを届ける時代です。デジタル世代の高校生が、アナログチックな形で相手に気持ちを届ける・・・感慨深いものがあります。

 週末自宅に帰る車内のラジオからクリスマスソングが流れます。胸ポケットに小型ラジオを忍ばせて走る夜のランニングでも、DJがクリスマスにちなんだ話をしていて傍らにクリスマスソングがかかります。美唄には持ってきていませんが、自宅の部屋の棚にクリスマスソングだけで構成されたJAZZアルバムが何枚か入っていて、どういう訳かこの時期だけはターンテーブルに載せてそれらを聴きます。この時期が過ぎると、また1年後・・・ずっとこれを繰り返しているような感じがします(真夏にクリスマスソングは聴かないですよね)。時期的に聴きたくなるのかなぁ。

 大学時代のクリスマスは、友達と、たった一人で、恋人と、というようにいくつかの過ごし方をしました。バブル経済真っ盛りから崩壊までが私の学生時代と密接につながっていて、当時12月は日本中が浮き足立っており、ひとりぼっちで迎えるクリスマスには冷たい視線が注がれていたような雰囲気がありました。とにかく派手で賑やかに、高価なプレゼントを - これがバブル期のクリスマス。

 年内の大学の講義が終わり、新年を迎えるまでの残されたアルバイトの日数を数えながら、下宿の6畳間で寝っ転がりながら小説を読んでいる、いつもと何ら変わらない時間の中に、クリスマスを過ごした夜のことを想い出しています。下宿生のほとんどは帰省し、しーんと静まりかえった建物の中で、私は私なりのクリスマスの夜を静かに過ごしていました。懐かしいです。

 先週、自宅に帰るとクリスマスの飾り付けがされていました。子どもたちが小さかった頃は、狭い居間に不釣り合いな大きなクリスマスツリーを飾ったものですが、それもいつの間にか処分し、2つ3つの飾りを壁に止めるだけになってしまいました。それでも妻は妻なりにクリスマスの雰囲気を味わいたいのだろうなぁ。

 今年のクリスマスも猛吹雪にならない限り夜のランニングを楽しみ、夕食を作り、いつもと何ら変わらない時間を過ごします。単身赴任期間5年目になりますが、毎年同じことを繰り返していますが、これができれば他には何もいりません。

 皆様、素敵なクリスマスを! 

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体育祭

 本日、明日は体育祭です。この日のために長い時間をかけて執行委員が放課後遅くまで準備に勤しんでくれました。先輩たちが退任し、新体制になって初めての大仕事でいろいろと大変だった思います。まずは、ここまでの準備、ありがとうございました。そして全校生徒の皆さん、運営してくれる執行委員に感謝して楽しんでください。

 どこの学校でもスポーツに親しむ行事を設置していますが、美唄尚栄高校の特長だな、と思うことにポスターが掲示されるというものがあります。執行委員が作成するのではなく、それ以外の生徒が心を込めて描く - これはそうあることではありません。過日実施した校内運動会のときにもポスターが掲示されたのを見て、真っ先に感じたことです。学校から与えられた行事だから何となく参加する、というのではなく、主体的に行事に参加するんだ、という生徒からのメッセージとして私は受け取っています。

 生徒玄関ホールに掲示していますから、全校生徒の目に触れています。ポスターを見て何かが劇的に変化することはないとしても、「体育祭楽しみだな」、「練習しないとな」、「怪我しないように参加しよう」などと、人の心に確実に何かを芽生えさせています。これって、とても大切なメッセージです。ポスターづくりをしてくれた生徒の皆さん、本当にありがとう。私はこのような学校に勤めることができて幸せです。

 体育祭の開催期間、そして終了した後に、クラスの団結力が高まったり協調性がさらに深まってくれることを期待しています。

 体育祭の目的を今一度確認します。

 『体力の向上及びクラスや年次間の団結力や協調性を養う。』

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『あたたかい心』『信じる心』

 目の前のお花からほんのり甘い香りが漂ってきます。鼻を近づけると青い花が香りを放っています。リューココリーネというお花です。

 野山を歩き花の写真を撮るようになった頃、花の名前が知りたくてずいぶんと高価な図鑑を買いました。撮った写真と見比べながら、名前を覚えていった記憶があります。ただ撮るだけではなくて、名前とセットで覚えていくのはそれはそれでまた違った楽しみがあり、結構のめり込みました。覚えた花のページは端を折り、まだ折っていないページの花との出会いを楽しみに図鑑を眺めていました。

 今年のことになりますが、妻からスマートフォンが図鑑の役割を果たすことを教わりました。写真を撮ってその写真を検索すると、一瞬で花の名前がわかるというものです。毎年、春から初夏にかけて庭にさまざまな宿根草を植えるため、妻といくつかのお店を周りますが、隣接するガーデンに咲く花を見て、「この可愛らしい花の名前は何というのだろうね」と当てもなく言うと、妻がさっと花にスマートフォンを向け、「〇〇だって」と答えます。「どうしてわかったの」と聞くと、「Google先生が教えてくれるよ」と。そうなのか・・・そういう調べ方ができるのか、と。

 先週、生けている生徒にこの花の名前を聞くと「リューココリーネです」と教えてくれました。それから週が明けこの話を書いているのですが、花の名前をすっかり忘れてしまい、写真を撮って検索すると「リューココリーネ」と瞬時に表示されました。そうだ、そうだった。AI、すごい。

 花言葉 - 『あたたかい心』『信じる心』

 『あたたかい心』 - 相手を思いやり、いたわる優しい気持ちや精神
 『信じる心』 - 物事を真実であると受け入れる感情や態度

 どちらもAIの回答になります。なるほど、と納得させられる言葉です。

 翻って自分はどうだろうか・・・ある側面ではできているけれど、そうではない自分もいるなと思ったり。一人の人間として、そうありたいと願うところではありますが、私にはまだまだ手の届かない遠い遠い心の有り様です。

 それでも若いときの自分からは考えられないくらい心は変わりました。歳とともに物事の見方や考え方が大きく変化し、何でも許容でき心乱すことなく穏やかに対応できている自分を感じています。不思議ですが、肩に力の入らないとても楽な生き方ができています。

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高校時代の記憶

 華道部の活動の日、教室に足を運ぶと生徒は真剣にお花を生けておりました。与えられる花材は同じであっても生ける4名それぞれの個性が表れます。主役の花、引き立てる花などどれに主眼を置くかによって作品は異なります。本当に奥が深いです。

 生徒はうーん、と頭を動かし配置を考えながら、さーっと生けていきます。先生が最後にちょっとしたアドバイスを与えて完成です。完成後、スマートフォンを向けて自分の作品を撮影している姿は、前にも書きましたが、とてもいいなと感じます。家に帰って保護者等に見せて(いや、今は見せるのではなく写真をしゃっと送る)くれたらさらにいいのにな、と思いながら見ていました。

 一見簡単そうに見えますが、センス良くお花を生けるのは難しい、ということを私は経験的に理解しています。自宅の庭に咲く花々を花瓶に挿して室内でも楽しんでいますが、思うような形にできません。私はそうしたセンスを持ち合わせていないようです。「花を切ったよ」と妻に渡し、妻が花瓶に挿す、という分担になっています。

 活動が終わった後、作者の生徒に連れ添って3名が校長室にやってきました。うち1名は華道部に所属していますが、もう1名は仲の良い友達。3名とも3年次生ですから、順調にいけばもう少しで卒業となります。3年次生とはここまで9ヶ月のお付き合いですが、どの生徒も私にきちんと挨拶をしてくれますし、話しかけてくれたり、逆に話しかけても嫌な顔もせず笑顔で応えてくれる・・・どの生徒も可愛らしく、3月のお別れのことを考えると寂しい気持ちが込み上げてきます。

 「オレ、校長室初めて入ったぁ」とこそこそ話をしています。生徒にとってはなかなか入る部屋ではないのでしょうね。「結構、いろいろな生徒が校長室来るんだよ」と言うと、「えっ、そうなんですか、何しに来るんですか」と目を大きくしているのがこれまた可愛らしい。「話をしに来てくれたり、何か持ってきてくれたりね」「へぇーっ」

 今日あったことを明日想い出すことはできます。でも、その記憶は時間の経過とともにどんどん薄れていきます。あったことのすべてを記憶として残すことはできません。「せっかくだから3人並んで写真を撮ってあげるよ、そしてこの写真をホームページに掲載するよ」と言うと、「オレ、華道部でないから関係ない」などと3名がふざけあっています。こうしたところも高校生らしくていいものです。きっと私にも同じようなことがあったのかもしれないな、思いながら写真を撮りました。

 私が撮った1枚のスナップ写真が、3名それぞれの高校時代の記憶を引き出す何かになってくれるのであれば嬉しいですし、そんな願いを込めて撮りました(撮った写真は生徒にお渡ししました。すごく喜んでくれました)。 

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「ありがとうございます」

 みんなが楽しみにしている体育祭が近づいてきました。体育館での練習にも熱が入ってきている頃だと思います。3年次生にとっては、高校最後の大きな行事となりますから、各種目の優勝を目指して盛り上がっているのでないでしょうか。

 12月11日(木)放課後16時過ぎの生徒会室では、執行委員の面々がパソコンの画面をのぞき込み、体育祭の準備をしていました。新しい執行委員として初の大仕事です。成功させよう、と力を合わせ黙々と仕事をしてくれています。

 おそらくほとんどの生徒はこの姿を知らないはず。本当は全ての生徒に執行委員の姿を見て欲しいのですが、それは難しいので校長の小部屋にて紹介させていただきます。

 誰かがやらなければならない、誰かがやってくれないと成立しない - こうしたことはコミュニティの中で必ず起こってきます。みんながそっぽを向けば次のステップに進まないことはわかっていても、自分から積極的にその誰かになろうとはしません。真っ先に頭に浮かぶのは、面倒なことに足を踏み入れる必要がない、ということです。私自身もかつてはその一人でした。

 意を決してその誰かになってくれる人がいるのなら、そこは素直に応援してあげなければならないと私は考えます。自分の代わりにやってくれていると思ったら、文句ではなく感謝の言葉しか出てこないはずです。私はそういう心を持つ人を育てたいと思っています。何かをしてくれたら「ありがとうございます」と言える人になって欲しい。

 4月に管理職員の初の打ち合わせをしたときに、私は「ありがとうございます」を互いに言える関係でいましょうね、と言わせていただきました。人間関係を築き上げるうえで一番大切なことと信じているからです。これは現在も実践中でありますし、私がこの仕事を終えるまで大切にしたいと思っています。

 「ありがとうございます」すごく簡単な言葉ではありますが、相手を尊敬し、相手に感謝の気持ちがなければそう簡単に言える言葉ではありません。ただ、自分のためにやってくれているんだ、自分の代わりにやってくれているんだ、と発想を転換すれば、自然と「ありがとうございます」は言葉として出てきます。

 少し難しい話をしましたが、執行委員のこの姿を見たら、体育祭で思い通りにいかないことやジャッジのミス、負けたイラ立ちなど個人的感情によって、周囲に迷惑はかけられないな、と思うはずです。いい形で完結させるために自分はどうあるべきか、そう考えるはずです。試合に負けるより勝つ方がいいに決まっています。ただ、それよりももっと大切なことがある、そのことを生徒の皆さんには知って欲しい。そういう体育祭であって欲しいと願っています。

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音楽室の窓から

 こんなに真っ白になってしまいました。

 最近は、出勤前の除雪、帰宅後の除雪で1日2回の除雪をしています。管理職になって苫小牧と北見に2年ずつ単身赴任し、どちらも冷え込みの厳しい街ではありましたが、雪が少なく、年に数回の除雪をするだけで済みました。札幌の自宅の除雪もここ数年間はしておらず、ずいぶん楽をさせてもらっていました。そうしたこともあって冬の除雪という概念が私の中からすっかり消えていました。

 道内でも有数の豪雪地帯である美唄。中空知出身の私ですが、美唄は違うぞ、と感じる今日この頃です。そのような中にあっても、生徒は毎日元気に登校しています。登校までの道のりで真っ白になりながら、生徒玄関をくぐってきます。「おはようございます」が交わされる生徒玄関ホールに立ち、私は「この子たちは逞しいな」と思いながらお迎えをしています。夏場は自転車でさーっと登校できても、冬場は徒歩になります。てくてく歩きながら何を考え学校に向かってきているのだろう・・・いつもそうしたことを思ってしまいます。

 私は冬以外は自転車で通学していました。雨の日も自転車でした。混み合うバスの車内が苦手でしたし、何より空いた座席に座ると先輩たちから睨まれたり、直接文句を言われることが嫌だったのです。それなら乗らない、と意地を張ったわけです。でも、冬だけはどうしてもバスを利用せざるを得なかったのです。仕方ないとは言え、私にとっては苦痛でした。

 自分は何を考えて登校していたのだろう - 当然のことながら想い出すことはできません。学校のことよりも、別なことを考えていたのかもしれません。高校を出た後のこと、家を出ることへのあこがれ、好きな音楽やレコードのこと、途中になっている小説の続きのこと、恋人のこと、次に買おうと思っている服のこと、札幌でのライブのこと、学校帰りのボウリングのこと、行こうと思っている映画のこと、でも勉強のことも・・・こうしたことを考えて通学していたのかなぁ。

 さて、車を運転する者として道路を歩いたり走ったりする歩行者として、冬の路面状況は大変危険で注意が必要です。道幅も狭くなり、交差点に積み上げられた雪で見通しも悪くなります。

 生徒の皆さんは、登下校はもとより外を歩くときは、周囲の状況を的確に判断し、自分の命を守る意識を今まで以上に高めてください。

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最先端技術

 本校の教育活動に対し、株式会社岸本組様(美唄市光珠内)からは多大な御支援をいただいており、直近ではポータブルクーラーと大型扇風機の寄贈がありました。感謝の意を込めた感謝状贈呈式を6月上旬に執り行わせていただいた際、短い時間ではありましたが、岸本社長様と懇談いたしました。私は厚かましくも建設業における最先端技術(ドローン技術)を生徒に触れさせたい旨の話をしました。

 「持ち帰ってすぐに検討します」と引き受けてくださり、まもなく授業プランを作成して所属職員とともに私のところに来てくれました。外でドローンを飛ばし、校舎全景を撮影した後に3Dプリンタで校舎模型を作り上げていく、というものでした。想像を超えるプランでありましたが、本校の授業スケジュールの都合もあり、秋の実施が困難になり、冬場の実施になってしまいましたが、室内の授業プランを再構築していただき、昨日(12月9日)とうとう実現したわけです。

 私は、ドローンを操縦することの楽しさだけを知ってもらいたいのではなく、ドローンが何のために使われ、ドローンを使うことによって何ができるのかを知って欲しい。そして、最先端技術を活用した建設業と働く方々の生き生きとした姿に触れて欲しい。そこで働く自分の姿を想像し、進路の在り方を考えて欲しい。こうした思いがあります。今回は、美唄尚栄高校、そして前身の美唄高校の卒業生も岸本組様の一員として来校していただきました。身近な先輩たちの姿を見ることができたのは生徒にとって大きな意味があります。

 岸本組様が高校に出前授業の形で関わるのは初めてのこととお聞きしました。全社員の4分の1を超える方々が御多忙な中、本校の生徒のために時間を割いて来校してくれました。社長様を始めとするすべての方に、この場をかりましてお礼申し上げます。ありがとうございました。

 本日の取組が単年度で終了するのではなく、持続可能な取組になるようにしていかなければなりません。生徒に興味を持たせ、将来美唄市内の建設業界で活躍してくれる人材を育成する責任も私たちには課せられています。

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真冬の花火

 長男が真冬の花火大会のチケットを送ってくれました。今年も夏から秋にかけてあちらこちらで花火の打ち上げがありましたが、今年はシーズン中に見ることはありませんでした。自宅周辺でも、いくつかの高校の学校祭で花火を打ち上げていたものの、どーん、どーん、と音の響きだけを聞きました。車で数分のモエレ沼公園の花火大会も音だけ、ずっと向こうの豊平川の花火大会もどーん、という音だけに終わりました。

 空知川の河川敷に面した小さなアパートに住んでいた頃、土手の向こう側で打ち上げられる真冬の花火を妻と二人で見たことがあります。おそらく何かのイベントの一環だったような気がします。つーん、と冷え込んだ空に広がる花火を震えながら見た記憶があります。空気が澄み切っているからなのか、それはずいぶん綺麗に見えました。

 あれは学校としても本当に大変な時期で、先生方のほぼすべてが学校祭そのものを実施することに疑問を抱えるような状況下で、でも、生徒会の先生方を中心に「学校として初めての花火を上げるんだ」と奔走していた姿を今でも覚えています。当時、私は3年生の担任でした。6人の担任が集まり、こうしようああしようと、自らのクラスと学年の安定に毎晩頭を揃えて話し合っていました。これは1学年も2学年も同様だったと思います。

 グラウンドに上がった花火。私は、この花火が学校が変わる起点になったと思っています。総勢750人の生徒と教職員が打ち上がる花火に心をひとつにしました。連続する大輪の錦冠菊(にしきかむろぎく)「しだれ柳」が最後静かに暗闇に吸い込まれた後、そこにいたすべてが大きな拍手を送りました。すれ違いだらけだった心がひとつになったその瞬間に私は鳥肌が立ちました。「あぁ、これで大丈夫だ」と。「生徒会はすごいな」と。

 花火を見ると私はいつもあのときのグラウンドを想い出します。人生で一番心に残る花火です。この日、打ち上がる花火にやはりあの時の花火が重なり、苦楽をともにした先生方の顔まで浮かんできました。教え子は33歳になっています。

 花火が終わった後、リフトに乗って展望デッキまで上がりました。札幌の夜がきらきら輝いていました。「昨日が満月だったんだよ。でも、綺麗に見えるね」月の満ち欠けを気にしている妻がそっと言いました。

 白く輝く月はくっきり夜空のたなびきを演出していました。

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青春時代の公衆電話

 その昔は至る所に公衆電話がありました。駅やバスターミナルには複数台設置されていて、利用したい人が並んで自分の順番が来るのを待っていました。出先ではなくてはならない大切なものだったような気がします。

 長く通話するなら100円を、そうでなければ10円玉を握りしめて、最後の10円玉を入れたら残り通話時間3分。間違っていなければ市外への通話時間はもっと短かったと思います。あれはたしか、中学生に上がるくらいのときに(40年前)テレフォンカードが普及し始めました。500円分、1000円分のテレフォンカードをもらうと嬉しかった。

 これだけ携帯電話が普及したので、公衆電話そのものに目がいかなくなったのですが、本校の正門を出て左側30メートルほどのところに電話ボックスが設置されています。雪が積もったこの日もガラス張りの空間の中に緑色の電話機が灯されていました。

 私は毎日の通勤で電話ボックスの横を通ります。そのたびに電話にまつわる数々の出来事を想い出します。公衆電話に限ったことで言えば、大学時代の下宿に設置された電話機と下宿から50メートル先にあった電話ボックスです。

 「一年は玄関先の電話機の呼び出し音3回以内に出ること」これが下宿のルールでした。20名ほどが居住する大きな下宿で、入学式前に私を含めた1年生が全員入居した夜に、狭い6畳間に集合させられて先輩から言われた最初の言葉でもありました。1年生は5人でしたので、呼び出し音が鳴った瞬間に5名とも廊下に飛び出して電話機に走って行くようなことが毎日でした。

 下宿の電話機に先客があると、私は歩いて電話ボックスに向かいました。そこにも先客があると近辺をぶらぶら散歩して時間を潰しました。そうやって一台の電話機を利用しました。これは私に限ったことではなく、おそらくみんながそうだったと思います。

 当時お付き合いをしていた女性と時間を決めて電話機でつながることが楽しみでもありました。「22時ちょうどに電話するから」という具合に。約束はほとんどが守られましたが、その晩だけは父親らしき人が出て、何が気に入らなかったのかこっぴどく怒られた記憶もあります。すべて懐かしい想い出です。

 気になって総務省のホームページを見ると、公衆電話の設置についてこのように書かれていました。『社会生活上の安全及び戸外における最低限の通信手段を確保する観点から、公道上、公道に面した場所その他の常時利用することができる場所又は公衆が容易に出入りすることができる施設内の往来する公衆の目につきやすい場所に、市街地においては概ね1km四方に1台、それ以外の地域においては概ね2km四方に1台という基準に基づき設置される』とのことです。

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可愛らしい空間

 昨日に続き、展示の話になりますが、この写真はいかがでしょうか。

 浴衣、ワンピース、エコバッグ、ポーチ、ペンケース、ポケットティッシュケースなど、布細工が所狭しと展示されています。

 デザイン系列で学ぶ生徒の作品が展示された可愛らしい空間(廊下)です。生徒玄関と職員玄関から少し離れた位置にあるので、来校する全ての方の目に留まらないのが残念です。この場所はこの場所として、何とかしてもうひとつ展示場所を動線の多いところにしたい、と考えています。

 ここは、4月に着任して校舎の全てを見て回り、いいなと思った場所のひとつです。これは特色のひとつになる、と思いました。パーっ、と明るく広がりを見せる可愛らしい空間 - 素敵だな、と。勤務してきた学校、出張等で訪問した学校など数々ある中で、このスタイルは見たことがありません。自慢できる場所のひとつです。

 自分で作ったものを多くの人に見てもらえる機会は、そう多くあるものではありません。生徒にとって素晴らしい経験になりますし、こうした展示を積極的に行ってくれる教職員にも私は感謝します。今年度、北海道教育委員会は『生徒を主語にした教育活動』を掲げています。私はこうした取組が実践のそのひとつであると考えます。

 この先の人生、忙しさの中で多くのことを犠牲にしたり後回しにしてしまったり、いつの間にか忘れてしまっていたり・・・慌ただしさの中で見失うものの多さに気付くときがきます。何かの拍子に、?となり、自分に向き合うときが必ず訪れます。

 自分に何ができるだろうか、自分は何かに挑戦できるだろうか、自分が一番やりたいことは何なのだろうか・・・そのときに自分の手でひとつのものを作った経験が生かされるときが来るかもしれない。どこでどうなるかなんて誰にもわからないわけです。

 もう一度、高校のときに作ったバックを作ってみようかなぁ - このことがきっかけになり、作品をインターネット上に紹介し、誰かが興味を示し購入してくれるかもしれない。趣味からやがて起業につながるという展開だってあるかもしれません。

 レールに乗るしかなかった生き方が、今は自分でレールを敷いて生きていく時代に様変わりしています。『探究的な学び』、『体験的な学び』を大切にしている意味は多々ありますが、そのひとつに、「たったひとつの経験が自らのレールを敷き、生きていくことにつながっていくんだ」ということを生徒には知っていてもらいたいです。

 高校時代に素晴らしい経験ができている自分を誇りに思ってください。 

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小さなほころび

 生徒が作ったものをみんなが見えるところに飾ったり掲示して欲しい、と何度かお話しました。最初は先生方も遠慮気味でしたが、廊下を歩くとたくさんの作品を目にすることができ嬉しいです。私よりも生徒が一番嬉しいと思います。

 学校のことや生徒のことをこのブログ内で褒めるのもどうだろうか、と思いながら書きますが、生徒は誰一人として作品にいたずらするようなことがありません。8ヶ月様子を見てきていますが、皆無です。そんなこと当たり前でしょ、と思われるかもしれません。しかし、学校現場においてはこれが当たり前ではないということを私は経験的に理解しています。どこかがちぎられていたり剥がされていたり、引っ張ったり外したり・・・小さないたずらを私はたくさん見てきました。

 過去に遡り、小さなほころびを見逃すことなく生徒を育ててきた教職員の賜だと思っています。いつまでもいつまでもこの状態が続いていくように、私たちは教育活動を行っていかなければなりません。

 朝一番、そして、下校を迎える時間、私は生徒玄関に足を運び、ツリーのイルミネーションを点灯させています。多少の電気代はかかるかもしれませんが、輝くクリスマスツリーのもとに登校、下校して欲しいのです。気持ちのざわつきがもしかしたら穏やかになるかもしれない - そんな願いを込めて点灯させています。

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クリスマスツリー

 12月1日(月)の放課後に、生徒会執行委員と担当の教員が中心となって飾り付けをしてくれました。私の身長(180センチ)を超える大きなクリスマスツリーです。飾り付けしてくれた皆さん、ありがとうございます。生徒玄関は、生徒が必ず2回通るところですから、クリスマスツリーを見て、毎朝毎夕気持ちがほっこりしてくれたら嬉しいです。私も嬉しくなって、2日の朝に記念写真を撮りました。

 大人にとっては気にも留めない小さなことかもしれません。でも、多感な生徒にとっては大きなこと。私はクリスマスツリーの展示に大きな意味がある(信仰する宗教等の話は抜きにさせてください)、と思っています。いつからこの取組が始まったのかは確認していませんが、思いつき実行した最初の誰かを私は尊敬します。『生徒の喜ぶ姿を見たい』『生徒のためにやってあげよう』その思いが、こうして現在に至っているのですから。

 生徒と教員の信頼関係の構築は、小さなことの積み上げです。生徒のためにやってあげられる小さなことを重ねていけば、それはやがて学校全体の雰囲気をも変える、そう信じています。

 玄関に立っていると「クリスマスツリー飾ってくれたんですね」と生徒たちが私に話しかけてきます。きっと嬉しかったんだと思います。執行委員の生徒が登校してきたときに、「飾り付けありがとう」と私はお礼を言いました。いい笑顔で「はい」と返してくれました。

 学校祭の終わりに先生方が集まった会で、12月にクリスマスツリーを展示することを聞きました。私はそこでひとつのアイデアを提案しました。そういうことがあってもいいよね、と。それが(ここでは書きませんが)実現するのかしないのかはわかりませんが、何か生徒に考えさせたらどうだろうか - ひとりそんなことを思っています。本校の生徒であれば安心してひとつ預けてやらせてあげていいだろう、と。

 子どもたちが小さい頃、私が設計、製作したロボット工作をクリスマスプレゼントにしていました。まだ、何もわからない二人はセンサーの反応で走行するロボットをきゃっきゃっと床を這いながら追いかけていました。最後は線が切れて、シャーシが壊れて、というのが定番ではありましたが、20年以上も前のことがつい昨日のように思い出されます。私の手づくり電子工作プレゼントを喜んでくれた期間はあまりに短く、次は宇宙戦隊ロボット、野球盤、電子ゲーム機、テレビゲームのソフト、そして最後は哀しくもお小遣いになり、高校を卒業し家を出て行きました。

 親父が何か作ってクリスマスプレゼントくれたよな。そのことを二人が覚えてくれていれば嬉しいのですが・・・またまた私のエピソードを書きました。

 30万アクセスを迎えることができました。今後も本校の教員が、ホームページ、インスタグラム、noteを更新してまいります。お時間のあるときにお読みになっていただけますと幸いです。

 今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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今年も残すところ

 昨日、午前中から午後まで美唄市内は強風が吹き荒れました。生徒が下校時刻を迎える頃には風は収まりましたが、校長室の窓ガラスはバタバタガタガタと割れんばかりの音を立てていました。

 あっという間に12月です。今年も残すところ、というところになりました。生徒玄関に立ち、生徒を迎えていると、「今年もあと30日になりましたね」と1年次の男子生徒がニッ、と笑いながら私に話しかけてきました。「あと、30回寝たらお年玉がもらえるね」と私が言うと、「お年玉楽しみですねぇ」と言いながら階段を上がっていきました。4月、5月はどことなく中学生の雰囲気が残る1年次生でしたが、今ではすっかり高校生の顔になりました。みんな成長しました。

 「おはようございます」と先に生徒から挨拶してくれるのが嬉しいです。これが当たり前のようで意外とそうでもないのです。学校の様子は、生徒の挨拶、生徒玄関の下駄箱の使い方、教室の整理整頓でほぼわかります。これができていないと次の段階(授業、行事)に進みません。長い時間をかけて積み上げてきた結果が現在であり、これを維持するとともに、現状に満足せずに更なる高みを目指して教育活動を行わなければなりません。

 話はつながりませんが、昨晩のこと。風が止み、雨が上がったのを機に外に出ました。誰もいない美唄駅のホームです。もしかすると今晩から冬景色のホームに変わるかもしれません。  

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集中して、無心に

 土曜日の夕刻、第69回全道学校書道展(札幌市民ギャラリー)に本校生徒の作品が展示されているので、妻と一緒に見てきました。小学生から高校生までの作品がずらり並び、見つけるのにかなり時間がかかりました。足を運んで自分の作品を見てくれていたら嬉しいな、と思いながら、でも、わざわざ札幌までは遠いだろうし・・・我が子の作品を是非保護者等の方に見て欲しいです。この写真から伝わればいいのですが。

 今回展示された人もそうでなかった人も、作品づくりをしているときの自分を思い返してみてください。その時間だけは余計なことは考えず、集中して、無心に筆を走らせている自分がいませんか。

 先を見通すことが困難な時代、複雑な人間関係の中で生きていますから、頭の中では常にあれやこれや考えてしまっています。見えない答えに不安を抱えたり、時間の流れについていけず疲れたりします。私も同じです。

 私は過去に体調を壊した経験から、あえて考えない自分づくりを大切にしてきました。今も実践中です。物事に向き合わず逃げるということではなく、考えても答えが出ないもの、考えても仕方ないこと、考えても堂々巡りすること、考えても負のスパイラルになることについては、一切考えないことにしています。心に決めてその日から考えない自分になれたか、というとそうではありません。相当な時間がかかりましたが、そうするために、好きなことに集中する(無心になる)時間を一日の中に持つことを意識し実践してきました。それが功を奏したのか、今では肩に力の入らない楽な生き方ができています。

 先ほどの話に戻りますが、書道はまさにそうした時間が作れる絶好の機会ではないでしょうか。一人ひとりの集中と無心が作品の全てになっている - そういうことを考えて作品を見ると、見方が変わると思います。

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テストの終わりに

 本日がテスト最終日。これが終わったら・・・と考えながら、この期間を過ごしてきたはず。部活動のスタート、来月の体育祭に向けた練習、アルバイト、まずは寝る、受験に向けた準備再開、友達の家へ、何かを一緒に食べに行く、などなど、それぞれの時間を過ごすのだろうな。テストが終わるのって、嬉しくて何故かわくわくしますよね。そんなことを思いながら、私は後ろからそーっと教室に入り、写真を撮らせていただきました。

 さて、これが最後になるだろう(本当にそうなりました)と決意して受け持ったクラスの最後の文化体育大会。体育系種目にソフトボールがあって、そこでの優勝を目指し(24クラスの乱戦ですから優勝はすごいことです)、私の知らないところで生徒たちが集まって秘密の練習をしていました。そのことを知ったのは大会の数日前でした。「先生、オレたちね、実は朝とか夕方集まって練習してたんですよ。電子機械科の奴らに勝って優勝しますからっ、優勝したらみんなで焼き肉やりましょ、先生お金出してくださいよ」(残念会の焼き肉はしませんでしたが、卒業式前日に生徒がお店貸切の手配をして、卒業祝いの焼き肉をみんなでやりました)

 学校の外でグローブやバットを持って集まり、わいわい楽しみながら練習していることが、とにかく嬉しかったです。どこに集まっていたのかはわかりませんし、どんな練習をしていたのかも定かではありませんが、こうしたことが高校時代の良き想い出として生徒たちの心に植え付けられるわけです。やがて、大人になりどこかに集まったときに、「あの時練習したけど、勝てなかったよなぁ」と懐かしむことができる - 今はわからないだろうけど、ずっと先にこのことがわかるはず。私はそう思って見守りました。

 教室で見せる顔とは違った姿がグラウンドにありました。失敗を責めない前向きな言葉やスイングに一喜一憂する表情、ファーストベースに全速力で走る姿、ホームベースを踏むごとの歓声、勝った感激に抱き合い飛び上がる姿・・・生徒一人ひとりの成長を感じた瞬間でもありましたし、そのすべてが愛おしい時間でした。そうした姿を見ることが私は大好きでした。

 3年間、いいことも悪いこともたくさんありました。人と人が接触する学校は毎日がドラマであり、何も起こらないことはまずありません。私は起こらないことを望むのではなく、ドラマの脇役(主役は生徒です)として起きたことに誠実に向き合うことを意識してきました。実にさまざまな出来事がありましたが、その一つひとつが生徒一人ひとりを成長させ、教師としての私も成長させてくれました。特に最後となった担任業務の3年間は、40人が私にたくさんの宝物を授けてくれました。この仕事は、生徒に感謝なんだ、と思います。

 テストの終わりに昔を懐かしませていただきました。

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誕生日

 先日、誕生日を迎えました。東京に住む長男からはLINEギフト(時代を感じます)、次男(社会人1年目)は夕食代を持ってくれ、妻からは手袋ともうひとつ大きなプレゼントをもらいました。母からは毎年、お菓子とお祝い金が送られてきます。弟たちからはお祝いのメールが。幸せな55歳の誕生日になりました。

 ひとつずつ歳を重ねていきますが、気持ちだけは20代、30代。ただ、肉体的にはそれなりの状態であることは否定できません。先日、ランニングウォッチが、何かの拍子にデータ解析したようで、いきなり40代前半である旨の画面を表示し、よしよし、と嬉しくなりました。どこかで測定してもらった血管年齢が60代と言われた妻が、あまりに失礼すぎる、とぷんぷん怒っていたのを思い出し、あまり得意にならないように小さな声で妻に伝えた次第です。

 さて、私の弟たちもみんな50代になりました。不思議な感じがしますが、電気技師、ピアニストとしてそれぞれ活躍しています。父が早くに亡くなったこともあり、私は父親代わりであるとの意識をうっすらと持ちながら生きてきました。特に何かをしてきたわけではありませんが、幼き頃から父に「お前は長男なんだから」「長男らしく」と言われ続けてきたことも、そうさせた理由かもしれません。当時、私は大学生で、二人は高校生でしたから、いろいろと不便はあったのだろうと思いますが、さまざまな困難を乗り越え、今では私より立派に生きています。

 何かあれば大学時代に戻りたい、と思っていましたが、もうそう思うことはなくなりました。私は静かに今の自分を受け入れ、50代である自分を楽しみながら生きています。その年齢を楽しむ余裕ができたのかもしれません。50代、それはそれでなかなかいいものです。

 母からもらった小さな包み - 母からすれば私はいつまでも子どもなんだなぁ・・・そう思いながらこれを書いています。私にとっての誕生日は特別です。普段はゆっくり考えない母のこと、妻のこと、子どものこと、弟のこと、そして自分のことに思いを馳せる貴重な一日となります。

 皆様の誕生日はどのような感じでしょうか。

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そば

 授業の中でそばを打ち、できあがったそばを私のところに。味と風味を感じて欲しい、ということで音威子府産新そばと昨年の幌加内産そばを分けて持ってきてくれました。授業の中でそばを打つのは今年度初めての取組とのことです。この先も続けて欲しいです。今年のものと昨年のものでは、香りも味もこんなに違うんだなぁ、と思いながらいただきました。ありがとうございます。

 私はそばは打てません。室蘭の高校に勤務していた時に、学科の研修旅行で一度だけ打ったことがありますが、それ一回きりです。持ってきてくれた生徒は家でもそばを打って家族で食べているとのこと。そんな生徒を私は心から尊敬します。

 美唄尚栄高校はどんな学校何だろう - 私は衣食住をひとつに学べる学校と考えています。物事の基本や成り立ちを知る(文理教養)ことを土台にして、衣(デザイン)食(フード、デザイン)住(情報通信マネジメント、メカトロ・エンジニア)、つまり、人が生きていくために必要なことを学ぶ学校。そのすべてが揃った学校はそう多くはないはず。

 人が生きていくための根幹になる『食べる』ことについて思いを巡らせるとき、食べることは基本中の基本ではあるけれど、食べる前のことができるかできないか、如何でしょう。自分で食材を選んで購入し自分の手でつくる。できる人できない人、している人していない人・・・そう簡単なことではないのではないでしょうか。

 難解な問題を解ける力も必要かもしれませんが、私は人が生きていくために必要な知識と技術、技能を高校生の段階で身に付けることは大切だと思っています。私自身、高校生の時にこのようなスキルを身に付けていたらもっと違う人生があったかもしれない。退職後に専門学校に通うことをイメージしている私にとっては、60歳から身に付けることではなかったかもしれないな・・・と思うところです。早ければ早いほど良かったと。

 「あなたたちは、長い人生の中で何かやろうと思ったとき、そばを打つお店を持ったり、パンのお店、ケーキのお店を持ったりできるよね、今習得している知識でそうした生き方を選択することができるよね。それって誰もができることではないからすごいことだよね。あなたたちがうらやましいよ」二人に話をしている自分がいました。

 決して無責任な発言ではありません。もう、セオリー通りの生き方が求められる時代ではありません。いろいろなことに信念を持ちって挑戦し、実現していける時代です。今のスタンダードが、半年後、1年後、2年後には時代遅れになっている可能性もあります。レールに乗っていることだけが必ずしも安定を生むとは限らない時代になっています。

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心を込めて

 11月8日の記事「生活に生きる書 教室名を作成」で投稿しておりますが、「教室名を筆文字で書いてみる」という生徒の発案により、管理職に向けたプレゼンが行われました。私たちはこういうことをしたいのです、という強いメッセージが、我々管理職にも伝わり、是非お願いします、ということになりました。その後の様子です。

 少し時間ができたので、タブレットを持ちながら3階と4階で行われている授業の様子を見て歩きました。私はいつも遠慮することなく教室の中にずかずか入っていきます。生徒も慣れているので別段驚くこともなく、いつも通りのスタイルを貫いています。私に手を振る生徒、こんにちはと声をかけてくる生徒、ぺこり頭を下げる生徒、居眠りの生徒・・・それがまた自然でいい。こういう所が本校の生徒の良いところで可愛らしところ、と思っています。どのクラスも落ち着いた授業が展開されていて、生徒は安心して学ぶことができる環境にあることもPRさせていただきます。

 さて、熱心に筆を走らせる生徒が3名。書いて書いて書き続けている。ゴールは自らが納得したとき。完成ではなさそうですが、これだけ心を込めて丁寧に書かれたものならば、プレートが掲げられたときの重みを感じます。途中の過程を見ることができて本当に良かったと思いました。下の余白に自らの氏名が刻まれたプレートが校舎内に残るのっていいですよね。こんな素敵なプレートがある学校は日本中どこを探してもないのではないでしょうか。(写真の氏名は加工しております)

 3年次生はまもなく高校卒業のゴールを迎えます。ゴールテープがちらちら見え始めてきている。私は3年次生とはここまで約9ヵ月のお付き合いしかありませんが、その間にも生徒一人ひとりが直面した課題や経験の一端を見聞きしています。楽しかっただろうな、辛かっただろうに、よく登校してきているよね、悲しみをどのように笑顔にかえているんだろ、社会に出る不安でいっぱいでしょ、このまま卒業しないで高校生でいたいよね・・・

 みんなそれぞれに多くのことを抱えて生きている。私は生徒からそのような心の叫びみたいなものを感じ、いつも勝手に胸を目頭を熱くしています。私も高校3年生、たくさんのことを抱えて生きてきて、それと重なる部分がたくさんあって、でも、何とか乗り越えてきました。みんなも乗り越えられるはずです。

 誰かの心のこもったメッセージは、受け取る人の心にじゅわっと奥深いところまで染み込んできます。必ず伝わります。心を込めて話す、心を込めて聴く、心を込めて想う、心を込めて受け止める、心を込めて書く、心を込めて・・・

 いつか心を込めたプレート文字が完成し私のもとに届けられるのでしょう。そのとき、私は生徒の想いや願いをしっかり受け止め、感謝の気持ちで受け取ろうと思っています。

 本日、不在となりますので、タイマー設定でこの記事を更新いたします。

 いつも御訪問いただきましてありがとうございます。

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そこにあるそのものが

 11月18日 19時34分 美唄駅 

 私は、やはり、今夜もランニングシューズ(冬用)を履いて外に出ていました。

 退勤時、職場から借家までの数百メートルを歩きながら、これからの晩御飯のことを考え、それを終えた後のランニングをどうするかを考え歩いていました。道路はこのとおり滑るし、寒いし、疲れているし、転んだら怪我をするし、面倒だな、どうしようかな・・・外に出ない理由をいくつも頭に並べて借家に到着です。

 毎日ランニングをしている私でも、毎日走る走らないの葛藤をしています。軍配はいつも『走る』。どうでもいいような葛藤ではありますが、このことを13年間毎日繰り返せている自分はある意味幸せなんだろう、と思ったりしています。ずっと昔は、「えっ、走るの?こんな時間から」と妻に言われたものですが、 その言葉はいつの間にかなくなりました。「いつ帰ってくるの」「10キロだから1時間後」「その頃に合わせて風呂入れておくから」「わかった、お願い」

 葛藤の末に走ると必ずいいことに巡り会えます。だから、やめられないのです。走らなければ見られなかった一瞬の景色は、お金に換えられない満足感を与えてくれる。これを知ってしまったが故のランニング。人はありきたりの景色じゃない、と言うでしょう。当たり前の日常でしょ、と言うでしょう。でも、私には感動的な景色です。外に出たことが正解だったな、と毎日思わせてくれる。私の感動した気持ちがこの写真から伝わればいいのですが・・・

 作り上げる美しさよりも、そこにあるそのものが一番美しいのではないか、と思っています。まだまだ美唄の一部分にしか触れていませんが、町の名のとおり、美しい、です。

 札幌の自宅は、徒歩3分、250メートルのところにJR駅があり、私の生活に密着していることもあり、行く先々で駅のある風景、電車が往来する風景が気になります。美唄を拠点としたランニングはいつも駅の界隈を走るコースになっています。

 本校のホームページですが、一昨日から昨日の24時間で4500アクセスをいただきました。本校の教育活動を教職員が熱心に更新しております。これからも御覧ください。よろしくお願いいたします。

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一歩踏み込む

 毎日デスクのお花を眺めています。花好きの私、ただそれだけで嬉しいです。

 どうですか、この写真。こういう見方をすると違った世界を感じませんか?知らなかった世界が見えませんか?私の趣味とする写真やカメラのことはいくつかの話の中で書いてきたところですが、風景写真だけではなく、クローズアップした花の写真を撮ることも大好きです。

 マクロレンズ越しに見る世界に魅力を感じたのは30代半ば。以後、花を求めてずいぶん野山を歩きました。私の山歩きは頂上を目指すものではないので、名もない裏山でも構いません。途中に咲く花が見られればそれでいい。足元に咲く花を撮影して、そこで満足したら入口だろうが三合目だろうが下山です。頂上を目指す人もたくさんいるのに、人って目的がさまざまで、それぞれ違っていておもしろいですよね。

 作品の全体像は先日お見せしましたが、ここだけに着目した今日の写真と比べてみてください。全体からは見えなかったひとつ、しかもそのひとつを構成する細かな要素にまで目が行き届く・・・おもしろさがわかりますか。

 学校も同じです。廊下から教室を覗く。そこには30人の生徒がいます。一歩教室に踏み込み、一人の生徒を見る。遠くからは見えなかったものが多々あることに気付く。私は『一歩踏み込む』ことを大切にしてきました。

 26歳から30代半ば、出口が見えずあのどうしようもないどんよりした時間の中で、私は多くのものを見失ってきました。何を目指し何が大切で何を間違ったのか。これから自分は何を頼りに何を身に付け何をすべきなのか。辞めるべきか続けるべきか・・・重たいカメラバックを肩に提げ、三脚を左手に、首からぶら下げたカメラに縋って野山を歩きながら、そんなことを自問自答し写真を撮っていました。
 
 望遠レンズでお花を引っ張ってくるのではなく、ゆっくり腰を下ろし、足元の小さな花に顔を近づけ目と鼻で感じ、マクロレンズをとおして一枚に納める - その繰り返しの中で私はぼんやりとした何かを掴みました。マクロレンズの世界の中に、暗闇だった空間にうっすら光が灯り、出口出口へと私を誘ってくれました(体調が良くなるまでにはそこからさらに5年ほどかかりましたが)。振り返ると本当に苦しい経験をしてきたな、と思います。いらない廻り道、でも、それはそれで良かったかも、と思ったりもしています。

 遠く離れて外側だけから見るのではなく、思い切って一歩踏み込みそこだけに着目して見てみる。

 考え方だけではなく、生き方さえも変える出来事になる・・・私自身の経験談です。

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かなうさ(叶うさ)

 先日、学校見学会に参加していただいた美唄市立東中学校2年生に、メカトロ・エンジニア系列で製作したアクセサリーをお渡ししました。これを見て、私は『合格絵馬』ならぬ『合格かなうさ』だと思っていますが(どうか御利益がありますように)・・・

 本校には公式マスコットキャラクター『かなうさ』が登録されており、私はこの『かなうさ』を何とか活用できないものか、と着任早々思案を巡らせ現在に至っています。北海道内の公立高校で公式マスコットキャラクターを持つ学校はそう多くないはずです。私自身本校で7校目になりますが初めてです。

 他校にはない特色、せっかくのキャラクターなのだから活かすべきだ、と。せめて、美唄市にお住まいの方には「あっ、かなうさだ」と認知してもらえるくらいにはしたい、そう思っています。何か名案がありましたら御一報お願いいたします。

 以前、デザイン系列の生徒が『かなうさクッキー』を焼いて私に届けてくれましたが、この写真の作品も本校の設備を活用して作られています。お金をかけて業者に発注するのではなく、あれこれ考えながら手づくりで、というのを大切にしなければなりません。そこに大きな意味があります。

 さて、話は変わります。昨日も書かせていただきましたが、ホームページやインスタグラムを更新するにあたり、私は基本的に、美唄尚栄高校に通学している生徒とその保護者等が閲覧してくれるものでなければ、地域の方々は閲覧してくれないと思っています。身内が認めないものを他者が認めてくれるはずはありません。本校の生徒一人ひとりがフォロワーになってくれて初めて地域の評価に結び付くものと信じます。

 小さなことでいい。極端なことを言ったら「今日雪が降りました」のタイトルで写真を一枚掲載し、1行文章を添えた日記をホームページにアップする。わずかそれだけでも、本校の様子をお伝えすることができる。だから、歩けば至る所に記事は転がっています、と私は先生方にお話ししています。

 オホーツクのある高校の校長先生が支部の教頭会の講義の中でこのようにお話ししてくれたのが印象的でした。「インスタグラムを立ち上げたら、わずか数日で全校生徒のほとんどがフォロワーになってくれて、そこから口コミで一月も経たないうちにあっという間に1800くらいになったんですよ」学校を応援したいからそうなるんだよなぁ、私はそんなことを考えながら話を聞かせていただきました。自校も何とかしないとダメだと思い、すぐに先生方とインスタグラムを遅まきながら立ち上げ校内研修を行いました。

 生徒と保護者等の学校満足度を高める方策は山ほどあります。そのひとつとして「かなうさ」を活かしたい。そのために、まずは生徒と保護者等の方に「かなうさ」の存在を知ってもらわなければなりません。クッキー、アクセサリ、次は。

 どうするか・・・みんなで考えなければなりません。

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雨上がりの夕暮れ

 11月13日(木)15時47分 雨上がりの夕暮れ

 赤く染まってゆく西の空と水たまりのグラウンド - これが私の席から見えた景色です。

 太陽の光にはさまざまな色が含まれていて、空が青く見えたり赤く見えたりするのは、太陽の光が大気を通り抜けるとき、大気中の窒素や酸素の分子にぶつかり散乱するからで、その光が空に広がります(理科の先生、合っているでしょうか)。夕暮れ時は太陽の位置が低くなり、太陽の光が地球上の大気を通る距離が日中よりも長く、青い光は散乱し赤い光は残って見る人に届くことから空が赤く見えます。

 空は偉大なんだよぉ、と祖母が言うものだから、私は小学生の頃から空を見上げてお願いごとをしたり、空にまつわる詩を書いたりしていました。私は一風変わった子どもだったと思います(周りでそんなことをしていた子どもはいなかったので)。担任の先生に「他の生徒とずいぶん様子が違うようだ。専門的なところで診てもらったら」と言われ、かなりのショックを受けた、と母が昔に話してくれたことがあります。

 この日もいろいろ考えながら夕焼け空に語りかけていました。答えは返してくれませんが、私のやることをすべて見守ってくれているような気がしました。これ以上望むことはないな、と妙に自分を納得させ、放課後の校舎の見回りに出発しました(この後の出来事が昨日の校長の小部屋につながります)。

 さて、4月23日(95,730)からホームページカウンタをノートに書き込んで現在に至っています。11月14日(金)の朝から17日(月)の朝にかけて、実質3日間ですが11,304件のアクセスがございました。年内の30万件アクセスも見えてきました。

 先日も書かせていただきましたが、読んでくれている方がいるということは、ホームページを日々更新する本校の教職員にとりましても大きな励みになります。

 インスタグラムとnoteへの記事も投稿しております。是非御覧ください。

 今後ともよろしくお願いいたします。

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放課後

 11月13日(木)の放課後のこと。

 16時くらいにHR教室のある棟を歩きました。放課後は生徒の本当の姿が見られる時間なのでおもしろいです。今でも記憶に残っていますが、受け持ったクラスの生徒と過ごした放課後はとにかく楽しかったです。

 お付き合いをしている他校の女の子のこと、アルバイト先の出来事、オンラインゲームでの対戦のこと、音楽談義、悩み相談、部活動の様子、ファッション、髪型・・・朝のおはよう、帰りのさよならだけでは見えない本音の高校生の姿がそこにはありました。その中にいる自分もまた高校生に戻ったかのようで、その世界観に幸せを感じていました。

 ほとんどの生徒が下校している教室はとても静かです。でも、数名の生徒が教室や廊下に集まって何やら楽しそうに話をして盛り上がっています。それぞれのグループや仲良しがあるのでしょう。ノートを広げている生徒に何事か話しかけている二人。教室に入り「何をしているの」と聞くと、「テストがあるので勉強してました」ノートには英文がびっちり書かれていました。いきなり二人が「飴なめてたらダメじゃん」「なめてないよ」と行ったり来たりのやりとりをしだし、きっと私に何か言って欲しいようでふざけ出す。

 廊下では4人がスマートフォンをのぞき込んで話しています。「なになに、何してるの」と聞くと「ゲームです」と画面を見せてくれました。「ここの4人はこのゲームが好きで、この中に出てくるキャラクターの中にそれぞれの推しがいるんです」短縮用語が飛び交い何が何やらわかりませんが、とにかく仲良く楽しくやっているので、それはそれで良し。

 放課後の様子はあの頃と大きくは変わっていない、同じなんだ、といつも思います。それにしても、授業等で接することのない私が突然教室に入り、話しかけても何一つ嫌な顔をせずに会話してくれることもびっくりです。

 さて、普段照明のともらない教室から光が漏れています。覗いたら華道部が活動していました。月一回校長室に作品のひとつが届けられるのですが、生けているところを見たことがなかった、しまった・・・月一回の活動なのでチャンスを逃していたとは言え、盲点だったな、と反省しつつ教室の中へ。講師の先生の指導を受けながら、生徒がお喋りしながらお花を生けていました。

 完成後、自分で生けた作品をスマートフォンで撮影しており、その姿を見てなんだか嬉しくなりました。自分の作品なんだよ、という想いがその行動から垣間見えたからです。心を込めて生けたから愛情や愛着がわく・・・上手綺麗云々の前に、それ以上に大切なものがある。私はそこを大事にしたい。生徒の心に大切なものがしっかり育っている。嬉しかったです。

 「どのようなイメージで作品づくりをしたの」と聞きましたら、「いつもは横に広がってしまうので、縦にすーっと伸び上がっていくのを意識しました」と答えてくれました。その言葉のとおりの作品です。「私、校長の小部屋見てます」とも言ってくれました。嬉しいの連続です。

 その作品が私のところに届けられました。デスクに置き、正面から横から上からと眺めています。またまた贅沢をさせてもらっています。ありがとうございます。

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遠くを見ていて

 11月13日(木)美唄市立東中学校の2年生全員と校長先生並びに関係の先生、保護者等の皆様をお迎えし、学校見学会を実施いたしました。先日は美唄中学校の皆様に来校いただき、本校にとりましても地元にある高校(美唄尚栄高校)をPRできる素晴らしい時間になりました。

 地元にあっても学校の中に入れない、どのような雰囲気の学校なのかわからないなど、同じ地域にある義務高と高等学校はまだまだ遠い存在なのかな、と思っています。そうした中でも本校は長年、小学校と中学校と連携した教育活動を展開しておりますので、もっともっと交流が盛んになる取組を検討しなければならない、と考えているところです。

 学校見学会につきましては、PRは本校の生徒が行いますので、このような機会は生徒を成長させる場になります。まさに両者にとってWin-Winです。東中学校並びに美唄中学校の両校が年間授業計画の中に、美唄尚栄高校見学会を盛り込んでいただいておりますことにこの場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございます。

 歳を重ねてわかったことがあります。あくまでも私自身のことではありますが、近くのものを見ず、遠くのものばかりを見てしまっていた - このことを最近特に感じるようになっています。人はそれぞれに目指すものがありますから、今より便利なところ、出世、ブランド、肩書き、お金・・・など先を見続けて生きていく、私も空知の地元を捨てて地方に出て行った人間です。大学に入ったとき、これで故郷から離れられる、そしてもう故郷で生活していくことはないだろう、と思いました。そのとおり故郷を顧みることなく生きてきました。一方ですぐ下の弟は地元を大切にして生きている・・・この違いを私はどうしても考えてしまいます。

 管理職として五十代を迎えた小樽、そして本校に勤務し、生徒たちの総合的な探究の時間の活動を見ていく中で、地元を粗末にしてはいけなかったんだ、という気持ちにさせられている自分がいます。空知に住む母親のことは常に気になるけれど、故郷の発展や将来という視点がまるっきり欠けていたことに気付かされました。遠くを望むことは決して悪いことではないと思いますが、そのことによって近くのものを見失っていたわけです。

 美唄市は小さな町ではありますが、そこに住んでいても意外と知らないことが多いと思います。今回の学校見学会もそうです。冒頭で私は「美唄尚栄高校に今回初めて入った人」と訪ねたらほとんど全員が手を挙げました。こんなに近くにあっても遠いんだな、と。

 総合的な探究の時間をとおして、地域学を取り入れた学校や地域に目を向けた教育活動が積極的に行われています。近くにあるものの良さにたくさん触れて、その上で遠くを見ていく - そうした逆転の発想で生徒を育てていくことが大切なのではないか(個人的に)、と考えているところです。

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山の雪

 今朝のこと。

 いつも西側のピンネシリ山系ばかり見ていて、その逆の東側の景色を眺めることはなかったな - そんなことを思いながら学校までの道を歩いてきました。どこを見て歩いてきたのかを想い出すことはできませんが、おそらく足元ばかりを見て歩いていたのでしょう。

 もしかすると少し前から雪がかぶっていたのかもしれませんが、東側の山の雪景色を見ることができました。気温は昨日と比べると風は強いながらも暖かくて、平地に雪が降るような感じはありません。山の気温はかなり低いのかもしれません。

 退職したら富士山登りに行こうね、と先日何かの会話をしているときに妻が言いました。そうだね、と私は簡単に返事をしましたが、何かのニュースで富士山もオーバーツーリズムの影響を受け、数珠つなぎの登山とマナーの悪さが課題になっているようです。それはそれとして3000メートル級の山をあと5年少しで登れるのかが不安です。

 結婚してすぐの頃、妻と義父母の4人で黒岳に登山したことを想い出します。あれが私の初登山になります。頂上から見た景色はぼんやりとですが覚えています。登山道の脇に咲く花の写真も撮って歩きました。

 長く忘れていた記憶が目の前に浮かぶ朝を迎えています。

 さて、出勤してすぐに普段は使用していない4階の音楽室まで駆け上がり、そこから東側の山並みを撮影しました。過去に遡って本校にゆかりのある方々が、この場所からこの景色を眺めていたはずです。美唄を離れて暮らす方々が、本校のホームページからこの写真を見てくれていますと幸いです。

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生命の営み

 週末は自宅のある札幌に帰り、レコードを聴いたりランニングをして過ごします。朝食を食べてから15~30キロのランニングをすることが10年以上に及ぶルーティンですが、二月ほど前から妻もウォーキングとジョギングを始めたので、私のゴール地を丘珠空港緑地公園やモエレ沼公園に設定し、そこで妻と合流し一緒に歩いたり走ったりするようになりました。あれだけ走らない、と断言していたのに不思議です。
 
 さて、自宅から3.5キロメートル離れたところに龍雲寺の大きな銀杏の木を見ることができます。鋤柄松太郎氏が新天地開拓の記念として植えたと伝えられ、樹齢は100年を超えています。私の住む北区内で唯一北海道自然環境等保全条例で保存樹に指定されています。植えたときはきっと小さなものだったのでしょうが、これが100年かと思わせる大木で迫力があります。

 自宅周辺をランニングするか、遠くまで走るかはその日の気分や疲労度により変わりますが、長くやっているとお気に入りのコースができ、その数は何十本にもなります。例えば20キロにしようと思えばこのコースを、10キロはここを、というのがインプットされています。そのひとつに龍雲寺通過コースがあり、毎年、晩秋の龍雲寺に見事に色付いた銀杏を拝み、写真を撮らせてもらってます。

 この写真は11月3日(月)のものになります。1週間後の9日(日)に再びここを通ったら葉は全て落ちてしまっていました。雪が残る歩道は積み重なった落ち葉でふかふかの絨毯になっていて、それはそれで趣はありましたが、今年は見頃の時間が極端に短かったような気がします。

 日照時間の長い春から夏にかけて光合成で栄養を蓄え、秋になり日照時間が短くなると、光合成により生成される栄養が少なくなるため、光合成をやめて冬に向けて葉を落とす - これを百年を超える間(龍雲寺の銀杏だけではありませんが)繰り返し、現在に至っていることに驚かされます。生命の営みはすごいです。私のランニング・ルーティンなど遙か足元にも及びません。

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絵と手紙

 絵と手紙をいただきました。私が毎日目にする樺戸山系をkitpasでやさしいタッチで描いた素敵な作品です。デスクマットに挟んで毎日見られるようにします。ありがとうございます。

 絵を描ける - うらやましいです。私がまるっきり持ち合わせていない才能やセンスですから。どうしたら人の心を掴む絵が描けるのか。絵心のない私には全く理解できない不思議な世界です。

 自分が描いた絵の講評で唯一覚えていること。それは小学校低学年まで遡ります。夏休みの宿題で、想い出の一コマを画用紙に描くというもので、私は弟たちと虫取り網を持って遊んでいる絵を描きました。

 「どうしてあんたの絵の中の人はいつも全員真正面を向いているの。普通走ったり横を向いたりするでしょ」母から言われた一言です。自分では傑作だと思って母に見せたのに、ずいぶん困った顔をしてそう言われたので、私まで困ってしまいました。果たしてこの絵を提出していいものか、それとも書き直した方がいいものか。すごく困った出来事だったので、今でもその絵のことを中心にいくつかのエピソードが記憶されています。

 夏休みが終わって教室後方の掲示板に貼られた絵を見たとき、母が言うようにクラスメイトの絵の中の人は横を向き、走ったり歩いたりしていました。私の絵だけが全員真正面を向いて笑っていました。クラスメイトとの違いをまざまざと思い知らされたこの日を境に、私は絵を描くことに抵抗感を持つようになりました。

 昔話はこれくらいにしておいて、旅行鞄にスケッチブックとクレヨンを入れて、ちょこっと立ち寄った先の風景をささっと描けたらいいだろうな、と思ったりしています。私には手の届かない夢のような話でありますが・・・

※kitpas キットパス ガラスや鏡などのつるつるとした平滑面に発色良く描け、水拭きで簡単に消去できる、新しい絵具(えぐ)。お米からとれるワックスが原料です。(日本理化学工業株式会社のホームページより)神奈川県川崎市と美唄市の工場で製造・販売

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朝の私

 やわらかな朝陽が差し込んでいます。1週間のスタートです。午後から天気が再び雨になるとのことですが、わずかな時間でも部屋の中に陽が入るのは嬉しいものです。

 静かな朝の中で私はメールをチェックし、スケジュールを確認して、ホームページに掲載する写真と文章を作成します。事前に写真を撮って文章を書いておくことが多いのですが、今日は席に座り写真を撮り書き始めています。

 毎日こうした朝を過ごしていますが、一通りの作業を終えたあたりに先生方が一人、また一人出勤してきます。職員玄関に出退勤を管理するQRコード読取器があり、出勤時にかざすと電子音が「キンコン」と鳴るので、「一日が始まるぞ」と思うわけです。

 さて、先週、情報発信について記載させていただきましたが、昨年度北海道教育委員会(道教委)が各学校の情報発信を効果的に集約・発信する媒体としてnoteを導入しました。情報発信プラットフォームを構築し、各学校が効果的な情報発信をするとともに、道教委がそれらの情報を集約・発信することを目的としています。

 マニュアルを読んで一日がかりで何とか公式ページを登録することができました。当面は本校のホームページに掲載した記事と並行させて運用していきますが、noteから他校の教育活動等も閲覧できますので、是非御覧ください。

 北海道美唄尚栄高等学校公式note https://b-shoei-hs.note.jp

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情報発信

(11月5日 16時05分 4階西側に見える夕暮れ)

 今年度、私が校長として掲げた方針のひとつに、『教育活動の積極的な発信』があります。勤務した学校の全てで校長先生が同じような方針を打ち出していましたが、達成に向けての道のりは言葉で言うほど簡単ではない、なかなかにハードルの高いものになっているな、と私は感じていました。

 そう思いながらも、学校が当然やらなければならないことですから、4月に先生方にお願いしました。6月には教頭先生を講師に『ホームページの更新方法』、総務部主催の『インスタグラム及びYouTubeへの投稿』の校内研修会を実施しました。

 朝家を出て夕方帰ってくるまでの8時間、子供がどのような表情でどのように過ごしているのか、今日何を学んで何を身に付けたのか - 保護者等の方が一番知りたいところです。また、本校の教育活動を見てみたい、知りたいと思う地域の方の想いにも答えなければなりません。インターネットを介して本校にアクセスしていただいたのに、記事が一月も更新されていなければそれは失礼に当たります。このことは肝に銘じなければなりません。

 おそらく私の性格が左右しているのだと思いますが、「何でも一緒にやらなければ気が済まない」人間です。一方向的に伝達することを好みません。格好をつけて書くわけではありませんが、伝達するだけのことを裏付けできる自らの実践がなければ自分自身を納得させられません。自分が納得できないことは人様も納得させられない、と考えます。これは生徒に対しても教職員に対しても同じです。

 お願いするのならお願いするだけのことをしなければならない、というのが私のスタンスです - 私は下手ながらもものを書くことに抵抗がありませんので、自ら撮った一枚の写真をつけて自分ができる範囲の情報発信を行っています。そうしている間に先生方がこまめに記事を上げてくれるようになりました。更新の敷居が下がったのだと思います。これほど嬉しいことはありません。

 学校ほど話題豊富なところはないな、と私は思っています。『情報発信 = 学校行事』、『情報発信 = 部活動』と狭い範囲に限定してしまうと、多くのことを見逃してしまいます。変化の連続である学校は歩けば歩くほど情報を手にすることができます。難しく、そして堅く考えずに小さな気づきを発信していけばいい。ただそれだけのことです。

 「今日、こんなことがありました」を私たちが発信していく。「今日、こんなことを知りたいです」と保護者等、地域の方が閲覧する。1日200あったかどうかのアクセス数が、10月末に2000から一昨日は3000を超える訪問者を迎えるまでになりました。インスタグラムのフォロワーも増加中です。これほどありがたいことはありません。

 見てくれている方がいる - これは私たちにとって最高の励みになります。今後ともよろしくお願いいたします。

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半導体は欠かせない

 超伝導物質を作る - 大学時代の研究テーマでした。ある条件が整うと電気抵抗が0になる物質で、よく耳にするリニアモーターカーの走行に応用されています。当時、室蘭工業大学では城谷研究室が目指す化合物を作ることができなかったので、高温下高圧下の実験設備がある東京大学の物性研究所に出向き、できあがった化合物の物性は筑波の高エネルギー研究所で寝ずの実験で検証しました。

 室蘭港からフェリーで大洗港、大洗から鹿島臨海鉄道で水戸、水戸から常磐線で北千住で降車し、地下鉄千代田線で乃木坂まで行き(当時物性研究所は六本木にありました)、徒歩で研究所まで。それは一大旅行になりました。

 超伝導物質を作るところから検証までには約2~3週間程度の時間を要するため、その間は東京と茨城に長期滞在しました。遊ぶときは遊びましたが、徹夜徹夜の連続で大変でした。

 私が挑戦した化合物は超伝導物質にはならず、半導体の特性を示すものばかりでしたが、わずか一年で日本最高峰の施設で時間を過ごせたのは幸運なことでした。本当は大学に残る道もありましたが、悩んだ末に今の仕事を選びました。どちらが良かったのかはこの歳になっても未だ結論は出ていません。

 11月4日(火)にメカトロ・エンジニア系列2年次生を対象にした『半導体講座』を実施しました。上述の経緯があることから、個人的にこの日を楽しみにしていました。報道等で話題になっていますので、千歳市に次世代半導体の製造拠点となるRapidus(ラピダス)が進出することはすでに御承知おきかと思います。

 2027年に量産が開始される予定になっており、今後、本校の卒業生や本校で学ぶ生徒が活躍する企業になると思います。北海道、日本全体に新たな可能性をもたらすプロジェクトが動いていることにわくわくします。

 50分の講演でしたが、半導体が身近なところに存在し、誰もがその恩恵を受けていることがわかりましたし、半導体の将来の姿を丁寧に説明していただき、生徒は興味を持って話を聴くことができたと思います。

 本校は、地域の方々や各機関の御協力のもと充実した教育活動を展開しています。いつも並々ならぬ御理解と御支援を賜り感謝申し上げます。

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この環境だから・・・

 「ここに(勤めている、通学している)のは、あなたがここで果たすべき役割があり、何かしらの使命があってのこと。文句を言わず置かれた場所で精一杯の努力をすることが大切です。思ったような(仕事、学び)ができなくても、今目の前に与えられた(仕事、学び)に目を背けず誠意を持って取り組めば、それがあなたの肥やしになり、そうした姿に目を留めた誰かがあなたを認めてくれる」これは私の経験に基づくものであり、今でも大切にしている私自身のスタンスでもあります。先生、そして生徒にもこの話をしました。

 先日、出張先においてかつての同僚と顔を合わせる機会がありました。「毎日ホームページで先生のブログ見てますよ」時間がなくて一言二言しか話できなかったが残念、と思っていたら翌晩にわざわざ電話をくれました。
 
 彼にはよく上述の話をしました。「この環境だからこの仕事に出会い自らのスキルを高めることができる。自分が本当にやりたいことができなくても、今はそういう時間なんだと自分に言い聞かせて、いい仕事をしなさいよ」私が彼と接したのはわずか2年間でしたが、自身としっかり向き合いながら成長していく姿を見ることができたのは本当に嬉しかった - そのような記憶があります。

 私は物事の考え方を180度変える生き方を心掛けています(現在進行形です)。環境を嘆かない(その環境で最高の生き方をすればいい)、文句を言わない(そうしている間にどんどん時間は経過しプラス要素が何もない)、定年退職後に始める(数十年数年先の夢を見ず今すぐできることはする)、慌てない(くることがわかっているのだから前もって準備しておく)誰かに押しつけようなどとはまるっきり思ってもいませんが、肩に力が入らずすっきりした気持ちで生活できています。

 さて、話は変わりますが、カメラを持って秋の風景を切り取る時間を過ごしています。管理職になってから6年間休んでいた写真ですので、腕は相当落ちてしまいましたが、また少しずつゆっくりのんびりカメラ旅を始めようと思っています。

(11月2日 札幌市中島公園の秋 写真の一部を加工しています) 

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この風景が好きです

(10月30日 8時36分)

 生徒玄関で生徒を迎えた後、まずは4階へ上がり3階、2階の順番でHR教室の様子を見て回っています。着任してから今日まで静かで落ち着いた朝を迎えています。

 4階の窓から西側に広がる景色を見るのが好きです。何度も転勤を繰り返してきたわけですが、校長として着任した最初の朝の緊張はそれまでのものとは違っていました。そうした中でこの景色を見たのを今でも覚えていますし、その日の想いや感覚を私は一生忘れることはないと思います。それくらい印象に残る朝でした。

 高校を終えるまで私の目の前にあった風景です。この風景の中で走り回り、親に叱られ祖父母に甘えてきました。陽が暮れるまでキャッチボールをして、教科書など広げずに本ばかり読み、やがて心が荒んでわがまま放題になり、そのことから多くの人たちを傷つけ、傍らで将来に不安を抱えながら、いくつかの恋愛を繰り返し、空知を離れたいがために大学に進学しました。

 長いようで短い人生の中で、私は何かを捨てて何かを掴んでこの場所に戻ってきました。私は確かに変化している。でも、この山は何も変わらないあの頃のまま・・・

 僕の目の前のピンネシリ山系に雪渓が見えるようになりました。

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この日、この時間でなければ

 もう雨なら雨でいいや、そう思って外に出ました。平日は静かな夜の町をゆっくりとランニングするのを日課にしています。静寂な空間で感じるのは自らの足音と呼吸のみ。私はこの時間がとても好きです。

 前の晩はゴウゴウと激しい風が雨を巻き散らしていたので外に出ることを諦めました。2日連続でランニングを休むことに歯がゆさがあり、行くしかないと意を決したわけです(こうしたことはいつもあります)。冷え込みが強くいつ荒天になってもおかしくない状況ではありましたが、幸運なことに小さな雨粒が時折頬に当たる、その程度の夜でした。

 国道沿いから幹線の向こう側に橙色の街灯に浮かび上がる銀杏の木を見つけたので、その場所まで走りました。決して大きな木ではありませんが、見事な色付きでしばらく見入ってしまいました。そのとき空から雪が降ってきて、それはそれでロマンチックな空間が演出され、私だけの特別な時間を過ごすことができました。これまた幸運です。雪と冬はどうしても好きになれないけれど、この日、この時間でなければ出逢えなかった風景。ためらわずに外に出て良かったな、と思いました。

(10月28日 19時 美唄市西1条南2丁目付近)

 本当はしっかりとしたカメラでシャッタスピードを3秒程度におとし、傍らにヘッドライトを点した自動車が抜けていけば流れるような光と雪の軌跡を残せたのに・・・スマートフォンで手ぶれしないギリギリのところで撮りましたが、やはり思い描いたような写真を残すことはできませんでした。仮に急いで家に戻りこの場所に20分後にやってきたとしても、同じ景色には出逢うことはできません。写真は、そのとき、を切り取るものなのです。残念です。

 自動車を運転していると気付かない風景でも、自らの足で歩みを進めることでそれまで見逃してきた多くの風景に出逢えます。私のランニングが続いている理由のひとつは、「見えなかったものを見つけられる魅力を知ってしまった」ことです。これは知った人にしかわからないおもしろさです。

 教育の世界にも相通じるものがあるように思います。その日その瞬間に見せる生徒の表情や仕草 - これを見逃さないためには、足で稼ぐことは必須です。とにかく近くまで行って様子をキャッチする。私は今でも実践しています。

 これから出張で札幌に向かいます。明日は更新いたしません。素敵な3連休をお過ごしください。 

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忘れていないよ

 4階の掲示板

 私の余計な言葉はいりません

 一つひとつの作品に

 言葉では語り尽くせない

 深い深いメッセージがある

 「忘れていないよ」

 いつまでも

 忘れないでいることが

 誰かの支えになり

 誰かへの応援になる

 私はそう思っています 

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 今朝のテレビニュースですが、標高300メートルの大倉山(札幌市)はもさもさと雪が降り真っ白な世界になっていました。いよいよだな、と思って外に出たら、私の頭上から雪が落ちてきました。朝7時5分、今年初の雪です。美唄市の初雪になるのでしょうか。

 見学旅行から帰ってきてからずっと天気がぐずついていて、雨ばかり降っています。晴れた日がほぼない状況です。青空が見たい、そう思います。

 朝、校舎内を回っています。4階奥の西向きの窓から灰色がかった空の中にぼんやりと冠雪したピンネシリ山系を望むことができました。この写真からわかるでしょうか・・・

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読書をしない

 北海道新聞の記事に、一日に全く読書をしない小中高生が50%を超えるという記事を見つけました。(無作為に抽出した同一の親子)。今の時代ですから本ではなく端末で読書を楽しむ子どもたちも多いのかもしれませんが、何とも残念な調査結果です。

 長く本に親しみ、本から多くの世界を教えてもらった私から言わせてもらえば(あくまでも個人的に)、読書をするかしないかの人生は180度異なる - そのくらい大きなことと考えます。でも、これは自分自身に言えることであって、他人に強いるものではありません。

 私の経験から読書は誰かに強制されるものではありません。話題となっている本やベストセラーを買い揃え宣伝しても本を手にする人が増えません。お金があるから読むとかお金がないから読まないでもありません。買わなくても学校の図書室や街の図書館で無料で借りて読むことができるわけですから。

 物心ついたときから身近に本があり、仲間と走り回るより本の世界に自分を置き、授業の合間に本を読み、大学の講義の半分は(それは大げさですが3割から4割りは)読書に明け暮れてきた私です。札幌で勤務した8年間の電車通勤は格好の読書の時間となりました。年齢を重ねるごとに気力が薄れ読量こそ激減しましたが、それでも月に2~3冊を読破しています。要は習慣ですし、自分の趣味の範疇に読書があるかどうかではないかと思ったりしています。

 読書する人を増やす議論ではなく、例えば右手を伸ばしたところに本があったり、教室の後ろの棚に本が並んでいたりする中で、何となくその本を手に取る人が一人いて、一冊読み終えた後に「おもしろかったなぁ」と次の一冊を広げる・・・そうした場所が誰かのためにあればいいのでは、と思ったりしています。 

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向こう側の風景

 今朝、『モチモチの木』があるだろうか、と図書館に足を運びました。残念・・・ありませんでした。斎藤隆介・滝平次郎さんの絵本は一冊もありませんでした。無性に読みたくなっているので、土曜日北海道大学の銀杏並木を見に出掛けるので、その帰りに書店に寄ろうと思っています。

 本校の図書館は4階にあります。今まで勤務した学校もほとんどが4階(最上階の端っこ)。小樽と北見の高校は2階でした。それぞれの学校事情はありますが、どうしてか上を好むようです。

 子どもたちがそれぞれ中学3年生になったとき、気になる学校の見学会に参加することから、私も教育関係者ということもあり、いくつかの学校を見学させてもらいました。個人的に本が好きなので図書館の配置が気になり、教室で授業を受けている生徒よりも図書館を真っ先に見に行きました。結局、長男は1階に、次男は2階に図書館を配置する高校に進学しましたが、生徒全員の動線上にある図書館っていいなぁ、と思います。本好きな人がさーっ、と本のある空間に入り、そこで自分の時間を過ごしていく。ぱらぱらページをめくったり、本棚に並べられた背表紙のタイトルや著者名を眺め、この一冊に広がる世界を想像する・・・そんな時間を過ごせる図書館。本離れ、読書をしない人が加速度的に増えているのは、時代背景からもわかるような気がしますが、動線は大きな要因なのかなぁ、と勝手に思ったりもします。

 図書館の反対側になる南向きの窓から見える景色が雨上がりの秋を漂わせていました。こういう現象を気象学的に?何というのかはわかりませんが、少しだけ早く出勤したことで目にできた風景です。何かいいことがあるかもしれないぞ、と勝手に思ったところです。

 ここのところずっと雨が降って、日に日に気温が下がってきています。体調管理に気を付け素敵な週末をお過ごしください。

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お花がくれたプレゼント

 朝一番、私たちをあたたかく出迎えてくれるお花。職員玄関と生徒玄関、そして職員室前に飾られています。本校は節電に取り組んでいますので、生徒が活動する場所を除いた玄関や廊下は陽が入らないため薄暗い状態になっています。スイッチONで全ての箇所を明るくすることは可能ですが、限られた経費を大切に使わせていただくために、本校だけではなく全ての学校が知恵を絞って節電や節約に取り組んでいます。

 ここのところどんよりとした空模様で雨が降り続いています。雨、というだけで気持ちも下がってしまいますが、傘を閉じ玄関の扉を開けると、一点そこだけが明るい。真っ先に目がそこに留まります。おそらく来校された方も「あらっ」と感じてくれるはずです。

 華道部のある学校は本校がそうしているようにお花を校内に飾っていると思いますが、私は本校で働いて良かったなと思うことの一つは『お花が身近にある』ことです。学校現場は日々様々なことが発生します。それは生徒も教職員も。人と人が接する現場ですから当たり前です。私は何もないことを願っている暇はないと思っています。私の働く上でのスタンスですが、何かある前に一手を打つ、何かあったらどのように対応するか、そのことを31年間自分に言い聞かせています。想定しておく準備しておくことの大切さ。これをしておけばバタバタ慌てることはありませんし、自信を持って対応できる。

 話が逸れてしまいました。そういう現場ですから浮き沈みは不定期に訪れます。「あぁ今日はこんなことがあったなぁ」そんなことを考えながら階段を降りてきて玄関まで歩いてきたときに、一瞬お花に目が留まる。肉体的な疲労や精神的な疲れ、イライラやがちがちになった肩、少しだけいいことがあった気持ち、部活動に向かう意気込み、気の進まないアルバイトに行く気の重さ、明日の授業の組立、家族のこと、友達のこと、自分のこと・・・みんなそうしたことを考えながら歩いている。そんな時のお花。自分の気付かないところで何かしらの支えになってくれたり励ましてくれたり慰めてくれたり褒めてくれたりしている。私はそう思っています。

 もしかすると私だけの感覚なのかどうかわかりませんが、お花を見ているその瞬間だけは、花の形、色、香りのことだけで心が動いています。それ以外のことはやはり一瞬ではありますがすっぽり心の中から消えています。これがお花がくれたプレゼントなのではないか。お金に変えられない大切な時間を与えてくれているような気がする。ふと、我に返った時に余計なことが心の中から消えいた瞬間を感じる自分が好きです。自宅庭のお花にのめり込む理由はこの感覚の中にいたいからなのかもしれません。

 思いを込めて生けたお花。作品を飾ってくれる生徒と顧問の先生、御指導いただいています講師の先生に感謝いたします。

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モチモチの木

 朝のテレビニュースでは、北見赴任時の2年間(4月から10月)何度も自動車を走らせた石北峠が映し出され、真っ白な世界を大型トラックが雪煙を上げながら上川方面に向かって走行していました。山間部や峠に降るものはもう雨から雪に変わり、それはこれから少しずつ平野に降りてきます。

 黄褐色に衣替えしたトチノキが眼前にあります。九月はたくさんのトチの実を付け、やがてそれらは落下し一面トチの実だらけになります。今年初めてトチノキを知り、初めてトチの実を手にしました。

 ただ、45年前に担任だった本多先生が、斎藤隆介作、滝平二郎絵の『モチモチの木』という絵本を私たちに読んでくれて、その時にモチモチの木がトチノキで、トチの実を粉にして餅にまぶしてふかして食べる、という話を私は忘れずに覚えています。溢れるように本多先生のことが想い出されますが、斎藤隆介作、滝平二郎絵の作品は他にも有名なものがあり、『八郎』『花さき山』『ベロ出しチョンマ』『三コ』『半日村』・・・どれも心に沁みる話です。本田先生がそれらを読んでくれるのをみんな楽しみにしていました。

 小学生の、しかも低学年の出来事はそう多く記憶できないのではないかと思いますが、そうした中にあって本多先生と絵本の記憶がここまで鮮明に残っているのは、先生の魅力が普通のものではなかったことと、一種独特な版画と子どもの心を的確に捉える語り口にあるのではないか - そう考えたりしています。私の学年だけ16名しかいない小さなクラスでしたが、おそらく全員が本多先生と絵本のことを覚えているのではないかと思います。

 多くの人と出会い、多くの人と別れ・・・そのような人生を送ってきました。残念ながら忘れてしまった人もたくさんいます。何でもかんでも覚えていたら頭がパンクしてしまいますから、私は忘れてしまっていいと思っています。忘れて、新しいことが記憶されて、それでいいと。ただ、本多先生と絵本のことは最後まで忘れないだろうと思います。一人の人間にそれだけの記憶を植え付けてしまう人間力とは何なのだろう。私は一人の教育者としてそこまでの教育や関わり合いができたのだろうか・・・

 私は節目節目で良き出逢いに巡り会う徳を持った人間だと感じることがあります。その一人が小学校の担任の本多先生、中学校の佐藤先生、高校の廣瀬先生、大学の城谷先生、大学で出逢った親友K、そして妻、40歳でのマラソン仲間。困ったときに助けてくれた大切な方々です。

 モチモチの木が深いところまで考えさせてくれる一日です。

 本校の図書館に蔵書されているといいのですが。

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月一回の楽しみ

 窓の外にはちらっと青空が見られ校長室にも陽射しが入ります。夏場は肌にまとわりつくような太陽光線にぐったりしてしまいますが、この季節のものはどこかそんな夏を懐かしく思い返さすような感覚に陥ります。

 秋の空は移り気で、晴れているなと思っていてもいきなり灰色の空に切り替わり、ぽたぽたと冷たい雨を落としてきます。そうかと思えば青空が一気に広がったり。これからは雨が霙に、やがて雪になり大地を真っ白な世界に変えていきます。

 冬が、雪が好きな人には申し訳ないのですが、私には憂鬱な季節の到来です。二十代が終わるまでは、スキーにのめり込み指導員を目指してゲレンデ通いなどしていましたが、それ以降はロッヂでベンチの温め役です。子どもたちと一緒に滑ったスキーも片手ほどで、私はロッヂで「もう帰る」と子どもたちが言うのを待っていました。もうスキー場に足を運び滑走するということはないだろうな、と思います。

 さて、冬の話を書きたいのではなく、お花の話です。月一回の楽しみが昨日でした。お昼休みに華道部の女子生徒がお花を校長室に持ってきてくれました。陽射しで明るくなったり空模様が怪しくなり急に暗くなる本日の校長室でしたが、デスクにお花を置いた途端に華やかになりました。綺麗だな、と思いながらしばらく眺めていました。こんな贅沢させてもらって幸せだな、といつも感謝しています。

 「いつもは学校で生けているのですが、今回はイベントに参加して生けた作品です」と説明してくれました。

 「それでは、写真を撮りましょうか。大丈夫ですか」と私が尋ねますと、「はい、大丈夫です」と笑顔で答えてくれました。扉一枚でつながる事務室に声をかけ、事務主任さんにiPadを渡しシャッタを押してもらいました。

 保護者等の方がお子様の作品を見てくれるといいのですが・・・写真ではなく、直接見たいということでしたら是非御連絡ください。

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翻訳

(写真の掲載については許可をいただいております)

 10月16日(木)タイ王国ストリースムットプラカーン校(Streesmutprakan School)より、教育旅行の一環として13名(校長、副校長、日本語教師、生徒8名、随行員)が本校を訪問しました。

 ストリースムットプラカーン校は、タイ王国サムットプラカーン県に所在する大規模な中等教育機関であり、1938 年(仏暦 2481 年)に教育省により設立されています。現在、中学1年生から高校3年生までの教育課程を提供しており、学業面及び人格面の両方で優れた生徒を育成してきており、在籍する生徒数は3000名とのことです。

 生徒8名はフード系列の3年次生と異文化理解と人的交流を目的とした国際交流プログラムを実践しました。ゲームなどを通して、互いの文化に触れ、コミュニケーションを深めたあと、タイのグリーンカレーを一緒に調理して食べました。最後にプレゼント交換をしてお別れとなりました。

 校長室で通訳さんを介して2時間程お話しさせていただきました。英語ですと単語からもしかしたらこのようなことをお話されているのかな、と想像を膨らませることができるのですが、タイ語となるとそうはいきません。通訳さんのありがたみをひしひしと感じた次第です。

 「これからはメールでやりとりしませんか」と校長先生から提案があり、「おっ、これは困った」と咄嗟に思ったところですが、端末の翻訳機能を活用すればいいのよ、と校長先生が仰り、さっそく私の端末にタイ語から日本語に翻訳したメールを送ってくれました。なるほど。「互いに翻訳したメールでやりとりしましょう」と校長先生は右手の親指を立ててぐりっと大きな瞳で笑いました。「オーケー」と私も親指を立てて約束しました。

 あとから思ったことですが、端末の翻訳機能があれば、変換に係るタイムラグはあっても会話も成立します。便利な時代になりました。大学の卒業前に次男がフランス、イタリアなどのヨーロッパ、韓国に旅に出ました。ツアーではなく、全て自前で。その次男が言っていたことを想い出します。「スマートフォン一台あれば世界のどこでも行けるし困ることはないんだよ」私には遠い話のように思っていましたが、目先に迫った状況になってきました。勉強しなければなりません。

 学校を数日離れておりましたので、本日数日ぶりに更新いたします。閲覧数を見てびっくりしています。22万件を超えるアクセス数となりました。

 いつも御覧いただきありがとうございます。

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私の宝物

 子どもたちがいない家の中はがらんとしてしまい、私と妻の二人では部屋を持て余すような状況になっています。いつか子どもたちがいなくなったらここよりも広い子ども部屋に移ってがつんとJAZZ三昧だな、と思っていましたが、結局そのままこの部屋でJAZZのレコードやCDを聴いています。子ども部屋はあらかた片付けられてはいますが、いつ帰省してもいいように、と妻がある程度の状態を保ったままにしています。私も別に慌てるものでもないのと、移動させるのが面倒でもあり、この部屋でいつまでも時間を過ごしています。

 高校から大学に上がって、半年先には見向きもされなくなるミュージックに飽きてしまい、アメリカの古い映画音楽やコーラスグループの音楽を聴くようになりました。次から次に聴いていくうちに、そのいくつもがスタンダードナンバーとしてJAZZ演奏されていることを知り、そこからJAZZにのめり込みました。「日下、変わった音楽聴いているな」と友人や下宿仲間に言われたこともあります。確かに私の周りではJAZZを聴く者など誰もいませんでした。

 大学を卒業して、自分で給料を稼ぐようになると自由になる小遣い銭も増えたので、休日は旭川、札幌、時には東京に出てJAZZのCDやレコードを買いました。それは今でも続いていて、私の宝物はどんどん増え続け一向に片付きません(妻にとってはガラクタのようですが)。お金がなくなると、土曜日23時からNHK-FMで放送されるJAZZ番組(長寿番組で現在も2時間の放送枠で聴くことができます)をチェックして、気に入った曲やアーティストをメモ帳に書き留め、次回購入のヒントにしたりしていました(現在もしています)。

 週末自宅に帰ると、思い入れのある一枚一枚に囲まれる部屋で、自分で作った真空管アンプに灯を入れ、ターンテーブルにお気に入りのレコードを載せています。その時間が私にとって至福の時となります。ライナーノーツに目を通し、読みかけの本を開き、居眠りを・・・それもまた至福の時です。

 秋は深まりましたが、まだまだ芸術の秋です。素敵なお時間をお過ごしください。

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あんパン

 10月11日(土)イオンモール札幌発寒において、さんフェア2025第1回北海道農業高校収穫祭inイオンが開催され、本校も参加しました。事前に準備していた生産品の販売とパン製造の実演及び販売を行いました。本校を含めて道内11校の農業科のブースが設けられ、多くのお客様で賑わっていました。

 多くの人に注目される中で作業をして、自分で作ったものが自分の目の前で売れていくという経験は、滅多にできるものではないことから、生徒たちにとって貴重な学びになったと思います。安全に作業すること、安心して買ってもらうことについては、授業中に繰り返し聞いてきたことだと思いますが、その意味するところが理解できたはずです。参加した生徒と4名の先生方大変お疲れさまでした。

 午前の早い時間に妻と一緒にイオンに足を運び、生徒が作った焼きたてのあんパンを購入しました。「あんパン、って実はすごく難しいんだよ。あんがきちんと真ん中にくることは簡単じゃないんだから」パン教室に何年も通って、多くの技術を身に付けた妻はそう言いながらあんパンを半分に割り、「あぁ、きちんと真ん中にきているよ」と嬉しそうな顔をして齧りました。「美味しいよ。いいなぁ、パンを焼ける授業があるなら、私、サポート役で生徒と一緒にやりたいよ。そういう学校があったのなら間違いなく入学してたなぁ」

 本校のフード系列で毎日パン作りをしているわけではありませんが、実習の中で様々なパンの作り方を学んだことがきっかけとなり、家庭でもパンを焼き、その趣味が講じてやがてパンを販売するお店を持つ・・・そうした将来が拓けていく可能性がある。私はまるっきりの夢物語ではなく、実現可能な夢であると思っています。商いは簡単なことではありませんから、経営に関する勉強は求められますし、更なる美味しいパン作りの研究や修行も必要でしょう。その努力を積み重ねた先に、本校で学んだ生徒が美唄市内でパンのお店を出店してくれたらどんなに素敵だろう - そんなことを考えながら真ん中にきているあんパンを私も齧りました。

 この日、生徒たちの活躍に背中を押されました。私も自身の夢の実現に向けて負けてはいられないな、と。

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無事終了しました

 3泊4日の見学旅行を無事終えることができました。保護者等の皆様には旅行費用並びに旅行に係る準備等をしていただき感謝申し上げます。御負担をおかけいたしましたが、充実した研修を行うことができ、当初の目的を達成することができました。大変ありがとうございました。

 見学先、宿泊先において、生徒は最高の笑顔を見せてくれました。両手にたくさんのお土産を下げ、ぬいぐるみやキャラクターの被り物を纏い、楽しそうに語らう姿を見ていると、教え子たちと過ごした見学旅行のことや自らの見学旅行のことを想い出しました。みんな同じなんだなぁ・・・そう思いました。

 時間が流れ、生徒たちがやがて子を持つ親になり、五十代六十代と歳を重ねる中で、3泊4日の見学旅行はどんどん点のような記憶になっていくわけですが、それでも何かの拍子にこの日のことを想い出すとき、凝縮された数々の出来事が一気に膨らんでくる - 私自身の経験から、そのような日がいつかくる、そう思っています。

 仲良くしている友達とのお買い物、深夜のおしゃべり、歴史的な建造物をバックに並んで撮った写真・・・一人ひとりの心にしっかり焼き付いているはずです。いつまでも大切にしまっておいてください。

 見学旅行の引率のため、しばらく小部屋の更新を控えておりました。久しぶりにホームページを開きましたら、21万5千を超えるアクセス数となっておりました。

 いつも御訪問ありがとうございます。

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見学旅行に出発します。

 明日から2年次生は3泊4日の見学旅行です。私も引率しますので、今晩はスーツケースに衣類等を詰め込む準備をします。今週から北海道は一気に秋が深まるようで、今朝はそのとおりに空気が冷え込んでいました。薄手のコートが欲しいな、と思わせるような感じでした。旅行先となる関西は日中は25℃を超えるようで、夏物のスーツがちょうど良さそうです。

 飛行機の搭乗は年末年始以来ですので10ヵ月ぶりです。北見に単身赴任していたとき、女満別-丘珠間の飛行機を何度も利用しました。自動車ですと高速道路を利用しても5時間ほど要しますし、特に冬場は交通事故のリスクを避けるため、片道35分の飛行機に搭乗していました。早割ですと片道8000円なので懐にもやさしかったです。
 
 丘珠空港から自宅までは自動車で10分もかかりませんので、妻に迎えに来てもらうとドアtoドアで1時間の移動でした。積極的に飛行機に乗りたいか、というとそうではありませんが、この時ほど飛行機のありがたみを感じたことはありませんでした。早い。離陸してシートベルトの着用サインが消えて機内サービスのアップルジュース(いつもこれをいただきました)を飲み終えると着陸態勢に入ります。19時15分に離陸、20時15分には自宅の玄関です。

 丘珠から女満別に向かう飛行機は風向きによって離陸する向きが変わり、西寄りの風だと飛行機はぐるっと旋回して我が家の上空を飛行します。今度はいつ帰れるだろうか・・・私は小さな窓からこの辺だろうと思われる自宅周辺を眺めては寂しい気持ちになっていたのを覚えています。

 北見での毎晩のランニングにおいて、19時20分頃に女満別を飛び立った飛行機がパッ、パッ、とライトを点滅させて私の頭上を大雪山旭岳方向に飛行していきました。あと30分後に丘珠、そしてこの飛行機に乗っていれば50分後に自宅なんだよな、と思って眺めていました。遠い300キロ先の自宅。今度この飛行機に乗る日のために明日も精一杯仕事をしなければならないな、と自らを励ましていました。

 飛行機の話から私の単身赴任にまつわる話になってしまいました。丘珠空港を飛び立つ飛行機の写真です。

 生徒たちが満足できる見学旅行になることを心から願っています。

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一生懸命に跳ぶこと走ること飛ばすこと、そして、

 一生懸命になっている友を応援し、走った結果を讃え、リレーのゴールにみんなで跳びはねながら喜びを分かち合う。肩を組み、円陣を組み、心をひとつに声を上げる。思い切り助走をつけて跳び、ピストルの号砲でゴールをめがけて全速力、重い球を力の限り向こう側へ飛ばし、大勢でひとつのことに歓喜する時間。そのような機会は人生にそう多くは訪れません。

 人は簡単に一生懸命になりなさい、とは言うけれど、自らの肉体のエネルギーをゼロまで出し切る一生懸命って、人生に何回もあるわけではない、と私は思います。私は市民ランナーですから、年に数度は立ち上がれないくらいの一生懸命はありますが、それはたまたまのことであって、そうでなければ、おそらく高校時代を最後としていただろう、と思ったりしています。

 だからこそ、今、高校生のこの時にその貴重な時間を全身で味わって欲しい。勝っても負けても、1位でも転んでも、運動が得意でも苦手でも、人生の良き一コマを心に焼き付ける時間にして欲しい。一回一回の限られた機会を大切にして欲しい。私はそう願っています。

 恥ずかしい話ではありますが、中学校の陸上競技会のような行事で、全員が100m走を走らされる競技があり、素直でなかった私は意味もなく手を振りながらスタートからゴールまで歩きました。あとのことは全く覚えていません。その記憶しか残っていません。こんな私をみんなはどう見ていたんだろうか。冒頭で書かせていただいたような一生懸命に跳ぶこと走ること飛ばすこと、そして、などとという記憶がありません。寂しい限りです。

 全校生徒が揃う機会は滅多にないので、運動会の開会式前に撮影しました。そのときに、失敗したな、もったいないことをしたな、うらやましいな、と思った次第です。まさに、後悔先に立たず、です。

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疑問の探究

 「それってどうしてなんだろ」1年次生の『現代の国語』で取り組んでいる疑問の探究について、9月2日、3日の中間発表会の様子を校長の小部屋でお伝えしました。その続きとなる発表会が先日行われました。約一月の間に内容やスライドに磨きがかかり、バージョンアップしたプレゼンとなりました。

 真っ先に感じたことはプレゼン力が上がったな、ということです。みんなの前に一人で立つことに抵抗感を持たず、堂々と発表する姿は立派でしたし、質問や提案に対して臆することなく、自らの考えを主張している姿に一人ひとりの成長を感じました。環境が人を変えると言いますが、まさにそのとおりだなと思います。

 このような取組が総合的な探究の時間における発表や就職活動における面接、大学入学選抜試験におけるプレゼン等に結び付いていきます。相手に理解してもらうためには、自らが理解していなければならない。そのためには、物事を掘り下げて学習する必要がある。

 本授業のシラバスを改めて読み返しています。生徒に対し「良いプレゼントは何か、そのためにどのような要素が必要かを考える」とありました。翻って教育職にある私たち向けに言葉を置き換えると「良い授業とは何か、そのためにどのような要素が必要かを考える」となります。教職員一人ひとりに与えられた永遠の課題であり、課題解決に向けた永遠の取組が求められます。

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クッキーとポケットティッシュケース

 9月27日(土)午後から一日体験入学を実施しました。多くの中学生と保護者等の皆様の参加を得て、無事に終了することができました。今回、所用等で参加が叶わなかった方がいらっしゃいましたら、放課後等に校舎の案内や説明をさせていただきますので、本校までお問い合わせください。

 この日の午前中、デザイン系列の2、3年次生3名と担当の先生が校長室を訪れました。デザイン系列の体験を選んだ中学生にお渡しするクッキーとポケットティッシュケースの詰め合わせを私にも、ということでした。心のこもったお手紙が入っていて、この日のために時間をかけて製作し、準備してきた生徒たちの気持ちが伝わってきました。参加してくれた中学生にあなたたちの気持ちは伝わったと思いますよ。

(写真の一部を加工しています)

 ホームページに掲載するけど写真大丈夫、と聞くと「はい、大丈夫です」と生徒たちが了承してくれました。訪れた生徒と一緒に写真を撮ってもらうことが多いのですが、純粋で素直な高校生の姿を見られるのが嬉しいです。みんないい表情で学校生活を送っています。異年次(学年が異なる)であっても仲良く交流しながら学校生活を過ごせるところもいいな、と思います。

 さて、相当昔のことになりますが、私の子どもも高校受験を前にあちらこちらの学校説明会に参加していました(残念ながら当時私が勤務していた学校の体験入学には参加してくれませんでしたが)。あの学校は学校祭が楽しそうだ、国公立大学進学実績に魅力がある、毎日宿題がたくさん出るらしい、家から遠い、制服がない、入試の当日点数を〇〇点くらいとらないとヤバい・・・などと、帰ってくるなり妻にあれこれ話していた姿が目に浮かびます。私はアドバイスらしいことは一切言わず(無関心だったわけではありません)、ただ黙って見守っていました。教育機関に勤めている私が口を挟むと、子どもの選択に何かしらの影響を与えてしまうかもしれない、と思ったからです。いくつか的を絞った高校の中から、自分がここで3年間を過ごしたい、そう思った学校で高校生になってくれれば、それでいいと考えていました。

 二人の子どもが高校受験と大学受験で私と妻をハラハラさせてくれたあの時間を、親として積極的に体験したいとは思いませんが、振り返れば、合格の喜びと思いが叶わなかった子どもの涙、大学受験に向けて勉強する日々・・・子どもたちからいい想い出をもらったかもしれないな、と考えたりもします。

 保護者等の皆様も高校受験を控え落ち着かない日々をお過ごしのことと思います。出願先が決まるまでの間、お子様の思いや悩みを真っ直ぐに受け止め、自らの経験を含めて語ってあげてください。

 御参加いただきました皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

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美唄市立東中学校学校祭の合唱より

 9月26日(金)美唄市立東中学校学校祭の合唱を参観させていただきました。その前に開催された美唄中学校学校祭の合唱コンクールで、鳥肌が立つ感動を味わってからというもの、今日のこの日を私は密かな楽しみにしておりました。一人ひとりの声が重なり体育館に響く歌声は、忘れかけていた遠い昔の懐かしい記憶を呼び起こし、私の心をじーん、じーんと震わせ、何とも不思議な世界に誘っていくのです。

(8月26日 校長の小部屋 正解など で掲載)

 3年生の『正解』本校の教職員が書におさめた『いつも正解などまだ銀河にもない』の『正解」。それまで全く知らなかったのに、書を見た後にインターネットでこの曲を聴き、繰り返し歌詞を読みました。その曲がピアノ伴奏に導かれ、「この先に出会うどんな友とも・・・」と合唱が始まったとき、私は不覚にも目頭を熱くしたわけです。

 小学校から一緒に過ごすことが当たり前だった友とあと半年でお別れになる・・・迫ってくる現実(高校受験、卒業、新たにスタートする高校生活)に不安を抱えながらも、今を精一杯生きている生徒たちの歌声に、私は「大丈夫だよ、君たちなら大丈夫」と心の中で静かにエールを送っていました。心をひとつにして歌ったこの曲、この歌詞がいつまでも君たちを支えているのだから大丈夫。

 振り返ると、私の十代から二十代前半までの人生は、教科書に書かれていないこと、誰も教えてくれなかったことに翻弄されていた気がします。あの頃の自分は常に何かに怒りを感じ、ひたすらに寂しくてひたすらに虚しかった。ケンカした友への詫びの入れ方、父親への向き合い方、強がる自分の在り方、好きになった女性への感情の伝え方、告白されたときの断り方、親友の見つけ方、将来の叶え方、フラれたときの割り切り方・・・毎日そんなことばかりを考え、手元にある小説を片っ端から貪り読み、ラジカセのカセットテープから流れてくる歌詞をノートに書き留め、正解を見つける旅をしていました。そうして何かをあきらめ、何かを手にしてあの灰色の時間をくぐり抜けてきました。

 あくまでも個人的にですが、『正解』の歌詞は中学生や高校生の心を的確に捉えていると思います。「答えがすでにある問いなんかに用などはない」、「僕たちが知りたかったのはいつも正解などまだ銀河にもない」、「解答用紙はあなたのこれからの人生」 - このようなメッセージがあの時にあったなら今頃自分はどうなっていただろう・・・

 この歌が、見えない何かを追い求める若者たちを時にやさしく包み、時に力強く支えてくれる、私にはそう聞こえます。

 東中学校の生徒の皆様、素敵な合唱ありがとうございました。

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時間は人を確実に成長させる

 お昼にフード系列の男子生徒が校長室にやってきました。「製造した食品を食べてみてください」と元気な声で言った後、私にお皿を渡してくれました。肉製品でしたが塩分もちょうど良く大変美味しかったです。ありがとうございます。せっかく訪問してくれたので、会話を楽しもうと私もあれこれ質問したりするのですが、それに対して嫌がることもなく一生懸命に答えようとする姿がとにかく可愛らしいです。

(写真の一部を加工しています)

 さて、10月11日(土)『さんフェア2025 第1回北海道農業高校収穫祭inイオン』が札幌市のイオンモール札幌発寒で開催(午前9時から)されます。本校のフード系列も出展し、生徒が実演と販売を行いますので、是非お越しください!また、各学校の生徒たちの活躍も見ていただけると幸いです。

 4月から今日に至るまでさまざまな生徒が校長室を訪ねてきます。いい表情、困った表情、怒りの表情、涙ながらに・・・そこでの話は個人的なことでもありますから、詳しいことは控えさせていただきますが、一人ひとりが悩みや葛藤を抱え、それでも精一杯生きているということを感じます。「この子たちはこの子たちなりに考え、一生懸命生きているんだ」私は聞き役として9割、残る1割は人生の先輩としてアドバイスすることに徹し、生徒と接するよう心掛けています。

 すっきりした表情で校長室を出て行った生徒たちと日々言葉を交わすことがない分、数ヶ月ぶりに話をすると生徒の成長を感じます。毎日接していると小さな成長を感じるとることは難しいのですが、時間は人を確実に成長させています。5度の担任業務を振り返ってみても、スモールステップを見過ごしてしまい(多忙な日々の中で見取る余裕がないというのが現実です。これではいけないのですが)、卒業段階で一人ひとりの成長を感じて涙していた自分がいます。生徒が訪ねてくるといつも教え子たちとのやりとりを想い出し、あんなことがあったな、こんなことがあったな、と一人懐かしんでいます。

 今思っていることをそのままキーボードで打ち込んでいますので、フード系列の話の展開からまったくつながりのない話になってしまいました。申し訳ございません。

 本日は土曜日ですが、生徒は午前中登校して授業を行い、午後から一日体験入学を行います。

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名前の由来

 華道部の生徒2名が校長室にやってきました。今月の花を持ってきてくれました。ホームページに掲載することを了承してもらい、付き添ってきた男子生徒に写真を撮ってもらいました。「夏から秋に季節が移り変わって行く様子を表現しました。明るい色から暗い色に変化していくように」生徒の思いが生け花に伝わっています。ありがとうございます。

(写真の一部を加工しています)

 デスクに花とネームプレートを並べ、そのネームプレートには、花に由来した何とも素敵なお名前が表記されており、名付けた方の思いがすごく伝わってきました。名前の由来を聞いているかもしれませんが、そうでないのだとしたら、是非聞いて欲しい。そしていつまでも自分の名前を大切にして欲しいな、と願いながらこれを書いているところです。

 以前にも書きましたが、私は自分の名前にコンプレックスを持ってある一時期を過ごしてきましたので、余計に人様の名前が気になります。名前をしっかり背負えるようになったのは大学生になってからで、それ以前は人から名前を呼ばれることが嫌でした。間違いなく自分の名前が呼ばれる入学式、卒業式、表彰式は私にとって人生最悪の日でした。今考えると苗字は先祖に、名は祖父にとても失礼なことをしたな、とは思いますが、当時は本当にきつかったです。

 入学式の式辞や私の名前が記載された賞状を生徒にお渡しするとき、最後に北海道美唄尚栄高等学校長日下剛と自分の口で読み上げます。そのたびに、あんなに自分の名前が嫌だったのに、自分の名前を自分でしっかり言えたぞ、と思っている自分がいます。おそらくこの先もそう思う自分は私の中から消えないと思います。それはそれで仕方のないことかもしれませんが、ただ、胸を張って名前を言える自分になれたことが、名付け親である祖父に対するせめてもの報いになるのかもしれないと思っています。

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本の重みを感じながら

 昨日の校長の小部屋では、読書の秋を楽しみますと書きました。本日の新聞でデジタル教科書を正式な教科書として位置付け、次期学習指導要領が小学校で全面実施される予定の2030年度から導入を想定しているとのことです。私見は述べませんが、情報化の波が加速度的に押し寄せてきていることを改めて実感します。

 校内を回ることが多いのですが、たまに図書室を覗いています。朝一番、夕方遅くに入室すると当然誰もいない静かな図書室なのですが、思うことは、本に囲まれた空間で過ごす素晴らしさをどうしたら生徒たちに伝えられるだろうか、ということです。本離れが進み、手軽な端末の中で物事が完結していくような世の中にあって、一冊の本を手にさせることや読書の良さ、図書室の活用を勧めることの難しさを感じます。

 17歳、高校生のときに村上春樹著「ノルウェイの森」を読んだ衝撃は今でも忘れません。読後に押し寄せてきた一種独特な脱力感と無力感は、それまで感じたことのない不思議な感覚で、しばらくの間何も手につかなかったことを覚えています。

 人を好きになること、生きていくことの意味、これから自分が行くであろう大学とは何なのか、自分とは、大人になるとは、親友とは・・・当時私が抱えていた複雑な思いのすべてが、この上下2巻に集約されていました。自分は何者でどこに向かっていくのか、誰も教えてくれない、結局は自分で見つけなければならないんだ、と教えてくれた作品で、高校2年生から現在に至るまで、何度も繰り返し読んでいる愛読書です。年齢とともに当然受け止め方は変化していきますが、読むたびあの時の17歳の自分に戻れる本でもあります。

 大学時代に出会った妻もたまたま著者のファンだったこともあり、以後三十数年かけてふたりで書店をや古本屋を回って作品のすべてを購入し読んできました。先日自宅に帰ったとき、居間にずいぶん昔の著者の本が置かれていたので、妻も時折読み返しているみたいです。妻とは好きな作品は異なりますが、私は先に書いた「ノルウェイの森」ともう一冊大切にしている作品があり、それは大学時代に読んだ「国境の南、太陽の西」です。個人的に一番好きな作品です。気になる方は是非読んでみてください。

 さて、本校の図書室にも村上春樹さんの本が置かれています。上記の作品は残念ながら棚には入っていませんが、最近の作品がいくつか並んでいて、中には映画(ドライブ・マイ・カー)で取り上げられた短編が納められた一冊もあります。生徒の皆さん、是非手にしてください。

 デジタルもいいけれど、本の重みを感じながら、一枚また一枚とページをめくり、見たこと感じたことのない世界に触れられる読書を楽しんで欲しいと思っています。たかが一冊、されど一冊です。一冊の中に自分の知らない世界が広がっています。

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秋の過ごし方

 あんなに暑かった夏はどこへ行ったのか・・・今年は秋の訪れが早いのか、9月に入ってから急に肌寒く感じることが多くなりました。数日前、大雪山系の初雪の便りをニュースで知りました。このまま秋が深まっていくのか、と思うと寂しくなります。

 食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋とも言われますが、食欲は別として、私は欲張りにも読書と映画、スポーツを楽しんでいます。読書は一度ハマってしまうと次から次に本を手にし、本が切れてしまうと落ち着かなくなる、所謂活字中毒の状態になってしまいます。今晩から読み始める本を含め手元に4冊揃えたので、読書をたっぷり楽しもうと思っています。

 切れ目の良いところで本を閉じた後は、インターネットで映画を楽しんでいます。途中居眠りをして何が何だかわからなくなり、同じ映画を何度も繰り返して見ている始末ですが、配信されている映画が多く飽きることがありません。

 平日の夕食後はランニングを楽しんでいます。陽が暮れるのが早くなり真っ暗な中を気をつけて走っています。そんな中、私を見つけた生徒が「校長先生、こんばんは」と声をかけてくれます。いきなりなのでびっくりしますが、知らぬふりではなくきちんと挨拶してくれるのが嬉しいです。休日は午前中に20~30キロのランニング、午後から花の手入れをするのが10年来の日課になっています。

(札幌市東区 モエレ沼公園)

 今までウォーキングや水泳を趣味にしていた妻が、ここ最近短い距離のランニングを始めました。昨日も自宅から自動車で5分のモエレ沼公園に行き、1周3.75キロを一緒に走り2周目をゆっくり歩きました。5キロを休まずに走ることを目標にしている、とのことで、いつか長い距離を一緒にランニングできたらいいな、とにわかに期待しているところです。

 私は本校の教職員に対して「自分の働き方を自分でコントロールし、プライベートの時間を充実させてください。幸せになること、ウェルビーイングであることについて、それは誰かが与えてくれるものではなく、自らそうあるために自ら作り出していくものです。自分がそうした意識や行動をしていくと、周囲もまた幸せになり、ウェルビーイングになっていきます」と話をしています。これは私自身の経験から言えることでもあります。

 どんなに忙しい中にあっても、プライベートの時間を充実させることは可能です。後回しにせず、今この時に実現させていく、そのようなライフスタイルを確立して欲しいと思います。

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人手不足がもたらすもの

 9月19日(金) 国土交通省北海道開発局様、一般社団法人空知建設業協会様が主催する「学校キャラバン」が開催されました。高校生に向けて建設業の魅力を発信することを目的に、地元建設企業の若手職員による仕事紹介や作業体験が行われました。お忙しい中、本校生徒の教育活動に御尽力を賜り感謝申し上げます。

 日本の総人口が減少するなかで、65歳以上人口が増加することにより高齢化率は上昇を続け、2040年には約35%、2050年には37%、2070年には39%に達すると推計されています。建設業のみならず産業の担い手の確保が急務になっています。建設業の労働力が不足すると、受注できても着工ができない、インフラの維持が困難になるなど社会的な影響が懸念されます。

 例えば、一軒の家を建てるとき、基礎工事(根切り・地業・防湿シート張り・捨てコンクリート・配筋工事・コンクリート打設)、配管工事、足場工事、建方工事、屋根工事、サッシ・ベランダ工事、電気工事、断熱工事、クロス貼り工事、外壁工事、外構工事など数多くの工事があり、それぞれの技術に特化した多くの職人さんが携わります。建設業界の人手が不足すると工事が遅れ、半年で引き渡されていた新築住宅が、1年も2年も待たされてしまい、さらに経費も嵩むという事態が発生します。

 電力会社に就職した次男が先月言っていたことです。「電気の技術屋さんが足りないから、受注はあっても工事ができないんだよ。何ヶ月も先延ばしになっていたり、仕方なく断っているケースもあるんだよな。オレ、高校選ぶとき工業高校への進学なんて一切考えもしなかったけれど、お父さんが教えてきた生徒は貴重なんだな、と思ったわ。工業高校の生徒や専門的なこと学ぶ生徒をしっかり育てて、社会がそういう生徒を大切にしていかなければ、この先困ったことがたくさん出てくると思うわ」

 今回の「学校キャラバン」により、生徒は本校で学ぶことが社会でどのように生かされていくのか、建設業の具体的な話から自らの果たす役割とは何なのか、ということを理解することができたのではないかと思います。

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努力の上に花が咲く

 努力の上に花が咲く

 この言葉をインターネットで検索しましたら、学校法人中村学園(中村学園大学)の創立者、初代理事長である中村ハル氏が、晩年若い世代の学生たちへ贈り続けた言葉であることを知りました。ずいぶん昔から聞いてきた言葉でもあり、私も生徒たちに努力することの大切さを語るとき、真っ先に引用した言葉でもあります。遅ればせながら言葉が生まれた背景を知ることができました。

 冒頭数行書いたところで8年前の我が長男の顛末を想い出しましたので、少しだけ書かせてもらいます。高校の部活動は、小学校から続けてきたサッカーではなく、全く経験したことのないフェンシング部に入部しました。部活動だけではなく遊んで帰ってくることもあったと思いますが、帰宅は毎晩10時11時、休業日は朝から夕方まで出掛けたままで、家でも顔を合わせない日がほとんどでした。大学に行きたい、なんて言っていたけれど、いったいいつ勉強しているのだろうか・・・と私はいつもそんなことを思っていました。

 競技人口が少ないので、インターハイや国体などの全国的な大会に出場することはもとより、本州の遠征も何度も行っていました。2年生の夏に宮城県気仙沼で開催されたインターハイに出場し、こんな時でもないとな、と私も会場に行って観戦しましたが、結局これが長男にとって最後の試合になりました。大会が終わり秋が深まった頃、長男からLINEメッセージを受け取りました。

 ここから残り1年、どれだけ努力しても全国の選手に勝つことはできないことがわかった。今まで勉強もおろそかになっていたから、勝てないことを承知した上で練習に打ち込むのではなく、大学受験に向けた努力をすることにした。このままだと、部活で結果を残せない、大学にも入学できなくなるかもしれない。中途半端な高校生活にしたくない。道具の購入や部活のためにかなりのお金を使わせてしまったから申し訳ないけど、いろいろ悩んだ結果、部活をやめることにした。これからは勉強することにする。部活でやりきった感はあるし - 私は、悩んで出した君の結論を尊重するよ、と返信しました。

 花が咲いたのか咲かなかったのか・・・それは当の本人だけが感じること。でも、私は長男が部活動に、受験勉強に努力してきた過程を遠巻きに見てきたので、どんな形であれ花は咲いたんだろう、と思っています。仮に花が咲かなかったとしても、何かに向かって一生懸命になった努力は長男の足元を固め、生きていく上で貴重なものを手にしたはずだ、と思っています。

 生徒の書が、ずいぶん昔のことを想い出させてくれました。ありがとうございました。

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失敗は成功のもと

(画像の一部を加工しています) 

 失敗は成功のもと - 一度でうまくいくことはほとんどなく、何回も失敗を積み重ねた末、成功するのがふつうである。失敗に気をおとしてはいけない。(新修ことわざ辞典より)

 この書、筆をとった生徒はどのような経緯から「失敗は成功のもと」を題材にしたのでしょうか。失敗した自分を奮い立たせるために書いたのか、それともこれから挑戦する自分を励ますために書いたのか・・・聞いてみたい気がします。

 月並みな言葉ですが、生徒の皆さんには「失敗を恐れず果敢に挑戦して欲しい」と思います。失敗することを恥ずかしいとか情けないと思うのではなく、挑戦しなければ成功することもないんだ、と思考を変えて欲しい。挑戦に失敗は付きもの、と開き直って欲しい。

 私は仕事もプライベートもずいぶん失敗してきました。そのたびに頭を下げて詫びを入れ、二度と同じ失敗をしない、と決意してきました。身勝手な行動によって、人を困らせたり不愉快にさせてしまった数々の失敗については、成功のもとではなく、後悔として40年以上引きずるものとなっていますが、それ以外の失敗については成功云々は別として、私という人間を形成していく上で必要なことでした。

 人の心に傷を付ける失敗をしないこと。不愉快にさせる失敗をしないこと。失敗を真摯に受け止めること。失敗を認め謝罪すること。反省して次に繋げていくこと。失敗しても諦めないこと。同じ失敗を繰り返さないこと。挑戦した結果の失敗をバネにすること。これは私のスタンスです。

 もうひとつ。挑戦しなければならないとき、って必ず人生に訪れます。格好を付けて書くわけではありませんが、私の経験から、ふたつにひとつを選択しなければならないとき、「やる」、「やらない」のいずれかは「やる」を選んで挑戦して欲しい。あえて茨の道、つまり挑戦することを選ぶ・・・そこで失敗することになっても後々後悔することはありませんので。

 失敗は成功のもと、です。とても重みのある言葉です。改めて考えさせてくれた作品に感謝します。ありがとうございました。

 本校のホームページに訪問していただく件数が毎日1000件を超えるようになりました。ありがとうございます。

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夢は「かなうさ」

 本校は、「かなうさ」というマスコットキャラクターを持っています。尚栄の『尚』の文字をモチーフに、そして、尚栄なら夢がかなう、という言葉を掛け合わせて名付けられた可愛らしいマスコットです。

 本校のホームページにアクセスすると校舎の写真が写し出されますが、その真ん中に跳び箱を跳ぶピンク色の「かなうさ」のイラストを見ることができます。『尚』の文字に見えると思います。学校独自の公式マスコットキャラクターを持つ学校はそう多くはないので「かなうさ」をどうにか活用できないか・・・4月からずっと考えています。

 ずいぶん前にデザイン系列の生徒がクッキーを焼いて校長室にやってきました。タグは昨年度のものになっていますが(サンプルなので気にしないでください)、一日体験入学でクッキーをプレゼントするとのこと。「試作なので食べてください」ということですが、なんだか可哀想でいつまでも食べられずにいます。

 夢(手元のある国語辞典より) - 将来実現したいと思う事柄。希望。それでは希望とは - こうあって欲しいと願い望むこと。似たような言葉で使われる目標は - めあて。

 小さいときにはたくさんあって、大人になると失っていくもの・・・一般的にどうなのでしょうか?寂しいけれど、現実を知るにつれて失っていくものなのかなぁ。私は多くの夢を捨ててしまったかも。でも、捨てると新たに見つけるのも、また夢ではないかな、と思います。

 そうした中で見つけた夢のひとつ。それは、六十歳を境にしたそれ以後の人生についての夢です。ずいぶん前から持ち続けてきた夢ではありますが、ここまで先延ばしになり、あと5年半のところに迫ってきました。詳しくは書きませんが、お店を持ちたいと思っています。妻に言うといつも笑われますが、私はかなり本気です。その夢を叶える第一歩として専門学校に通うことを考えています。実現に向けて一歩一歩歩んでいこうと思います。

 十代を生きる生徒の皆さんはたくさんの夢を持っているはずです。無理だではなく、叶えようと思い続けて欲しい。どこでチャンスが巡ってくるかわからないわけですから。

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とら焼きとどら焼き

 5月中旬から校長室の入口扉を開放しています。その扉の付近から、こそこそこそっと小さな声で喋っている生徒の声が聞こえてきました。

 とんとんとん - 校長室の扉がノックされました。

 「校長先生、とら焼きとどら焼きを作ったので食べてください」頭から足下まで真っ白なユニホームに身を包んだフード系列の3年次生が、はにかみながら校長室に入ってきました。訪問してくる生徒はみんなそうなのですが、はにかみ表情が可愛らしくて、いつも私の心を穏やかにさせてくれます。まだまだ子どもなんだなぁ、と思ってしまいます。「せっかくだからホームページに載せる写真を撮ろうよ」と声をかけ、4人で並んで撮りました。

 「どうしてとら焼きなの」と聞きましたら「皮がとらの模様だからです」と返ってきました。なるほど、言われてみれば、です。餡は入っていませんでしたが、とら焼きもどら焼きもどちらも美味しかったです。ありがとうございました。

 とら焼きとどら焼きは、今後開催されるいくつかのフェアで販売する予定になっていますので、手に取ってもらえると嬉しいです。製造の様子を本校インスタグラムに掲載しております。御覧ください。
   https://www.instagram.com/bibai_shoei_highschool/

 みんなで楽しく作って、できあがったものを品評して、何が上手くいって何が足りなかったのかをみんなで考える。それを元に改良していく。大人になってからではなく、多感な高校時代にこのような体験ができることに、私は大きな意味があると考えます。

 変化の激しい時代、人生100年時代と言われています。生徒たちの将来は働く期間が長くなり、マルチステージの時代になります。学んで働き、学んで働き・・・を繰り返す人生になっていくものと思われます。

 【課題】どうしたらとら焼きの皮になるのか 【情報の収集】まずは調べなければならない 【情報の整理・分析】調べたことをまとめる 【まとめ・表現】実際に作ってみる これを繰り返していく。変化が激しく予測困難な時代だからこそ、常に【課題】が降りかかってくるわけですから、学びのサイクルは延々と続いていきます。本校で実践している学び方が、課題解決に向けたひとつの手段として役に立つと思っています。

 9月27日(土)の体験入学の受付をしています。是非、お越しください!!

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夏にさよなら

 夏にさよならしなければならない - 九月の夕暮れはいつも美しいのだけれど、私をセンチメンタルにしてしまう・・・

 9月10日 明治通りと美唄川の交差付近にて(写真を補正)

 夕食後のランニング。見上げる空はわずかに残る朱色が早送りされ、たちまちのうちに濃紺に染まっていきます。この日もそうでした。1分、2分と言ってはいられない加速度感。空の色は駆け足で切り替わっていきました。もう少し近づいたところから、なんて思いながら夕暮れに向かって走りましたが、もうこれ以上行くとこの空を切り取ることができない、と諦めて写真を撮りました。

 ずっと遠くから演歌のような音楽が時折風に混ざって聞こえてきました。空知神社秋季例大祭の初日。秋祭りのスタート。音源はおそらくそこからのもの。

 否応にも秋の訪れを私に伝えてきます。目の前を通り過ぎる赤とんぼ、道ばたに落ちてしまった葉、黄金色の田、道路沿いのすすき、草むらのコオロギの声、そして肌に感じる風・・・

 本日で単元まとめテストが終了します。3年次生は来週から解禁される就職試験に向けた準備、久しぶりの部活動やアルバイト等が再開されます。学校帰りにお祭りに寄っていく人も多いのかな。

 本校の生徒にも秋の時間が訪れています。

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かけがえのない大切なもの(美唄中学校合唱コンクールより)

 美唄市立美唄中学校の学校祭企画の目玉でもある合唱コンクール。かねてより浅利校長先生から「審査員をお願いします」とお声がけをいただいたこともあり、わくわくしながら訪問させていただきました。

 最後に合唱を聴いたのは、次男の中学校の卒業式。その前となると2年遡った長男の中学校の卒業式になります。8年前、10年前のことになります。どちらも公立高校の合格発表前で、親としては子どもが卒業する喜びの裏で合否の行方にそわそわしている、そんな複雑な胸中だったのを覚えています。合唱(たしか大地讃頌だったような)の歌声とともに、脈絡もなく溢れ出してくるさまざまな想い出に浸りながら、私はただただ目頭を押さえていた - この歌声のどこかに、間違いなく自分の子どもの想いが混じっているんだ、そう思いながら聴いていました。

 さて、1番手は2年1組「COSMOS」。表現のしようがないのですが、ピアノ伴奏から心にぐっ、とくるものがあって、最初の歌声がピアノに載った瞬間に鳥肌が立ちました。合唱の善し悪しではなく、子どもたち一人ひとりの想いがひとつに重なって私の胸にどーん、と迫ってきました。

 すごい - それ以上の言葉は出てきませんでした。本当に感動した時って、言葉は出てこないんですね。それともうひとつ、歌詞の一部ですが、ここがとても素敵でした。「君も星だよ みんなみんな 時の流れに 生まれたものなら ひとり残らず 幸せになれるはず」(ミマス作詞)こういう素敵な言葉を大人になっても、いつまでも心に留めておいて欲しいです。

 6つのクラスの合唱は、それぞれのクラスの特徴が表れていて、同じ曲なのに全く違う表現があって素晴らしかったです。ひとつの曲に生徒一人ひとりの想いが乗せられて最後はひとつの歌声になって響く・・・合唱の奥深さに心が打たれました。

 ひとつの歌声にするまでにさまざまな苦労があったはず。それを乗り越えた一人ひとりの心には合唱が終わったという現実だけではなく、かけがえのない大切なものが植え付けられています。美唄中学校の生徒の皆さん、感動をありがとう!

 自校に所属していない子どもたちの写真撮影はできませんので、今日の写真は、合唱コンクールが終了した後に浅利校長先生といただいた給食です。美唄市の給食は食材にこだわっており大変美味しい、と各方面から評判が高いとのことです。そのとおり美味しかったです。ごちそうさまでした。

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目線を合わせて、視点を変えて

 校門前のひまわりが満開になりました!!

 私の朝を出迎え帰りを見送ってくれるひまわりです。

 さて、少し難しい話をさせてください。

 こうなんだ、と決めつけてしまうとそこだけしか見えなくなります。特に若いときは狭い世界のさらに小さなひとつのモノしか見えない - 私自身の経験から言えることでもあります。それで失敗したこと、周りの人に不快な思いをさせてしまったこと・・・私にはたくさんあります。

(立って撮影)

 誰かに教えてもらったことではないけれど、カメラを持ってさまざまな被写体や風景を切り取っていくときに、立ったりしゃがんだりするだけで、ファインダ越しに見えてくる像が大きく違ってくることを覚えました。望遠レンズで引っ張ってくるよりも、そこまで足を運んで像を結ぶと遠くからは見えなかったものが見えてくることを知りました。そんなことは当たり前なのですが、意外と人は気付いていない。

(座って撮影)

 学生時代にカメラを始めたとき、上から見下ろすだけの単調な写真を撮っていたけれど、体調を崩して再スタートしたカメラは目線を合わせてシャッタを押すことが多くなりました。花を撮影することが多かったのですが、マクロレンズで撮影する時など、私は草むらに身を横たえ20センチや30センチまで花に顔を近づけて撮影をしていました。

 離れた位置からはただの花びら一枚でも、ぐーん、と近づくと花びらの筋やそこに載る花粉の粒まで撮し込むことができるわけです。おもしろくてずいぶんのめり込みました。嫌なことを忘れ、心の中に蓄積した負の荷物を捨てられる時間でした。自分自身のモノの見方が如何につまらないものだったか - この時期に教えられたことでもありました。

 そうした経験の中から少しずつ自分自身が変わっていったんだろうと思います。そういう意味では、あの長い時間も決して無駄ではなかったと思います。一方向の高い所から、ではなくて、ぐるーっと回って目線を下げた所から見てみる。被写体の一番いい所に触れることができるはずです。

 目線を合わせる、視点を変える - 始めてみませんか!

 本校のホームページの閲覧誠にありがとうございます。昨日から本日にかけての1日で1400件のアクセスがありました。インスタグラムも更新しておりますので、是非御覧ください。ありがとうございます。

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探究

 9月4日(木) 探究学習中間発表会を実施しました。7月25日に実施する予定でしたが、高温下による熱中症を防ぐため延期させていただきました。進路活動(就職)が本格化する3年次生には、発表会に向けた準備で負担をかけることになりましたが、この日の発表を見て単純に中止にしなくて良かった、と思いました。3年次生の皆さん、本当にお疲れ様でした。また、本校にお越しくださいました皆様に対しましてもお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 9つのブースが用意されました。「商品開発(グッズ)」「商品開発(食品)」「道の駅」「防災」「健康」「広報・SNS」「若者が集まる場所(フード)」「若者が集まる場所(娯楽)」「若者が集まる場所(イベント)」生徒たちが一つ決めたテーマに対して調査し議論を重ねてこの日の発表に繋げました。

 汗を流しながら説明する姿、真剣な表情で語る姿、予期せぬ質問に一生懸命に答える姿・・・教室では見ることのできない3年次生の姿に触れ、私は感動しました。場慣れしている今なら私もできると思いますが、37年前の高校3年生だった自分にこれができたか・・・生徒の姿からそうしたことも考えさせられました。生徒にはさまざまな可能性があるんだな、と思います。

 もしかしたら実現できるかもしれない - そう思わせるアイデアが詰まっています。仮に実現できなかったとしても、誰も気付かなかった発想が詰まっています。この発表で終わり、来年1月までの取組で終了ではもったいないな、と思います。

 この後、地域の関係機関と打合せを重ねていくグループもあると聞いていますので、原石をさらに磨き、輝くものにしていって欲しいです。

 美唄市長桜井様の言葉をもう一度。

 「ゼロから1を生み出す力がこれからは必要となります」

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稲刈り

 5月21日 齋藤農場(齋藤実様)様の田んぼにおいて、美唄市食育事業の一環で行われた田植えに、美唄市立東小学校5年生と本校のフード系列2年次生4名が参加したことを以前紹介させていただきました(5月27日 校長の小部屋 掲載)。

 9月4日 稲刈りのスタッフとして、フード系列2年次生5名が現地に向かい、小学生が行う作業の指導や刈った稲をまとめて縛るなどの手伝いをしました。地域の方々と直に触れ合える体験の場を提供してくださいました、美唄市教育委員会様や齋藤様に感謝申し上げます。

 実るほど頭を垂れる稲穂かな - この日、田んぼの縁に立ち、黄金色に染まった稲を見渡しているときに、この言葉が浮かんできました。実るほど頭を垂れる稲穂かな、と小さな声で口ずさみながら、これはきっと今何かをしっかり考えなさい、というサインなんだろう、と私は受け止めました。

 稲は成長すると実をつけていきますが、つければつけるほどその実(頭)の重みで垂れ下がってきます。「立派な人、人格者ほど謙虚な姿勢である」という例えです。そのとおりだな、と思います。

 いつのことか忘れましたが「謙虚であれ」と教わったことがあります。自分の能力を誇らず素直な態度でいなさい、と説かれました。自分が自分が、ではなく、相手を重んじなさい、と。何の時だったかなぁ・・・思い出せません。もしかしたら母親から、いや、中学校の担任佐藤先生から言われた言葉かもしれません。

 私も人生の後半を走っているわけですから、さまざまな体験や経験を積んできました。これは人に負けないぞ、ここまでやってきた、というプライドは当然あります。ただそのことを以てして、得意になることがないように、といつも自分に言い聞かせています。見せつけようとしない、つまりは、うちに秘めておけばいいのだ、と。これからもそのような生き方をしていこうと思います。

 この日、小学生は泥だらけになりながら稲を刈っていました。子どもたち一人一人にとって、今日の出来事が素敵な想い出として記憶されるといいな、と思います。

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なぜ・・・2

 9月3日(水)4校時 1年次生(1組)で実施していた現代の国語「疑問の探究」についての授業の一コマです。

 「一つのことに集中すると周りの音が聞こえづらくなるのはなぜか」「なぜ人には感情があるのか」「季節ってなぜあるのだろう」「人はなぜ、戦争という愚かな手段を手に取るのか」「なぜ一重の人と二重の人がいるのか」「なぜ同じ日本なのに方言があるのか」「アフリカはなぜ発展しないのか」「ミラという星はどうして明るさ、色が変わるのだろうか」「なぜ学校があるのか」「なぜ身長が高い人と低い人がいるのか」「あくびを見てなぜつられるのか」「ジョギングとランニングの違い」「人は死ぬとどうなるのか」「宇宙は無限なのか」「雲が美味しそうなのは、なんでだろうか」「なぜ日本語話しているのか」「なぜ人は夢を見るのか」「なぜ自分たち大人の言ってることが正しいと言えるのか」「なぜ猫派と犬派がいるのか」

 こうしてすべてを並べて見てみると、確かに「なぜ?」であり、私自身が生徒一人ひとりに胸を張って「こうだからね」と答えられないな、と・・・

 生徒は自分の疑問について調べ、相手に理解してもらえる伝え方を考え、発表に結び付けています。昨日、美唄市長桜井様が本校にお越しになり、1年次生と3年次生にこのような言葉をかけてくれました。「ゼロから1を生み出す力がこれからは必要となります」まさにそのとおりだな、と思いました。なぜ?というゼロのスタートから自分なりの答え1を見つけていく。考えさせられます。

 私は「人はなぜ、戦争という愚かな手段を手に取るのか」「ミラという星はどうして明るさ、色が変わるのだろうか」「なぜ人は夢を見るのか」「ジョギングとランニングの違い」の4つの発表を聞かせてもらいました。ただ調べたことを列記して発表するのではなく、自分の考えを含めた発表になっているのが良かったです。

 ランナーの私は「ジョギングとランニングの違い」の発表が興味深かったです。発表した生徒は図書室で関連する本を見つけ、それを元に考えをまとめたとのこと。図書室に足を運び、本を手にし、ページをめくる - そのことも私としては嬉しかったです。ランニングシューズによる走行スピードの効果について調べてね、と生徒にお願いしましたので、次回の発表を楽しみに待ちたいと思います。

 一生懸命に話す姿、真剣に聞く姿がとても良かったです。生徒たちはすごいな、と感心しました。真剣に聞くことは小さな頃から家庭でも学校でも求められますので、ある意味できて当たり前かな、と思います。しかし、どうでしょうか。一生懸命に話すことって生徒だけではなく、私たち大人を含めてできるでしょうか。特に、昭和世代の私たちはできないのでは、と思ったりしています。

 自分が高校生の時にこのような授業はありませんでしたし、人前で発表をするなんてこともありませんでした。時代が大きく変わってきていることを実感します。今、目の前にいる生徒がこうした経験を積むことは、これから先の人生のどこかの場面で必ず生かされると思います。

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九月のひまわり

 花が好きなので、花の話題が続いて申し訳ございません。ただ、嬉しいので書かせてください。

 ずっと待っていた花が校門前の花壇に咲きました。たくさんの蕾がついていますが、このひまわりが一番最初で、そしてひとつだけ咲いています。そのことによって花壇がぱーっ、と明るくなりました。わずか15センチほどの小さな花なのに、これだけの輝きを放てるのはどうしてなのでしょうか。

 ひまわりに対する私の特別な想いについては、以前書かせていただきました。どこにでもある、どこでも目にする花ではありますが、私にとっては思い入れの強い花になります。あの頃、自分はひまわりに救われた・・・やはり、考えるのはそのことです。

 暖かい日が続いていますから九月に入った実感が沸いてきません。でも、夜風が変わってきました。もう、夏のものではありません。体調を壊さないようにしてください。

 小さな花壇ですが、手入れをしてくれる生徒と教職員がいるというのも、実は私が嬉しいことのひとつでもあります。

 来週には九月のひまわりが満開になるような気がします。楽しみです。

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なぜ・・・

 1年次生で実施している現代の国語「疑問の探究」についての授業を見学しました。相手の理解が得られるような話し方を工夫しよう、という単元で、生徒それぞれが感じた疑問(なぜ?)について、各自調べ学習を行い、そこで得た知識をまとめた上でプレゼンし、それを聞いた生徒が質問や提案をするという取組です。

 「なぜオーロラが発生するのか」「音楽はなぜ生まれたか」「なぜ自然にあるものが燃料となるのか」「なぜ左右で視力は違うのか」「なぜ人は夢を見るのか?」「なぜ人を嫌いになるのか」「なぜだめと言われたことはやりたくなるのか」「推しに対する心理的感情と人々による理解、定着」「色覚異常について」「なぜ色弱の人とそうじゃない人がいるのか」「人はなぜすぐに行動できないのか」「人の目の色の違いについて」「死んだらどうなるのか」「なぜ色々な言語が発達したのか」「なぜ人は悲しい時に涙が出てくるのか」「不老不死について」「黒板はなぜ緑なのか」「宇宙はどうやって出来たのか?」「なぜ1日は24時間なのか」「いじめについて」「血液型はみんな違うのか?」

 どうです?こうした疑問にすぐに答えられますか?私は自信がありません。教科担任の意図するところとかけ離れてしまうと申し訳ないのですが、「これってどうなんだろう」と疑問に思ったことを自分で調べてみる力って、とても大切だと思います。誰かに聞くことですぐに解決することもあるのでしょうが、私はそれだけではいけないと考えます。

 これは私のスタンスですが、躓いたら徹底的に調べます。調べた結果をもとにアタックします。それでも解決しなければ、再び考えて何度もアタックします。その上でエラーが出たら、「ここまでこのようにやってみたけれど、このエラーを改善するのに何が必要でしょうか」と質問します。自分で理解できるギリギリまで攻めます。きちんと理解するのは努力が必要です。

 物事の本質をしっかり理解できていなければ、エラーのない答えを教えてもらっても、次の応用に繋げていくことができません。その状態で人を理解させることなどできない - そのことを大学の研究室で城谷先生から学びました。

 城谷先生から固体物理学のあることについて質問されて、教科書に書いてあることを勉強して答えても、「それってどうして」「どうしてそうなるって言えるの」と間髪を入れずに、どうしてどうしての質問が飛んでくるわけです。その時に言われたことが「日下くん、調べたことをそのまま答えるのではなくて、どうしてそうなるかを勉強しないとダメだよ、そこが一番大切なことなんだから」このことが今も私の中にしみついています。だから仕事をしていても「これってこれでいいの?」と問うている自分がいます。

 それにしても生徒たちの「なぜ?」確かに「なぜ?」です。確かな答えがあるのかないのかも私にはわかりませんが、短絡的にインターネットで検索するだけではなく、図書館に足を運んで本を手にとり、答えを探す旅もして欲しいな、と思います。汗をかいた努力は必ず人を成長させるので。

 普段見ることのできない生徒の一面に触れられて、とても興味深い時間でした。

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一冬越えて

 ヨーロッパ原産のアストランチアという素朴でかわいらしいお花があります。お店で購入すると一株800円ほどの結構高めの宿根草です。我が家では白とピンク、赤い3種の花が6月中旬から咲き始めます。上手に育てると数年後に見事な株になり、40センチほどの草丈でたくさんのお花をつけます。

 開花期間は約一ヶ月で7月も終わる頃、花は終わってしまいますが、十分に乾ききった花をハサミで切って、庭の空きスペースに埋めて一冬越させると、翌年、そのうちの数カ所から芽を出します。確率からいうと10%ほどでしょうか。

 毎年、ゴールデンウィークあたりからいろいろな花の芽が土の中から顔を出すので、それを楽しみにしています。中でもアストランチアの発芽があると、ついつい嬉しくなって「芽が出てきてるよ」と妻を庭に呼びます。そうして二人でのぞき込んでいます。

 11月後半から3月上旬までの長きにわたる冬を乗り越えて命を芽生えさせる・・・その生命力に毎年感動させられます。命ってすごいな、生きるってすごいな、と。私にとっての花々はそういうことをまじまじと考えさせられるものでもあります。

 華道部の生徒が生けたお花が今月も校内に飾られています。御覧ください。

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届けてくれました

 華道部の活動が終わった後に、男子生徒がお花を届けてくれました。4月から部員が月替わりで校長室にお花を届けてくれて、そのたびに校長室に見事な彩りを与えてくれます。何がいいか、それは生徒が生けたということ、そして花の美しさです。

(8月28日放課後 写真掲載については本人の了解を得ております)

 彼は前回4月25日(校長の小部屋には4月30日に掲載しておりますので、是非御覧ください)、私が着任してすぐに届けてくれましたので、生徒の作品がひと回りし、2ローテ目に入ったことになります。毎月毎月、届けてくれた生徒と話をして写真を撮らせていただき、こうして紹介できるのが私にとって密かな楽しみになっています。こんな贅沢をさせてもらっていいのだろか、といつも思っています。

 私は彼に言いました。「この先卒業して、大人になってもたくさんのお花に触れる人生を送って欲しいと思うよ。そういう素敵な人になって欲しいよ」と。

 自分の気持ちを穏やかにさせてくれるものを何かひとつ持って欲しい、という強い思いが私にはあります。たまたま私は花だったりJAZZだったりするわけですが、誰にも邪魔されずに、そのことだけに時間を使える - その時間が、ふと我に返ったときに、弱腰になっている自分を助けてくれていたり、決断を迫られる局面での自分を支えてくれていたりする・・・私の人生の中にはそうしたことがいくつもあります。

 自分の経験にはなかったので余計にそう思ってしまいますが、多感な高校時代に花に触れられるのっていいですね。私は、高校生の頃、花など見向きもしなかった。他に触れるべき見るべきものがたくさんあったということなのでしょうが、たくさんの美しい花を見逃してきてしまった我が人生が残念でなりません。

 多くの生徒が校長室に足を運んでくれます。廊下を歩いていても、教室に入ってもすぐに声をかけてくれます。素晴らしい生徒たちが在籍する学校に勤務できていることに感謝しています。本校のホームページに御訪問いただき、生徒たちの姿を感じとっていただけますと幸いです。

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メッセージカード

 お盆明けの話です。

 O先生がひょっこり校長室に。「校長先生、日本一危険な神社に行ってきましたので」何が危険か・・・そこに辿り着くまでの参道の過酷さが由縁になっているようです。写真を拝見しましたが、高所恐怖症、閉所恐怖症の私には無理です。

 無事に辿り着いたO先生は、御朱印の他に2枚の応援メッセージカードを私にくれました。本当に心のこもった、私ごときのためにわざわざ時間を割いて描いてくれたそのお気持ちが心底嬉しかったです。宝物にしたいと思います。ありがとうございます。

 O先生は、着任早々私の走っている姿を絵にしてくれたことがあり、その絵から芸術センスの高い方だな、と思ってそうした話をさせていただいたら、そのとおり絵心のある先生でした。素敵なセンスをお持ちで、そのデザイン性や発想に驚かされます。私は絵がまったく描けませんので、小学校の図工が嫌いでした。絵の具で濃淡をつけて・・・などと言われるとたちまち調子が悪くなるような人間です。人それぞれいろいろな才能があるんだな、と思います。

 北海道マラソンを控え、にわかに緊張が高まってきていますが、市民ランナーの私は、前を走る誰かを追い抜いて少しでもいい順位を目指す、というものではありません。誰かと勝負して勝たなければならないというレースではなく、あるのは自分との勝負だけです。抜かれようが追い越そうがそれはどうでもいいわけです。

 自分の中に掲げた目標に対して、自分の力だけで挑戦していく、ただそれだけです。格好をつけて書くわけではありませんが、マラソンは、私にとって素直に自分と向き合い、自分と戦いができる唯一のものになっています。

 その目標を達成するまで、あと2分少々というところまで辿り着いたのを最後に、何年も遠ざかったまま手の届かない状態が続いています。初めて完走できたあの時は、わき上がる感情に涙が止まらなかったのに、もう完走が目標ではなく、タイムを目指すマラソンになっています。

 簡単に言うなよ、とトップアスリートに叱られそうですが、100メートル走で10秒00と9秒99、わずかコンマ01秒を縮めるのと同じくらい、私にとって2分という時間は困難な数字になりつつあります。しかし、諦めてはいません。

 2枚の応援メッセージが、ゴール7キロメートル手前で思いっきり背中を押してくれるといいのですが・・・

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見学旅行に向けて

 本校の見学旅行は2年次生で実施しており、今年度は10月7日(火)から10日(金)の3泊4日、行き先は関西方面(大阪、京都)です。

 8月27日(水)5、6校時で生徒向けの説明会を行い、本日夕刻より保護者等に向けた説明会を実施いたします。まだ先のことと思っていましたが、一月先に迫ってきました。出発に向けて本格的な準備がスタートしています。生徒も見学旅行を楽しみにしていると思います。

 指折り数えて12回見学旅行の引率をしました。沖縄3回、九州3回、関西・関東・東海5回、道内1回となります。直近の関西方面の見学旅行は2年前で、広島県→大阪府→京都府の行程になります。原爆ドーム、厳島神社、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、金閣寺、清水寺でなかったかと思います(たくさんの引率で記憶が曖昧になってきています)。

 どの見学旅行においても同じですが、たくさんのお土産を買って、美味しいものを食べて、両手いっぱいに自分用の服やぬいぐるみを持ち、笑顔でホテルを歩き回る生徒たちの姿が浮かんできます。今回もきっとそうした生徒の姿をたくさん目にすることになるのだろうな、と思います。楽しみです。

 令和4年度、管理職として沖縄の見学旅行の引率をしました。コロナ禍での旅行でしたので、出発から帰着まで気が抜けませんでした。新型コロナウイルスに罹患した生徒が出て、沖縄まで保護者の方に来てもらうなどの対応もありました。

 私が在籍した学校は旅先を変更をしながらも見学旅行を実施しましたが、令和2,3年度は、見学旅行そのものを中止した学校も多かったはずです。

 たった一度しかない高校時代に、それも一番の楽しみとなるであろう見学旅行が中止になってしまった、涙をのんだ先輩たちがこの日本に数多くいることを私たちはいつまでも忘れてはなりません。

 4泊5日の沖縄が九州長崎に変わり、関西に変更せざるを得なくなり、そこもダメで東京を外した関東で2泊3日、よしこれで行けるぞと思ったところで、再度東北に旅先を変えざるを得なくなり、青森の下車は認められず岩手とその帰りに函館なら寄れる - 出発したのは3月中旬。とにかく中止にしない、ただそれだけを思って奔走しました。こうしたことが数年前にあったわけです。行かせてあげることができた、ただそれだけでした。当時の生徒たちは現在、自分たちの見学旅行のことをどう思っているのだろうか・・・気になります。

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正解など

 夏季休業明けの登校で全員が目にした作品。そしてそれはこれから毎日目にすることになります。みんなの目に留まる位置に、青春真っ盛りのみんなを支えてくれるであろう書を掲げました。本校の先生が書いた作品です。作品の素晴らしさは当然ではありますが、万人が思いつきもしないであろうこの芸術的な言葉の綴りが、今を生きる高校生の道標になるはず、と私は思っています。

 8月上旬に第3回教育大学旭川校書道研究室卒業生展が札幌市で開催され、招待状をいただいたこともあり足を運びました。恥ずかしながら筆も立たず、見せられるような字も書けない私ではありますが、人生で初めて『書の存在感』、『書のエネルギー』のようなものを感じました。数々の作品を目にし、「これはすごい」 - あまりに圧倒的で、もうそれ以上の言葉が出てこないのです。書き手の想いや魂がまざまざと迫ってきて、下手なコメントを述べるくらいなら、ただ黙って作品の前に立ち、感じるものをすべて全身で受け止めればそれでいいんだ、と思いました。

 この日、偶然にも教頭先生も会場にいらしたので、「作品を校内に展示して生徒に見せたいですね」という話になり、実はこれが冒頭の経緯となったわけです。大切な作品を惜しみなく提供してくれた先生に感謝いたします。

 「正解」という野田洋次郎さんの曲と詞を昨日インターネットで拝聴・拝見しました。静かな美しい曲でありながら、メッセージ性の高い、実に心に沁みる奥深い素敵な音楽と詞でした。できることなら高校生の時に聴きたかったな、と真っ先に思いました。夢があっても結局は既定路線に身を委ねるしかないのか、という葛藤や不安、怒りと諦めの中で、それでも一歩一歩現実に向かっている自分にもやもやしていたあの頃に出会っていたら、自らの心の有り様をやさしく包み込んでくれたはず。もしかしたら別な答えを探す旅に勇気を持って踏み出せたかもしれない・・・今さらですがそんなことを考えたりしています。大学時代からほぼJAZZしか聴いてこなかったので、日本の世の中にこんな素敵な音楽があったことに驚きも感じています。これからは音楽についてもう少し広くいろいろなものを吸収していく必要がありそうです。

 生きる、ということは、1足す1が2となるような、きれいな答えと正解ばかりではありません。そのほとんどは銀河のような空間の中で、自分の立ち位置すら曖昧な状態にありながらも、これかもしれないという光を見つけ、自分の足でその光を掴みにいくような、そんな旅を続けていくことなんじゃないか、と思います。誰かが放った正解のような光が、自分が探している正解を照らすものにはならない。自分の進むべき道は自分で拓きなさい。正解などないのだから自分で正解を見つけなさい。野田洋次郎さんの意図するところとはかけ離れているかもしれませんが、私はそう考えています。

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整理整頓から学校が見える

 日曜日の夕方 - 「明日生徒が元気に登校してくれるだろうか・・・」妙に緊張して心臓がばくばくしました。

 昨日25日(月)久しぶりの登校日になりましたが、私は朝の目覚めと同時に再び緊張し、その状態で職場に入りました。一月に及ぶ長い休暇になりましたので、ぎゅっとネジを締め直したかのような生活に生徒がうまく順応できるだろうか、そのことが心配だったわけです。

 朝の登校の様子、全校集会でステージから見た生徒の表情に曇りがなかったので、ひとまずほーっとしてはいますが、御家庭におかれましては、いつも以上にお子様の様子に気を配っていただき、話を聴いてあげたり問いかけをしたりして、コミュニケーションを図るようお願いいたします。何かございましたら学校へ連絡をください。

 私も学校閉庁日を含め、長めの休暇を取得しました。自分の実家と妻の実家で一泊ずつお盆をしてきました。もう子どもたちを伴った帰省ではなく、私と妻の二人だけの帰省です。ずいぶん前のことになりますが、子どもたちがサッカーと野球の少年団に所属していて、毎年、練習や試合のスケジュールの穴を見つけて、それぞれの実家へ帰省していたことが懐かしく思い出されます。もう同じような時は二度とやってはこない、そのことは理解していても、にぎやかだったお盆と年末年始の帰省に思いを馳せる自分がいたりします。

 さて、話を元に戻します。校舎内を歩いて生徒の様子を見て回っています。私が教室の後ろから突然入っていっても別段驚く様子もなく、普段通りに振る舞ってくれるのが嬉しいです。先生方も最初の授業ですから、生徒の表情を見ながら工夫した取組をしているのが見てとれます。生徒と先生が会話のキャッチボールを交わしながら授業に向かっているのがとてもいいです。

 並んで廊下を歩く姿、笑い声、体育館から聞こえる歓声、お弁当袋を下げた姿、駐輪場の自転車、ホールのベンチに腰掛ての談笑・・・生徒がいると学校が元気になります。

 教室後方のロッカーに鞄が入りました。整理整頓された使い方がおわかりになると思います。当たり前、といってしまえばそれまでですが、私が教室に入った時に真っ先に見るところです。こうした小さな箇所に学校のすべてが現れてきます。

 みんなで利用する場所だからきれいにする。つまり、教室は自分の部屋ではなく、みんなの部屋 - 私はそのように考え行動する心豊かな生徒を育てたいと思っています。それができて始めて次の段階の学びにつながっていきます。これは私自身の教育のスタンスでもあります。

 本日、学校生活2日目を迎えます。

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ゆっくりゆっくり

 約一月にわたる夏季休業を終え、本日登校日を迎えます。身体が重い、すっきりしない、憂鬱、冬休みまでまだまだ長いなぁ・・・そうした気持ちで今日を迎えているのではないかな、と思います。

 休み明けの初日。それぞれにそれぞれの思いで登校してくるはずです。今日というスタートラインは同じであっても、スタートダッシュはそれぞれです。素晴らしい加速で前に進める人と、躓いて転んでそこから立ち上がり走り始める人もいます。今週は、いきなりシフトアップするのではなく、ゆっくりゆっくりの加速でいきましょう。慌てずに自分のスタートダッシュを切ってください。

 始まりに当たり、生徒の皆さんにお願いです。多様な人がいる中で私たちは生きています。思いやりに欠ける行動や言動、わがままな考え方、自分を中心にした生き方、人の気持ちを考えない生活は、他者を傷つけ、他者を不愉快な気持ちにさせます。人との関わり方について、自分自身はどうなんだろう、ということについて思いを馳せて欲しいな、と思っています。

 朝、7時18分にこの記事を書いています。あと40分後に皆さんが登校してきます。どきどき心臓が鳴っています。私も緊張した朝を迎えています。

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読書

 恥ずかしくてあまり大きな声では言えませんが、大学の講義中は読書ばかりしていました。もちろんすべてではありませんが、哲学の講義の時に教授に見つかり、こっぴどく叱られたことがありました。「き・みっっ、ここからデテいきなさいっ」いつもは穏やかな教授でしたが、この日は鬼の形相で私を睨みつけていました。私のクラスで、大学生にもなって、しかも教授から叱られたのは、私だけだと思います。

 「すみませんでした」と私は謝罪し、素直に講義室から退室しました。隣に座っていた親友が後から「日下な、お前が悪いんだから、教授の部屋に直接行って、もう一度謝罪してこい、そうしなかったら単位出してもらえないぞ」と心配してくれたこともあり、翌日謝罪しました。その後どうなったかについては、今この場に私がいることで想像してください。

 小さな頃からずっと本に触れてきました。祖母がいつも本を読んでいたことと、母親が童話集を定期的に買ってくれたことが影響しているのだと思います。居間に一台のテレビがありましたが、私たち兄弟3人が番組を見られる時間は6時から8時までに放映されていたマンガのいくつかだけでした。それも父親の機嫌を伺いながらでしたので(ほとんど機嫌が悪かったのですが)、連続的に続いていく物語性のあるマンガですと、一話を見逃すと虫食いになり、突然展開が変わるためずいぶんと案配が悪いものになりました。テレビの前に子ども3人が笑い話しながらワイワイ楽しそうにしているところに、父親は自然に入り込むことができなかったのだろうと思います。テレビを見たくても落ち着いて見ることができないので、私いつも祖母の隣で本を読んでいました。そうした背景もあって、母親は月に一冊本を買ってくれたのかもしれません。

 現在に至るまで読書を続けておりますが、高校生、大学生の頃は月に5~10冊ほどを同時に読み回していました。ずいぶんとエネルギーを要する読書をしていました。もう、今はそんな読み方はできません。私は、登場人物の一人を自身に投影した読書をするので(これは今も変わりません)、10冊も抱え込んで読んでしまうと、10個の世界に生きている状況になってしまい、何が何だかわからなくなりました。それでも見たことのない世界に自分が生きているような気がして、とてもいい時間を過ごせたように思います。

 今朝、本校の図書館でずらり並ぶ本の中から、伊与原新(いよはらしん)さんの「宙わたる教室」を見つけました。定時制高校の科学部を舞台にした物語ですが、実は少し前にNHKドラマで放映されたのを私は見ていました。すごくいい話なので紹介いたします。

 本のある空間が好きです。時間があると街に出掛け本屋さんで時間を過ごします。苫小牧では定時制課程の勤務でしたので、午前中は図書館に行って本を読んでいました。北見では週末はランニング後にカフェでのんびり本を読んでいました。

 電子媒体で読書できる時代になりましたが、やはり一冊の本を手に取り、その重さを感じながら珈琲を飲みゆっくり活字を楽しみたいと思っています。

 本校ホームページへのたくさんの御訪問ありがとうございます。

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「尚栄いいところ」

 生徒が「尚栄いいところ」を書いてくれましたので、ここに紹介いたします。このように書かれています。そのまま引用させていただきます。生徒の生の声ですので説得力がありますよ。

 『幅広い分野を学ぶことができる』
 『個性あふれる人がたくさんいるところ!』
 『元気いっぱいな人が多いところ!!』
 『元気いっぱいの挨拶が聞こえてくる!』
 『設備が整っているところ。』
 『将来の夢に合わせて知識や技術を深めることができる。』
 『実習が多くていろんな経験ができる!』
 『空知唯一の総合学科 選択科目が多くやりたい授業ができる』
 『自分に合った授業が選べる!! 資格をたくさんとれる!! 行事が楽し  い!! 先生がやさしい!!』
 『駅が近い 先生と生徒が仲良い 行事が楽しい 部活が豊か』
 『カリキュラムが充実している 先生が優しい あいさつが活発 資格取得ができる テニス部が強い 授業がおもしろい! バイト、部活、生徒会の両立が可能!!!! 行事が充実!』
 『近くにすき家がある!! 近くにセブンがある! 先生がやさしい! 生徒がやさしく、明るい!! 授業がおもしろい!』

 それぞれの学校にいいところがあります。もちろん本校にもいいところがたくさんあります。今日はいいところを自慢するのではなくて、今、これを書いている私が思っていることをそのまま書きます。

 いいところを探す人生を送れたら幸せになれるのではないか - そんなことを考えています。簡単なようですが、どうでしょうか・・・逆を探すことが多くないでしょうか。逆を探すと気持ちがどんどん荒みます。ものの見方考え方の視点が、その後の人生を大きく左右するような気がします。人生を豊かなものにするかしないかは、その多くが他者に左右されるのではなく、結局は自分自身の考え方ひとつにあるのではないかと思います。

 たくさんのセミナーや研修会に参加してきた中で、「グループを組んだ人のいいところを見つけて付箋に書きましょう」というような時間を与えられることが何度もありました。きっとこうしたところに行き着くのだろうな、と改めて思っているところです。

 4月着任した際に「新たな企画、取組に対しては、どのようにすればそれが実現できるかの視点で考える」ことを先生方にお願いしました。これは私自身の生き方に寄るところが大きいのですが、2つの選択肢の一方に偏って決めつけないことを大切にして欲しいということです。

 人は深く考える前から否定的な方向に偏って物事を捉えてしまう傾向があります。それはもしかしたら間違ってはいないのかもしれませんが、そこに固執してしまうと、せっかくのGoodアイデアがかき消され、次の世界を見るチャンスを失ってしまいます。これほどもったいないことはありません。

 否定的な見方ではなく、肯定的な見方で見てみよう - 生徒の言葉から考えさせられました。

 ありがとうございました。

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帰省

 ぎゅっ、と暑いお盆休みになりました。皆様はどのようなお盆休みを過ごされたでしょうか。普段会えない方とゆっくりお話をしたり、旅行に出掛けたりなど良き時間を過ごせたことと思います。

 私は妻の実家と自身の実家の両方に帰省し、その足で先祖供養をしてきました。故人の面影はその時点の記憶で止まったままですが、それぞれの母親は確実に老いており(その分自分も歳をとっているわけですが)、何とも言えない複雑な思いの中で時間を過ごしていました。そうさせてしまうもうひとつの理由は、帰省するたびに空き家が増え、建物が取り壊され空き地が目立つようになっていることにもあります。記憶の中の景色と一方的にかけ離れていく現実の狭間で、母親の老いに直面するのは切ないものがあります。

 東京に転勤して以来2ヶ月ぶりに会った長男は、恋人と揃って顔を出し、庭でのバーベキューを終えるとそそくさと帰って行きました。私もずっとずっと昔に同じようなことをしていたな、と思いながらも、それでも久しぶりに家族が揃い元気に過ごしていることを喜べたのは良かったなと思います。私と妻の母親は私たちの帰りを待ち、私たちは子どもの帰りを待っている・・・そうしたことが繰り返されていくのかなと思います。

 自宅から6キロメートルほど離れた所に、頭上を飛行機が通過する私の大好きな場所があり、毎日ランニングでその場所に向かい、ひとり芝生に座り繰り返される離着陸を眺めていました。それぞれの想いを乗せた旅立ちとそれぞれの想いが詰まった到着に、帰省することの意味や歳を重ねていくことの意味をぼんやり考えていました。

 さて、学校はまだ夏季休業期間ですので、進路活動や部活動で登校する一部の生徒の姿しかなくとても静かな時間が流れています。まだまだ暑い日が続きそうです。体調の管理には十分気をつけてください。

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お盆休み

 雨に当たったらそれはそれで仕方ないかな、と覚悟して外に出ました。そこまでしてランニングする意味がありますか - そう問われても私は「意味はないけれどランニングするのです」と答えるしかありません。自分でもよくわからないのです。

 1時間をかけてゆっくり市内をランニングして、ゴールとなる借家までもう少しというところの西の空。ぎりぎり雨にも当たらず、偶然にもこの空を見ることができて、やっぱり外に出て良かったな、と思いました。こういうことが答えなのかな、なんて思ったりしています。

(8月5日 18時59分 写真を一部補正しています)

 前の日の夜、お袋から、お盆遊びに来るのかいとのLINEメッセージがありました。そういう時期なんですね。親になって、子どもたちが大学生、社会人として巣立っていった時、お盆と正月に子どもたちが自宅に帰ってくるのを楽しみにしている - そんな自分にふと気がついた瞬間がありました。と、同時に、今まで深く考えなかった子を想うお袋の気持ちにも触れたような気がしました。よくわからないけれど、何かがぐーっ、と胸に迫ってくる・・・そんな瞬間でした。

 36年前、親父と過ごした最後の夏です。いや、過ごしたと言えるだろうか。私は親友とふたりで大学の夏季休業を利用して北海道一周の旅をして、その帰りに少しだけ実家に寄って室蘭に戻りました。数時間の滞在。親の気持ちも何も考えず、自分の遊びだけを優先して自由気ままな時間を過ごしていました。

 あの時、親父もお袋も何も言わなかったけれど、「あんた、もう帰ってしまうのかい」もしかしたら私の背中にそう言いたかったのではないか・・・そんなことを今さら考えています。

 さて、本校も来週は学校閉庁日に入ります。良きお盆休みになることを心より願っております。

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廃材、でも、立派な作品

 先日、帯広工業高校で開催された北海道高等学校工業教育研究集会に参加しました。『高等学校における工業教育の果たす役割の重要性に照らし、研究集会を通じて、工業教育に携わる者としての専門性を向上させるとともに、工業教育の一層の充実・発展を図る』ことを目的に、毎夏開催されているものです。

 夏季休業期間中の先生方はのんびりしているか、と言ったらそうではありません。授業や部活動等で時間が割かれないこの時に、スキルアップを図るため、全道各地で開催される研修会に参加し、他校の先生と情報交換を行ったり、オンラインやオンデマンド研修で教科指導や生徒指導等に係る資質能力を高めています。

 さて、その帯広工業高校で生徒手づくりのお土産をいただきました。廃材を生かした人形です。本校も実習費は限られていますから、かつては捨てられていた材料を無駄なく有効に利用しています。どこの学校も無駄なく最後まで使い切る、そうした取組を進めています。

 見れば「そうか」となりますが、100人いたら100通りのアイデアが出てきて、例えば、①この写真の頭の部分が正六面体だからサイコロにしよう ②上部となる一面にボール盤で単純に穴を開けて鉛筆立てにしよう ③積み木の一部材にしよう・・・すでに3つのアイデアが浮かびます。一個ではなく二個組み合わせたら、四個組み合わせたら「あっ、よくあるキューブカレンダーつくれるかも」これでアイデア4つ目。1分間で私は4つのアイデアを提案できました。

 自慢するわけではありませんが、私は結構なアイデアマンだと思っています。その私からしても生徒の発想は思いつきもしない新しい世界を見せてくれます。そこがおもしろい。この写真を見なかったとして、この人形を思いつくでしょうか・・・アイデアを提案した生徒と形にした生徒に感服します。

 アイデアと工夫が先行き不透明な社会を生き抜く術になる、と私は考えます。学力の高さや学歴ではない、発想の豊かさが新基準になる世界がすでに到来しています。アイデアと工夫を大切にする工業高校や本校のような総合学科で学んだ生徒たちが、新たな価値観を生み出し、魅力的な社会を創りをしていく - 私はそう信じています。

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夏空?秋空・・・

 (校舎4階から)

 7月中旬過ぎの猛烈な暑さがありましたから、それと比較するといくらか過ごしやすい日が続いています。しかし、ジメジメと蒸し暑く、洗い立てのYシャツに袖を通した瞬間から背中のあたりが肌にまとわりついてきて、どうもすっきりしません。

 先日、朝のニュースを見ていましたら、ススキの開花が秋の判断に用いられているとのこと。間違っていたら申し訳ないのですが、函館は例年(昨年?)よりも12日早いススキの開花を迎えた、と気象予報士が話していました。秋の気配など全く感じませんが、季節は夏から秋に向かっているということなのでしょう。

 そう遠くない昔のような気がしますが、お盆を節目に吹く風が夏のものから秋のものに、それはまるで決まりごとのように、肌感覚で誰でもわかるような形で季節の移行を告げてきました。夏の日にさよならするのがさみしくて、やがて赤とんぼが空を飛ぶのが切なくて・・・そうした少年の頃の記憶が今でも残っています。

 借家の庭のあたりから、自宅に帰ると隣の空き地から、ぎーっ、とキリギリスの鳴き声が聞こえます。夕刻のランニング中に、みーんみーん、と蝉の声が聞こえました。みんな夏を精一杯生きているんだな、と思って過ごしています。

 生徒の皆さん、保護者等の皆様お元気にお過ごしでしょうか。まだまだ暑い日が続きます。体調に気をつけてお過ごしください。

 全国各地で水難事故が発生しています。暑いと人は水辺に集まります。川、湖、海で過ごす時間に十分お気をつけください。

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ひまわり

(7月26日 美唄月形線沿いのひまわり)

 札幌の自宅に帰る途中、フロントガラスのずーっと向こう側に広がる鮮やかな黄色の絨毯が目に留まりました。この時期ですから『ひまわり』です。ひまわりは私にとって特別な花です。一色の黄色は近づくにつれ、それは一本一本、一つひとつの花の表情が織りなす黄色に変化していきます。路肩に車を停め、私はひまわり畑の端に立ち、ずっと昔に見続けてきたひまわりのことを考えていました。

 前にも書きましたが、20代半ばに体調を壊し、心も身体もこてこてにやられてしまったときに、カメラを車に積んで北竜町のひまわり畑に何度も通いました。29歳で次の学校に転勤しましたから、夏の北竜町で4年間ひまわりの写真を撮っていたことになります。

 誰のことも気にせずに、ただ自分の信念を持ち、太陽に向かって鮮やかに輝きながら凛と立つその姿に、私はずいぶん励まされ勇気づけられました。また、一本一本のひまわりが共に支え合いながら一つの黄色を作り上げている姿に感動しました。なんだかそこにいると、手の施しようがなかった心の荷物をひとつずつ捨てられるような感覚の中で、自分が何に迷いどうありたいのかについて素直に向き合うことができました。あの数年間は間違いなくひまわりに何かを求め、ひまわりから自身の進むべき道を教えてもらっていました。

 ひまわり(向日葵)は、太陽神にちなんだ「あなただけを見つめる」という花言葉を持ち、愛や信頼の象徴とも言える花です。これだけ多くのひまわりが、しっかり自分を見てくれている - あの頃は本当にそう思いながら自らを奮い立たせ生きていました。以後、15年にも及ぶ苦しい時期を過ごしましたが、振り返るとそれは決してマイナスではなく、自分を成長させるいい時間であったように思います。

 話は変わります。有名な映画ひまわりを知っていますか。ずいぶん昔の戦争と恋愛をテーマにしたイタリア映画ですが、この映像に映し出されるひまわりの風景はもう圧倒的に美しくて言葉を失います。是非見て欲しいと思います。

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美しい風景を、美しいまちを

 自ら撮影した写真とシャッタを押した時に感じたことや思ったことを綴る校長の小部屋も、スタートしてから3ヶ月になりました。できるだけ撮影したときの気持ちを素直に綴ってきたつもりです。その写真を撮ったときに自分が何を感じ、何を思ったか、そこにこだわりを持って書いてきました。

 私は、小学生の頃から祖母の隣で静かに本を読み、本の中の登場人物を自らに当てはめて想像したり、物思いに耽って時間を過ごす少し変わった子どもでした。ある日授業で詩を習ったとき、自ら思ったことをこんなにも端的に、そして形にとらわれることなく自由に書ける言葉遊びに衝撃を受けました。それからというもの詩を書き続けました。

 夏休みや冬休みの自由研究の作品が並べられたテーブルには、友達の大がかりな作品ばかりが並べられ、私だけノート1冊なので周りからずいぶんひどいことを言われましたが、担任の先生だけは「いろいろな思いが伝わってきます」と褒めてくれたのを覚えています。両親から褒められることがなかったので、そのときの喜びは今でも忘れず記憶に残っています。

 いつも物思いに耽り、思ったことをノートに書き留めておくというようなことを小学生の頃から続けているので、書く、ということに関しては抵抗はありません。文章の善し悪しは専門ではないのでわかりませんが。

 4月、ホームページの更新が滞っておりましたので、どうにかしなければならないですね、と教頭先生と話をしてきました。そのときに教頭先生から「校長先生の思いを書くページがあればいいと思いますよ」とアドバイスをいただき、誰かに更新を依頼する前に自分で更新すればいいのだという思考回路に至りました。教頭先生が私が書くことへのきっかけをくれました。ありがたいな、と思っています。

(7月23日 18時29分)

 地球環境が変化してきていると言われ、この暑さもその影響なのかな、と思わざるを得ない状況ですが、夕刻にこうした風景を見ると、子どもの頃から見てきた空や雲と何ら変わらない、この先もずっとこの風景が続いていくんだ、そう納得している自分がいます。でも、もしかしたら続かないのかもしれない、と思う自分にも大きな戸惑いを感じています。確かにこの場に立って見上げた空や雲は、あの頃と何も変わっていないのです。ただ、唯一違っているのは気温です。この時間で30℃です。こんなことはなかった。

 美しい風景を、美しい町をずっと残していく・・・今を生きる私たちの責任です。それは大人だけではなく、生徒も一緒です。便利さだけを追求するのではなく、後ろを振り返り、置き去りにしてきたものをゆっくり見つめ、未来に残すもののために探究し、小さな個人レベルのことでも行動を起こす必要があるのではないかな、と思います。

 生徒には是非自分の住む町の空を見上げて欲しい。雲が織りなす模様をゆっくり眺めて欲しい。勉強や部活動、恋人や友人、進学か就職、今日と将来・・・私も高校時代にはありました。生徒もさまざまな思いや悩みの中で生活しているはず。そうしたことを一時でも忘れさせてくれる風景が目の前に広がっています。美唄の風景は本当に美しいです。美しいものに素直に触れてください。

 夏季休業に入り、私も出張や休暇取得もありますので、毎日の更新は控えさせていただきます。時折訪問していただけますと幸いです。

 暑い日が続きますのでどうぞお身体を御自愛ください。

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暑い夏

(7月23日 8時36分 朝から30℃を超えています)

 6月中旬から高温が続いておりますが、今週は暑さのギアが一段上がった感じがします。夜になっても気温が下がりません。

 私は四季の中で夏が一番好きですが、それはかつての北海道の清々しい夏と連動するものです。近年の夏は身に危険を感じるところもあり、好き嫌いなどと悠長なことは言っていられない状況になっています。

 窓枠クーラーやスポットクーラーを稼働させて教室の室温を下げるようにしてはいますが、教室という空間に多くの生徒がいると、人が発する熱等もあって思うような効果が得られません。今年度からジャージ登校させるようにしましたし、授業中の水分補給、運動を伴う活動の中止等を含め、生徒の身体に負担をかけないよう取り組んでおりますが、今後も熱中症から生徒と教職員を守るため、アンテナを高くしていかなければなりません。

 私が借りている家、そして自宅にはクーラーは設置しておりません。扇風機、換気扇、サーキュレータを稼働させて何とか凌いでいます。もう限界だわ、と妻はクーラーの設置を特に今夏は口にするようになっています。そろそろ本格的に検討しなければいけないかもしれません。自宅は特殊な窓ですので窓枠クーラーやスポットクーラーの取付ができないため、エアコンの導入の検討をしなければなりません。我慢するところは我慢するけれど、私も妻も少しずつ歳をとってきたことを考えると、暑さから身を守ることに我慢する必要はないな、と真剣に考える今日この頃です。

 すでに連絡を差し上げておりますが、本日、臨時休校といたします。突然の御連絡に驚かれたと思いますが、不要な外出を避け、自宅において水分の補給をこまめに、暑さで疲れた身体をゆっくり休めて欲しいと思います。

 明日は夏季休業前の最後の登校日となります。暑さが心配ですが、元気に登校してください。

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本校生徒の活躍を見に来てください!!

  

 7月31日(木)15時から16時になりますが、コアビバイ市民ふれあいサロンにて『尚栄高校フェア2025夏』を開催いたします。例年、冬場に開催しておりますが、今年は年2回として夏場にも開催する運びとなりました。

 『文理・教養系列』と『デザイン系列』は作品の展示や掲示、『情報通信マネジメント系列』は広告の作成及び販売活動、『メカトロ・エンジニア系列』はミニマイコンカープログラミング体験、電子工作、実習作品の無料配布、『フード系列』は加工品(ジャム、カレー、ベーコン、フランスパン、生ハム等)の販売を行います。 

 本校は体験的な学びを重視しており、校内を歩くと必ずどこかの系列が実験や実習を行っています。教室に入って生徒の様子を見ていますと、座学で見せる表情とはまた異なるいい表情で楽しそうに作業に取り組んでいます。何かをつくる経験は必ず深い学びに結びつきますし、何かをつくった経験は更なるものづくりへの興味や挑戦につながると私は信じています。

 これからの世の中の変動を考えますと、本校のような学びの形態が必ずどこかで役に立つはずです。究めることだけではなく、広く対応して生きていく力がますます求められます。5系列の総合学科高校ですが、私は「人が生きていく上で大切な衣食住が詰まった学校」と考えています。道内でも非常に珍しいスタイルの学校です。

 各系列での取組と生徒の活躍が集約されたフェアとなっております。私たちは、北海道美唄尚栄高等学校の教育活動を幅広く知っていただく機会と捉えています。毎年楽しみにされている市民の方が多いと聞いておりますが、市内外を問わず是非お越しくださいますようお願い申し上げます。

 本校ホームページ(トップ)のお知らせ欄に、広告を掲載しております。必要に応じてダウンロードしていただき、御覧くださいますようお願い申し上げます。

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傾聴すること

 「傾聴」とは、相手の立場に立ち、気持ちに共感して理解しようとすることで、相手の話を聴く際に、善悪や好き嫌いの評価を避け、相手の視点に立つことが信頼関係を築きます。その際、最も注意しなければならないのは、自分の否定的な反応を控えること。相手がどうしてそのように考えるようになったのか、その背景に関心を持って聴くことが大切です。

 私は、「心で聴いてあげる」、「目で聴いてあげる」、「耳で聴いてあげる」この3つの聴いてあげるをずっと大切にしています。中学校の時の担任の佐藤先生が実によく話を聴いてくれたから、今の私があるのかもしれません。

(3つの花が寄り添って咲く - 自宅庭より)

 ある電気工事会社を仲の良い二人が受験し、一人は内定、もう一人は不採用になったとき、不採用になったユウダイは目に涙を浮かべ私の前に呆然と立ち尽くしました。私はユウダイを自分の車に乗せ、学校から離れた誰もいない場所に車を停め、「ここで気の済むまで思いっきり泣きなさい」と言いました。ユウダイが落ち着いたときにはかなりの時間が経っていましたが、その間、私もある試験に失敗して不合格通知を手にして泣いた高校時代を思い出していました。

 ユウダイは今まで努力してきたことや不採用の悔しさ、これからどうしたらいいのかということを話してくれましたが、私はただ黙って静かに話を聴いてあげました。僕が今何かを言うべきではない、ただ聴いてあげればいいんだ、その先のことはいつか話をしてあげればいい - そう思いました。「ゴウさん、話を聴いてくれてありがとう」とユウダイは真っ赤な目で、でも少しだけすっきりした表情を私に見せました。もう16年も前の話です。

 8年前に東京で受講した研修の一コマで、実践を含めた「傾聴」をみっちり学習させられました。特に「傾聴」を意識してきたわけではありませんが、この時に私のやっていることは実は「傾聴だったんだ」と気付きました。私は高校生の頃からずいぶん友達の話を聴いてきたし、一通り話を聴いてから自分の思いを伝えるようなところがあり、控えめな人間だな、なんて思ったりしていました。でも、それはそれでおかしいことではなかったんだと思った研修でもありました。

 自分の思いだけをまず伝えたい、そう思うところではありますが、相手の気持ちを受け止めてあげることを心掛けてみましょう。今までと違った世界が目の前にあらわれますよ。

 「傾聴」とても大切です。

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課題研究

 「何をしているの?」と質問しました。一人は「3Dプリンタの調子が悪いので直しています」もう一人は「マイコンカーのセンサをハンダ付けしています」メカトロ・エンジニア系列の課題研究の授業を見学しました。それぞれにテーマを持って取り組んでいるおり、トレーニング器具を製作するグループやベースギターを製作する姿もありました。何かに夢中になれる時間を持てるのはいいですね。とにかく表情がいいです。

 ものをつくることイコールすぐ完成ではありません。まず思うように動作しません。最悪は全く動作しないということもあります。その事実に直面したときに人間性を垣間見ることができます。腹を立ててしまう人(そもそも自分で取り組んだ結果に腹を立てても)、放り投げる人(今まで作業に費やした時間はもったいなくないかな)、動作するまで作業する人(完成して使う喜びを感じたい)、すぐ人に聞く人(これ、大切だけど手ぶらはダメです)・・・

 わからないことがあればすぐ聞くことも大事ですが、私は聞く前の在り方にこだわります。これは生徒だけに求めるのではなく、仕事をする大人にも求めます。大学の研究室で仕えた城谷教授に徹底的に報連相の指導をされ、そのことが社会人になるにあたってすごく役に立ちました。

 「日下くん、どうすればいいですかって聞くけど、どこまで自分で考えてどこでつまずいたの。それを聞かせてもらえないのなら教えようも答えようもないんだよ。まずは自分がどうしたいのかが大切なんだよ。どうすればいいと聞くのはやめなさい。」こう言われるとわからないことを徹底的に調べたり勉強したりしなければなりません。しかし、これが自分の理解度を確認したり、何をしたいのかにつながる大切なことでした。ゼミには厳しくユーモアたっぷりの先生で、私は先生に出会わなかったら今とは違った人間になっていただろうと思います。

 課題研究の様子を見ていて、研究室で実験に明け暮れていた時のことを思い出していました。聞く前に調べたり、この先どのような見通しを持って進めていくのかを考える - そのような生徒に育って欲しいと思っています。

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ごちそうさまでした

 「とりめしとナムルを作ったので食べてください」3年次生の2名が私のところにやってきました。選択科目『フードデザイン』の授業で作った料理です。「楽しく作れたかい」と聞きますと、ふたりは声を合わせるように「はい」と答え、爽やかな笑顔を見せてくれました。せっかくなのでホームページに掲載するよ、と断って、写真を撮らせてもらいました。

 美唄市はとりめしで有名ですが、農林水産省のホームページを読みますと、美唄市の郷土料理として親しまれ、発祥は北海道の開拓が本格的に推進された明治時代にさかのぼり、現在の美唄市中村地区に入植した農場主の中村豊次郎氏が、稲作が軌道にのるまでの期間、小作人たちの家計と健康を気遣い、つがいの鶏を与え養鶏を奨励したとのこと。その後、米がとれるようになると、客をもてなすために飼っている鶏のお肉を米と一緒に炊き込んだ「とりめし」で振る舞った、と記載されておりました。うむ、なるほど。歴史的な背景を知ることで地域理解につながります。私も勉強になりました。

 家族で私の実家に帰省するときに、途中美唄市内のとりめしを食べました。子どもたちが小学生だったように記憶していますが、よほどインパクトがあったのか、以来とりめしが食べたい、と言うようになりました。私と行動を共にする帰省はそれほど多いものではありませんでしたが、何度かお店に寄って食べました。

 やがてふたりが大学生になり自動車を運転するようになった頃、「子どもたちだけで食べにいったこともあるんだよ」と妻から聞いたこともあります。私が美唄に転勤が決まったことを子どもたちに伝えると、それぞれから、いつでもとりめし食べることができていいよな、と言われました。たった一度寄ったその店のとりめしの味がふたりには忘れられないものになったんでしょうね。

 生徒たちが作ったとりめし大変美味しかったです。ごちそうさまでした。

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ありがとうございます

 暑い日が続いています。教室に窓枠クーラーを取り付けてはいるものの、期待したほど室温が下がらず、生徒も暑さによる疲労が蓄積しているのではないかと思います。負担を軽減するため、半袖やハーフパンツでの登校をさせていますが、今後も厳しい暑さが続くので注意が必要です。バランスの良い食事、十分な睡眠、水分補給を実践して乗り越えていきましょう。

 日が暮れても気温が大きく下がることはありませんが、それでも夕刻になると少しだけ肌に心地よい風が流れてくる - そんな日もあります。借家にはクーラーを取り付けていないので、仕事を終えて部屋に入ると熱がこもって30℃になっていることは珍しくありません。風をとおし、室温が下がることを期待して、私は一時外に出ます。

 外に出るたびに美しい美唄の空が見られるわけではありませんが、たまたま、偶然に出会うことができます。そういう日は得をした気分になります。この日も草むらに腰掛けずっと空を見ていました。

 夕刻、少しだけ空を見上げてみましょう。身体も心も癒してくれる素敵な空が広がっているかもしれません。自分が立つその場所でしか見られない自分だけの空が広がっているはずです。

 4月22日現在95,336アクセスでしたが、約3ヶ月で5万件のアクセスがありました。本校ホームページへの御訪問ありがとうございます。

(7月14日 午後6時25分)

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先の答えを見つける旅へ

(写真の一部を加工しています)

 山型パン、フランスパンをつくる授業の様子です。つくりたいな、と思いました。一から自分でつくったパンを食べたとき、生徒たちは何を思うのだろう。みんな笑顔で「美味しいね」って言いながら食べるのでしょうね。家でつくってみようとか、パン職人をイメージしたり・・・想像するだけで何だか楽しくなってしまいます。

 家を建てるときに、お菓子づくりが大好きな妻が、ガスオーブンは絶対ね、と言うので、私は何も考えないでいいよ、とオーケーしました。後に妻は3,4年パン教室に通い、今でもパン、ケーキ、お菓子をそのオーブンで焼きます。誕生日、クリスマスは妻の焼いたケーキでお祝いをしています。

 オーブンの前で焼け具合を小窓からのぞき込んでいる妻の表情は、どこか子どものようでもあり、嬉しそうな感じを受けます。フランスパンの焼け具合を私もガラス越しに眺めさせてもらいましたが、妻の気持ちがわかるような気がしました。わくわくするのです。うまく焼けているだろうか、膨らんでくれているだろうか・・・

 本校に勤めるようになって、自分でつくりたいという欲求が日に日に高まっています。食べるだけではダメなんだ、自分でつくるスキルを何とか身に付けたい。正直、生徒たちがうらやましいです。

 生徒には、他の人ができないことをやっている自分にプライドを持って欲しいです。本校で学んでいる自分をたくさん楽しんで欲しい。高校に入学して一般的な学習をすることは誰でも同じですが、本校の学びはそれ以外のプラス要素(付加価値)があります。ものをつくることができる、というのは私はすごいことだと思っています。買うことはできるけれどつくることはできない。世の中そうしたことが多いのが現実です。

 本校は専門を学ぶ単置校(農業高校、商業高校、工業高校)ではなく、5つの系列を持つ総合学科ですから、ひとつの学校の中におもしろい学びが満載されておりドラマチックです。授業の様子を見て回っているだけでわくわくします。

 それぞれの系列におもしろさはありますが、フード系列で行っている食品加工の実習やデザイン系列の調理実習、ライフデザイン実習については、着任して3ヶ月間興味を持って見学しています。自分の知らなかった世界に触れられる喜びを日々感じています。

 先日、パンづくり授業の写真を見た妻が「えっ、学校でこんなおもしろいこと学んでいるんだね」と言いました。「そうなんだよ、こうしたスキルがあれば、美唄の空き店舗等を利用してパン屋さんをすることも夢ではないんだよ。もう一回高校入学できるなら、間違いなく尚栄に通うと思う」と私は答えました。

 昨日も書きましたが、つくった先のことを考える学びが必要です。生徒たちがつくったパンは7月31日(木)にコアビバイ様を会場に開催する『尚栄フェア2025夏』に販売予定です。販売した先のことを考える学びが必要です。自分たちのつくったものが地域にどのように生かされ、さらに自らの人生にどのように結び付いていくのか・・・誰も答えを導いてはくれないわけですから、先にある答えを見つける旅を続けていかなければなりません。

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みんなで街を考える

 7月9日(水)3年次生総合的な探究の時間の一コマです。

 『若者が集まる場所』をテーマにした班がコアビバイ様に出向き、商店街振興組合の方々と意見交流を行いました。私も最初から最後まで参加させていただきましたが、両者にとって大変有意義な時間になり、生徒の深い学びに結びついているな、と感じました。

 私が中学生や高校生だった頃にこのような学びがあれば、私の故郷は現状とは180度異なった別の姿を見せていただろう、と思います。残念でなりません。しかし、今、この学びを続けている生徒たちの10年先20年先の故郷の形は、人口の減少などの諸課題に直面しつつも発展的な変化を遂げているような気がします。

 現在もそうですが、これから先は教室で黒板を見て先生の話を聞き黙々と学んでいくというスタイルは消え、地域を核にして各教科の関連を結びつけていく横断的な学びが主流になります。この日は、まさにその学びの実践でした。

 かつては、インターンシップを実施しました、工場見学に伺いました、講演を聴きました、ボランティアに参加しました、地域の課題を知りました、ものをつくりました、発表会を行いました・・・行動実践することで完結でした。しかし、数年前からその実績のさらに先のことを考えた教育が求められています。私たち教員は、急ぎ足で頭の切り替えをしなければなりません。

 今回の取組も一昔前の総合的な学習の時間であれば、『若者が集まる場所』について生徒同士で議論を重ね、「こんな施設ができればいいよね」、「こんなイベントをすればいいだろうな」と、素晴らしいプランが出てきても、最後は教員側で講評して完結でした。もしかしたら、町内や街全体を活性化させる貴重なプランだったかもしれないのに。

 生徒が考えた案を大人が聞いてくれる。大人は今まで気付かなかったアイデアに驚く。大人はもしかしたらその案が実現できるかもしれないと真剣に考える。実現に向けて生徒と一緒に活動していく。近い将来こうした街づくりが日本全国至る所で当たり前に起こっていくと思います。今回の生徒の提案が何かの形で実現できれば素晴らしいです。

 今後の社会像(教育)のキーワードは、「人口減少・少子高齢化」、「地球資源の有限性」、「持続可能な社会」、「子どもの多様性」、「子どもの貧困」、「ウェルビーイング」、「グローバルな協働」、「生成AI」、「社会の急速・非連続的な変化」、「学校の包括的な役割」だと考えます。

 私が教員になった時に32年後の教育の役割が今のようになっているとは想像できませんでした。そして、現在、1年前2年前に求められていたことが古い情報となり、次から次に書き換えられています。定期的なバージョンアップではなく、日常化したしかもフルモデルチェンジ的なバージョンアップとなっています。それだけ教育の動向は加速度的に変わり続けています。私を含め教員全員が常にブラッシュアップしていかなければ、時代に取り残されてしまう、そんな緊迫した状況になっています。

 今求められているのは、「地域を核とした教育活動」である。このことを肝に銘じなければなりません。

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夕暮れの空

 (美唄中学校裏の農道にて撮影)

 7月9日(水)18時47分

 ランニング最中に出会った夕暮れの空。

 言葉を失う美しさ。

 この日のこの時間の美唄のこの場所にいて良かった。

 カメラを、写真をまたやりたいな、と思いました。美しく素敵な空を三脚に載せた一眼レフでしっかり納めたい・・・そんなことを思いながら、スマートフォンを空に向けました。

 走ることが生活の最優先事項になって13年、その裏で13年間カメラから遠ざかっています。たまにランニングバックにミラーレスの一眼を入れて走ることはありますが、目的が距離やタイムになると、重たいカメラはお荷物になってしまい、結局防湿庫に眠らせたまま家を出てしまいます。

 写真なら写真だけの一日を過ごす - そんな時間が私にはありました。長い期間体調を崩し(仕事は休まずいきました)、すがるような気持ちでカメラ機材を自動車に積んで出掛けました。家にいることも人に会うのも嫌で、出会う風景に心を許し一人シャッタを押していました。いったいどれだけの回数シャッタを押したかわかりません。ファインダを覗き、シャッタを押す。一回押す、その行為ごとに心の迷いをひとつずつ消し去ることができるんだ - そう信じて写真を撮っていました。

 写真は大学時代から始め、教員になって3年間忙しさのあまりカメラを持たず、27歳から先に書いた理由で再開してランニングを始める41歳まで、車一台購入できるくらいのカメラとレンズでさまざまな被写体を撮影してきました。

 ランニングをして、庭に出て、珈琲を飲んで、本を読み、JAZZを聴き、カメラを持って・・・1日の中でそれだけのことはどう考えてもできません。優先順位の高いことから手をつけていくと、ほとんどのことがやれないで終わってしまう。カメラの優先順位は下にある、どうしたものか・・・ここ数年考えるのはこのことばかりです。

 趣味は増やすものではないのかもしれません。

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代弁

 どう表現したらいいのかわからない気持ち - 高校生くらいの時は誰にでもありますよ。通過儀礼だから、そうなってしまっている自分に戸惑う必要はありません。ずーっと先に今を振り返ったとき、あぁそういうことだったんだな、とわかる日がきますから。

 持って行き場のない私の気持ちを慰めてくれるのはいつも音楽でした。来る日も来る日もラジカセから音楽を流していました。もう、この時の私を代弁してくれるのはこのアーティスト、この曲しかない、それくらいのめり込みました。

 学校祭における芸術部の作品は部員全員の、いや、今を生きる高校生の気持ちが込められたものなんだ、と私は確信します。「そんな自分を変えたい」「良いことばかりじゃない」「痛くて泣きたい時もある」そうだよ、そうだよね、と思います。私もそうだった。

 大勢でひとつの作品づくりをする書道を私は本校に来て初めて目にしました。最初は新入生向けの部活動紹介。今回が2度目。他の学校の高校生が取り組んでいるのをテレビニュースで何度か見たことがありますが、いざ自分の目の前で展開されると、心が揺さぶられ、私などすぐに目頭が熱くなります(実は涙を流して見ていました)。若いエネルギーがひとつのものに込められる、というのはただそれだけで美しく、本当に感動的で、勇気や希望がじゅわじゅわとわいてきます。

 ずっと昔、この作品の元となっているアーティストが在籍した学校に、東京で行われた研修プログラムの一コマとしてたまたま訪問しました。案内をしていただいた校長先生が、「実はうちの学校から出たバンドなんですよ」と紹介してくれました。それがきっかけとなり、こんな私でも何曲か知っている次第です。

 私にとっては耳に入ってくるだけの音楽でしたが、作品から改めて歌詞の一部を読ませていただくと、高校生の想いを的確に捉え、やさしさを持って聴く人の進むべき道を示しているな、と感心します。今の私にこのような立派な言葉は並べられません。その時、その年齢でしか書けない。想いはその時にしか代弁できない。そうしたものはきっとあるのだろう、と私は思います。だから、多くの人の心を捉えることができる。

 この前も書きましたが、学校祭の有志ステージにおいて男子生徒が歌を唄いました。歌詞がすごく良くて(高校生の切ない恋が綴られているように私には聞こえました)、歌った生徒にアーティスト名と曲名を聞いたら、妻が大好きなアーティストでした。私はここ三十年JAZZしか聴きませんので、妻と音楽の好みは一致しませんが、妻にその話をしたら棚からその曲が入ったCDを出してきてくれました。歌詞を読むと、私が感じたままの言葉が綴られていました。素敵な歌詞でした。

 好きな女性にどのように告白するかを悩み、手紙を書いては書き直し、成就した恋と打ち破られた恋、フラレて落ち込む時間、10円玉を落としながらの公衆電話、彼女と時間を決めての深夜電話・・・そうした私の揺れる想いを、音楽と歌詞が支えてくれました。

 高校生だった自分と本校の生徒の生き様が重なり、何かあるとひとり目頭を熱くしています。もう戻ってこない青春を、こんな歳になってもいちいち考えてしまうのはどうしてなんだろう・・・未練があるわけでもないのに。我がことながら不思議です。

 全校生徒が毎日この作品を目にしています。ふと、見上げたその目にこの言葉が映り込み、その生徒にとっての勇気になり、慰めになり、励ましになり、支えになり・・・そうなってくれれば、と私は思っています。

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花を持ってきてくれました

 学校祭前に生けたお花は、校舎内各所でのお披露目ではなく、デザイン系列の展示スペースの一角に並べられることになりました。学校祭で来校する多くの方に見ていただくことを考えるとそれが一番良かったと思います。

 6日(日)、7日(月)と学校は休業し、昨日お昼過ぎに華道部の女子生徒2名が校長室にお花を持ってきてくれました。生けてから日にちが経ち、残念ながらお花も少しだけ元気さを失っていましたが、デスクに置いて観賞させていただきます。ありがとうございました。

 本当は花と生徒の写真を撮りたかったのですが、元気いっぱいのお花の時までお預けにしました。申し訳ないと思いつつ、生徒に作品への思いを聞いたら「大きな葉っぱで夏の暑さを表現しました」と話してくれました。右下の葉がそれです。担当の先生に誘われて2年次生になってから華道部に入部したとのこと。家ではずいぶん前からハイビスカスを育てていて、きれいな花が咲くようです。学校祭楽しかった?と聞きますと、クイズや踊りがすごく楽しかったです、と笑顔で答えてくれました。

 夏真っ盛りです。我が家の薔薇は6月の2,3週目に満開となりました。一端休息に入り、白と赤のアナベル、ヤマアジサイ、アストランティア、バーベナ、エリンジウムなど、ありとあらゆる花が日替わりで満開を迎えています。

 一部ですが、薔薇の様子をどうぞ。これから咲く薔薇もありますが、一番いいときの写真です。何種類あるかわかりませんが、色も形も香りもすべて異なります。人それぞれと言いますが、薔薇それぞれです。個性があって楽しいです。 

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好きな場所

 平日の夕刻は7~10キロほどランニングしています。数年前まで10~15キロも走っていたのに、やはり年齢には勝てないのかもしれません。

 美唄市民になって3ヶ月、ここを曲がって道なりに真っ直ぐ行くと7キロ、美唄中学校前を抜けて裏通りを走っていくと9キロになる、などの距離に応じた私なりのランニングコースができあがりました。その日の気分や疲労度を考慮して毎日走っています。

 ランニングの最中、美唄駅周辺で生徒とよくすれ違います。目と目が合うと生徒は一瞬、うむっ、とびっくりした顔をしますが、私だとわかると、「こんばんは」と頭を下げてくれます。私も「こんばんは。お疲れ様」と声を掛けます。無視しないで挨拶してくれるのがとても嬉しいです。

 私は週末に札幌の自宅に帰るとき以外は自動車を運転しません。ランニングを始めて13年になりますが、運転していると見過ごすであろう小さな風景を見つけられるのがメリットで、実はこれがランニングをやめられない要因にもなっています。大きな通りだけではなく、あえて小路に入ったり、脇道に逸れて眺めのいいところに出たりしています。

 美唄の好きな場所をいくつも見つけましたが、この写真はその一箇所です。観光場所でも名所でもない小路の花壇。ここだけは走らず歩いてお花を楽しませてもらっています。実に手の行き届いた可愛らしい花壇で、自宅の庭づくりのヒントを得たりしています。

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心に

 一夏の想い出として、尚栄祭がみんなの心に焼き付いてくれたら・・・

 これが最後の尚栄祭になる3年次生には、踊ったことや歌ったこと、模擬店の販売、校内で食べたたこ焼きやワッフル、かき氷やカレー、冷やしうどんとヤキトリ・・・良き想い出としていつまでも心に残って欲しい・・・

 ステージで3年次生の男子生徒が歌った曲が胸に沁みました。じーん、ときました。目頭が熱くなりました(歳をとり涙腺がゆるんでいます)。先日のさわやか清掃、たまたまその生徒と二人で学校まで話をしながら戻ったのですが、そのときに高校卒業後の道を聞かせてくれました。そのことと重ねつつ歌を聴いたので、ついつい涙が出てしまったのかもしれません。今を生きる高校生全員の思いを彼が歌ってくれたたように感じました。

 教員一名を加えたダンスユニットも高校生のエネルギーを感じましたし、クラスを超えてチームを組んだダンスも若さ全開で素晴らしかったです。今日一日だけでいいから高校生に戻りたいな、と思いました。

 自分を表現することってそんな簡単なことじゃないです。誰にでもできることではありません。私自身もできません。みんな一律同じであることが求められているわけではないけれど、出っ張ることが何となくタブーとされている日本人の中にあって、こうして大勢の前で表現できることは尊敬に値する、私にはそれだけ価値のある行動のように思います。

 急に思い出したのですが、昔、東京の真夏に1週間缶詰の研修会に参加しました。当時全国工業高等学校長協会理事長の佐々木校長先生が、研修会最終日の挨拶で「出た杭は打たれる。でも、出すぎた杭は打たれない。本研修を受けた皆さんは自信を持って明日からの業務を進めていきなさい」と仰ったことを思い出しました。私には佐々木校長先生があらゆる意味で表現の達人に見えました。

 出て行く勇気・・・ステージ発表から私はそのようなことを考えていました。

 美唄市長桜井様、美唄市教育委員会教育長石塚様を始め、たくさんの方にお越しいただきました。また、PTA役員の皆様の御厚意によるカレーライスと冷やしうどんも大盛況でした。大変ありがとうございました。

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青春は今この瞬間

 昨日から尚栄祭を開催しています。本日は午前10時から一般公開となります。模擬店、PTA喫茶、各種展示となっていますので、是非お越しください。

 大所帯18名の部員による芸術部書道パフォーマンス。一文字一文字に高校生の、青春のエネルギーが込められています。(生徒玄関ホールに展示)

 「青春は今この瞬間」まさにそのとおりです。

 私にも青春はありました。もう二度と戻ってこない時間です。振り返ってみると、友人と過ごした楽しく明るい時間だけが思い浮かんでくるわけでなく、どこに持って行けばいいのかわからない苛立ち、表現のしようのない心の叫び、大人になることへの抵抗感、親元から一刻も離れたい気持ち、成就した恋愛や別れで傷つけた女性のこと、揺れる就職への思い、島への一人旅、親友と呼べる人と出会いたくて進んだ大学・・・そんなことばかりが脳裏を駆け巡ります。今思うと、心の置き所がなかなか定まらない時間であったように思います。

 自分はこうありたい、こういう自分になれるんだ、やっぱりこの夢は捨てて生きていかなければならないんだ - 夢や希望が現実という壁を越えられない、そのことを自分なりに理解していても、それを捨てて前に進んでいくことに迷いと未練がある、そこにもがき続けていたのかもしれません。

 しかし、今はあの頃とは違います。生徒の皆さんは夢や希望を捨てる必要はありません。何にでもなれる道や手段が無限に広がっているわけですから。青春のエネルギーを全開にして堂々と道を切り拓いていってください。

 いろいろなことがあった若き日ですが、すべてをひっくるめて、青春時代はいいものだったな、と思います。何年間を青春時代というのかはわかりませんが、あの時間は私にとっては宝物です。

 目の前の飾り付け、隣に座ったクラスメイトとのお喋り、音楽に合わせた手拍子、応援の声、文字や絵の描き、クラスみんなとのダンス、体育館の蒸し暑さと扇風機の風、体育館後方に吊り下げられたクラス垂れ幕、揃えたクラスTシャツ、大勢の前で初めての歌披露、手を取って笑えた時間、汗だらけのクラスTシャツ、ジャンプしてのハイタッチ、首から提げたタオル、担任の先生を巻き込んだクラスPR、披露できた楽器演奏・・・何でもいい。その一つひとつが一人ひとりの貴重な青春の足跡です。

 6つのクラスPRは皆さんの青春そのものでした。若いって、もうただそれだけでいいですよ。今、この瞬間をまっすぐ生きていけば、それだけでいい。

 すべてがみんなの青春です!

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一面、との遭遇

 今まで見えていなかった一面を知ってしまった - 長い時間同じ人と過ごしているとそうしたことは必ずあります。通常の授業が行われている時にはないけれど、行事の準備をしているとき、見学旅行中、部活動の最中などによく起こることです。

 我を通そうとしたりついつい我が儘が出てしまったり。片付けないで帰ったり時間に遅れたり。サボったり言うことを聞いてくれなかったり。自分はこんなに作業しているのにあの人はスマートフォンを見てばかり・・・たぶん、この学校祭準備期間中に多くの生徒がそれぞれの、一面、に遭遇したのではないかな、と思います。

 廊下を歩きながら生徒を見ていると、「あっ、何かあったな、昨日と顔色が違う」そうした雰囲気を感じ取ります。廊下の壁に寄りかかり、抱えきれない気持ちを友人に聞いてもらっている姿を目にしました。話の内容はわかりませんが、きっと、一面、に触れてしまったのでしょう。

 我慢しなければならないのはわかっている、でも、もうどうにも・・・自分の想いを聞いてくれる友達がいる。そこでの気持ちのやりとりが最終的に心を落ち着かせ、次に自分がどうすべきかを考えるきっかけになっていく。私は二人の様子からきっと二人の中で解決できるだろうと思い、そーっと、二人の横を通り過ぎました。翌日の表情が良かったので、きっとすっきりしたのだと思います。

 昨日も書きましたが、行事は生徒だけではなく、教員の成長の場である、と私は考えます。特に5回15年の担任業務で私は生徒たちから成長させてもらいました。行事のたびに一つひとつの困難を乗り越えていった生徒たちもまた成長しました。自分も、そして生徒たちも成長していくことが嬉しかったですし、幸せを実感できました。中でも札幌琴似工業高校で、もしかするとこれが最後の担任業務になるかもしれないな(その後管理職になりましたので本当に最後になりました)、と思いながら接した40人との3年間は、一日一日が愛おしく一日一日が厚く深かったです。あの40人の生徒たちに私は成長させてもらいました。感謝しかありません。

 いろいろな想いが交錯した学校祭準備期間を終え、生徒も教員もいよいよ尚栄祭を迎えます。たくさんの素敵な笑顔を見せてくれてありがとうございました。皆さんの姿から、私は、私の高校時代のことと教え子と過ごした懐かしい日々を思い返せる、心和む穏やかな時間を過ごすことができました。生徒と教員の皆さんに感謝しかありません。ありがとうございました。

 保護者等の皆様、お子様は学校祭準備期間を経て確実に成長を遂げています。成長したお子様の姿に是非会いに来てください。高校生のお子様の瞬間は、今この時しか見ることはできません。自宅では見られない新しい笑顔や声に触れてください。お待ちしております!

 さぁ、主役は、あなた、です。そして、あなたの隣の仲間も一人ひとりが主役です。みんなが主役です。

 尚栄祭大いに楽しんでください!!

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クラスと生徒の成長

 ステージ練習を体育館後方から見させていただいてますが、日増しに上手になっています。息が合ってきている - 練習を繰り返す中で着実に上達しているのを感じます。

 蒸し暑い中での準備作業ですから、ちょっとしたことで苛立ったり、普段なら聞き流せる言葉が神経に障ったり、思い通りに周りが動いてくれなかったり・・・おそらくそうしたことがあるのだろうと思います。

 そのような障壁は、クラスが、そして生徒たちが成長する過程の中では、必要なことと私は考えます。実際クラス担任をしているときには日常的にトラブルが発生し、そのたびに時間を割いて話を聞き話をして間を取り持ちました。衝突や仲直りを繰り返す中で、生徒たちはひと回りもふた回りも大きくなっていきます。

 完成されたものの評価も大切ではありますが、私はそこに至るまでの成長の見取りがより大切だと思っています。生徒自身が「私は成長したよ」「私たちのクラスはまとまったよ」などとはなかなか思わない。でも、私たち教職員は、クラスの成長、生徒一人ひとりの成長を肌で感じ取ることができます。そこが教師のやりがいであり魅力なのだ - 教職32年目になる私なりの結論です。

 少し話は逸れますが、教頭先生から写真のレイアウトの仕方を習いましたので、数日前からアプリケーションをフル活用しています。自動的に写真配置を提案してくれるので、とにかく便利です。今までは時間をかけて写真を縮小したり切り取ったりの加工をしながら並べていました。その一例として、この一枚(高校説明会で使用するスライドの一部)を作成するのに相当な時間を要しました。楽しみながら作成したとは言え、さーっと並べてくれるアプリケーションがあれば、と思っていたわけです。

 生涯学習、という言葉を耳にします。今までの知識をリニューアルしていくこともそのひとつです。今回のちょっとした学びにより、効率化、時間短縮につながる作業の在り方を実感しました。どんな分野であれ、学び続けることは大切です。

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みんないい顔しています

 今週は午後(5,6校時)を学校祭の準備の時間としています。各教室ではクラスPR(各クラスの特徴をテーマに沿ったダンスや演劇等のステージ発表でアピールする)に向けて、笑い声や振り付け指導する声が飛び交い、日に日に盛り上がってきています。

 教卓の上にタブレットを置き、みんなで画面をのぞき込んでダンスをしたり、打ち合わせしている様がやはり時代を感じさせます。そうした道具がなければないなりに工夫して取り組むのでしょうが、あればあったで次から次へと効果的な活用を見出していく生徒はすごいと思います。

 携帯電話もデジタルカメラもない私たちの高校時代は、記録用としてインスタントカメラ(写○ンです)で静止画を撮影することが主でした。動画を残すとなるとテレビ放送局から持ってきたのか、と思わせるようなビデオカメラを抱えた撮影となり、それはそれで大変な作業でした。そもそもそんな高級な機材を個人で所有している友達など誰一人いませんでした。だから動画ではなく静止画。

 自分の家から持ってきたラジカセにカセットテープ(CDは高校3年生あたりからちらほら出現)を入れて音楽を流す、ビデオデッキとブラウン管テレビを持ってきて動画を見なければならない。何か事を起こすとなるとすべてが大がかりな準備となりました。約40年の間に何もかも様変わりし、スマート化されました。そんな中でも変わらないものはあります。生徒同士のやりとり、汗を流しながら練習する姿です。これだけは昔から変わりません。

 私の顔を見ると生徒たちが寄ってきて声をかけてくれるようになりました。2ヶ月半で垣根がかなり低くなったような気がします。校長の小部屋は、写真エッセイをコンセプトに始めましたので、とにかく写真を撮って歩いています。最近は驚くほど自然でいい顔を見せてくれます。仰々しく一眼レフを構えるのではなく、スマートフォンで撮影するからそうなるのかもしれません。

(写真のレイアウトの仕方を教頭先生から習いました。便利です。)

 先日自宅に帰ったとき、次男が「父さん、校長先生どうなの?」と唐突に聞いてきました。話の中で「そういえば、オレ、高校の時の校長先生と喋ったことないし、顔も知らないわ」と。確かに1学年8間口の大規模校に通っていたわけですから、それもわかるような気がします。

 知られるということはそれだけ認知されたということですから、より一層身も心も引き締めていかなければなりません。

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学校祭の準備から

 放課後の学校祭準備。

 教員になって良かったな、と思うことのひとつは日々の生徒の様子を見て、自らの高校時代の記憶が身近に感じられることです。どんどん遠くなるはずの高校時代の記憶が意外と近いところにある・・・おそらくこの仕事をしていなかったら、日常的に高校時代のことを想い出すことはなかっただろうと思います。

 それともうひとつ。目の前の生徒たちの声や笑顔、部活動で汗を流す姿、教室で授業を受けている様子を見るたび、教え子たちと過ごした時間が鮮明に蘇ってくることです。あのときこうだったなぁ、そういえばあの子元気にしているだろうか、と。

 この日も生徒たちを見ていると、いつものように高校時代の学校祭準備のことや教え子たちと一緒に過ごした学校祭が重なり、懐かしい気持ちで一杯になっている自分がいました。

 恋人の話を聞きながら行灯を製作したこと、床にこぼした絵の具をそのままにして帰った生徒を叱ったこと、40人と私でスピッツの「チェリー」を大合唱したこと、ケーキを販売するJAZZ喫茶のお店を出したこと、学校祭のお疲れ様会で我が家の庭でクラス焼肉大会をしたこと、第二種電気工事士の放課後補習が終わってからスタートした準備作業、サボって帰った生徒がいて翌日の準備作業をストップしたこと、グランドで打ち上げられた花火、みんなで着用したクラスTシャツやパーカー・・・すべてがいい想い出です。

 準備期間はもう少し続きます。この瞬間の会話、笑えた言葉、教え合った振り付け、不足するものの買い出し、学級旗への色付け、一緒にジュースを飲んでの休憩、窓から入ってきた夕暮れの風、楽器の鳴り響き、分け合ったお菓子、床にこぼした絵の具、疲れて眠い授業、スマホで流して聴いた大好きな曲、買い出し途中で食べたアイスキャンディ-・・・その一つひとつが子どもたち一人ひとりの心に刻み込まれますように - 私の願いはただそれだけです。

 4月中旬以降平均500アクセス数でしたが、最近1000アクセス数となりました。御訪問誠にありがとうございます。本校生徒の活躍を今後もお伝えいたします。何卒よろしくお願いいたします。

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